第二話 謎の

 空港に到着後、ワルシャワのホテルにチェックインする。もう夕方だった。
 部屋に入ると友哉はすぐに、「先に転送の練習をさせてくれないか」と、シャワーを浴びに行こうとしたゆう子を制した。女性のシャワーが長いと思うのだ。
 テロが起こるのは明日。時間が足りないような気がして、重要なことを早く勉強したかった。それにもっとも重要なのが、テロリストと戦った後に逃走するための転送と思って、気持ちが焦っていた。

「練習の必要はあんまりない」
 不機嫌な態度で言うゆう子。機内では、「練習しよう」と笑っていたのに、と友哉はため息を吐いた。
「女の気まぐれは二十世紀から許されるようになって、俺もかわいいと思うだけだが、君のバスタイムは何分くらいだ」
「一時間以上」
「ほらね」
「わかりました。さらに言うと、あなたが冷たければ二時間以上」

 ゆう子はAZを取り出し、手慣れた様子で入力作業を始めた。急に立ち上がると、AZを持ったままバスルームに行き、すぐにリビングルームに戻ってきた。
「近すぎるからじかに見てきた。じゃあ、やります。わたしが転送のボタンに触れると、バスルームに飛びます」
「あ、はいdots
 ゆう子の生真面目な表情を初めて見て、子供みたいな返事をしていた。
「ちょっと待て」
「なんですか」

「着ている服も一緒か」
「当たり前じゃないですか。持っている物も一緒です」
「普通に怖いって」
「トキさんと練習してある。絶対に平気です」
 そう言い終わらないうちに、勝手に転送されていた。友哉の眼前に突然、バスルームが現れた。着地に失敗して床に腰を強打したが、なぜか痛くなかった。
「自分で歩いて戻ってきて。早くシャワー浴びたいの」

 大きな声で言う。声が怒っていた。
「どうぞ。シャワーでもトイレでもどうぞ」
 リビングに戻ってきた友哉は、自分の体に傷や痣が出来ていないか確認しようとソファに座って、シャツを脱いだ。
「やだな。いきなり裸にならないでください」
 上半身の肌を露出させたら、ゆう子が目を逸らしながら言い、バスルームに駆け込んだ。
 ゆう子が開けたままにした旅行鞄の中には、色とりどりの下着やカジュアルな洋服が入っていた。

 開けて見せているのは下着がすべて新品だから恥ずかしくないということか、と首を傾げる。女性との旅行の経験は記憶の中で錆びついていて、他の女性がどうしていたかよく思い出せない。
lineしかし、貧乏だったあいつとはあきらかに違う下着と服。あのタブレットの俺の女の好み、間違っている。もっと庶民派の女性が好きなんだが、人気女優ではそれは無理か。
「もう少し、安っぽいパンツの方がリラックスできるんだけどなあ」

 思わず口に出してしまう。すると、
「聞こえてます。今度はその辺のスーパーで買ってきます」
と、ゆう子の声が頭の中に響き、友哉が仰天した。部屋はジュニアスイートの広さで、ゆう子はバスルームにいる。
「わたしのことを想って喋ると聞こえてしまうから、注意した方がいいですよ」
 指輪と指輪を使った通信機能だった。友哉が、自分の左手の人差し指にはめてあるリングをまじまじと見つめた。

「その前も少し聞こえた。庶民派がいい? ポルシェに乗ってるくせに。それとも草食男子?」
「安いパンツなら、破ろうが汚そうがなんでもできるって言ってる男に草食男子とはよく言ったものだ」
「冗談ですよ。AV女優をセフレにしていた男の人が草食なわけないもんね」
「セフレじゃなくて、ちゃんと付き合おうと思った。だけどすぐにいなくなったんだ」
「そうなんだ。なんとなくそんな気はしていたけど。dots看病とかしていたからね」
「看病?」

「セックスが終わった後に、しばらく寝ないで見ている」
「そんなの当たり前。酔ってセックスしたら、急に水を飲むために起きる女の子もいる」
「当たり前じゃない。まあ、いいか。真面目に言うと、前の彼女たちのプライバシーに関わるから、友哉さんの好みは誤魔化してあるんだと思います」
「なるほどね。トキは君の過去のことは教えてくれなかった」
 そう言うと、ゆう子は無言になってしまう。『過去』には触れず、

「三年一緒にいたら、自然と下着やらの好みは分かるから、わたしもそんなに気にしてない。今日は無難な色の下着にした」
と教える。
「かわいい色だよ。君はスーパーには行けないと思うし、それなりのブランドでいい。ありがとう」
「ん? 巨大地震が来る?」
 褒めると茶化すのか。照れ屋なのか。友哉は少し微笑した後、気持ちを整え、
「三年、三年って言ってるけど、つまり三年の期限付き愛人秘書ってことか」
と指輪とバスルーム、どちらともなく問いかける。

「愛人秘書ならセックスするって意味になります。やっぱりしたいのね」
 また、ゆう子の声が頭の中に入ってきた。聞こえるはずもない小さな声が電話のやりとりのように鮮明に聞こえる。
「言葉のあやだ。俺は独身だから、愛人って表現もおかしいか」
「呼吸が合ってきた。よく聞こえる。詳しいことは言えないし、わたしにもはっきりとは分からないんですが、三年後にわたしたちが事件に巻き込まれて、その時に友哉さんが傍にいないと困るんですよ」

「事件?」
「はい。事件が起こるの。まだ詳しくは言えませんが」
「なんで?」
「友哉さん、ショックで泣いちゃうかも知れないから、もう少し仲良くなってからにします」
 友哉はしばらく首を傾げたまま、体の動きを止めてしまっていた。徐に、顔を上げながら、

「仲良くなれなかったら?」
と訊いてみる。
「仲良くなれるそうです。三年後の事件の日に一緒にいるから」
「隠し事が多すぎて、君に何か目的があるようにしか見えない。あのトキって男と共犯で」
「もうなんでもいいですよ。打算的でも男性から愛されます。たぶんdots
「たぶん?」
 シャワーで体を流している音も聞こえた。

「世の中の男の人たちは皆、女に騙されてるじゃないですか。ちょっとかわいいとコロって」
「俺も君に騙されるって意味?」
「でも、わたしの場合はいろんなことがばれて、わたしがあなたに嫌われると思う。女らしいことができないからさ。しかも、女は優秀な男性には嫌われて当たり前の生き物ですよ」

「面白いことを口にするもんだ。俺が優秀かどうかはともかく、仮に天才が優秀だとしてゲイになる。女嫌いの女はたしかに女っぽい仕草はあまり作らないから、君に当てはまるかもしれないな。機内ではわたしのことを好きになるって自信満々だったのにどうした?」
「気分の問題よ」
「やっぱりdots。ところで、周囲の音も聞こえる。シャワーの」
「エロい? シャワーの音で声が聞こえないですか」
「いや、声は鮮明に聞こえる。不思議だな」

「エロい?」
「え? 音だけには興奮しないよ」
「そうなんだ。がっかりだな。何もかもがっかりだ」
 なにを嘆いているんだろうか。友哉は首を傾げた。
dotsそれで、三年後のその事件のためにも、友哉さんについているように言われた。秘書でもいいから観念してよ」
 急に話を元に戻している。
「わたしも、ぱっと見が好きなだけでここまでしつこくない」

「その事件のために三年も一緒にいるのか」
「その事件のためだけじゃなくてdots。それより、部屋で何してるんですか。なんでこないんですか」
「え?」
「せっかく、奥原ゆう子が近くで全裸でいるのに、興味ないの? 普通、覗くんじゃないかな。あんまり男性のことは分からないけどdots
「普通は覗かないよ」

「成田から一滴もお酒も口にしないでしょ。付き合いが悪い。つまんない」
「遊びにきたんじゃないからだよ。それに飲んでも、彼女じゃない女のバスルームは覗かない。そんな非常識な奴、滅多にいないよ」
「ずっと誠実そうなふりしてるよね。こっちは告白してるから、見たり触ったりしていいんだよ」
 だんだんと敬語がなくなっている。苛立っているようだ。
 部屋はジュニアスイートほどの広さで、近くと言っても数歩で行けるわけではなかった。

line乱交目的のパーティーじゃあるまいし、覗きに行くわけないだろ。
 友哉もイラッとしてきた。
「もう万策尽きた。せっかくファーストクラスだったのに、手も握ってないし、パンツも見たくないってアホか。適当に喋った記者会見の通りになっちゃってる。ファーストクラスの金返せ
「君には自尊心はないのか」
 語気を強めて言う。
「自尊心?」

 言葉はそこで途切れて、やがて彼女が雑にバスルームから出てくる音がした。いったんドレッシングルームに入ったが、わずか数秒で出てくる。バスタオルを付けていた。ヘアバンドを持っていて、髪を結わきながら、
「わたしは、男の人にこんなことは言いたくない。だけど、生まれて初めて言う」
と言って、足を止めた。もちろん指輪の通信ではなく、じかの声だ。
「あなたは女に恥をかかせている」

 ゆう子が一メートルほど前に立ちすくんだまま、そう言う。友哉は、ゆう子からゆっくりと目を逸らした。
line確かにそうだ。彼女はずっと「好きだからいい」と言っているのだから。トキのことがあるとはいえ、自分でも不思議なほど慎重になっている。好きになってはいけない。そう、無意識に考えているみたいだ。
 友哉は、トキのある説明を思い出した。それは「避妊させるように」という例の『光』の

避妊の説明で、友哉はその話をトキが消えた後、スマートフォンで受け取った。いま思えば、彼の声はリングから脳内に直接入っていたのかもしれなかった。
「友哉様は私がさっき交渉した秘書になる女性と同じホテルなどに泊まることがあると思うので、そのリングを使った避妊のやり方をお教えします」
 脳内にある女性ホルモンを分泌させる下垂体を停止させるよう緑色の光がレセプターを探すというものだった。友哉がスマートフォンの画面を見ると、脳内の画像が出てきた。

「ここです。彼女の頭を見つめながら、これを探せばいいだけです」
と言う。赤い印がついている箇所があった。
「君にもらう報酬で部屋を別にすれば?」
「それはだめです。一緒にいないと戦えません」
「美人なんだよな。そんなおいしい話があるのか」
「おいしい? どういう意味の言葉遣いか分かりませんが、彼女を見ていると苦労するはずです」
「苦労?」

 友哉が訊き返したが、トキは何も答えず、通話は終わった。
「奥原さん、ちょっと待て」
 友哉が頭を掻きむしる様子を見せると、ゆう子もその勢いを止めた。
「トキって奴に二人とも騙されているとか」
 また言ってしまう。他の女性だったら、すぐにベッドに運んでいるはずだと、友哉は自分自身を疑った。
「違うんだって。もう、どうでもいいよ。優しいも楽しいデートもいらないから抱いてよ。たんなる女嫌いでしょ。だからセックスだけでもいいから。つまり、ベッドで一緒に寝たいの」

 バスタオルをつけたまま友哉に近寄ってきた。
「明日が不安じゃないの? 仕事のストレスを癒すために、わたしはあなたの傍にいるの。あなたの傷を癒すために派遣されたの。機内でずっと顔色が悪かったし、水分ばっかり摂ってたよね。足が治ったようだけど、あなたの車椅子の時の苦しそうな顔と変わってないのよ」
「そんなに俺の事故の後遺症とかを心配して、君もトキにお金をもらっているの?」
「もらってない

 ゆう子が初めて大きな声を出した。ごく当たり前の疑問を投じたのだが、暴言だったとも言える。
lineなんなんだ、この温度差は。俺はこんな美女を拒絶する男じゃないのに。
「仕事、仕事って言うからだよ。まあ、そこにいったん座れ」
 ソファに目をやるが、ゆう子は立ったまま動かない。
「わたしの仕事は、あなたが大好きっていう仕事なんですよ。腹黒い目的でもなんでもいいから、三年間、我慢してください。ずっと一緒にいてくださいよ」

「なるほど、君と結婚しなかったら未来が変わるっていう定番の物語か」
「違うよ。結婚願望はないの。だからずっと死ぬまで傍にいさせて」
「死ぬまで?」
「うん。すぐ死ぬから、そんなに迷惑じゃないから、わたしが死んだ後、別の女と付き合ってよ」
「重い病気でもしてるの?」
「違う。今度、説明するから、死ぬまで一緒にいて」
 友哉が首を傾げるでもなく、顔を俯かせるでもない角度からゆう子を凝視していると、

「わたしを信じてよ」
と彼女は語気を強めて言った。
「信じる?」
 死ぬまで一緒にいる? わたしを信じて?
「それ、わたしを愛してほしいと何が違うか教えろ」
 怒気を見せると、ゆう子はびっくりして、「何か悪いことを言った?」と、すべての勢いを失い肩をすぼめた。

「教えろ。話が一方的すぎる。ちゃんと説明しないと今すぐ勝手に日本に帰る」
「えdotsど、どうしよう。えーとdots
 おでこに手をあてて、顔を曇らせたゆう子を見ながら、友哉は冷蔵庫に向かって歩いていき、ミネラル水を一本取り出した。床に座り込んだ彼女を見て、「ソファに座れよ」と、また言うと、ゆう子はゆっくりとソファに腰を下ろした。
「いじめてすまなかった。明日の打ち合わせがないなら寝なさい」

「明日はここから少し離れたレストランで、友哉さんがテロリストをやっつければいいだけです」
「そうか。簡単に言ってるけど、簡単じゃないと思うよ」
 ミネラル水を持って椅子に戻る。ゆう子は力なく座っていて膝頭がだらしない。迂闊に見せてはいけない股間の様子が丸見えになっていた。バスタオルの下は裸ではなくて、また下着をつけていたから油断しているともいえる。
line露出癖がありそうで、足元が常にだらしないな。

 友哉は落ち着かない様子の苦笑いをした。機内でも、スカートを捲り、太ももを擦ったりしていたものだ。友哉は水を持ってきたが、テーブルの上に置いてあったビールを口に運んだ。ゆう子の淫らな足の動きに興奮してしまっていた。何しろ映画とテレビでしか見たことがない人気女優の下着が見えたり隠れたりしている。尋常じゃない状況だった。
「君も飲めば?」
「ホテルの部屋代もルームサービスもわたしのお金」

「後で返すよ」
 ワルシャワの町は静かなものだった。芸術的に美しく、観光客はその街並みに酔い痴れた表情で歩いている。明日、どこかでテロが発生するようには思えない。
「信じてって言ったら、なんで怒られるのかわかんない」
 また声を上げるが、怒気ではなくべそをかいていた。
 大げさな貧乏ゆすりをするように足をバタバタさせる。まるで子供だ。彼女のその様子は、我儘なお姫様のようで、かわいらしい顔立ちのせいかなぜか不快に感じない。それとも彼女の言うように、俺がこの歳になって女の子の仕草に騙されているのだろうか、と友哉は思った。

 しかし、奥原ゆう子は噂に違わぬ美人で、かわいい女の子は得をしているなと、友哉は改めて分かった。
「男と女がセックスで始まるとセックスで終わるぞ」
 友哉の生真面目な言葉に、ゆう子は首を傾げた。
「そんなきれいごとを言うのね」
「悪い奴はきれいごとを言うのさ。レベルなんだろ」
「うん。わたしだってだしね」

「じゃあ、の人間はいるのか」
dots
 ゆう子は、バスタオルを自分から取ると椅子から離れ、ゆっくりと友哉に近寄っていった。上下の下着を付けているが、下着姿の人気女優を見て友哉は我が目を疑っていた。ゆう子は彼の足元にいったん正座をして、腰を浮かしてジーンズのベルトを取り始める。
 まさかdotsと思う。
 彼女が仕事にしている演劇の中の芝居なのではないか。

「ごめんさない。下品なことを言うけど、やりたいの。久しぶりなの」
 瞬きをせずに言うその目が正気を失っているようにも見えるが、道徳的な姿をテレビで見ているせいか怖さはない。
line正直な女だ。
 友哉はようやく、いったん降参をすることにした。

 人気女優を簡単に抱けるシチュエーションが罠ではないかと疑ってやまないし、破滅願望を顕にして積極的にもなれなかったが、ゆう子が自分の体のどこかに触れると、その迷い、疑いがすっと消える感覚がした。ジーンズを脱がせようとしている彼女の手の指が、太ももや膝に当たると、抱きたくなってきた。
「やりたい女は自分からブラを外して、パンツも脱ぐぞ」
「おっぱいに自信がないから外さない」
「え? 見事なおっぱいだと思うよ」

「友哉さんの好みはもう少し、小さめです」
 それもトキからもらった記憶にあるのか。律子も、前の彼女も確かに奥原ゆう子よりも、小さい乳房だった。
 友哉は前の女たちを思い出させる彼女の言葉に一瞬冷めたが、ゆう子の手がペニスに触れると、意思に反してペニスは硬くなった。

 彼女は、少しずつ、友哉の下半身に顔を寄せていて、すでに口を小さく開けている。まさか涎が出そうになったのだろうか、一度、唾液を飲み込んでいた。
 飛行機内で妄想したとおり、口元に色香を纏った淫猥な女だった。フェラチオをずっとさせているだけで、数億円の価値があると友哉は思い、ただ、ただ、見惚れていた。
line女はセックスの価値をお金に例えると嫌な顔をするが、軽々しく愛していると言うよりも簡単じゃないぞ。本当にお金を作って渡すのは。

 友哉はゆう子の唇を見ながら、そんなことを考えていた。
 瞳はこの世の幸せを独り占めしたかのような汚れない直線的な輝きを見せているのに、口元は遊び心があるかのような稚気があった。
 そのアンバランスな顔で、友哉のペニスを口に含み、その瞬間に生真面目だった目つきも急に嗤わせた。
lineこの女は言う通り、本当にセックスがしたいだけなんじゃないのか。

 男性からの愛撫を受ける前に、こんなに恍惚とした表情を見せる女は初めて見た。口の中にヴァギナと同じほどの性感帯が彼女にはあるのだろうか。
lineトキという自称未来人は無関係で、ただの淫乱。そんな気がする。早くに決めるのはどうかと思うが、瞳が綺麗で猥褻な言葉もプライドがなくて直截的。純真なのかもしれない。または、男根崇拝dots
「太いdots。ずっと欲しい。死ぬまで」

 一瞬、口を離した時にそう言ったように聞こえた。すぐにまたくわえこんだから、友哉にはよく聞こえなかった。
「トキからもらった力の中に、それが黒人のように太く変化することはないよ。精力は無限に近いがね」
 ゆう子は友哉のその言葉には反応せず、虚ろな目を見せながら舌を動かしていた。

 友哉は、不自由になった足を治してもらったが、その治療に使った未来の世界の薬は足のケガを治すための薬ではなく、男性の体全体を強化する薬だと、トキが簡単に説明した。
 もともとは男性の精力を強化するために、古代にいた爬虫類や動物、腐敗物を食する鳥類のを元にそれを栄養剤にした。南米などにある植物の生薬も使い、しかし出来上がったその薬は筋力も強化させ、病気も治してしまう万能の薬になった。

 男たちが虚弱だったため、体質を強化する動植物のからの栄養素も使ったためだった。ところが、副作用が深刻だったため禁止されたらしい。
lineまだ副作用は出ていないが、この感覚だったら、奥原ゆう子をまさに三年間、存分に楽しむことができるのか。彼女の片想いが本気ならdots
 熱心にフェラチオを続けるゆう子を見ながらそう考える。だがdots

 女は、抱けば抱くほど離れていく。
line愛した女は必ずいなくなる。
 好みであればあるほど、束縛したくなる。それが女性軽視と言われる。
 トキから、「あなたの理想の女を秘書として与える」と言われた時に、理想じゃない方がいいのに、と考えていた。
「あ、俺、シャワー浴びてないよ」
 考え事をしながら、ゆう子のフェラチオに見惚れていた友哉は、はっとして思わず言った。

 ゆう子も長いフェラチオに疲れたのか、ようやくペニスから口を離し、
「シャワーに行ってる間に気が変わりそうだから、もういい。男性の匂い、嫌いじゃないし。そう、こんなふうに毎日でもするから高級なんとか倶楽部は解約してくださいね」
と、これまでのように喋り出した。怒気もなくなっていて友哉はほっとした。
「言われなくても、もう金がない」

 友哉のその言葉には反応しないゆう子。またフェラチオを始める。口の中に出させるつもりか、と思うが、また口を離し、何か卑猥なセリフを呟いた。「硬い」と言ったように聞こえた。ペニスから口を離した時に手を使わずに、握っているだけ。射精をさせたいのかさせたくないのか分からない生殺しのような愛撫だと友哉は思った。
「そろそろかなって思ったら止めるよね」
「え? そうですか。出していいですよ。好きなところに」

「どうやって?」
「下手だと思うから、あなたがわたしの頭を押さえて動かしてもいい」
「君なら顔だけでもいけるけど、なのに、いきそうになったらやめるから」
「それは顔だけでいけないってことですよね。やっぱり、女優や女子大生モデルの女は上手いの?」
 ペニスを持ったまま上目遣いで言う。少しメイクを落としているが、それでも美しい女だ。友哉は、目の前の美女に簡単に口説き落とされている気分だった。

「上手いからやってるんじゃないかな」
「早く解約してくださいね。気になるから」
「プロの女に対抗してどうするんだ」
「松本涼子の写真集を捨てて、わたしの写真集を買って。昔に一冊だけ出してある」
 そんなことまで知ってるのか。友哉は呆然としていたが、ゆう子の妖艶でいて、どこか少女のような邪気のない声色は、俗っぽい話も浄化してしまうようで、興奮と感動はいっこうに収まらない。

「でも若い頃の写真集は恥ずかしい。とにかく松本涼子はだめ。若い、おっぱい小さい、超かわいい。なのに水着は際どい。絶対に捨ててね」
「会ったことあるの?」
「んー、あるかな。新しいアイドルの子、いっぱいいるからよく分からないね。興味あるんだね。芸能人に興味ないとか言って。なんかむかついてきた」
 怒ると愛撫を止めるのかと思ったら、増して熱心になった。嫉妬でセックスが乱れるタイプだと分かる。

「最初は口の中に出して。まだもしてないし、まるでセックスだけの関係みたいで興奮する」
 ペニスから口を離して言う。ようやく唾液がついた手も動かした。
 友哉は彼女が上目遣いになった時に、その瞳が美しくてそしてその美しさ故に行為がひどく淫らに見え、興奮して人気女優の口の中に、白い体液を出した。
 だが、友哉はその直後に、気分が悪くなってきた。

 超人のような筋力はあるが、無限のスタミナはないのか激しく動悸をしていて息苦しくなっていた。だが、ペニスはなんら縮まることはなく、勃起を続けている。
 まるで精神と肉体がひどくアンバランスな感覚だ。
lineなんなんだ。俺がパニック障害か。
 ゆう子は勃起を続けているペニスを見て、嬉しそうに笑みを零し、目を輝かせた。

 そしてティッシュに出した精子をすぐ横のテーブルの上に大事そうに置き、また彼のものを口に含んだ。そしてその精子のついたティッシュをちらっと見た。しかもティッシュをたたんでなくてどろっとした白濁のその体液はまだ女体に使えるような生々しさを見せている。精子の入ったコンドームを傍に置いておくような行為だ。
 友哉は彼女には気づかれないように首を傾げた。

lineまた横目で見た。男が出した精液の何が気になるのだろうか。
 いろんな女と付き合ってきたが、あまり見たことがない性癖だった。友哉は一瞬、注意をしようと思ったが、ゆう子の愛撫に気を取られて、その言葉を飲み込んだ。その愛撫が少ししつこいとも思えた。勃起力のない男や自分の彼女に厭きている男は苦痛と思うような荒っぽさだった。

「淫乱でしょ。奥原ゆう子が舐めてますよ。すごいでしょ」
 彼女の言うとおりだった。テレビでしか見られないトップ女優が、自分のペニスをくわえて離さないなんて、そんな贅沢はない。いや奇跡だと思った。
 彼女の望み通り、セックスをする秘書として付き合っていいのではないか。騙されたとしても気にならないくらい、今、夢を見さてもらった。

 しかし、なぜこの女はセックスを急ぐのだろうか。27歳にもなれば、男と一緒にホテルに入ればセックスは必然かも知れないが、それを断り、帰国してから慎重にやる方が彼女にもリスクは少ないはず。トキがそんな命令をするとは思えない。あの男は謎があるが、あの会話から察するにモラリストだ。まさか、本当に真正の淫乱なのか。久しぶりにセックスがしたいと言っていたから、何回かすれば落ち着くのだろうか。
 友哉はぼんやりとそう考えていたが、先程からの疲れがひどくなってきて、ゆう子にそう告げた。

 しかし、ゆう子は「なんで?」という表情を見せただけで、行為をやめない。
 友哉が椅子の奥にお尻を沈ませるように座り直すと、ゆう子はまっさらの白い下着を脱ぎ、足首にその下着を付けたまま友哉の腰に跨ろうとしたが、その積極的なセックスも彼は真剣に止めた。友哉は、彼女の下半身からは目を逸らしたが、VIOの処理がされている桃色に充血した女性器が一瞬だけ見えた。

lineこれ以上、興奮すると倒れる。
 友哉は深呼吸をした。
「疲れた。本当に急に眠い」
「どうして クマやライオンと闘っても平気な体力と腕力があるんでしょ」
「いや、体力はなさそうだ。腕力だけdots。飛行機の中であまり眠れてない」
「どういうこと? 今、あなたの好みの脱ぎ方をしたのにdots

 がっかりした様子を露わにする。トキは「看護婦に向いている女」と言っていたが、まるで、リハビリが進まない患者に無言で圧力をかける古参の看護婦だった。白衣の天使には見えない。
line言葉が優しくてセックスが激しいタイプか。たまに見かけるが、まさに究極。嫌いじゃないはずだが、なんだろう。この胸の不快感は。

 友哉が、青白い顔でそんなことを考えていると、ゆう子はバスタオルを体に巻きながら、AZをテーブルの上に出してきた。薄型の茶褐色のタブレットは残像から実体化するようなそんな現れ方をした。
「俺の好みの脱ぎ方って
「パンツを足首に付けたままセックスするの」
「ああ、好きだ。そんなことを知ってるとはdots

 友哉は近くにあったタオルを腰の上に置いた。ゆう子はその様子を見ながら、
「なるべく見ないようにしたいけど、暇潰しに見てしまう」
と苦笑いをしながら言う。
「どっちの話?」
「え? これよ。このタブレット。どっちってなに? なんで隠すの?」
 きょとんとした顔つきで、また友哉の腰を見た。

「だからどっちなんだ。そのAZってやつを出しておいて、こっちをずっと見てるよね。終わったら隠すのは当たり前だ」
「変なの。男性のをじっと観察する女なんかいないよ。もう少し見たいから、女の子みたいに隠してほしくないな」
dots

 首を傾げている友哉をよそに、ゆう子はAZの『原因』ボタンに触れる。ふざけて喋っている様子はなく、記者会見を「ふざけている」とマスコミに批判された理由がこのちぐはぐな言動に起因していると分かった。

●ガーナラで強化された彼の筋力は、彼が戦いを意識しないと発揮されない。だが、荷物を持ったり階段を上ったりした時に無意識にその筋力を使ってしまい、疲れが徐々に出てしまう。クスリというものは、効果を感じなくてもその副作用は出る。また戦っている最中には疲れはあまり感じないから、あとで反動に注意する事。
 と書かれてあった。

 ゆう子の疑問が、ゆう子の操作でのみ表示される。AZと彼女の指輪と脳が繋がっている。
「セックスは戦いとは違うのかな」
 ゆう子がそう呟くと、画面上に次の文字が浮かんできた。ほんの数ミリ、文字が画面上に浮いているのだ。

●セックスは友哉様が本気にならなければ戦いとは言い難い。そもそも、セックスは愛、もしくは快楽のための行為。ゆう子さんの時代の男性たちは、愛にも快楽にも迷いがあると思われる。
「なんだ、こりゃ。データに説教された」
 ゆう子がAZを投げ捨てた。AZは、ソファとベッドの間の空中で消えた。

「本気出せよ。ゆう子ちゃんに対して本気出せよ」
 タメ口で怒りまくる。シャワーを覗かないとか、アイドルの写真集を捨てろとか、もはや女のヒステリーだと友哉は失笑していた。もちろん、病的ではなく、「我儘」の範疇だ。
「かわいいな。君はその喋り方が似合ってるような気がする」

 心底、そう思い、
「一緒に寝ようか。だけど、逆レイプはまた今度にしてくれないか」
 そう微笑んでベッドに入るように促した。ゆう子は急に喜色満面になった。
「言葉遣いが悪いって、皆に注意されてるよ」
「男の子言葉か。まあ、無駄な色気が削がれるからいいんじゃないか」
「やった」

 本当に嬉しそうに眼をキラキラさせた。そしてベッドの中に入って、甘えるように友哉の胸に顔を埋めた。
「幸せ。明日もあなたが生きてますように」
 女の子らしいロマンチックな言葉を作るが、急に眉間に皺を寄せ、「ちょっと気持ち悪い」と自分の胸を擦った。

「パニック障害の発作か」
 ゆう子の背中に手を回した友哉は、バスタオルだけの彼女の背中を優しく擦った。すると、彼女は落ち着いたのか目を閉じて、眠ってしまった。
lineすとんと寝た。効いたようだ。かわいそうに、疲れていたんだな。
 友哉は、自分の指輪に気持ちをこめて、「この子の疲れが取れるように」と念じた。左手の人差し指にはめているブルガリのユニセックスのリングが緑色に光ると、ゆう子の顔色が良くなったように見えた。子供のような微笑みを浮かべながら眠った。

 友哉も疲れてしまった。今、ゆう子に自分の体の中にあるエネルギーを与えたのだろうか、一瞬、眩暈がした。眠気を払うように頭を振り、また彼女の背中を擦る。
 こんな美女にフェラチオをしてもらった、せめてこれくらいはしないと…。限りなく無意識に近い感情だったが、友哉はうとうとしながらずっとゆう子の背中に手をあてていた。
line俺のことはどうでもいい。明日、死んでもdots
 最後にそう呟くように思うと、空虚な気持ちになり、その方が何も不快感はないと分かった。

 ワルシャワの街にあるレストランに、友哉は一人で入店した。ゆう子はホテルに待機して、そこから指示を出す形になっていた。東京でもそういうやり方だとゆう子は言った。
 窓際の席に座った友哉は、自分が店員とポーランド語が話せることに気づいた。空港やホテルでは、ゆう子が仕切っていて、彼女が少しポーランド語を喋れるのだと思っていた。

 指輪の中に自動通訳の力が備わっているのだろうか。ポーランド人だけではなく、居合わせたドイツ人と喋ろうとするとリングが勝手に緑色に光っていた。
 今の時代のカードゲームの薄い紙きれの中にも情報が満載なのだから、年後の未来なら、厚いシルバーのファッションリングの中に様々な技術を埋め込むことくらい簡単かも知れない。
lineずいぶん日本人が多いな。

 三十名ほど座れる店内の半数は日本人。
「すみません。ここにいる日本人は何かの団体ですか」
 一番近くに座っていた初老の男に声をかけた。
「アウシュビッツを見学に行くツアーです。この後、列車に乗ってね」
「あれがdotsそんなに人気なんですか」
「ここからは遠いし、人気でもない。君はこの国の美しい町を見に来たのかな」
 初老の男は眉間に皺を寄せた。

「仕事できました。町は世界遺産で美しい。アウシュビッツはここからなら、日帰りでギリギリって距離ですか」
「このツアーは人気はないよ。わたしが以前に来た時は、二人だけだった。今回はわたしが集めた町内会の仲間たちがほとんどだ。若い人は我々年寄りの息子さんや娘さんだ。外国人も少ない。まあ、見たいとは思わんよ。いっぺんに二千人の命を奪った焼却炉がある場所なんか。

有刺鉄線に囲まれた錆びれた収容所からは死者の泣き声が聞こえてきそうだ。君は靖国神社の遊就館を見たことがあるか」
「あります。隅々まで」
「ならいい。失礼な物言いをしてすまなかった」
 初老の日本人は、友哉に少しだけ頭を下げて、スープを口にした。
line奥原、この人たちがテロで殺されるのか。

 友哉は神妙な面持ちで、左手人差し指のリングを使い、ゆう子に話し掛けた。
「分かりません。ワルシャワの中心部のレストランとしかAZに出ていません。他に、日本人がいるレストランを探しています。そのレストランにはレベルが高い怪しい人間はいません。でもその可能性は高いです」
「時間はどうだ?」
「テロが起こる時間を正確に予測はできません。もし、そのレストランなら友哉さんの指輪dotsリングがじきに反応します」

 友哉は、レストランでいつ起こるか知れないテロに備えるつもりだったが、正直、どう準備していいのか分からなくて、焦りがあった。場所と日にちだけしか分からず、相手も分からず。しかし、それを突きとめて、そのテロリストを駆除するのが、トキから与えられた友哉の仕事だった。三百億円の報酬が本当なら、まさに仕事だ。

 そして、テロリストを殺してもいいらしいが、仮に殺した後、自分も逮捕されるのかも知れない不安があった。
 単純に、あのAZの転送で逃げるのだろうがdots
『テロリストや凶悪犯を殺しても、友哉様は警察に捕まることはありません。証拠が残りません』
 トキはそう言って、やや失笑した。朝、ゆう子にも同じ質問をしたら、「ひょいひょい逃げればいいじゃん」と、彼女は他人事のように笑った。
line周りの人間たちが軽いノリだが、渡りに船のようなことが続いているから、大丈夫かも知れない。

「今日は気分がいい。薬も飲んでない」
 ゆう子が唐突に言う。友哉は初老としたアウシュビッツの話で戦争の歴史を思い出し、気分は悪かった。ゆう子は初老と友哉の話はリングの通信で聞いてなかったようだ。
「パニック障害は大丈夫なの
「わあ、心配してくれるんだ。うん。女優を休んでいいと思ったからかな。すごく楽になった」
 昨夜、友哉がその治療をしたことには気づいていないようだった。

lineよかった。このリング、便利で良いな。
 彼女は息苦しくなる病気なのに、よく喋る。だが、お喋りなのがかわいいから、辛くなったらまた治してあげようと友哉は思い、食事をしている日本人の観光客を見て、少しだけ微笑んだ。
line彼らに何事もなければいいんだが…
 彼らの手の動き、トイレに行く時の歩き方、時間の経過を見ていて、なぜ、正確な日時が不明なのだろうか。未来から見て、それくらい分かるはずなのに、と、ふと思った。

「日本の終戦日も昔にあった大事件も、歴史上、日時が分かっている。テロがあった日時くらい、未来から調べられないのかな」
「エジプト文明に何があったのか、その日時が分かりますか」
dots
「歴史上は分かりませんよね」
「歴史上の話と言うよりも、タイムマシンのようなもので分かりそうなんだが」

「後で説明します」
 ゆう子はそう言って、話を止めた。
「リングが反応したよ」
 友哉のリングが赤色に点滅した。けっこう眩しい光だが、周囲の人には見えないようだ。
「赤く光ったら、一時間以内に、友哉さんか友哉さんの近くにいる人に危険が訪れる警告です。ちょっと離れてるけど、わたしかも知れません。助けにきてね。かわいいスリップ

姿で通信中です。パンツは水色。友哉さんは薄い色のパンツが好きなのを知ってるんだ。ね、抱きたなくならない それに友哉さんも素敵。ワルシャワのレストランで佇む日本の小説家。ポーランド人は芸術家を尊重するから、席を譲ってくれますよ。その赤いアウターに黒ジーンズ。ファッションが苦手な男の人の究極の組み合わせ。でも髪の毛がだめ。今度、わたしがメッシュを入れてあげるから、それに合わせて、秋になったらルイヴィトン

の冬物のレザーを買ってくれないかな。ルイヴィトンのロゴが金色のやつ。高いけど仕方ない。メッシュと合わせるの」
lineずっと喋り続けている。
 友哉は半ば呆然としていた。友哉にしてみれば、初めて出会うタイプの女だった。
「佇んでないよ。座っている」
「え なんか日本語、間違えた やだな、作家さんは細かくてdots

 友哉は大きなため息を吐いたが、それが聞こえたようで、
「ため息がうるさい」
とゆう子が言った。
 窓から通りを見ると、古いが一台停まっていた。駐車違反なのか警察官が近寄ってくる。
「近くに警察官が一人、に近寄っていくがどうだ

「歩いている人は警察官ですか。からなんとなく見えます。あ、店の外の防犯カメラに侵入できた。その歩いている人はダークレベルです。車の中の人間は二人dots
 ゆう子が絶句したのが分かった。
「レベル5! テロリストだ
 間に合わなかった。警察官は車の中からの凶弾に倒れた。見た目に分かるほどの即死だった。

 車から出た男二人は、散弾銃を乱射しながら、レストランに駆け寄ってきた。腰には45口径も挿してある。宗教の言葉を叫んでいた。友哉にはそれの意味も分かった。「我々の神は偉大だ。世界を創造したのは我々の神だ」と言っていた。
 銃は発砲を続け、歩道にいた人たちが壊れたロボットのように倒れていく。
 友哉は初めての『仕事』で、判断力を完全に失っていた。

『しまった。レストランに妙な奴がいないと分かった時に外に出たらよかった。何もかも遅れた』
 イメージトレーニングはしていた。日本で、チンピラのケンカを止めに入って練習もした。だが、テロは町のケンカとは規模が違った。
 南国の肌色の男が一人、レストランの玄関に近寄ってきて、扉に散弾銃の銃口を向けた。

「友哉さん、できないなら転送するよ」
 ゆう子の声が頭の中に響いた。
 友哉の右手にはワルサーが握られていた。友哉のコレクションのモデルガンをトキが改造したものだ。そして銃弾は発砲されない。
パニック状態で、扉に向かって引き金を引いてみる。安全装置を外す必要もなく、何も考えないで撃ったが、銃口から発射された物質は弾丸ではなく、赤色の光線だった。一直線に進む火の玉にも見えた。

 その光線は扉を突き抜けて、さらにテロリストの男の胸を突き抜けて、そこで消失した。
lineなんて強力な光線だ。これが地核の物質か。熱は手に伝わらない。冷却装置か。
 見た目はモデルガンだが、丸ごとすり替えたように見えるほど、素材も違っていた。
line自分の部屋の壁を撃った時は弱々しいただの光だった。敵によって強弱が変化するのか、または自分の怒りによって変わるのか

「すごい。赤いのが扉を突き抜けた。扉はほとんど壊れてない」
 ゆう子も声を上擦らせている。
 テロリストの男の胸には血が滲んでいる程度。cmほどの小さな穴が空いた。光線の速度が速くて出血しなかったようだが、やがて血が出てきて男は呻き声をあげながら絶命した。
 客は不思議な銃を撃った友哉を見て、悲鳴をあげている。パニックが分かったのか、ゆう子が「ホテルに戻ろう」と叫んだ。

「だめだ。まだ一人、いるんだ」
 友哉はレストランの外に飛び出した。約30M先にもう一人のテロリストの男がいた。男は、狂ったように散弾銃を乱射をしていて、友哉に向けても撃っていた。友哉は、機敏な動きで弾丸を交わしていた。
lineどうしてこんなに軽く動けるんだ。
 まるでチーターのように走れた。
 自分の体ではないみたいだった。

 だが銃弾の一部は体に命中しているように思っていた。それを気にして体の動きを止めた時に、テロリストの男が友哉の眼前に立った。
「なんだ。おまえは 日本人なのに」
 目を剥いている。観光客の一人が突然拳銃で応戦してきたのだから、驚いて当たり前だ。
 友哉が腰砕けになっているのを見た彼は、うっすらと笑みを浮かべた。散弾銃を捨てて、45口径の銃口を友哉の胸に向けている。

 昔ながらの決闘を楽しみたいのだろうか。
「街の人たちをdotsアウシュビッツに行く人たちをよくもdots
「それを狙ったのではない。世界遺産の美しい町はある意味、我々の人質だ。ああ、アウシュビッツも世界遺産だったな。日本人には関係なかろう。ヒロシマ ナガサキ アウシュビッツ
 男はそう笑いながら、銃の引き金を引いた。同時に、友哉もの引き金を引く。

 テロリストの銃弾は友哉の胸に命中し、友哉のからの赤い光線は男の肩をかすめただけだった。
line心が乱れた。敵の銃を撃ち落としてくれなかった。
 友哉は愕然とした。広島と長崎を小ばかにされたからか、錯乱した子供のケンカのような撃ち方をしていた。から発射された赤い光線は、どこか迷ったような飛び方をしていた。テロリストの肩をかすめた後、空中でカーブを描き、またテロリストに向かったが、途中で弱々しく消失した。

 早撃ちの勝負に勝った男は肩から血を流しながらも笑ったが、急にその醜悪な表情を一変させた。胸の真ん中を撃たれた友哉が立ち上がったのだ。
「くそう 俺の責任だ。奥原、身体中を撃たれた。昨夜はありがとう。俺はこいつを殺して、アウシュビッツに行ってくる
「え 転送
 ゆう子がそう叫んだ瞬間、友哉はテロリストの男の頭を撃ち抜いていた。

 友哉が消失する直前に撃たれたテロリストの男は絶命し、町の人たちが声にならない声を上げている。
「ここにテロリストと闘っていた日本人がいたのに、ものすごいスピードで走って逃げた」
 駆け付けた警察官に捲し立てているポーランド人の男もいた。
 数分間の異常な出来事に、ワルシャワの町は混乱を極めた。

 ゆう子の判断でホテルの部屋に瞬間移動された友哉は、立ち上がれないほどの疲労感で、転送されたその場で倒れこんだ。
 場所が洗面台の前だったから、「なんだ、ここは。ベッドの上に転送しろよ」と文句を言いながら、床に蹲っていた。
「ごめんなさい。ちょっとしたミス。ねえ、どこを撃たれたの
 ゆう子は泣いていた。化粧がはがれるくらいだった。

「全身だ。あの野郎、ぶっ殺してやる」
 友哉の怒りは収まっていない。不甲斐ない自分への怒りもあった。
「レストランの防犯カメラから見た。奴らは死んだよ」
「仲間を探し出して、皆殺しにしてやる。ふざけやがって。世界遺産を狙ったテロだ。アウシュビッツも広島も長崎も知っていた」
 ゆう子は驚いた。友哉はまさに鬼の形相をしていたのだ。

lineこんなに変わるんだ。昨日まで適当な顔をしていたのに。それにdotsあの遺言のような台詞…。昨夜はありがとうってdotsあんな時にdots
「おい、この疲労感はなんだ。心臓が止まりそうだ。一瞬、気を失った感覚があった」
「回復まで二分ほどです。仮眠は約十二秒。でも戦った分、もっと疲れているかも知れません」
 ゆう子は彼をなだめるように背中を擦った。友哉は自分の体力が戻ってくるのが分かった。

 いったんベッドに移動して、友哉は横になった。ジーンズの膝の部分が破れていて、ゆう子が気に入ってくれた赤いアウターにもアスファルトで擦った傷がいっぱいついていた。
「どこを撃たれたの 血は出てないけど」
「撃たれたが、未来の力が弾いたようだ」
「良かった。本当に良かった」
 ゆう子は泣きながら、友哉の体を擦っていた。友哉はゆう子が触る度に、気力、体力が充実してくるのが分かった。それに下着姿が窓から射し込む陽光に照らされ、まさに眩しかった。

「至近距離から撃たれた」
「怖かったね」
「その時は怖くなかった。頭に血が上っていたんだ。レストランでは怖くてパニックになった。あの時、冷静に対処していれば被害をもっと少なく出来た。トキになんと言って詫びたらいいんだ」
「トキさんに
「俺なら、この銃を使いこなせるってニュアンスだった。だめだった。赤い光線が言うことを聞いてくれなかった」

 どこか泣きそうな顔に変わった。ゆう子は驚いて、
「そうだったんだ。ううん、初めての戦い、頑張ったよ。そのうち、使いこなせるようになるから。それに体は大丈夫ね。この時代の弾くらい弾き返すのね」
と言い、優しく肩を抱いた。
lineトキさんに信頼されたのに、裏切ってしまった気分なんだ。自分に失望してるんだ。
「そうかもしれないが、きっとまた条件付きだ。調べてくれ」

 すでにテーブルの上に置かれてあるAZをゆう子が操作する。
「そうですね。リングが赤く光ったら、プラズマで体の表面を覆うみたい」
「プラズマ? プラズマの電磁波
「うん。リングの赤い点滅はレーザーパルスだからそれも兼ねているようです。ただ、今のように疲労が回復しないうちだと、素早くプロテクトしない。または、プロテクトするけど一瞬。プラズマが出たり、無くなったりする。だから、洋服が破れてるのね。それで

も、友哉さんの体の筋肉も硬くなっているから、小銃やナイフくらいは平気のようです。それはプラズマではなくて、普通に筋肉」
「普通に筋肉 筋肉が銃弾を弾き返すはずがない」
 友哉が自分の右手で、左の二の腕を握った。ボクシングをしていたから綺麗な筋肉の筋が浮かんでいたが、人間のそれである。
「攻撃を受けたりして血圧が上がると、筋肉が死後硬直みたいになるそうです。人間の筋肉ではなくて、サイの祖先のって書いてある。気持ち悪い」

「俺はサイなのか」
「違いますよ。男の人は精力をつけるために、マムシとか飲んでマムシになりますか。血中にあるの。いろんなのが」
 ゆう子はため息をついた後、
「どんどん出てくる」
AZの画面を見せた。様々な動植物の名前が画面の表面に浮かんでいる。

「生薬と最先端技術と物理学 二重、三重に俺を守っているのか」
「どれも、友哉さんが疲れてくると、発生が遅れたり、効果が弱くなるそうです。健康体の時はどんな弾でもミサイルでも平気だけど、転送して疲れていたり、日常生活でストレスを溜めたりしていて、普通に疲れていても防御する効果が薄くなるみたい」
「個々のシステムは理解できるが、仕組みが理解できない。つまりスイッチはどこにあるんだ」

「基本は友哉さんの血圧って書いてある。血圧が上がるとリングを通してそれに反応して、様々な物質が発生するそうです。血圧と関係ないのは拳銃だけで、拳銃の地核のエネルギーは拳銃の中に圧縮されて収められていて、拳銃の表面はロンズデーライト」
「ロンズデーライト
「ダイヤモンドよりも硬いやつらしい」
「それは溶けるんじゃないか」
「冷却装置が銃の中にあるそうです。当たり前ですよ」

「すまん。だけど、このリングを使って痛みを取ったりしてもそれで疲れるんだから、有事の時に疲れが出た時はどこからエネルギーを得ればいいんだよ。ようは俺の血圧は上がくらいだが、それが90くらいになってきたら、だめだって話だよな。黙って寝てるしかないのか」
「うーんdots
「なんだ。まさか人を殺すと力が出るとか、疲れたら黙って殺されるしかないとか、絶望的な答えか」
「初めての仕事でストレスがひどかった友哉さんがさっき撃たれたのに平気だったのは、わたしのおかげみたいです」

 友哉があからさまに首を傾げた。
「前日にセックスをしたからだって。フェラだけだったけど」
「意味がまったく分からない」
「これはdots新旧混在しているすごいシステムですよ」
 ゆう子がそう呟きながら、そして想いを廻らせる表情になり目を瞑った。
「わたしが友哉さんの傍にいないといけない理由。部屋でメイクして待機していないといけない理由。友哉さんがその力を使えば、どんな女とでもセックスができる理由」

「俺はブスは抱けない」
「だから、わたしがいないとだめなんだ」
 友哉の正直な言葉に感化された、なんとなく呟いた言葉だった。
 自惚れていると言いたいが、ゆう子はまさに絶世の美女だった。
 戦国時代に武将の妻で「だし」という女がいたらしく、後にいろんな表現で美女であることを褒められていたが、きっと、奥原ゆう子も次の時代で、そう讃えられる美女だった。
「まさか、転送されたり、この指輪を使って誰かのケガや病気を治したりして疲れても、君が傍にいて、触ったりセックスをしたりしたら早く回復するっとことか」

「そうです。、セックス、エロチシズムで回復するようです」
「さっきみたいに倒れた場所では
「外ではちょっとトイレの個室に入ってやるしかないですね」
「どうしてそんな仕組みになってるんだ」
「トキさんの世界では、男性が何かの原因で筋力と精力を一時失ったらしいです。恋愛感情も乏しくなったために女性を欲しくなるように開発された薬らしいです」

「それはトキから聞いた。精力がすごくなっている」
「そう、使用すると精力はともかく戦闘力もすごくなるから、結果、戦争に使ったようです。だけど女性を得られなかった男性は消耗して死んでしまうから使用禁止になったらしいですね。疲労したら性愛で回復するんです。友哉さんの血中にあるそのガーナラっていう薬がさっき一時的に減少して、今、わたしの下着姿を見てまた増えてきたんですよ」

「確かに下着姿がかわいいと思った」
 真面目に教えると、ゆう子も生真面目に、
「女のエロチシズムに興奮すると、友哉さんの体の中にある友哉さんの足を治療したその薬が毛細血管まで廻って元気になる。単純に血圧が上がるんです。恥ずかしくて言いにくいんだけどdots
「まさに勃起と同じ原理じゃないか」
「そうです」
 ゆう子が少しはにかんだ。

「昨日の君の愛撫が、今日の戦いに効いていた 勃起と同じ原理ならそれはおかしい」
「昨日上がった血圧が、今日、極端に下がっていないということですよ」
「生薬なら長い時間は効かない。この時代の強壮剤なら一日くらいだ」
「はい。追加しないと、五年くらいで効かなくなってくるそうです。もし、友哉さんがなんにも食べないともっと早く」
「昨日の君の愛撫で俺が疲れた理由は」
「わたしが下手くそだから」

 ゆう子が即答したのを見て友哉が肩を落とした。
「正直に言うと興奮した。何しろ、奥原ゆう子だ。なのに、俺は力なんか出なかった」
「調べます。dotsえーと、普通にストレスだってさ。ほら、わたしが下手くそだからだよ」
 すねてしまった。
「この魔法の薬はストレスには効かないようだね」
「ストレスのない世界で開発されたからだって」

「ストレスがありそうだったけどな、あの男。ストレスがない世界で戦争があったのも妙だし。まあいいや、とにかくストレスには効果がない薬で、君のセックスの話は終わり」
「半年でAV女優並みになってやる。AV女優と付き合っていた男の人とやらなきゃいけない女の身になれっての」
「ならなくていいよ。無理にしなくてもいい。セックスの話は終わり」

「後で話し合いましょう。実際、AZの方が面白い。女がいなくてdots。つまり興奮しないままでいると、低血圧に陥って死んでしまうから、恋愛やセックスに貪欲になるって書いてある」
と教え、
「死ぬそうです。女が傍にいないと」
と、神妙に言った。友哉が呆然としているのを見て、
「あ、トキさんからの伝言が補足されています。友哉様の世界には女がいっぱいいるから、私は楽観しているって」

と、ゆう子が笑って言う。
「俺の今の血圧は? 客室係りに簡易血圧計を借りてきてくれ。115が130くらいになって、それが90に下がったら死ぬのか。そんなバカな」
 話を変えるように、力なく訊いた。
AZで友哉さんの血圧を見られます。心拍とかも」
 ゆう子がAZの画面を見せると、『佐々木友哉の体調』と表示されていて、血圧だけではなく、心拍数、体温dots様々な数値が出ていた。血圧が、なんと272、150となっていた。

「テロリストと戦った時は見てなかったけど、きっと400くらいに跳ね上がってるの」
「つまり、俺の今の体は血圧が300くらいが普通になっているのか。それが戦いとかで消耗して100になると、極端に下がって、ショック状態で死ぬ?」
「あ、まさにそうです。さすが、作家さん」
「女がいないと死んでしまうのか」
 友哉の不安は収まらない。

「いえ、何もしなければそこまで血圧は下がらないから普通に生活できます。一度上がった血圧が一気に下がると危険で、じりじりと下がっても辛いそうです。でもテロリストと戦うためにその強靭な体を使い続けるには、わたしが必要ってことね。AVの奈那子には敵わないけど、愛でなんとかするよ。ふふふ」
lineまったく笑えないぞ。足が治ったのに、なんだ、そのハイリスクは。
 友哉はまさに愕然としていた。その様子を見たゆう子は、笑みを無くし、なぜか「ごめんなさい」と消え入るような声で言った。

「君が謝ることじゃない」
「うん。だけど、なんかわたしと強制的にセックスしないといけないと思うと悪くて。わたしはdots
 ゆう子は一度言葉を飲み込んだ後、
「セックス以外にどうやって男性を慰めていいのか分からないから、だから最初はセックスだけでもいいんだけどdots
と、神妙に言った。
「遊園地をデートをしたり、料理を作ったりするんだ。今は男が作るのが流行。だから女がすることはなくなった時代。戦争も内乱もないからまあいいんだがdots。なんて皮肉を言ってる場合じゃない。君はデートの仕方も知らないのか」

「料理はできないし、そういうデートはdots。すみません。したことがないです」
 ひどく顔を曇らせるものだから、友哉は話を変えることにした。
「違う女じゃだめなのか」
「え?」
 ゆう子があからさまに悲しそうな目をした。
「例えばだよ」
「違う女でも大丈夫ですよ。ただ、高級交際倶楽部の恋もしていない女で効果があるのか分かりません」
「君にまだ恋はしてないよ」

 美しさは認めているが、一目惚れをしているわけではなかった。恋人兼秘書と彼女は言っているが、恋人にする気持ちもない。
「わたしがあなたに恋をしているから。プロの女はあなたに恋をしてるの?」
「あ、ああ、そうだなdots
 言いくるめられてしまっている。
「戦争に使った薬かdots
 また、話しを変えてみる。彼女を傷つけたくない気持ちと、自分の体が油断すると死に至る恐怖で、友哉は冷静さを失っていた。

line頭重がする。遊園地?ディズニーシーdots。あの笑顔dots。感情だけで生きている純朴なdots。抱きしめると壊れそうなあの体dots。抱きしめたい…なのにいない…。ここは日本じゃないのか。どこだったかdots
「なんの戦争かは分からないけど、でも、トキさんが止めたような口ぶりだった」
「そ、そんなに偉い男なのか、あの坊や」
 友哉が辛そうに頭を少し左右に振るが、ゆう子はそれに気づかなかった。滑舌も悪くなっていた。

「そうみたいね。dots遥か未来の世界の君主を坊やという友哉さんもどうかしていると思うよ。友哉様って呼ばれていたとしてもトキさんがもし聞いていたら、怒ると思う」
 ゆう子がくすりと笑う。
「坊やにやられるとはdots
「また言ってる」
 ゆう子が頼んだのか、テーブルの上にフルーツとコーヒーが置いてあった。それに加えて、たった今、ゆう子がサンドイッチとソーセージを注文した。ルームサービスが来る間、二人は何もせずにソファに座っていた。

 分からないことだらけだった。
 今回の仕事は成功だったのだろうか。レストランの客は守ったが、レストランの外で死者は数多く出ていた。確かに、逮捕されることはないだろう。現場から忽然と消えてしまえば、撮影されていても、そのビデオが合成だと判断される。現実にホテルから一歩も出ていない事になっているのだ。友哉がそんなことをぼんやりと考えていると、
「作家さんなのに、愛国心があるのね」
とゆう子が言った。
「なんのこと?」

「アウシュビッツと広島の話」
「作家は売国奴が多いか」
「左翼っぽい方が多いです。友哉さんは違うの?」
「右も左も興味がないよ。今、目の前の真実だけを見るのが俺の趣味だ。奴は地獄の中で地獄の処刑を受けた人たちが眠っている国で、観光客にも地獄を見せようとした。地獄の中でdots
 友哉はそこまで口にすると、急に頭を両手で鷲掴みするように抱えた。
「どうしたの?」

「地獄dots天井dots
 背中が震えている。
dotsあいつ、なんで来ないんだ」
linePTSD? 天井ってなに? フラッシュバック?
 ゆう子は近くにあったタオルで、友哉の額の脂汗を拭いた。水を渡すと、
「栄養ドリンクがいい
と叫んだ。ゆう子がびっくりして、冷蔵庫からそれらしい飲み物を渡すと、彼は一気に飲んだ。

