第三話 ゆう子のマンション

 

 ポーランドから帰国して、トキからもらったお金をすぐに銀行から取り出しに行く予定を変更して、友哉は、ゆう子のマンションで滞在していた。報酬の多額のお金が本当に銀行にあるのかないのか気にはなったが、なければないでテロリストや凶悪犯との戦いは放棄。それでいいと思った。
 友哉は目の前の奥原ゆう子にもっと興味があった。銀行に数百億円あったとしても、それよりも奥原ゆう子という「女」を見ていたかった。

line価値はこちらにある。そして現実も。銀行にもし一兆円、使える俺の金があったとしても、先に観察するのは札束の山ではなく、この不思議な女優の方。
 そう機内でずっと考えていて、成田に到着しても銀行に向かう気はまったくなかった。
 それに彼女のパニック障害が心配になり、空港でさっと離れるのはどうかと思っていた。彼女は彼女で、
「メンタルが弱ってるみたいだから、わたしの部屋においでよ」

と彼を心配した。ゆう子はそう言って、友哉を自分の部屋に引き入れたのだった。
 お互いの体調を心配する呼吸が合った、と友哉は思った。
line初めての経験かも知れない。トキは奥原ゆう子が俺に相応しい女だと言った。明るくてよく喋るからだと。そこじゃないんじゃないか。二人とも病弱なのがよい相性なんじゃないか。それに、三百億円に興味を示さないなんて、庶民と違ってお金を持っているからなのか。
 友哉はそう思い、苦笑した。

 AZで友哉の血圧や心拍数が測定できるようになっていて、帰国中の機内での血圧が、約200になっていた、通常のひどい高血圧だが、テロとの戦いの最中に300以上に跳ね上がっていた友哉には低くなっている値らしく、それを見たゆう子がCAの隙を見て、口を使ってくれて、友哉はその献身ぶりに驚いた。機内に漏れる精子の匂いを気にして飲み込んだのを見て、
「どうしてそこまでするの?」
と訊いた。

「衝撃の片想いだから」
 ティッシュで唇を拭きながら、彼女はそう言って茶化していたが、どこか寂しそうで、
「部屋にきてくれませんか。することがないし、寂しいし」
と、正直に心情を吐露した。
「もうすぐ死ぬかも知れないのに、のんびり部屋で座っているの? 必死ですよ。まさか、奥原ゆう子がセフレみたいに遊んであげるから部屋にきてって言って、お断りする無職の男性がいるの?」

「いないね」
「もしかしたら、本当は彼女がいるとかなら仕方ないけど」
「いないよ」
「だったら、普通、来るでしょ。セフレは嫌。だってワルシャワで仲良しになった」
「そうだな。ケンカしたのは最初だけだ」
 ゆう子は彼のその言葉を聞いて、髪の毛をかきわける仕草を見せながら笑みを浮かばせた後、飛行機の窓に目を向けた。真っ暗で何も見えない空中を見ながら、
「人間の本質を一言で言うと偽善で、人生を一言で言うと寂しい」

と言った。その暗闇には彼女の嫌いな人間はいないのか、なんの風景もない黒色をずっと見つめていて、目を逸らさない。心配になった友哉は、
「本当に俺との三年後の夢しかないのか」
と訊いた。ゆう子は、唇についた精子とティッシュの粕を舌なめずりをするようにもう一度、舌で拭った後、
「当面はあなたとずっと一緒にいること」
と言った。それから唇の乾燥を防ぐためのリップを塗った。

「それは分かった。だけど具体的なその夢は、俺がもしいなくなった時に道に迷うぞ」
「さすがに作家さんはしつこいですね。黙って感動してればいいのに」
 ゆう子はあからさまに苦笑いをしたが、首を傾げたまま口を開かなくなった。
「愛にしておけ。夢は男性を愛することって言うんだ」
 友哉が促すように教えると、
「なんの愛? 具体的に口にしたらだめで、それは抽象的すぎる」
と、さらに首を傾げた。

「女は生活を求めて男と寝て、やがてそれが本物の愛じゃなかったと分かった時には、もうおばさんだ」
「で、結婚した男性はお腹の出たおじさんになっていて、なのに必死に若い子と浮気して、ギャンブルをしてお酒ばっかり飲んでる。地震がきたら真っ先に逃げちゃう」
「なんだ。分かってるじゃないか。若い頃の始まりの付き合い方が生活を求めるために、セックスをするからだ。始まりに愛がない」
「あなたに恋をした」