「ただの骨折じゃないのか。なんで一生、後遺症が残るんだ。このベッドの血はなんなんだ。おい、看護婦。黙ってないで、返事をしろ
 ゆう子をちらりと見て、怒鳴った。
「友哉さん、落ち着いて
 暴れていないが頭を抱えて、床を拳で殴っている。今度は、
「取れない。足元の写真が取れない。足が動かない
と喚き、自分の膝を拳で叩いた。

「写真?」
「写真を落とした。水着の」
 水着? 恋人のか。ゆう子はそう思ったが追求せず、
「足は動くよ」
と必死になだめると、彼ははっとした顔をして、部屋を見回した。
「す、すまん。病院かと思った」
 悪い夢から飛び起きた人のような顔をしていた。

「うん。大丈夫よ。トキさんから聞いていたから」
 そう言って微笑むと、友哉はゆう子のその顔を見て、
「あ、奥原さんかdots
と言って、少し残念そうな顔した。
「病院で誰を待っていたの? 彼女?」
「え? す、すまん。君でいいんだ。すまん。君がいいんだ。これ、俺がやったのか。ごめんね」

 友哉は床に落ちていたコップを拾い、近くのタオルで水を拭いた。ゆう子は言葉を失った。
「大きい声を出したのか。すまない。誰も待ってないよ。奥原さんがいてくれてよかった」
 少し声を震わせながら、また言う。ゆう子は彼を凝視していた。
linePTSDのフラッシュバックの最中に、わたしに気を遣ってるの? 君でを君がに言い替えた。なんなのこのひと。

「成田じゃなくて、病院の廊下で待ち伏せしてくれたらよかったのに」
line冷や汗をかきながらジョークまで言うのか。夢の映像の中の彼と変わってない。優しさの大安売りだ。これでは逆に、ちょっとしたことで傷ついてしまう。トキさんが与えた薬、本当に性格を変えたりしないんだ。
「ルームサービスで部屋に入ってくる女性は、レベル1だから安心してください」
ゆう子はAZを触って、そう教えたが、こっそり『原因』ボタンで、友哉のPTSDについて調べていた。

line病院の水着の写真は誰のこと?
 入力で「水着の写真」と入れて、さらにAZに問いかけるように訊く。
『相手の女性のプライバシーに関わることで答えられません』
 トキがリアルタイムで答えているように見えるが、実際は違う。膨大なテキストからの答えだ。
line天井って病室の天井ですか?
『そのようです。詳しくは分かりません』

line友哉さんは異常に優しいんだけど?
『そのままの男性でいてもらわないと困ります』
line困る?
dots
 答えが出てこない。だが、こんな雑談のようなやり取りでは仕方ないと、ゆう子は思った。しばらくすると、次の一文が画面に浮いた。
『神の領域です』

line友哉さんは神?
『神様ではありません。怒りっぽいので』
 ゆう子が笑うに笑えず、肩を落とした。もう一度、同じ質問をすると、『神様ではありません。女に甘すぎるので』と、また批判が戻ってきた。ふざけたわけではないが、同じ問いかけを続けると、女性問題の批判が矢継ぎ早に出てきて、その中に『シンゲン』という名前が見えた。
lineシンゲン? 誰ですか

 そう訊くと、AZの画面から一瞬、テキストが消えた。友哉はゆう子がAZをいじっているのを見て、バスルームに向かう。きつけのためか顔を洗っている音が聞こえた。
AZの画面が再び淡く光り、テキストが浮かんできた。
『テキストを担当したAZのデータ管理者です。奥原ゆう子dots予想通りワルシャワ時間。シンゲン。トラブル。トラブル。非常事態。リセット』
lineえ? 友哉さんの悪口の中にシンゲンってサインのような文字が見えたのよ。
dots

 あらま。未来人、まさかの凡ミス?まあ千年くらいじゃ、感情の進化はないか
 ワルシャワでいる時点では、教えられない名前とか事柄があるのか。そういえば、友哉さんの住所とかもわたしが成田に着いた途端に出てきた。
 トキさんに、仲間がいたのか。しかもトキさんからの答えじゃなかった。当たり前か。一人でこんなものは作れない。このAZはきっとある組織で作ったんだ。トキさんが本当にトップの人間だとして、トキさんの意見とその部下たちの意見、そして友哉さんのデータが

入っているのだろう。それをまとめたのがシンゲンという人間。もし、このシンゲンという人間の意見も入っているとしたら、彼らが友哉さんを特別に崇拝しているばかりでもなさそうだ、とゆう子は考えた。
line友哉様と書いているのも、怒らせないように気を遣っているのかもしれない。今の友哉さんが激怒すると、確かにまずいことが起こりそうだからなあ。
 テロリストとの戦いを思い出し、苦笑いをする。

 PPKからの赤いレーザー光線が気にいらない政治家を仕留めることも可能なのだ。ゆう子は頭の中のその言葉はAZに向けずに、部屋の隅に投げるように呟いていた。
『奥原ゆう子から今の記憶を抹消。奥原ゆう子の承諾を待つ』
lineなに? 嫌だよ
 ゆう子が思わずAZから手を離し、テーブルに置いた。「嫌だ」ともう一度言う。
『拒否。口外をしないよう約束』

line分かりました。トキさん以外の名前を言わなければいいのね。
『交渉成立。しかし、奥原ゆう子のお喋りは信用できず、信用できず』
 なんなんだ、この口の悪いタブレットは。絶対にこのシンゲンって奴の個人の感想だ。トキさん、もっと温厚で丁寧な人だったもん。
 ゆう子がAZを睨み付けた。それにはAZは反応せず、別のテキストを浮かばせた。

『ゆう子さんの時代の聖書という書物を読むと、神とは苦しむ者で、イエスは十字架に晒されています。また、悪しき人間を拷問にかけることにより、神の世界に向かわせるような傾向が読み取れます。友哉様は目の前で悪事を働く恋人を聖女にするために、苦悩されてきた。紀元の頃に友哉様が存在したら、元の恋人は拷問を受けていたかもしれません。もちろん、ゆう子さんの時代では頬をはたく程度です』
 それでもDVになるもんな。そしてこれはシンゲンって人の話じゃなそうね。またそっぽを向いて、頭の中で呟いた。

 それにしてもゆう子は彼の言った「水着の写真」という言葉が腑に落ちない。
line彼女の水着の写真を持っていたのか。彼女はずっと前からいないはずなのに。トキさんからもそう言われていた。彼が嘘を吐くようには思えない。じゃあ、恋人じゃなくて恋着していた元カノなのか。

 だったら、それも奇妙だ。元カノが見舞いに来ないのは当たり前だ。それほど絶望することもない。幼少の頃の娘の水着の写真だとしても、「水着の写真」という言い方にはならないはずだ。「娘の写真」と言うはず。名前を言えない女性の水着の写真。やはり元カノか。
 しかし、友哉にそれらを訊くことはできず、ゆう子はおでこに手をあてて、病室の様子を想像し推理をしていた。

lineただの骨折が違っていたのは、医療ミスなのか。大失敗や大トラブルが一気に襲い掛かってきたのか。成田から、何もかもやる気がなさそうだったのも当然で、わたしの誘惑、本当に嫌だったのかも。男性を誘って嫌がられたのが初めてで、怒ってしまった。
 ゆう子が少しばかり反省していると、友哉が戻ってきて、ソファに座った。
「トキに俺の何を聞いたのかな」

 ゆう子が水着の写真のことを聞きたいと思っていたのに、友哉が質問してきた。
「友哉さんがPTSDだって」
 すると、友哉は不機嫌そうな面持ちになり、
「君は戦争映画を観たことがあるよね。女優なんだから」
と言った。
「あります。出演したこともありますよ。妙な比較はしないでね。時代が違うから」
 ゆう子がけん制すると、友哉はほんの数秒、言葉を作らなかったが、

「あんな悲惨な目に遭ったことはないし、ビルが爆発するのをまじかに見たこともない」
と言った。
「自分はPTSDじゃないって主張して、周囲がPTSDだと判断したら、100%PTSDになりますよ」
「君の判断は?」
「PTSDです。程度は分からないけど」
「あと、三人くらいに言われたら認める」

「ずっと思っていたけど、気が強すぎると思う」
「泣かないからってふられたことがある」
 友哉が笑うと、
「笑わなくてふられて泣かなくてふられてdots。女は難しいですね。もしかして、あなたdots
 ゆう子が、「友哉」ではなく「あなた」と言った。神妙な面持ちになっていた。
「気が強くて怖いもの知らずじゃなくて、夢も希望もない人ですか」

と言った。友哉が答えないでいると、
「ごめんなさい。発作が出たばかりなのに。小説家の夢はないんですか。大作を書きあげるとか」
と、ゆう子は謝りながらも難詰するように訊いた。
「発作が出たのか。そうだな。少し取り乱したのは分かっている。恋愛や病院のことで気分が急に悪くなることも分かっている。だから、恋愛をする気分じゃないって話で、じゃあ、心の病を認めてることになる。つまり正常だ」
「正常ですよ。冷静なくらいに。で、夢は?」

「ない。なんにも」
「それは異常」
「君には夢があるってことだね」
「ひとつ叶った。少しの間、女優業を休むこと。本当は海外でのんびりするのが理想だったけど、このタブレットが楽しいから、マンションでこもっているのも悪くない。もうひとつは三年後にある人とお付き合いする」

と言いながら、友哉を指差した。友哉は照れる様子はなく、むしろ、表情を曇らせた。
「そんなにわたしがタイプじゃない?」
「違う」
 即答すると、ゆう子はほっとした表情を見せた。
「女を愛すのをやめた決意をした直後に、突然、好きだと言われて、それが美女でもはしゃぐような、ふらふらした男じゃない」

「分かってますよ。そこに片想いなので。結局、意固地にかっこよすぎるから、もてないんだ。女の子は急ぐからね。その温度差よ」
「発作が起こった時に、誰かの名前を言っていたかな」
「いいえ。あいつって」
「あいつか。dots彼女の名前を口にすると、貧血が起こるような感覚になる。きっと発作を助長するから、言わないようにしているんだ。どうだ、正常だろ。俺が俺のお医者さんだ」

「奥さんのことじゃないですね。成田とかで律子って口にしていたから」
「いつまで続く尋問かな。トキにもされたぞ」
 友哉はそう言うが、微笑んでいた。
「トキさんにも? 皆、友哉さんに厳しいんですね」
「自分で言ってるよ。じゃあ、優しくしてくれ」
「わたしの疑問に辛くならない程度に答えてくれたら、三年間、ずっと優しくする」

「そうか。不倫していた女だ。あいつがいなくなって、それから俺はただ、休みたいと考えていた。君が休みたいと思っていたようにね。夢のすべても無くした。その不倫相手が誰かは律子にはばれてなかった。だけど、彼女が俺の洋服を洗濯していたから、洗剤の匂いでずっと同じ女が俺の世話をしていたのはばれていただろうな。入院中、律子に離婚をされて、娘とは会えなくて、その恋人は失って、なんと足は動かない。その人生になんの希望があるんだ。それが突然、こんな体になった。健康になったのか、もっと不健康になったのか分からないが、気持ちは変わらない。ただ、のんびりしたいだけだ」

「その彼女はどうしてあなたと別れたの?」
「さあね。最後に会った時に、めっちゃ笑っていたからね」
「めっちゃ?」
 ゆう子が目を丸めたところで、
「おしまい」
と友哉が言って、ソファから離れてゆう子に背中を向けた。窓の外をじっと見ている。

「その彼女のこと、相当大好きですね」
「もういない」
「否定しない。わたしはどうしたらいいの?」
「昔、付き合っていた恋人を別れたら嫌いだと言って、新しい女を喜ばせるのか。そんな悪趣味はない。あいつは理解者だった。俺を理解しようと必死になっていた。君はdots信じてほしいと言った。似ているよ。見た目はまったく違うけどね」
 友哉が、くすりと笑った。

「どこの見た目?」
「お互い美人だけど、君は個性的で知的な美人。あいつは整った顔立ちの美人で童顔。あとは胸かな」
「ああ、その女もおっぱいが小さいのね」
 ゆう子が口を尖らせると、友哉がまたクスクス笑った。
「普通に笑う男のひとですよね。ま、女の子に嫌われるのはきっと変態だからでしょ」
 ゆう子がそう苦笑いをした。

 ◆

 サンドイッチがきた。
 客室係りがコンシェルジュを兼ねているのか、ルームサービスを頼んだだけなのに、「日本人が好む食べ物を買ってきましょうか」と尋ねられた。ゆう子はやんわりとそれを断り、翌日の空港までのタクシーの件だけを告げた。
 ゆう子は『ポーランド旅行に使う便利帳』という冊子を持っていて、その冊子を見ながら、ポーランド語と英語を使っていた。

「あれ? 俺はポーランド語を理解できたけど」
「え? わたし、英語しか喋れないよ。ポーランド語、分かるの? どうして?」
 ゆう子が、またAZで調べている。
「なんかよくわかんないな。別の国では暗闇では危険な仕事はしないようにって書いてある。友哉さんが日本語と少しの英語しかできないから、相手の言葉が分からなくなるからだって。ああ、遠くの人の言葉も分からない時があるって。未来の技術については説明を割愛してあるんだ。長くなるからって」

「自動通訳機能じゃないのか。相手の口の動き方、表情、仕草、周囲の状況、周りにある物などを見て、何を喋っているか俺の脳が判断するんだ。じゃあ、相手はどうして俺の日本語が理解できるんだろう」
「外国人が近くにきたら、リングから同じ力を送るみたい。鏡の原理とか書いてある」
「こんにちは、と言ったら、相手も、こんにちは、と言う。その意識を反映させる、恐らく無限に。それで会話を成立させるのか。すごいな。このリングは相手が日本人か外国人か判別もするわけだ」

AZが判別するから、それをリングに転送するのよ。わたしがいじらなくても、友哉さんのリングに転送している情報や力はあるの。全世界の人間のデータが入っているから、相手の性格と勉強してきた知識、思想でも喋っていることをある程度は判断できるんだと思う」
「ところで、そのAZに出る事件のデータは自分の記憶だって言ってたが」
 後回しにされていた疑問を、唐突に切り出すと、
「また説明するの? もう疲れた」

トランの今日かも知れないって出てくるの。日本での事件ならもっと正確に覚えていて、その場所に行けそうです」
「覚えている?」
「そうです。身近な事件なら、発生した時間までも覚えているかも。わたしの家の近くで起きた殺人事件とか」
「三年後の君から記憶を取ってきて、今、見ているってことか。なんでなんでも三年なのかな」

「知らないよ。あと三年でわたしの人生は終わりなんじゃないの。つまり死ぬんだよ」
 ゆう子がそう言い放った。まさに焦燥している。
「死ぬ? なんで」
「知らないって。だけど、三年後のある日に、わたしの記憶は消えてなくなる」
「病気? 事故?」
「知らないし、言いたくない」
 涙ぐんでるゆう子を見た友哉は、

「すまん。そのdots。死なせないよ。ちゃんと守っているから」
と言った。
「ほんとに?」
 ゆう子はあからさまに機嫌がよくなって、
「やったよ。お芝居成功。恋人兼、秘書確定」
と笑って、飛ぶようにバスルームに走っていった。
「し、芝居だったのか。さすが女優」

 友哉はしばらく苦笑いをしていたが、
line本当に彼女が三年後に死ぬ運命なら、それは止めないとだめだ。例えば事故や事件に巻き込まれるのなら、この力でなんとかなるかも知れない。
と神妙に考えていた。しかし、シャワーを浴びている音を聞いていたら、また心臓の動悸が激しくなり、息苦しくもなってきた。

 友哉は神妙な面持ちになり、半ば自分に呆れ返った。
 奥原ゆう子というブランドに、まだ緊張しているのか。泣いていたから、優しくしよう思ったのに。dots確かに今は恋愛はしたくない。だけど、優しくしようと考えると気分が悪くなるんじゃ、人間失格みたいだ。
「自分に気持ちよくなるクスリを与えてもいいか」

 リングを見つめながら口に出して言う。
 自力で抱く気になれないのなら、未来の力の『光』に頼ろうと考えた。
「いいですよ。それで疲れたら逆レイプして元気にするから」と、頭の中で聞こえた。
「もっと優しくできないのか。まるで肉食女だ」
「肉食なんて言われたことはない」

 少し怒ったようだが、彼女は痴女のような気配は持っていた。セックスの時はサディストなのかも知れない。友哉は、ぼんやりとそんなことを考えたが、リングを使った治療や薬物の投与が気になっていて、ゆう子の性格のことはいったん脇に置いた。
 このリングを利用した光や体内の力はそれを些細な事に使うとどれくらい、疲れるのだろうか。友哉はそんなことを考えながら、左手を胸にあてて、「気持ちよくなりたい。カンナビナイド受容体を刺激してほしい」と念じた。

 リングは緑色に光り、その光は素早く友哉の頭に移動した。友哉はうっすらと笑みを浮かばせた。
「気持ちいい。ストレスに対応していないって言っていたのに、これは違うのか」
 すると、ゆう子がリングの通信機能で、
「友哉さんの体の中に大麻もあると思う。でもストレスのために入ってるんじゃないと思うよ。セックスのため。それにただの光だけかもしれない」
と答えた。

「光だけで気持ちよくなるの?」
「光合成の応用くらい、トキさんの時代なら簡単でしょ」
「ほうほう。光合成dotsまったく分からない」
 けれどリングを光らせるために、少しは血圧を使うはずだから、今、疲れなかったのは彼女のエロチシズムが効いているのだと、友哉はわかった。見ているだけで十分な澄んだ湖面のような美しさが彼女にはあった。
 ゆう子が戻ってきた。

 今日はずっとグリーンの短めのスリップを着ている。下着はさっきの水色ではなく、また白。少々一か所にとどまらない落ち着きのなさがあり、冷蔵庫の前に屈んだりすると、白い下着がチラチラ見えていた。それを見て、友哉もシャワーを浴びに行くが、「セックスをする合図じゃないぞ。きっと血の臭いが残っている」と告げてからバスルームに歩いた。シャワーを浴びて戻ってくると、彼女はなぜか棒立ちでいる。あまり座らない女だと、友哉は苦笑した。

「友哉さんは洋服フェチみたいだから、一日にパンツや部屋着を何回も替えますね。好きな女を見ているだけでも、体力がつくらしいから」
「好きな女?」
「タイプじゃない女で元気にならないでしょ。ブスとか。そういう意味!」
「怒ると怖いね。ずっとブラは外さないけど、なんで? 乳首が黒い?」
 下世話な物言いで笑うと、「乳首が黒い? なんてことを言うのよ。黒くないよ。なんで急にエロオヤジ? クスリを間違えたんじゃないの」と、ゆう子が呆れた調子で言った。

「じゃあ、ブラを取れよ」
「おっぱいに自信がないから着エロで!」
 筋肉質な友哉の体に唇を這わせたゆう子は、また「幸せだなあ」と、心底、嬉しそうな表情を作り、友哉を驚かせた。
「二日前に出会ったばかりだし、俺はおまえと今は付き合う気はないぞ」
 プレッシャーを感じ、念を押していた。
「分かってるよ。うるさいなあ。でも、今はってdotsもう、なんて優しいの。惚れちゃう一方よ。んー、だけどまた気分が悪い」

 ゆう子は友哉からさっと離れて、深呼吸をした。
「お互いおかしいな」
「友哉さんも? わたしを奥原ゆう子ってことは忘れて、ただのラブドールと思っていいのよ。本当はそんなの嫌だけど、とりあえず慣れるまでよ」
「少しは慣れてきたけどねえ」
「おかしいな。パニックでセックスができないことはないはずなのに。あ、セックス経験はほとんどないよ。ああ、どうしよう。なんて言えばいいのか」

 おでこに手をあてて、顔を強張らせて、そしてそわそわしている。床にしゃがみ込んだから、今度はお尻の様子が艶めかしい。肌を隠す恥じらいはなく、セックス経験に対する恥じらいがあるようだった。
 ソファに座って、両膝を整えて座る落ち着きがないからパニックになるんだと思い、
「そんなにセックスの経験のありなしを口にしたくないの? 二十歳くらいの女の子じゃないんだから、気にしなくていいよ。それにパニック障害は頑張すぎたり、時間に追われた

りすると発作が起こるから、ゆったり、のんびりした方がいいのに、君がセックスを急ぐからじゃないのか。ソファにゆったり座ってるのも見たことがない」
と言った。
「うん。ありがとう。ソファに座るよりも床が好きなの。あなたの無臭にびっくりしただけだから」
「無臭?」
「男の人の匂いがしない。石鹸の香りもあまりしないから無臭なんだと思って」

「まあ、加齢臭が出る歳だけど、臭いってあまり言われないよ」
「うん。びっくりした。でもそんなdots加齢臭のことじゃなくて男性の汗の匂い」
「夏は普通に臭くなるよ」
「うん。それの方が安心するかも」
「そうか。君のシャネルもない方がいい」
「香水は嫌いなのね。うん。そういう男の人、多い」
「嫌いじゃないよ。どちらかと言うと石鹸の香りの方が女らしさを感じる」

 今でも恋着している元彼が男の匂いをあまりシャワーで消さなかったのか、洗っても消えなかったんだと分かる。ティッシュに出した昨夜の精子は捨ててあったが、それにも元彼によってできた如何わしい過去がありそうで、分かりやすい女だと思った。
line分かりやすい女が好きだけどdots
 きちんと自分の話をする女性。話をしなくても、無意識にばらしてしまうこの、奥原ゆう子のような女性が友哉の理想だった。容姿やセックスではないのだ。

 ゆう子は、友哉が自分のことを考えているのに気づいたのか、
「嫌いになった?」
と、泣き出しそうな顔をして言った。
「パニック障害では嫌いにならないよ」
「夜中に飛び起きたりする」
「俺もよく起きる」
「行儀が悪いの」

「それもかわいいからいいよ。あのね、俺にそんな偉そうな権利はないんだ。おじさんだし、病人みたいなものだから、君のような美女を嫌いになるかならないか言う権利も考える権利もないんだ」
「そんなに控えめなの?」
「ブスには控えないよ」
「女は顔なんだね」
「面倒臭いなあ。君は顔で仕事をしているのに」
 友哉が呆れ返って、ゆう子の腕を掴んで、ベッドに引っ張り込んだ。

「今、大麻のような効果で気持ちいいんだ。喋らないでくれないか。嫌いな女は行儀の悪い美女じゃない。シャワーを浴びた後に、色気のない話を始めたり、何か食べたりする美女だよ」
「す、すみません」
 途端に殊勝になって、友哉に身を任せる姿勢も作る。
「結局、俺がリードするんじゃないか」
と言うと、ゆう子は頬を朱色に染めた。

 二人は、初めて結ばれた。
 ブラも外したゆう子は、「デブは嫌いだよね」と、目を伏せた。
 肉付きは良いがまったく太ってはいなくて、美人の定番のセリフだった。
「おっぱいがでしゃばりすぎてるよね。性格と一緒で。そういう女の子、あんまり好きじゃないでしょ」
 そんな言葉をさかんに作っていたが、友哉は、うんうんと、頷いたり、首を振ったりして相手にしなかった。リングの力で酩酊しているような感覚がある。

 乳房が大きすぎるとさかんに言うが、動物的な巨乳ではない。Cカップだろうか。体はどこにも骨が出っ張っていなくて抱き心地はよくて、それだけをゆう子に教えたら、とても喜んでいた。
 友哉は、「こんなに気持ちいいセックスは初めてだ」と大げさに喜んだ。
「大麻なのかな。わたしにもそのクスリをdots
「だめ。ますますストーカーになる」
「なりたいから、そのクスリを入れてよ」

「君はパニック障害の持病があるから、こういうのは慎重になった方がいいよ。大麻が禁止されているのは政治的な問題だが、パニック障害や鬱病に逆効果という報告もあるんだ」
「パニック障害を治して」
「昨日、ちょっとやってみた」
「どうやって?」
「大脳辺縁系の扁桃体というものから、妙な指令が青斑核に伝わらないようにそこを光で刺激してみた」

「勉強してるの?」
「トキに教わった。避妊とそれ。なんだ。君の持病の治療のためか」
「そうだったんだね。ありがとう。うん、気分がいいから、不思議だった。治してくれたんだね」
「一時的な処置だよ。たぶん、光だけの治療はすべて一時的だと思う」
「じゃあ、ずっと気持ちよくなる大麻系も試したいな。あなたの体に中にあるの」
「この仕事が続くなら、いろいろ試すよ。君が裏切らないようにクスリ漬けにしたいね」

 友哉に跨っていたゆう子は大袈裟に体の動きを止めた。
「さすが、レベル2の男。悪い。わたしが友哉さんを裏切ろうとしたら、薬漬けにしてセックスで離れないようにするのね」
「そうだ」
 いつものように本気も冗談とも取れない返事をする。
「いいよ。わたしはその程度の女で。モルモットにして」

 また自尊心が欠如した言葉をつくったが、彼女の体が感じた淫靡な声が漏れた瞬間の言葉で、悪くない響きだと友哉は興奮した。
 ゆう子のセックスの声は処女性はいっさいなく、本能に従ったような快楽の声だった。うるさいわけでもなく、ただ、ただ、淫らな声であった。
 その動作、足の開き方、舌の動かし方にいっさい清潔感や品はなく、それは予想通り。なのに真っ白な肌は美しく輝き、奇妙な出来物もない。柔らかな乳房、丸いお尻、潤った膣。何もかもが満点の肉体だった。

line楽しませてもらおう。無心でいないといけない。愛した女は必ずいなくなる。
 ゆう子が知っているように、結婚も失敗していた。ゆう子がどんなに頑張っても、結婚願望ももうない。
 ただ、車椅子の生活から救ってくれたトキへの恩は返さないといけない。哀しみは拭えていないが、それくらいの気骨は残っている。与えられた仕事を淡々とこなし、仕事が終わったら、報酬のお金で南の島で暮らしていこうと考えていた。

 どこかに嘘が潜んでいてもかまわない。利用されていてもかまわない。ずっとそんな人生なのだから。
 人気女優が現れたのは出来すぎだったが、もともと高い報酬があった。
 未来の世界のためにも、他人のためにも働く気はない。しばらくは風に流されていくだけdots。それが友哉の今の考え方だった。

第三話『ゆう子のマンション』に続く

第三話 ゆう子のマンション

 

 ポーランドから帰国して、トキからもらったお金をすぐに銀行から取り出しに行く予定を変更して、友哉は、ゆう子のマンションで滞在していた。報酬の多額のお金が本当に銀行にあるのかないのか気にはなったが、なければないでテロリストや凶悪犯との戦いは放棄。それでいいと思った。
 友哉は目の前の奥原ゆう子にもっと興味があった。銀行に数百億円あったとしても、それよりも奥原ゆう子という「女」を見ていたかった。

line価値はこちらにある。そして現実も。銀行にもし一兆円、使える俺の金があったとしても、先に観察するのは札束の山ではなく、この不思議な女優の方。
 そう機内でずっと考えていて、成田に到着しても銀行に向かう気はまったくなかった。
 それに彼女のパニック障害が心配になり、空港でさっと離れるのはどうかと思っていた。彼女は彼女で、
「メンタルが弱ってるみたいだから、わたしの部屋においでよ」

と彼を心配した。ゆう子はそう言って、友哉を自分の部屋に引き入れたのだった。
 お互いの体調を心配する呼吸が合った、と友哉は思った。
line初めての経験かも知れない。トキは奥原ゆう子が俺に相応しい女だと言った。明るくてよく喋るからだと。そこじゃないんじゃないか。二人とも病弱なのがよい相性なんじゃないか。それに、三百億円に興味を示さないなんて、庶民と違ってお金を持っているからなのか。
 友哉はそう思い、苦笑した。

 AZで友哉の血圧や心拍数が測定できるようになっていて、帰国中の機内での血圧が、約200になっていた、通常のひどい高血圧だが、テロとの戦いの最中に300以上に跳ね上がっていた友哉には低くなっている値らしく、それを見たゆう子がCAの隙を見て、口を使ってくれて、友哉はその献身ぶりに驚いた。機内に漏れる精子の匂いを気にして飲み込んだのを見て、
「どうしてそこまでするの?」
と訊いた。

「衝撃の片想いだから」
 ティッシュで唇を拭きながら、彼女はそう言って茶化していたが、どこか寂しそうで、
「部屋にきてくれませんか。することがないし、寂しいし」
と、正直に心情を吐露した。
「もうすぐ死ぬかも知れないのに、のんびり部屋で座っているの? 必死ですよ。まさか、奥原ゆう子がセフレみたいに遊んであげるから部屋にきてって言って、お断りする無職の男性がいるの?」

「いないね」
「もしかしたら、本当は彼女がいるとかなら仕方ないけど」
「いないよ」
「だったら、普通、来るでしょ。セフレは嫌。だってワルシャワで仲良しになった」
「そうだな。ケンカしたのは最初だけだ」
 ゆう子は彼のその言葉を聞いて、髪の毛をかきわける仕草を見せながら笑みを浮かばせた後、飛行機の窓に目を向けた。真っ暗で何も見えない空中を見ながら、
「人間の本質を一言で言うと偽善で、人生を一言で言うと寂しい」

と言った。その暗闇には彼女の嫌いな人間はいないのか、なんの風景もない黒色をずっと見つめていて、目を逸らさない。心配になった友哉は、
「本当に俺との三年後の夢しかないのか」
と訊いた。ゆう子は、唇についた精子とティッシュの粕を舌なめずりをするようにもう一度、舌で拭った後、
「当面はあなたとずっと一緒にいること」
と言った。それから唇の乾燥を防ぐためのリップを塗った。

「それは分かった。だけど具体的なその夢は、俺がもしいなくなった時に道に迷うぞ」
「さすがに作家さんはしつこいですね。黙って感動してればいいのに」
 ゆう子はあからさまに苦笑いをしたが、首を傾げたまま口を開かなくなった。
「愛にしておけ。夢は男性を愛することって言うんだ」
 友哉が促すように教えると、
「なんの愛? 具体的に口にしたらだめで、それは抽象的すぎる」
と、さらに首を傾げた。

「女は生活を求めて男と寝て、やがてそれが本物の愛じゃなかったと分かった時には、もうおばさんだ」
「で、結婚した男性はお腹の出たおじさんになっていて、なのに必死に若い子と浮気して、ギャンブルをしてお酒ばっかり飲んでる。地震がきたら真っ先に逃げちゃう」
「なんだ。分かってるじゃないか。若い頃の始まりの付き合い方が生活を求めるために、セックスをするからだ。始まりに愛がない」
「あなたに恋をした」

「寂しい気持ちが恋心を上回っていて、それほど好みではない男ともセックスをしてしまう。君は違うとして、女は寂しくなると、男を作る。男は寂しそうにしていて簡単に抱ける女に好きだと嘘を言う。俺の部屋に来いよ、それでイチコロだ。それは100%愛じゃない。二回目以降の恋愛はほとんどがそう。薄々、分かっている女は賢明だが、愛よりも生活や友達の目が大事だから、その幸せに見える生活を重視して、寂しい女に付け入った男とやがて結婚する。

どこかで愛になったとしたらそれは途中、どちらかが命をかけた姿勢を見せたか、一回、泥沼になって別れたか。それくらいしか、セックスで始まった付き合いが愛に変わることはないんだ。そもそも、もし、結婚という制度がなければ、男は自分の部屋に女を呼ぶのはリスクを感じる。特に、利口で優秀な男は自分の部屋に迂闊に女は入れない。悪女かも知れないし、男の部屋は城だ。

つまり、無能な男ほど、自分のアパートやマンションで簡単に女と同棲を始める。女のほとんどが結婚をしたがるから、結婚生活に似た部屋を提供するのが無能な男の手口で、それに女は騙される。いや、分かっていて、足を開く女がほとんどだ。産業革命以来ね」
「わたしに対するお説教ですね」

「そう、君のような美女が男と寝てはまた男を替え、その男に力がなくなると、また別の男と寝る。悪びれた様子もなく。元彼と俺との隙間が何年か知らないが、トキの話がなければただの淫乱だ。俺は寂しそうな君をタダで抱いていて、大満足だ。それは俺からの本当の愛じゃない。なのに君は足を開く。そして俺が突然いなくなった時に、君のさっきの夢は間違いだったと分かる。だから、その夢はやめておけ」
「友哉さんは、女にわざと嫌われようとしてない?」

「クリスマスの季節になって寂しくて男を作る女たちに興味がないんだ。俺が恋愛をする気がないって言ってるのに、しつこくしてくる女には興味があるよ」
「それはわたし。すぐ口の悪い哲学をフォローするね」
 ゆう子が苦笑いをした。
「突然、いなくなる男でもない。常に、居場所をお知らせするよ。そのAZがなくなってもね」
 ゆう子が、AZを出したり消したりして遊んでいるのを見て、半ば呆れながら言った。

「たぶんこれ、頑丈だけど、わたしの悪戯についてこられないよ。保証書がないし、不安だな。dots続きを聞かせて」
「続き? えーと、俺は寂しがっていて簡単に抱ける君を簡単に好きとは言わない。

君は恋愛をする気がないと言っている俺にしつこい美女。セックスで始まったけど、たぶん、これを真剣と言うから、突然いなくなることはないが、本当は、真っ白な離島の砂浜で一緒に並んで座っているだけの愛を夢に見ているのがベストで、あまり生活の匂いがする夢は持たないことだってオチだ。セックスだけなのも究極の愛に発展するが、それは文学的な世界だ」

「昔の小説やフランス文学にあるね」
「そう。女がしつこいんだ。あなたの体液が欲しい、体が欲しいって。お金はいらない。結婚しなくていい。あなたが欲しい。それだけだ。俗から離れた夢のような世界だ」
「遠くを見て言った。元カノもしつこい女だったでしょ」
「またか」
 彼はうんざりした顔をしたが、どこか口にしたいようで、
「しつこかった。俺が執筆している横で、スマホを見てるんだ。ずっと座ってて」

と、やはり懐かしむように言った。
「じゃあ、最初は付き合う気がなかったのね」
「そうだね。ブスなら海外に逃げてたよ。君と同じくらいの美女だった」
「美女だってことは聞いた。本当にこんなにかわいかったんだ」
 ゆう子が自分を指差して言うと、
「なんでそれは知らないの?」
と、友哉は、笑わせようとしたゆう子の仕草を無視して訊いた。

「あ、トキさんにもらったあなたの夢の映像のことね。基本的に、霧がかかっているような映像だから顔ははっきりと見えないし、そもそも愛人なのかセフレなのか恋人なのか分からない女がけっこう出てきます。でもdots
「でも?」
「北の旅館で一緒に死にたいって言ったのは、娘でしょ」
「え?」
 ゆう子の言葉が思わぬものだったのか、友哉が体の動きの一切をとめてしまった。

「なんかヤバいことを訊いたみたい。娘のわけないか。また、今度、尋問するね」
 友哉がまだ疲れが残っているのを見て、ゆう子がうっすらと笑った。
「お、女で悪いことをしているとお金が入ってくるんだぜ。早速、入ってきたみたいだ。早く成田に着かないかな」
 誤魔化すように悪ぶった口調で言うと、
「さっき、愛とかなんとか言ってたのに」
と、ゆう子は肩を落とした。

「君を好きとも愛してるとも言ってないのにセックスをしている。とても悪徳だ。そう言ってるんだ」
「好きじゃないんだ。まだ…」
 項垂れてしまう。
「俺もいい加減な男だ。一緒に本当の愛を探そうか」
「え?」
 ゆう子は思わず顔を上げた。

「本当のとか、本物のって言葉が好きなんだ。本物の愛を得られるようにしておいてあげるよ」
 ゆう子は目を丸めていた。何を言っているのかさっぱり分からないと思い、それを口に出してしまう。
「偽善者が嫌いなんだろ。嘘は吐かない男が君を抱くようにしてあげるって言ってるんだ。簡単だろ」
「そ、そんなことができるの?」
「できるよ。俺から学べば」
「だ、だ、大先生ですね」

 真剣に話していても、ゆう子はこうしてふざけた言葉を作る。だけど、真剣な男が好きで、ゆう子の内面の生真面目さと表面の不真面目さが、彼女に彼氏を作らせない原因になっているのだと、友哉は分かるようになった。
lineふざけた口調は自然なんだな。子供の頃に読んだ漫画か何かの映画の影響だろう。
 友哉は彼女に気づかれないように微笑んだ。

「俺が嘘を吐かない男だって気づいているよね? 偽善が大嫌いで、だから俺に衝撃の片想いだって俺は分析してるよ。あ、そうそう、トキにもいろいろ教えようとしたけど、嫌そうに断られた」
「あ、当たり前ですよ。未来の時代の君主様ですよ」
「だけど、君は女だから」
「女だから?」
「男の言うことは聞かないよね」
 友哉がとてもおかしそうに笑ったのを見て、ゆう子はまた仰天した。

「友哉さんはもてないよね。大人すぎて」
「心配無用。事情があって、もてたいと思ったことはない」
「ぼーぜん」
 精神状態を口に出して教えると、友哉は、「面白い女だな。そこは好きだよ」とまた笑った。爽やかでなく、相変わらず小さな微笑だった。

 成田空港から横浜の自宅マンションに一回戻った友哉は、着替えや電気カミソリなど男の生活必需品だけを鞄に詰めて、新宿の奥原ゆう子のマシンョンに行った。
 それにしても、疲れがひどかった。旅行の疲れとは違い、まるで寿命がきたような恐怖を伴う疲れだ。
lineまるで極度の鬱だ。
と、悩ましく頭を押さえていた。

「腕力を使う。つまり戦う。誰かの病気やケガを治す。それで友哉さんの血圧が下がるの。トキさんの世界ではそんなことにはならない軽度のガーナラを一回使いきりでは使用しているらしいよ。ほら、友哉さんのガーナラには動植物の名前がいっぱいあったでしょ。それが少ししかないガーナラだって。町には病院がなくて民間療法的に、個人が病気を治療するらしい。女性がいなくても、その程度だったら、寝ていれば回復するんだって。

トキさんの国は、ストレスはほとんどなく、皆リゾート地にいるように暮らしているらしい」
「だからストレスに関する生薬が少ないのか」
「うん。今、作ってるとか書いてある。わたしたちに持ってくるってことかな」
 二人はソファを挟んで、向かい合って座っていた。

 友哉がソファに座り、テレビを背をしたゆう子は床に座布団を敷いて座っていた。交際期間を経て同棲を始めたカップルという様子はなく、セックスの時もどこか売春しているような愛のないやり方で、それが終わるとこうして距離をとっている。そしてゆう子は余計に肌を露出する女だった。今もスカートでパンチラなっているから、友哉は目のやり場に困っていた。

 ポーランドからずっとそうだ。行儀が悪いのにスカートやショートパンツばかり穿いている。ジーンズやパンツを穿かない理由も、「女は足をだしてなんぼ」と即答した。しかし、友哉が真っ青なスリムジーンズの女の子が好きだと言ったら、「じゃあ、それは穿くね。あなたも黒ジーンズはやめて青いのを穿いて」と笑った。
「街に医者がいないのか。未来の世界が本当ならがAi支配しているのかと思ったが」

「ロボットくんとの戦争があったらしいよ。トキさんたちの前の時代に」
「ほう。ロボットが感情を持ったんだな」
「ハイブリッドロボット」
「ハイブリッド? まさか」
「うん。人間とロボットコンピューターのハイブリッド。それでロボットだけの社会が出来て、そこから人間社会に侵攻してきたらしい。その時、世界を統治していたのは女たちだったんだよ。その戦争が世界の人口が減っていた原因のひとつだって」

「ハイブリッドのロボットって、かなり強いと思うぞ。生身の人間で勝てるのか。あのトキのような生身の人間だ」
「AZに出てこないの。その辺りの詳細は」
「わざと弱いハイブリッドでも造ったのか。あ、そうだ。美女がほとんどいないって言ってた」
「日本人の美女だと思う。わたしもじかに聞いたけど、その理由は教えてくれなかった。トキさんは純潔の日本人で、トキさんを護衛している若い男の人と側近たちは日本人。あとはほとんどの人が混血と移民の外国人だって言ってた」

「トキがdots日本人が未来の世界では一番偉いのか」
「今でもノーベル賞、取りまくってるじゃん」
 ゆう子が楽しそうな顔をした。会話が面白いようだ。
「わたしたちしかできない話だね」
 やはりそう言う。しかし、急に顔を曇らせて胸を擦り出した。パニック障害だろうか。
「ペラペラ喋るからだよ。落ち着いて、たまに深呼吸をしていないとだめだ」
 友哉がそう言って背中を擦ると、ゆう子はとても幸せそうな顔を見せた。

「いっぱい擦ってもらえるなら、この病気、バンザイだ」
「かわいいなあ。そこは好きだよ」
「どこか嫌いなの」
「どこも嫌いじゃないよ。光の治療は短時間のようだ。ガーナラだと生薬の成分がしばらく効くはずだが」
「光でも耐性ができるかどうかわからないけど、一回くらいではそんなに変わらないみたい。ガーナラの治療の場合、女は病気が治った後、ガーナラは排泄されるんだって。あくまでも男性のクスリ。誰かを治療するのも男性らしい。女が少ないから、あまり仕事をさせないのかな」

「女が少ないんじゃ、見るものがないね」
「女は嫌いなんでしょ」
「見てるだけなら最高にかわいいよ」
「猫を見るみたいな言い方。そんなことばっかり言ってると女性差別主義者って思われるよ」
「かまわない。そんなくだらない議論をする俗世とは関わらないから」
 ゆう子は含み笑いを見せ、
「わたしとは関わってるね」
と言った。

「君は俗ではないよ」
「わあい」
 ゆう子は嬉しそうに笑った。コロッと変わるその笑顔が突き抜けてかわいらしい。
「未来の世界の君主ってことは、日本だけを統治しているんじゃないのかな」
 友哉がそう呟くと、ゆう子はAZで調べてから、
「普ってなに?」
と首を傾げた。
「普みたいな王国になっているって」

「えーとdotsなんだっけ、プロテインじゃなくて、ドイツの辺りに昔にあった王国dots、プdotsプロdots
「出てきませんね。お年ですか」
「うるさいなあ。君はまったく分からないじゃないか。トキは漢字にした方が、君が分かると勘違いしたようだな」
「トキさんじゃないと思うんだよねえdots
「そうなの?」
 思わず「シンゲン」と言いそうになるが、AZからの攻撃が怖くて口を噤んだ。

 テキストの膨大なデータにしても、ゆう子の感情までも予測して収められている。
 line悔しいけど、わたしのお喋りが常軌を逸していたから、トラブルになったんだ、とゆう子は自嘲気味に苦笑いをした。「友哉さんは神なの?」と二十回くらい聞き続けたら、AZが違うテキストの一部を見せてしまったのだ。そこに「シンゲン」という名前が見えた。

 ゆう子が何を聞いてくるのか予想していて、その答えまでもテキスト化している。ゆう子だけではなく、友哉の情報も。ダークレベルが高い人間の情報も。レベルが低くても、友哉に近づいた不審な人間のデータも、すべてAZの中に入っている。
 Aiとテキストだけで、ほとんどの会話を可能にしている。
 この時代のAiは感情は予測できない。わたしのジョークに対応するなんてありえない。

 円周率をひとつの記号に短縮するように、何から何まで圧縮して、AZの中に格納しているのだ。現実に、友哉の銃も、AZも圧縮されて消える。情報が圧縮されているのも想像できるし、AZの中に例の光の様々な力が圧縮されて入っているから『あなたの記憶を消す』と反撃してきたのだ、とゆう子は考え背筋を震わせた。
lineトキさんが誠実だったから持ってるけど、そうじゃなければ東京湾にポイだ

「友哉さんの背景は調べ尽くしているけど、あんまりこの時代の背景は調べてないみたいですよ」
 ゆう子が気を取り直してそう笑う。
「普を例に挙げるのもおかしいよ。世界を統治しているなら昔のイギリスじゃないか」
「そうだね。なんか時代背景は本当に適当」
「民族と政治。両者を暴力的、そして独裁的に一つにしないと世界は統治できない。ヒトラーがやろうとしたことだ。あの男にそんなことができるのか」

「人口が少ないからできた、だって」
 ゆう子がAZを見て言った。
「な、なんて入力したの?」
「トキに世界を征服できるのかって」
「やめてくれよ。聞かれてるかも知れないじゃないか」
 友哉が焦ったのを見て、ゆう子がクスクス笑ってる。女のこと以外で初めて、友哉が狼狽したと思って、笑いが止まらない。

「向こうは訊かれるんじゃないかと思って、答えを用意しているから大丈夫だよ。トキさんの時代では日本の北海道は気候の変化で住めなくなったらしいけど、トキさんの敵が活動拠点にしているから放置しているらしい。沖縄より南西のほとんどがトキさんが統治していて、中国はどこかの戦争でなくなっていて放射能に汚染されているらしい。欧米はロボットとの百年戦争でほぼ壊滅」
「敵がいるのか」

「いるでしょ。統治しようとしたら。ロシアも寒くて住めなくなって、ロシア人は世界に散らばったらしい。南米はトキさんの国の技術を頼って生活してるって。アフリカはロボットくんたちの国になっていたから、今は誰もいない」
「人類滅亡寸前だな」
「セックスできなくなって、ガーナラって薬を開発したくらいだから、当然ですよ。おまけにロボットくんと戦争してるんだもん。まあ、予想通りの未来ですね。そうそう、トキさんの世界、片耳だけの女ばかりってどういうことだろうね」
「片耳ばかり?」

「大麻のような生薬は使ってあるから、ようは両方よ。そのリングを使って、リングの光だけの治療と体内にあるガーナラを使った治療、その両方での治療。脳を光で刺激するだけで治せる病気がほとんどだけど、ケガなどを治すにはガーナラが、友哉さんのリングを通して、患者の皮膚から体内に侵入していくらしい。友哉さんが、自分の体内にあるガーナラを使って誰かの命を救えば、その人間は病気になる前よりも強く若々しくなるらしいけど、友哉さんが死ぬそうよ」

 また、死ぬと言われて、友哉は落ち込んだ。
 男の性欲に対してはよく気の付く女だが、俺を超人と思っているのか、生死に関する部分は楽観しているようだな、と友哉は考えていた。
「なんで俺には、そんなに強烈なガーナラなの?」
「友哉さんのケガが重くて骨を治療する部分的に治療するガーナラは使えなくて、たぶん、最強のガーナラを使って完治させたんだと思う。通称戦闘用ガーナラだからね」

「戦闘用dots
 少しばかり体をのけぞらせてしまう。
「他にも近視や胃腸障害も治ってるでしょ。友哉さんの今の体は医者がうらやむほどで、健康診断でパーフェクトだと思うよ。だだ血圧は異常に高くて、市販の血圧計でマックス。病院に行ったら強制的に入院させられるよ」
「脳の血管も強化されてる?」
「当たり前」
「目はよくなった。精力はつくし、筋肉は一時的に強くなる。夢のようだが、地獄も付録でついてきたか」

「わたしのこと?」
「君は夢のひとつ。副作用のことだよ」
 ゆう子が、「えへへ」と声に出して笑った。
「最高の褒め言葉を言ったのに、その程度か。どうしたらいいんだ」
「愛してるって言って」
dots
「はいはい。まだまともにKissもしてないからね」

 ゆう子と友哉はまるで愛のないセックスや愛撫はしているが、まだ触れ合うようなKissをしていない。お互いが、体の心配をするのが、唯一の恋人同士らしさと言えた。
「友哉さんの体にその最強のガーナラが投与されていて、それが友哉さんのリングを通して、誰かの病気を治すの。つまりリングの中に薬があるんじゃないのね。その時に友哉さんの体の中からガーナラが出てしまうから、激しく疲労するんだ。だけど、女を抱くと、血流が上がって、ガーナラが体の中に巡り、体力も戻るってことです」

「女を抱いている時には筋肉はそんなに硬くなってないよ」
「そりゃあ、そうよ。ケンカしてるわけじゃないんだから」
「光を使っての治療も少し疲れる」
「光の治療はガーナラを使わないけど、それを使用するためのスイッチや強弱の調整を友哉さんの脳で指示しているから疲れるらしい。友哉さんがハードディスクで、リングがソフトなのかな。ハードは酷使するとすぐ死ぬからね」
「死ぬ、死ぬって言うな」

「え?」
 友哉が怒ったのを見て、ゆう子がだらしなかった足を揃えた。それを見て、友哉は毒気を抜かれて、怒るのをやめる。
 行儀が悪いのではなく、わざと見せているのか、と。
 彼女なりのアピールなのだろうが、どこかかわいいと思った。
「あんまり死ぬって言わないでくれよ」
と笑って言うと、ゆう子はほっとした顔になり、「そんなに言ってた? ごめんなさい」と息を吐きだしながら言う。そして、

「友哉さんって何度かもう怒ったところを見たけど、すぐに鎮まるから、怒りはお芝居なのね」
と分析してきた。
「そんなことはないよ。切れてるだけさ」
「ううん。きっと、そろそろ怒ろうかなって考えてるんだ」
「俺のそんな夢の映像も見たの?」
「うん」
 ゆう子は少しはにかんだ。まるで初恋をしている少女だった。

「逆にそれが友哉さんがもてない欠点かも。女に神経質になりすぎだと思いますよ。映画に出てくるような美人スパイに撃たれて死にそう」
「プラズマ電磁シールドとかでプロテクトするのに、美人スパイに殺されるわけないよ」
「友哉さんが美人スパイに見惚れていたら美人スパイの殺意を感じないから、プロテクトしないかも知れません。あ、すぐ近くにいる人も守れますね。もちろん、疲れますけど」
「近くの人も?」

「プラズマのバリアをリングが届く範囲で近くの人に転送してるの。dotsん?」
「どうした?」
 ゆう子が目を皿のようにしてAZを読んでいる。
「マリーってなんだろう。マリーが仲介して、最後の力は傍にいる人に与える」
「検索しなよ」
「出ない。友哉様が使用したら出るって」
「俺と君が爆発に巻き込まれた時に、最後に君を守って俺が死ぬようになっているんだ、きっと」

「そ、そんな自己犠牲dots
「守るのは近くにいる人間で女に限らないと思うけど、マリーの正体が分からないとなんとも言えないな」
「うん。このAZ、タイマーがかかっているから」
「新しい情報が時間が経つと出てくるの?」
「うん。友哉さんのことで言うと、成田までは出てこなかった情報が今は出てきた。例えばdots
「た、例えば?」
 友哉が息を飲む。

「横浜のマンションの住所」
dots
「成田に行くまでに教えると、わたしが友哉さんのマンションに行っちゃうと、トキさんが思ったのかな」
「それが正解。さすが、未来の世界のトップ」
「くそ。あの結婚詐欺師のような笑顔のお兄さんに、わたしの性格を見抜かれてるとは」

 ゆう子が、初めてトキの悪口を言ったのを聞いて、友哉が声を出して笑った。
「彼は人の目は見ずに考え事ばかりしていた。人を騙す人間はあらかじめ言葉を用意していて、自信たっぷりに相手の目を見て話すんだ。あれはいい奴だ。あと、毒ガスや毒物は? サリンとか」
「ガーナラが解毒します。今から死ぬって言うけど、わざとじゃないので。えーと、最強のガーラナを得た男性は低血圧のスタミナ切れで死ぬ以外に死ぬことは寿命以外にほとんどないみたい」

 友哉がくすりと笑うと、ゆう子が呼応するように笑って、少し頭を下げた。
「でも、女がいないとあっという間にスタミナが切れるようだな。そうだ。危険を警告するよね。リングが赤く光って。それはレーダーと一緒の原理かな」
「うん。警告は距離関係なく遠くの人も検知するから狙撃されることもないみたい。近くにいる人間に殺意があったら、それこそ、その人間の脳の異常を検知してリングが赤く光る。リングが友哉さんの脳に指令を出して自動的にプロテクトするけど、疲れちゃうと何もかも弱くなってい

るか、強くなるのが遅れるから、プラズマのプロテクトに頼らずにさっさと戦った方がいいって書いてある」
「さっさと?」
「早急にって書いてありました。ごめんなさい」
「いや、いいんだ。突っ込みがいがある女の子だと思って」
 友哉は笑ったが、ゆう子は口を尖らせただけで、笑わなかった。

「それから、わたしが寝ている時に友哉さんに危険があったら、AZが自動的にじゃじゃじゃーんって飛び出してきて、友哉さんが慌てているのをフォローしますよ」
「じゃじゃじゃーんはわざとだよね。面白くないよ。天然じゃないとだめ」
「だから、わたしは寝る時は寝る! 昼寝もする!」
 今度はほっぺたを蛙のように膨らませて言った。言葉遣いがおかしいのを突くと不機嫌になるようだった。

「最後のひとつだけ、疲れる順序は分かるか」
「大きなケガを治す、病気の患者さんを治す、長距離の転送、プロテクト、余計な腕力を使うの順。なんだ、セックスは混ざってないぞ」
 ゆう子が残念そうに言った。
lineそんなにセックスが好きなのか、しかも露骨にそれを口にする。エッチと言わずにセックスと言うあたりも、セックスに真剣に取り組んでいるのだろうか。

 合意したレイプ願望もあるようだし、AV女優にでもなればよかったのに、と友哉は嫌味ではなく真面目に思い、首を少し傾げた。
「腕時計しないね」
 友哉が考え事をしていると、ゆう子がリングがはめてある左の手を見て、唐突に訊いてきた。
「入院中、激やせして、手首が細くなったからやめたんだ。売ってしまった」
「世界時計にしようよ。わたしが買ってあげる」

「そうか。頼もうかな」
 考えもなしに生返事をした。ゆう子は、彼がやる気のない返事をしたことに気づかずに、「どんなのにしようかな」と笑みを零して呟いた。
 日本では毎日一回は殺人事件が発生している。
 だが、ゆう子の記憶にあるほどの大事件は向こう一週間以上なく、最初に目立ったのは、ニートの息子による親殺しの事件だった。

「これはスルーしよう」
 ゆう子はそう言った。
「いいのか」
「殺される人が五人以下はほとんどスルーする。友哉さんの体がもたない。それに、金属バットで父親を殺したとか、女子高生が産んだ子供をコインロッカーに捨てたとか親の虐待で幼い子供を殺したとか、介護のdots介護殺人とか、そういうのは今の時代はきりがないから」

 途中、何度か言葉を止めながら、苦しそうに最後まで言い切った様子だった。
「付き合わない方がいいよ」
「なにに?」
 ゆう子の言葉はたまに主語がなくなるから、友哉は訊き返した。
「そういう事件に」
「ああ、そういうことか」
「わたしとも付き合わない方がいいよ」

 口角を持ち上げて言う。友哉のほんのわずかな勘違いに気づいたようだ。
 成田空港では「彼女になる」と宣言し、ワルシャワでは「セックスだけでいいんだ」と主張し、「死ぬまで傍にいる」と、いきなり愛を誓い、さて、今度は何を言い出すのだろうか、と友哉は常に身構えていた。
 十日間、友哉とゆう子はセックスだけをしていた。
「愛のないセックスはやめておけ」
と機内で説教をしたが、お互いがそれを分かっているなら問題はなかった。

 ゆう子の部屋は質素で、女の子特有の縫いぐるみやキャラクターのグッズもなく、目立っていたのは大量の映画のDVDとブルーレイ。洋服、観葉植物。そして高級ワインだった。赤は冷蔵庫の外に雑に置いてあり、白は冷蔵庫の中に入っていた。
 いつも清掃業者が来るらしい。トキは家事ができない女だと言っていた。しかし、ワインが適当に置いてある以外は、本や衣類などは整理されている。すべて業者がやっているわけでもないだろう。

 その清掃業者が週に一回くるらしく、ゆう子は「今週はお休みさせてください」と電話をして、それが彼女が誰かに電話をした最後だった。
 携帯の電源を落とし、パソコンも開かず、テレビも見ず、ただ、セックスをしては寝て、食べて、シャワーを浴びる生活を十日間していた。
「セックスは楽しいけど、部屋がだんだん散らかっていくが嫌なんだよね」

 快感の余韻でベッドから出られなくなったゆう子が、床に落ちている雑誌を見て、途方に暮れたような表情を見せた。友哉は、ゆう子が寝ている間になるべく、部屋の片づけをしていた。綺麗だった部屋が少し散らかった程度のものを掃除するのは苦ではなく、キッチンの洗い物もした。離婚してから少しの間だが、一人暮らしになっていたから、それも苦ではない。高校の頃に、母親が蒸発した後は、自分で家事もしていた。だから、家事が得意な女性を理想としていた部分もあったが、友哉が結婚した女はそれが不得意だった。