「寂しい気持ちが恋心を上回っていて、それほど好みではない男ともセックスをしてしまう。君は違うとして、女は寂しくなると、男を作る。男は寂しそうにしていて簡単に抱ける女に好きだと嘘を言う。俺の部屋に来いよ、それでイチコロだ。それは100%愛じゃない。二回目以降の恋愛はほとんどがそう。薄々、分かっている女は賢明だが、愛よりも生活や友達の目が大事だから、その幸せに見える生活を重視して、寂しい女に付け入った男とやがて結婚する。

どこかで愛になったとしたらそれは途中、どちらかが命をかけた姿勢を見せたか、一回、泥沼になって別れたか。それくらいしか、セックスで始まった付き合いが愛に変わることはないんだ。そもそも、もし、結婚という制度がなければ、男は自分の部屋に女を呼ぶのはリスクを感じる。特に、利口で優秀な男は自分の部屋に迂闊に女は入れない。悪女かも知れないし、男の部屋は城だ。

つまり、無能な男ほど、自分のアパートやマンションで簡単に女と同棲を始める。女のほとんどが結婚をしたがるから、結婚生活に似た部屋を提供するのが無能な男の手口で、それに女は騙される。いや、分かっていて、足を開く女がほとんどだ。産業革命以来ね」
「わたしに対するお説教ですね」

「そう、君のような美女が男と寝てはまた男を替え、その男に力がなくなると、また別の男と寝る。悪びれた様子もなく。元彼と俺との隙間が何年か知らないが、トキの話がなければただの淫乱だ。俺は寂しそうな君をタダで抱いていて、大満足だ。それは俺からの本当の愛じゃない。なのに君は足を開く。そして俺が突然いなくなった時に、君のさっきの夢は間違いだったと分かる。だから、その夢はやめておけ」
「友哉さんは、女にわざと嫌われようとしてない?」

「クリスマスの季節になって寂しくて男を作る女たちに興味がないんだ。俺が恋愛をする気がないって言ってるのに、しつこくしてくる女には興味があるよ」
「それはわたし。すぐ口の悪い哲学をフォローするね」
 ゆう子が苦笑いをした。
「突然、いなくなる男でもない。常に、居場所をお知らせするよ。そのAZがなくなってもね」
 ゆう子が、AZを出したり消したりして遊んでいるのを見て、半ば呆れながら言った。

「たぶんこれ、頑丈だけど、わたしの悪戯についてこられないよ。保証書がないし、不安だな。dots続きを聞かせて」
「続き? えーと、俺は寂しがっていて簡単に抱ける君を簡単に好きとは言わない。

君は恋愛をする気がないと言っている俺にしつこい美女。セックスで始まったけど、たぶん、これを真剣と言うから、突然いなくなることはないが、本当は、真っ白な離島の砂浜で一緒に並んで座っているだけの愛を夢に見ているのがベストで、あまり生活の匂いがする夢は持たないことだってオチだ。セックスだけなのも究極の愛に発展するが、それは文学的な世界だ」

「昔の小説やフランス文学にあるね」
「そう。女がしつこいんだ。あなたの体液が欲しい、体が欲しいって。お金はいらない。結婚しなくていい。あなたが欲しい。それだけだ。俗から離れた夢のような世界だ」
「遠くを見て言った。元カノもしつこい女だったでしょ」
「またか」
 彼はうんざりした顔をしたが、どこか口にしたいようで、
「しつこかった。俺が執筆している横で、スマホを見てるんだ。ずっと座ってて」

と、やはり懐かしむように言った。
「じゃあ、最初は付き合う気がなかったのね」
「そうだね。ブスなら海外に逃げてたよ。君と同じくらいの美女だった」
「美女だってことは聞いた。本当にこんなにかわいかったんだ」
 ゆう子が自分を指差して言うと、
「なんでそれは知らないの?」
と、友哉は、笑わせようとしたゆう子の仕草を無視して訊いた。