 離婚の原因は、彼女からすると友哉の浮気。友哉からすると、専業主婦なのに家事をしないことだった。
「引き寄せるんだなあ」
「なに? なにを」
「いや、なんでもないdots
 やる気のないゆう子を見て、優しく微笑む。家事をしないなら、プロの業者に頼めばいいし、家事が好きな女が近寄ってこないなら、それが運命なんだと悟る。歳の離れた女の子に好かれる傾向もあって、それと、家事や男の世話をしない女性を引き寄せる一因になっているとも分かっていた。

「友哉さんよりも早く起きられないのは、なんか恥ずかしいな。朝のお世話もしたいのに」
 ゆう子は綺麗になったキッチンの流し台を見て言った。
「朝のお世話?」
「朝立ち。そう言ったらまた下品だって叱られるからお世話って言ったのに、なんだよ」
 ゆう子は口を尖らせ、キッチンにいた友哉の下半身をまさぐった。
「朝立ちのお世話をする女っているの?」

「あんまりいないかも知れないけど、友哉さんって女運悪いよね。奈那子みたいな女のことだけじゃなくてさ。家事もろくにできない女と結婚したり」
 ゆう子がため息をついた。
「家事、君もできなくて、君と結婚する可能性は0ではないと思うよ」
 友哉がそう指摘すると、ゆう子は「別れた嫁をかばった」と、またため息をついた。
マンションの自宅では、ワルシャワで見せた精子を残しておく奇行はやらなかった。あれはたまたまだったんだ、と友哉は思い、忘れることにした。

 人気有名女優のセックスに、友哉はすぐに慣れたわけではなく、機内でのフェラチオには逆にストレスを感じた。彼女が精液を飲んだ時に驚いて心臓が破裂しそうになった。三日目くらいから、ようやく慣れてきた友哉は、ゆう子の美しい肢体と、悪く言えば淫乱な口元を堪能できるようになってきた。すると、ずっと続いていた吐き気はなくなり、生気がみなぎってくるのが分かった。

 彼女をセックスのために抱きかかえるのはとても楽だった。
「まるで羽が生えているように軽いよ」
 よくあるセリフを使ったのだが、それを聞いたことがなかったのか、ゆう子は、
「やだな、作家さんは。嬉しいけど」
と、頬を朱に染めた。
「元カノとどっちが軽い?」
「元カノ」
「はっきり言った!」

「声が急に大きいってdots。トキから君の体重を聞いていて、彼女の体重も覚えていただけだ。華奢で痩せてたんだ。今の感覚だと、デブの女でも片手で抱きあげられる」
「わたしも華奢です。ふともも除く」
「気にするな。君が言わせたんだし」
「セックスにも力を使ってみてよ。本気になって。見てみたいから」
と真顔で言い、しかも目を輝かせた。
「そのうちね」

 また、さらりとかわしておく。本気になるとは、二十四時間、抱き続けるとか凌辱するように責めろということのようで、それは頭を押さえて口の中に出してほしいと言ったことから分かっていた。しかし、パニック障害の女の子に安易にそんなことはできないと思っていて、慎重にならざるを得ない。
line激しくやってくれと言って、パニック障害の発作が出たら、しつこかったと言うもんだ。
 女の気まぐれを警戒しているのも、ゆう子を激しく抱かない理由のひとつだった。

 それにさっと別れられる女なら言うとおりにしてもいいがdots。そう今までの女と違う。運命などと、ポエムのような言葉では表現できない特別な違いdots。抱こうとすると緊張する。世界最高峰の山に登り始める準備をしているようなdots。不可能な野望を抱くような緊張感。トキの言葉が頭の中に木魂する。「彼女と一緒にいると苦労する」と。
 友哉はガーナラを得てから、顔見知りの高級交際倶楽部の女性に頼んで、長時間のセックスをやってあった。

 ほぼ、精力は無限だったが、彼女がギブアップして、友哉も終盤に依存していた薬が切れてしまったような焦燥と肉体疲労を感じた。しかし、彼女が少しでもエロチシズムを見せると、勃起は延々と続き、彼女が怖がってしまった。精子もすぐに生産されるのか、十回以上射精をしても白い精液が飛び出した。
 夢のようだ、始めのうちは感激したが、ワルシャワでの転送の時と同じく死の恐怖を味わい、それがトキに与えられたクスリの副作用だと知らずに、彼女に、「体調が悪いからもう少し一緒にいてくれ」と、余分にお金を払って、もう一泊してもらった。

lineあのセックスの終わりに、セックスで回復しなかったのは、セックスに厭きて興奮しなくなったからか。相手もやる気を無くしていたしdots
 ゆう子はアレキサンダーマックイーンを始め、ブランド物の洋服を出かけないのに部屋で着たり、友哉の好みに合わせて、庶民的な服をウォークインクロゼットの奥から引っ張り出してきて、それも着てくれた。
「大学に行ってた時の服が出てきた」

と笑っていた。しかし、初夏で暑いとはいえ、全裸で部屋を歩き回ることが多く、トイレもそのまま行ってドアを閉めないから友哉が何度か注意をした。部屋の中で忽然と消えたとびっくりしたら、冷蔵庫の前で半裸で胡坐をかいて座っていて、背の高い友哉から死角にいたのだった。体の動きを一切止め、冷蔵庫の中をじっと見ていて、しばらくすると、
「ワインがなくなってきたな」

と残念そうに言った。すぐに分かりそうなものを、なぜ、長い時間、冷蔵庫を開けて見ているのかも分からない。これらの奇行で彼女の言う「優秀な男に嫌われる」として、友哉は逆に、
line面白い女だ。小説にも使えそうだ。
と興味を持つようになっていた。
 エプロンをして、「キッチンで抱いてよ」と言い、なのに料理が出来ず、電子レンジをちんするだけ。エプロンは友達が置いていったものだと、すまなさそうに言った。

「汚してほしい。いじめてほしい」
 マゾヒズムを露わにし、2LDKの部屋を友哉に付いて回る。
 ゆう子のセックスはとても激しく、そして重々しい。遊び心がなく目が真剣で、男性を癒す気がないような荒々しい愛撫をする。友哉は、このセックスではdotsと辟易した。
line奇行は見ていて面白いが、このセックスは辛い。体調を崩した時に優しさは発揮するが、セックスは自分本位か。美人でなければ疎ましいだけで、どの男もすぐに嫌気をさすのではないか。

と思った。とはいえ、やはり、セックスをしていない時の独特の話し方や冗談しか口にしない軽さが、地下室にこもってするようなセックスを忘れさせる光を与えていた。
 ゆう子は芸能界のことも自分の過去も話さない。
 清純派でスキャンダルがない女優は、親しくなった男にも自分を隠すのだろうか。
と友哉は思って、
「セックスだけで三年間、過ごすの?」
と何もすることがなくなった暁の時に訊いた。

「うん」
 即答だった。
「デートしたらマスコミがうるさいし、そういうキャラじゃないんだよね」
「恋愛にコンプレックスがあるみたいだけど、昔になんかあったの?」
 今がこんなに美しいのだから、そう心身共にdots。だから過去に何があっても気にならないが、言いたいなら吐きださせようと友哉は思った。
「なんか?」
「君の言動から察するに、レイプ?」

「そんなこと言って、本当にレイプされたことがあったらどうするの?」
「俺は無責任にそんなことは言わない」
「はいはい。またぶれない信念のお話をどうぞ」
 嫌味な目付きで話の続きを促すと、
「レイプが傷になっているなら、それを喋りながらセックスをする。こんなふうに犯されたって言わせる」
と言い切った。
「ひどすぎませんんか」

「それが傷の治し方だ。この場合の責任は、ずっと一緒にそのセックスを続けることだ。治るまで。もちろん、生活も一緒にする」
「やれやれですねえ。男らしくて涙がちょちょぎれますわ。求婚が殺到して、体が持ちませんよ。あなたがもてないのは撤回します。本当は重い女にもてもての人生。違う?」
「当たりだ。つまり不幸がやってくる。それを俺の力で少しだけ幸運にする。君は大女優で成功者だけど恋愛はきっと不幸。それを俺が幸運にするのが、これまでからのパターンだ」

「自信満々に言ってのけた。美人の元カノも不幸な女?」
「母親が寝たきりだ」
「うわ。ごめんなさい。もう元カノのことは聞かないね。わたしはレイプはされたことがないなあ。殺されない保証があれば逆に願望があるよ。瞬間移動が一人で出来るようになったら、わたしのこの部屋に急に飛んできて寝てるところを犯してよ。なんか興奮する。友哉さんの友達と一緒だったら3Pでもいいよ。手足を押さえてさ。死なない保証があればどんなセックスもしたい。ボロボロにされたい」

「バカなこと言うなよ」
「やってる女、いっぱいいるよ。友哉さんさ、奈那子ともやっていてわたしはだめって、おかしい。有名女優だから? なんからしくないな。そういう差別はしない男のひとに見えるけど」
「簡単に出来て楽しいさ。だからすぐに厭きる。その時に後悔するんだ。そうdots。俺と結婚するか、一生、俺の女でいるなら別だが」
 語尾を強い口調にすると、ゆう子は顔を背けて、

「ごめんなさい。三年が一生だとしたら、そのつもりよ。わたし、淫乱じゃないよ。あなたの肉体の一部になりたいの。だけど、未来のことはわかんないもんね」
と俯いて言った。
「そういうセックスを続けて、来年の今頃、別れていたら、君のような繊細な女は自殺するよ」
「冷静な優しさ、ありがとうございます」
 ゆう子が神妙に頭を下げた。
「衝撃の片想い、大正解。だけど、ちょっと面白くない男の人ですよ」

 そう言いながら、また友哉の下半身に手を伸ばした。愛の言葉を取り消すことはなく、惚れた男の肉体の一部になることを実行しようとしている。
「こういう時は女を黙らせるために口にこれを突っ込むのよ」
「それをやって何度、ふられたか」
「またか。元カノが多すぎるよ」
「重複しているのがある」
「あ、そうか」

「処女じゃなかった。前の男とはちゃんと愛し合ったセックスか」
dots違います」
「簡単にやって、今、口に出来ないじゃないか。俺には喋らせるのに」
「ぐうの音もでないdotsです。昔の話はできない。だからあなたのような女嫌いの優秀な男性に愛されることはない。つまり、逆に抱かれているだけでいいってことよ。自殺もしないから安心して」

「男には都合のいいばかりの話だが、実はさらっと怖い台詞を混ぜた。だから君は男の都合のいい女にはなったことはない。男の肉体の一部になりたいなんて言ったら、普通、逃げ出すぞ」
「逃げる?」
「普通に見える?」
「見えない。トキさんの方が普通っぽかった」
「銀色のスーツで夜空に飛んでいく奴よりも、俺が変なのか」
 友哉がそう笑うと、ゆう子もくすくす笑った。

「トキさんをネタにすると仲良くなれるね。でも、あなた、さっきの不正解。男性の肉体の一部になりたいって、あなたに言ったのが初めてよ」
「へえ。それは光栄です。じゃあ、都合よく遊ばれてきたんだね」
「そう。それでも生きてる。孤独でも」
「分かった。カミングアウトはもうやめよう。架空の恋人っぽいけど、俺がいる。孤独とか、そういうdots寂しい言葉は作らないでくれ。君には似合わないんだ。ふざけててほしい」
「やだな、作家さんは。そんな素敵な言葉dots

ゆう子は本当に耳まで赤くした後、大きくため息を吐いて、
dotsはあ、わたし、AV女優の方が向いてる。昔、尊敬できるAV女優がいたんだ」
と言った。
「尊敬できるAV女優?」
「男性の悪口は言わないの。男性を男って言わないの。男のひとって言うの。ずっとハードなAVをやってる。もう十年くらい。なのに、明るいブログを書いている。その女優さんを真似て、わたしも男のひとって言うようになった」

「超有名女優が、AV女優の影響を受けて恋愛をしているのか。すごく興味がある話だ」
「お母さんに勧められたんだ…男はこんなもんだって。確かにほとんどのAVが女の子がやられてるか、そうじゃなくても最後に顔とか汚されるよね」
「母親にAVを勧められた?」
「あ、ごめんなさい。この話はしたくないや。興味があるように言わないで。わたしがずっとあなたを好きでいるから、それだけでいいや」

「殺人が減って、殺人の映画やゲームばかりになった。レイプが減って、レイプのポルノがいっぱいになった。亡くなったお母さんは分かっていないようだ」
 ゆう子の母親はすでに他界していて、その話は機内で聞いた。
「うん。分かってない。さすが、作家さんはいろんな知識がありますね。お母さん、実は友哉さんがタイプだと思うよ。それは怖いって意味」
「プライドが高かったんだな」
「うん。美人のプライド。元カノさんは女優みたいにかわいい子で、プライドは高かった? あ、また聞いちゃった」

 母親の話をやめたいようで、苦し紛れの言葉になっていた。
「そういうプライドはなかった」
「いい人だったんだね。だったら、なんで…」
 病院に見舞いに来なかったんだ、という話になりかけたのをゆう子が自ら止めて、友哉もそれに気づいたのか、口を閉ざしていた。そして、ゆう子はこう考えていた。
『元カノではなく、まだ付き合っているか、事故の前後に亡くなったんだ』
 どちらにしても聞くのは怖すぎる。

 重苦しい時間が長く続いた。
 友哉はゆう子を見るのをやめ、深呼吸をしながら寝室の天井に目を向けた。だが、すぐに下を向いた。
lineしまった。見てしまった。
 心臓が不規則に動いた。入院中に、ずっと天井を見ていた地獄を思い出してしまう。すると、ゆう子が恋愛談義の続きを始めて、友哉は助かったと安堵した。

「友哉さんみたいな男の人に抱かれてるのが幸せなんだよね。他の女に友哉さんを取られそうになったら、さっとセフレになって身を隠す。どうせ、その女は悪女だから、友哉さんが傷ついて戻ってきたら、またさっと彼女に戻る」
と言い、笑みを零した。悟っている様子だった。しかし、この言葉も彼女のことだから三日くらいしたら変わってくるのだろう、と友哉は思い、真面目に聞いていなかった。
「そうか。もういいよ。けっこう喋ったな。また今度にしよう」
「嫌いになった?」

 好きにならなくていいんだ、と言っていて、嫌いになられるのは困るらしい。友哉は、女の子特有のそんな駆け引きに食傷している年齢だった。惚れられるのは悪くないが、その女もある日突然、いなくなるものだ。バレンタインのチョコを渡しておいて、その数日後にいなくなる。そんな経験も二度、三度とあった。だから、「好きだ。好きだ」と、さかんに言われてもそれほどときめかない。しかし、
lineわたしを信じて、には参ったな。
 あなたを好きですも、愛していますも、それこそ信じることはないが、「わたしを信じて」と真剣に言った女は初めてだった。

 過去に何があったかは分からないが、彼女が悲観している男の子言葉などのコンプレックスはそれほど気にならないから、しばらく仕事もセックスも彼女の言うとおりにしていようと、思う。
 友哉は、タオルを使って顔を出したり見せたりしているゆう子の股間に手を入れていった。
「これでいいんだよね」
 冗談でもなく真剣でもなく、いつもの音楽が流れるように言うと、ゆう子は快楽の声を小さくもらしながら、「これでいいです。わたしはこれでいいです」と、敬語に変え、友哉に下半身を寄せていった。

第四話『本当の恋人、利恵』に続く。

 ゆう子の持っているAZでガーナラに関する記述を読むかぎり、それがないとごく普通の体力しかない人間だと思われた。
 友哉は、『ササキトキ 佐々木時』と記入し、トキが作った架空の住所と電話番号も記入し、それを受け付けに出した。友哉があらかじめ、その電話番号に電話をかけると、番号は使われていて、だが誰も出なかった。ただ、住所の場所は賃貸マンションだった。大家に訊ねたところ、佐々木時は住んでいることになっていて、だが友哉が見た日には誰かがいる気配はなかった。

 数分後に名前を呼ばれた友哉は、若くて質素な雰囲気の女性がいる窓口に向かった。『宮脇』と書かれた名札を胸に付けていた。
「何に使うか、ここに書いてください」
 綺麗なハスキーボイスだった。鳴き過ぎた子猫のような声。彼女は別の用紙を友哉に渡し、その場で記入するように言った。
 税金。と嘘を書く。

 その時、奥に座っていた中年の男性社員が慌ただしく駆け寄ってきて、「ササキ様。お金の用意ができるまで、応接室にきていただけませんか」と、テラーの宮脇の後ろから言った。
 友哉は少しだけ驚いたが想定内で、むしろ、テラーの宮脇がびっくりしている。まさに、見たことがない玩具に驚いた子猫のような目をした。
「いいですよ。この女性に案内してもらいたいな」
 深い意味はなかった。なんでもふっかけてやる、と事前に決めていた。

lineゆう子
 左手のリングを見て話しかける。
「はい。見てます。すばる銀行の友哉さん」
 すぐに返答がきた。通信の反応が早いが、病弱なお父さんの世話はしていないのだろうか、と友哉はふと思う。だが、気を取り直して、
「妙な奴はいないか」
と、真剣な口調で訊いた。
「レベルが高い人は銀行内にはいません。健全な銀行ですね」

「そうか。日本にはあんまり凶悪な人間はいないんだな」
「劣悪な女はいっぱいいます」
 また意味深なセリフを吐く。
 友哉は、ゆう子の哲学は聞かないふりをして、応接室までテラーの宮脇と一緒に歩いた。エレベーターの中で、この女はセックスに良さそうだ、と友哉は考えていたが、指輪を使って彼女を洗脳する気はなく、それをやるときは悪徳のレベルが高い女と決めていた。そう、ま

さに劣悪な女。金のためなら平気で男を騙し、ダメ押しをするかのように貶める。例えば芸能人と付き合って、そのセックスを週刊誌に売るような女なら、友哉は裏の世界に売ってもいいと思っていた。実際には売り方が分からないが、嫌いな女はとことん嫌いで、好きな女は世界の果てまで助けに行くほど好きなんだと、友哉は自己分析をしていた。マンションでゆう子にその話をすると、「さすがレベルが高い男は怖いなあ」と笑い、「そういう女と会う機会ももうないですよ。わたしがいるから」と目の奥を光らせて微笑した。

 自分をアピールする時には必ず艶めかしい顔つきになり、すぐに友哉の下半身に手を伸ばした。まるで、わたし以外の女はだめよ、と言っているかのようにペニスを触る手に力を入れてくる。阿部定事件のことがあり、日本人男性が怖がる女だが、ゆう子の場合、少し睨み付けると、あっという間に蛇に睨まれた蛙のようになってしまうから、怖さはなかった。
 友哉はテラーの宮脇が自分をじっと見てるのが気になり、
「隣に女がいる。レベルは?」
と、ゆう子に訊く。

「レベル2です。悪そうですね。かわいいですか。まだ防犯カメラに侵入できてないから、画像をください」
「普通だよ。レベル2? そうは見えないな。誰かさんと違って大人しい感じだ」
「あなたにはお喋りな女がいいってトキさんの判断なんだから、我慢してくれますか。で、なんで一緒に歩いてんのよ」
 やはり嫉妬深いのか。友哉は首を傾げながら、カメラ機能も備わったリングが撮影した静止画を送ると、「ほんとにかわいい! しかも細っ」と、ゆう子は叫んだ。

 応接室に入ると、中年太りをしている社長が迎えてくれた。貫禄はあるが佞姦な表情を見せていて、その額に汗をかいていた。冷房が効いている応接室は暑くはない。
 友哉は革が張られた高級ソファに落ち着きを見せながら座ったが、それは芝居で徐々に緊張してきた。
line嫌な予感がする。俺の人生ではこういう展開はまずいことが起こる
と、少々、自虐的に人生を振り返る。
 他人やそして友人にまで利用されてきた人生。もし、友人に悪意がなくてもその相手は『無責任』だった。

lineトキって奴はどこか無責任だからな。
 彼が言っていた、使いの者がやってくる気配もない。
lineここで金のトラブルがあったら、俺が自分で頑張るのか。金を捻出したトキかトキの仲間のサポートはないのか。一億円だけでいいから早く受け取って、逃げたいんだがdots
 頑張って、大物感を出そうとしていたが、友哉は焦りを実感していた。ワルシャワのレストランの時と同じ感覚だ。
「ササキトキさんですか。本当にササキトキさんですか」

 社長の富澤は、しつこかった。名刺はあるのか、どこの大学の出身なのか、矢継ぎ早に質問された。
「ササキトキならなんだっていうんですか」
「ジェイソン氏とはどのようなdots。あ、君は帰っていい」
と、宮脇を応接室から出そうとしたが、「この子にはいてもらいたい」と、友哉は駄々をこねてみた。
line女の子がいるとかっこつけられるからな。
 ちらりと宮脇を見ると、横に座っている彼女と目があった。

 まるで一目惚れをしたかのように、友哉を見ていた。瞳が輝いていて、嬉しいのか楽しいのか笑顔を隠すのに必死だ。口を両手で覆ったままだ。
lineなんなんだろう、この子。美人じゃなければ気持ち悪いぞ。
 ふざけた感想を頭の中で作ると、少し緊張感が解けた。
 富澤は、すんなりと若い女子社員が応接室にいることを了承し、さらに秘書の女性が、香りの強いホットコーヒーを運んできたら、その女性も応接室にとどまるように気を遣う。
 ゆう子の声が頭の中に聞こえた。

「応接室の防犯カメラに侵入できました。女がまた増えた」
「社長の秘書だ。俺が女好きだと思ったようで、頼めば銀座に接待してくれそうだ。すまんが頼みがある。以前にこの銀行の系列のすばる証券で株を買っていた。後場の少し前に激しく一定の銘柄が動いて、その銘柄を買うと必ずその日に損をした。空白がないか調べてほしい。できるか」
「空白?」
「一般の人がお金を入れられない時間だ」

「介護を頑張ってって送りだしておいて。わかりました。できたらね」
 ゆう子はやる気のない声柄で言った。
「ジェイソン氏の秘書からお話は聞きました」
「じゃあ、本当に三百億円あるんだね」
 ジェイソンとは、死んだ資産家の名前だ。三百億円の遺産を譲り受けた日本人のことは財界でも話題になったようだ。
 ゆう子から連絡が入った。
「三百億円ありました。ササキトキ名義です。友哉さんがその銀行に入ったら、システム全体に侵入できた。空白の時間もあったよ。でも、一秒くらいかな。午前十一時五十九分から一秒」

「分かった。三百億円の一部をその時間に移動させて、株の利益も非課税にするんだ」
「なるほど、やっぱり悪い人ですね」
「父親の介護ですまないがね。応接室にいる人たちに殺意がないのに銀行の防犯カメラに侵入できたなら、俺が危険なのか、銀行そのものが悪いんじゃないの?」
「え? あ、そうか」
「頼むよ、本当に。この社長は?」
「レベル2です」

「社長のわりには度胸が無さそうに見えるし、暴力団にでも脅されてるのかなあ」
 友哉は、コーヒーを飲みながら、
「俺のお金は? 銀座で洋服を買いたいから早くして」
と富澤に訊いた。
「大金のようなので、少々お待ちください」
「大金? たった一億円ですよ。ここは田舎の地方銀行ですか」
「いやあ、参った。すぐに持って来させます」

 社長の富澤が、落ち着きなく秘書に視線を投じると、彼女は部屋から駆け足で出ていった。
「友哉さん」
 ゆう子が話しかけてきた。
「銀行に向かって猛スピードでやってくる車が二台。信号を無視しているから警察車両だと思います」
「そうか、道理でdots。社長さんが落ち着きがないのは、通報したのか」
「運転している男を含めて六人。あ、ちょっと銀行から離れた場所に停まって車から出ました。向かったのは四人。逃げますか」
「うーんdots

dotsやっぱりすんなりいかないか。逃げたらお金が手に入らないかも知れない。ワルシャワの件は知らないだろうから、架空口座の疑いで逮捕するのだろうか。
 友哉は、本当にどうしていいのか分からなくて首を傾げてしまった。
lineち、ワルシャワのレストランの時と同じか。判断力がなくなったんだ。こうしているうちに、トラブルに巻き込まれるんだ。それでいいと思ってしまうしdots
 肩を落としていると、

「もうすぐ、彼らが銀行に入ります」
とゆう子が言い、
「友哉さん、トキさんが言ってた友哉さんと違うなあ」
と、独り言のように呟いた。
「何が?」
「もっとすごい男の人だってニュアンスだった」
「まさにニュアンスだろ」

「PTSDは気にしないけど」
「PTSDじゃない」
「ちょっと幻滅かな。警察が来るって言ったら、目がオドオドしている。わたしがワルシャワのホテルで迫った時と一緒。ほんと、怖がりなんだね」
「父親の介護がしんどくて不機嫌か。八つ当たりしないでくれ」
lineくそう。どいつもこいつも人を昔と違うってうるさい。昔にひどいめに遭ってきたから、変わりたいと思っているのに。

 友哉はテラーの宮脇の肩に付いていた糸くずを払った。その時、リングが緑色に光った。
「早退の準備をして、僕の車の横か中で待っていてくれないか。特別色の朱色のポルシェだ」
 ポルシェのキーを出すと、彼女はさっと受け取り、「はい」と微笑んだ。
 そして足早に部屋から出ていく。富澤がびっくりして、部屋から出ていく彼女の背中を見ていた。
「新手のナンパだ!」
 ゆう子が叫んだ。友哉は頭が割れるかと思い、

「うるさい。おまえが悪くなれってそそのかしたんだ」
と友哉も怒った。しかし、ゆう子は「そういうことをしろって言ったんじゃない」と言い返す。
「彼女が危ないから外に出したんだ。レベル2がどの程度の悪女か知らないから、話もしてみたい。それに社長からも目をかけられている美女だ。銀行に一人、仲間がいた方がいいよ」
「仲間なら、若くて美人じゃなくていいでしょうに」

「若い女の子なら万が一の時に役に立つんだろ」
「四十歳ほどの熟女は嫌なのか」
「彼女がずっと俺をジロジロ見ていた」
「もてますねえ。それに今の光は何よ」
「知らない。トキが、困った時、女を口説くために頭全体に向けて、光を放てって言ってた」
「へえ。トキさんがそんな悪いことを言うの?」

「彼はそんな不道徳な言葉は作らない。危険な場所で言うことを聞かない女性とかを大人しくさせるのに有効で、ナンパにも使えるらしいけど、俺はナンパをしないって言っておいた」
「今した」
「テロリズム性を抑制し、女性ホルモンを活性化させ、老廃物は積極的に体から排泄。彼女は今頃、トイレかも知れない。それでさらに気分が高揚して、楽しい気持ちにもなる光」
「若々しくもなって、女が濡れるってことね。後で調べよう」

「そうそう、気持ちを切り替えてくれないか。真面目にね」
「はい。もうすぐ部屋にお巡りさんたちが到着します。最後に入ってくる男がレベル3です」
「レベル3?」
「友哉さんみたいに性格が悪くて、女の子を平気で泣かす男のこと」
「気持ち切り替えてないね」
 冗談を言っている暇はないのに、宮脇という女子銀行員を光の力で好意を持たせた事に、本当に怒っているようだった。

「真面目にやらないなら、そこの窓から逃げる」
「あらあら、逃げ方はワイルドなのね。レベル4なら人殺しの過去があるとか詐欺の常習犯とか。5はサイコパス。人を殺すことをなんとも思わない奴。レベル3はその人間を調査した時に誰かと争っていた。恋愛の泥仕合とかも含めてね。または脳が異常に興奮していた。だけど実際は凶悪な前科がなくて判断ができないもの」

「調査? リングのレーダーやカメラで見てるんじゃないのか」
「リングは目の前の人間の反応を見るんですよ。レベル1の人でも豹変することもあるでしょ。もうお巡りさん、入ってきますよ。レベル3の人は友哉さんが見てどうするか判断するの。トキさん、あなたに丸投げが多いね」
「そうだよ。仕事を与えておいて無責任だ。俺に人を裁く裁かないを任せるのか。俺が子供の頃になりたくなかった職業が裁判官だ」
「丸投げ、丸投げ」
 歌を口遊むように喋っている。

「頼むよ。逮捕されそうなのに」
「やっつけちゃっていいよ。無理だと思うけど」
 ゆう子がそう言い終わらないうちに、応接室の扉が荒々しく開けられ、背広姿の男たちがゾロゾロと入室してきた。
 最後に、浅黒い顔をした背の高い男が入ってきて、「富澤社長、お久しぶりです」と言うが、頭を下げる様子はなかった。
 友哉がソファに座ったままでいると、最後に入ってきたレベル3のその男が、

「三百億円じゃ、国家は揺るがないでしょ」
「それにあなたは、ササキトキに似ていない」
「ササキトキと会ったことがあるのか」
「防犯カメラに写っていたササキトキさんは違う顔だと言ってるのですよ」
 そんな初歩的なミスをしているのか、あの未来の兄ちゃん、と、ゆう子に言うと、苦笑いとともに、
「宇宙人もよく写真に撮られるしね」

 センスのあるジョークで、ゆう子はトキを擁護した。そして、
「警察官が四人もドアを塞ぐようにして立っている。怖くないですか」
と訊いた。
「怖がったら、君が怒るんじゃないのか。さっきからそう説教されている」
 友哉が、体を大きく見せながら立ち上がった。荒々しく威圧的だった。
「なんだ?」
 友哉に近づこうとした桜井真一が目を丸めた。

 身長は175センチだが、ほどよく付いた筋肉は、夏のせいで日焼けしていて磨かれた銅のような艶があり、いかにもバネがありそうだった。半袖のサマーセーターからは友哉の肌が露出していて、宮脇がその腕に見惚れているのを、友哉は応接室までの間に確認していた。トキからもらった筋肉ではなく、以前からそれなりに鍛えていた。
「先日、ワルシャワで起きた謎のテロリスト殺人事件」
 芝居がかった大きな声で友哉は言った。
「逃げた日本人、あれは俺だ」

 自らを嗤うと、桜井を囲んで立っていた部下たちがざわつく。
「え? なに自分で言っちゃってんの?」
 ゆう子が叫んだ。
 さらに友哉の手にはいつのまにか拳銃が握られていて、彼らはそれにまた驚いた。銃口はまっすぐ桜井の胸に向かっていて、その距離も一メートルほどだ。
「誰なんだ、あんた。こんなことをして、ただで済むと思っているのか」
 思わず後退りをした桜井の声は震えていた。部下たちは硬直し、動けなかった。
ゆう子が、

「ほんと、しかも豹変しないでほしい」
と呆れ返っていた。
「せめてわたしが出したファーストクラス代とホテル代をdots
「リングが赤く光ってるんだ」
「あ、本当だ。その警官たちに殺意があるってこと?」
「同行を拒否したら銃を使う予定だったのかもしれない。それかこいつが俺にたった今、殺意を持ったんだ」

 桜井真一を睨みながら、ゆう子に伝えた。
「四人のうちの誰かが異常に怒ったのね。位置情報を入力してなかった。介護だからってサボり過ぎです。すみません。すぐに転送の準備をします。間に合わなかったら、自分ではっきりと想像できる場所に移動してください。下に置いたポルシェの座席とか」
 友哉は、ゆう子の指示を聞きながら、桜井真一に話を続けていた。

「架空じゃないんだ。海外にいるササキトキさんから頼まれた。いや、譲られた。だから凍結とかすんなよ。そこの狸の置物、おまえもだ。今すぐ一億円を俺の車に持っていって、宮脇さんに渡しておけ」と富澤社長にも毒づく。
「わ、分かりました」
 富澤が手を震わせながら、内線の電話を回した。
「血まみれのワルシャワの街に比べて、ここはまるで美術館みたいに静かだ。観葉植物まである。銃声も聞こえない。亡くなった人の悲鳴も」

 友哉が、奇妙な脅し方をすると、
「早く、お金を持って佐々木様の車に行け! 宮脇くんに渡すんだ!」
と、富澤が誰かに怒鳴った。
 ゆう子は驚いていた。
lineわたしにバカにされたら怒った。しかも彼のダークレベルはそのままだ。怒ってないのか。脅しているけど、殺意もない? まさかこれで平常心? あ、脈拍が下がってる。わたしの意地悪で100を超えていたのに、70になっている。なんなのこのひとdots

「じゃあ、おまえは誰だ」
「ササキトキの友達だ。テロリストをやっつけてくれたお礼の寄付金をササキトキとジェイソン氏から受け取った。だから非課税にしてもらいたい」
「なに言ってんだ、おまえ。この世の幸せと成功を独り占めしたような面で」
 桜井が手を上げている拳を握って、その手を震わせた。
「幸せにはなっていないが、テロリストを殺したのは世界レベルの大成功だ。分かるか、蛙の顔をした刑事さん。おい、狸の置物!」

 また急に怒鳴った。まるで雷が轟いたようだった。富澤が腰を抜かしたのか、受話器を持ったまま座り込んだ。
lineすごい。傍で見たい。そしてこの刑事たちがいなくなったら、彼はどう変わるのか。それも見たい。
 ゆう子は、防犯カメラの映像を見ながら女の体の奥が熱くなっているのが分かった。数日前に優しく抱いてくれていた男が、巨悪権力と戦っていて、しかも優勢になっている。また、自分の理想の男性像を見せつけられた。偽善が大嫌いな自分の代わりに奴らをやっつけようとしている。そう、恋をした男性がdots

「名前を覚えるのが苦手でね。狸の置物、あんた、通報したね。俺のお金を俺が自由に引き出せるように、その口座を開放したままにしておけ。ササキトキ名義のカードでの引き出しを無制限に。本当は痛い目にあわせるところだが、口止め料として五億円差し上げますよ。蛙の顔をした公安のあんたには三億円。部下には一人、一億円。どうですか。それですべて見なかったことに」
 富澤がさかんに頷いた。殺されるどころか逆に五億円をもらえるなら、誰でも了解する。桜井が、

「蛙の顔と言われただけで三億円か。それは嬉しい。俺の人生に初めて幸運の女神がやってきたか」
と笑った。
「俺は男」
「この辺りに天使みたいに舞い下りてるんだ」
 桜井は両手を挙げている頭のあたりを指差した。そして、
「そんなことはできないが、考えてもいいぞ」
と、どこか苦渋の決断を迫られているような顔で言った。

「答えの意味がわからない。そんなことはできないが考える? どっちなんだ」
「俺の判断ではどうにもできないが、この場を見逃してやってもいいってことだ」
「立場を弁えろよ。見逃してやる? 一瞬であの世に行くか、三億円もらって退散し、二度と俺に付きまとわないかどっちだ」
 防犯カメラで様子を、そしてリングの通信で会話を聞いているゆう子は、これがトキさんが絶賛している彼の眠っている才能なのか、と分かった。しかしdots

lineスイッチが入ると、こんなに饒舌になって行動力も増すのか。どこかで訓練していたんじゃないか。まるで映画に出てくる諜報員だ。
と疑う。
「早く決めないと、システムがダウンしている間に、金をどこかに移動させてしまうぞ」
「システムがダウン?」
 桜井真一がまた目を大きく見開いた。
「この銀行は午前十一時五十九分に、システムが一秒ダウンする。約二十分後だ。俺の秘書がその隙に、三百億円をどこかに移動させる。探すのに苦労するぞ。いいのか」

 ゆう子が、
「さっきの件ね。でもわたし、そんなことできないよ」
と声を上げた。「はったりだ」と友哉が口の中で呟き、ゆう子に言う。
「本当か。富澤さん」
 桜井が、富澤社長を見た。富澤は答えない。
「本当なら、大変な問題だ。汚い金がその一秒の間に洗浄されているってことだぞ。おまえはハッカーだったのか」
 桜井が友哉を見て言う。
「違うよ。株投資を趣味にしてるんだ。おい、動くな」

 富澤の方に体を向けた桜井の部下を軽くいさめる。
「おまえら動かない方がいい。こいつは本物だ。ワルシャワの奴ならやられるぞ」
「桜井警部補、それは大変な情報です。クスリを売ったマフィアの金が侵入しているかもしれません」
 桜井の部下が手を上げたまま、唸った。
「どうする? おまえたちの合わせて六億円もなし。俺は逃げて捕まらない。CIAが守ってくれている」
lineまた嘘、吐いた。

 ゆう子がため息を吐く。
「確かに、奴が殺したのは潜伏先が分からなかった、元アルカイダのメンバーですから」
 部下が、桜井に耳打ちする。
「この社長はきっと地下組織のような奴らに脅されている。五億円はそいつらに渡して手を引くんだな」
「は、はい。ありがとうございます」
 友哉の言葉に富澤が大きく頷く。
 しかし、桜井真一が、

「だからと言って、おまえたちをdotsおまえを見逃すわけじゃないぞ」
と友哉を睨んだ。
「皆で口裏を合わせて終わりにしよう。ササキトキの金は本当に寄付金。実は俺は不治の病にも犯されているから、同情された。だが、コンマ数秒の間にすばる銀行とすばる証券を行き来している金は、麻薬か政治が絡んでいるぞ」
 友哉のその台詞を聞いたゆう子が、目を剥いた。

line口裏を合わせる? なんて汚い言葉を使うんだ。刑事ドラマじゃないんだから。さすがレベル2だ
 ゆう子はAZを使い、友哉の性格を調べていた。またアンロック方式なのか、新たな記述が出てくる。
lineこれか。友哉様はゾーンが通常の人間の数倍以上だったが事故のショックで失っている。ゾーン…究極の集中力。天才将棋士、天才作家、天才音楽家、世界一のトップアスリート、戦場から生きて帰ってくる兵士などが持っているもの

dotsまあ、小説家だもんな。あんまり面白くない答え。
line友哉さんって性格が悪いと思う? ちょっと怖いよ。
とAZに訊いてみる。
【誰と比較するのか答えよ】
linedots。か、勝てない。たかがテキストに。絶対Ai入ってんだろ。
確信するように思い、AZを一瞥した。
「わかった。いったん、金で解決しよう。じゃあ、三億円出せよ」
 両手を少し下げて、相手をなだめるポーズを見せた桜井は、殺気立ってきた部下を制止するように一歩、前に出た。

「動くなって」
 友哉が引き金を引くと、桜井の肩をかすめた赤い閃光が、応接室の観葉植物に命中した。しかし、葉は燃えることも落ちることもなかった。
 PPKから弾丸ではなくレーザー光線のような光が出たのを見た桜井が、
「玩具か」
と言うと、部下の一人が友哉に飛びつこうとした。だがその部下は足を撃たれて床に転がった。床に真っ赤な血が飛び散っていた。
「大輔! おい、おまえら、やめろ!」

「おまえはさらに一億円。勇敢だった」
 友哉はまるでゲームで遊んでいるような顔で笑った。稚気を見せていたのだ。そして突然、
「お喋りは楽しいな!」
と叫んで、ゆう子と桜井たちを仰天させた。そして、またPPKを桜井の顔面に向けた。
lineお喋りが楽しい? しかも撃った。いや、わたしが煽ったのか。
 ゆう子はまさに絶句していた。口に出す事ができず、頭の中で考えていた。支離滅裂だと不意に思うが、AZの数値に興奮や悪意は一切出てこない。

 刑事たち、つまり敵を混乱させるための芝居。封印している本性なのか。それともわたしが「やれ」と言ったから頑張っているのだろうか。いや、頑張ればできるものではない。なら、ものすごい二面性だ。だって、わたしにはとても優しく接している。過去の友人たちにもdots

『テロリストも父親だから』
『そのAV女優と真面目に付き合うつもりだった』
『君には自尊心はないのか』
『奥原さんがいいんだ。病院で待ち伏せしてくれたらよかったのに』
『昨夜はありがとう。俺はアウシュビッツに行く』
『トキはいい奴だ。悩んでいた』
lineまるで愛の魂が飛び交うこれらの言葉がなければ、今、わたしは濡れてない。怖いだけだ。そして、彼のこの冷静な怒り。冷静な情熱に惚れこんだ女が一人いたdots

 彼が名を口に出来ないほど、愛し合って別れた女dotsもうこの世にいないかも知れないdots

 水着の写真の女dots。北の温泉旅館の女。

 恐らく同一人物dots

 部下を撃たれた桜井真一が観念したように、
「わかった。なんの銃か分からないが本気みたいだな。三億円で手をうつ。おまえら、佐々木時はいなかったことにしよう。ワルシャワの日本人は本当にこいつだ。日本人に見えるが、どこかの国の諜報員だ。殺されたらたまらん」

と言った。桜井の部下の若者三人が思わず頷いた。友哉が太ももから血を流している若い刑事に、
「君が悪党じゃなければ死ぬことはない。そういう銃だ」
と言って、
「じゃあ、社長さん。俺の口座から、彼らにお金を振り込んでおいてくれ。あとで、お金が入ってないから、また逮捕しにきたって、蛙の顔から言われたら困るから、一両日中に。そうしないと、警視庁の偉い人に…言っても無駄か。実はこの様子は録画しているから、ネットに拡散する。もちろん、俺の顔にはモザイクをかけてね」

と言った。
「録画?」
「優秀なアシスタントが防犯カメラから録画している」
 思わず防犯カメラを見る桜井。
lineうわ、本当に蛙のような顔だ。
とゆう子が笑った。
 友哉はリングをちらりと見て、
「こういうことがあるから、五十億じゃ足りないんだよ」
と笑った。ゆう子はその話をスルーして、

「どこに転送しますか。彼女のいるポルシェ? そこから銀行の駐車場のポルシェの中なら、回復まで十二秒。仮眠はなし」
「口止めにはそれがいい。五秒後に頼む。では社長さん、桜井さん、僕をマークしている政治家の人たちによろしく」
 友哉が忽然と消えたのを見て、富澤と部下たちは腰を抜かしたのか、大きく体を揺らした。桜井は口をだらしなく開けたまま、声も出せなかった。

 ポルシェの助手席に、テラーの宮脇が座っていた。そこに突然、友哉が現れたが、よそ見をしていた彼女は、友哉が普通に乗り込んできたと錯覚したようだった。
 うっとりした目で、友哉を見て、
「お金が目当てじゃないです」
と微笑んだ。膝の上に友哉の鞄があって、抱かえるように持っていた。顔を俯けるとセミロングヘアが揺れて鞄を隠す。
 すごい威力だな、惚れる光dots

 初めて試してみたが、効果は絶大のようだ。レベル2なら適当に抱いてしまってかまわないと、ふと考えたが、レベル2の女の具体的な悪行はなんだろうか、と思わず首を傾げてしまった。ちなみに、ゆう子は1である
「名前は?」
「宮脇利恵です。利恵の利は利用の利」
と微笑んだ。
「おっと怖いね。すまないけど、車が狭いからそれは膝の上に置いておいてくれないかな。お礼にお茶を奢る。その後、家まで送ろう」

 車は、銀座界隈にあるモンドクラッセ東京に向かった。ボーダーの長袖のシャツに白いパンツスタイルの利恵は、「もっとお洒落をして出勤するべきですね」と、下を向いた。確かに、何も考えずに家から出て、電車に飛び乗ったような出で立ちだ。
「困った時は銀行のあの制服にすればいいよ。男は皆、制服が好きだから」
 ちょっとオヤジ臭いジョークを言うと、
line変態。
と言ったのは、ゆう子だった。

「監視はいいが、通信は切る。父親の世話をしていなさい」
 頭の中でゆう子にそう告げると、彼女は「はい」と言って通信は終わった。
 少し叱ると、聞き分けのよい子供のようになるのはかわいいが、ゆう子のその態度に友哉は胸騒ぎがしていた。
 ゆう子もトキが持っているリングの力で洗脳されて、俺に惚れているだけじゃないか。
と。
 さかんにセックスを求めること。挫けないこと。嫉妬深いこと。聞き分けのいいこと。

 まさにクスリや催眠術を使った恋ではないか。
 友哉は、もしそうだったらそれはまるでレイプだと、急に血の気が引くような感覚に苛まれた。
 一緒にいた十日間のストレスも、また違うストレスだった。ようやく女優、奥原ゆう子に慣れてきたセックスは楽しくて、そう、まさにときめいたのに、なのに、秘書なのかセフレなのか彼女なのか、二日毎に自分たちの関係を勝手に変え、すぐにリセットしてまた元に戻す。そんな彼女にストレスを感じた。

「高級交際倶楽部の女の方が疲れない」 
 友哉が声に出してしまうと、宮脇利恵が、「なんの話ですか。でも、銀行にいた時から、ずっと女の人のことで悩んでましたね」と、鋭く突っ込んできた。
「なんで分かるの?」
「ブツブツ喋ってましたよ。Bluetoothを使った電話? 海外からやってきたイーサンハントみたいな男の方だから、そんなこともするのかなって」
 有名なスパイ映画の英雄の名前を言った。ゆう子との通信を友哉は、頭の中だけで行う技術が習得できなくて、ずっと口の中でブツブツ呟いているのだ。

 モンドクラッセ東京のカジュアルフレンチレストランに入った友哉と利恵は、サンドイッチとスープを注文し、お互いの自己紹介をした。友哉は、「ビジネスコンサルティングの仕事で世界中を飛び回っている」と教えた。小説家の仕事は交通事故になってからずっと休業していた。女優業を休んでいるゆう子と同じだった。
 宮脇利恵は二十五歳。モデル風のほっそりとしたスタイルをしているが、しかし日本的な目鼻立ちだ。浴衣が似合いそうで、東北地方に多そうな薄い顔である。彫が深いゆう子とは違う顔立ちだ。身長は160センチほどある。ゆう子は156センチだった。

 彼女も一人っ子だった。少子化は深刻だと、友哉は苦笑いをした。
「君に頼みがあるんだ。まず、僕と友達になったことを同僚の人たちに喋ってほしい。それから、僕がある女性と噂になった時に、その女性とはなんの関係もないことを証明するために、僕とデートをしてほしい。大人の恋をしよう」
 そんなことを喋りながら、友哉は彼女を見ながらなんとなく、首を傾げた。
line妙に親近感が沸く女だな。すらすら口説き文句が出てしまう。

 何を頼まれているのかさっぱり分からないのか、利恵は言葉を失っていた。だが、友哉に与えられた「惚れる光」が拒否をさせないのか、分からないまま頷いている。
lineさて、仕事だ。ここでdots
 友哉は、またリングをはめている左手を利恵の手の近くに置いた。テーブルに置かれたニンジンジュースのコップを持っている利恵に手を伸ばした形だ。
「なんですか」
「キレイな指だね。ネイルも薄いピンクで清潔感がある」

 友哉のリングが蛍のように緑色に光り、だがそれは利恵には見えない。友哉は、応接室で利恵に使った「惚れる光」の効果を解除したのだった。
『同じ光を短い時間に連続して使用すると、体に有害だと判断し、リングが自動的にその光の効果を解除する光を照射します』
とトキからの説明があった。避妊の解除のやり方なら、続けて避妊をするように光を脳内に向ければよいのだ。
 利恵は首を傾げた後、

「応接室に連れて行ったり、すごいナンパdots。まさか、わたしとお付き合いしてくれるんですか」
と言う。猫のような声質だが、声のボリュームは一定している。ゆう子とは違い、落ち着いた美女だった。
「あれれ?」
 友哉の方は思わず、とんきょうな声を出してしまった。
「なんですか」
「いやdotsうん。歳の差があるけれどdots

「おいくつですか」
「四十五歳」
「とっても若く見えます。だから平気」
 変わった言い切り調で喋る宮脇利恵は、とても清潔感のある美女で、また友哉は見惚れてしまっていた。黒髪に天使の輪ができている。服装が地味なのは慌てたのではなく、ファッションを楽しむお金がないのかと分かる。
「彼氏はいないの?」
「いません。けっこう、長く」
「なに?」

 友哉は思わず利恵をじっと見た。
「な、なんですか」
「いや、なんでもない」
 良い歳をして胸が高鳴った。
line何年くらい彼氏がいないのだろうか。こんなに美人なのに。銀行なら若い男子社員もいっぱいいるじゃないか。
 友哉の理想だった。恋愛依存症のように男を乗り換えていかない女が。

 男を作って蒸発した母。少年時代のその苦しみで、そんな女を警戒してた。大人になってから付き合った女たちも、別れそうになったらすでに、次の男を用意していて、言い寄ってきた女は、前の男と別れてから一か月も経っていない。前の妻の律子も、いい歳をしてもう男がいる。
line男がいないと友達に負けていると思うのか、セックスしてないと寂しいのか、元彼への当てつけか、イベントが近づくと無理をするのか知らないが、勉強はしてるのか。学校を出てから、一冊も本を読んでないんじゃないか。

 小説家らしい怒りで、友哉は、そんな女たちを軽蔑してきた。AV女優の菜々子(奈那子)は、有名俳優のセフレをやっていて、本当の彼氏はずっといなかった。
『職業柄、そういう男しか言い寄ってこないんだ。最初はそれが彼氏だと思っていたけど、単に遊ばれてるだけだった。結婚してって言うとさっといなくなるからね』と自虐的に笑っていた。友哉はそれを聞き、『じゃあ、俺がきちんと付き合うよ』と言おうしたが、彼女はそのカミングアウトをすると、翌日にいなくなっていた。

 ちょうど、ディズニーシーの彼女と別れた後、事故に遭う間の出来事だ。友哉も、奈那子とセックス三昧だった事を反省し、デートのプランを一晩中考えていて、寝落ちしたら、朝、彼女はいなくなっていた。財布からお金がなくなっていて、『十分、わたしの体で遊んだでしょ』とメモが机の上に置いてあった。
 友哉は、まさに微笑みを絶やさない利恵を見ながら、
「こ、こっちから頼みたいくらいだ。大事にするよ」
と言う。声が上擦ってしまうほどだ。

lineゆう子に出会った時よりも動揺してしまっている。なんなんだ、俺は。dotsいや、この女の子は。そう、まるで、
dotsずっと以前から知っているみたいだ。
「よかった。変なことを言っちゃったのかと思った」
 彼女は喜色満面になって、連絡先を名刺の裏に書いた。そして、彼女も、
「どこかで会ったことがありますか」
と訊いてきた。友哉がびっくりして答えないでいると、

「とってもすんなり。懐かしい感じ。でも、ポルシェに乗ったら、あ、違うなって。こんなカッコいい大人の男性、知らないから」
と笑った。
「すまん。変なおじさんだと思って、もう一度、手を握らせてくれないかな」
「はあdotsはい」
 利恵はそれほど嫌な顔はせずに、手を前に出した。友哉は、また光を彼女の頭全体に向かうようにリングに指示する。リングがすぐに緑色に光る。すると利恵はテンションを上げて、
「なんかドキドキします」

と言って、はにかんだ。友哉に興味津々の顔をし、
「このホテルはよく来るんですか」
と目を輝かせた。
lineきっかけを作るだけの効果か。または気持ちを高ぶらせる効果か。仕方ない。大事なことだから、ゆう子に訊くか。
lineゆう子
 利恵には気づかれないように、通信を試みる。

「はい。モンドクラッセの友哉さん」
 位置は見ているようだ。
「女をモノにするこの光の効果はどの程度かAZで調べられるか。もし、彼女と寝ることになったらまるでレイプだ」
「寝なきゃいいじゃん」
 その通りだった。
「ごもっともです。ごめんなさい」

「調べるよ。どんな子か知らないけど、やっちゃえば? 女は誰でもやりたいんだよ。セックスしたいのに、したらしてないような顔をする。特技は被害者面。男の人よりもはるかに汚いよ」
 同性嫌いをあからさまにしたが、母親との確執が根深いようで、友哉はスルーをする。
「またスパイごっこですか。コンタクトがカメラになっていて、わたしを撮影してるとか」
 黙り込んでいる友哉にそう言う利恵。

 そういえば視力もトキに治してもらったのだった。
「コンタクトはしてないよ。視力がいいと、見たくないものまで見えるから疲れるね」
「見たくないものって?」
「汚い女のパンチラかな」
「女は汚いですか」
「スパイごっこの仲間がそう言ってた」

「彼女?」
「仕事の秘書だよ」
と言うと、「秘書からの報告があります」と、ゆう子が割り込んできた。
「びっくりした。それがマリー」
「マリー? ああ、仲介するやつか」
「うん。例えば、友哉さんを嫌っている女性を自分に惚れさせることはできなくて、ある程度興味を持っている女性、または友哉さんを好きな女性をより好きにする効果を発揮する『マリー』って名前の光です。

ガーナラとセットの特別な光だって。元カノのような女がまだ友哉さんを想っていたら、復縁に導けるきっかけが作れる。だけど嫌われていたらだめ。ようは友哉さんを大嫌いだったらだめ。まったく無関心でもだめで、少しでも友哉さんに好意を持っていたら効く。つまんないことでの離縁を減らすために使われている『光』だそうです。仲介の意味はまだ出てこない」

「トキがまた熟語を間違えたんじゃないか。仲介って不動産屋みたいだ」
「セックスをさせないための光とも書いてあるんだ。なんか矛盾してる」
「ん?」
「女が男に惚れる光なのに、男性のセックスを抑制させる効果とか書いてある。意味が分からない」
「俺にもさっぱりだ」
「うん。ちょっと口の悪いことを言うと、その力を使っても律子さんは無理だと思うから、その子をものにしてください」
「相当ひどいことを口にしたぞ」

 別れた妻との仲直りを少なからず願っていた友哉はがっかりしたが、すぐに気を取り直して、
「もう律子はあきらめたから、名前を出さないでくれ」
と言った。別れた女の名前を出されることを友哉は嫌い、トキにも、ディズニシーの女の名前を言うなと毒づいた。
「はい。それはよかった。わたしは耐える女なんで、どうぞその銀行員と楽しんでくださいね」
 ゆう子は嫌味を言ってから通信を切った。

dots今度は耐える女ときたもんだ。
 友哉は、ゆう子の恋愛の駆け引きがもうどうでもよくなり、いったん、ゆう子のことは忘れて、利恵と仲良くなれるように気持ちを切り替えた。
lineそれにしてもタイプだな。
 女優の奥原ゆう子をまじかで見てからは、「この女よりも美女はいない」と、自分も衝撃を受けたが、もとからの好みのタイプは目の前の宮脇利恵だった。尖った部分がどこにもない上品で柔らかい面。真っ白な頬。笑うと薄くなる唇。しかし、目はそれなりにぱっちりしていて、だが整形している様子もない適度な大きさだ。

 戦いに疲れた時に、女性がゆう子だけなのは心もとなかったから、銀行で利恵を見た時に、この子とは仲良くなれないだろうか、と、ふと思ったのだ。
「なんか着替えたいな。ホテルに似合わない。まっすぐ地下鉄で帰る予定がまさかこんな場所に来るなんて」
 利恵が自分の洋服を見ながら、情け無さそうな表情を作った。そしてチラリと、一億円が入っている鞄を見た。帰る気はなさそうだ。付き合うことになったからだろうか、と友哉は思った。

 場所は銀座。お洒落な洋服はどこでも売っている。
「いきなり付き合ってって、わたし変ですよね。田舎娘だから、都会を颯爽と歩いているあなたがカッコいいと思ってしまって。車が横浜ナンバーのオレンジのポルシェなんてびっくり」
「ああ、ポルシェは金がないのに間違えてローンで買ったんだ。そのうちに売るよ」
「そこに一億円あるじゃないですか」
 椅子の上にある大きめのビジネスバッグを見て、利恵は、思い切り失笑していた。
line忘れていた。あと銀行に二百九十九億円あるんだ。
 友哉も笑った。

「あ、お金が目当てじゃないですよ。でもあのポルシェはかっこいいな」
 正直にスポーツカーに憧れを見せる。理性が崩れそうなその笑顔に、隠し事がないように見えた。大地の香りがするニンジンジュースを口にし、ほんのりと唇を付けただけで「美味しい」と上品に言う。友哉はまた彼女の所作に釘付けになった。
「駅前とかで、ナンパされるのを待っていたわけじゃないんだから、こういう出会いは悪くないと思う。君の銀行からも近いし、ここを僕らの待ち合わせ場所にしよう。楽しいデートもしよう」
 ゆう子に言う前に拒否された言葉を、目の前の違う女に口にしてしまった。

 有名女優だからデートはできないとゆう子は言ったが、変装すればいいだけのこと。だが、誘える隙もないくらい、ゆう子は『普通の恋愛』を嫌がっている。
「嬉しい。会社からこんなに近いのに、あんまり来るお金がないから、悔しかったんだ。こんなに美味しいジュースがあるなんて。都会でいてお金がないと、逆に高級な場所は目障りなんです」
 利恵はとても美味しそうにサンドイッチも食べていた。
「コンビニのと違う」

 満面の笑みを作った。ゆう子のように口を大きく開けて笑うのではなく、少しはにかんで笑う。
「田舎から上京してきたの?」
「はい。茨城です」
 そんな感じがする。素朴さもあるし、物静かな様子は性格かも知れないが、美女なのに彼氏がいないのは、都会の喧騒に疲れているのかもしれない。しかし、
line女が男を乗り換えていくのはだめで、俺は今からそれをやるのか。

と、不意に道徳的な疑問が脳裏をよぎった。それでも、少しは良いことがあってもいいじゃないか、と開き直ってしまう。
 病院に運び込まれた時の医師たちの大混乱によるそのショックと編集者がきただけで、他に誰も見舞いに来なかった絶望感。思い出したくもない。だから、楽しみたいし、そして、
line休みたい。
 友哉にとって良いこととは、美しい女と仲良くなることや親友を作ることなのかもしれなかった。友哉自身、それがわからなかった。今は、ただ、ゆっくりしたいだけだった。なのに、トキが現われて、それが無理になった。しかし足は動くようになっていて、人生の方向性が定まらない。

「だけど、こんな高級ホテルに来る洋服があんまりないです」
 また、一億円が入った鞄を見るが、友哉にそれがばれていることには気づいてないようだ。
lineなるほど、いきなりおねだりか。美人らしく玉砕戦法か。お金をケチったらすぐにいなくなりそうだ。レベル2なのは、お金が好きだから?
 友哉は年甲斐もないときめきを少し無くしたが、宮脇利恵の知性的な目つき。子猫のような声の音色の笑い声、そしてほっそりとしていて乳房は目立つスタイル。華奢な肩の線。何もかも好みで、

 いや、この女になら、抱かせてもらった後、裏切られてもいいか。でも長く付き合いたい。
と思った。
 女にも男にも裏切られてきた。騙されてきた。
 真剣に生きていると、それを利用する人間が必ず近寄ってくる。子供の頃からそうだった。
 新聞配達のバイトを一緒にしようと、クラスメイトに言われて、その新聞店に行ったら、クラスメイトの友達はいなくて、自分が彼の身代わりだった。
「別の子供を連れてきたら、やめてもいいぞ」

 大人にそう言われたクラスメイトは、友哉を騙し、身代わりに差しだしたのだ。しかし、それから何十年も、友哉は友達や赤の他人までも信じ続けた。
 ようやく、それが間抜けな事だと気づいたのが、妻と離婚した時だから、四十四歳になってからだ。
 妻は、自分が交通事故で絶望している時に、「この機会に離婚する」と言った。
「娘が思春期だから、地元から引っ越しはしたくない。だから、あなたが出ていって」

 車椅子の自分の「いろんな世話をしているところも娘に見られたくない」とも言った。
「元々離婚する予定だったでしょ。たくさんの女と浮気をしていたから天罰よ」と吐き捨てたのだ。
「天罰?」
 友哉がびっくりした顔をすると、友哉の足を律子は見た。
「セックスレスの提案は君がしてきて、なのに女を作ったらだめなのか。まさか自分の手でやれ?」
「皆、そうなんじゃないの?」
「ふざけるな。それに今は誰とも付き合っていない」
「あらそう。それも天罰でしょ」

 離婚をして、病院の近くのマンションで一人暮らしをしていたら、意外と快適で、「一人の方が気楽だ」と友哉は開き直るように考えていた。泣いたこともなく、半ば本心だった。
lineそうか、人は孤独の方が気楽なんだ。
 つくづくそう思った。
 そんな時にトキが現れて、動かなくなった足を治してくれたが、友哉は歩けるようになっても、律子に会いに行っていない。「奇跡的に治った」と喜び勇んで帰っても、「それでもやり直せない」と言われるような気がした。ただ、娘には定期的に会いたかった。
律子が許してくれず、友哉は短期間に妻、娘、恋人から見捨てられた形になった。

しかもトキが現れるまで、足は動かなかった。
line女なんか死滅すればいいのに。
と、侮蔑したほどだった。
 一方、男は仕事以外では本心を話せず、特に、恋人や妻の惚気話は、その女に振られた時に恥ずかしくなり、軽蔑もされるから、男との会話も苦手だった。ただ、編集者に一人、気を許した男がいて、ディズニシーの女は、その編集者の娘だった。父親が公認した仲だったのだ。
line命をかけて愛せる女だと一時、考えていた。

 重いよな。それで女に嫌われるのか。
 セックスレスになってから、無理に触れないように気を遣った妻にも、結婚を約束したその編集者の娘にもふられた。
 しかし、ゆう子とそして今、宮脇利恵が現れて、「まさかもてるようになったのか」と、友哉は己を疑っていた。
line女はただの性欲処理の人形だと思うようにしたが、ゆう子も宮脇利恵も綺麗でかわいい。
 前言を撤回するように、利恵に見惚れていて、性欲処理って言葉は慎もうと思った。

 利恵が、
「カラオケとか行きたい人ですか?」
と唐突に訊いてきた。
「あまり興味ないよ。歌も下手だし。行きたいの?」
「いいえ」
「今ならお金があるから、このホテルのスパに行った方がいいと思うよ。または、山奥の川でメダカを探すとか」
「メダカですか。見てたらきっとかわいい」

 利恵はとても嬉しそうに笑っていた。
「西表島に行って、ヤマネコと会えるか。都会から天の川が見える場所までドライブに行って、急に曇ってきたからじゃあ、ペンションの部屋で語り明かすか抱き合うか。そんな特別なようでいて、実は簡単にできる遊び」
 利恵はずっとクスクス笑っていた。
「田舎での遊びは俺が最近やりたかったことだよ。ちょっと病気をしていたからね。オヤジ臭いか。じゃあ、どこか近場のdotsうーんdots

「アロマスパがいい。あ、でも本当はdots
「何か予定があったの?」
「実は今日、早退する予定だったの。もっと早く帰っちゃったけど、だから銀行の皆、きっと怒ってない」
 利恵はそう笑った後、
「パラリンピックの選手たちがアイドルの人たちとスポーツをするイベントの観戦チケットをもらったの。一枚で二名のだから一緒にも行けます」
と言った。鞄からそのチケットを出す。

「なんとなく、一緒に行ってくれる人が現われる気がして、待ってて正解」
 それでエレベーターの中でジロジロ見ていたのか、と友哉は思った。
「でも出逢いを予感した格好じゃないね」
「あ、ちょっとひどい」
ひどいと言いながら、やはり目を細めている。
「午後五時からか。スパの時間を夜にする?」
 利恵が頷いた。夜の料金の高いコースに空きがあり、彼女の分だけを予約をした。もちろん、部屋も取って、
「洋服も後で買ってきていいよ。ただ、いきなり超ブランド物はどうかとdots。五万円くらいで収めて僕の好みのワンピースとかにしてくれないか」

と言うと、「それで全然かまいませんよ」と、また品のある笑みを零した。
「だったら部屋で見たいけどdots
「泊まっていいですよ。明日は土曜日で休みだから。嬉しい。急に忙しい日」
 即答をしてきた。品はあるが言葉に恥じらう様子はあまりなく、常に当たって砕けるタイプのようだ。
「ワンピースは何色で長さは?」
「白っぽいのか紺色で、膝上。紺やグレーに白が混ざっていてもいいよ」

「地味な色。じゃあ、短めにしないとね。分かりました。すぐに買ってきますね、一緒に行く?」
「じゃあ、そのワンピースで、今は見えない足を見たいな」と直截的な言葉を投じたら、やっと恥ずかしそうに俯いた。
 利恵は機嫌を悪くする様子もなく、俯いた顔でさらに頷いてみせた。
 モンドクラッセ東京の部屋に入った友哉と利恵は、お茶をしながら、「こんなに話が合うなんて」とお互い目を輝かせていた。すぐにセックスの話にもなった。

「西表島は虫が怖いから、宮古島くらいがいいかな。そこでイジメてほしい。昼間はビーチでゆっくりのんびり」
「なんでイジメるの?」
「お父さん、お疲れさんみたいだから。昼にソーラーパネルみたいに充電して、夜はその電力を発散」
「探りを入れたな。独身だよ。バツイチだが、子供は取られた」
「やった。ほとんど普通の独身だ」
 小さくガッツポーズを見せる利恵。それがかわいらしくて、手を握ると、彼女はすんなりと友哉の胸にもたれかかってきた。

 ベッドの中で、利恵の真珠のように輝く体を堪能しながら、トキから与えられた精力も、利恵に見せつけていた。
lineひと目惚れをしたとはいえ、お金ばかりを見ているうちは優しく抱く必要はないか。
 ポルシェをうっとり見ているばかりの女に気を遣う愛撫はやめようと思い、ガーナラで得た精力を使うことにする。性欲処理という言葉は慎むが、ここはいったん遊ばせてもらうことにする。もし、自分が庶民なら、洋服代、部屋代、スパ代金、すべて合わせて十五万円以上はお茶だけでは済まない金額だ。

lineセックスで始まる恋はセックスで終わるとゆう子に言ったけど、セックスで始まった気がしない。会話も体も抜群の相性だ。
 友哉は、半ば感動していた。
 そしてトキからもらった力は、相手が好みの女なら、筋力、精力を消耗しながら、その女のエロチシズムですぐに回復していくようで赤子の手をひねるよりも簡単なセックスになった。心肺機能は無限ではないが、利恵を片手で持ちあげられる力と何度も射精ができる精力は無限だった。その常人とは思えない精力はだが野獣とは違う人間らしさの繊細さも兼ねていて、それはトキが、友哉の精神をそのままにしたからだった。

「最高に刺激的です」
 利恵は何度も何度も、友哉のセックスを「刺激的」と表現していた。
 AVにあるような激しいセックスは普通の女性は嫌がるはずだが、一億円が気になり、それを我慢しているのかも知れないし、本当に過激なセックスが好きなのかも知れない。
 友哉の精力は無限だったが、彼は、「三百億円で遊んで暮らしながら、毎日何時間も何時間も、女を抱き続ける精神力はない」と、分かっていた。こちらが疲れたら、若くて体力がある女が、勝手に口や腰を使い続けることはできそうだが、その貪り合いを数時間続ける女は、ゆう子くらいだろうと思った。

 ゆう子かdots
 奥原ゆう子の無邪気に笑う顔が浮かんだ。
 ゆう子に積極的になれなくて、なぜこの女の子には積極的になったのだろうか。自分は女優、奥原ゆう子のブランドが怖いのだろうか。
 友哉は自分自身を分析できずにいた。
 出会ったその日のうちのセックスも、友哉は若い頃に経験していて、しかもここまで会話が弾めば利恵が軽い女とも思わない。気持ちを高ぶらせる『マリー』の効果があるのだろうが、ベッドに入るのが数日、早まっただけだと言い聞かせる。

 利恵の少々、大袈裟な、ペニスに対する褒め言葉が気になったが、それも女の特技である。特に美女は、男を騙しながら一生生きていくものだ。それを「劣悪」だと昔の哲学者やゆう子が言っているのだ。
line確かにあの女は俺の才能を利用して遊んでいたが、劣悪とは違った。悪魔かな。
「何がおかしいの?」
 利恵が、友哉の顔を見て訊いた。
「女は劣悪だって秘書が言ってたんだが、元カノは劣悪じゃなくて悪魔だったって思って、笑った」

「ずっとお付き合いできるかな。あなたのすごい。ゴムなしがいいな」
 恥じらいもなく言うが、顔立ちが清楚で、恥じらっているように見える。まるでマジックだと思った。
「ピルを飲んだらいいんじゃないか。体に合えばいいけどね。僕は退院したばかりで健康診断してある」
 性病がないことを教える。
「飲むね。ピルのお金もらえるかな」
「そんなにお金がないのか」

「OLだから、普通ないですよ」
「分かった。ピルを飲むって、どこか本気の匂いがするからね」
「本気ですよ。まさか、セックスもいいなんてdots
「ありがとう。久しぶりにもてた」
 友哉の「久しぶりにもてた」は、利恵の喘ぎ声に消されていた。その声も品がある。しかしdots
line病気をしていたとか、退院したばかりと何回言っても、そこに興味を示さない。母性はなさそうだ。
 あからさまに分かる事実だった。

「わたし、かわいいですか」
 声を上擦らせてそう言う。同時に、体も弓のようにしなった。その美しさに見惚れ、母性のあるなしはどうでもよくなってしまう。
「え? かわいいよ。なんで?」
「言ってくれないから」
 怒っている様子はなく、むしろ笑っていた。喘ぐ声は小さく、お金に目を向ける以外は何もかも控えめに見える。
「そうか。かわいいよ。銀行でも目立っていた。脱がせた時にキレイなおっぱいだって言ったと思うが、それとは別なの?」

「好きですか」
「え?」
 なんなんだ。これもマリーとやらの影響か。
「好きって言いませんよね。わたしはさっきピルを飲みたくなるほど好きになったって言ったのに」
「好きになったから抱いてるんだけど、なんていうか、言うはずないよ。昨日の今日で」
「普通言うんですよ。セックスする時は」
「そんなことはないと思うがdots
 やはりこの子も恋愛体質の女性か。でも、ゆう子ほど長台詞じゃないからいいか、と友哉は思い、またゆう子を思い出してしまった。

 ゆう子はAZで部屋に入った自分の位置を確認しているはずだ。
 嫉妬しているのだろうか。何も思ってないのだろうか。
「あの、変な頼みがあるんです」
 利恵が、惚けた顔で言った。
「あそこのお金をわたしの体の上に並べて、罵倒してくれませんか。わたしのスマホで写メも撮って」
 妙なことを言い出した。全裸のままベッドに横たわっていて、どこか淫猥な気配も漂わせた。

「おっぱいが小さいから、乗っかってる」
 利恵は笑って、そのお札をそっと掴んだ。彼女の乳房も言うほど小さくない。恐らく細い体で数字的には小さいのだろう。
「おっぱいに挟めないなら、あそこで挟めよ、金が目当てのメス豚」
 友哉がそう言うと、「ごめんなさい」と、利恵は本当にすまなさそうに言うと、局部にもお札を置いた。ゆう子とは違い、黒い陰毛がある。
売春行為をしているような様子が撮影されたのを見て、彼女はその写真をスマホに保存した。そしてお札を丁寧に鞄にしまった。

「裸だから、ポケットに入れて逃げることができない」
 そう言って、微笑んだ。瞳は輝いていて、逃げる気がないのが知れた。

 午後六時。利恵が深い眠りに就いたのを確認し、ゆう子にきちんと通信してみる。リングを見ながら、話しかければいいのだった。通信を受けたゆう子は、
「今はだめです。もうすぐ帰るから、あとで部屋にきて。なんでもするから」
と言っただけで、通信を切った。

 なんでもするとかじゃなくてさdots
 ちょっと顔を見たいだけなんだよ。
 嫉妬して怒っているなら、謝ろうと思っていた。付き合っているわけじゃないから浮気とは思わないが、昨日まで一緒にいたゆう子が嫌がってるなら謝るべきだとdots。秘書の仕事も頑張ってくれている。
line宮脇利恵を抱いたのも無断じゃなかった。ゆう子に相談した。それでも罪悪感があるんだな。

 友哉は自分の小説に、『謝罪の習慣』というテーマをよく挿入していた。人間が殺しあいをやめないのも、恋人同士や夫婦がすぐに別れるのも、その後、仲直りできないのも謝ることがないからだと考え、他の確立されている生活習慣と同じく、『謝罪の習慣』が世の中に蔓延すれば最高の平和を築ける、という話だった。男女が毎日のように媚びた生活をしているのとは違う本当の謝罪だ。例えば律子の暴言「天罰」。それの謝罪がないうちは歩み寄ることはできない。
lineゆう子に断って、宮脇利恵と寝たとはいえ、ゆう子が止められない立場もあるじゃないか。早く謝らなければいけない。

 友哉はベッドから出ると、テーブルの上にあるコーヒーカップを持ち、中が空なのを見て、そのカップを投げようとした。
 苛立っていた。自分が何が目的で動いているのかが分からない。
line俺はいったい何をしたいのか。何を目的に生きているのか。夢はただ、のんびりと休みたいだけか。この子と? 幸せそうに眠っている利恵を見る。
 ゆう子と?
 昔、一緒に夢を見た女たちと?
 まだ見ぬ未来の恋人と?

 一人で?
lineやめよう。彼女がびっくりして起きてしまう。
 気持ちよさそうに、空想世界の楽園を手にしかのような顔で眠っている利恵を見て、友哉はカップをテーブルの上に戻した。
 ゆう子のことで悩んだ十日間のストレスは、利恵のセックスによって改善していて、またゆう子への複雑な想いで顕れてしまう。それでも友哉は、ゆう子の顔が見たいと思っていた。

line三年後にどんなおぞましい事件がこの国で起こるのかそれは知らない。

 ゆう子はAZの画面を見ながら考えていた。
 わたしが映画の打ち上げのパーティーの席で男たちに襲われる。きっと死ぬのだろう。その時に、自分の近くにいた男の人が一緒に倒れる。それが佐々木友哉だとトキから教えられ、その悲惨な光景の記憶を一部、見せてもらっている。昭和初期の傷ついたフィルムのように見にくいが、佐々木友哉が自分を守るために誰かと戦っているのは明白だった。

 AZ上には、佐々木友哉が死んだとは表示されず、それは周囲にいる人たちもすべて同じで、ワルシャワでは「多くの人間が死んだ。日本人は約十人」と表示されたのに、パーティーの事件では、「死んだかも知れない。または倒れた」とのテキストが画面に浮かび上がる。そう、「死んだかも知れない」とテキストで教えているのが、実はゆう子本人だ。三年後のゆう子なのだ。
 AZ上では映像ではなく図形のような画だが、活発な男たちが、友哉を象った図形に何度も襲い掛かり、近くにいた自分を守っているのが分かった。

『おまえがありえない美少女だからだよ。学校の帰りは友達と一緒に歩くんだ』
『そんな友達はいない。車で迎えにきて。締め切りが近くならないと暇でしょ』
『そんなことをしたら、虐めに拍車がかかるよ』
 学校でのイジメで孤立していた涼子。親以外は、友哉だけが相談相手だった。恋愛感情が芽生えるのは当然である。

lineしかし、トキとその仲間は俺たちの味方なのか。彼らとは別に、未来人かこの時代のマフィアのような連中が、晴香を狙った。なぜ? さては俺、なんかまずいことを小説に書いたのか。
 自分の書いた小説の内容を一本ずつ頭の中で辿ってみるほど、友哉は分からなくなってしまい、ずっと首を傾げていた。
「それが自然な答えだけど、なんか歳だからか思いだせないな」

 自らが笑うための自虐的なジョークで、ゆう子が聞いていたら、またお喋りが始まるだろうが、強引に通信を切ったら、さすがに聞こえないようだ。
line俺の小説の内容に怒ってしまったなんかの宗教団体か偽善団体に謝ればいいのか。そうは言っても、話しかけてこないしdots

 生真面目にそう思っていた。テロリストや凶悪犯と戦う事をトキから依頼され、ゆう子はそれに躍起になっているが、友哉にはまったくやる気がない。「俗に興味がない」とゆう子に宣言しているように、頭のおかしな連中と関わりたくなかった。ボクシングをしていたのは、ほのかな筋肉美を作るためと涼子と晴香を守るためで、ケンカが好きなわけでもなく、小説はほとんどが恋愛もの。妄想の世界でも暴力的な行為はほとんどない。

 いつから俺はこんな頭の弱い男になってしまったのか。そう、人のせいにはしてはいけないが、あの交通事故で入院し、そして退院してからだ。律子と罵り合い、涼子もやってこなくて、涼子の父親の編集者は泣き、何もかも嫌になった。一人のマンションで決めたんだ。もう、何もしないってdots。南の島の砂浜でぼうっと座っていようって。
 なのに、奥原ゆう子という女がそれを許さない。

 dots親父、アドバイスをくれ。
 友哉は、人知れず涙を滲ませた。臨終の父親の言葉を思い出す。
『友哉、お母さんが憎いか』
『うん』
 中学生の友哉が素直に頷いた。
『なら、なぜ、あの看護婦に見惚れているんだ』
 父はそう言って、点滴を付け替えて出て行った看護婦の背中に目を向けた。

『水色の制服が綺麗だった』
『おまえの部屋に貼ってあるパリスの審判のポスターだが、あれが美しいのか』
『うん。女神だもん』
『パリスに賄賂を渡して、美を競ったんじゃないのか。ちゃんと本を読め』
『お母さんは女じゃない。お母さんだ』
『俺に、おまえを渡して美を得ようとした。あの女神たちと同じだ。憎んでる暇があるなら、考えるんだな』

 友哉の父親はその直後に血圧が低下し、昏睡状態に陥った。
dots友哉、おまえは俺の宝物だ。なんて美しい少年なんだ』
 そればかり言う父。友哉の姉は大学から向かってきているが間に合わなかった。
 友哉の父は、擦れた小さな声で最後にこう言ったのだ。
dots思っていたよりもバカだ。地獄で待っているから教えてやる』
dots
 医師と看護師たちが驚く、遺言だった。

line今、生き地獄だ。親父。
 裏切った女を憎んだらだめなのか。ああ、そうしてる。だから、律子も涼子も気になって、身動きが取れないじゃないか。
 友哉は車のエンジンをかけ、深夜に営業している書店に向かった。
 ギリシャ神話『パリスの審判』はどこかにあるだろうかdots

  ◆

 最初、利恵を「恋敵」として警戒していたゆう子だったが、松本涼子が現れてから、利恵はライバルではなくなっていた。

第十一話 女神か悪女か~愛と哀しみの女子会

【ここまでの登場人物】
◆佐々木友哉 交通事故で瀕死の重傷を未来人を名乗る男トキに治療してもらい、未来の力を得てテロリストと戦う。未来人から「友哉様」と呼ばれている。
◆奥原ゆう子 有名女優。トキから、「友哉の秘書になってほしい」と頼まれて、傷だらけの友哉を懸命に看護し支える女。
◆宮脇利恵 友哉の恋人の銀行員。過去に男たちと遊び惚けたトラウマがあり、友哉のお金で安定した暮らしを夢見ている平凡な女子。

第十二話 消えた涼子~それぞれの涙

【未来の武器 専門用語紹介】
◆AZエーゼット 友哉の健康管理から、転送、そして政府機関、機密機関などのファイアウォールを破り侵入できる万能のAiタブレット。中に人工知能「シンゲン」が入っている。ゆう子しか使えないはずが、友哉の指示にも反応した。正式名は実は「エージー」

◆RD「アールディー」未来の拳銃。ダイヤモンドよりも硬質のロンズデーライトをレーザーで核爆発させて地核のエネルギーを発生させる。手にした人間の意思で、威力の強弱ができるが、脳が進化した人間しか使えない。こちらも違う正称がある。

「すまん、利恵。君の疑問の話の腰を折ってしまって。奥原ゆう子は口から生まれてきた女なんだ」
 ゆう子は、友哉のため息を無視して、
「飛行機が揺れても驚かないのに、薬を落としたら、通路まで出て探しまくった。しかも大騒ぎ」
と喋り続ける。
「大騒ぎじゃないよ、誇張しないでくれ。薬じゃなくてサプリだし」

「ビタミン剤が一錠なくなっただけで、泣きべそかく男がいるの?」
「泣きべそもかいてない。誇張した罰で下のドラッグストアで適当に買ってこい」
 急に一万円札をゆう子に渡す友哉。ゆう子もゆう子で「はい」と先生の命令に頷いた。
「なんか昭和の夫婦かカップルに見えるけどdots
「秘書だから心配するな。パシリにするんだ」
「今のお喋りは面白かったけどさ。ちょっとデリカシーがないよね」

「片想いじゃなくて両想いですって言ったら、その瞬間に二股が成立してしまうか、利恵が立ち去るぞ」
「あ、ああ、そうねdots
「奥原さんが、友哉さんに言いくるめられているように見えますが、そんなに立場が弱いんですか」
 肩をすぼめているゆう子を利恵が少し覗きこんだ。
「弱いです。奴隷にされています。ぶるぶる」

 芝居がかった嘘を言うが、利恵は笑えないようで目を丸めてしまった。
「利恵、騙されるな。成田に俺を強引に連れてきたのは、ゆう子だ。俺の弱みを握っていて、やりたい放題だ。だからせめて、ドラッグストアにくらい走らせたいわけ」
「はい。行ってきます!」
 ゆう子は席を外し、いったん専用ラウンジから出て行った。
 勢いよく駆けだしたが、短いスカートの裾を整えながら、その足元を見つめるように下を向いた。

 まだ出会って数か月だが、わたしには「好き」「付き合ってほしい」という一般的な告白は何もない。律子さんを始め、いろんな女に捨てられて傷ついて、女が嫌いになったはずなのに、宮脇利恵とはデートをしているのかdots。しかも、なんてかわいらしいんだ。まあ、わたしの方がかわいいし、脱いだら健康的で負けないけどさ。普通に女優レベルじゃん。
と、ネガティブ、ポジティブが入り混じる心境を呟いていた。

lineやめちゃおうかな。あんな男。でもなあ、トキさんが言っていた通り、かっこよくなってきたんだ、これが。
 松本涼子を素早く助けに行ったり、桜井真一を取り込んでしまったり、「女のわたしにはできないなあ」と考えると、うっとりしてしまう。少女の頃からのゆう子の英雄願望が、大人になった今、友哉のような男性の前で、体の奥を熱くさせてしまう。

line恋人の対象にしてもらえないのは、自虐的にセックスだけの秘書でいいと大見得を切ったからか。当たり前だな。でも他の女とはデートしているのを知ったら、なんだか寂しくなってきた。
 セックスだけでは嫌だ、と言ったら、最初の自分の姿勢があからさまに覆って嫌われそうだし。
 トキさんから、友哉さんを癒すように言われたけど、恋人じゃないままそれができるのだろうか。

lineやっぱり自分の話をしない恋はだめなんだ。
 トキや友哉のせいではなく、なんとなくそんな答えが浮かんだ。謎めいた女優で有名だった。私生活が分からなくて、スキャンダルもない。
 二十七歳まできちんと付き合った男性もいなかった。一人くらいはいたかも知れないが、お世辞にも優秀な男性じゃなかった。他の数人もセックスだけだった。
line寂しそうにしていると寄ってきて、顔だけで抱いて、いなくなる。

 「性格がおかしい」「テレビとギャップがある」とその男たちは口を揃えて言ったが、それくらい最初の会話やセックスをする前のデートで分かるのに、だったらなぜ抱くのか。俗に言う、やり捨てだ。
 少し長く付き合った人がいたような気がするが、わたしのヒモのような男で、「顔」「お金」「セックス」の三拍子が揃っていると、無邪気に言っていた。

 実は、出来は悪いが無害な、そんな男の人が好きだったが、パニック障害の発作が頻発するようになっても彼らは助けてくれず、お金と体を求めるばかりで、料理を作ってくれたり、家事はしてくれるけど、どこか媚びているのが窺えて、そうdots
line昔の戦争映画を観ていたら、自分の原点がこっちだったと思い直した。

 スピルバーグの映画を二本、観なおしてみた。『プライベートライアン』と兵士の話じゃないけど、『シンドラーのリスト』。
lineオスカーシンドラーみたいな男性がいいな。快楽主義者でいて、突き抜けて優しい男性、どこにいるのだろうか。でも友哉さんが、似ている。
『テロリストも父親なのが気になる』
 まさに、衝撃の言葉だった。つまり、友哉はテロリストの息子か娘を気にしたのだ。

 戦場で殺した敵兵が娘の写真を持っていて、それを見た兵士が泣いてしまうシーンが、何かの映画にあった。友哉さんも、同じ映画を観ていたのかもしれない。そんな話をもっとしないといけない。ふざけてばかりで、信じ合えるようになる会話が少ない。自分の話もしないとだめだ。ゆう子は改めて、自分の話を男性にできないことに苦しんでいた。

 お母さんが軽蔑した兵士の男性。お母さんが嫌った男性の自己犠牲の精神、それは勇気か。お母さんが弄んだ男性の本質、それは絶対に父性。それらが小学生の時のわたしは好きだったと、映画を観なおしてはっとした。
 だから、わたしを抱いただけの前の男たちが、自分の生活と女とのセックスのためだったとしても、その男性たちを憎まない。わたしが悪いんだ。理想を求めてわたしから誘ったんだから。

 友哉さんのことも、恋人がずっといないわたしがしつこく誘った。恋はしていたけど、まだ愛なんかない時に。
 いきなり、セックスを迫ったから友哉さんはそれを嫌ったのか。そうだよな。若い男の子なら大喜びだけど、大人すぎるほど大人の人だ。経験豊富だから、わたしと同じことをした女に嫌な思いをしてきたのかも。
 母に忠告されていたとおりだ。

『おまえは美人だけど、口がたつだけでなんにもできない。付加価値がないと弄ばれるよ。すぐにポイさ』
と。顔だけでなんの取り柄もないと結婚してもらえないと、母は言っていた。
lineだけど友哉さんは、三年間、ずっと傍にいてくれる。
 ゆう子はそう考えていた。三年後のあのパーティーの席にいるのだから。

 それだけで、友哉に尽くす気になれる。自分も三年間、いや死ぬまで離れないと宣言しているのだから、友哉はいなくなったりしない。そう、思ってやまなかった。それに、
line友哉さんは別に冷たくないか。わたしをやり捨てた男たちは、言葉が優しくて、よく笑ってくれたけど、どこか嘘があった。友哉さんは正直で、わたしの言葉遣いが変なのも、「余

計な色気が削がれるからいい」ときちんと説明してくれた。「面白い」とか「かわいい」とか言うだけの男たちは、後になって、「その喋り方が嫌だった」と無責任に投げたものだ。
「テレビと違うからショックだ」とか彼らには言われた。友哉さんには最初の約束の言葉を撤回して、わたしをやり捨てる気配はまったくない。そもそも、あんまり求めてこないんだから、笑っちゃう。

lineバカだな、わたし。男の人の媚びた言葉に騙される女みたいだ。友哉さんは、女に媚びないだけなんだ。
 ゆう子がドラッグストアから帰ってきたら、
「ずいぶん、長い時間かかったな。お疲れ様」
と、友哉が言ってサプリメントが入った袋を受け取った。
「ドラッグストアだけに、毒にも薬にもならない男性のことを考えていた」
「なんだそりゃ。ちょっと元気にするか」
 友哉がリングをちらりと見せる。ゆう子はびっくりしたが、利恵は意味が分からないのか何も言わない。
「なんで? いいよ。あなたが疲れちゃうよ」

「いいんだ。パシリなんてふざけすぎた。ごめんな」
 リンクが緑色に光ると、いつものように、ゆう子の持病のストレスがすっと消えた。数時間の効果しかないように軽く脳を刺激しているらしく、それは、「依存性があるかも知れない。癖になったらだめだから」と友哉が言っていた。
line優しい。いつもこうだ。これでいいじゃないか。テロリストの子供を気にする男性が、友達以上の女に冷たくするはずないか。そんな人間性、本末転倒だもんな。

「なんで旅行に行かないの?」
 ゆう子がそう訊くと、
「友達が少ないから。彼女がいれば行くよ。一人じゃ、寂しいんだ」
と正直に答える。
「そんな寂しいことをdots。最後に旅行したのは、あの温泉?」
「あの温泉? ああ、そうだな。なんでも知ってるんだな」
「じゃ、四年くらい旅行してないの?」

「取材の旅行はしてるよ。彼女とはしてない。まあ、人は最後は孤独になるもんだ」
 目を少し伏せて言った。
「入院している時に誰も見舞いに来なかったから、そんなことを言うのね」
 友哉は急に笑みを浮かばせて、
「小さなことで意地は張らないで、あなた。それに編集者がやってきた」
と呟いた。「編集者」と口にしたところは離陸前の飛行機のエンジン音で利恵に聞こえていない。

「はあ? あなたって? 仕事の関係者は来るでしょ。そうじゃなくて女よ」
「女は母親になればずっと子供が愛してくれる。だが、男は子供と距離を置くものだ。または引き離される。そして女は必ず弱くなった男を捨てる。一般論だ。俺のことじゃない。親父も病気になってから女房に逃げられた。俺の母親のことだ」
「女嫌いなのは知ってるけど、そこまで言わなくても」
 利恵がため息を吐いた。

「女は嫌いだが、君たちは好きだ」
「個人主義」
 利恵がそう言い切るが、褒めたのだろうか。
「律子さん、たぶん、事故の時に付き合っていた女、友哉さんが寝落ちした時にお金を盗んだ奈那子dotsその他、皆そうだけど、それはdots
 ゆう子は大きく息を吸い込むと、
「たまたま!」

と友哉を叱った。
「だから利恵さんがきっと一緒に旅行に行くよ」
 ゆう子が利恵に視線を投じると、利恵が頷く。友哉は少し笑みを零して、口を閉ざした。

 ロスでは、転送しても疲労しない距離の場所に利恵を待たせておき、瞬間移動を繰り返しできるようにする作戦だった。それによって、仕事がはかどる。

 急に人が現れても消えても、それを見た人間は、自分の目の錯覚と思うか、マジックを使ったと思うようだった。だが、クレナイタウンから消えた松本涼子と謎の男の噂は、都市伝説のように広まり、週刊誌の記事にもなってきた。『松本涼子 謎の男と熱愛』という嘘の記事も出ていた。松本涼子本人がSNSで、「ケガをして、病院に運んでくれた人と熱愛だなんて」と書き、打撲の痕の背中の写真を水着姿で載せると、それが「色っぽい」と反響を呼んでいた。

「あの後輩。色気を使って上手く切り抜けたもんだ。だけどさ、奥原ゆう子も松本涼子も友哉さんの女だったら、いろんな男たちに刺されるよ」
 機内でその週刊誌を見たゆう子が、半ば呆れた口調で言う。
「この謎の男が友哉さんなんですか」
 利恵は週刊誌を手にして、目を皿のようにして記事を読んだ。

「友哉さんなら、高い所から飛び降りても平気そう」
「女の子を傷つけても平気な男」
 ゆう子がシャンパンを飲みながら言った。すでに頬が赤い。旅費は今回からは友哉のお金だった。飛行機は間もなく、成田を離陸する。
「片想いだったら傷つけられているって奥原さんは思ってるんですか。だったら、わたしも傷だらけです」

と、利恵が笑う。ゆう子は説教をされた気分になったが、利恵が自分も片想いのような口ぶりだったから、不思議に思って、
「友哉さんとラブラブじゃん。もういっぱいデートしてるよね」
と、冗談めかして言った。
「ラブラブじゃないですよ。プロの女って言われたし」
「プロの女?」

「過去に風俗で働いたこともないのに」
「どうしてそんなひどいことを言うの?」
 ゆう子が友哉を見た。
「女に性欲はそれほどないのに、頑張ってするからプロっぽいなって」
 友哉のその台詞に、ゆう子と利恵が目を丸めた。

「あのさ、さらにひどいこと言ってない? まるで利恵さんがお金のためにあなたとセックスしてるみたいじゃない」
 ゆう子が少し、目尻を釣り上げた。
「ひどいことを言ったのに成田にきてくれてありがとう。安心した」
 友哉はそう言って利恵を優しく見つめた。利恵はそれに気づいたのか、怒りは見せずに、
「声を大きくして言いたくないけど、わたし、それなりに性欲はあるよ」

と目を瞑った友哉に言う。
「お金をいらないとは言わないけど、あなたの財産を狙っているわけじゃない。つまり、好きな男性とは普通にえっちなことをするだけ」
「財産を目当てにしてもいいよ。最後までいるなら」
「論点はそこじゃなくて、わたしに性欲がなくて無理にやってるって話」

「利恵、そんなにムカついてるのか。あの日の後も、けっこうドライブで派手に遊んだじゃないか」
 目を閉じて眠ろうと思っていた友哉が、思わず目を丸めた。
「え? 派手に遊んだ? なーにをしてるのかなあ、そこの二人は」
 ゆう子はおどけながらも泣きべそをかいたような顔になっているが、友哉と利恵はそれを無視して話を続けている。
「怒ってないけど、奥原さんに誤解されそうで」

「うーん、じゃあ、元彼と別れてから、約二年間、男遊びをしてないとして、その間、オナニーでもしていたか。男みたいに」
「え? ま、真面目に答えるの?」
 ハスキーボイスの利恵の声がさらに裏返る。
「それとも好きじゃない男と適当にやっていたか。それなら、おまえに、女にしては強い性欲があるのを認めるよ。基本的に女の性欲は男の半分以下。いやもっと薄い。男が生涯、セ

ックスをしたい相手の数が十人だとしたら、女は一人。男が週にオナニーを四回するとしたら、女は月に一回かまったくしない。恋人がいな時に、好きじゃない異性とセックスをしたいと思うか。男は九十パーセント、女は十パーセント以下。したがって、利恵がさかんに俺に淫乱な様子を見せるのはプロっぽいってこと。風俗嬢が客に嫌われないようにサービスをするのと似ている。だけど、恋人同士だとそれを愛と言うらしい」
 昔に読んだ資料を思い出しながら語ったのか、気難しい表情を見せる。自信がない持論のようだった。

「やだな、作家さんのくせに統計学みたいな話をして」
 ゆう子がため息を吐いた。続けて、
「だったらわたしはまるで男じゃん」
と苦笑した。
「わたしの性癖はこんなところで喋りたくないから、さらっと自分でやっていることをわたしにカミングアウトしてくれた奥原さんのそれを分析したらどう?」

 利恵が嫌味を言う。ただ、怒っている様子はなく、友哉が眠そうな目で利恵のその顔を見ていた。
「利恵は怒らないからかわいいよ」
 友哉が思わず言うと、ゆう子が、
「なに、挽回しようとしてるんだ」
と友哉を睨んだ。かわいいと褒められた利恵が顔をほころばせているのをゆう子が見て、

「わたしは怒りっぽくてごめんね」
と言う。すると、
「俺は怒りっぽい女とばかり付き合ってきたから、慣れている。ゆう子はゆう子でかわいい」
と妙な弁解をした。
「うーむ、褒められたのかなんか分からない」
 ゆう子が首を傾げた。

「例えば虐待を受けた人間がサイコパスになることがあるように、もし、ゆう子がセックスのことしか頭にない淫乱な女でそれが何年も続いていたら、少女の頃になんかあったんだと思う。AV女優はほとんどが父親不在。または極端に父親がまるで男に見えなほどに弱い環境で育った女の子たちだ。それか、ゆう子が大人になってから、ゆう子の一番大切な趣味

や大好きなモノとセックスが繋げられることを誰かが教えた。しかもそれはセックスの行為の中にある一部の何か。フェチってやつだ。少女の頃に好きだったある趣味かモノがセックスに利用できると分かって、それを実行している。俺なら車さ。利恵、俺はそうだろ。子供の頃から車に憧れていた。大人になったら車でセックスをすると楽しいことが分かったんだ。

正直やめられないよ。昔、元カノが俺の車の後ろでよく生着替えをやってくれた。今はポルシェでできないけど、利恵は助手席でスカートの中の下着だけを脱いだりしてくれる。車とセックスが繋がっているから楽しくて仕方ない。ゆう子の話に戻すと、少女の頃にひどい目にあったがそれによってサイコパスにもならないで男を恨んでもないなくてセックスで何

かを忘れようとしているか、単純に何かのフェチ。それらどちらにしても、俺は嫌いとは言ってない。特にフェチは人間の証しで、頭のいい人間ほどフェチに傾倒するからね。ゆう子は天才っぽいし、それで淫乱ならこちらは嬉しい」
「言い得て妙」
利恵が頷いたら、ゆう子が、

「いろいろ当たってるから嫌なんだけど」
と顔を背けた。そしてシャンパンを一気に飲んだ。
「ゆう子は女優なのに、普段のお芝居が下手だからね」
 バカにしている様子はないが、ワインには強いがシャンパンに弱いゆう子はお酒が回っていて、注意深く友哉を見ていない。
「友哉さんさ、わたしを見ないでくれる? なんていうかな、パンドラの箱だよ」

「それは開けないでって言うんだ」
「だから、日本語の間違いもスルーしてよ。ベッドの中のわたしの間違いもさ」
「間違いが多すぎる」
 利恵がそれを聞いて、笑いをこらえるのに必死だ。ゆう子が利恵を見て、
「わたしと友哉さんが寝てることを怒らないの?」
と訊くと、

「なんか、片想いが本当っぽい」
と利恵が言って、またくすくす笑った。
「それに、話がぶっ飛んでいてついていけません。浮気相手が超人気女優だとして、もしかしたらアイドルの松本涼子とも仲が良いとしたら、いったいこの男はなんなのって心境。だからいったん、考えないことにします」
「なるほど、確かにありえない状況に陥ってるね。でも、利恵さんのお芝居もばれていて、わたしたち両方遊ばれてるかもね。本命が松本涼子で」

「彼女なら、俺は連絡先も知らないよ」
 友哉は女のお喋りに疲れてきたのか、また目を閉じた。飛行機はとうに離陸している。
「奥原さん、その通り。彼が、わたし以外の女と連絡を取っている様子は見えませんよ。奥原さんともだから、わたしが鈍感なのかもしれないけど」
「わたしは秘書だから二人のデートの時に、友哉さんに連絡はつけないの。まあ、確かに、松本涼子やどこかの女と会っている様子はないね」

「俺の芝居は、おまえたちには見抜けないよ」
 目を瞑ったままそう言うと、ゆう子が、
「松本涼子と連絡取ってないとか言いながら、その謎かけはなんなの。まあ、自信満々だけど、それは認める。台本をくれたのはトキさん?」
と言った。利恵が、
「普通、女の芝居もばれません」

と言った。ゆう子が口にした「トキ」という名前には利恵は興味を示さない。口座名「佐々木時」の名前を追求する気もないようだ。目の前の男の、目の前の持ち物、お金、職業しか見ないのだろう、とゆう子は思った。それは良いこと、と、ゆう子は頷く。
「あなたに嫌われないようにセックスを頑張るのがばれたけど、それが愛なんでしょ」
「十年くらい続けばね」
「またまた言い得て妙」
「それ、利恵さんの口癖?」
 ゆう子が笑った。そして、

「まあいいや、ちょっと女たらし、起きろ。で、お芝居をしている女のどっちのセックスが好きなのよ。どっちが好きなのか、じゃなくて、どっちのセックスって言ったわたしの優しさに気づけ。どうせ、利恵さんだしね」
と、目を据わらせて言う。友哉の体をさかんに揺すっていて、ただの酔っ払いだった。
「利恵」
「は、はっきり言った!」

 ゆう子が声を上げたものだから、通路の反対側の客が驚いてゆう子たちを見た。通路側に座っていた友哉が目を開けて、乗客に頭を下げている。ビジネスクラスの安い席で三人が並んでいるのだ。その通路側に友哉がいた。隣がゆう子、窓側が利恵だ。女性客が「あ、奥原ゆう子だ」と小さな声で言っていた。
「そんなに冷たい態度でいると、わたしは降りるよ」

「もう飛んでるって。女が二人いて、わたしとこの子とどっちが好きなのかって片方が言ったら、俺はそれを口にしなかった方を好きだと言うことをしているだけで、つまり始めから答えは決まってるの。君たち、二人ともそんなに抱いてないから。どっちのセックスがいいのかまだ分からないよ。話がリアルすぎるし、勘弁してくれって」
「ソロモン」

 利恵が伝説の国王の名前を言う。本当は、「ソロモンみたいな人」と言うものを利恵は、言葉を短くする口癖があって、それは長い言葉をすべて短縮する、この時代の流行とはどこか違う独特の喋り方だった。
「あんなギャンブラーじゃない」
 友哉は利恵の言葉遣いに慣れているのか、さっと答える。
「ソロバンでギャンブルするってこと? わたしに分かるように話してくれないか」

 ゆう子が口を尖らせると、利恵がまた声を殺して笑った。
「聖書に出てくるイスラエルの王様。利恵は読書家だから、怖いよ。男なのに文学的知識で負けたらかなわない」
「じゃあ、バカな女と付き合う?」
「イギリスは漢字で英って書くよね。普通の普は何か分かる?」
「普仏戦争の普っ」
 にっこり笑って答える利恵。

「うわ。現役の学生みたいじゃないか」
 友哉が仰天した。ゆう子も目を泳がせて、
「友哉さんが思いだせなかった問題をdots。めっちゃ、頭がいい美女が現われた」
と怯えるような小芝居を混ぜて言った。
「やっぱ、付き合うなら理系がいいかな」
 友哉がそう呟くと、

「やったよ。わたしだ」
とゆう子が言って、拳を握った。友哉が、
「俺はもててるんじゃなくて、これは罠だ。ソロモンをソロバンと言ったのはわざとに決まってるし」
と言う。
「ふふふ、確かにソロバンはわざとだよ。だけどね。ソロモンって奴は本当に知らない」
「白黒、善悪の決着を無茶なアイデアでやってのけた、後先考えなかったバカ。つまり、おまえみたいな人間」

「車の中で生着替えしてくれた元カノにふられたわけが分かったわ。まさか、自分よりも口のたつ男性に片想いすることになるなんて」
「それ、面白いぞ」
 友哉がようやく快活に笑ったのを見て、ゆう子が急に機嫌をよくした。自分の話で笑ってもらうと機嫌がよくなる女なのだ。
「奥原さん、さっきの彼の台詞。ソロモンのような判断のこと。派手にもてた男性にしか言えないですよ」

「そうかな。こんな口の悪いやつ…ぷんぷん」
 ゆう子も本気で怒っていなくて、擬音をわざと口にしている。
「女が二人いる修羅場を何度も潜り抜けてるでしょ」
 利恵がそう訊くが、友哉は答えない。
「今は修羅場じゃないけど、すでに本命は決めてるでしょ。経験豊富なあなたなら」
「決めてないよ。その権利もない。まさか、こんなにお喋りがうるさくなるとはdots。利恵も普段の三倍、喋ってるよ」

「だって、秘書さんが奥原ゆう子だよ。わたしの気持ちも察してよ」
「名前はビッグだけど、中身は意外とお粗末だから気にするな」
 友哉がそう言って利恵を慰めると、なんとゆう子が爆笑した。お粗末と自分では思っていない証拠でもある。
「利恵、パリスの審判って知ってるか」
「ワインのやつでしょ」

「この会話の流れで、そっちに行くのか。利恵も意外と面白いな」
「え? なんだっけ」
 利恵が頭を押さえて、思いだそうとしているが、ゆう子の方が、
「ワインもその違う答えも分からないんだけどdots
と肩を落とした。
「俺がパリスなのかdots
「あ、ギリシャ神話の誰が一番美人か決めるやつ」

「へえ、そんな神話があるんだ。じゃあ、決めてよ」
 ぶっきらぼうに言うゆう子。
「奥原さんが本命だと思う。さっき、一緒に歩いている時になんとなくそんな気がしました。わたしの前をお二人が歩いていたんだけど、いかにも守っているオーラが友哉さんから出ていたので。鞄も持ってあげていたし」
 利恵が、ゆう子に落ち着くように目配せしながら優しく言う。

「本命は松本涼子じゃないかなあ」
 ゆう子は動揺して、声が裏返ってしまっていた。
「本当に松本涼子ともやっちゃってるの?」
 利恵がびっくりした顔で、友哉に聞いた。
「やってない。これから会う機会もない」
 目を閉じたまま言う。
「パリスの審判なら、ちょうど女が三人になった」

 利恵が笑った。
「松本涼子を混ぜるのか。だったら、別の女神だ。すぐに怒る女神とか」
 ゆう子が思わず吹き出す。
「松本涼子って怒りっぽいんだ。助けただけなのに知ってるの?」
「助けている最中に、ずっと怒っていたんだよ。たまたま、ゆう子も一緒だった」
「それでパリスの審判がなに?」
「親父が俺をパリスだと言っていた。ちょっとした遺言だ」

「美少年だったって意味?」
「賄賂を使った女神たちに見惚れているバカだってさ。遺言でバカって言われた子供も珍しいだろ」
「そ、そんな結末の神話だったかなdots
 利恵が目を泳がせた。だが、友哉は嬉しそうだ。
「あのdots。友哉さん、亡くなられたお父様と似てる?」
 ゆう子がそう指摘すると、

「性格は似ているって言われた。良い遺伝子をもらった」
と友哉が威張って言った。
「俺よりも読書家なんだ。サラリーマンなのに。それでつまんない男だって、女房に逃げられてやんの。正直な男で、あれが小さいんだって笑ってた。女房に逃げられた原因はそっちだって譲らないんだ。中学生の俺に言うんだよ。頭、おかしいだろ」
 急に饒舌になった友哉を見た利恵が、
「ファザコン?」
と言った。ゆう子は、

「同じ人生を辿ってると思う」
と、肩を落とした。
「俺が教えてやるから地獄で待ってるって言ったけど、女房に逃げられたくせに偉そうだ。しかも、地獄かあの世にどうやって聞きにいけばいいのか分からない。死ねってことか。めちゃくちゃだよ」
「いや、友哉さんも同じようなことばかり言ってるけどdots

 ゆう子がそう指摘したが、友哉は嬉しそうだ。
「まあ、マザコンよりはずっといい」
 利恵がくすりと笑った。
「そういえば、ゆう子、お父さんは大丈夫か。仕事で邪魔したようで悪かった。あ、利恵、ゆう子のお父さんは体調が悪いんだ」
「そうなんだ。奥原さん、心配してくれてますよ。ギリシャ神話のおかげで話がまともになってきた」

 ゆう子に微笑みかける利恵。
「あ、うん、大丈夫よ」
「一人にしておいて大丈夫なのか。介護施設には入れないんだ?」
「うん。大丈夫よ。介護士を雇っているの」
 ゆう子は、食事をしながら三杯目のシャンパンを飲んでいた。
 飛行機はロスアンゼルスへ約八時間の長旅だが、ゆう子は利恵を気にして、友哉には手を伸ばさない。友哉の席のテーブルの上に手作りのポーチがあり、彼がその中からサプリの錠剤を取り出して飲んだ。さっき、ゆう子が買ってきたサプリの一部も入れてあった。

line利恵さんは手作りの品が作れるんだ。趣味なら尊敬する
 趣味ではなく、男性に気にいられたいために練習したなら、わたしとは恋愛の価値観は違う。
 料理ができるのも裁縫が得意なのも男性に気に入られるための付加価値にすぎないじゃないか。「愛してる」と言って、抱きついていればいいんだ。
 ゆう子は利恵の手作りのポーチを見て、そう考えていた。

『これはわたしの記憶だから』
 ワルシャワでゆう子は、テロリストが日本人の観光客らを襲った事件のことをそう説明した。
 友哉は成田空港に来る前から、ずっと気分が優れなかった。美女二人のお喋りが雑音にしか聞こえない。
line未来人なんかいるわけがないと思った。だが、あのAZのゆう子の記憶ってなんなんだ。

 AZは本当は事件を予測する最先端の犯罪予知Ai。それがゆう子の性格を分析して、ゆう子の気にいらない事件を予測、探しだし、事件が起こる前に優先的に表示する。そしてゆう子が言うように、ゆう子のいる場所の近くも優先する。きっと友人、知人も。なのに、
lineどうして松本涼子が自殺未遂をした事件に気づかなかったんだ。同じ芸能界のことなのに。

 友哉は首筋に気持ちの悪い汗をかいていた。まるで、命が関わる事で大きな勘違いを犯したかのようなショックを受けた直後に出る汗。
line俺の推測は間違っているかも知れない。トキは本当に未来からやってきたのか。AZの謎は、トキが未来人だと決定したら、解決する。すべて解決する。

 涼子の転落をAZがまったく予測しなかった。つまりAZは事件や事故を予測する装置ではない。本当にゆう子の記憶が入っているだけなんだ。トキが三年後の未来から、ゆう子の記憶を採取して、AZにインプットした。
 なのに、肝心の記憶が入っていない。芸能界の後輩が街中で転落を起こす事故だ。新聞沙汰にならなかったからか。なぜ、ならなかったんだ。そう、俺が助けて、瞬間移動で消えたからだ。そしてゆう子のマンションに行った。

 それもゆう子は驚いていただけで、AZに俺が気絶する事態も表示されていなかった。涼子がテラス席から転落し、ゆう子の部屋に行くまでの一連の出来事は、すべてゆう子の記憶にないものなのか。
 ゆう子は、トキに見せられた俺の記憶で、涼子のことを晴香の姉と勘違いしているが、トキは涼子を知っている。なのに、涼子が転落するほどの事故をトキが持ってきたAZはゆう子に教えなかった。

lineゆう子の記憶にない事件とはなんだ…。なぜ、突風で涼子が転落するんだ。そんな事故があるなら、世界中のベランダは使用禁止だ。
 涼子のストーカーが涼子を突き落としたとして、その瞬間を俺が見落とした。しかし、それもおかしい。ゆう子のAZはなぜ、そんな凶悪な人間を検知しなかったのか。ワルシャワでは正確にテロリストを捕捉していた。俺のリングは危険を知らせていたのにdots

 答えが出ずに、友哉はまた別の苛立ちを耳の奥に感じた。耳鳴りがする。小さな蝉が耳の中にいるようだった。
lineなんで俺がテロリストと戦わなければいけないんだ。これからは自分だけの、自分のための人生にしようと決意したばかりなのに。

 最初はトキという男の冗談かと思っていた。だが本当だった。三百億円と美女が報酬ならそれもいいか、とも思うが、危ない橋を渡ることを風に流されるようにしてしまっている。そう、この美女二人がテロリストと戦うための報酬だとしても、正直、癖のある女たちだから、逆に疲れが出ている部分もあり、命を落とす確率が高い戦いをする価値がある美女なのかどうかも分からない。

 テロリストや凶悪犯を命がけで駆除する仕事の報酬の美女なら、会っている時はすべてに隷従するような女が理想だ。セックスの奴隷という意味ではなく、さっとお茶を淹れて、食べたい物は何か丁寧に訊く。読みたい本を買ってくる。どこか王様に仕える執事のような女。それでいて、セックスはもちろんするが、その前後、この二人はもっと優しくできないのか。いや、そんな女はどこにもいないか。

 この二人は、英雄や大統領や国王に仕えるための教育を受けてきた女ではなく、突然、それをやらされようとしているのだから。
 そうは言ってもdots
 セックスが終わったら、次の生活にさっと移るのは生きるため以外の『やること』を山ほど作った人間の悪癖だが、せめて愛の言葉を上手に言う。まだ愛してなくて恋なのなら、楽しくそのときめきを喋ってほしい。

 利恵が、ゆう子との関係をしばし保留してくれたのは嬉しいが、セックスを淫乱に頑張るのは目的があることをはっきりと言っていてそれは結婚かお金。きちんとした家庭を持ちたいのかもしれない。
lineだったら、利恵はあきらかにトキからの報酬の女ではない。
 自分が一目惚れをして口説いた女なのだ。世間によくある恋愛をしないとだめじゃないか。

 何しろ、
「フェラーリは買わないの?」
と二回、訊かれたのだ。

 しかし、フェラーリを買えるその財力はトキから与えられたものだから、友哉は、お金持ちの対応をしたのではなく、「このお金は預かっているようなものだ」と、余計な贅沢はできないことをほのめかした。利恵がトキとは無関係の女なら、自分が働いたお金で、きちんと付き合わないといけないと、友哉は思ってやまない。もし、トキと関係があるテロリストと戦うための報酬の女なら、もっとリラックスさせてほしい、ということだ。

 利恵のこれまでの姿勢なら、ロスアンゼルスのホテルで、部屋を三人、別にしたいとか言い出すような気がする。もちろん、三人がスイートルームだ。そこで、また、三百億円の説明をしないといけなくなる。「これは遊ぶためのお金じゃない」と。
 そんな悩みと、そして日本にいる涼子と晴香が急に心配になり、ロスアンゼルスに行くのは気が進まなかったが、日本人が多く犠牲になっているとゆう子が言うから、仕方ない。

 ゆう子が嫌と言えばやめるが、
lineそうか、ゆう子が「次はロスアンゼルスです」と、秘書らしく命じたから行くのか。
 友哉は目をつむったまま首を傾げ、今回で終わりにしよう、と思っていた。