「あ、トキさんにもらったあなたの夢の映像のことね。基本的に、霧がかかっているような映像だから顔ははっきりと見えないし、そもそも愛人なのかセフレなのか恋人なのか分からない女がけっこう出てきます。でもdots
「でも?」
「北の旅館で一緒に死にたいって言ったのは、娘でしょ」
「え?」
 ゆう子の言葉が思わぬものだったのか、友哉が体の動きの一切をとめてしまった。

「なんかヤバいことを訊いたみたい。娘のわけないか。また、今度、尋問するね」
 友哉がまだ疲れが残っているのを見て、ゆう子がうっすらと笑った。
「お、女で悪いことをしているとお金が入ってくるんだぜ。早速、入ってきたみたいだ。早く成田に着かないかな」
 誤魔化すように悪ぶった口調で言うと、
「さっき、愛とかなんとか言ってたのに」
と、ゆう子は肩を落とした。

「君を好きとも愛してるとも言ってないのにセックスをしている。とても悪徳だ。そう言ってるんだ」
「好きじゃないんだ。まだ…」
 項垂れてしまう。
「俺もいい加減な男だ。一緒に本当の愛を探そうか」
「え?」
 ゆう子は思わず顔を上げた。

「本当のとか、本物のって言葉が好きなんだ。本物の愛を得られるようにしておいてあげるよ」
 ゆう子は目を丸めていた。何を言っているのかさっぱり分からないと思い、それを口に出してしまう。
「偽善者が嫌いなんだろ。嘘は吐かない男が君を抱くようにしてあげるって言ってるんだ。簡単だろ」
「そ、そんなことができるの?」
「できるよ。俺から学べば」
「だ、だ、大先生ですね」

 真剣に話していても、ゆう子はこうしてふざけた言葉を作る。だけど、真剣な男が好きで、ゆう子の内面の生真面目さと表面の不真面目さが、彼女に彼氏を作らせない原因になっているのだと、友哉は分かるようになった。
lineふざけた口調は自然なんだな。子供の頃に読んだ漫画か何かの映画の影響だろう。
 友哉は彼女に気づかれないように微笑んだ。

「俺が嘘を吐かない男だって気づいているよね? 偽善が大嫌いで、だから俺に衝撃の片想いだって俺は分析してるよ。あ、そうそう、トキにもいろいろ教えようとしたけど、嫌そうに断られた」
「あ、当たり前ですよ。未来の時代の君主様ですよ」
「だけど、君は女だから」
「女だから?」
「男の言うことは聞かないよね」
 友哉がとてもおかしそうに笑ったのを見て、ゆう子はまた仰天した。

「友哉さんはもてないよね。大人すぎて」
「心配無用。事情があって、もてたいと思ったことはない」
「ぼーぜん」
 精神状態を口に出して教えると、友哉は、「面白い女だな。そこは好きだよ」とまた笑った。爽やかでなく、相変わらず小さな微笑だった。

 成田空港から横浜の自宅マンションに一回戻った友哉は、着替えや電気カミソリなど男の生活必需品だけを鞄に詰めて、新宿の奥原ゆう子のマシンョンに行った。
 それにしても、疲れがひどかった。旅行の疲れとは違い、まるで寿命がきたような恐怖を伴う疲れだ。
lineまるで極度の鬱だ。
と、悩ましく頭を押さえていた。

「腕力を使う。つまり戦う。誰かの病気やケガを治す。それで友哉さんの血圧が下がるの。トキさんの世界ではそんなことにはならない軽度のガーナラを一回使いきりでは使用しているらしいよ。ほら、友哉さんのガーナラには動植物の名前がいっぱいあったでしょ。それが少ししかないガーナラだって。町には病院がなくて民間療法的に、個人が病気を治療するらしい。女性がいなくても、その程度だったら、寝ていれば回復するんだって。

トキさんの国は、ストレスはほとんどなく、皆リゾート地にいるように暮らしているらしい」
「だからストレスに関する生薬が少ないのか」
「うん。今、作ってるとか書いてある。わたしたちに持ってくるってことかな」
 二人はソファを挟んで、向かい合って座っていた。

 友哉がソファに座り、テレビを背をしたゆう子は床に座布団を敷いて座っていた。交際期間を経て同棲を始めたカップルという様子はなく、セックスの時もどこか売春しているような愛のないやり方で、それが終わるとこうして距離をとっている。そしてゆう子は余計に肌を露出する女だった。今もスカートでパンチラなっているから、友哉は目のやり場に困っていた。