 ロスアンゼルスのロデオドライブにあるホテルに三人は着いた後、すぐに周辺の探索を始めた。ゆう子は何度か訪れたことがあるようで落ち着いて街並みを眺めていたが、利恵が有名映画に出てくるホテルやらに興奮して、ちっとも歩を進めない。

「利恵、仕事が終わってから観光しようね」
 友哉がそう言うと、
「なんの仕事?」
と首を傾げながらも、嬉々とした表情を崩さず、陽射に向かって顔を上げた。
「眩しい。ヤシの木、高級車、ルイヴィトン!」
 まさに、輝く笑顔を作った利恵を見たゆう子が、「かわいいねえ。なんで友哉さんと出会った時に彼氏がいなかったんだ。ありえないわ」と妙な愚痴を零した。

「おい、なんでこんな場所にホテルを取ったんだ。利恵の思う壺じゃないか」
 ゆう子に耳打ちすると、
「利恵さんがこういう場所が好きだなんて聞いてなかった」
と口を尖らせた。
 乱射事件が起こる大学から、もっとも近いホテルまで数キロあって、転送をすると体力を戻すまで八分もかかると聞かされた友哉は、その八分が怖くなり利恵を同行させることにしたのだ。

「ようは、大学の近くのホテルにしようと思っただけだもん。わたしだって、なんか買って帰りたいし」
 ゆう子の言葉に、友哉が溜め息を吐いた。
 大学の近くにカフェがないか探していると、都合よく昼間から営業している小さめのバーが見つかった。カフェと比べて安全性も高い。人が少ない店はテロリストは狙わないのだ。
「この距離なら、ワルシャワの時とあんまり変わらない。大丈夫?」

「学校とここがだよね? ホテルとはけっこう離れている」
「だんだん、慣れてきてるから、そんなに体力を失うことはないよ」
「まあ、確かにガーナラに慣れてきた感覚はある。事件当日、営業しているか聞いてみよう」
 コソコソ話していると、利恵が笑みを消して、少し苛立った表情を見せた。
 店内に入ると、初老のマスターが、「やあ、初めて見る顔だ。でもこの店は日本人の学生のたまり場だよ」と快活に笑った。ゆう子と利恵を学生だと思ったようだ。

「まさか、事件が起こるのは日本人学校なのか」
「違うよ。普通の大学だよ。ロスは今でも留学先に人気だからね。日本人は犠牲になってると思う。わたしがよく覚えているのってみんなそうだよ。ワルシャワのもそうだったから」
「さっきからコソコソなんの話をしてるんですか」
 利恵が怪訝な表情を見せ、持っていたビールのグラスを置いた。
 友哉とゆう子は、利恵にどのタイミングで秘密を話すか打ち合わせをしていて、それが今だった。

 だが、ゆう子は利恵の不機嫌な顔を見て、別のことを考えていた。
line悪い人間をやっつけたい。こんなチャンスが訪れるなんて。
 バーボンが入ったグラスを握りしめる。
「昼間からバーボンか」
 友哉の呆れた声も耳に入らない。ゆう子は興奮していた。
 偉そうに道徳を口にして、平気で人を騙す偽善者たち。そう、あの憎むべき母のような人間だ。

 母は近所で評判の善い人。綺麗ごとばかり言いながら騙した男の数はきっと数えきれない。しかも結果そうなった恋愛ではなく意図的だった。俗に言うと、「わざと」だ。
 今思えば欲求不満だったのだろう。夫、つまりゆう子の父と寝ている様子はなく、子育てにも積極的ではない。お酒、煙草dotsだが、英会話を習っていて、「万が一の時のために」と口にしていた。色っぽい服装のまま、英会話のテレビを熱心に見ていた。

「沖縄で少し覚えたしね。黒人はいいよ。セックスは。愛の言葉は熱心で、それでいてあれが太くて大きくて。慣れるまでは痛かったけど」
 ゆう子にあからさまにそう言うと、古くなったソファで寝ている夫を軽蔑するように見た。
「あんた、彫が深い美少女でしょ。あっちの血が少しは入ってるよ。お母さんの、お母さんが米兵らやられたからさ。その子供がきっとわたし」
「だからなに?」

「なんなの、その反抗的な目付きは。だからね。お母さんと同じになるって意味よ」
「顔でしょ」
 そう指摘すると、またびんたがゆう子の頬を叩いた。右手の中指に指輪をしていて、それが頬骨に当たると、ゆう子は鼓膜が破裂するかと思うほどの激痛で涙を滲ませた。
「敬語、使うんだよ。こういう状況は」

 美人だった母、奥原アンリはヒップのラインを強調した服装やミニスカートでわざと満員電車やバスに乗り、痴漢をやりたそうな男を探し、触ってもらって楽しんだ後、叫び声をあげ、その痴漢を駅員に引き渡すプレイを月に何度もやっていた。酔うとその話を楽しそうにする。「街は楽しい。頭の悪い男がいっぱいいる」と。なのに翌朝は、近所の子供たちのために、交通係りのパトロールに出かけていた。「ゆう子が交通事故に遭わないように」と、優しく笑っていた。

 今で言う出会い系のような風俗で男を見つけてはセックスをし、お金をもらい、そのお金を寄付して自慢をする。しかもお金を母に渡した男は必ず貶められていた。「三人は離婚させた」と、また酔うと自慢をする。小学生のゆう子には意味が分からないと思ったのか、話し相手が欲しかったのか、男のことで何かあると饒舌に語っていた。ママ友には話せないような悪行だったからだ。「それはお母さんが悪くない?」と言うと、頬を思い切り叩かれた。反抗的な目を少しでも見せると、時にはお腹を蹴られた。

「男は女の体が目当てなの。ゆう子も大人になれば分かるよ。いや、高校生にでもなれば分かるかな。あんた、美人だからもてるよ。男はセックスだけをして結婚する気がない。いい男は皆そう。ひどいもんよ」
「お父さんは?」
「だからお父さんのようなしがないサラリーマンとしか結婚できないの。お母さん、美人だけど、二枚目でお金持ちは美人にさらに付加価値がないと結婚してくれない。ま、沖縄にはお金持ちもいなかったしね。もっと早く東京に出てきたかったよ」

 ゆう子が小学六年生の時に、一家は東京に出てきていた。
「お母さんはお父さんの仕事で東京にくることができたのに」
 ゆう子が首を傾げながらそう指摘すると、
「お父さんの手取り二十八万円がこの美貌と体と不釣り合いなのよ。あんたもそのうちに分かるって」
と言って、娘のゆう子を足から頭までを舐めるように見ていた。こんな話になると、目を気味悪く笑わせながらゆう子を見る。いつもの癖だった。

「かわいいねえ。あんた、美人だから若いうちならその体に一億円以上の価値があるよ。処女のまま、お金持ちを探しなさい。学校の教師とか、金のない男とやったら大損だよ」
と言うと、自虐的に自分を指差した。
「そんなお金いらない」
「あはは。じゃあ、男に何を求めるの? まさか幸せ?」
「強くてかっこいいから、それでいいんだ」
「あら、言うわね。誰を見て言ってるの? お父さんだったら大笑いよ」

「戦ってる男のひと」
「あんた、お母さんに対する嫌味だよね。殺すよ」
 母が目を釣り上げたのを見て、ゆう子はさっと顔を両手で隠した。
 米兵が嫌いで沖縄から出てきた母のその話をずっと聞かされてきたゆう子は、戦争映画の勇敢な男たちを見て、彼らに憧れるようになっていた。反抗期だったのだ。
「戦って家に帰ってきた男のひとを慰めるのが、女の役目だと思う」
「戦争映画の影響? それで女優になりたいとか言いだしたのか。そんなの昔の話よ」

「お父さんだって、仕事から帰ってきたら疲れてるのに」
 ソファでぐったりしている父は、まさに過労死寸前だった。妻アンリは何も介抱もせず、父は腹が空くと、自分でコンビニに弁当を買いに行っていた。
「全然、戦地から帰ってくる男とは違うよ。ただのサラリーマンじゃないの」
「わたしとお母さんを養うために頑張ってるのに」
 ゆう子の言葉に、母はまさに爆笑した。男の前では口に手をあてて笑うが、奥歯まで丸見えになった。

「才能がない男が頑張っているのを見て騙される女になるね」
「頑張ってるのに、才能がない?」
 ゆう子が首を傾げていると、
「頑張っているようでいて、時間の使い方が下手くそなだけ。疲れているのは自業自得。才能がある男はそつなく仕事をこなすの」
と教えて、ゆう子の頭を軽く叩いた。「バカだね、あんた」と言う。

「あんた、美人になるから酷い目に遭うよ。覚悟した方がいい。あんたをかわいい、かわいいと言いながら弄んでポイってね。合法レイプってやつよ。セックスは男にレイプされるか、女が男を騙すか、その駆け引きなのよ」
「違うと思う。お母さんが沖縄で見た悪い兵隊さんたちはたまたまで、かっこいい兵隊さんたちの方が多いと思う。クラスの男の子たちも優しいもん」

 ゆう子がそう反論すると、また殴られた。平手ではなく拳を作っていた。
「なんて口のたつ子供なんだ」
「お母さんは、なんでわたしを殴るの?」
 歯が折れたような気がして、口の中に指を入れて、歯が残っているか確かめながら言った。
「あんたが子供のくせに、母親を批判するからでしょ」
「男のひとが悪いって、一方的に言うんだもん。疲れてるだけなのに、何が悪いのかわかんないもん」

「じゃあ、わざとセックスで男に嫌われるようにしなさい。そう、淫乱になるといいよ。男たちはあんたを射精に利用して、家事が得意な貞淑な女と結婚するから。それで男の本質が分かるってものよ。もし、セックスと顔だけのあんたと結婚する男がいたら、お母さん、あんたに謝るよ。その男がお金持ちだったら土下座して、沖縄に帰るよ」
「セックスと顔だけじゃないもん」

「なに言ってんの。こっそりとアダルトビデオを見てる子供が。自分でそこ触ってるの、知ってるよ。母親を舐めんなって」
 ゆう子の母アンリはそう嘲笑すると、近くにあったティッシュボックスをゆう子の股間に投げつけた。
 東京の郊外にある社宅のマンションの部屋は荒れていた。掃除はゆう子がしていて、父は遅くまで働いていた。父の下着もゆう子が洗濯していたのだ。

 母アンリは主婦で、料理も作らず時間が余っている時は男を探しに行っていた。少し掃除をすると、「美人は家事をしなくていいのに」と愚痴を零していたが、ママ友にはそんな傲慢なことは絶対に口にしない女だった。
 ゆう子は母と男性論で口論をするようになった小学生の五年生頃から、ポルノの漫画を読むようになり、父が見ていたAVもこっそりと見るようになった。
「淫乱な女ってどんな女だろう」

 母がそんな女だと察して、痴女が出てくるAVをよく見ていた。どちらかと言うと女が積極的になるセックスだ。
 ペニスが早く欲しいと哀願し、精子を顔や口で受ける女たちだった。時にはそこに男は数人いた。あるAV女優のブログを読んだら、
「今日も興奮した。わたしは本当に男性が好きだなあって思う。監督が射精しなかった男優さんを蹴らなければ最高の職場。いっぱいいっぱいセックスしたい」

と撮影日記に書いてあった。
lineああ、ここまで男性を好きになりたいな、お母さんとなんでこんなに違うのかな。
と、ゆう子は羨ましくなった。
 ゆう子は憎らしい母親に対抗する決意でいた。母が男性を憎んでいるなら、自分は死ぬほど好きになると。
 料理や裁縫など、まったくできなくても体と精神だけを愛してもらうんだ、と考えていた。
 そう、母の忠告を覆したかったのだ。

 それと、女がしつこくセックスを求めて男が戸惑うセックスは、大雑把なゆう子には女がとても楽しそうに見えた。
「なんかわたし、男のひとが媚びるセックスも嫌だし、女が媚びるセックスも嫌だし、セックスがよく分からないんだ」
 高校生の頃、ゆう子はクラスメイトの女子たちとそんな話をした。
「男の子の言うことを聞いた方がいいよ。口に出したいとか言われたらさ。じゃないと嫌われるじゃん」

 経験がある女子の一人がそう言った。
「そういうの愛じゃないよね。媚びてるよ」
「媚びてるんじゃないんだよねえ。中に出されるよりマシだし、ブスはそれなりに頑張らないと。あのさ、ゆう子は美人だから何をやっても許されるよ。もうすぐ女優になるんでしょ」
 クラスメイトたちはそう言って、げんなりした顔を見せた。
 初体験は高校を出てからと、美人にしては遅かったが、ゆう子はさして好きでもない先輩と淫乱に自分本位のセックスをして、母の予言通りに抱き捨てられた。

line抱いてくれたから今から好きになろうとしたのに。…だけどわたしはその男のひとたちを貶めたりしない。
 そして母に反発して、強い男性に対する憧れが強かったゆう子は、抱き捨てられたとはいえ、その男たちのペニスの力強さに夢中になっていた。
line痴女のように攻めてるのに、逆に押さえ込まれてしまう。すごい。
 男によってはペニスの力だけで、ゆう子を動けなくした。

 愛のないセックスは嫌だったのに、それが女の体の芯を痺れさせることが分かったゆう子は、きちんと恋もしないまま、二十歳を過ぎ、女優業をやりながら、酒、煙草。そして、時々、酒に任せたセックスの日々を過ごした。好きな男性が出来ず、セックスはそれほどしていない。
 恋ができない事情は別にもあったが、たまのセックスはセックスから始まる愛、そして結婚を目指した暴走だった。
 ちょうどその頃にパニック障害を患い、さらに酒浸りになってしまった。そしてセックスをしなくなって二年ほど過ごした後、友哉と出会った。

 ゆう子は、いぶかしげに自分を見ている友哉をちらりと見た。また、
「バーボンなんか飲んでいたら、例の話ができなくなるぞ」
と叱られる。お酒は、セックスの時以外は控えるように、友哉から注意されていた。
「怒った顔がイケメンだね」
「ほら、酔ってきた。利恵、水をもらってきてくれないか」
 友哉が、ゆう子のグラスを取り上げると、利恵が、片言の英語で水を頼みながら、カウンターまで歩いた。

 成田空港で見た佐々木友哉は、母がきっと見惚れるような紳士的な二枚目で、トキから得た強さがもし本当なら、まさに英雄だった。トキは、「友哉様が復活すれば、テロリストなど赤子の手を捻るよりも簡単です」と笑ったのだ。ガーナラが精力を増幅させることも知っていたゆう子は、
line早くセックスがしたい。力強く抱いてもらいたい。

と飛行機の中で興奮していた。バスルームをなぜ覗かないのか、と叫んだり、強引に口の中に射精をしてもらったのも、友哉にすぐに捨てれたくなくて、進んで体を差しだした形だが、それはクラスメイトたちが言っていたような媚びではない。必死というやつだ。お芝居じゃないし騙してもいない。抱かれた後、男性に捨てられたくないだけだ。
『ブスは頑張らないといけないんだよね』
 クラスメイトはそう言ったが、自分は性格ブス。

 男にやり捨てられるのはそのためで、セックスは関係ない。胡坐をかきながら、煙草の煙を男に吹きかけていては嫌われて当然だった。口から煙をはきながら、厭世主義を口にしたと思ったら、セックスの下品な話をしてトイレの排泄までも見せびらかす。オシッコをしながら愛の言葉を言ってみせ、
lineセックスと顔だけで結婚してよ。
と試していたのだ。

 母親との闘い。すでにこの世にいない母との長い闘い。気が遠くなるようなdots
 暖かい季節に部屋で裸になる癖や行儀の悪さは母親の影響ではないが、佐々木友哉と出会い、「これを頑張って治した方がいいかな」と悩んでいた。だが胡坐をかいてお酒を飲んでいるのを友哉が嫌い、部屋から出ていくことはなかった。痴女のようなセックスは少し嫌そうだが本気で怒ったことはなく、帰国後、マンションでの約二週間も優しかった。

line顔とセックスだけで、こんなに優しくしてくれている。見たか。遂にきたぞ。
 初めて、長い期間、男性に優しくしてもらった。パニック障害を気遣いすぎて、力強く抱いてくれないのが不満だが、「女を次々にレイプできるようなケンカの強い男が、それをわたしにはせず、超優しい。お母さんさ、早く謝りに来なよ」とあの世にいる母親に毒づいた夜もあったが、それでも母はきっと、「その男がかっこよくても、あんたの周りには凶悪な男がいっぱいいる。その男もじきにあんたを捨てる。そのうちに泣くことになるよ」と嗤うだろう。

 米軍基地の兵士が怖くて、沖縄から九州に逃げた母の口癖だったline
 母に似た劣悪な女たちと暴力で人を平気で殺す男たち、どちらも懲らしめたいと思って生きていたが、そんなことはできないはずだった。ところが、未来の男からもらったAZという装置と友哉の銃を使えば、それが可能なのだ。
 ゆう子は、AZの画面を見ながら、日本で起こる凶悪事件や誠実そうな男性が女に貶められる事件を毎日、それこそ寝るまも惜しんで探していた。

 凶悪な男と劣悪な女を友哉さんに退治してもらう。奴らがいなくなれば、わたしの勝ちだ。あの傲慢で自信たっぷりだった母に勝てるのだ。そんな途方もない夢を持った。
「ユートピア」
 ゆう子が虚ろな目でそう呟くと、友哉がまた、うんざりした顔をした。
「利恵にする話は今夜にするか」
「利恵さん、わたし、ユートピアを作るんだ」
「ユートピア?」

 利恵が怪訝な顔つきを見せ、ゆう子を覗きこんだ。
「劣悪な女とテロリストみたいな男たちがいなくなる世の中」
 ゆう子がそう言うと、友哉が間髪入れずに、
「ふざけるな。テロリストが目指しているのもユートピアだ」
と言って、ゆう子の酔いを冷まさせた。まさに冷水を浴びせた形になった。
「へ?」

「ユートピアは独裁者が目指すものだ。テロリストの夢も自分たちの宗教の世界を築くユートピアだ。ゆう子のように善人だけの世界を創る夢があるのも、無政府のユートピアや若者だけのユートピアを目指すことになって、結局は誤って多くの人を殺すことになる。直接、手を下さなくても、別の土地に追いやる過程で、餓えや病気で死なせることになる。妙なことを口にするな」
 友哉の冷静な怒りに、ゆう子は思わず、「すみません。抱いてください」とオロオロしながら言った。冗談に聞こえたのか、友哉はさらに不機嫌になったが、利恵が、

「奥原さんは酔った勢いで抱いてほしいって言ったけど、大人の知性とオーラが出てた。なんでそんなにスラスラ言えるの?」
と友哉を見つめた。
「ゆう子の性格を脳にインプットしているから、くだらない思想を言いだすのは想定内だ」
「ふーん、あなた、何者?って言いたくなる。映画の台詞みたいだけど」
「ごめんなさい。酔いは冷めました。今から何者か教えるよ」
 ゆう子が利恵を見て、頷いた。

 昼間とはいえ、店内はバーらしく暗かった。女性ボーカルのジャズが流れている。オリジナルとは違う『青い影』という名曲だった。
「利恵さん、わたしたち、世界征服を企んでいる秘密結社の人間なの」
 ゆう子のいつものくだらないジョークに、友哉は笑うこともできずに顔を下に向けた。
「ごめんなさいとか言ってて、それか」
 利恵が呆気にとられているのを見たゆう子は、AZを目の前に出してみせた。
「え?」

 利恵が声を上げた。
「マジックみたいでしょ」
 画面の日時情報に触れると、十六日にロスアンゼルスの大学で銃を使ったテロ事件がある文書が浮かんできて、それにも利恵は目を丸めた。死者の数が十人強など、大雑把な詳細がタブレッドの表面に浮かんでいる。
「文字が3Dみたいに浮かんでるけど」

「天井まで飛ばせるよ。わたし、夜にベッドに寝ながら、部屋でプラネタリウムを見ているみたいに、AZから出る話を部屋の空中で読んでる。あまりにも目に優しいし、疲れないから夢中になってしまう。だけど、今それを見せると店の人たちがびっくりするね。秘密結社は嘘よ。これは未来の人からもらった、これから起きるテロや凶悪事件を予知するエーゼットって名前のAiなの」
 利恵は言葉を失っている。

「それを阻止するのが友哉さんで、あ、銃は出したらだめだよ」
「出すわけないよ」
「友哉さんは特殊な拳銃を持っていて、こんなふうに取り出せて、敵と戦うんだ。実はワルシャワのテロリスト殺人事件の日本人は友哉さんなの」
「ええ?」
 利恵が甲高い声を上げたものだから、バーのマスターが目を丸めた。

 ゆう子が英語で、「ごめんなさい。気にしないで」とマスターに微笑みかけた。
「本当にあのテロリストを撃ち殺して消えた謎の日本人が友哉さんだったの?」
「そうだよ。殺人犯なのにネットでは逆に人気になってるから、わたしは悪い気はしてないよ。外交問題にもなってないね」
 ゆう子が笑った。
「アメリカがマークしていた過激派組織の一員だよ。それを片付けちゃったの?」
 利恵が、友哉の肩を揺するようにして掴んだ。

 頷く友哉。だが特に自慢げになる様子もなく、無表情だ。それを見たゆう子が、
「クールでしょ。このひと、何がどうなったら楽しい人なのか分からないんだ」
と、ゆう子が呆れた顔をした。
「人を殺して楽しいはずがない」
「真面目だね。友哉さんがもし、アメリカの軍の人なら勲章ものだよ」
「青い空と海をくれ」
 友哉かポツリと言った。

「なに言ってんの?」
「都会のイベントと執筆で缶詰ばかりの人生だから、後半はのんびりしながら、海亀と美女を見て暮らしたい」
「わかったよ。海亀の縫いぐるみ買ってあげる」
 ゆう子は友哉の願望を聞いておきながらその言葉を軽視して、話の続きを始めた。
「利恵さん、このひとはつまり、殺人犯とも言える。どうする? 降りる?」
「え? 殺人犯じゃないよね。世界中で絶賛されている」

 利恵が失笑した。
「OK。彼女、偽善者じゃないね。さすが、友哉さんの彼女」
 友哉にそう言うと、利恵は黙って頷いた。友哉が少し嬉しそうな表情を見せていた。
「桜井真一って刑事にもマークされているから、利恵さんの迷惑にならなければいいけどdots
 ゆう子がそう言うと、
「ここに連れてきたのが、もっと迷惑だと思う」

と友哉が苦笑した。
「大丈夫。なんか買ってもらう。奥原さん、ブルガリの指輪してるし」
「日本より安いからブルガリのネックレスやスカーフも買ってもらえば? でね。一見すると、スーパーマンだけど、疲れたらセックスしたり、女の人に触ってもらったりしないと死んじゃう体なんだ」
 ゆう子は意地悪っぽく、
「本当に死ぬのよ。発狂死、または突然死」

と言った。
「また言う。そこを強調するなよ」
 友哉が、瞼を重くして息を吐きだしたのを見たゆう子は、「ごめんなさい。利恵さんにそこを説明しないとだめだったから」と頭を少し下げた。
「で、未来の人がどうしたの?」
 利恵は少しだけバカにしたように笑った。
「友哉さんが事故で車椅子の生活をしていたのは知ってる?」

「うん。ちょっと聞いた。それで奥さんと離婚になったって」
「リハビリを続けないと歩けない体だったのに、未来からきた人が一瞬で治してくれたのよね?」
 ゆう子が友哉の顔を見た。彼が黙って頷いた。
「体を治した代わりに、テロリストたちと戦ってほしいって言われたらしいの。他にも大事なことはあるけど、とりあえず今日はそれでロスに来たんだ。わたしも未来人からそれを聞いて、友哉さんの秘書になって、その仕事をしてるの。ちょうど女優を休みたいと思ってい

たから別にいいなって」
「じゃあ、本当にセックスだけの関係だったんですね」
 利恵はテロや未来人の話を脇に置き、恋愛の方に関心を示した。
「厳密に言うとそうかな。片想いは嘘じゃないし、もっと複雑だけど」
「片想い、ありがとう。で、何が複雑なんだ」
 友哉はそうは訊くが、言葉とは裏腹に関心がなさそうで、ゆう子は、ちらりと友哉の顔を見て、続く言葉を飲み込んだ。「鈍感」と唇が動いていた。

「片想いをしてやってるのに、バカにしやがって」
 ゆう子が毒づくと、
「バカにしてないよ。ありがとう」
と、また礼を言う友哉。だが、ゆう子は不満そうだ。すると、友哉が、「さっき、俺の夢を無視したくせに」と子供みたいな顔で呟いた。
「聞こえない。もっと大きな声で文句を言って」
 ゆう子がそう叱ると、ふて腐れてしまう。利恵がその様子を見ていて、

「うーん、やっぱりカップルに見える。セックスだけdotsセフレじゃなくて、友哉さんを好きなんですよね。そういう記者会見だった」
と言った。
「うん。まあ、そんな話は今度でいいよ。このひと、誠意がないからさ。むしろ、わたしはあなたのウエストが何センチなのかが気になる」
「は?」
 利恵が目を丸めた。

「すまん。奥原ゆう子は適当に喋り続ける三流女優なんだ」
 友哉がそう謝ると、
「さ、三流女優? 主演女優賞を取ったことがあるのに」
 ゆう子が体を大げさに傾けるほど驚いた。
「その小芝居が三流。主演女優賞じゃなくてリアクション大賞なんじゃないか」
 友哉のジョークに利恵がくすくす笑っている。
「上品な笑い方をするよね。で、何センチ?」

「55かな」
 またゆう子がのけぞった。今度こそ、椅子から落ちるほどだ。
「頑張ったら54か3になりますよ」
「頑張らなくていいよ!」
「おまえは?」
「60。頑張ったら62か4なるよ」
「今のは今までで一番面白い」

 友哉が笑ったのを見て、ゆう子が勝ち誇ったように不敵な笑みを零した。
「で、あなたに仕事を手伝ってほしいのは、今、友哉さんの彼女だからだけど、わたしが一人じゃ支えきれないから、一緒にサポートしてほしいわけ。友哉さんが倒れたら、セックスで回復させてほしいのよ。セックスができない時は触ったり、見せたりするのもいいんだ。美女なら元気になるから単純な男よ」
「俺の批判を合間に入れないでくれ」

「もちろん、利恵さんは友哉さんの彼女で、わたしは秘書って立ち位置は変わらないから。dotsなんて言うのかな。嫌ならいいのよ。仕事だからね」
「嫌と言うか。未来の人って本当なの? なんで、友哉さんとゆう子さんがテロや凶悪事件と戦うんですか」
 ようやく、重要なそちらに話が移った。
「本当に未来の人かな。わたしはそう思っているけど、第三者に問われると断言できないね」
 ゆう子が友哉に聞いてみる。

「なに人でもいいよ。足も治ったし、金ももらったし」
 ゆう子も「そうだね」と呟いた。
「三百億円はそのお金? つまり成功報酬なの?」
「そうだ。いくら体を治してもらったとはいえ、そんな危ない橋を渡るはずない。金があるからテロリストと戦うわけだ。この仕事が終わったら、その金で南の島でセミリタイヤだ。もし、俺が急に気が変わったら、おまえの銀行にある三百億円が消えてしまうかも知れない。だから一応、引き受けた仕事はする。本当にあるよね? おまえの勤めている銀行に」

「うん、ある。ササキトキの名義で」
「しかも存在しないから、非課税」
「佐々木時さんはどこにもいないけど存在はしているよね。国税局がやってきた」
と利恵が教えた。
「国税? テロと戦うために寄付してくれた人生の最後が立派な男の金を国が奪ったら、俺は本気で怒る。ふざけんな」
「ひい。落ち着いて」
 ゆう子があからさまにおどおどと落ち着きを無くす。

「本気で怒ったらどうなるの?」
 利恵がまた軽蔑するように笑った。友哉は何も答えず、ゆう子が、
「まあ、わたしの力と合わせて、国税局が消滅する?」
と、頭を人差し指で掻きながら言った。
「そこまではしない。税金で購入した高級車を全部壊して回るよ。利恵の言うように、本当は存在しているから法的に凍結は無理だ。つまりササキトキは今は行方不明みたいなもん。

桜井さんに、ササキトキは行方不明者として死亡証明書の書類を作らないように言ってある。なのに、国が勝手に押さえたら国との裁判だが、有名弁護士五人に大金を渡して、国税が動かないようにしている。弁護士に三年間、時間を引き延ばすように頼んだ」
 軽い口調だったが、眠そうだった目の奥が鋭利に光り、ゆう子と利恵が驚いた。
「知らなかった。いつの間に。なんなのその用意周到な行動力」
 思わず声を上げるゆう子。

「そうだったんだ。銀行に国税局の人たちがやってきたら、すぐに弁護士軍団もやってきて、びっくりした。弁護士たちは社長が呼んだんだけど、友哉さんが手を回していたのか。男のひとって怖いなあ。でもお金はだいぶ減っていた。そんなに弁護士に渡したの? 別の口座に移した?」
「リスク回避した。株や金に変えたんだ。当たり前だ。そして利恵、俺の口座を勝手に見るな」

「勝手に見られません。うちの社員の男が調べようとしていたの。うちのお金を使いこんでる噂がある男。彼が社長に呼ばれて専務と尋問した時に、友哉さんのお金だからって、わたしも立ち会ったの。その時に三百億円じゃなくて、二百億円って話になっていた」
「なんだ、その姑息な奴は」
「なんだって、言われても。わたしの斜め後ろに座っている若い上司」
「斜め後ろ? そんな奴が利恵に触ったら、病院送りにする」

「道徳も語らないし、悪いこともしない不思議な男性と思っていたら、やっぱりワルだね。そして、利恵さんは僕だけの女ってことか」
とゆう子が言った。それでいて気にしていない様子で、淡々と話を続ける。
「トキっていうその未来の男の人が言うには、友哉さんはトキさんのご先祖様で、まあ、本当かどうかは分からないけど、友哉さんは天才的なケンカの達人らしいよ」
「ケンカは嫌いだって」

「よく言うよ。高校生たちを病院送りにしたのはなんで?」
「え? そんなことも知ってたのか」
 友哉が大げさに驚く、少し顔色を変えた。利恵も目を丸めた。
「飛行機の中で見つかった文献。不思議その一、なんで高校生たちをリンチしたのか。不思議その二、なんで友哉さんは逮捕されてないのか」
「トキが作ったその文書が間違えている」
 友哉が気を取り直して言う。

「俺は手を出してない。彼らが勝手に病院にトコトコ歩いていったんだ」
「そのままま読むね。友哉様は約三年前に、事情があって高校生五人を病院送りにしました。火傷、裂傷、顔面骨折。私たちが力を与える前です。今は人が変わったように内向的になっていますが、卑怯な人間を目の前にすると怒り出すので、ゆう子さんのジョークがしつこくてくだらないと怒るかも知れません」
「妙なオチが入ってるが、トキがそんなことを言うのか」

「このテキスト。実はトキさんじゃないんだ。でもね、その人の名前をまだ言ったらだめだって。なんでもアンロック方式だよ」
「アンロック方式?」
 利恵が興味津々、AZを覗きこんだ。
「時間が経って、物事が解決していったら、友哉さんの秘密や、未来の人たちの隠し事が出てくるの。つまり、わたしが思うには、友哉さんがロスに来ている今、少しは復活してきた

から怒らせないようにってこと。だから昔に不良高校生たちを五人一度に病院送りにしていますよって急に出てきたんだ」
「なるほど、奥原さんのジョークがくだらないと怒りそうね」
「利恵も意外と面白いな」
「だって、くだらないから」
 利恵がさらっと言ってのけ、ゆう子が、利恵を見て言葉を失った。

「な、なんて言うのかな。軍の隊長になって、作戦を完璧に成功させるタイプ。そうね。どちらかと言うと頭脳派かな。そして、わたしが友哉さんのために選ばれた女。そうなんでしょ」
 気を取り直して説明するゆう子。
「少々お喋りだが、あなたにぴったりの女性ですと、トキに言われたが少々じゃなかった」
「え? そんなこと言われたの? 他には」

「他は身長や指輪のサイズ。実はスリーサイズは知っていた。さっき、ウエストは60って言ってたけど、太ったのかな。82、58、83。過去のことは知らない。女性のセックスや恋愛の過去は教えられないってさ。真面目な未来人だ。それに女優って知らなかった。その記者会見とやらは新聞で読んだけど、興味なかった」
「そうだったんだ。でも、そんなにお喋りじゃないけどな。トキさんはそう言って、わたしを友哉さんの秘書に無理にしたけど、女は別に利恵さんでもいいのよ。もしかすると、松本

涼子でもいいんだよね」
 ゆう子がそう言うと、
「おまえじゃないとだめだと思う」
 友哉が間髪入れずに言った。ゆう子の目が一瞬輝いた。曇っていた空から太陽の光が零れたようだった。
「奥原さん、告白ですよ」
 利恵が微笑んだ。ゆう子は利恵のその余裕が癪に障ったが、素直に喜んで、
「わたしじゃないとだめなんだあ」
と体を揺らしながら微笑んだ。照れすぎて顔が真っ赤である

「海外旅行に慣れてるから」
 ゆう子が体の動きを止めて、テーブルの下で友哉の足を蹴った。
「ケンカしないでください」
 苦悶の表情を浮かべている友哉を見て、利恵はおかしそうに笑った。
「ゆう子、おまえ、お喋りじゃないのか」
「うん。いつも物事をしっとり考えている女だもん。言葉遣いが男の子みたいだって言われるけどね」

「セックスもすごいもんね。ずっとたってる」
「おまえ、女の子が歓ぶような優しいセックスよりも激しいのが好きだからよかったよ。でも普通のセックスもできるので」
「うん。分かってる。普通のもやってくれてるもんね。二階から飛び降りて、松本涼子を助けたのは本当なんだ。かっこいい」
「本当だけど、やっぱりその後、意識を失った。オリンピックに出たら世界一の記録を出せそうだが、その瞬間に死ぬと思う」

第十四話 復縁の条件

第十五話 想い出の温泉地~愛憎の女神、凉子

テスト

lineわたしよりもあのひとを愛して、わたしよりもあのひとを傷つけたなら、この場で殺す。話あるなら、そう、愛してなかったというなら許してやる。
 涼子の目を見た律子が、
「怖い顔。やっぱりあなた、友哉さんの愛人だったのね。薄々感じていたけど」
と言った。
「誤解を招かれては困りますが、当時わたしは中学生から高校生。体の関係はなくて、ただ、執筆のお世話をしていただけです」

第十六話 狙われた利恵と淳子

第十七話 クリスマスに現われた少年

第十八話 初めてのデート 第一部完

と、話を続けずに、下着姿のゆう子から目を逸らした。部屋の端のベッドに晴香が寝ていて、輸血をしていた。
line友哉さんが起きないと、晴香ちゃんを助けられない。
「先生、わたしのスマホを見てくれますか。誰かからメッセージか電話は入ってませんか」
 まだ若い医師は、スマホの扱いに慣れているのか、さっと見ると、「一件、何か着てますよ」と、ゆう子に教えた。

「開いて見せてくれますか」
 若い医師はやってきた女性看護師にスマホを渡し、「これをこの人に見せて。僕は喜多川さんのほうに行きます」と、目のやり場にこまったのか、足早で晴香の元に行った。
「えdots奥原ゆう子? 」
 看護師は言葉を失ったまま、スマホをゆう子に見せた。
 メッセージには松本涼子から、「今、成田に向かってます」と、書かれてある。

「あなたが運転してるの?」
「いえ、運転手がいます」
「その運転手はどんなひと?」
「どんな人ってdots初老の元タクシーの人です」
「車はミニバン?」
「はい。そうです。松本は夜、ラジオがあるから、成田には少ししかいられません。それに都内からずっと覆面パトカーに追跡されているんです」

「え?」
「一台、猛スピードで抜いていきましたがdots。六本木の事といい、松本が何かやったんですか」
「何もやってません。涼子ちゃんの事務所にはわたしの社長から連絡をして、改めてお詫びとお礼に伺います」
「は、はい!」
 桜井真一の部下が、友哉に頼まれて涼子を追跡していたのだ。そういえばさっき、一人、利恵の銀行にいた刑事がいた。桜井が撃たれて、先に成田に行ったのだろう。だが、他の刑事は涼子を警護している。

「は、はい」
 涼子は携帯を受け取ると、「ちょっと聞こえていたけど、またショック療法なんですか」と、笑った。
「一生のお願い」
 ゆう子の声が真剣なのを聞き、「いいですよ。運転手が目を瞑ったら事故ると思うから、運転手さんには前を見て運転するように頼みます。友哉先生には見られてもいいですよ。だけど、写真も低体温に効くんですか。変なの」と言った。

 数分後に、ゆう子のスマホに添付画像が入ってきて、アイドルらしいポーズを車中で決めている涼子の画像が五枚、送られてきた。それは水着撮影の時などに使うポーズだったが、涼子は普通にミニスカートだった。
「なんだ、なんだ。一枚ずつソックスが違う。うわ、丸見えだ。ごめんなさい」
 さすがのゆう子もすまないと思った。このバカバカしい医療行為が効くとは思えなかったが、少しでも回復に向かう時間が短縮できればなんでもすると、ゆう子は思い、横にいる女

性看護師にも目を向けた。それほど美人ではないが、歳は三十歳くらい。少し、友哉さんに触ってくれないかな、と考えた。
「この人、お母さんに抱っこされたことがなくて、だから女の人に触ってもらったりすると、元気になるんです」
 実は本当の話だった。ゆう子はそのことでも友哉の過去に泣いたのだ。生まれた時からいないのならまだましだった。友哉は、母親から嫌われていたのだ。
「南野さんも少しだけ、触ってあげてください」

 名札に「南野」と記されていた。
「いいですよ。だったら、胸を擦りますね」
 白衣の天使らしく、疑わずに了解した。
 そして、ブラジャーを左で持ちながら、つまり乳房を隠すようにして、友哉の肌や頬に乳房を寄せているゆう子を見て、「誰も見ないようにするから、全部脱いだらどうですか。衝撃の片想いの男性なんでしょ」
と言った。

 転送から、友哉が目を開けるまで、約二十分。目は空いているが体はまったく動かなかった。喋ることもできず、だが涼子のパンツが丸見えの写真には少しだけ笑みを零した。
 時間経過は、恐らく、晴香と桜井が襲われてから、まだ一時間くらいだ。ロスから飛んできたから、二十四時間くらい経過しているような錯覚に陥るが、警察官が、「事件発生から五十分も経過したのに、犯人グループは見つからないのか」と、怒鳴っているのが聞こえたのだ。
「入れる病院が見つかったそうです。すぐに喜多川晴香さんを運びます」

 看護師がゆう子に教えた。ゆう子は、「桜井警部補は?」と訊いた。
「先程、亡くなられましたが、別の車で同じ病院に運びます」
「そ、そうですか。私達も晴香ちゃんと一緒に行きます」
「もちろんですよ。お父さんなんですよね」
 看護師は寝ている友哉を見た。
 晴香は右肩を負傷したようだった。右肩を中心に、右半身に包帯を巻いていて、輸血と抗生剤と栄養剤の管が入っている。意識もなく、出血多量のショック状態らしい。

 店の扉に「貸し切り」と記してあったら、客はもちろん、これでは警察も入ってこない。
 リチャードの好意は、吉とはでず、凶だったのだろうか。利恵は、銃を向けているヒスパニックの若者を見て思った。
「ハルカはわたしです」
 利恵が英語で言うと、男の足と腕が少し動いた。

 何十人も死ぬはずが、わたしだけで済むのなら、リチャードの好意は吉だったのだ。利恵は観念して、「友哉さん、あなたのお金に見惚れた。ごめんなさい。これは天罰」と日本語で呟いた。その時に、「待て、話をしよう。君の名前は? わたしはリチャードだ。リチャードギアに似ているリチャードだ」と、リチャードが言った。
「ジェイク」
 彼は言った。
「ジェイク、なぜ、ハルカを狙うか、それを教えてくれ。酒も出す」

 ゆう子は真っ青な顔をしている友哉を見て、呆然としていた。AZを取り出そうとして、涼子がいることに気づき、手の動きを止めた。
line男性は、血圧が急降下すると発狂死したり、ショック死したりする。やはり、人口が減った時代に、種族保存のために作られたクスリなんだ。それが男性に過酷すぎて、暴力的にもなるから禁止になったのか。

「大丈夫? よほど、涼子ちゃんが好きなのね。嫌味じゃないよ。憧れのアイドルなら、キスをされただけでも回復して当たり前。アイドルオタクの男性なら逆に気絶するけど。でも、晴香ちゃんが生き返って、本当によかった」
 ほっとしたのか、ゆう子の目から大粒の涙が止まらない。
「女優とアイドルだ。すごい威力。どんな男も元気になるよ」
 友哉が珍しく屈託のない笑みを零す。

「何か不思議な力を友哉先生は持っているんですね。今度、教えてください。だって、そのリング、緑色にピカピカ光っていた。マネージャーが怒ってるから、わたし帰ります。あ、友哉先生」
 涼子が覗きこむように、友哉の顔を見た。友哉が顔を上げた。
「今、どこにdots
「キスでもするの。ありがたい。見ないふりしようか」
 涼子はホテル暮らしの友哉の居場所を訊こうとしたようだった。なのに、ゆう子がいつものふざけた調子で、涼子の『勇気』壊してしまうと、涼子が顔を曇らせて、

「先輩、今度、わたしの頼みも聞いてくださいね。最近、楽しみが増えたんですよ。だから、ゆう子さんが邪dots
 邪魔なんだよ、と言おうとしたのか、その言葉を友哉が遮るように、
「追放されるぞ。おまえの頼みは無茶なことばかりだから」
と言って、笑った。
「人聞きの悪いことを言わないでって。そんな事務所じゃないのに」

 涼子の暴言に気づかないゆう子。涼子は友哉から離れて、
「まだケガの後遺症があるようだから、温泉に行くといいですね。冷え性の女の子と二人きりで」
と言って、歩き出した。友哉は少しだけ微笑んで、だが何も返事はしなかった。
 涼子は言いたいことを言ったのか、いったんあきらめたのか、清々しい顔をして去っていった。
「わたしが一緒に行く。わたしのあなたへの愛は永遠。まるで源泉かけ流しよ」

 友哉がそのジョークに笑わないでいると、
「あ、行かないね。はいはい。デートはしません。したくないし」
と、ゆう子は落ち着きなく笑い、疲労で深呼吸をしている友哉の股間に触れた。
「忘れてた。ごめんね。立ちバックできる場所に行こう。わたしはこれで幸せ。本当よ」
 誰も見ていないことを確認して、病院の廊下の壁に両手を突いて、お尻をそっと突き出した。

「うわ、色っぽい。生きててよかった。でもその白いミニドレス、高価すぎて汚したくないんだよ。わりと貧乏性なんだ、俺」
 友哉は立ち上がって、ゆう子に体だけ合わせた。セックスには至らない。下半身を擦るように寄せ、ゆう子の乳房をそっと触っている。
「生きてて良かった? 珍しく素直だね」
「このシチュエーションに、文句を言う男がいたら教えてくれ」

「あら、有名女優で良かった。でもセックスしか頭にないバカ女だよ」
「こんなに優しくて機転が利いて、それでいてセックスしか頭にないバカ女なら逆に天才だ。だけど、源泉かけ流しは台無しで、その瞬間に女芸人になってしまった」
「ごめんなさい。言った瞬間に自分でも面白くないと思った」
 ゆう子がそう詫びた時に、友哉がスマートフォンの着信に気づき、画面を見つめた。
「なんて強引なペアリングだ。俺の画像を勝手に加工するな」

「どうしたの?」
【友哉様、先程見られた者です。桜井真一さんがまだ間に合います。私が腐敗するのを止めてあります】
 友哉が待ち受けに使っていたラベンダーの花の画像が、紫色の文字に変わっていて、ラベンダーの背景はそのまま、富良野の畑だ。
「桜井さんはどうした?」
「亡くなった。きっと晴香ちゃんを助けて」

「彼はどこにいるんだ?」
「この院内。霊安室か解剖中かも」
「行こう。あとで死ぬほど抱かせてくれ」
 廊下の向こうから歩いてきた看護師に、「桜井っていう警察官はどこに安置されていますか」と訊いた。
「桜井さんなら、霊安室です」
 霊安室は、地下の一階にあり、二人はその部屋の前に立った。

 鍵がかかっていて、友哉はPPKでさっと撃ち壊した。
「それ、やばくない?」
 ゆう子が目を丸めた。
 桜井真一は肉の塊となって横たわっていた。毛布をかけられていてもそれが分かる重々しさがある。
「遺体を見るのはきついからそこでいなさい」
 友哉が大人の口調でそう言い、ゆう子を扉のところで止めた。

「桜井dots
 まるで友人を悼むような目でじっと彼を見ている友哉。ゆう子はそれを静かに見ていた。
「やったのは白い服の男たちか」
と言って、彼の胸のあたりに手を置いた。すると、暗い部屋に緑色の光線が飛び散った。ゆう子は驚いて思わず友哉に駆け寄った。
「なにしてるの! またガーナラじゃない!」

 緑色の光がリングから飛び、壁にぶつかったその光がまた友哉のリングに戻ってくる。まさに、清流が流れる新緑の森に蛍が飛び交うようだった。
「今の俺は大丈夫だ。涼子ちゃんとおまえと晴香で、心が充実している。でも頼む。一緒にいてくれ」
 友哉がそう言い終わらないうちに、桜井の顔に生気が戻ってきていた。
「なるほど、まだ腐っていない。治せる」

 全身全霊をこめているのか歯を食いしばっていた。
「酸素がなくなった脳の損傷を治す」
 桜井の頭に左手を乗せる。すると、緑色の光が彼の頭全体を覆った。
「血を増やす。なんの混じり気のない深海のミネラルをdots。おっと、腸に小さな癌細胞がある。T細胞と太陽の熱で殺す」
 首に左手を移すと、緑の光が皮膚の中に溶け込んでいくように消えていった。
「が、癌細胞を殺すってdots

 ゆう子は立ちすくんだまま、震えていた。
「人工の熱じゃないぞ、ゆう子。リングから発する光は太陽の光だ。ちょうど43℃。AZで大腸の汚物を廊下のトイレに転送。俺の力で飛ばせる」
 突然指示する。奇妙に冷静な声色に、ゆう子は震えながらAZの操作をした。
「お腹の中、友哉さんのリングから見えるけど、どうすればdots
「そのAZはテレパシーの方が反応がいいはずだ。脳で事情を伝えてみろ」

 ゆう子が念じると、AZの表面に大きな文字が浮かび、
【トイレの座標がない】
と出てきた。
「トイレならどこでもいい」
 それを見た友哉がそう言うと、桜井真一の大腸から汚物や水分が消えた。
「え、AZが友哉さんの指示を聞いた」
「よし。せっかく動き出したのにごめんよ。また腸の動きを止める。その間に癌を死滅。うん、ピンポイントでいける。dots終了。再び、腸を回復させる。傷の神経の修復、アミノ酸、ビタミンdots桜井、分かるか。俺だ。佐々木だ」

「佐々木dotsあんた誰と戦ってるんだ」
 ゆう子は驚愕した。死亡から一時間以上経過した死体が蘇生したのだ。
line友哉さんは、強くなっている。いや、これが桁外れのゾーンなのか。そしてリングを使った医療技術をいつのまにか会得している。
 ひどく感動してしまう。
 わたしの愛する男性はすごい人だ、と。
「看護師か誰かを呼んできてくれ」

 ゆう子はすぐに廊下を走った。
「桜井さん、娘を助けてくれて、ありがとう」
「ここは霊安室じゃないか。俺は死んだのか。これは死後の世界の夢か。だって、今の奥原ゆう子だろ」
「俺が生き返らせた。もうすぐ看護婦と医者が血相変えてやってくる」
「おまえ、やっぱり超能力者なんだな」

「あんたをやったのは白い服の人間か」
「そうだ。おまえの娘の前に突然現れたから応戦したが、敵は二人だったし、赤い光線が意外と下手じゃなかったぞ。嘘つきだな。だから惨めに負けた」
「惨めじゃないよ。ありがとう」
 寝ている桜井よりも腰を低くして、そう屈みながら桜井の手を握ると、彼は、「まさか友情か」と笑った。
 霊安室に飛び込んできた医師は、「信じられない。また生き返ったのか」と、晴香のことも

あり、顔面を蒼白にしていた。だが、看護婦が、「先生、五年に一回くらいありますよ」と、笑う。ゆう子が「そうなんだ」と、くすっと笑った。その時、携帯が鳴った。利恵からだった。
 桜井が運ばれていき、ゆう子は携帯を耳にあてたまま、廊下に出た。
「ゆう子さん、こっちも大変なことにdots
「どうしたの?」
 ゆう子は思わず、友哉の顔を見た。

「ゆう子さん、大きな声を出さないで聞いて。実はバーにテロリストが入ってきて、わたしと北島春香とリチャードが人質になっている。何億円か渡せば殺さないって言ってるけど、それも友哉さんが持っているお金の話で、時間を稼いでいるの。警察も気づいていない。たぶん、だめだと思う」
 力なく言う。
 ゆう子は、いったん電話を切って、
「ロスでは利恵さんが殺されそうです。あのバーにテロリストがやってきたみたい」

と、友哉に教える。ゆう子は、おでこのあたりに手をやり、吹き出す汗を拭うおうとした。いや、激しい頭痛に襲われたのかもしれなかった。
「学校じゃなくて、利恵のいるバーに? なぜだ」
 友哉も目を泳がせるほど動揺していて、桜井が運ばれていく後をたどたどしく歩いていく。
 いったん処置室に運ばれた桜井の横に、友哉は座った。医師と看護師がバイタルのチェックをしている。

「桜井さん、どうしたらいいか」
 友哉が、年上の彼に教えを乞う。ゆう子は顔面蒼白で立ちすくんでいた。
「どうしたんだ。今度はなんだ」
 桜井が二人を見やった。看護師が点滴を付け、血圧を測っていたから、彼の耳元で、
「ロスでテロだ。あんたに皇居を頼んだのは、翌日のロスのテロを阻止するのが目的だった。だが、晴香が成田で襲われたから帰ってきたんだ。どういうことか分からないが、宮脇利恵

が人質になってしまっているらしい」
と教えた。
「白い服の男たちがテロに加担してるのか」
「わからない。だが、テロを阻止するように依頼されている。誰にとは言えないが…。ゆう子、ロスに俺だけを転送してくれ」
 看護師が席を外した隙に言った。すると、別の若い看護師が部屋に入ってきて、
「娘さんの部屋に前の奥様がいらっしゃいましたよ」

 ゆう子が躊躇いながら言った。
「そこの窓から犯人を撃つのか」
 友哉が処置室の窓をちらりと見た。
「そ、そんなとんでもないことができるのか」
 桜井が大きな声を出した。だが友哉が、
「自信がない」
と正直に言う。晴香と桜井を蘇生させたばかりで、友哉は一言、言葉を口にする度に息切れをしていた。

「ワルシャワで、俺が取り乱したのか疲れていたからか分からないが、目の前の敵にも赤い光線が当たらなかった。空に飛んで、カーブを描いてテロリストに向かったが、弱々しく消滅したんだ。俺の意思がRDとやらに伝わらなかったんだ。きっと集中力の欠如だ」
「ごめん。AZに書いてあった。友哉さんが完全に元気で、完璧に集中しないとまるで届かないか、届いても店ごと吹っ飛ぶかもしれないって」

 AZを操作しながら、ゆう子が弱々しい声で教える。
「いいんだ。だったら犯人の銃を転送できないのか。位置が分かるならできないか」
「できない。できるなら、それこそさっさとやってる」
「なんで? 俺のPPKは部屋の隅に置いても、また俺の手の中に出てくるぞ」
「さっき自分でここに俺がいるから、桜井さんの腸の汚物を転送するって言ったじゃない。友哉さんがデフォルトな上に、そのPPKの中とリングの中にも転送に必要なハードとソフ

トのようなものがある。犯人の武器にそんな未来の技術は入ってない。それができるなら、犯人を転送で殺せばいいわけで、まさに世界征服ができちゃう」
「そうだな。涼子ちゃんの財布を転送できなかったんだから。dotsやっぱり、俺をロスに転送してくれ」
「わたしは行かなくていいの?」
「おまえが一緒だと体積を負担するから回復にてこずる。向こうには利恵がいるから、それでしのぐんだ」

「分かった。だけど、着いたら絶対に意識を失うのにどうやって犯人と戦うの?」
 話を聞いていた桜井が、「俺にはついていけない」と、真顔で言った。
 だが、「俺の上着のポケットにいいものがある」と、彼は友哉が座っている椅子の背もたれにかかっている自分の背広を見た。
 友哉が桜井の上着の内ポケットをまさぐると、四角い形の小さな機械が出てきた。
「金の交渉をしても、釣り上げていくために一人ずつ殺されるだろうからな」
 そう指摘する桜井。

「皇居を狙った奴らから押収した小型の爆弾だ。三つ持っていたのを一つ現場で拝借した。俺が護身用に持っていたんだ。なぜならあんたが怖かったからだ。マジだぜ。dots銃を突然出したり、急に消えたりするあんたが怖かった。やっぱり、超能力者とか宇宙人とかいるんだな。それをやるから、宮脇さんを助けな」
 ゆう子が急いで利恵に電話をする。
「利恵さん、今どこ?」

「わたしはトイレ。犯人と北島春香とリチャードは店の中よ」
「友哉さんが爆弾を手に持って現れるから、それを使ってみて。手榴弾と同じ要領よ。赤いボタンを押してからdots
「五秒くらいだろう」
 桜井が言った。
「五秒くらいで爆発するの」
「そんなの店の中に投げたら、リチャードと春香さんも死ぬよ」

 利恵がそう嘆くと、友哉がゆう子の携帯を奪い、
「犯人をトイレに引き寄せ、おまえが俺ごと自爆しろ」
と言った。
 友哉は絶望的な顔はしていなく、自分のアイデアに酔ったような顔をしていた。ゆう子は目を大きく見開いたまま、息を止めていた。目の前の男に震駭した。

 利恵がなかなかトイレから戻ってこないのに苛立ったのか、トイレと店の真ん中で、ジェイクが声を荒げた。
「長いぞ。クソならいいが、これ以上、長引いたら、リチャードから撃ち殺す」
「本当にトイレよ。興味があるなら見にきて。あなたのトイレもお手伝いするから」
 利恵はそれをきちんと訳するよう、日本語で春香に言った。
「逃げたら、トイレのあの女を殺すぞ」

 リチャードと春香をそう脅し、ジェイクはトイレに向かった。トイレの扉の前からは店内も覗けて、それほど距離はなく北島春香が自分だけ、逃げることはできなかった。
「春香さん、この男がトイレのドアを開けたら爆発するから伏せて。リチャードにもそう合図して」
 利恵が日本語で言った。利恵の震える声に春香は緊張感を露わにし、身構えた。
 ジェイクがトイレのドアを開けた。若い女の排泄を見られると思ったのか顔が上気している。

 北島春香が、カウンターの端に飛びつくように伏せた。トイレの方角から死角になった一角だった。そして「lie down」と、リチャードに叫んだ。次の瞬間、トイレから爆音が轟き、店のテーブルが椅子が、そして扉が吹っ飛んだ。
 店の前を歩いていた数人が爆風でケガをし、近くにいた警察官がすぐにやってきた。ストリートは大騒ぎになった。スマホで動画撮影をしている人が大勢いた。

「その日本人の学生がケガをしている。わたしは大丈夫だ!」
 カウンターの奥から顔を出したリチャードが叫んだ。警察官が、春香を抱き寄せた。
 春香は顔や腕から血が出ていたが、意識はあるようで、「助かったかも」と日本語で呟いた。
「銃を持ったヒスパニックの男が入ってきて、人質になった日本人のもう一人の女性とトイレで爆発したんだ。彼女は私たちを助けるために自爆したのか」

 リチャードは錯乱していた。北島春香から伏せるように指示されたということは、利恵が自爆するつもりだったと、リチャードは考えたのだ。その時、
「リチャード、泣かないで」
 煙と砂埃が巻き上がっている店の一角から、利恵が出てきた。利恵は片言の英語でそう言ったのだ。
「彼も病院にお願いします。いててdotsわたしも一緒に」