 ポーランドからずっとそうだ。行儀が悪いのにスカートやショートパンツばかり穿いている。ジーンズやパンツを穿かない理由も、「女は足をだしてなんぼ」と即答した。しかし、友哉が真っ青なスリムジーンズの女の子が好きだと言ったら、「じゃあ、それは穿くね。あなたも黒ジーンズはやめて青いのを穿いて」と笑った。
「街に医者がいないのか。未来の世界が本当ならがAi支配しているのかと思ったが」

「ロボットくんとの戦争があったらしいよ。トキさんたちの前の時代に」
「ほう。ロボットが感情を持ったんだな」
「ハイブリッドロボット」
「ハイブリッド? まさか」
「うん。人間とロボットコンピューターのハイブリッド。それでロボットだけの社会が出来て、そこから人間社会に侵攻してきたらしい。その時、世界を統治していたのは女たちだったんだよ。その戦争が世界の人口が減っていた原因のひとつだって」

「ハイブリッドのロボットって、かなり強いと思うぞ。生身の人間で勝てるのか。あのトキのような生身の人間だ」
「AZに出てこないの。その辺りの詳細は」
「わざと弱いハイブリッドでも造ったのか。あ、そうだ。美女がほとんどいないって言ってた」
「日本人の美女だと思う。わたしもじかに聞いたけど、その理由は教えてくれなかった。トキさんは純潔の日本人で、トキさんを護衛している若い男の人と側近たちは日本人。あとはほとんどの人が混血と移民の外国人だって言ってた」

「トキがdots日本人が未来の世界では一番偉いのか」
「今でもノーベル賞、取りまくってるじゃん」
 ゆう子が楽しそうな顔をした。会話が面白いようだ。
「わたしたちしかできない話だね」
 やはりそう言う。しかし、急に顔を曇らせて胸を擦り出した。パニック障害だろうか。
「ペラペラ喋るからだよ。落ち着いて、たまに深呼吸をしていないとだめだ」
 友哉がそう言って背中を擦ると、ゆう子はとても幸せそうな顔を見せた。

「いっぱい擦ってもらえるなら、この病気、バンザイだ」
「かわいいなあ。そこは好きだよ」
「どこか嫌いなの」
「どこも嫌いじゃないよ。光の治療は短時間のようだ。ガーナラだと生薬の成分がしばらく効くはずだが」
「光でも耐性ができるかどうかわからないけど、一回くらいではそんなに変わらないみたい。ガーナラの治療の場合、女は病気が治った後、ガーナラは排泄されるんだって。あくまでも男性のクスリ。誰かを治療するのも男性らしい。女が少ないから、あまり仕事をさせないのかな」

「女が少ないんじゃ、見るものがないね」
「女は嫌いなんでしょ」
「見てるだけなら最高にかわいいよ」
「猫を見るみたいな言い方。そんなことばっかり言ってると女性差別主義者って思われるよ」
「かまわない。そんなくだらない議論をする俗世とは関わらないから」
 ゆう子は含み笑いを見せ、
「わたしとは関わってるね」
と言った。

「君は俗ではないよ」
「わあい」
 ゆう子は嬉しそうに笑った。コロッと変わるその笑顔が突き抜けてかわいらしい。
「未来の世界の君主ってことは、日本だけを統治しているんじゃないのかな」
 友哉がそう呟くと、ゆう子はAZで調べてから、
「普ってなに?」
と首を傾げた。
「普みたいな王国になっているって」

「えーとdotsなんだっけ、プロテインじゃなくて、ドイツの辺りに昔にあった王国dots、プdotsプロdots
「出てきませんね。お年ですか」
「うるさいなあ。君はまったく分からないじゃないか。トキは漢字にした方が、君が分かると勘違いしたようだな」
「トキさんじゃないと思うんだよねえdots
「そうなの?」
 思わず「シンゲン」と言いそうになるが、AZからの攻撃が怖くて口を噤んだ。

 テキストの膨大なデータにしても、ゆう子の感情までも予測して収められている。
 line悔しいけど、わたしのお喋りが常軌を逸していたから、トラブルになったんだ、とゆう子は自嘲気味に苦笑いをした。「友哉さんは神なの?」と二十回くらい聞き続けたら、AZが違うテキストの一部を見せてしまったのだ。そこに「シンゲン」という名前が見えた。