 警察官にそう言い、トイレの入口の辺りで倒れている友哉を見た。そして友哉に近寄り、そっと愛でるように口づけをした。
「彼は彼女の恋人の男だ。裏口から入ってトイレに隠れていたのか。ああ、奇跡だ」
 リチャードは、利恵を神様を見るような顔で見ていた。警察官たちも絶句して、お互いが目を合わせていた。

「ごめんなさい。巻き込ませてしまって。わたしが悪いの。軽い気持ちで彼をそそのかして。でも、お店は後で彼が弁償するわ」
 利恵の笑顔を見たリチャードは、

「まるで女神の微笑みだ」
と英語で唸るように言った。
 友哉のリングが赤く光ると、友哉とその近くにいる大事な人が守られる。その力を使ったのだ。だが、友哉に体力がないと様々な「穴」が出るプロテストで、まさにこれは賭けだった。

dots

 セックスの言葉は嘘ばかり。だけど、体は正直な女。そのせいで嘘が嘘に見えない。それに気づいていないのは酒のせいかも知れないが、本物の悪女はもっと用意周到な言葉を作って、男を騙すものだ。コンドームを買い忘れている時点で冷静さを欠いていて、かわいらしい。意外と無邪気なんだと分かる。
line考えすぎる女だから、ストレスが溜まると急に弾けてしまうのか。俺と似てる。

「ずっといました。声が大きいですよ」
 大人びた口調で言うと、四人のうちの三人が顰め面を作った。
「お母さんの話は冗談よ。お友達の男性と一緒だったの」
 弁解するように、奥さんの一人が言った。その人は優しい面持ちをしていた。四人のうち、一番口数が少なかった女性だ。友哉は『このお母さんは女神に近い人かも知れない』と思った。だから、危険が近づいているのを教えようと思い、

「もうすぐゲリラ豪雨がきます」
と彼女に視線を向けて教えた。皆、空を見て、「あっ」と声を上げた。
「それから、そこで鳴いている蝉、あと三十分くらいで死んで、あなたたちの頭の上に落ちるかもしれません」
 木の枝の先にしがみついて鳴いているその夏最後の蝉を見て言うと、まさにその瞬間に蝉は鳴くのをやめ、友哉と奥さんたちの間に落ちてきた。悲鳴を上げる奥さんたちをしり目に、友哉は公園を出た。

lineお母さんは、俺だけじゃなくてお父さんも嫌いなのか。悪いのは、きっと俺なんだろうな。隔世遺伝っていうのがそうなるのかなあ
 大粒の雨が降ってきた。友哉は細い体をしなやかに動かし、家路を急いだ。

 大河内忠彦との事があった翌日の朝、利恵から、「遊びに行ってもいい?」と携帯のメール連絡を受けたゆう子は、ベッドの中で寝ている友哉をちらりと見、ナイトテーブルの上の置き時計を見た。

 友哉は新宿の高級ホテルの方角に向かったが、ゆう子が自分のマンションに連れて行った。手を繋いだままだと、どこか胸が苦しくなったが、駄々っ子を強引に連れて行くように手を引っ張ると、そうでもなく、ゆう子は母親のような態度で、その日、友哉を看病した。
 利恵には正直に、
「まだ朝だよ。友哉さんが寝てるよ。体調が悪かったから回復させた」
と返信をした。『回復』行為をする時の取り決めを伝えた形になった。

『そうなんだ。わたし、今から出勤。電車の中よ。彼はいつまでいるの?』
「わかんない。だらだらとずっといるかも。わたしの体に夢中だから!」
『そういう挑発には乗りません。どうせ、休みなんでしょ。仕事が終わったら行くね。お泊りセット、持っていくよ』
「わたしと友哉さんが一緒に寝てることに怒らないの?」
『ゆう子さんには楽勝だから。だって、中身がお粗末なんでしょ(笑)』

 友哉が使ったブラックジョークを言うが、女優の演技力のプライドしかないゆう子は気にしない。
 メールはそれで切れたから、ゆう子はマンションから直結する店に買い物に出た。マスコミに見られなくて便利なマンションだ。簡単に出来るレトルト食品などを買い、部屋に戻り、レンジにそれを入れて、またベッドに潜り込んだ。
 ベッドの中で服を器用に脱いで、裸で友哉にすり寄ろうとしたら、急に喉が詰まったような不快感に襲われ、それを止める。ゆう子は首を傾げた。

lineパニック障害、また、きつくなってきたかな。
 ゆう子は深呼吸をして、気持ちを整えた。友哉に『光』を使った脳を刺激する治療を毎回頼むのも気が引けて、薬をこっそりと飲んだ。友哉も、「光とはいえ、毎日のようにやっていいのか分からない」と言っていた。AZで調べたら、『毎日できるが、友哉様の技術次第』と書いてあり、彼が光の刺激の強弱ができるようになったら、光の治療がより安全になるという意味だった。

 ワルサーPPK(正称RD)にしても、彼の意思で威力を変えられるようで、友哉がたまに山に出かけて、一人で何かやっている様子がAZで確認できるが、自分でPPKを使った射撃の練習しているようだった。彼はいつも疲労感を露わにしていて、無口だが、それに疲れているのもあるのだろう。
 電子レンジの音で友哉が起きた。彼はすぐに顔を洗いに行った。キッチンに入った友哉が、
「朝からカレーのレトルト?」

と訊いたが、ゆう子はそれには答えず、
「利恵ちゃんが夜に遊びに来るんだけど、あなたはどうする?」
と訊いた。
「帰る」
「美女二人に興味なさそうだね」
「見た目には興味はあるけど、お喋りがうるさいから帰るよ」
「笑えないよ。笑えないよ。笑えないよ」

「ほら。うるさい」
 ベッドから出たゆう子は全裸のままテーブルにある週刊誌を開いて、
「これ、どうする? わたし、初スキャンダルだけどね」
と、肩を落として訊いた。
 電子レンジで温められたレトルトのカレーを食べながら、友哉は、「うーん」と唸っただけだった。彼はゆう子の裸が気になって、なかなかカレーライスが減らない。

「おかしいよ、絶対」
 友哉が頭を抱える仕草を見せるが、ゆう子はおかまいなしだ。
 男性に見てもらうことが生き甲斐のようなゆう子の悪癖だった。
 ゆう子は子供の頃の気質がまるで男の子で、お風呂から出ると服を着ずに全裸で歩いていたり、下着だけで座っていたり、特に夏はずっとそうだった。そのせいか、大人になった今、立ち姿は健康的に見えるのだが、まさに子供のように行儀が悪く、陰毛を処理してあるVラインまで丸見えである。

『奥原ゆう子、熱愛の相手は、ロスアンゼルス、テロ事件の作家佐々木友哉だった』
「想像で書いたわりには一緒に成田にいた目撃談があって、もう反論できないね」
 成田空港では、晴香が出迎えて騒いだから、余計に目立ってしまったのだ。雑誌に載っている写真はタクシー乗り場での口論のもので、晴香も一緒に写っていた。成田空港で一緒にいるところを目撃されて、目立つカラーのポルシェがゆう子のマンションの近くをウロウロしているのを見られていては確定だった。

「大河内って男もそれを読んでロスのことを知ってたし、奥原ゆう子は終わったな」
「熱愛、一回で終わるようなわたしではない」
「そうだな。三年くらいじゃ、その美貌も劣化しないだろうし。利恵はよく来るの?」
 全裸のゆう子を見ながら言う。その視線を感じたゆう子は口角を持ち上げて嬉しそうに笑っている。
「うん。三回目。でもいつもすぐに帰るよ。今日は泊まるらしいけど」

 ロスから帰国して約二週間。利恵は、ゆう子が買えなかったロスの土産を持って一回来訪し、その時はゆう子の部屋を見ただけで帰り、二回目は新しいスマホを見せにきたが、他の用事があるからと早く帰った。
「もっと泊まってるのかと思った」
「まだそんなに仲良くないよ。新宿なのかってがっかりしてた」
「自由が丘や広尾じゃないって意味?」
「うん。利恵ちゃん、お洒落の虜だね」

「元来、そういう女じゃないらしい。おまえが売れっ子女優だからセレブな生活を期待しているんだ。売れてない女優だったら、下町に引っ越すように言うやつだよ」
「他人に合わせるってことか。変わった女子だなあ。自分の信念はないのかな」
「それが信念なんだよ。男には都合がいい。あなたの色に染まるってやつで、利恵はどんな男にももてる女だ」
 友哉の言葉に小さく失笑したゆう子は、足首を片方の膝に乗せ、股間が少し見えるように座り直すと、友哉がそれを真顔で見ていた。ゆう子はその視線が楽しくて、裸でいるのをやめられない。

「全裸になるのが好きなようだけど、俺は少し着ていてもらいたい」
「うんうん。あなたが着衣のセックスが好きなのは知ってる。後でかわいいパンツも穿くからね」
 友哉が煩悩を振り払っているような顔で、頭を振った。すると、ゆう子は今度は裸のまま靴下だけを穿きだした。
「全裸に靴下は、娘にやらせてたね。ヤバい、近親相姦だよ。だからそれを真似たプレイだよ。どう?」

 友哉が自分の股間や足を直視していることで、ゆう子の女のプライドは大いに満たされる。また、ゆう子はこうして友哉を言葉でイジメるのが好きで、サディストの側面もある女だった。もちろん、鞭で男性を叩いたりはしなくて、あくまでも言葉責めだった。
 ゆう子は、友哉がそろそろ、襲いにやってくると思っていたが、友哉はあからさまに顔色が悪くなっていて、それに気づいたゆう子は足を閉じた。
「娘に?」

「温泉で。晴香ちゃんじゃなくてお姉ちゃんの方に」
「見えたのか。それは勝手に着替えていたんだよ。どこまで見えてるんだ」
「霧の中にいるみたいな見え方しかしないから、友哉さんのおちんちんの形とか娘さんの顔や裸もはっきり見えないよ。安心して」
「よ、よかった」
「そんなに蒼白にならないでよ。娘とセックスしてないのは知ってるから。そんなシーンはもらった映像にはないよ。でも、裸で下着だけとか、裸で靴下やお風呂上がりの浴衣がはだけているとか目立ってたなあ。絶対にやらせていたよね」

「それは冬の温泉宿が寒かったからだ。お風呂に行ったら、帰りの廊下で冷えるから靴下を穿くんだよ。行ってみろよ。冬の温泉宿に」
「なんでそんなに動揺してるの」
 友哉が瞬きすらせずに部屋の一角を見ていて、体の動きも止めてしまったのを見たゆう子が、慌てて彼に駆け寄った。裸で早足に歩くから、乳房が揺れた。
「あれ? さっきまで膨らんでいたのに」

 ジーンズを穿いた友哉の股間を触って、目を丸めた。
「そんなに嫌な話なの? まさか上の娘とやったとか」
「やってないよ。でも、楽になりたいから言うけど、その裸に靴下は好きなのを思い出した。それは俺が人間の足が猿の足に見えるからで、深い意味はない」
「足が猿に? なんだそりゃ」
「進化って言葉が好きなのに、ヒトは手足だけ進化してないように見える」

「なるほど、友哉さん、深い意味がないどころか深海にいるよ。もっと気楽に」
 ゆう子が友哉の肩をポンポンと叩き、なぜか背伸びをする仕草を見せる。
「気楽にさせるためにどこかの王様から派遣されてきた女がその調子だから、本末転倒だ。とにかく、それを忘れていたのに、それで緊張した」
「緊張? なんか変だな。隠し事があるねえ」

「あるよ、いっぱい。四十五歳だぞ」
「まあ、だいたい知ってるけど。奈那子との変態セックスの数々。でも娘とのことはよく分からない。どうも上の娘と何かあったっぽいなあ。名前はなんて言うの?」
dots
「名前も言えないとは、まさかどこかに遺棄したとか」
「まさか。尋問するなって」

「尋問してない。慰めてるの」
「それが?」
「そう。わたしがすべてを受け入れてあげる。おいでママよ」
と言って、ゆう子が両手を広げた。美しい乳房が弾けたように見えるが、まるで色気はない。友哉ががっくりと肩を落とした。しかし、ゆう子は出会ってからずっとこの調子だから、もはや生来の性格だと友哉は観念していた。

「一緒にお風呂に入ってるのは見えているよ。でもお風呂の中で体に触ってないからね。混浴風呂は水着だったし。娘があなたの背中を流しているのは見えている。その時にあなたが勃起してるかどうかは小さくて見えない。小さいっておちんちんのサイズじゃないよ。カメラのアングルが悪いから見えないって理屈。でも娘が挑発した近親相姦なら許す。娘が今も生きているならね」
「生きてるよ。会えないけど」

「あ、ごめんなさい」
 会えないとは離婚しているからだと、ゆう子は思い、思わず謝った。
 晴香とは偶然会ったに過ぎない。そしてどうやら姉は生きているようだ。もちろん姉ではなく元カノかも知れないが、どこかに存在しているのは確定した、とゆう子は思った。
「温泉に一緒に入ってたのを知ってるのか。その辺は削除しとけよ」
 トキに恨み節を言った。

元カノなら二十歳以上の差か。ま、若い子にモテる要素はあるか。ゆう子は友哉をからかいたくなり、責め続ける。
「まあ、そこだけ削除したら、逆に疑われるから残した感じ。それに仲良しの親子ならなくはないよ。日本人は混浴の文化があるからね。でも、上の娘は中学生くらいだったから、何かあったならカミングアウトして。嫌いにはならないよ。ホントに」
 友哉が、呆然としているのを見て、

「やったんだね。娘が挑発をしてるから仕方ない。あなたの目の前でおっぱい出してるからね。大丈夫。あなたを嫌いにならない」
ゆう子は言いきり調でそう言って、友哉のジーンズを脱がして、ペニスをくわえこんだ。いつものように雑なフェラチオだ。歯があたったり、男が喉を突いてないのに自分で勝手にむせたりしている。
「ヤバい。大きくならない」
 ゆう子が口からペニスを離して、友哉の顔を見上げた。

「その会えない娘のファッションだ。いつも靴下を穿いてる。浴衣なのに靴下を穿いてる」
「そっか。それは辛い過去だね。じゃあ、裸に靴下はやめるよ。娘も裸で旅館の部屋を歩いていたから、それがトラウマなら全裸もやめた方がいい?」
「風邪をひくんじゃないかって心配になるんだ」
 友哉はゆう子から離れて、自分でジーンズを穿いた。
「どうしよう。このままたたなくなったら」
 さかんに彼に苦痛を与えていて、神妙に言うゆう子。

「女優はすごいよ。もはや喜劇だ。いったん、その子供みたいなピンクの靴下を脱いで、また全裸でテレビでも見ててくれ」
 呼吸を整えて言うと、
「友哉さんだけなの。行儀が悪いって怒らない人は」
と笑って、ソファの上で足を顔の近くまで上げて靴下を脱いで、しかもその靴下を足元に捨てた。
「それを通り越しているんだ」
 床に投げ捨てられた靴下を見ながら、呆れて言っていた。

 しばらくしたら、そんな返信がきた。
「その後、利恵ちゃんだけきて、友哉さんがこないとなんかムズムズするから」
『じゃあ、しないで行くね。わたしはゆう子さんの二番目だから』
 文の最後に笑っている絵文字があり、ゆう子はほっとした。

『利恵の利はねえ、加賀百万石の前田利家から取ったのよ。お母さんの名前からじゃないの』

『お母さん、それはどこの国?』
『石川県の金沢よ』
『うちは茨城県なのに』
『この作家さんの本、面白い』
 利恵の母、宮脇利里がハードカバーの本を開いた。何度も繰り返し読んだのか、汚れている。
『誰?』

『佐々木友哉さんって新人。戦国時代に生き延びた武将は、皆、謝罪してばかりだった物語で、前田家も出てくるの』
『中学になったら読むね』
『生き延びた武将の妻も長生きしてるもんね。この作家さん、謝りたい人がいるのかしら』
『奥さんかな』
『あ、結婚してる。きっとそうね。離婚したら、利恵がお嫁さんになって上げて』

『嫌だよ。本を書いてるおじさんなんか』
 利恵の母は大きく笑ったが、

line利恵はきっと、賢い男性を好きになるわよ

と言った。

「お母さん!」
 うたた寝をしていた利恵が飛び起きると、利恵の顔の前にコーヒーカップが現われた。
「ゆう子のマンションに行くんだろ。ほれ」

 利恵の銀行からほど近いモンドクラッセ東京の一室。友哉が作ってくれたコーヒーは、ホテルの部屋に設置されているドリップ式のもので、とても良い香りがした。
「お母さんの夢を見たのか。なんでうなされてるんだ。お母さん、元気じゃないのか」
 利恵の乱れた髪を、友哉が撫でるようにして整えていた。

「うん。大丈夫、わたしのお母さん、元気だよ。お父さんも。うろ覚えだけど、あなたの名前が出てきたの」
「ほう」
「友哉さん、デビューは何歳?」
「三十歳前かなあ」
「わたしが小学生の時か。一致する夢。戦国時代の物語?」
「そうだよ」

「ま、まさか。お母さん、読んでたよ」
 利恵が大きな声を上げた。
「それは奇遇だ」
 友哉は淡々としていて、驚く様子はない。その理由は、そのデビュー作は大ヒットしていて、多くの人が読んでいたからだった。
「効果がなかったら、もう書かない」
「何を?」

「そういうテーマ。歴史小説もそれだけだからね」
「効果って」
「社会批判をした話だったんだけど、世の中は変わらない。俺だけが変わった。大金が入ってきて、女がどんどん近寄ってきて、美女を選べる特権を得た。その女たちは、その時だけの女だった。それが嫌になって、次の小説から厭世的になって売れなくなった。だけど、味覚障害の新妻の物語が映画化して、また預金が出来たよ」

「その預金、トキさんからもらった三百億円に埋もれたね」
「上手いことを言うなあ」
 友哉がそっと利恵の手首を持った。
「なに? 脈拍?」
 脈拍を取られている。利恵が上半身だけを起こして、ベッドに座り直した。
「大丈夫だな。熱もなさそう」

「熱なんかないよ。冷房負けもしてない」
「うなされていたからね。熱があるかストレスかもしれないと思ったんだ。それにしても、利恵の利は利用の利じゃなかったんだ。加賀百万石って呟いていたぞ」
「マジで?」
 利恵がカップを持ったまま、自分にうんざりした顔を作った。
「そんなに寝言を言うなんて」

 恥ずかしそうにしている。友哉がそっと、利恵の背中を擦り、その手をお尻に手を伸ばす。
「だめだって。ゆう子さんからの命令」
「え? あいつにそんな権限があるのか」
 思わず手を引っ込める友哉。
「なんか面倒臭いことを言ってた。もし、友哉さんとセックスするなら、友哉さんも一緒に来ないとだめとかなんとか。それより寝言が恥ずかしい。利用の利よりも、加賀百万石の方ががめついじゃないの」

 項垂れてしまう。
「そうだね。さらに一億、二億と要求されそうだ」
「くれるの?」
 わざと大きく笑顔を作ると、
「一億はどうかと思うけど、利恵にならまたお金を出すよ」
と言った。
「冗談で言ったのに。なんで、なんで?」
「美しい女にお金をかけるのは夢のようなことだ。たまたま、今、お金があるからね」

「そ、そんなに綺麗かな。プレッシャーだよ」
「振る舞いが優雅だから、余計にそう見える。プレッシャーになるなら気にしなくていいよ。美容のためのお金だけだ。その前に俺が都内にマシンョンを買わないとだめだし、前にも言ったかも知れないが、トキの話によると、テロと戦うためのお金だから」
「そこに一緒に住む? でもゆう子さんは?」

「ああ、ゆう子と三人で暮らすか」
「なーんだ。まるでシェアなんとか」
 心底、がっかりした表情をつくる利恵。友哉は利恵のその溜め息は気にせず、
「とにかく、仕事が馬鹿げていて大きすぎるし、副作用がきついから、恋愛のことはしばらくゆっくりさせてくれないか」
と、少しだけ語気を強めて言った。
「三年くらい、あっという間」

 利恵も気を取り直して、そう答える。
「よかった。俺が横浜じゃ、回復が遅れる。都内にマンションを探す」
「分かった。ねえ、そのマンション、わたしの好きな場所とかでいい?」
「いいよ。探してくれるなら助かる。あんまりゆう子のマシンョンから離れないでお願いするよ」
「そのマシンョンにわたしが住めるように、わたしが頑張る」
「なにを?」
「セックスdotsアンド、料理」

「なるほど、まさにまつのような女。満点だ。昔の女たちがどんなセックスをしていたか知らないが」
 利恵は友哉の言葉に少し笑みを零した後、スマホを見ながら、「これ、どうするの?」と笑い方をぎこちなくした。友哉と利恵がロスアンゼルスのジャズバー『ノイズ』から病院に搬送されているネットの動画だ。撮影したのは、店の近くにいたアメリカ人だが、ネットに投稿された動画は

日本でも見られて、「奥原ゆう子の男の佐々木友哉じゃないか」「隣にいる女は誰? けっこう美人」「たまたま居合わせた客の女性だよ」「テロリストをやっつけたのは佐々木友哉か、すげーな」「ワルシャワのテロリストを殺したのもこいつかも」「かっこいい、まるで英雄」「奥原ゆう子が片想いになるのも納得」などとコメントは数千にもなっていて、友哉を批判するコメントはほとんどなく、ワイドショーでもさかんに取り上げられていた。

「利恵の素性はばれてないけど、晴香はばれたみたいで怒ってるよ。迂闊に成田空港で会ったからだ」
「もう、惚れ直しちゃう。世界中でヒーローになってるよ」
 利恵はそう言って、友哉に熱い口づけをした。
「しかも大富豪。そこはばれてないから、こっそり遊べる。モルディブに行く時間ない?」
「だからそれが余計な一言なんだ。トキからの預かり金だよ」
「あ、すみません。言ってみただけdots

 利恵が頭を下げたところで、友哉のスマホにメールが入った。なんとなく見ると、知らない人間からのメールで、一瞬、迷惑メールかと思う。
『奥原ゆう子は見つからない。何が見つからないかって? 昔の男との画像や動画だ。だけど、ロスで一緒にいた女の画像や動画は見つかった。名前は宮脇利恵。動画から顔をキャプチャしたら、けっこう同じ顔の女が乱交している投稿画像が出てきた。後ほど送らせてもらう』
lineなんだ、こりゃ。

「どうしたの?」
「エッチな画像と動画を買わないかって、迷惑メール」
 友哉はすました顔でそう言い、そのメールを削除した。またメールがくるかも知れないと思い、利恵から少し離れてベッドの端に座り直した。
「ねえ、ちょっと聞いていいかな。初めてのすごい年上のあなたに」
 利恵が神妙に言うと、友哉はさらに利恵から離れて、窓際にあるテーブルの椅子に座った。
「ゆう子さんは何点?」

「満点だよ」
「元カノたちは?」
「たち? なんの誘導尋問なのかなあ。うーん、点数を付けられるほど長く付き合った女はそんなにいないよ」
「ロスで言ってた元カノは?」
「満点じゃないか。頑張り屋さんだった」
「奥様は? 前の」
「優しい女だったよ、突き抜けて。だけど俺のことが嫌いだったようだ。看病とかしなかったからね」

「なんで悪口を言わないの?」
「悪口? 言ったよ。律子は看病はしない女だって。ああ、ゆう子はね、お喋りがうるさいよ。あと、行儀が悪いんだ」
 嬉々とした表情で言うと、まさに、
「目が笑ってる」
と指摘される。利恵が、
「わたしの学生時代の仲間たちdots銀行にいる人たちも、彼氏彼女の悪口ばっかり言ってるよ」
と言う。

「目は笑ってるだろ。そんなにひどい目にあってなくて幸せなんだよ。ラブラブってやつだ」
 和やかに言うと、利恵は目を丸めた。
「わたしは、飛行機の中でも言ったけど、つまり男の人と付き合ったことがあるのに、お金がなかった。男はセックスが目当てって言ったら、あなたは怒るけど、言いたくて仕方ない」
「俺との付き合いが幸せじゃないから、昔の男たちの悪口が出てくる。それは寂しいな」
「え? 違うよ。dots過去の傷が癒えてないから発散する悪口はダメなのかって訊いてるの」

「傷ついたと思っていたら、永久に傷は癒えない。いい勉強になったと思えばいい」
「達観してる。説得力なし」
「わかった、わかった。結婚する気がなくて、セックスだけならそうなんだろう。さらに理由もなく消えたら遊ばれたんだ。男の半数はそうだ」
「でしょ。だから、自立するんだ。資格も取って、もっと勉強して、生きていくために、経済力のある男性と結婚する。お母さんとの約束だから」
「俺はバブルかもよ」

 友哉がそう茶化すと、利恵は少しだけ怒気を見せて、
「なんかさ、真面目に聞いてないよね」
と言った。すると、
「今から有名な女優さんのマンションで飲むのに、もっと楽しそうにしろよ。つまんないよ」
と、たしなめた。
「え?」
「お母さんは金持ちと結婚しろと言ったのか。残念だ」

「言ってないよ。賢い男性と結婚しろって。それって仕事ができる男性。それに、うちは超貧乏だった。農家だから、天候不順とかで一年以上、新しい服を買えなかったこともあった。お父さんはその間、畑が回復するのを待ってるだけよ」
「お父さんが悪い?」
「違うよ。環境破壊のせい」
「なるほど。本気の相談事なら、おまえの遊びが終わった後に乗るよ。そうだなあ、木曜日にはなんにもないかdots。そこでどう?」

「英会話教室に行くお金をもらえないかな」
「わかった、わかった。木曜日に資料を持ってきて」
「女が男性に頼りすぎたら、大変な人生になる。だから三十歳までに資格を少しでも多く取って、銀行でおばさん扱いされる前に、独立した仕事とかを探さないとだめなの。あなたにもらった一億円は税金が多いから、一生分には程遠いの。なんかの教室とか開きたい」
「暑苦しいよ、利恵」
「え?」

 激しく動悸がした。大学に入りたての頃、「真面目すぎる」とバカにされていたことを思い出してしまう。
「男たちが筋トレとかしながら成功だ、今日も精一杯生きるとか叫んでいたら、女子たちが暑苦しいって嫌がるけど、女の子が、自立だとか生きたるために勉強するとか、両立する時代だとか最近多い。正直、美人が口にしても暑苦しいよ。しかもゆう子と飲む前にもったいない。今、一番、楽しいことをしていればどうだ」
「それは刹那主義」
「今日を楽しく生きてる女は、今の利恵の言葉は口にしないなあ」

「たdots楽しいよ」
「そうか。だったら、一番楽しいことはしてないんだ。銀行の仕事が辛くてすぐに転職したいのか」
「違うよ。一番楽しいことdots?」
 利恵が首を傾げていると、
「おまえはまだ若いけど、きっと、昔に失敗した出来事の中に、一番楽しかったことがあって、それを楽しくなかったと思いこんでいるんだ。あのねdots
「なに?」

「女の子とこういう話になると、嫌われるんだ。勘弁してくれ。さっき達観してるって言われたけど、おまえだからそんな言葉を作るだけで、他の女子からはうるさいおじさん扱いだ」
と言って、目を逸らした。
「そんなにつまんないことを喋った? 普通に会話をしてくれればよくない?」
「ほら、口論になる」
「これはあなたが悪い。普通に会話をしてくれれば口論にならない。つまんないって言ったからだ」

「矛盾していた」
「矛盾?」
「なんで男に頼らず自立したい女が、最後に経済力のある男と結婚するんだ。しかも、男に英会話教室の金を請求するのも矛盾してる」
dotsあ」
「将来男に頼らないで生きるために、今、男を利用して自立を目指すなら、利恵の利は利用の利だけれど、お母さんは、まつのような女になりなさいって言ったのなら、今、目の前の彼氏のために頑張るのが利恵の利じゃないのか。良いお母さんだなあ。まつ子やとし子じゃ、今どきの名前にならないから利恵にしたんだね」

 友哉が部屋から出て行く支度を始めた。
「女の自立をバカにしている」
 バスルームの方に行った友哉に、利恵が言葉をまさに投げつけると、彼が一直線に歩きながら戻ってきて、利恵を睨み付けた。利恵が体を強張らせた。暴力は振るわない男だと分かっているが、テロリストを殺せるのだ。
「自立って言葉は身動きとれない女が使うんだ。おまえは親に虐待を受けながら泣いている女の子でもなければバックに暴力団や国家権力がついている女でもない」

 鷹のような目付きで言う友哉。
「え? い、言ってる意味がわかんない」
lineこの迫力はなんなの? 刺激的な男とは正直付き合ったことがある。だけど、友哉さんはまた違う。まるでdots
 利恵は思いついた結論を頭の中で打ち消した。
「道徳的な言葉は達観していて、社会の裏話は意味が分からないか。皆と一緒になりたくてもな

れない女の子が自立したいと言って、海外にでも行きたい英会話の勉強なら、大いに応援する。だけど、おまえには学歴があるし、良い銀行にいて今は俺がいる。もし、俺と別れた時のことを考えている俺との恋愛なら、そんな打算的な自立したいもないもんだ。繰り返すが、今からゆう子と女子会だ。もしかすると、芸能人が他にも来るかもしれないんだぞ。自立と英会話教室のことを頭の隅に残したまま、ゆう子と酒を飲むことになる」

「打算的dots
「常に男と別れた時のことを考えて恋愛をしているのか」
「違うよ」
 そう反論するが声を漏らすのが精一杯で、利恵はまさに打ちのめされていた。
「わたしのことを丸ごと知っているの?」
「そうだったら、別れる。理解した本は売ってしまうが、理解できない本や厭きない本は残して

ある。おまえの過去は知らない。セックスがどうしてそんなに上手なのかも知らない。セックスのすべての経験があるような体をしていて、家事もこなすし読書量も多い。しかも美人だ。おまえのような謎のある女は俺の好みで、俺はおまえと別れる気はない。英会話教室の相談なら、木曜日にするって言ってるんだ。つまり、自立したい話もその時に聞くって言っている。空気を読んでほしい」
「空気dots。そうだね。ごめんなさい」

 また忌まわしい十九歳の初夏に戻ってしまう。「空気が読めない」「真面目すぎる」「面白くない」と、学生友達から散々からかわれてきた。それから、そう、
lineセックスを覚えたのだ
「ゆう子とは俺の悪口で盛り上がれよ。今日も綺麗だ。俺は横浜マンションの郵便物を見てくる」
 友哉は利恵の唇ではなく、頬にキスをしてから、ホテルの部屋を後にした。
line急に目が温かくなった。

 利恵が先程、頭の中で没却させた言葉はそう、
『何もかも芝居なのではないか』
というものだった。だから逆に迫力があるのだ。冷静だからだ。獲物を狙った鷹のような目を見せた後に、舞台で賞をもらった少女の頬に祝福のキスをするような行動を見せた。
line見たことがない。あんな男。お金持ちでイケメンじゃなければ終わってる。美人に嫌われるかも知れない怖さはないのだろうか。ありえない破滅願望だ。クレナイタウンで助けた松本涼子

が怒ったと言っていたが、怒らせたんじゃないか。暑苦しいって言われた。確かにそうだ。銀行を辞めて、なんかの資格を取るとか言ってる女の子たちの話、聞いていても面白くない。だけど、わたしの一番楽しいことってなに? まさかセックス?
 利恵は急に体を震わせた。
「寒い。まだ夏なのにdots
 まるで悪寒戦慄だ。
lineあのひと、本当にわたしのことが一番好きなのだろうか。

 嫌われても構わないから、本当のこと、厳しいことを言えるのだ。ロスアンゼルスでも思ったことだ。
 きっと、他に女がいるから、あの余裕と迫力が生まれるんだ。芝居がかった行動に出られる。俳優の私生活と舞台が違うのと同じ。わたしへの怒りは舞台。私生活はdots
line奥原ゆう子か。
 利恵は友哉が消えたホテルの部屋の扉を見ながら、昔のことを思い出していた。温かみのある高級ホテルの一室が、直線的で冷たい会議室のような部屋に変わったように見えた。

「結婚したくなるほど、好きな男性に出会ったらどうすればいいんですか」
 セラピストの部屋で二十三歳の利恵は体を震わせていた。体が急に震え出す悪寒戦慄という自立神経失調症で心療内科に行き、薬だけで治らずセラピストを紹介してもらった。保険が効かないそのカウンセリングを予約し、有名な女性セラピストに話を聞いてもらっていた。
 末永葵。
という名前である。

 銀行に入社したばかり利恵は、長いタイトスカートで、白いシャツを着ていた。男が近寄ってくる悪目立ちする洋服は着たくなかった。
「宮脇さん、あなたは完璧じゃないですか。わたしよりもパーフェクトな女性ですよ。そして若い。羨ましいわ」
 大げさに褒めていたが、三十代後半ほどの女性セラピストは、無感情に言っていた。
「わたし、自信がありません。わたしの体は知らない男や好きでもなかった男たちの体液で汚れてます」

「そんな生々しい表現はよくないわ。真面目な女ね」
 利恵とは正反対の短いタイト。足を組み替えると下着が見えそうだ。この先生はこれで一人の男だけですむのだろうか、と利恵はふと思った。
「真面目dots。そう言われて遊んできたのに真面目ですか」
「あなたの本質なの。次に好きな男性と出会ったら、その話は言わずに、そう、墓場まで持っていけばいいのです」

「そ、それはその人を騙すことです。お母さんがそれはだめだって。謝りなさいって。過ちを犯したら誠意をもって謝る。女は頭を下げながら泣きながら、男の人は命がけで」
「お母様が? お母様は昔の女ですね。今は皆、そうやって生きているんですよ」
「皆?」
「そうですよ。過去の恋愛の傷を喋って得することなんか何もありません。あなたにも、将来の彼にも」

「得?」
「幸せになるには、一生、お互いを知らない程度がいいんですよ。ましてや過去のセックスのカミングアウトなんか誰もしません。男たちも」
「わたしは嫌です。そんなのdots押し潰されます」
「自分を変えなさい。宮脇さんは完璧すぎます。真面目すぎて、堅苦しい」
と言ってカルテを捲った。

 厳しい言葉を作るが、よくいる患者なのか、やはり表情は「無」に近い。
「カウンセリングも三回目なのに、ずっと敬語で、俯いていて。その丁寧な喋り方も壁を作る薄い笑顔も、少しとっつきにくいですよ。利恵さんの利はなんで、理科の理じゃないんですか」
「え? 前田利家の利からもらったそうです」
「利恵の利は利用の利って言ってごらんなさい。男の人たちがびっくりして笑ってくれますよ」
「へ?」
「利恵の利は利用の利。さあ、復唱して」

 利恵はセラピストの言うとおりに、その言葉を繰り返した。
「かわいらしくね。言い切るの。ですます調の言葉遣いはどこで覚えてしまったの?」
「東京に緊張してdots。筑波山の麓の、昔は村みたいな土地に実家があるんです。周りの家には軽トラックばかりがあって、だけど筑波山のゴルフ場に行く車は高級車がよく通るんです。道を間違えたベンツが脱輪したのを見たことがあります」
「ああ、そう」

 利恵の話が面白くないのか、またカルテに目を向けた。しばらくすると、
「脱輪したからなんなの?」
と訊いた。
「JAFが来ました」
 末永葵は大きく息を吐き出して、
「飲み会や合コンでその話をしたことがある?」
と言った。
「あります」

「白けなかった?」
「オチはないのかって言われました。ベンツの男との出会いの話かと思ったとか村人たちでベンツを押したら、ベンツの男が大金を配ったのかとか。でも、今は村じゃないし」
「村じゃないと主張するのも論点がずれていると思いますよ」
 末永葵が思わず苦笑してしまう。
「それであなたは困ってしまって、たくさんお酒を飲むのよ。それでもだめなら、色気を使う」

 図星だった。面白くないと言われて、泥酔するほど飲み、男たちに寄り添っていたのだ。
「あのわたし、先生が思っているほど真面目じゃないです。お酒を飲めば面白くなれるし、男性にも積極的になれます」
「確かにお酒の力はその人の本質を顕すとも言います」
「はい。お酒は好きです。飲んでセックスをするのも好きでした」

 やがてそれに慣れてきて、楽しくなってきた。飲んで歌って、セックスの話も体に触れるのも無礼講で。
「だけどね。あなたは普段は生真面目で、そう、完璧だけど愛嬌がないから、セックスだけの男たちが近寄ってくるのよ。つまんない女だから、セックスだけにしとくかって男が思うの。自分でも分かっていて、仲間たちと一緒に遊びたくて、乱交を頑張ったんでしょ」
「は、はい。頑張ったのは最初だけで、そのうちに楽しくなりました。それからまたつまらなくなったんです」

「楽しかったのは錯覚ですよ。友達になってもらいたくて、男たちに好きになってもらいたくて、セックスをしていたんでしょ。美人で愛嬌がないとそうなってしまうの。愛嬌があったら、長く愛してくれる男が見つかるのよ」
「はい。わたし、面白くない女だって、皆に言われていてdots
「それでお酒を飲んで歌を歌いながら、裸になって頑張っていたんでしょ」
「美人ですましているとか、田舎の美人は生意気だとかdots

「それも男たちの常套句ですよ。そうからかえば、ジョークを言えない女は脱ぐしかないの。でも、その勉強はもうしなくていいですよ。二度と、セックスだけの男とは付き合わないように」
「はい」
「悪寒戦慄の薬は一週間分出せるように、先生に言っておくから。お酒はしばらくやめなさい。最後にあなたのお尻を犯した悪い男を思い出したら、薬を飲んで寝なさい」
 学生の仲間と離れた後に付き合ったお金持ちの元彼の話だった。

 三十二歳の青年実業家で、出会い系サイトで見つけた。セックスの味を覚えた利恵が、様々な条件を提示して見つけた極上の男だった。親からの仕送りを止めさせたくて、そう、お金のない実家に負担をかけたくなくて、その男から月三十万円をもらっていた。NGにしていたセックスの変態的なプレイをOKにすると、高級な指輪やネックレスを買ってくれた。どんどんはまっていって、彼にも好きだと言われて楽しかった。そう、彼らは「好きだ」と言ってくれるのだ。

 彼が海外に出張している間は、短期で別のお金持ちを出会い系で見つけて、セックスをした。相場は一日、四万円だが、利恵の美貌を見た男たちは、もっとお金を弾んでくれた。プレゼントもたくさんもらったが、それはすぐに売った。彼氏として付き合っていた最初の青年実業家は独身だったが、出会い系サイトで出会ったことがストレスに感じたことと、彼のある暴言がきっかけで利恵から別れを申し出た。それが二十三歳の時、つまりカウンセリングを受ける直前だ。

 銀行に勤めだして、しばらくすると寒気が体を襲うようになり、最初は冷房にせいだと思っていたが、悪寒戦慄という自律神経失調症の病気だったのだ。
lineこの仕事にストレスは感じないのに、男とお酒をやめたからかな。
 学生時代から一気に遊んだその快楽を急にやめたせいだと考えながら、街を歩いていたら、心療内科クリニックを見つけ、なんとなく入ったのだった。
「先生、あのdots。彼ら、わたしを犯してないです。わたしが希望したから」

 正直者の利恵は、自分が出会い系サイトでセックスの条件を提示していたことを思い出し、そう言った。スマホの頁をクリックすると、セックスのプレイ、性癖に関する項目欄が出てきて、○と×を付けるだけで、簡単に好みのタイプを見つけることが出来るのだ。
「なんて、良い子なんでしょう。バカね。そんな考えでいると、またセックスだけされてポイ棄てになるのよ。女が希望しても女が傷ついたら、レイプなんですよ」

「わたしがセックスを希望したのに、彼らはわたしをレイプしたことになるんですか」
「あなたが希望したセックスと違うセックスになったらよ」
 利恵は頭の中で、そんな器用なことができる男性はいないと思う、と呟いていた。優しくしてとか、ちゃんと愛してと希望しても、男性が興奮したら、それが欠落する。調子が悪いとお酒を飲んだりしながら抱き合い、さらに愛はなくなる。だけど、それは当たり前だと利恵は思っている。

 避妊をしている時点で、ある程度は快楽指向なのだ。その中から、思わず出た愛の言葉や約束を探して、愛を深めていく。それが結婚はまだしていない男とのセックス。
 そして女が興奮しても、愛を見失うセックスになるもの。それで傷ついたとしたら、それが彼らの犯罪になるのだろうか。
 利恵が首を傾げたのに気づいた末永は、利恵を睨み付けた。そして、
「傷ついたから、自立神経が乱れているでしょ。それは誰のせい?」

と、ぴしゃりと言った。
「元彼dotsたちdots
「下半身だけで生きている悪い男のことは忘れなさい。人類史を勉強しなさい。男は、人殺しとレイプばかりしてきたのよ。そんな男たちに、生真面目に接する必要はないの。宮脇さんは、セックスが楽しかっただけで、それは若かったのよ。もっと勉強して自立するの。先生みたいに」
「分かりました。勉強します。銀行にいながら資格も取ります」

「愛嬌は忘れずにね。幸せになるために必要なのよ」
 セラピストの末永葵は自信満々に言った。利恵はそのセラピストを信じて、自分改革に励んだ。以降、男たちは完全に無視。再び読書をして、資格もひとつ取った。料理、裁縫、着付け…なんでもできるようになった。「利恵の利は利用の利」が、飲み会で受けるようになってからは、送り言葉を使わない喋り方で人気が出てきて、だけど、誰とも付き合わなかった。誘われても断っていた。セックスがなくても人気が出ただけで満足だった。

line学生の仲間、銀行の社員とか、近くにいる男は運命の人じゃない。わたしのセックスが目当てだ。失敗したら、また銀行の知り合いの男が近寄ってきて慰めてくれて、その日にホテルに直行。一週間後には狭いアパートで同棲。そんな中身のない恋愛の繰り返しになる。
 その心療内科クリニックにセラピストの末永葵がいなくなり、クリニックにも行かなくなったちょうどその頃に、友哉が銀行に現れた。

lineわたしの顔を見た後、胸を見ていた。名札の名前を見ていた。一億円を税金に使うって、去年、三億円くらい稼いだのか、遺産でも相続したのか。だけど、お坊ちゃんには見えない。確定申告も終わっているのに、なんか嘘っぽいな。あ、防犯カメラを見ている。悪い人? だけどイケメン。何歳くらいだろうか。独身だったら、逆ナンパしてみようかな。ちょうど、淳子からもらったチケットも持ってるし。佐々木時さんか。
 そんなことを考えていたら、急に応接室に連れて行かれたのだった。

line興奮した。なんなのこの刺激は。そう思ったら、もう彼と寝ていた。セックスは最高だった。
dots最高だった。

 利恵は、友哉が出て行ったホテルの部屋の扉を見ながら、首を傾げた。
line今の悪寒はなんだったのか。中途半端な昼寝のせいで自立神経が乱れているのか。それとも、抱かれなかったからか。

 友哉の手が腰からお尻に滑り落ちた時に、一瞬、ときめいたが、時間もないし、軽く拒絶したら、彼もすんなりとあきらめた。
lineゆう子さんとの二人だけの女子会も楽しそうだけど、成田のことで怒ってるかも知れないし、緊張する。友哉さんも一緒にもっとワイワイやりたかったな。他に誰か芸能人とか来ないかな。
 利恵は自分の『一番楽しいこと』が、男から得る刺激的な行為、それにより興奮することだと気づかずに、ベッドの上にあったシャツに手を伸ばした。

「盗聴でもしたのか。それとも、利恵からたった今、電話かメールでそれを聞いた利恵の友達か」
 振り向いてそう言うと、彼は通路と隣接したロビーラウンジの席に勝手に座って、独り言のように、また、
「この後、利恵は涼子に会いに行って、涼子に諭されて、おまえと利恵とは仲直り」
と言った。
「涼子?」
 友哉は不審に思い、彼の前の席に座った。女性のホテルマンに視線を投げて、左右に首を振る。

 常泊している友哉には何も言わず、ウエイトレスもメニューを持ったまま足を止めた。
「涼子じゃないぞ。ゆdots
 友哉が、ゆう子の名前を出そうとして口を噤んだ。
lineゆう子、見てないのか。
 リングの通信でゆう子に声をかけると、
「見てないよ。利恵ちゃんとデートだから。プライベートは覗かない」

と数秒して返答がきた。
「デートはすぐに終わった。今、モンドクラッセ東京のロビーラウンジだが、目の前の男は何者だ?」
「レベル1。お友達ですか」
「知らない人だ。周囲にお化けはいないか」
「お化け? しつこいなあ。レベルの分からない人間はいないよ」
 拗ねた口調で答えるゆう子。

「今日の利恵との飲み会に、松本涼子を呼ぶ予定はあるか」
「え? ないよ。AZの話とかしたいから誰も呼ばない」
「分かった。ゆっくりしていてくれ」
 友哉は通信を切って、目の前のサラリーマンに視線を向けた。魂が抜けたような顔をしているが、さかんに、胸の内ポケットを気にする様子を見せている。
「誘導尋問には乗らない」

 やや、声を高くして言ってみると、
「乗らないそうです」
と彼が自分の胸に向かって言った。
「そのポケットに入っているスマホを出してほしい」
 友哉の言葉に彼は黙って、スマートフォンをテーブルに置いた。
 友哉のリングがうっすらと赤く光った。

line爆発する仕掛けはないが、誰かに筒抜けか
「この無関係の男にかけた催眠術のようなものは取れるのか」
 スマホに向かって言って、友哉は改めてウエイトレスを呼んだ。
「彼に美味しくて苦いコーヒーをお願いしたい。エスプレッソでもいい」
 ウエイトレスは頷いて、ニコリと笑った。
『友哉か。このスマートフォンとやらをいじるな。言葉が分からなくなる。晴香を殺すのを邪魔した男は誰だ』

 スマートフォンから声が聞こえた。日本語だ。
「訊かれて、はいはいと答えると思うか。いや、そんなことないか。その場に居合わせたただの警察官だ。それよりもこの人が辛そうだ。なんのクスリを飲ませた?」
『光だ。おまえには解けない。その見知らぬ男を心配しているのか。そんな優しい人柄ではなかろう』
「光か。おい、涼子と利恵と俺の名前を同時に出す男なんか、この世にいないんだ」

 桜井真一なら言うかもしれないが、そこは伏せておく。
『組織に入っても部外者の顔をして、仲間を助けることはなく、困っている人がいても、その人間の性格を分析してからしか助けない。女は抱くだけで愛さず、気にいらない男は殺す。自分が世界一、偉いと思っていて、リーダーの言うことに耳を貸さないだけではなく、敵のリーダーなら殺しに行く』
「誰のことだ?」

『おまえだ。国家を嫌っていて、国を狙うテロリストを倒す気もない』
「俺はそんなにいい男なのか。世界中で英雄にされてる理由がわかったよ」
『国家やトップのために戦わない男のどこが英雄なんだ』
「おバカなおまえに教えてやろう。国家ってやつは、国民を信用していない。だから、国民の俺が国家のために命をかける必要はまったくない。これが正論だ」

 友哉がおどけて言ってみせると、スマホのスピーカーから小さく失笑する音が聞こえた。
『何度か戦ったようだが、では誰のためだ』
「そうくることは読んでいた。その誘導尋問には乗らない。ま、自分のためかな。暇潰しに楽しませてもらった」
『神格化したがる悪魔だ。もう、いい。利恵が会いに行くのは涼子ではなくて誰だ?』
「そこは答えない。利恵と涼子の関係を気にする奴に」

 誰も知らないのだ。二人が友達でもなんでもないことを。涼子の方は、利恵の名前すら知らない。
『我々の知らない人間…女がおまえの背後に潜んでいるようだ』
lineこの声の男、日本中の人が知っている奥原ゆう子を知らないのか。やはり未来人。なぜ、この催眠術をかけた男には訊けないんだ。
 虚ろな目付きで目の前に座っているサラリーマン風の男なら、友哉と奥原ゆう子との関係を知っているはずなのだ。衝撃の片想いだ。

「利恵ならもうすぐここに降りてくるが、利恵を狙っているなら俺が傍に付いていく」
『そんなことはしない。私はもうすぐ死ぬ』
dots?」
『この時代の無関係の人間に光を使った。しかもお前たちを殺す目的のために。それをやると、我々は自動的に心停止するか、そうならない程度でも、戻ったら重罪になる』
「よく分からないが、命は大切にしろよ。どこにいるんだ。治療しようか」

『おまえの敵だぞ』
「敵か。敵も味方も一瞬でひっくり返るものだ」
『それはない。その男に使った光なら、じきに消える。我々の光の技術は偽物。だが、すぐにおまえが手にしたリングの技術も盗んでみせる。RDはすでに我々がRD01という新たな武器を開発した。そしてこちらには人質がいる。だから答えろ。私の任務はおまえの交友関係を探ることだけだ。利恵が会っている涼子ではない女は誰だ』

「人質? その名前を言わないと、なんにも答えられない」
『アスカ。横山明日香』
「横山明日香?」
 友哉が目を丸めた時に、コーヒーが友哉の分も運ばれてきた。
「佐々木様の分はサービスです」
とウエイトレスが言った。友哉は首を傾げたまま、彼女にぎこちない笑顔を贈った。

『思い出せないか。かわいい弟のような彼を。地中海に津波を起こさせたバカを助けにやってきたが、今、我々の手に中にいる。些細なことだろう。利恵の新しい友人を紹介するくらい』
「地中海で津波が発生したようなニュースはない」
『凶暴なだけで頭の悪い男だなあ』
 やや、息苦しそうに言った。
line光を使うようだし、トキの敵か。だったら、トキが友好的に接したゆう子の名前は教えられない。横山明日香? どこかで聞いたことがある名前だ。

「ち、アスカの名前を教えただけでも、AZの光が作用するのか」
 スマホの向こうから息が切れる音がした。苦しそうだ。
 その時、友哉のスマートフォンが鳴動した。
『友哉様。人質の彼なら、リク様dots我々が助けました。利恵さんが降りてくる前に、予定通り、横浜のマンションに向かってください』

 友哉の待ち受けに使っていた画像がまたペイントされてしまっている。日本語でその話が書かれていた。画像は、利恵が清潔感を露わにして、公園で佇んでいるポーズ写真だった。
「また俺の大切な画像をdots
 項垂れてしまう。友哉はさっと席を離れてホテルの玄関に出た。
 愛車がバレーサービスで地下駐車場から運ばれてくる間に、物陰に隠れていたが利恵が出てこない。すると、またスマホが鳴動して、

『利恵さんは裏のエレベーターに乗り、地下鉄で新宿に向かいました。先程の男の話は忘れてください』
と画面に表示された。
「なんなんだ、おまえたちは。俺を巻き込むな」
 思わず口に出して言うと、
『奥原ゆう子という美人女優と三百億円を手にして、その言い方はどうかと思います。先程、ゆう子さんの名前を言わなかったのはさすがですが、もう少し、しっかりしてほしいと私は見ていて思いました』

「見ていて?」
 友哉がキョロキョロしていると、ゆう子から通信が入った。
「ごめん。さっき、お化けがフロントの前にいた。今、消えたけど」
と言った。
「何やってんだよ。クレナイタウンの時みたいに騒ぎになったらどうするんだ」
「だって、利恵ちゃんがデパ地下で何を買ったらいいのかって電話でうるさいんだもん。しかも、わたしが立て替えることになった。お金くらい渡しておいてよ」

「そ、そうか。すまん。慌ただしくて渡すのを忘れた。でもあいつ、一億円持ってる」
 利恵が狙われていた様子もなく、だったら怒るほどでもないような気がして、頷いてしまう。
「美容とファッション、セックスのためにしか使うなって言われたって」
「へえ、そこは忠実に守ってるんだ」
「それに、友哉さんが大ピンチになってわたしがそれに気づかないと、AZは自動的に真っ赤に光るらしいからね。わりと、わたしは自由にできるんだ」

「そうらしいな。部屋にこもってないで、利恵と遊びにも行けよ」
 愛車のポルシェが目の前にやってきて、中からバレーサービスの係りのホテルマンが降りてきた。鍵を渡された友哉は、「おい、トキの仲間。まだ聞いてるか」と車に乗り込みながら口にした。
「おまえが口を慎め。俺は嫌々やっているんだ。三百億円もいらない。トキはきっといい奴だが、その部下が俺を愚弄するなら俺は降りる」
 ポルシェのドアを怒りに任せて閉めたところで、リングを介して言葉が頭に入ってきた。

「強気に出ましたね」
「最初からリングを使った通信をしてこい」
「ゆう子さんと通話が混在しないようにしているのです」
「三百億円は光を使って、人をコントロールすればすっと消せるだろうが、俺からRDとやらを奪い返せるかな」
「お金はいらないが、武器は欲しいと?」
「こんなに危険な目に遭っていて、借りてる武器を返すバカがどこにいるんだ」

「トキ様の側近を総動員で派遣すれば奪えますよ」
「やってこい。たかが千年後の人間で造形が同じ。四次元の世界や宇宙人でも地底人でもなさそうだ。それに、ガーナラは持っているのか」
dots
 友哉の凄みを感じたのか相手は口を噤んでしまう。
「そっちの世界に結婚制度があるかどうか知らないが、トキの側近から子供がいる奴を省いてやってこい」

 追い打ちをかける烈しい言葉だ。「場合によっては殺す」という意味である。
「トキ様の側近と戦えますか。凄腕揃いです」
「トキが敵か味方ははっきりしてないが、俺からRDがなくなれば、涼子たちが危ない。従って、俺は涼子たちを守るために、RDを渡さない。おまえたちと戦う」
dots
 低い声で、しかもはっきりと言い放った。

「転送してくるのも想定してる。その交差点の座標を計算しただろ。トキが俺の部屋にきた時にやっていた。舐めんなよ」
「トキ様はR89を見せたのですか」
「R89っていうのか、あのスマホサイズの転送装置は」
「転送というよりも、主に確率を計算する装置です」
「ほう、89がなんかの確率で、それを名称にしたってことか」

「そうです。友哉様dots。友哉様が利恵さんに色ぼけてしていると思って、口の悪いことを言ってしまいました。なぜ、急にゾーンが活発化するのですか」
「いや、色ぼけしてたよ。触っただけでできないなんて、どうすりゃいいのか考えてた。利恵にトキの金で遊べないと言った手前、ホテルの高級スパで、アロママッサージの美女も口説けない」
「おふざけにならずに」
 彼はそう言って、丁寧に頭を下げた。鳥の嘴のような鼻が下を向く。
「俺は昔の恋人がストーカーのような連中に狙われている時に訓練をした」

 友哉の言葉に男が顔を動かした。友哉をじっと神妙に、そう観察するように見た。友哉は車の運転のため、まっすぐ前を見ていた。
「彼女と出会ったのは、彼女が小学六年生か中学一年生の時だった。顔に殴られた痕があった」
 物悲しそうに言う友哉。すでに助手席にいる男に突き付けていた銃、PPKは消している。
「親友の編集者が連れてきた彼の娘だ。俺に、力を貸してほしいと言うんだ」
「力dots

「俺の小説に出てくる男と、先生が一緒なら良いアイデアが浮かぶはずって言われた。その少女は、俺を見て腫れたほっぺを丸まさせて笑ったんだ。だけど、目は死んでいた。クラスメイトに殴られながらその笑顔を作るんだろうな。だから余計に虐めに拍車がかかる。俺は、この子を守るために生まれてきたかも知れないと背筋を震わせた。それから深夜の繁華街や熊が出てくる北

海道の原野や山奥に行き、集中力を磨いた。熊と対峙した時、熊が俺から逃げた。持っていた登山用のナイフを手にしたまま黙って奴の目を見ていたら逃げていった。俺はこれであの子を守れる男になったと確信したよ。だけど、俺は持っていたおにぎりを彼に投げたんだ。そしたらその熊、おにぎりを拾って口にくわえて、また戻ってきたから、今度は俺が逃げたよ。具が鮭だったのが失敗だった。友達にはなれないって」

「おふざけにならずに」
「堅苦しい男だな。dots彼女は、中学の三年生くらいから正式に恋人になった。父親の了解も得ていた。彼女はアポなしdotsつまり突然やってくるから、自分の周りに妙な奴はいないか、危険物はないか、毎日、チェックしていた。もともとそういう危機管理能力は高くて、それで彼女の父親が俺に頼んできたんだ。安いホテルなら盗聴器や盗撮カメラのチェックもした。床にガラスの