 ゆう子が何を聞いてくるのか予想していて、その答えまでもテキスト化している。ゆう子だけではなく、友哉の情報も。ダークレベルが高い人間の情報も。レベルが低くても、友哉に近づいた不審な人間のデータも、すべてAZの中に入っている。
 Aiとテキストだけで、ほとんどの会話を可能にしている。
 この時代のAiは感情は予測できない。わたしのジョークに対応するなんてありえない。

 円周率をひとつの記号に短縮するように、何から何まで圧縮して、AZの中に格納しているのだ。現実に、友哉の銃も、AZも圧縮されて消える。情報が圧縮されているのも想像できるし、AZの中に例の光の様々な力が圧縮されて入っているから『あなたの記憶を消す』と反撃してきたのだ、とゆう子は考え背筋を震わせた。
lineトキさんが誠実だったから持ってるけど、そうじゃなければ東京湾にポイだ

「友哉さんの背景は調べ尽くしているけど、あんまりこの時代の背景は調べてないみたいですよ」
 ゆう子が気を取り直してそう笑う。
「普を例に挙げるのもおかしいよ。世界を統治しているなら昔のイギリスじゃないか」
「そうだね。なんか時代背景は本当に適当」
「民族と政治。両者を暴力的、そして独裁的に一つにしないと世界は統治できない。ヒトラーがやろうとしたことだ。あの男にそんなことができるのか」

「人口が少ないからできた、だって」
 ゆう子がAZを見て言った。
「な、なんて入力したの?」
「トキに世界を征服できるのかって」
「やめてくれよ。聞かれてるかも知れないじゃないか」
 友哉が焦ったのを見て、ゆう子がクスクス笑ってる。女のこと以外で初めて、友哉が狼狽したと思って、笑いが止まらない。

「向こうは訊かれるんじゃないかと思って、答えを用意しているから大丈夫だよ。トキさんの時代では日本の北海道は気候の変化で住めなくなったらしいけど、トキさんの敵が活動拠点にしているから放置しているらしい。沖縄より南西のほとんどがトキさんが統治していて、中国はどこかの戦争でなくなっていて放射能に汚染されているらしい。欧米はロボットとの百年戦争でほぼ壊滅」
「敵がいるのか」

「いるでしょ。統治しようとしたら。ロシアも寒くて住めなくなって、ロシア人は世界に散らばったらしい。南米はトキさんの国の技術を頼って生活してるって。アフリカはロボットくんたちの国になっていたから、今は誰もいない」
「人類滅亡寸前だな」
「セックスできなくなって、ガーナラって薬を開発したくらいだから、当然ですよ。おまけにロボットくんと戦争してるんだもん。まあ、予想通りの未来ですね。そうそう、トキさんの世界、片耳だけの女ばかりってどういうことだろうね」
「片耳ばかり?」

「大麻のような生薬は使ってあるから、ようは両方よ。そのリングを使って、リングの光だけの治療と体内にあるガーナラを使った治療、その両方での治療。脳を光で刺激するだけで治せる病気がほとんどだけど、ケガなどを治すにはガーナラが、友哉さんのリングを通して、患者の皮膚から体内に侵入していくらしい。友哉さんが、自分の体内にあるガーナラを使って誰かの命を救えば、その人間は病気になる前よりも強く若々しくなるらしいけど、友哉さんが死ぬそうよ」

 また、死ぬと言われて、友哉は落ち込んだ。
 男の性欲に対してはよく気の付く女だが、俺を超人と思っているのか、生死に関する部分は楽観しているようだな、と友哉は考えていた。
「なんで俺には、そんなに強烈なガーナラなの?」
「友哉さんのケガが重くて骨を治療する部分的に治療するガーナラは使えなくて、たぶん、最強のガーナラを使って完治させたんだと思う。通称戦闘用ガーナラだからね」

「戦闘用dots
 少しばかり体をのけぞらせてしまう。
「他にも近視や胃腸障害も治ってるでしょ。友哉さんの今の体は医者がうらやむほどで、健康診断でパーフェクトだと思うよ。だだ血圧は異常に高くて、市販の血圧計でマックス。病院に行ったら強制的に入院させられるよ」
「脳の血管も強化されてる?」
「当たり前」
「目はよくなった。精力はつくし、筋肉は一時的に強くなる。夢のようだが、地獄も付録でついてきたか」