破片がないかどうかも。もう、あいつの体に傷ひとつ付けることはできないって気持ちだ。レスラトンのトイレに向かう男たち。女装していないかも見ていた。一人、捕まえて締め落としたことがあるが、警察がきたらいなくなっていた。そう、娘からの助言を教えよう。奴ら、時間を稼いだら消えていなくなるよ。おまえもそろそろだな」
dots

 彼は友哉から目を逸らすことはなかったが、その目は瞬きもできずに、友哉を見ていることしか出来ない様子で、指先はなぜだか震えていた。
「まあ、いい。勉強したいようだから教えよう。その恋人と一緒に出掛ける時はこうだ。東京都と神奈川県は違う。分かるか」
「よく分かりません。具体的に」
「ここは砂漠じゃない。都会のAの場所とBの場所では人間は変わらなければいけない。利恵の色気にフラフラしたが、だが、部屋のドアを開けた瞬間に俺はまったく違う男に変わる。あれを見ろ」

 交差点を渡っているサラリーマンの男に視線を投げた。
「彼はあの後、地下鉄の階段を下りていくが、この交差点と地下鉄が同じだと思っている。あっちはdots
 今度は雑居ビルに入る宅配便の男を見た。
「雑居ビルが安全だと思っている。手前の歩道から精神状態に変化はない。なんの躊躇もなく、ビルの階段に入っていった。だが、雑居ビルの三階は暴力団の事務所だ」
 トキの仲間が、目を凝らして見た。

「麻雀と書いてあります」
「そのさらに上の五階が聞いたこともない宗教の貸し事務所。麻雀店は古色蒼然であれで経営は出来ていない。あんなに危険な雑居ビルはない」
「少年の頃からのその観察力と涼子さんと出会ってからの訓練で、涼子さんを救ってきたのですね。クレナイタウンの失敗を知り、私が個人的にイライラしていました。撃ってかまいません。ご無礼の数々、トキ様にもきっと叱られます」

「未来人がなんで利恵を敬愛してるんだ」
「それはまだ言えません」
「そのトップとトキの関係は?」
「トキ様の側近で、戦闘力ならまさにトップです」
「千年後の世界で戦闘する必要があるのか。残念だな」
「そのため、利恵さんの守護神に選ばれました」
「守護神?」

「神に近い能力を持っています。進化した脳です」
「進化した脳を持った人間がいるのに、戦争をしているとは滑稽な進化だ」
「ごもっともです。お恥ずかしいかぎり。私も、欧州から千年後のこの国に逃げてきました。移民です」
 少し溜め息を吐いた。友哉の指摘が正鵠を得ていたのだろう。
「そうか。君はクロアチア人か」
「御先祖様がサッカー選手でした」

「どこに女神がいるんだ」
「あなた様の周りに」
「悪女しか見えない。だけど、悪女は退屈しないから、それなりに守るよ。さあ、女よりもスポーツだ」
「ありがとうございます。トキ様が泣いてお喜びになる土産話になります」
 友哉が気障な所作でハンドルを切ると、車はスタジアムの駐車場に滑り込んだ。友哉のポルシェを見た駐車場の警備員は、いつものように友哉を専用駐車場に先導したのだった。

 利恵は途中下車をすると、ゆう子のマンションに行かずに、北千住にあるワンルームマンションに戻った。
 慌ただしく部屋に入り、持っていたハンドバッグを床に投げ捨てるように置いた。本棚を食い入るように見る。
 ルソー、オスカーワイルド、ニーチェ、川端康成dots。人類学の本、文学の詩集。百冊以上ある中から、帯が破れた一冊の本を見つけた。
【謝罪武将】佐々木友哉

 頁を捲ると、いろんな場所にマーカーで線を引いてあり、自分の字でメモも記してあった。
line命をかけた謝罪だった。国を守るために、彼は秀吉に首を差しだした。黒田如水は妻から、「また秀吉様に頭を下げてきたのですか」と笑われた。そして、妻も彼に深々と頭を下げて、「ありがとうございます」と言い、涙を流した。
 本にあとがきの頁には、メモが挟んであった。猫の模様が入ったかわいらしいメモ用紙だ。
「わたしの字dots

 そこには、
『お母さんに勧められた本。利恵は、この本を書いた佐々木先生と結婚するんだ。昨日、ファンレターを書いた。まだ中学生だから、相手にされないと思う』
と、丸っこい字で書かれてあった。
 利恵は、本をベッドの上に置き、クローゼットの中にあるルイヴィトンの旅行鞄を開けた。旅行に行かなくなった時に、【宝物を入れる箱】に変えて、鍵もかけた鞄だ。
 田舎の友人の写真。父親から初めてもらった誕生日プレゼントの縫いぐるみ。大事な人たちからの手紙。今ではレアになっている携帯電話。そして、

line【宮脇利恵様へ】佐々木友哉line
 作家、佐々木友哉からの手紙があったのだ。
『拝啓、宮脇利恵様。中学生の女の子が、私の本を読んでいるなんて、とても驚いています。ありがとう。お母様に、私と結婚するように言われたようですが、あいにく、私は既婚者なので離婚するようなことがあったら、改めて手紙をください。夫婦の二組に一組は離婚する時代なので、その確率はコインを投げた時の裏表の確率と一緒です。なお、私はとてもふわっとした洋服

を纏う女性を好んでいます。今の利恵さんから見て大人の女性は、恐らく女子大生くらいだと思うので、女子大生の利恵さんは紺色のフレアーのワンピースを着て、私の講演会に来てください。きっと利恵さんだと気づくと思います。よろしくお願いします。佐々木友哉』
 手紙を持つ利恵の手が激しく震えた。
line友哉さんは作家じゃないと思っていて、気づかなかった。
 友哉は最初、佐々木時と名乗っていたのだ。
line出会った時のあの懐かしい感覚はこれだったんだ。そう、紺色のワンピースを買うように言われた。

 そして利恵は今、自分が着ている洋服を見て、また目を丸めた。
dotsあ」
 友哉と出会ってから、ずっと着ている清楚なワンピース。または長くてふわっとしたスカート。その洋服に合った地味目の下着。
line友哉さんが、わたしの憧れの小説家の先生だったんだ。
 利恵は運命に導かれた出会いに感動した。だが、
lineこのことはゆう子さんには黙っていよう

と不意に決めた。
 わたしは、

line白馬に乗る王子様と会えたのに、その男性にお金を要求してしまった。どうやって、その罪を償っていいのか分からない。

と思い、利恵は黒い水晶のような瞳に涙を浮かばせた。

 友哉が、中学生の宮脇利恵からファンレターをもらってから、数年が過ぎて、まさに、律子との夫婦関係は悪化していた頃。当たり前だが、女子中学生からのファンレターのことなど、友哉には忘却の彼方になっていて、新しい恋人がすでに出来ていた。
 律子と言う妻がいるのだから、世間で言う不倫になる。
 ある日の夕暮れ時。
 お盆が近かったから、友哉は父親の墓参りに行こうと思い、執筆を止めた。その時、

「友哉さん、悪いけど背中を流してくれる?」
と、律子の声がスマートフォンから響いた。書斎にいた友哉がお風呂場に行くと、バスタオルを巻いた律子が、背中の辺りを首を捻じ曲げるように見ながら、
「ここになんか、できてて痒くて」
と言って、真顔になった。そのまま全裸になり、浴室に入る。
「あなたは服を着たまま。タオル越しにしか触らないで」
「わかった」

 虫刺されのような出来物が律子の白い肌に出来ていた。後ろから乳房も見える。
「興奮しないでね」
「しないよ」
「それは失礼ね。おばさんだからでしょ」
「今、するなと言った」
「敬語で喋ってくれないかしら」
「興奮しないでくれと言いました」
 友哉が小声で答えると、

「お金持ちの小説家が売れなくなって妻をパートに行かせてる上に、残っていた預金はプロの女に使い果たしてしまった。その責任は、わたしにこうして隷従することで少しだけ許すわ」
「隷従って言葉を知ってるんだ」
「その態度が嫌いなのよ!」
 律子がそう叫んで、友哉に浴室のお湯をかけた。
「隷従くらい知ってる。作家先生を気取って偉そうにしないで」
「すみません」

 友哉が頭を下げて、律子の背中を再び擦った。友哉の髪の毛がびしょ濡れになっている。
「わたしがなんでこんなに怒ってるか分かる?」
「さあ」
「浮気してるでしょ」
と言って、洗面台の方に視線を投げた。
「誰が洗濯してるのかしら、あなたのシャツ。洗剤の匂いがうちのと違うんだけど」
「ホテルのだよ」

「拙い言い訳。おっぱいは触っていいのよ。ただし、あなたは興奮しないこと」
「だったら、背中だけにします」
「洗って。わたしは少し声を出すかもしれない。あなたに感じたふりをして。それで、その後、自分で処理して。その報告もしなさい。惨めね。もてもてだったイケメン小説家が転落して、自分でやってるなんて」
と、嗤いながら言った。
「セックスレスを宣言した女が浮気するなとは、おまえdots

 友哉の声色が重々しい音に変わると、一瞬、律子の肩の動きが止まった。
「な、なによ」
「もう少し、面白いことを言ってほしい。小説のネタにもならない」
「そ、そうdots
 友哉は、「分かりました。なるべく触らないように背中を流します」とまた声色を変えて頭を下げて、律子の全身を石鹸で洗った。「男の手でやってもうと気持ちいい。あなたのことは嫌いじゃないの。だから気持ちいいのよ」と言う。まだ、美しい裸体をしている律子は、引く手あまただっ

た。パート先の飲み会では、男性社員の連絡先を五人も手に入れてきた。誰かに洗ってもらっているのだろう。そしてセックスも。

 律子の背中を流した後、友哉は、晴香が昼寝をしていることを確認してから、無言で家から出た。
 愛車のVWゴルフに乗る。
 ほんの数分、考え事をしていたら、助手席側のドアが開き、体の小さな女の子が強引に乗ってきた。
「隙あり!」
「涼子かdots

 涼子は花柄のワンピースを整えた後、
「友哉先生に隙あり。女に刺されるよ」
と笑った。瞳はキラキラしていて、何が楽しいのか体をゆらゆらさせている。ポニイテールの髪も一緒に揺れた。
「車の中で一人でいる時は、俺が魂を抜いてるリラックスタイムだ」
「リラックスタイムにも入りたくなるねえ」

 涼子は今度は不敵な笑みを零して言うが、目は笑っている。
 友哉は誰かにメールを入れた後、車を発進させると、涼子が、
「やった。ドライブだ。お父さんには言ってある。友哉先生の所に行ってくるって」
と、また満面の笑顔で言った。
「ねえねえ、お祭りに行こう。真中町でやってる。あそこまで行けば中学の時の子たちと会わない」
「祭か。金魚すくいとか見たいが、行くなら浴衣が良かった」

「正面に座ったら、ちらって見せてあげる」
「その台詞は、律子も若い頃に言った」
「あらー、もうときめかないってこと? わたし、女子高生よ」
 高校一年の初夏。涼子はアイドルデビューが決まったばかりで、まさに美少女のピークだった。そして、友哉とは父親公認の恋仲に発展していたのだ。
「鬼嫁に、敬語で背中を流して、ペコペコしてる友哉先生」
「覗いたのか」

「聞こえたのよ。一階に浴室を作ったのが失敗ね」
「行き先は太鼓がうるさい祭じゃない。霊園だ」
「いー」
 涼子が目を丸めた。
 車は府中へ向かった。友哉がスマホを取り出し、涼子の父、松本航に「涼子が勝手に車に乗り込んできたけど、僕は府中へ向かっている。夜、遅くなるかもしれない」と電話で教えた。
「分かりました。娘をよろしくお願いします」

 そう、松本航が返事をしたのが、娘の涼子に聞こえた。
「退屈、退屈、退屈!」
 横浜からの道中、助手席の涼子が連呼する。
「うるさいなあ」
 友哉はけれど笑っていた。学校で泣いてばかりの涼子が、喜色満面、はち切れんばかりの笑顔。そしてボーイッシュな言葉を作る。汚い言葉でもなんでもいいのだ。涼子が笑っていれば。
「好きな人と一緒にいて退屈とは失礼な女だ」

「音楽が古いぞー」
「おまえのリクエストじゃないか。ビートルズとかクイーン」
「わたしは、他の女の子たちと一緒は嫌なの。音楽もファッションも、恋人も」
「それがいいよ」
 虐めをずっと受けていた涼子に、同意をする。学校の同年代の女子と同類になりたくないのだ。そこまでを語らせる必要はなく、頷いていればよい。
line傷ついた女の子には言いたいことを言わせて、聞いていればいい。

 そう決めているのだ。
「なぜ、俺が律子に頭を下げているのを聞いていて、俺に幻滅しないんだ」
「お、退屈じゃなくなってきた」
 涼子はそう言って、また不敵な笑みを零した。
「お芝居だから」
dots
 涼子は身を乗り出して、友哉の頬にキスをした。

「傷つかないから。屈辱ともなんとも思ってないから。すなわち、あなたは…」
 涼子はワンピースの裾を整えてケラケラ笑うと、
「女性差別主義者」
と言い切った。
「ほう。古典文学や昔の哲学者みたいだ」

「女が弱い生き物だと思っているから余裕綽綽。女を見下しているから余裕綽々。背中を流しながら、こいつバカだなと思っていて、あのシチュエーションには興奮もしない。律子さん、今頃、家にあなたがいなくてびっくり。帰ってこなかったらどうしようか。まさか、女のところか。例の洗濯をしている女か。いったい、どこの女だ。何歳だ。美人なのか。仕事は何をしているのか。ホテルで会っているのか」

「俺が夜中に車で出かけても驚かないと思うが、俺のシャツや下着を洗濯している女のことは気にしているのがさっき分かった」
「それは、わ、た、し」
 涼子がまた屈託なく笑った。本当に楽しそうだ。友哉が、その顔をちらりと愛でるように見て、笑みを零した。
「快感。わたしも女が嫌い。陰湿で、友達の悪口を陰で言っていて、友達の幸せは祝福しない。近頃は暴力も振るうようになったねー」
「そうじゃない女もいる」

「いないよ」
「ここにいる」
「わ、わたしはケンカは強いぞ」
 褒められた涼子が照れながら、友哉の腕を拳で叩いた。蚊を殺すほどの力だ。
「わたしのことは女じゃなくて、かわいらしいお人形さんだと思って見ていていいよ。女子高生Aiロボット」
「女は美しい。それだけで差別なんかしていない」

「嘘ばっかり。唯美主義とやらは、それでゲイになるのよ。あなたがゲイになったら、女に奪われる心配はなくなる。わたしとのバイセクシャルでいいな」
「難しいことを口にする女子高生だ。合格」
「嬉しい。早く結婚しようね」
「アイドルになるのはどうした」
「どうせ、売れない。だから、二十歳くらいで結婚しよー」

 車は府中市にある霊園に着いた。辺りはすっかり薄暗くなっている。
 駐車場から墓地の方に足を向けると、
「あの、わたし、車で待っていていいかな」
と涼子が顔を強張らせて言った。
「親父に、婚約者が出来た報告をしてもいいぞ」
「そ、そう? じゃあ、行こうかな。真っ暗なんだけどdots
「夏は肝試しじゃないのか」

「そ、そうだね」
 友哉の腕にしがみついた涼子は、「幸せ」と呟き、なのに、震えていた。
「なんなんだ。幸せなのに恐怖で震えるわたし」
「面白い。おまえは今までに会った女の子で一番楽しいぞ」
 友哉の褒め言葉に、しっとりと頷く涼子。そんなことも男子から言われない。友哉だけが言ってくれる。
『かわいいけど生意気』『男っぽい』『気が強い』『お高く留まっている』『目が怖い』『男狂い』

 その類の言葉ばかりを浴びせられてきた。
 佐々木家の墓は、友哉の父、佐々木友孝とご先祖様が一緒の大きな墓石が真ん中にあり、その脇に小さな墓石があって、それは真新しかった。
「こちらはどなた?」
 友哉は車にあった非常用のライト。涼子はスマホのライトを照らしていた。
「え?」

 墓石には、『佐々木友哉室 律子』と朱色で彫られてあった。
「そんなに驚くな。生前墓だ。朱色が生きている証し。まだ、死んだ日付はない。先にお墓を建てると長生きするって律子が言うから建てた」
「あなたのは?」
「隣に書く予定だったが、俺は秩父に別の土地を買ってある」
「秩父? なんで夫婦が別なの」

「俺は非科学的な話に興味がないから、そのうち隣に名前を入れようと思っているうちに、離婚の話が出てきた。律子もこの墓は処分するつもりだ。俺が買ってあげたんだがね」
「本当に離婚になりそうね」
「親父が秩父の神社によく行っていた。本当は日本狼を探しにね。だから、そっちにお墓を移したいんだ」
「日本狼なら絶滅したよ」
「秩父にまだいるって噂があるんだ」
「ふーん」

 涼子はお墓の話は神妙な聞いてたが、狼の話になったら急に興味が無さそうな顔をして、得意のアヒル口も作った。女性らしく、浪漫に興味がないのだろう。
「今日は親父と話がしたかった。また、好きな女が出来てしまったって。何も欲しがらない心が進化した少女だ」
「え? わたし?」
「そうだ。ところで俺は律子の態度にけっこう怒っている。おまえが来てくれたのに、まだ気分が悪い。涼子、少し後ろに下がれ」

 涼子は言われた通りに、数歩、友哉から離れた。次の瞬間、友哉の右足が鋭く唸って、律子の名前が彫ってあるその墓石を吹っ飛ばしてしまった。涼子が悲鳴をあげた。
「屈辱じゃないと思ってるのか。転落、隷従、自分の手でやれ。普通に怒ってる。女を殴らないだけだ。律子にはきっちりと謝罪をしてもらう。服を着ている時にだ」
「そ、そうね」
 口に両手をあてたまま、震える声を出しながら頷いた。

「あまり言いたくないが、おまえも調子に乗るなよ」
 足元に落ちた非常用ライトが友哉の顎の辺りだけを照らしていて、涼子は恐怖でまさに失禁しそうになった。
「わ、わたし、何か調子に乗ることをしてた?」
「温泉宿での誘惑の数々。やっていたことは逆だが」
「そうよ。わたしがあなたの背中を流したの」
「まあいいよ。でもdots

「でも?」
「嫌いにはならないが、他の女と浮気するぞ」
「すみませんでした」
 素直に謝る涼子。友哉に惚れていて、友哉が虐めから守ってくれている英雄で、友哉の怒りには決して逆らわない。そして友哉を「優しい男」だと涼子は思っていて、
「お墓が本物だったら蹴らないくせに」
と呟いた。

「こういう男が好きなくせに。強くて守ってくれて、それでいて、わたしには暴力は振るわない。すぐに裏返るような媚びた笑顔は作らない男。そして才覚ある男」
「なに、自慢してんの」
「でも今のはやり過ぎか」
 友哉が頭を掻いて、まさに真っ二つに割れた墓石を見た。
「普通、別れるよ。絶対に暴力を振るわない男だって、お父さんが言っていたけど、器物破損は繰り返しているもん。この前もレストランのお皿dots

 レストランで二人が食事をしていたら、奇妙な男が近寄ってきたから、武器がなかった友哉が咄嗟にお皿を割って刃物の代わりにしたのだが、涼子は会話の内容に怒った友哉がお皿を割ったのだと思っている。
「作家や画家はそんなもんだ。妻を殴らない代わりに、昔なら電話機、今ならパソコンを壊している。俺のパソコンは五台目。レストランの皿はフォークを持つのはどうかとdotsいやdots。ごめんな、嫌いになるなよ。高校生になってから、触ってあげているし」

 そう言って優しく抱きしめると、涼子は顔を赤くして、
「やだあ。お墓でエッチなことしないで。お墓の中の昔の方たちが怒る。これは常識的な意見よ」
と笑った。
「そうだな。妙な覗きもいるし」
 友哉が、急に涼子の頭を押さえ、地面に押し倒すと涼子が、
「え? まさかここでレイプですか。初めてがそんな過激なdots

となぜか敬語で大きな声を出した。困惑しながらも少しばかり喜んでいるが、二人の頭上を赤い火の玉が走った。
「友哉先生、服が汚れるから、車に戻ってからの方がdots。初めてがカーセックスもどうかと。どこかのホテルにdots
「意外とお喋りだな。違うから」

「はあ?」
「相変わらず下手くそ」
「え? まだ何もしてないし、初めてから上手は引くんじゃないですか」
「涼子dots。いつになったらこの温度差を縮めてくれるんだ」
 友哉が敵を警戒しながら涼子の手を引き、林の方へ向かって走った。
「ええ? なんで走るの?」
「しかも夜はよく見える」

 また、赤い光線が足元をかすめた。素早く涼子を抱きあげた友哉はそれを飛びあがって避けた。
「あ、幽霊がなんか撃ってきてる!」
 やっと事態に気づいた涼子。抱っこされたまま叫んだ。
「トラップだ。今日は確かに墓参りの予定だったが、誰が夜の墓地に来るか」
 白いスーツの男は、友哉に向かって突進しようとしたが、その瞬間に、後ろから金属バットで殴られた。

「神奈川県警の久坂だ。署まで同行してもらおうか」
 友哉の友人の警察官が仁王立ちしていた。

 ◆

「くそう。この世界の警察か」
 白いスーツの男は、日本人ではなく、イタリア人に見えた。

「この世界? 日本のことか。どこの国の男だ」
 久坂が倒れている白いバイクスーツ姿の男に馬乗りになった。『RD』は落としてしまっている。
「なんだ、あの銃は? レーザー光線が出るが、なんの改造拳銃だ」
「久坂さん、そいつらは何も喋らない。一人、一人、退治していくしかないんだ」
 友哉がRDを拾って、空き地になっている場所に投げた。
「なんだ。捕り物の撮影だったのね」

 涼子がテレビカメラを探しているのを見て、友哉がクスリと笑った。
「今までにもよくあった。最近、増えてきたよ」
「ふーん」
 涼子が、暗がりを見回すと、その視線の先に、銀色のスーツを着た男が見えて、久坂が銃を抜いた。
「どうしました?」
「こいつの持っていた武器を拾った男がいた」

 久坂は倒れている白いスーツの外国人から離れて、森林の方へ向かおうとした。友哉が振り返ると、そこには誰もいない。銀色のスーツの男は『RD』を拾って消えていた。
「なんだと!」
 久坂が声を上げた。白いスーツの男も消えていたのだ。
「半ば気絶していたのにdots。どこに逃げたんだ」
「いつも逃げ足が速い。それよりも久坂さんに付いてきてもらって助かった」

「いや、いいんです。急に府中まで追跡してくれって言われて焦ったが。本当に狙われているんですね」
 人の気配はどこにもなく、久坂はあきらめて拳銃もしまった。
「涼子のストーカーか晴香のストーカーだと思います。手前みそだけど、二人ともかわいいので」
「松本さんや晴香さんがいる時に現れるなら、そうでしょう」
「特に変わった場所で。dots急に府中に行きたくなった。車の中で迷っていたら、涼子が乗りこんできて、行くことにした。そんな特別に変わった状況で、奴らはやってくるんです。涼子の家の近くのカフェでいても現れないんだ」

「人気のないところってことですかね」
「そうでしょうね」
「それよりも佐々木先生。あれ、器物破損罪ですが」
「自分の家の墓ですよ」
 友哉が律子の壊れた墓石を見た。
「怒っているようでいてクール」
 と涼子が言った。友哉の表情が鬼の形相というわけではなく、不良ごっこを楽しんだ少年のようで、そして急に笑い出した。

「なに?」
 涼子が友哉の端正な顔を覗きこむと、
「捕り物ってdots
と口にしたかと思うと、お腹を押さえながら笑った。
「佐々木先生が笑っているのを見たのは初めてです」
 久坂がびっくりして言うと、
「そう? 友哉先生なら、めっちゃ笑いますよ。わたしの前では」
と涼子が威張って言った。

   第十話 了

◆松本涼子 アイドル歌手。友哉の元カノ。友哉に棄てられた恨みで、復讐に燃えている。しかし、実際に離縁していったのは涼子?
◆喜多川晴香 友哉の娘の女子高生。未来人から護衛されている「晴香様」。涼子の友人。
◆トキ 千年後の世界で、世界を統治している君主。友哉よりも若く、しかし冷静に友哉と話し合った。
◆シンゲン 未来のAi型タブレットAZの中にいる知能。ゆう子に指示をする。

◆喜多川律子 友哉の元妻。回想シーンでは友哉に冷たく高圧的。離婚後、友哉と晴香を会わせてない。
◆松本航 涼子の父。娘の身勝手に絶望し、友哉の前で泣いた男。友哉の担当編集者で親友。
◆久坂光章 神奈川県警の警察官。トキから力をもらう前の友哉が、「敵」から涼子を守るために一緒に戦った友人。
◆大河内忠彦 ゆう子に救われたホームレスの男。痴漢冤罪の罪を背負う。
◆川添奈那子 AV女優。友哉の元カノとも言われているが、実際はセフレ?

◆宮脇利里 利恵の母親。「佐々木友哉さんと結婚して」と利恵に言った友哉の熱心な読者。
◆奥原アンリ ゆう子の母親。ゆう子を虐待していた。ゆう子が高校生の時に死去。
◆奥原慎太郎 ゆう子の父親。ゆう子が借りているアパートに遺影があるが、亡くなっていることを隠している。
◆佐々木絵美子 友哉の母親。友哉が中学生の時に男と蒸発。子供の友哉を嫌っていた。
◆佐々木友孝 友哉の父。勉強家だがストレスに弱く、友哉が中学生の時、絵美子が蒸発し心労で死去。

 ◆

 利恵は北千住のマンションから出て、また新宿に戻り、ゆう子のマンションのキッチンでサラダを作っていた。
 もしかすると、他に誰か来るかもしれないと思い、紺色のトップスに中は白いシャツ。首周りが鎖骨まで見えてかわいらしい。それとフレアーのロングスカートを合わせた。色はグレーで学生服のような柄。全体的に少々幼い恰好だから、友哉からもらったお金で買ったルビーのネックレスをして、そこが大人の色気を醸し出し、毛先にくるくるパーマをあてた。

 今思えば、運命に導かれた友哉の好みの服装だが、それを一時、忘れることに努め、ゆう子の部屋に行った。ところがゆう子が、期待外れなラフな格好でいた。
「なんでサラダはお惣菜を買わないの?」
 なんと床に座ってストレッチをしている。しかも、スポーツジムでよく見かける短パン姿。上は、ティシャツ一枚でブラもしていない体たらくだった。
lineこの温度差はなによ

 利恵は呆然としていた。ルビーのネックレスを投げ捨てたい気分になる。
「変なドレッシングがかかっていて、味が濃いから」
 不機嫌そうに答えるが、ゆう子はそれに気づかずに、ストレッチを続けていた。準備を手伝う気もなさそうだ。
「ドレッシングは別に付いている野菜だけのもあるよね」
「オーガニックじゃないから」

 利恵はキッチンに置いてあるカレーが付いた皿を見て、それをさっと洗い、その皿にサラダを盛りつけた。
「埃がたつから早くやめてくれないかな。あと、ブラをしてほしい。チラチラ丸見え」
 テーブルに惣菜を置いてあるのに、ストレッチをしているゆう子を睨み付ける。
「股関節が柔らかいのを変な目で見ていたからストレッチをして誤魔化している。普通さ、舞台とかやってたら体は柔らかくなるさ。ふざけんな」

 ゆう子の男の子言葉は、笑顔がかわいい美女だから許されているようなものだった。歳がずっと上の友哉にも平気でこんな言葉遣いだ。スカートを穿いたら必ずパンチラになるくらい行儀も悪いし、奥歯が見えるほど大きく口を開けて笑う。そんな女でも男が言い寄ってくるから余裕があるのだろうか。利恵は、ロスからずっと、絶滅危惧種の動物を見つけたような顔で、ゆう子を見ていた。
 そして、ブラを取りに行く気配もいっこうに見せない。

「正常位の時とかに? そんな細かいところを見てるの? やだなあ、経験豊富な男は」
「セックスのやりすぎとか言われたわけじゃない」
「でもそう思ってるね。じゃあ、わたしのセックスの癖もばれてるんだ」
「当たり前だよ。利恵ちゃんがどんなセックスしてきたか知らないけどね」
 ロスアンゼルスのホテルで泥酔して、淫乱にセックスに興じたことは覚えている。しかし、酔った勢いだから、彼は「利恵は酔ったからああなった」と思ってくれてないだろうか、と希望を抱いていた。

「そんなはずないか」
 落胆した声で呟くと、
「何が?」
 ゆう子が体の動きを止めて訊いた。
「わたしは…友哉さんには言いたくないけど、合コンからのセックスが多かった。でもセックスがしたかったんじゃなくて、都会で遊びたくて遊びたくて。カラオケとか遊園地とかドライブ。その延長にエッチがある感じ」

「でもプロって言われたのは上手だからでしょ」
「うん。異常に上手らしい。すぐにイッちゃう。彼はそれを褒めるけど、あんまり嬉しくないな。体が敏感なのは隠しようがないけど、経験数や元彼に教わったことを見抜かれるのは恥ずかしい。この前もバーで、遊んでこなかったとは言わせないって、モロに言われた」
「はっきり言いすぎる男の人だなあ。それに怒らない利恵ちゃんもすごいよ」

「プレゼントで誤魔化された」
「ふーん、晴香ちゃんの言うように、本当はマメなのか」
 なんのプレゼントか聞く様子もないゆう子。
 ゆう子さんの興味は物質的なものではなく、常にセックスや健康なのか、と利恵は分かった。
「ゆう子さんはやりまくってたんだ。女優さんってすぐに共演者の俳優さんと関係を持つし」
「うーんdots

 ゆう子はずっと緩んでいた頬を少し硬くした。ストレッチもやめて、惣菜のサラダをつまんでいた。食事の時はそれなりに行儀よく、足も整えて座っていた。
「ごめんなさい。変な言い方して」
「いいの。わたしは共演した人とはやってないよ」
 過去のセックスは意地でも話さないようだ。利恵は話を止めて冷蔵庫を開けた。高級ワインが五本入っていた。オーパスワンが三本、あとはシャトームートンロートシルト、シャトーマルゴー。缶ビールも三つあった。

「ワインばっかり。日本酒は?」
「ないよ。この前、涼子ちゃんとワインも二本飲んだ」
 利恵が大きなため息をついた。ゆう子が、
「日本酒が飲みたいの? 下で売ってるよ」
と言った。いろいろな勘違いをしている、と利恵は思った。
「だからだめなんだよ。友哉さんは日本酒派でしょ」
「うそ。聞いてないよ」

「獺祭が好きなの。だからだめなんだよ」
 利恵がまた、呆れた口調で言う。
「記者会見で花嫁修業をするって息巻いてなかった? なんでレトルトのカレーを出してるの?」
「花嫁修業はやめた。彼は利恵ちゃんに上げる」
 ゆう子が白いハンカチを持ち上げたのを見て、利恵は思わず、
「白旗? 面白いよ」

と言った。利恵は本当におかしそうに笑った。
「ゆう子さんは無邪気で面白いなあ」
 そう言いながら、オーパスワンをゆう子に注いだ。利恵はワインやスコッチは自粛していて、ビールを持ってきた。
「松本涼子もよく遊びに来るの?」
「一回だけだよ。友哉さんが助けた時に」
「ああ、例の都市伝説。クレナイタウンからこの部屋に転送したわけか」

 利恵はそのことをスマホで調べようとしたが、それを止め、部屋を見回した。
「他に誰か呼ばないの?」
「呼べるわけないよ。秘密結社なのに」
「AZは?」
「あるよ。どこかに」
「あっそう」
 お酒が出たのに会話が続かないのを察したゆう子が、

「利恵ちゃん、ロスの話の続きだけど、友哉さんの優しさに興味がないよね」
と友哉の話に戻す。
「彼の優しさは普通だと思うよ。男性の優しさは常にセックスしたいからだって」
「そうか。そこは譲らないんだ。じゃあ、友哉さんの何が好きなの?」
「お金持ちで、刺激的なところかな。まさに運命の…。いやそれはともかく流行の遊びしか提案しない平凡な男たちにうんざりしていた時に出会ったの」

 出会い系で見つけた男たちは、平凡とは違うオタクやお金持ちの変態もいたが、さすがにそこは話せなかった。しかし、何か女子会らしいネタを出さないといけないと思うと、学生時代の話しかないくらい、銀行では大人しくしている。
「向こうも運命と思っていたら結婚できるね」
 ゆう子が先に、利恵の止めた言葉を突く。
「なんかバカにした言い回し」

「運命ってタイプじゃないよ。二人とも」
 ケラケラ笑う。利恵は、わたしを打算的な女だと思ってるんだ、と分かった。
「わたしは彼の優しさが好き。急に強くなるのはちょっとしんどいな」
と、ゆう子が言った。
「優しいのはセックスが目的だって」
「利恵ちゃんはそればっかだね」
「わたしはセックスだけの女にはなりたくないの」

「それはちょっと良くないセリフだよ」
「なんで? 女の子は皆そうだよ。有名な先生にも言われたし」
「先生?」
「セラピスト」
「へえ。そんな先生と喋ったことがあるんだ。友哉さんと喋った方がいいよ。無料な上になんとお金がもらえる」
「そのお金もわたしとセックスするためでしょ」

 はっきりと言うと、ゆう子が食べていたサラダを喉に詰まらせたような表情を見せた。女二人だけの女子会だから、利恵がズケズケと言っているのだが、それを大目に見ても、ゆう子の癇に触ったようだ。
「今の利恵ちゃんはそれを言ったらだめだな。それをしつこく主張すると友哉さんがブチ切れると思うよ」
「ちょっと意味が分からないけどdots

 初めてゆう子が自分を睨んだのを見た利恵。怒ったようで、年上の有名女優ということもあり、意味を訊くのが怖くなった。
「じゃあ、訊くけど」
「訊かなくていいよ」
「いや訊くよ。一億円はどのタイミングで入ったの? まさか成田で? そんなの無理だよね」
「帰りのロスアンゼルス空港にいた時間に、彼が社長に電話したらしい」

「機内でわたしを試していたのか」
「機内で一億円を振り込んであるって言われたらどうなってたのさ。あんた、調子に乗ってただけでしょ」
「そうかも。でもうちの銀行名義になっていて、友哉さんの、ササキトキの名義じゃなかった。だから課税される。そのあたりが愛情じゃなくて、セックスのお金と思う。だから、まだ優しさは認められない」
「バカ。ササキトキの名義にしたら利恵ちゃんも国家権力に狙われるでしょ」
「あdots
「あ、じゃないよ。さすが、友哉さん。恋人と揉めてる最中にも気配り大将。で、なに? 一億円渡したから、ずっとしゃぶってろとか言われたことがあるの?」

「え? な、ないよ」
 いつも友哉に論破されていると腹を立てていたが、ゆう子とも同じだった。誰と話しても矛盾や間違いばかりを口にしていて、こうして叱られるのだ。
「一億円渡したから、ああだ、こうだって言われてる? さっき、惣菜を買うお金がない話でも聞いたけど、ま、無駄遣いするな、くらいでしょ」
「うん。美容に使うようにって。財布とかはプレゼントするって言うし、なんか使い道がなくない?」

「何に使いたいの?」
「ぱっと思いつかないけど、友哉さんがホテルの部屋をスイートにしないから、わたしがもらったお金でグレードを上げるとか。冬になったら、大間のマグロとか高級寿司を食べまくるとか。リゾート地の温泉に行くとか。だって、都内にマンションを買ったら無くなっちゃうし」

「そうか。遊びたいんだね。あのさ、絶対に男の人は言うよ。これだけお金を渡したから、セックスをしろって。一億円も利恵ちゃんに渡して、何も言わない彼はなんなの? わたしが大河内さんに会う前の日、つまり銀行の男の子をこらしめた日の前日の夜、酔っぱらって寝てたでしょ。そのプレゼントで誤魔化された日よ」
「久しぶりに飲みすぎた。いろいろ面白かったから。PPKって拳銃を見せてくれた」

「寝てる利恵ちゃんを抱いてないから、銀座を走り回った疲れがあからさまに出ていたよ」
「寝てる間にレイプしていいなんて言ってない」
「レイプじゃないでしょ。カップルなんだし、セックスが好きなんだから。利恵ちゃんが、セックスが嫌いなら話は別だけど」
「セックスは好きでもいきなり犯されたら嫌だよ。いや、でも感じるか。わたしも暇な時に寝ている友哉さんを何度か起こして、頼んでるし」

「でしょ。認めたか」
「暇な時よ」
「その方が悪徳じゃん」
「そうなの? 疲れているからって彼女にイタズラする方が悪くない」
「利恵ちゃん、女を一からやり直す前に、滝に打たれてきたほうがいいよ」
「ひどくない? その暴言」
「あんたが友哉さんにひどすぎるから、代弁してるんだよ」

dots
 何が悪いのだろうか。確かにお金を請求したのは良くないがdots、利恵が首を傾げたのを見たゆう子が、ため息を吐いた。
「セックスは女は何をやってもいい世の中になってんのよ。利恵ちゃんが寝ている恋人の友哉さんに跨るのは良くて、友哉さんが寝ている恋人の利恵ちゃんを犯すのはだめって、なんなの? わたしがブチ切れるよ。まあ、回復のためにもちょっと話し合っておいてね。友哉さんの、副作用、半端ないんだから」

「それがピンと来ない」
「死ぬかも知れないからね」
dots
 利恵が瞬きをやめて、ゆう子を見た。
「セックスしないと?」
「色気をちょっと見せるだけでもいいし、優しくするだけでもいいよ。松本涼子が手を握って歌を歌ってくれただけで、元気になったから。ようは、美女の色気と優しさで彼は血圧が上昇していって、体が楽になるんだ。血圧が極端に乱高下する副作用だって」

「分かった。でも寝てる間に犯されるのはdots
「本当に嫌なの?」
「いいえ。わたしが疲れてなければ全然OK」
 ゆう子は息を吐き出して、
「友哉さんはそんなことはしない男のひとだけどね。ラブラブみたいなんだし、本当に話し合ってね。若い男の子だったら勝手に寝ている彼女の顔に出したりするんでしよ。知らないけど」
と言う。

「するよ」
「知ってるんだ」
「若い頃にされたことがあるよ。何度も」
「経験豊富なのに学習してないのか。その元彼の男子はよくて友哉さんがだめなんて、あんた、大人になったら逆に退化してるの?」
「いったん、お休みして、男を軽蔑したから、いろいろ忘れていた」

「セラピストの洗脳ね。その件は友哉さんに言って。わたし、心理学者じゃないから、その洗脳を解けない。友哉さんなら解いちゃうと思うよ。恋愛小説家として中堅以上の佐々木友哉先生とどこかのセラピストじゃ格が違うって。それに、一億円もらっておいてdots。しつこくて悪いけどさ、知っての通り、彼は性豪。セックスは大好き。なのに、お金を渡したからやれとか回復する

まで腰を使ってろとか言わないのは、彼はセックスだけの男性じゃないからだよ。何か別のことも考えてるの。セックスと同時にね。それはあなたの体調とかだよ。酔って寝てるって言ってもさ、若いからセックスしても死ぬなんて滅多にないどころか逆に楽しいのに、気を遣ってるんだって」
 利恵はまさに打ちのめされていた。ゆう子の暴言の数々に怒れないほどだ。

lineまさか。病的に疲れている様子以外は完璧じゃないか。なんか惚れ直してしまった。さっきも、わたしが体調が悪そうに見えたから、すんなりとあきらめたのかも。
 利恵が、にやけてしまっているのにゆう子は気づかず、うっすらと怒気を見せている。
「わたしのお母さんと一緒。奈那子とかね。きっと律子さんも。謎の元カノは違うっぽいけどさ」
「銀行口座のことは勘違い。ごめんなさい」

「うんうん。それはいいよ。友哉さんの優しさはスケールが大きくて、わたしでも気づかないことが多いからさ。AV女優の奈那子とは超変態セックスをやってたんだけど、終わったら奈那子、ぐったりじゃん。友哉さんもぐったりなんだけど、明け方まで看病するかのように見てるんだ。実際、わたしがパニックの発作で飛び起きたら、友哉さんはほとんど起きてるか一緒に起きてくれる。なのに、奈那子、友哉さんが寝てしまったら財布からお金を取っていなくなってんの。

せめて何でもない日に盗めって思う。律子さんは友哉さんが熱を出しても看病したことがほとんどないみたいだ。利恵ちゃん、チャンスなのに元カノか新しい女に取られちゃうよ」
「え? いや、取られない。ゆう子さんには取られそう。ゆう子さんには楽勝は冗談。なんでさっきから、わたしと友哉さんを仲良しにさせようとアドバイスしてるの?」
怒りとは無縁の精神を持つ利恵。ゆう子の暴言や怒りを「アドバイス」と言う。

「わたしはトキさんに頼まれたレンタル彼女のような女だから、誰がきても三年間は空気みたいにいるさ」
「空気ならもっと黙っていたら?」
「おー、今の面白いよ」
 酔いが回ってきたゆう子が、利恵の皮肉にはさして怒った様子も見せずに笑う。
「お母さんみたい。どいつもこいつも。なんだ。お母さんみたいな女たちしか日本にはいないのか」

「お母さん?」
「もう死んだ。若い愛人の男とセックスしている時に死んだよ。男がたくさんいたから、若い男の子が嫉妬して殺されたのかもしれないけどね。小学生だったわたしを殴りまくって、お父さんを軽蔑しながら、男を何人も作ってさ。友哉さんみたいに強くて頭のいい男性が怖いくせに、ふざけんなって」
「強さは一瞬だけどね」

「利恵ちゃん、いいね。わたしがマジになったらそうして突っ込みを入れて。確かにお父さんは、お母さんにベタ惚れで媚びてたよ。洗濯機回そうか、料理作ろうか、コンビニ行ってこようかって、友哉さんの女への気配りとは違う生活臭い気配りだ。友哉さんは、ここに危険なものはないか、彼女の体調はいいか悪いか、が基本。お母さんたちはそこは嫌うか気づかない。重要なのは女に媚びてくれるかだよ。甘やかしてくれるかとかね

。お母さんの男たちは、めっちゃお母さんの下男だったからさ。それに喜んで、つまり利用しながら、お父さんがつまんなくなったら他の男とセックス。その男がつまんなくなったらまた別の男。一度に二人や三人の時もあった。どの男も優しいって自慢していて、それが聞けば聞くほど、たんなるバカと付き合っている。そしてまたお父さんを優しい人だって、近所に自慢している。お父さんはそれに喜んでかどうか知らないけど、クリスマスにお母さんにプレゼントしてた。

でも、お母さんはイブの日には別の男からも何かもらっていたんだ」
「お父様も相当、ゆう子さんのお母さんに惚れていたのね。ゆう子さん、虐待を受けていたんだ」
「わたしに男の人の悪口を言いながら、わたしを殴って、その男たちに会ったら、好きだって言ってセックスしてた女だよ」
「どんな悪口?」

「だから利恵ちゃんと同じだよ。男はセックスだけだって。優しいのはセックスしたいからだって。射精することとレイプすることしか考えてないゴリラだから、AVでも見て勉強しろって」
「ごめんなさい。そこまで言い切ったわけじゃdots
lineセラピストの先生と似てる。AVを見ろとは言わなかったけどdots。いい先生だったけどな、美人で成功者だった。
 利恵は漠然と不安を覚え、手に平に少し汗をかいていた。

「こっちもさ、死んだ人の悪口は言いたくないけど、あの女がいなくなって福岡と東京では助かった男性がいっぱいいたと思うな。痴漢冤罪も楽しんでいた女だからね。それでわたしが、危うく友哉さんに嫌われかけた。なんて怨霊だ」
「彼から聞いたよ。うちの銀行に小切手取りに来た。痴漢冤罪でホームレスになった男性を助けたんでしょ」
「やっぱり利恵ちゃんの所に行ってたんだね。ごめん。迷惑かけて」

「ううん。社長が友哉さんのまさに下男だから大丈夫。彼、すごく疲れていたから、わたし、初めて回復って言葉を使って、トイレで何かしようかって言ったら、いいんだって、とっても嬉しそうに笑うんだ。ありがとうって何回も言って」
「そうなんだ。一応、やる気はあったんだ。ごめんね。怒ってばかりで」
「友哉さんを見たらムラムラするから。でも断られた。というか彼は、急いでいたんだけど」

「いつものことだよ。それは利恵ちゃんの仕事の邪魔になるのを避けただけで本当はしたいんだ」
「上手く言えないけど、嬉しそうだった。彼、副作用が辛そうだけど、ゆう子さんとわたし、自惚れてるけど、二人でいるのが楽しそうよ」
「ま、普通にハーレムだからね」
 けらけらって笑う。
 その時、ゆう子の部屋のインターホンが鳴った。ゆう子が出ると、
「東京地検特捜部のものです」

と四十歳くらいのスーツを着た男が言った。後ろに部下のような男たちが二人いる。
「利恵ちゃん、東京地検特捜部ってなんなの?」
 振り返って訊くと、
「税金のことでしょ。ゆう子さんじゃなくて、ゆ、じゃなくて佐々木時の」
 頭の回転がいい利恵。咄嗟にトキの名前に変える。
「ふーん、すみません。なんの御用でしょうか」
「佐々木時さんについてお伺いしたいのですが」

「知りませんよ」
「では、佐々木友哉さんのことで、ロビーまで降りてきてもらえますか。またはそちらの玄関先でもいいです」
 ゆう子が、利恵におつまみを作っておくように言って、一階にあるロビーに降りた。応接できる部屋があり、そこに通して、ソファに先に座った。短パンはジーンズに穿き替えていた。
「本物の奥原ゆう子さんですねえ」
と、若い検察官が言うと、年長者の男が彼を睨みつけた。
「わたし、犯罪者じゃないので、アポなしで来ないでください。すっぴんだったらどうしましたか」

「それは失礼しました。もちろん、お化粧するまで待ちましたよ。佐々木時という男の行方を探しています。どうしても見つからない。巧妙な架空口座で、すばる銀行の社長も分からないし、凄腕の弁護士たちがいて凍結もできない。路頭に迷った末に、奥原さんを頼りにやってきました」
「架空口座? なんの話かわたしにはさっぱり」
「すばる銀行に突然三百億円が振り込まれた。名義は佐々木時だが、我々は佐々木友哉だと思っているから、あなたのところにきたのです」

「そうなんだ。だけど佐々木時って人に納税する義務がもしあるなら、今年じゃないから、来年にまたきて」
「予定納税の義務があります」
「なんのお金か分からないのに?」
 両手を小さく広げて「わかんない」のポーズを作る女優、奥原ゆう子。部下の一人がまだ見惚れている。日本の映画賞、総なめのトップ女優だ。

「あなたと佐々木友哉さんとが友達なのは日本中の人が知っています。彼が、すばる銀行本店に口座を持っていないのに、よく出入りをしていて、彼がキャッシュカードを使う時だけ、ATMの監視カメラが作動しない。おかしくないですか」
 ゆう子がAZで操作していた。ゆう子が忙しくてそれができない時は富澤社長も協力しているのだ。
「あらま。それは大変です。そんなお話なら後ろにいらっしゃる警察の仕事かとdots

 ゆう子が視線をガラス製の自動扉に向けると、そこに桜井真一が立っていた。
「東京地検特捜部の八重樫さん、俺は佐々木友哉担当の公安の桜井真一だ」
 八重樫と呼ばれた男は立ち上がると、軽く会釈をして、
「存じていますよ。佐々木友哉の娘を助けて絶命。その後、生き返った有名な男」
と言った。続けて、
「その後も佐々木友哉の娘を部下と一緒に警護している」
と言う。

「当たり前だ。警察官だからな」
 桜井が、ゆう子から離れたところのソファに腰を下ろした。「やあ、奥原ゆう子ちゃん。こんなにまじかでまた会えるなんて」と笑った。ゆう子がげんなりした顔をする。
「公安の仕事ではない」
 八重樫がそう言うと、
「公私混同が趣味でね」
と桜井がニヤニヤ笑いながら言った。

「それは公務員の風上にも置けませんね」
「君、先月の十五日に赤坂の料亭で副財務大臣と飲んだが、その時に一緒だった銀座のホステス。彼女の食事代とその後のホテル代の領収書を切ったのは公私混同じゃないのか」
「うわ、それはヤバいです。税金でホステスとえっち」
 ゆう子が笑いを堪えるように、右手を口に押し付けた。
「どうしてそんなことをdots

「おまえが佐々木友哉の娘に近づいたから、付けさせてもらった。赤坂の料亭から女と一緒に出たから調べたよ」
 顔色を変えた八重樫は、帰る素振りを見せながら、
「我々は佐々木時を探しているだけで、佐々木友哉に彼の居場所を訊きたい。なのに、佐々木友哉も見つからない。それだけのことですよ」
と吐き捨てるように言った。

「思春期の娘に近寄って、母親と離婚した父親の居所を訊くような真似はやめろ。しかもあの娘は何者かに狙われてる。おまえら、その何者かに間違って殺されるぞ。俺みたいに」
 桜井がそう脅しをかけると、
「八重樫さん、我々の仕事じゃないですよ」
と部下が歯を震わせながら言った。八重樫たちがマンションから出て行くと、ゆう子が「じゃあね。今、女子会なの」と言いながらすぐに立ち去った。桜井真一が、
「冷たい。助けにきたのに」

と大きな声で言うと、ゆう子がエレベーターホールで振り返り、「桜井さんは男らしいけど、わたしを舐めるように見るのはやめてね。それから流行の安い腕時計。わたし、伝統のあるヴィトンやグッチとかのアクセサリーが好きなの。男性の洋服は分からないけど、友哉さんは靴もきちんとしてるよ」と、ズボラな桜井を見て、しかし、美しい微笑みを見せて言ったのだった。
 部屋に戻ると、利恵が、

「どうだった?」と口にして、揚げ出し豆腐をテーブルに置いた。
「美味しそう。お酒のつまみにいいね」
「料理なんて簡単よ。友哉さんも本気になればできる。作家なんかレシピ本、一撃で読むよ。他の頭の良い男性も。だから、料理の腕を褒められたくない」
「何を褒められたいの?」
「裁縫とルックスかなあ。肌が綺麗だとか」

「肌が綺麗って言われると舞い上がるよね。桜井さんがやってきて、特捜最前線は追い返した」
「なにそれ? へえ。桜井さん、ゆう子さんを見張ってるのかな」
「友哉さんにやられた部下の人たち三人くらいで、うちらを見張ってるの。わたし、晴香ちゃん、松本涼子よ。正確には、成田のことがあったから守ってくれていて、悪い気はしない」
「ゆう子さんに会いたいからだよ。公私混同してると思う」

 利恵がそう言うと、ゆう子が爆笑した。地検の八重樫と同じ台詞だったからだ。
「そんなにおかしいの? で、痴漢された女子高生がどうしたのよ」
 仕切り直しなのか、利恵はビールをぐいっと飲んだ。
「その犯人の女子高生をこらしめてほしいって頼んだんだけど、まさに、わたし、AZでお母さんみたいな悪女を探しまくってたんだ。徹夜でさ。それを友哉さんに怒られた。神がかり的な怒り方だ」

【ガーナラ】人口が激減したトキの世界での精力剤だが、男を凶暴化させるために禁止になった。友哉の足を治療するために再開発。数千種類の動植物の生薬とそれらをコントロールする化学物質が入っていて、腐敗していない人間を蘇生させることも可能。

【光】ガーナラとセットで開発させた脳をハッキングするまさに光。光のセンサーがレセプターを刺激し、人の体をコントロールしてしまう。

【リング】ゆう子と友哉が通信に使うだけではなく、友哉のリングには体内のガーナラを人に与える目に見えない針が付いている。

【プラズマシールド】友哉のリングから発生するバリア。この時代でもボーイング社などが開発済み。

【転送】瞬間移動。友哉のガーナラが東京都の電力と同様のエネルギーを発生させてワームホールを作り、その瞬間に移動する。障害物がない時は光の速度を超えるだけで、それほど疲労しない。

【R89】トキの世界で有事に備え、確率を計算する小型の装置。簡単な転送も可能にしてある。

【ストプ】違う時代の人間に危害を加えると、自殺を促す光。トキらが友哉の時代に来る前に浴びてくる

「冷静なんでしょ」
「そう、利恵ちゃんに一億円をさっと入れたのと一緒。ホームレスの男性の所に行ったら、先にもう友哉さんが話をつけていた」
「話が出来すぎてるのよね。何もかもトキさんに仕組まれてて、わたしたち踊らされてるとか」
「そう?大した未来人じゃないよ。わたしのお喋りにこいつ、パニクったけど」
 ゆう子がAZをちらりと見せて、また消失させた。
「ゆう子さんのお喋りには対応できないのか。確かに記者会見からめちゃくちゃだよ」

「どこが? 普通の会見じゃん。タブロイド紙の記者も黙ってたからね」
「ゆう子さんの天然に呆然としていたのよ。わたしの銀行の人が衝撃を頭に受けたのかって言っていたから」
dots
「女子高生をこらしめるなんて、めんどくさいことはしないほうがいいよ」
 利恵はたしなめるように言ったのではなく、本当に疲れた表情を見せた。続けて、「他にすることがあると思うよ。結婚はともかく一生、手料理ができないのってどうかな」と呟く。

「うん。利恵ちゃんは、やっぱり女らしいよ。裁縫もできるし、さすがだ。友哉さんはお母さんの怨霊が憑いた女子高生は完全に無視。だから、わたしはお母さんへの復讐はやめることにした。友哉さんが偉そうに、いろんな傷を治してやるとか言ってて本当にやってくれてる。その彼の優しさや知性をセックスがしたいからだって、わたしは思わない。優しくしたからやらせろとか一億円渡したから、ずっとしゃぶってろとかね。そういう男の人じゃなくて、なんか別のことを女としたいんだ。どうよ?」

「口にするのは恥ずかしいけど、愛でしょ」
「そう。だけど、友哉さんの欠点は気にいった女は、全部愛そうとすることかな」
「それも最悪」
「でも、お母さんの周りにいた男たち。お父さんもそうだったけど、お母さんしか愛してなくて、自滅していったから、まあいいかなって」
「悪女を一人、愛しているよりはリスク回避で何人もいた方がいいと思うよ。わたしは友哉さんにそれをやられるのは嫌だけど、実は昔の男たちに女がいっぱいいたのは、それだったんだよね。

日本の男たちは知らないけど、中世ヨーロッパの頃。本を読めば読むほど、男たちは人ばかり殺していて、決闘が好きで、女たちは男のお金を奪うのに必死。美談にされている有名な女にも愛人がいたりね。で、その後、教育や国の民主化で賢くなっていったのは、実は男性の方だけで、殺し合いをほとんどしなくなったのよ。ところが女たちの、財産やお金目当ての恋愛は続いてるのdotsって、

、自分の話になりそうで自爆してるけど、学生時代の女友達は、ゆう子さんのお母さんみたいな子ばかりだった。彼氏と男の悪口を言いながら、セックスはやりたがっていた。女子が二人以上になると、男の悪口か品定め。彼らがやってきたら、色気で誘って、ラブホに行ってやりまくって、また学生食堂で男の悪口。下手くそだったとかね。

彼氏の悪口なんか半端なく喋ってる。バカとかくそとか。出世しねえとか。なのにその彼氏が目の前にやってきたら、満面のかわいい笑顔になるから、もう女友達が信じられなくなった。で、わたしはその仲間にいたけど、うんざりして外れて、また読書家になって、二年くらいしたところで友哉さんと出会った」
「そうか。利恵ちゃんのその反省期間というか、知識が豊富なところが友哉さんのお気にいりだと思う。またってことは文学少女だったんだ?」

「お母さんに、本をいっぱいもらった」
「良いお母さん」
「わたしのダークレベルは?」
「は? なによ、突然。2だよ。友哉さんも」
「その指標や基準はなんなの?」
「女はわかんない。友哉さんは、あきらかに、やる時はやりますよって精神がダークレベルを上げてるの。ロスでも話したけど昔に、悪い高校生たちをこらしめたらしいよ」