「わたしのこと?」
「君は夢のひとつ。副作用のことだよ」
 ゆう子が、「えへへ」と声に出して笑った。
「最高の褒め言葉を言ったのに、その程度か。どうしたらいいんだ」
「愛してるって言って」
dots
「はいはい。まだまともにKissもしてないからね」

 ゆう子と友哉はまるで愛のないセックスや愛撫はしているが、まだ触れ合うようなKissをしていない。お互いが、体の心配をするのが、唯一の恋人同士らしさと言えた。
「友哉さんの体にその最強のガーナラが投与されていて、それが友哉さんのリングを通して、誰かの病気を治すの。つまりリングの中に薬があるんじゃないのね。その時に友哉さんの体の中からガーナラが出てしまうから、激しく疲労するんだ。だけど、女を抱くと、血流が上がって、ガーナラが体の中に巡り、体力も戻るってことです」

「女を抱いている時には筋肉はそんなに硬くなってないよ」
「そりゃあ、そうよ。ケンカしてるわけじゃないんだから」
「光を使っての治療も少し疲れる」
「光の治療はガーナラを使わないけど、それを使用するためのスイッチや強弱の調整を友哉さんの脳で指示しているから疲れるらしい。友哉さんがハードディスクで、リングがソフトなのかな。ハードは酷使するとすぐ死ぬからね」
「死ぬ、死ぬって言うな」

「え?」
 友哉が怒ったのを見て、ゆう子がだらしなかった足を揃えた。それを見て、友哉は毒気を抜かれて、怒るのをやめる。
 行儀が悪いのではなく、わざと見せているのか、と。
 彼女なりのアピールなのだろうが、どこかかわいいと思った。
「あんまり死ぬって言わないでくれよ」
と笑って言うと、ゆう子はほっとした顔になり、「そんなに言ってた? ごめんなさい」と息を吐きだしながら言う。そして、

「友哉さんって何度かもう怒ったところを見たけど、すぐに鎮まるから、怒りはお芝居なのね」
と分析してきた。
「そんなことはないよ。切れてるだけさ」
「ううん。きっと、そろそろ怒ろうかなって考えてるんだ」
「俺のそんな夢の映像も見たの?」
「うん」
 ゆう子は少しはにかんだ。まるで初恋をしている少女だった。

「逆にそれが友哉さんがもてない欠点かも。女に神経質になりすぎだと思いますよ。映画に出てくるような美人スパイに撃たれて死にそう」
「プラズマ電磁シールドとかでプロテクトするのに、美人スパイに殺されるわけないよ」
「友哉さんが美人スパイに見惚れていたら美人スパイの殺意を感じないから、プロテクトしないかも知れません。あ、すぐ近くにいる人も守れますね。もちろん、疲れますけど」
「近くの人も?」

「プラズマのバリアをリングが届く範囲で近くの人に転送してるの。dotsん?」
「どうした?」
 ゆう子が目を皿のようにしてAZを読んでいる。
「マリーってなんだろう。マリーが仲介して、最後の力は傍にいる人に与える」
「検索しなよ」
「出ない。友哉様が使用したら出るって」
「俺と君が爆発に巻き込まれた時に、最後に君を守って俺が死ぬようになっているんだ、きっと」

「そ、そんな自己犠牲dots
「守るのは近くにいる人間で女に限らないと思うけど、マリーの正体が分からないとなんとも言えないな」
「うん。このAZ、タイマーがかかっているから」
「新しい情報が時間が経つと出てくるの?」
「うん。友哉さんのことで言うと、成田までは出てこなかった情報が今は出てきた。例えばdots
「た、例えば?」
 友哉が息を飲む。

「横浜のマンションの住所」
dots
「成田に行くまでに教えると、わたしが友哉さんのマンションに行っちゃうと、トキさんが思ったのかな」
「それが正解。さすが、未来の世界のトップ」
「くそ。あの結婚詐欺師のような笑顔のお兄さんに、わたしの性格を見抜かれてるとは」

 ゆう子が、初めてトキの悪口を言ったのを聞いて、友哉が声を出して笑った。
「彼は人の目は見ずに考え事ばかりしていた。人を騙す人間はあらかじめ言葉を用意していて、自信たっぷりに相手の目を見て話すんだ。あれはいい奴だ。あと、毒ガスや毒物は? サリンとか」
「ガーナラが解毒します。今から死ぬって言うけど、わざとじゃないので。えーと、最強のガーラナを得た男性は低血圧のスタミナ切れで死ぬ以外に死ぬことは寿命以外にほとんどないみたい」

 友哉がくすりと笑うと、ゆう子が呼応するように笑って、少し頭を下げた。
「でも、女がいないとあっという間にスタミナが切れるようだな。そうだ。危険を警告するよね。リングが赤く光って。それはレーダーと一緒の原理かな」
「うん。警告は距離関係なく遠くの人も検知するから狙撃されることもないみたい。近くにいる人間に殺意があったら、それこそ、その人間の脳の異常を検知してリングが赤く光る。リングが友哉さんの脳に指令を出して自動的にプロテクトするけど、疲れちゃうと何もかも弱くなってい

るか、強くなるのが遅れるから、プラズマのプロテクトに頼らずにさっさと戦った方がいいって書いてある」
「さっさと?」
「早急にって書いてありました。ごめんなさい」
「いや、いいんだ。突っ込みがいがある女の子だと思って」
 友哉は笑ったが、ゆう子は口を尖らせただけで、笑わなかった。

「それから、わたしが寝ている時に友哉さんに危険があったら、AZが自動的にじゃじゃじゃーんって飛び出してきて、友哉さんが慌てているのをフォローしますよ」
「じゃじゃじゃーんはわざとだよね。面白くないよ。天然じゃないとだめ」
「だから、わたしは寝る時は寝る! 昼寝もする!」
 今度はほっぺたを蛙のように膨らませて言った。言葉遣いがおかしいのを突くと不機嫌になるようだった。

「最後のひとつだけ、疲れる順序は分かるか」
「大きなケガを治す、病気の患者さんを治す、長距離の転送、プロテクト、余計な腕力を使うの順。なんだ、セックスは混ざってないぞ」
 ゆう子が残念そうに言った。
lineそんなにセックスが好きなのか、しかも露骨にそれを口にする。エッチと言わずにセックスと言うあたりも、セックスに真剣に取り組んでいるのだろうか。

 合意したレイプ願望もあるようだし、AV女優にでもなればよかったのに、と友哉は嫌味ではなく真面目に思い、首を少し傾げた。
「腕時計しないね」
 友哉が考え事をしていると、ゆう子がリングがはめてある左の手を見て、唐突に訊いてきた。
「入院中、激やせして、手首が細くなったからやめたんだ。売ってしまった」
「世界時計にしようよ。わたしが買ってあげる」

「そうか。頼もうかな」
 考えもなしに生返事をした。ゆう子は、彼がやる気のない返事をしたことに気づかずに、「どんなのにしようかな」と笑みを零して呟いた。
 日本では毎日一回は殺人事件が発生している。
 だが、ゆう子の記憶にあるほどの大事件は向こう一週間以上なく、最初に目立ったのは、ニートの息子による親殺しの事件だった。

「これはスルーしよう」
 ゆう子はそう言った。
「いいのか」
「殺される人が五人以下はほとんどスルーする。友哉さんの体がもたない。それに、金属バットで父親を殺したとか、女子高生が産んだ子供をコインロッカーに捨てたとか親の虐待で幼い子供を殺したとか、介護のdots介護殺人とか、そういうのは今の時代はきりがないから」

 途中、何度か言葉を止めながら、苦しそうに最後まで言い切った様子だった。
「付き合わない方がいいよ」
「なにに?」
 ゆう子の言葉はたまに主語がなくなるから、友哉は訊き返した。
「そういう事件に」
「ああ、そういうことか」
「わたしとも付き合わない方がいいよ」

 口角を持ち上げて言う。友哉のほんのわずかな勘違いに気づいたようだ。
 成田空港では「彼女になる」と宣言し、ワルシャワでは「セックスだけでいいんだ」と主張し、「死ぬまで傍にいる」と、いきなり愛を誓い、さて、今度は何を言い出すのだろうか、と友哉は常に身構えていた。
 十日間、友哉とゆう子はセックスだけをしていた。
「愛のないセックスはやめておけ」
と機内で説教をしたが、お互いがそれを分かっているなら問題はなかった。