「それも興味ある」
「うん。詳しくはロックがかかって見えないけど、わたしが友哉さんのダークレベルのことをしつこく訊いたら、三年前に高校生たちを病院送りにしたから、少しレベルを上げたって」
「病院送りって。かなり犯罪だよ」
「正当防衛とも言えるって書いてある」
「そっか。オヤジ狩りに遭ったのね。わたしもオヤジ狩りとかしているガキ、嫌いだからいいか」
 利恵が苦笑いを見せる。

「すべての暴力は悪だよ。この国は特にそう。猫を虐殺した子供も殴れない」
「なに、その謎かけみたいなdots
 利恵は一呼吸置いてから、
「わたしを守るためにテロリストを爆死させた友哉さんは悪?」
と言った。
「違うね。利恵ちゃんとは話が、だんだん、だんだん、だんだん合ってきた」
「だんだんがしつこい」

「他に女との過激なセックスもそうだし、テロリストを殺すのもそう。でも、嫌がる女をレイプするわけじゃないし、善人に銃を向けるわけでもない。そこが2にとどまる理由。きっと、その高校生たち、人を殺すほどの悪だったと思うよ。むしろ、1の男の人たちが、実は、お母さんに貶められてきた男たちが1だから、ちょっと矛盾した数値なんだよ。バカや女性化した男なら1なんだって」
「女に優しくて媚びていて、決して怒らない男が1ってこと?」

「そう。脳内のテロリズム性が強いか弱いかがダークレベルの基準なの。なんかがっかり。トキさんの世界の判断基準に。男性の場合、カッとなってどんどん人を殺すような男が4。それで現実に一人以上殺している。これが基準。カッとならないのに殺すのがサイコパスで5。3は判断ができないから、友哉さんに任せる男で、でも誰かを殺したいほど恨んでいるとか日常的にDVとかしている男も3らしい。2は友哉さんみたいに冷静で、だけど怒る時は本気になる男性と軽犯罪の前科がある人。1が、いつも温厚で、笑っていて清廉潔白みたいな男の人」

「1の男の人、刺激がないよ」
「うん。お母さんの相手の男のひとたち、正直、男性崇拝のわたしでも嫌だったから。お母さんの命令はなんでも訊いて、車で飛んでくる。お母さんの殺し文句が、迎えに来なかったら、抱かせてあげないだからね。オドオドした男たちが、月に何回も自宅までやってきて、お母さんに頭を下げて、子供のわたしがいるのに、隣の部屋でセックス。お父さんは会社に行ってるのよ」
「最悪。ねえ、その話、友哉さんにしてあるの?」
「してない。嫌われる」

「したほうがいいよ。嫌われないって」
 ゆう子を慰めるように言うが、ゆう子はさかんに首を左右に振って、
「今まで何度この話をして男にやり捨てされてきたか。何度って言っても三回くらいよ。わたし、男遊びはしてない」
「三回くらいでも愛がなければ十分遊びだけど、あんたに言われたくないって反論されるから言わない」
「今すぐ言いたいよ。二回はわたしはその彼らを信じていた。抱かれているうちに愛されると思った。なのに、最初の人は一回で、次の人は一ヵ月で三回くらいやっていなくなった。あとの一人はこの部屋のホームパーティーでふざげすぎたら消えた」

「なんだ、乱交してるんじゃない」
「乱交ほどじゃないよ。ストレスがひどくてバカ遊びしたくてさ。ゲームの罰ゲームにエッチネタを仕込むんだ」
「それ、楽しいよね」
「利恵ちゃん、さすがに経験があるね。ただ、彼氏候補の男性以外にも裸は見せてしまった。酔うとそうなる。それが終わった後、皆に虐待された話を泣きながらしたんだけど、目が覚めたら部屋に誰もいないんだ」
「喋り過ぎたんじゃない? 虐待以外のことも。覚えてないだけで」

「そ、そうかもdots
「でもなんで虐待されたことを話してしまうの。ホームパーティーでバカ騒ぎする人たちに。そういう過去はもっと慎重に、静かな場所で話すことよ」
 利恵が生真面目に言う。ゆう子は、「利恵ちゃんにしては常識的で説得力があった」と前置きしてから、
「方言を喋らないことで、お母さんの話に誘導されていくんだ。まあ、それはわたしがお喋りなんだろうけど、聞きだしておいてそれが嫌で別れるのはひどくないか」

と、恨み節を言った。
「そうなんだ。わたしも迂闊にできない話はあるもんな」
「最初は同情してくれるんだ。でもそれはまさにセックスするためよ。結婚の対象外だ。だから、何回かやったらいなくなっちゃう。まさにお嬢様のような女が現われたら、そっちに乗り換えるわけよ。最悪だよ」
「ゆう子さん、男が好きなのか嫌いなのかどっちなの?」

「友哉さんが好き。あと、友哉さんに関わっている男性が、意外とイケてる。桜井さんは、性格がオヤジ臭すぎて困るけど、晴香ちゃんを救ったのは男らしいし、あと、あの冷静なイケメン、トキさん。それから名前は言えないけど、わたしに対して口の悪い男がいるんだ。その人もきっと友哉さんに似てる」
「へえ、浮気してるの?」
「してないよ。このAZだ」

「え? それ、人が入ってるの?」
 利恵が、AZを見て目を丸めた。AZはいつの間にか、ゆう子の手にひらに乗っていた。
「入ってないけど、わたしの疑問に答えてくれる男性が、かなりイケてる人なんだよ。リスクを恐れない男。何しろ、わたしを怒るからね。おい、あんまりひどいことを言うと、AZ捨てちゃうぞ。おまえはわたしに捨てられた男だ」
 ゆう子が酔った勢いで、AZを殴っている。利恵は呆然だ。もはや、ゆう子のお喋りについていけなくなっている様子だった。

「壊れない?」
「ダイヤモンドより硬い」
「売れそうだね」
「なんでそんなに売る買うが好きなの? ああ、お母さんの相手の中に友哉さんがいたらよかったのに。彼なら、わざと頭を下げて、お母さんが満足して裸になったところで窓から逃げちゃうか、お母さんがイク前にやめて主導権を握る。または、セックスする前に論破しちゃう。だけど、そういう男の人は怖く見えるからもてないからねえ。友哉さんが、ずっと一人なのは頷けるよ」

「ずっとのわけない」
 利恵が急に真顔になった。
「悔しいけどdots。あの自信満々な態度、切れる頭、イケメン、細マッチョ、小説家。もし、トキさんからもらった大金がなくてもそれなりにお金持ちだったみたいだし、絶対に女はいた」
「そんなに怒んなくてもdots
 利恵が声を震わせるほど、真剣に言うものだから、ゆう子が思わず、彼女をなだめるようにして手を振った。

「彼を見たら興奮する。きっとテストステロンってやつよ。抱かれたいと思ってしまう」
「知ってる。自信のない男性からは出てこないのよね。筋肉のないおデブさんからも」
「もし、彼にずっと女がいなかったとしたら、女の間違いを論破してしまうあの怖さだけど、素直な女には何も言わないだろうし、そもそも作家の男性でしかも若くないんだから、それなりに覚悟して付き合わないとだめ。覚悟した女がいなかったなら彼の女運が悪かったのよ」
「利恵ちゃんは覚悟してるの?」

「わたしが彼を作家先生だと知ったのは、ロスアンゼルスで」
「あ、そっか」
 なぜかゆう子が頭をかいた。利恵が妙に真剣になったから場を和ませようと懸命だ。
「今から覚悟してもいいよ。彼に女がいなければ」
と言って、ゆう子を見た。利恵は怒ったのではなく、友哉に興奮したのだ。目の前にいなくても、ゆう子がさかんに彼の本質を話したからだった。
「あわわわdots。とりあえず、わたしのことは置いておいて。トキさんからの依頼でやってきた秘書だから」
「そのトキさんって人が、本当に未来人かエリア51から来た人みたいだから許してるだけで、ゆう子さんが秋葉原からのレンタル彼女だったら、わたし、さっさといなくなってる」

「はい。ごもっともです」
 ゆう子が殊勝に頭を下げたら、利恵はビールを一気に飲み干し、
「で、本当にわたしたちの前にずっと彼女はいなかったの?」
と訊いた。一応、ゆう子も数に入っている。
「最低三年は女の子と旅行とかしてないよ」
「最後がどこかの温泉の話ね。そうか。わたしと会うまで、お互い一人だったのね。やっぱり運命」
 険が出ていた目元を緩める利恵。
「利恵ちゃん、美人だけど運命って顔じゃないよ」

「ひどいなあ」
「わたしがその前に出会ってワルシャワに行ってますが」
「ゆう子さんは空気だからいいよ。彼、咳き込んで帰ってきたみたいだし」
dotsどうしてもいじられてしまう。これがブーメランか」
 ブツブツ言っていると、利恵が話を変えた。
「お母さまはけっこうな熟女なのに、そんなにもてたの?」
「この顔が老けただけの女よ」

「それは色っぽい女。なるほど。福岡育ちなのはプロフィールで見たよ。あっちの方言は出ないの? ゆう子さん、喋り方が変」
「中学から東京。女優になったからね。お母さんに顔以外も似たくないから、方言はやめた。それがこの喋り方の原因かもね。わたしはあの女を一生許さないよ。わたしは男性に抱かれて、ありがとうございますって言う女になるんだ。それに女は見せてなんぼだからね。しかしそのセックスが下手くそって言われて、利恵ちゃんみたいに料理も裁縫もできないのに結婚したいって、そこまで自惚れてないよ」

 それほど自虐せずに、ケラケラわらっている。
「ほら、誘導尋問に引っかかった。方言のことを訊いたらペラペラ」
 利恵の言葉に、ゆう子が体の動きを止めた。
「普通に、バカだと思うよ、ゆう子さんって」
「何度、あんたにバカって言われたか。そのうちぶつよ」
「そのAZをしまってから殴ってね。で、結婚したくないの?」
「したくないんじゃなくてできないと思う。利恵ちゃんみたいな家事が得意な女の子に取られる」
「ゆう子さんなら美貌だけで結婚してくれるよ」

「それはないな。あるならもう誰かとしてるか、彼氏がちゃんといるよ。友哉さんの女の好みはきっと利恵ちゃんか元カノだよ。見た目が素朴な美人かな。利恵ちゃんは中身が派手だけどね」
「見た目が温厚な面持ちの美人で、中身が派手な女が好きなんだと思うよ。自慢じゃないけど」
「認めてるんだね」
「いくぶん。友哉さんの優しさの話、いろいろ勘違い。ごめんなさい」
「ああ、いいよ。彼のやっていることは、普通の女の子には理解できないでしょ。今の友哉さん、

基本的に女に弱いから、利恵ちゃんからもわたしからも、レベル1に見える。ロスのバーに律子さんがいたら、泣いてたんじゃないかな。鋭い顔のイケメンだけど、優柔不断に見える。それが急にスケールの大きなdots。そう、まさに彼女の人生に関わるような優しさを見せても気づかないよ。昔の友哉さんは違っていて、それこそ、毎日鋭い眼光でキレキレ。元カノや姉妹の前では、特にカッコいい男性で父親だったから、分かりやすかったと思う」

「キレキレの様子はどんなこと?」
「印象に残ってるのはサングラスかな。友哉さんが姉と庭にいて、徐にサングラスをかけるの。いつものように口でアームをくわえながらね」
「あれはかっこいいよ。車の中でもしてる」
「姉が、かっこつけてるとか笑ったらカラスが襲い掛かってきて、ぶん殴る」
「姉を?」
「利恵ちゃん、たまに天然になるね。カラス」

「あ、そうか。カラスの襲撃に備えて目を保護したわけだ」
「震度4くらいの地震がきて、目の前の女の子の手を引っ張る。すると、その女子、なにすんのよって怒った。よく見たら、彼女の上のシャンデリアが今にも落下しそうなくらい揺れてて、その女の子がびっくり」
「その女は誰?」
「元カノだと思う。ホテルだったから」
「元カノか。車の中で生着替えをやってくれた女ね。ロスでも日本にいる元カノを助けたいって言ってた」

 ゆう子が頷いた。
「何人かいると思うけど、夢の映像の中には主に姉妹とAV女優のセフレ、プロしか出てこないんだ。あとは律子さん。そのホテルにいたのも姉かも知れない」
「昔の女のことを引き摺ってる男、女々しいから、二人でバックレようか」
「利恵ちゃん、時々古い言葉使うから面白いね」
「昔の本から拾っているうちにこうなった」
「ロスでの元カノを助けに行くってあの台詞は言葉のあやで、本当は死んでるような気がする。急にお墓参りに行きたくなったとか。それは彼の最後の小説がそういう話だから」

「わたし、読んだよ。霊場に行く小説でしょ」
「また妻に会いたいってタイトル。奥さんが女子高生で、主人公の男が友哉さんくらいの大人。歳の差を世間から叩かれて、女子高生が精神的に病んでしまって、親も病気になっちゃう。それで山奥の神社にお祈りに行くんだけど、女子高生の若妻がすごく病んでて、彼を殺そうとしたりするんだよね」
「うん。おおまか、その若妻の頭がおかしい話だった。平気で夫に死ねとか言うの」

「おおまかとかいくぶんとかdots。で、その若妻が自殺するんだけど、遺言に、わたしの人生をめちゃくちゃにしたあなたが憎いけど愛してる、愛してるって何行にも渡って書き殴ってあって、でもその字が汚いの。夫は理由が知りたくて霊場に会いに行くんだ。頑張って最後まで読んだよ」
「辛い話だもんね」
「物語は辛くないよ。元カノの話なんか読みたくない」
「元カノかなあ。仮に本当に死んだとして、友哉さん、お墓に通ってる?」
「通ってないよ。そうか、じゃあ違うか。なんか深読みしすぎてるような気がしてきた。だけどさあdots

「ん?」
「元カノが病院に見舞いに来なかったのが大ショックっておかしくない? 普通来ないよね。だから、死んだ彼女、すなわち恋人が死んで、その直後に友哉さんが事故に遭って、だからPTSDになるとほどショックを受けたのかと考えたんだ。ワルシャワではその女は生きてるような口振りだったけど」
「恋人の死と交通事故が重なったら、誰でも大ショックだよね。ゆう子さんの夢の映像では見えてないのかもしれなくて、恋人と一緒に跳ねられたのかもしれないし」

「あー、なるほど、トキさんが優しいから残酷すぎるシーンが編集されているわけだ」
「不倫していた恋人が即死。それに付け込んだ妻が病床の彼に離婚届けを突き付けた。不倫していたなら自業自得かもしれないけど、友哉さんと奥さん、セックスレスだったらしいから、友哉さんの浮気が一方的に悪いわけじゃない。晴香ちゃんとも会えなくなって、うん、わたしだったら発狂している」
「わたしだったら自殺している」
 ゆう子と利恵が一緒に頷いた。しかし、利恵が声柄を変えて、

「でも例えば、元カノじゃないとして、死んでいるわけでもなくて、今も続いている彼女なんじゃないの? わたしたちに黙っているとか。旅行もデートもしない複雑な恋人っているものよ」
と言う。続けて、
「なんかわたしが一番じゃないような気がして。だって、女に振られてもかまわないような厳しい意見を平気で言う。あんな男、いないよ。いや、イケメンは皆、あんなのかな。わたしの付き合った男の中では一番イケメンだから。これは冗談じゃないよ。もし、ゆう子さんも一番じゃないとしたら、その元カノとまだ繋がってるとか」

と神妙に言葉を並べた。
「実はわたしもそっちが結論。友哉さん、元カノが見舞いに来なくて鬱になるような男じゃない。ワルシャワで問い詰めた時に、死んだ、とは言ってないし、だけど、AZに女の気配がない。AZ、友哉さんを監視できるからね」
「極悪タブレットだね。姉のことがAZに出てこないのは?」
と利恵が訊いた。
「晴香ちゃんもあんまり出てこなかったよ。友哉さんの交友関係はプライバシーで隠されているんだ。まあ、アンロック式だからそのうち出てくるんだろうけどね。姉は年齢的に友哉さんと近すぎるから、姉は実は律子さんの連れ子とか養女とかで、今はまったく交流がないとか」

「ああ、それはよくある話かも」
「友哉さんの生い立ちはいっぱい見えたけど、大人になってからの女性関連は特に隠されてる。奈那子やプロ愛人とのセックスが削除されてないのは、それこそプロだからでしょ」
「なるほど、確かに素人さんとのセックスを見せたらプライバシーの侵害になるよね。やっぱり姉じゃないように気がしてきた。もし、姉だったら、友哉さんが結婚したのが二十歳くらいにならない? 中学生のその子との映像、いつの頃?」
「約十年前。あ、そうか。だったら友哉さん、かなり若いね。教師と生徒ならありそう。実際に作家先生だし」

「バックレよう」
 利恵が真顔で言った。
「その女子中学生を温泉の混浴や貸し切り風呂、そして部屋でやりまくった後に殺して、遺棄したというわけだ。バックレよう」
 ゆう子がバカにしたように笑っていると、
「冗談。女の子に超優しいからね。信号のない横断歩道で渡るのを待っていたら、小学生から高校生くらいの女の子を見てるから、真正のロリコンかと思ったら、車を彼が止めるんだ。しかもそれが怖すぎるくらい、激しい」

と利恵が興奮して言った。
「彼が道に出て、車の運転手を睨みながら止めちゃうんだよ。タイの繁華街じゃないんだから、逆に危険すぎるって。でも友哉さんは強引に車を止めてしまって、そしたら女の子たちが横断歩道を渡るってこと。死ぬ気? って言ったら、必ず止まるって笑ってるんだ」
「彼の一番悪いところ」
 ゆう子が肩を落とした。
「悪い?」

「自殺する気じゃなくて、自分は死なないと思っているか自分の命の重さを知らない。本当に知らない。利恵ちゃんとの時も、自分は死んでもいいんだぜって顔だった」
「ロスの自爆の時ね。でもそこまでは激しくない。実際に車は止まる。計算して止めてる。止まらなそうなおばさんの軽自動車なら、児童の方を止めている」
「うーん、どこかで見たな。そのやり方」
「どこ?」

「事故の映像。でもその時は、車の運転手が心臓発作か脳出血で亡くなっていたんだよ。睨んでも止まらないよね」
 ゆう子が苦笑してしまう。
「わたしの推理の恋人と一緒に跳ねられたかも知れないやつだよね。正しくは、娘さんを渡らせようとしたんだっけ?」
「そうなんだけどね。娘、たぶん晴香ちゃんは救急車に乗らなかったんだ。消えていた」
「はあ?」
 利恵が声を裏返らせた。

「律子さんがいたのかもしれないけどdots。で、泣いている娘はいったん自宅に帰ったとか。その後に見舞いにも来ない。それも律子さんが行かせなかったんだろうけどね」
「ホラーより怖くなってきたんだけど」
「まだ怖い話があるよ」
 ゆう子が、薄気味悪く笑うと、利恵が体を乗り出した。
「北のどこかの旅館で、姉と二人きりの旅行をしてるんだ。もしかすると、どこかに妹もいたかもしれないけど、部屋には二人だけの映像しか見えなかった」

「北だけに背筋がぞくぞく」
「そう、まさに冬。部屋の外に小さな露天風呂があるの。大きい旅館で、その旅館の取材みたいな様子。で、そのまま宿泊してるんだ。外は猛吹雪。五階以上の部屋みたいで、友哉さんが、そのベランダから下を覗いて「海原が荒れ狂っている。吸い込まれそうな黒い海。あれは地獄に繋がっているのか。みたいなことを言ってるの」
「作家さん、らしいね」
「そうしたら、例の姉が、後ろから寄ってきて、一緒に死のうかって」

「うdots。そ、それは姉妹の一方の姉じゃないと思う。まさに元カノでしょ」
「御名答。わたしもこれだけは元カノの映像だと思った」
「なんて重いんだ。ますますバックレたくなってきた」
「いいよ。バイバイ。ライバルが減って嬉しい」
「面白そうだから、もう少しいる。で、その後、どうなったの?」

「友哉さんが苦笑いをして終わり。でも一緒に寝てたよ。セックスしている様子はなかったけど、そこはカット編集かな。一瞬、姉だと思ったのは、背格好が似ていたから」
「お父さんと一緒に心中しようと提案する娘がどこにいるのよ」
「うん。しかも友哉さんから聞いた。元カノのお母さんが寝たきりだって。だから、北の旅館の心中未遂疑惑は完全に元カノ」
「その元カノが今はどうしているかって展開にならない?」

「他の男と結婚とかしていればいいけど、友哉さんの活躍を知って戻ってきたらうちらはヤバいよ」
「一緒に心中なら、わたしもしたけど」
 利恵が珍しく屈託ない笑顔を作った。
「そうか。ヤバいのはわたしか。けっこう頑張っているけど」
 ゆう子が頭を掻いている。それほど深刻な様子ではない。それを見た利恵が、
「わたしたちいろいろ言ってるけど、あんまり危機感ないというか、実はただ、お喋りのネタにしてるだけじゃない?」

と言った。ゆう子がにやりと笑い、
「ふ、あんな非現実的な男。楽しくて仕方ないぜ。怪しい元カノが戻ってきたら修羅場を楽しんでやる」
と言った。
 利恵は「やれやれ」と言って、いったん、ビールを口にしてから、
「あのね、疑問があるんだ。ゆう子さんはバカだから分からないと思うけどdots
と、首を傾げながら呟いた。
「何回、ひとをバカって言うのさ。今から利恵ちゃんのする話が理解できなかったら認めるよ」
 酩酊した様子のゆう子が利恵を睨みつけた。

「トキさんが本当に未来人で、日本の君主なら天皇家はどうなったの?」
「え?」
 ゆう子が、まさに、狐につままれたような顔をした。
「ほら、なんにも考えてない。トキさんは自称君主なんでしょ。君主って意味、知ってる?」
 ゆう子が思わずAZで調べようとしている。
「うう、なんにも解答が出てこない。エラーが出る。ロックがかかっている」
『君主』については、電子辞書を見ているゆう子。
「教えられないってこと? 確か、千年後の世界には日本人が少ししかいないのよね」

「うん、トキさんがそう言っていた」
「トキさんの話が本当なら、滅びたんだね。天皇家も他の日本人も」
「そうかもね」
 二人とも項垂れてしまう。
「友哉さんは天皇家と関係ない。晴香ちゃんの子孫が天皇家に嫁ぐ確率と比べると、たんに友哉さんと晴香ちゃんがトキさんのご先祖様の方が確率は高い。どちらにわたしたちが巻き込まれるかって確率よ。わたしの理屈分かる?」

「わかんない」
「晴香ちゃんの子孫が皇室に入る確率が1%だとして、わたしたちが未来の世界のその出来事に巻き込まれるのも1%だとするよね。二通りの1%に襲われることなんかないってことよ。だったら、単純にたったひとつの、つまり、友哉さんと晴香ちゃんがトキさんのご先祖様でただそれだけのことに巻き込まれたって方がまだ可能性はある」
「ふーん」
 ゆう子は首を傾げて、またワインを舐めるようにして口に少し含んだ。

「ゆう子さんがファンの人に三回くらいお腹を刺されて、なのに死ななくて、自宅に帰ったら窓から隕石が飛び込んできて、翌日に宝くじを買ったら一等が当たったとしてね。そんなことは起こり得ない確率でしょ。だけど、どれかひとつだったら起こり得て、実際に体験している人たちはいっぱいいるの。晴香ちゃんの子孫が天皇家に嫁ぐなんて、友哉さんの家系が不良キャラだから拒否されるだろうし、確率的には単純にトキさんのただの御先祖様」

「なるほど、利恵ちゃん先生と呼ばせてください」
「だって日本の天皇って言葉はなくなっているよね。国名も違うんでしょ」
「スリーアイランド」
「どこかに残っていた日本人が国を再建させた。その時に国王を決める事になって、選挙君主制を採用したのね」
「なにそれ?」

「国王を世襲じゃなくて、選挙で決める制度よ。トキさんが日本人だというなら、日本人の血を重んじて、トキさんの父親かお爺さんかそのその前の人か、とにかくその日本人の男性が選挙で国王に選ばれて、その後は、日本人の血を重んじて世襲にした。だからトキさんが君主なの。象徴ではなくて政治もやっているから、トキさんが君主として日本を統治している。どれくらい偉い人?」
「さあ、日本だけじゃなくて、ほとんどの国にも力があるらしい。人口が少ないんだって」

「絶対君主制ね。良識的な男性がやれば国民から信頼される」
「めっちゃ、好青年でイケメンだった」
「いいなあ。わたしも会いたかった。で、ゆう子さん、このこと、疑問に思ってなかった?」
「なかった。バカです。友哉さんは利恵ちゃんにあげる」
 再び白いハンカチを振り回すゆう子に、利恵が爆笑した。
 利恵が徐に、友哉の小説の文庫を取り出した。

「未来の話は胡散臭いからいいよ。これ、友哉さんの最後の小説。あ、まだ引退してなくて休筆中ね。さっきの若妻の小説以外は、あんまりそんなドロドロとした親子の話や恋愛の小説はないけれど、これは味覚障害になる主婦の物語とか、まるで今の友哉さんと似てない男が主人公。確か映画化しているの」
と言った。ちらりとテレビ画面を見たが、テレビはついていない。

「知ってる。この前、レンタルして見てみた。B級映画なんだけど、舞台俳優とか出ていて、良い作品だった。途中で観るのやめたけど」
「なんでやめたの?」
「律子さんの話のような気がしたから」
 ゆう子が嫉妬を剥き出しにしたのを見た利恵は、
「あれは違うと思うよ。友哉さん、料理に興味ない」
と笑った。物語は、料理が得意な夫の妻が浮気をしているうちに味覚障害になるというものだった。

「新妻が浮気して、その男の精子を飲んだ後、帰宅して夫の手料理を食べたら味が分からなくなる。…すごい話でしょ。わたし、友哉さん、尊敬しちゃった。本物の作家だよ」
 利恵が唸るように言う。
「女が、芸術家や小説家に恋をしたら一巻の終わりだよ。よかった。利恵ちゃんはもうすぐ終わるね」
 ゆう子が含蓄のある言葉を作って、笑みを零した。
「どういう意味?」

「神様に見えちゃうんだ。ピカソの女たちがそうじゃん。だけど、神様のわけがないから、現実を見ると冷めるんだよ」
「ピカソの女たちはほとんど最後まで残った」
「そうか。まあ、そのうちどうなるか分かるでしょ。わたしも友哉さんの奇妙な行動力にはびっくりだよ。痴漢冤罪でひどい目に遭った大河内さんと話した時にも、友哉さんは神の領域か諜報員だけど、めっちゃ疲れてますよって言ってた」
「めっちゃ疲れてるスパイって」
 利恵が失笑した。

「世界一、弱い諜報員か工作員だとして、そのAZがあれば怖い男ね」
 利恵が言う、「そのAZ」がどこにもない。よく見たらテーブルの下に置いてあった。
「なんで隠したり出したりするの?」
「それをやると疲れるから、もう隠さない。友哉さんは怖い男にはならないよ。権力志向がまったくないし、耽美派だしね」
「耽美派か。新品の下着とか大好きだしね。三百億円はそれに使ってしまうような感じ」
「歴史に残る下着フェチじゃん。そんな変態が友哉様か。まあ、下着フェチは知ってるけどさ」
「権力志向は絶対にない?」

 利恵が疑わしい目付きで、
「わたし、意外とお金持ちが好きそうに見えて、政治家とか嫌い」
と先手を打つように言った。
「大丈夫。作家だけど、まるで政治に興味がない。どちらかと言うと、芸術家よりのメンタルだよ。ルノワールが核爆弾持っても戦争はしないよね。基本的なテーマは、耽美、謝罪の習慣、愛憎、フリーセックスだよ」
「謝罪の習慣って?」

「人と人が謝り合えば殺人はなくなるって持論。なんでも、マナーが生まれてから殺人は激減したらしいんだ。だけど、謝罪は浸透してないって友哉さんが言ってた」
「そんなことを考えている男が、独裁者を目指すことはまずないか。わたしも読書家だけど、それは知らないテーマだなあ。友哉さんの本、早く全部読もう。絶版もあるから探すのが大変」
 『謝罪武将』のことだったが、ゆう子には伏せておく。
「本人にもらえばよくない?」
「前の家に忘れてきて、取りに行きたくないって」

 利恵の言葉に、なぜかゆう子が長く笑っている。やがて「友哉さんらしい」と言った。
「なんでも、誠意をもって謝る女はこの世にいないらしいから、恋愛の小説でその理想も書いたらしい」
「いないって断言するか。さすが、天才は違う」
「いないよ。無反省が女の恋愛の特徴でしょ。遅刻は当たり前だしね。男性が弱ったり、仕事を失敗すると、すぐに男を乗り換えていくんじゃん。わたしのお母さんもそうだった」
「そ、そうだね」

 自分のことを言われたような気がした。元彼と友哉との間隔は二年弱あったが、その前は乗り換えてばかりだった。中にはそう、自分を友人と取り合った挙句、病的に弱くなった男もいた。元彼と友哉との間隔が空いたのも、セラピストに止められた力で、自分の意思ではなかったのだ。利恵は、かぶりを小さく振り、気を取り直して、
「謝罪の習慣はきっと絶版になった本の中か」

と、言った。『謝罪武将』は絶版ではなく、ただ、ゆう子に読まれるのが嫌だったから咄嗟に嘘を吐いた。利恵は、友哉との思い出を独り占めをしたいと思ったのだ。
line今のわたしがゆう子さんに勝てるところは、彼をリアルに中学生の時から知っていたことだけ。それをばらしてしまったら終わりだ。
 そう思ってやまない。
 んdots謝罪?
 謝罪の女神dots
 利恵がテーブルの下にあるAZを見ていたら、AZの角がうっすらと緑色に光った。
「あのdots。AZが緑色に光ったけど」

「え?」
 ゆう子が思わずテーブルの下を覗いて、AZを見たが、その光は消えていた。
「なんだろう。まずい話でもしてて、AZが怒ったのかな。でも緑色ならいいか」
「その女神の名はdots
「は?」
 利恵の棒読みのような呟きに、ゆう子が目を丸ませる。
「その女神を迎え入れた女の名は?」
「利恵ちゃん?」

 また、AZの表面が緑色に光り、小さな文字が浮かんだ。
『その女と決して仲違いしてはならない』
 そう浮かんで、すぐに消えた。
「ケンカしたらだめだって」
「はあ? 酔ってるよね。まあ、うちら超仲良しじゃないけど、ケンカもしてないよ」
「ゆう子さんのことじゃない。女神との話」
「ケンカしようか」

 ゆう子が目を据わらせる。
「ごめんなさい。なんか、わたし、きっと悪女だね」
 利恵が首を少しだけ傾げたままAZを見ているが、ゆう子は構わずにお喋りを続ける。
「そうだよ。やっと分かってきたか。友哉さん本人もきちんと謝る。ワルシャワで大声を出した後、すごく謝罪してきた」
「どんなエッチをしてきたのよ」
「違うって、テロリストと戦った後に興奮して怒鳴ったの。ぶっ殺してやるとか。彼が本気で怒ったのはまだあの時だけ。わたしのお喋りに怒らない」

「うん。じゃあ、耽美は?」
「女性の肉体美が先。常にね。内面は顔に出る。美女なら笑顔よ。友哉さん、セックスが好きなようで射精にこだわらないからね。実はプラトニックが好きな男なんだ。フェチがその証拠。見てるだけでいいんだ。射精するとしたらその目的も、自分がすっきりするためじゃないんだ。女体を汚すのが楽しくて、妊娠させるのが目的でもないの。その精液で汚れた様子を見て、汚したはずなのに美しいと思うんだって」
「ぶっとんでる。そんなことカミングアウトしたの?」

「わたし、避妊してるのに、中に出さないから聞いてみたら、そんなことを言ってた。ただし、時間は気にしていた。美女が何をやっても美しいわけじゃないよ」
「時間?」
「自分の恋人が長い時間、別の男といるのはだめだって。許可を取ってセックスしてもいいけど、短時間だって。短時間では物語は創れなくて愛は滅多に生まれないかららしい。長い時間なら女の

体に刻印も出来てしまう。全裸以外のセックスをやる時間ができたら、その二人は二人だけの秘密を持ってしまう。だから、自分の恋人が短時間の浮気はいいけど、長時間は浮気ではなくなるからだめだって」
「難解な世界に突入しそうな話だね。裸で食事をして、服を着たまま入浴とか。確かに変わったプレイをしたら、恋人同士じゃなくても二人だけの世界になるね。耽美というか退廃?」
 利恵が目を丸めた。
「刻印も入れ墨じゃないよ。友哉さんにしか見えない傷とか痣らしい」

「セックスしていたら、たまには痣はできるね。傷も。でもいずれは消える」
「愛もいつかは消えてなくなるって口癖が彼にはあるね。自分は愛は失わないから、女に対する皮肉だよ」
「女は恋は好きだけど、実は愛は嫌いだって言うからね」
「利恵ちゃん、男性を愛した事がないっぽいもんね」
「なんで言い切るの」
「お金の話が先に口に出る女は、お金のない男にしつこく愛されて嫌になったことがあるのか、単純に資本主義社会で勝ちたいと思っている今どきのバカ女でしょ。利恵ちゃんは前者かな」

「少しだけ正解だけど違う」
「怒らないでよ。男性の悪口を言う女子会よりも、自分たちを戒める女子会の方が有意義だ」
「賛成。わたしは、まだ本気になれる男と出会ってないだけ」
「友哉さんは?」
「妙な話さえなければ愛せる。未来人どうこうよ」
「確かに、未来人とか数千種の生薬を飲んでるとか、ちょっと異常だからね。利恵ちゃん、バイバイ」
「しつこいなあ。三年間、様子を見るって」

「普通に、わたしは負けてるね。料理とかで挽回するか」
「利恵ちゃん、ドライブデートでわたしを上回ってるよ」
「OLスーツでかれこれ首都高を三十周くらいした。勘弁してほしい」
「車の運転が好きだし、利恵ちゃんも好き。首都高なら考えずに回れるから、きっと疲れてるんだね」
「わたし、疲れてるって連発する男、嫌いなんだけど、友哉さんのそれは違うから許している。本物の疲労だから、癒さないとだめだと分かってきた。それに疲れてると言いつつ、泣かなくて、疲れてるわりには自信満々な素振りが面白くて」

と笑う。
「自信満々かも知れないけど、女子との恋愛には控えめだよ。OLスーツで首都高を廻り続けるのも彼は好きなんだろうけど、利恵ちゃんならまだ学生服もイケるだろうから、本当は頼みたいと思っているはずだよ。でも言わないよね。きっと、ずーと考えてるんだよ。浴衣ならいいけど、学生服や体操服は嫌われるかも知れないとかさ。それが三十周になっちゃう原因。利恵ちゃんがロスで回復をやめた時も、無理にしなかったんでしょ」
「あ、うん。ごめんなさい」

「涼子ちゃんを助けた時も倒れたし、自分の命がかかってるんだから回復のために、利恵ちゃんを犯してもいいのにやらないよね。優しすぎるよ。わたしにも、必ず、抱いていいかって訊くからね。アホかって。セックスの秘書なんだから、無理やり口に突っ込めって思う。まあ、それも、PTSDか鬱だからできなのかって思ってきたけどね」
「回復させなくて、お金ちょうだいって言ったんだな、わたし」

 利恵は自分の悪行を思い出し、顔を曇らせて、
「あの時は、求めすぎたから、セックスを続けるのを自重したのもあったし、副作用の辛さも知らなかったんだ」
と弁解する。
「利恵ちゃんのセックス、好きなんだろうな。わたしとはやる気がないからさ。お喋り専門の女になりつつある。わたしとのセックスは疲れててできないと思ってたけど、利恵ちゃんとはどうなの?」
「会うとやるよ。わたし、セックスの勉強もしてたから、アイデアが豊富。友哉さんはそれに疲れないんじゃないかな。わたしが誘導する時もあるから」

「男性をリードできるんだ。いつからそんな女になったの? 悪い意味じゃなくて」
「男たちに教えられたのもあって、若気の至り。元彼は田舎で付き合っていた人と東京に出てきた人、二人だけで、しかも高校の時は真面目でしてなくて、東京の人とはそれぞれ半年くらいだって言っちゃったのに、セックスが異常に上手らしいんだ」
「あーらま。大学時代のお持ち帰りのセックス三昧がモロにばれてるよ」
ゆう子は興味が無さそうに笑った。

「そう、ナンパしてくれる男で練習したんだ。ラブホにこもったこともある。ホント、友哉さんに言わないでよ。ばれてないから」
 利恵が胸の前で手を重ねて祈るようにゆう子を見た。自分から喋ったくせに、とゆう子は思った。
「ばれてるよ」
「前の男性にセックスを教わったことがばれるのは当たり前で、それに怒る男はどうかと思う。いろんな男とやりまくってたのはばれてない」

「やりまくってたdots。友哉さん、まともな女に囲まれてないな」
 呆れ返ってしまう。ゆう子がほんの少しベランダの方に視線を投げた。すぐにまた利恵に顔を向けたが、戻ってきた目に目力がなくなったのを見た利恵が、
「ゆう子さん?」
と小声で声をかけた。
「え? ああ、なんでもないよ。松本涼子が仮に友哉さんの友達だとして、わたしと利恵ちゃんと三人で、まともなのはいないなって。あの子も好戦的で癖があったからね」

「そうなのdots。大丈夫? 気分でも悪い?」
 ゆう子が胸に手をあてているのを見て、利恵が持っていた缶ビールをテーブルに置き、ゆう子の顔を覗きこんだ。
「ちょっと昔のことを思い出した」
「お母さんに虐待されていた過去は仕方ないよ。ゆう子さんのせいじゃないから」
「ああいうことがあると、他にも枝分かれするようにいろいろあった。友哉さんのようなすごい男性の傍にわたしなんかがいていいのかな」

「また自虐的になる。有名な大人気女優なのよ。わたしなんか過去をばらしたら一発で捨てられる」
「それにわたしはもてないんだ」
 ゆう子は気を取り直して、また芝居がかった表情をつくった。わざと泥酔して弾けているお嬢様みたいだと利恵は思った。
「出会って一時間喋ったら嫌われる。皆、こう言うんだ。下品だ。行儀が悪い。うるさい。言葉遣いが悪い。パンツを見せるな。いったいなんなんだ」

 確かにスカートで胡坐をかいたり、トイレのドアを閉めなかったりするが、男性の前でもやっているのか。利恵はまた珍しいものを見るような目で、じっとゆう子を見ていた。
「だけど、友哉さんはそんなわたしがいないとだめなんだ」
 ゆう子が快活に言うと、
「急に元気になったね。友哉さんよりも、ゆう子さんが躁鬱なんじゃないの?」
と利恵が呆れて苦笑いをした。
「そうかもね。いちいち鋭い女だな」

「友哉さんは行儀が悪いとか、そういうことは言わないの?」
「言われたよ。出会った日に、飛行機の中で下品だって。今朝も言われたよ。うるさいって。だけどわたしの情熱的なセックスに夢中なんだ」
「具体的にはどんなことをするの?」
「裸のままいて、飛びついたりする。基本的に裸族」
dots
「ずっと追い掛け回してスキンシップ。わたしは室内ストーカーだ。ずっと友哉さんを見ているんだ」

「乱歩とかヒッチコックの物語がエッチになったみたい。友哉さんはそれに文句は言わないの?」
「文句? 雑とかしつこいとか、歯があたるから痛いとか、そしていつも下手とは言われるけど、怒ったりしないよ」
利恵は呆然としていた。ゆう子はセックスの話が楽しいのか饒舌になって、
「ずっとわたしに怯えていたのに、大河内さんのことで怒らせた日の夜はそれなりに激しくやってくれた。いっぱい命令されたよ。待ち焦がれていた」
「怯えていたdots

 利恵はビールを飲むのを忘れてしまうほど呆れていて、温くなったビールをキッチンで捨ててきて、また冷たいビールを自分でグラスに注いだ。
「わたしには怯えてなくて、そんなセックス毎回だよ。だからそんなに鬱ではないと思う。楽しそうよ」
 気を取り直すように、強い口調で教えた。
「え?」
「え、じゃないって。彼がサドなのは明白でしょ。さっきも言ったけど、出会った時から激しいもん。命令されるよ、よくあるプレイばかりだけど、ミニスカートでノーパンで買い物に行けとか」
「え?」

「だから、え、じゃないって。トランプの罰ゲームなんだけど、勝てないんだよなー」
「利恵ちゃんが勝った時は?」
「滅多に勝てないけど、名店のディナーとか高級ホテルのスパ」
「好きだね。そういうの」
「嫌いな女はいないと思う」
「コスプレドライブしてるだけじゃないの? 聞いたことがない。わたしの前では蛇に睨まれた蛙のように大人しくて、なんにも命じないのに」
「命じなくても脱ぐから」

「あ、そうか。いちいち鋭い女だな。でも、昨夜はちょっと薬を入れてくれたし。もう最高」
と、また振り子のように体を左右に揺らしながら言った。どうやら、機嫌がいい時のゆう子の癖のようだ
「あの指輪で? なんか良さそうね」
「もうありえないくらい最高なんだ。壁を突き抜ける快感。全身が性感帯になってしまって、初めて中でいきまくった。ロックとセックスはドラッグだ」
 クッションを叩いて笑っているのを見て、利恵は心底羨ましいと思った。だが、

line初めてエクスタシーを得たのか。男をとっかえひっかえの女優と思ってたけど、そんなに長く付き合った男はいないのか。
と分かった。
line友哉さんもそれには気づいているはず。男が同じ時期に二人の女と出会った場合、よほどどちらかが悪女じゃないかぎりはセックスの経験が少ない女を選ぶものだから、奥原ゆう子はやは

り強敵だな。ゆう子さんはセックスが初心者のようだから、彼が好きなプレイで差を付けて料理の腕でも差を付けないと、また別れることになったらまずい。一億円を没収されるかも知れない。
 利恵は刹那、危機感を抱いたが、気を取り直して、
「指輪のdotsリングの薬って、光の作用のこと?」
と訊いた。

「そうだよ。レセプターを刺激して気持ちよくするんだよ。ヒスタミン受容体を刺激すれば、今日からわたし、花粉症だ。それと同じ。わたしたちの時代に見つかってないレセプターもトキさんの時代では解明されていて、その中にもセックスに応用できるレセプターがあるんだ。AZと友哉さんのリングが繋がっていて、友哉さんが何かの目的でレセプターを探すとリングから光を出すように友哉さんの脳をAZが指導して、そのレセプターを刺激する。友哉さんが知っている、または記憶したレセプターならAZは作動しない」

「エコだね」
「違う。これ見て」
 ゆう子がAZの表面を見せると、
『友哉様の意志に従う』
というテキストが表記されている。
「どういう意味?」
「最初は教えるけど、友哉さんが覚えたら、友哉さんが自由にやってよくて、もし友哉さんが悪さに使ってもかまわないって意味。例としたら、うちらを性奴隷にしてもAZは止めませんってこと。友哉さんの行為が正しいってことだよ」

「ちょっと待ってdots
 利恵はいったん言葉を止めて唾液を飲み込んだ。
「そのAZが未来のAiで、トキさんっていう君主が造ったとして、友哉さんはトキさんに善悪のすべてを一任されているの? 彼、そんなに偉い人ってこと?」
「そう。実際に成田で、こいつ、友哉さんの命令を聞いたからね。びっくりした。わたしにしか反応しないと思ったら、友哉さんの声に反応した。わたしがモタモタしていたらね」

「世界征服しようとしても止めない?」
「AZは止めないね」
「バックレよう」
「世界を征服されたら、逃げても捕まると思う」
「うん。このままいよう」
 利恵がそう言ったところで二人はお腹を抱えて笑った。
「そんなことしない。あの男」
と言葉を合わせる。

「信用されてるんだよ、トキさんに。でも、性奴隷は気を付けた方がいいな。怒るとセックスが強くなるタイプだから」
「信用されてるのか。初めて会った男がdots
 利恵が首を傾げ、視線を壁の一角に投じた。
「考えても時間の無駄よ。友哉さんが未来の人って話でしょ」
「そう。しかも一番偉い」
「そのうちに分かると思うよ。友哉さん、言動が変わってきてるしね。極度の女性不信も治ってきたみたいだし、友哉さん、どこから見ても権力志向じゃないからさ」

「そうだね。しばらく楽しんでればいいね。わたしも脳を刺激する気持ちいいのやって欲しい。ドライブのセックス、ちょっと厭きてきたんだけど、そんな媚薬みたいなのがあれば楽しくなりそう。ねえ、友哉さん、呼んでよ」
「よかった。利恵ちゃんが今日はよく喋ってくれて。恋愛の話、こんなに女の子としたの初めてだ。ロスで説教ばかりされたから嫌われてると思った」
 利恵は、ゆう子の言葉に少し嬉しくなった。

line友哉さんを独り占めされて、わたしが捨てられるのは嫌だけど、ゆう子さんはかわいくて楽しい。憎めない女。有名女優と友達になれるなんてありえないし、友哉さんはお金があるし、楽しい人生になってきた
「そんなことはないよ。ゆう子さん、とても面白いから。それに美容の話とかも聞きたいし、友哉さんとのセックスのことも気になるし。だからドラッグのセックスの話の続きを聞きたい」
「感度は十倍くらいになるよ。恥ずかしいけどイカされると失禁もする。最後には涎を垂らして失神しているらしいから、そこが嫌なんだけど、まあ、やめられないよ。利恵ちゃんにはやらないんだ」

「うん。そんなことができるなんて知らなかった」
lineもしかすると、わたしは簡単にイッてしまうから使わないのかも知れない。
 友哉からは、「イク時の様子が最高に色っぽくて美しいし、見ていて楽しい」と、抱かれる度に褒められるが、経験が豊富なのを慰められているようにも感じて、それほどいい気分ではなかった。

 二十五歳で、これほどセックスを知っていたら、まるでAV女優だ。友哉と出会った時には彼氏がいなかったことから、「一年以上、セックスしてなかった」と口を滑らせてしまった。つまり、もっと若いうちからセックスに没頭していたことになり、その通り体が男性のペニスで成熟したのは二十二歳くらいだった。高校、大学時代はまさにセックスとイベントばかりだった。女のそれを良しとする男たちは決まって、頭が弱そうな凡人かお金はあるが結婚する気がない、奥さんがいるおじさんだった。

 友哉と出会う前の男に、少しだけ友哉と似ている性格の大人がいた。既婚者で、セフレのような関係だったけど、経験が豊富で頭の良い三十半ばの男だった。友哉のようなイケメンではなく重厚感もなく、少し軽い性格だったから性癖の一致で付き合い始めただけだった。出会い系で知り合ったのだ。学歴がなく、なのにお金持ちで、いつもピリピリしていてセックスでストレスを解消していると正直に言っていた。

文芸の映画ばかり見ていて、アクションやサスペンスが好きな利恵とはその趣味も合わない。けれど、少しずつ彼を好きになってきた利恵は、
「セックスだけじゃなくて、わたしの内面を見て」
とある日の夜、酒とセックスだけの別れ際に言ってみた。すると、彼は無精ひげを擦りながら、
「内面があるのか」
と冷たく言い放った。利恵はそれに憤慨して彼と別れた。

 その数か月後に銀座で偶然彼と会った。彼が銀座によく行くから、偶然とは言い難く、利恵はそれほど驚きもせずに、二人でよく行ったカフェの片隅で座っていた彼に会釈をした。彼は女性と一緒にいて、見たことがある女優だった。あまり有名ではない女優だ。何度も俳優とお泊りデートをしたり不倫をして干された女優だった。彼女は、利恵を見ると、
「わたしも内面はないよ」
と利恵に聞こえるように言った。

 利恵が驚いて、紅茶のカップを持つ手を震わせていると、席を立って近寄ってきた。
「内面がないって言ったら、怒っていなくなった美人がいたって、彼がとっても後悔していたの。それがあなただって、今、聞いた。あのね、女の内面って恥じらいや優しさでしょ。彼やその前の男たちからお金をもらってセックスしていた女のお願いとしては、やや無謀ね。そんな生活をしながら陰徳を積んでいたからそれを指摘してほしかったとか。まさかね」
 利恵が呆然としていると、

「内面がある女なんて死滅したの。わたしは彼に過去を知られたくない。今は恥じらいをお芝居でしか見せることができない。平気でパンツ、脱ぐからね。まさか、セックスだけじゃなくて内面を見ろと言って、それが女らしさのことじゃないって言わないでしょ。内面って、あなたの学歴のことや別の才能のこと? 今、優しさの大安売りをしている男たちばかりで、料理も洗濯もしてくれて、ほとんど女と変わらない男ばかりで、それで女の内面って、男性との違いはなんなんのかしら」

 利恵を舐め回すように見て、
「おっぱいがあったりすることしか見えない。内面は母性? それともその若い体を使ってセックスをしてきたこと? 過去を見てほしい? 親はどんな人だったとか誰と初めてやったとか。ああ、夢を語り合いたいのか? それ、内面?」
と嗤った。
「違います」
 利恵が辛酸を舐めるような顔つきで言うと、その女優は「怒らないで。わたしも彼に似たようなことを言われたから」と微笑んだ。

「綺麗な体だって言われてイカせてもらっていて十分じゃないの。彼のセックスは最高よ。今、子供は保育園」
「え、彼の子供ですか」
「違う。主人の。主人は、わたしの内面を見るからつまんない。優しいとか家事が上手だとか話し合いをしようとか、そんな台詞、もっとおばさんになってからでいいの。しかも、わたしの女らしくない素行は知らんぷり。行儀の悪さとか。逆に彼は、おまえのお尻が好きだって言うから、こんなスリムジーンズよ。嬉しい。この歳でこんな真っ青なジーンズが穿けるなんて。これだけで抱けるって。そんなことを四十歳にもなる女に言ってくれる男性いる? わたし、幸せ」

 その女優の彼女は、なぜか利恵に握手を求めて、利恵もなんとなくその手を握り、彼のいる席に戻った。
 利恵はすぐに店を出て泣いた。
line学生時代の乱交は知られたくない。彼といた時はセックスばっかり。それで内面を見てほしいってdots。夢を語り合う余地はなかった。遊んでもらっていたのだから。そうだ。わたしがバカすぎた。
 涙はとめどなく流れて、彼と女優がいたカフェの窓を見た。
line本気にはなれなかった。奥さんがいたし、セックスばかりだったから。だけど、好きだった。

 セックスばかり求めて、その余韻がなくなった時にわたしが内面を見てとか言い出したんだ。もしかすると、遊びの恋が本気の恋に変わると内面を見てほしいとか美貌以外を褒めるように言いだすのかもしれない。肌が綺麗だと褒めてと言って、かわいいと言ってもらいたくて、セックスが上手だと感心してもらいたくて、さらに内面も褒めろって言っていたのか。男性は、女をずっと褒めてないといけないのか。だからか、歴史上の偉人たちも女で苦労しているはずだ。次に会った男の人には言わないようにしようline

 利恵は、膝をたてて座っているゆう子を見た。行儀、悪いな、と思う。無名のあの女優がゆう子と重なった。友哉が、ゆう子が見せびらかしている『女らしくない』姿勢、言動をさかんにいじっているのを思い出していた。それでいて、美貌は褒めているのだ。私にも。
 友哉さんにもロスからの帰りに叱られた。セックスが終わったら、別のことをしていてそれに夢中で、男性はほったらかし。友哉さんは独身。もう失敗したくない。

 自立の話も慎もう。未来人どうこうは三年間だけのようだし、なんとかその後、結婚したい。
 利恵は、セックスに不慣れな奥原ゆう子を見ていて危機感を抱いた。こんなに美人がまるで処女のようなら、自分は俗に言う、もう調教し開発する必要がないまさにAV女優か。しかも、ゆう子は、「内面を見て」とか「自立がどうこう」とか言っている様子はまったくない。
line完全に負けている。
 もともと、ゆう子さんは有名女優。負けていて当たり前だが、まだ、秘書という立場を崩さない今がチャンスなのに、まさにわたしは自滅しているではないか。

 もちろん、相手の男性に他に女がいなければ選択の余地がなく、セックスの経験は問題視されないことが多いと思っている。そう、もてない男だったらなんら問題はなく、自分のような美女に夢中になってくれる。今までの男たちもそうだ。だが、佐々木友哉は違う。
 いや、無名になったあの女優をものにした彼もそうだ。彼と友哉は単純にもてる男なんだ。自分が男たちの引く手あまただと自惚れていると、結局、彼や友哉のような頭が良くて、心が強い男を逃すのだ。だけど、

line友哉さんはわたしを好きだとさかんに言ってくれる。どうしてこんな女が好きなのだろうか。成田でわたしを抱きしめて、別れたくないんだって寂しそうに言った
 利恵はこめかみを指で押す仕草を作りながら、
「もてる男なのにdots。ねえ、高峰若葉って女優さん知ってる?」
 ゆう子に聞くと、
「なに、唐突に。知ってるよ。もう引退したんじゃないかな。どうして?」

「銀座のカフェで会ったことがあるのを思い出した。ゆう子さんに似てる」
「似てないよ。病的に痩せてたし」
「わたしが見た時はふっくらしてた」
「そうなんだ。恋でもしたのかな。男、好きだったからね。わたしも友哉さんと出会ってから、ちょっと太った。いい男は、女を太らせるのよ」
「なんで?」
「ストレスを与えないから。ストレスで太った女子はいい男に恋をしたら痩せるしね」
「そうかな。友哉さんみたいにもてる男、ストレスじゃない?」

「もてるの?」
「女優さんが惚れてる」
 利恵がゆう子をちょんと指差した。
「もてない男の人の方がストレスだよ。わたしの話、聞いてなかった? 女の下男になるじゃん。友哉さんのあの余裕綽綽の態度。高い山の頂上から、女を見ていてそれでいて、足を滑らせると助けに駆け降りてきてくれる」
「そつなく」
 利恵が小さく笑うと、

「そつなくは口癖みたいで、そつなく助けている様子はないね」
と、ゆう子も笑った。
「友哉さんって、ゆう子さんの内面は見てる?」
「内面? いやーん、見られたら最悪。ちょっと政治思想のようなものは勘付かれたから、これ以上は見られたくないな」
「女らしさとかは?」

「は? この健康美でアピールするさ。彼、下着フェチだから、かわいいパンツの生着替えを見せまくってる。パジャマから私服に着替える時とか寝室まで見せに行くんだ。あと、ストッキングを穿く時とかに、このムチムチの太ももを見せてる。超、嬉しそう。それで回復するっと言ってる。幸せっ」
「そ、そうなんだ」
「どうしたの? それくらい簡単でしょ。やってあげてる?」
「う、うん。たまにね」
「まさか、一億円もらった彼女とは思えないくらい、サボってる?」

「ベッドの中では頑張るけど、セックスが終わったら、別のことをしたいの」
「トランプとかしてるよ。ま、その罰ゲームにもえっちなネタが仕込んであるけどね。でも、利恵ちゃんは外でデートしてるから」
「そうだった。でも、その時もミニスカ穿かされたり、映画館で太ももに触ってきたり、ちょっとしつこい」
「それがしつこいの? 羨ましいな。わたしとは映画に行ってないし。なんか、利恵ちゃん、変だね。コツコツ積み上げていく気がないんじゃない?」

「コツコツ?」
「一気に結婚とかさ。あっという間にお金持ちになったから、勘違いしてるのかな」
 また、ゆう子が酩酊している目をすわらせる。
「そ、そんなことない。リアルにいうと、イカされるとやる気がなくなるから、翌日に生着替えとか見せるのが面倒臭くなるんだ」
 ゆう子の目付きが怖くて、そう言ってしまう。あの女優に叱られたことを思い出す。

line自分がセックスで満足すると、セックスとはまるで無縁のことがしたくなって、またセックスがしたくなると、ベッドの中で乱れに乱れる。友哉さんのdots男性の性欲はあまり考えてなかった。優しくないのか、わたし。その内面を見てほしいって言ってきたのか。これからはちゃんとやろう。

 ゆう子と知らないあの女優、二人の目上の女性に叱られた利恵は、こっそりとスマホを操作し、友哉に『ごめんなさい。これからはセックスが終わった後も、いろいろ頑張るね』とメールをした。友哉からの返信が珍しく早くて、『頑張る? どうした? ゆう子に何か言われたのか』と心配してくれた。
『ごめんなさい。また今度、謝る』
 それだけを返信してスマホを鞄に入れた。
「わたしが友哉さんとコツコツ愛を育んでもいいの?」
「え? う、うーんdots。どうせdots