第六話 利恵の欲望とタイムパラドックス

【ここまでの登場人物】
◆佐々木友哉(四十五歳)小説家
◆奥原ゆう子(二十七歳)女優
◆宮脇利恵(二十五歳)OL
◆松本涼子(二十歳)アイドル歌手
◆桜井真一(四十八歳)公安警察官
◆トキ 友哉の子孫。約千年後の世界の君主
◆シンゲン トキの仲間?
◆律子 友哉の別れた妻
◆晴香 友哉の娘

 ◆

 午前中から厳しい猛暑だった。
「応接室に案内してくれないか」
 利恵を呼び出した友哉は、彼女とすばる銀行の裏口の通路にいた。
「かわいい制服だ。ここで抱きたい」
「防犯カメラがある」
 恥ずかしそうにした利恵の俯き方がとてもかわいい、と思い、適度な快楽を得られる。

「監視されるのは慣れているけど、また今度にしよう」
「?」
 軽い口づけだけをして、応接室に二人で向かった。そこからゆう子と通信を開始する。
「宮脇利恵には会った時にチュってするんでしょ」と、ゆう子が言う。
「え? なんで見られるの? 悪意でもあった?」
「なに? 本当にしたのか」
lineしまった。単純な誘導尋問だった。なんて女だ。

「マジで刺す」
 ゆう子が低い声を出して言う。友哉が落ち着きをなくしているのを見て、
「どうかしたの?」
と、利恵が顔を覗きこんだ。
 利恵とはあの日から何度か食事をしていて、言葉遣いも恋人同士のようだった。
「今度、話すよ」

 またゆう子が不機嫌になったかと思うと、やる気がなくなってくる。副作用の回復と仕事も兼ねて、宮脇利恵との付き合いの了解をしているのに、嫉妬深いのは変わらずdots
lineまあ、女ってそういうもんだけどな。
 涼子のことを思い出す。夫婦仲が悪くなってからは、執筆を安いホテルと温泉宿を転々としながら行っていた友哉に、「晴香のためにたまには家に帰って」、と言っておきながら、帰ると次に会った時に機嫌が悪かったものだ。

 その頃、涼子は高校一年生。父親の編集者、松本航と一緒にホテルにやってきていた。
 友哉は気を取り直して、大人びた所作を見せる利恵を見た。二十五歳とは思えないほど、優雅に振る舞う女だった。普段は長めのロングスカートを好み、風でスカートの裾が揺れると、その夏のそよ風がまるで彼女を運んでいるかのよう。奇妙な言い切り調の言葉遣いをするが、「昔は誰とでも敬語で喋っていて友達が出来なかった」と言っていた。

 SNSに投稿する際の文章と自分の喋り方は似ているらしく、わざと面白い言い切り調で投稿を続け、普段の喋り方も改善させたらしい。だが、今の彼女も友達が多そうには見えず、それを指摘すると、「飲み会では人気者になった。だけど、合コンや飲み会が嫌いだから、友達も一気には増えないし、そもそも性格が悪いのかもしれない」と笑った。

自虐的には笑っておらず、そんなことはどうでもいい、という表情を見せていた。
 最初にモンドクラッセ東京で彼女を抱いた日に、友哉は、「佐々木時」と名乗っていたが、今は、本名を教えてあった。口座名義は、海外にいる親戚のものだが、それは税金対策で、「お金は僕のものだよ」と教えておいた。

 『ササキトキ』と利恵が付き合っていることは、社内に知れ渡っていた。利恵がリークしていたのだ。公然の関係にして、友哉が銀行内を動きやすくするためと、社長がまた何か企んでいたら、利恵の耳にその噂が入るようにしたものだ。これだけの美人なら、上司からもかわいがられているはずで、社長の失言が利恵の耳まで届くこともあるだろう。

 富澤は、友哉に挨拶を済ませると、なんと利恵にも「ゆっくりしていってもかまわんぞ」と愛想を振りまいた。
line何か企む器には見えないな
 思わず失笑してしまう。
「佐々木さんと君が結婚したら、君も億万長者。ものすごい玉の輿だ。佐々木さんは独身ですよね。いや、宮脇くん、こんな男だ。世界各国に女がいるかもしれんぞ」

 よく使われる薄っぺらいジョークに反応したのはゆう子で、
「センスのないおじさんだね」
と笑った。
 友哉が応接室を見て、
「桜井さんはいないのか」
と訊いた。友哉は、公安の桜井真一を呼んでいた。一人で来るように言ってもらってある。

「連絡をしておきましたが、佐々木さんからお金を貰ったから、今頃、バリの高級リゾートホテルにいるんじゃないですか」
 富澤が大柄な体を揺らしながら笑った。
 ゆう子が、
「友哉さん、信用していいの? 桜井ってやつ。レベル3だよ」
と指輪を介して話しかけてきた。

「独身らしいな。じゃあ、失うものもないと脅しは効かないか。土下座でもするよ」
 打ち合わせの時、ゆう子が桜井真一をAZで調べると、独身、四十八歳、埼玉県在住であることが分かった。他に、「スマホの中に元カノの写真があって、その刑事、その子を探している。行方不明みたい」と、ゆう子が言った。
「興味ない。それ、敵になると、本当にスマホにも警視庁にも侵入できるんだ」

「他に何か調べる? 友哉さんのことを嗅ぎ待っているよ」
「それは当たり前だ。そんなに悪い奴じゃないから、その子でも捜してやれば?」
「それは無理。その女の子は友哉さんとはまったくの無関係だし、名前しか分からない。児玉咲」
「警察で見つけられないんじゃ、死んでるか。どうでもいいよ」
「ハードにクールだね」

「目の前の真実にしか興味がない。過去はほとんどが事実とは異なる。人間の記憶は曖昧だ。後に誇張される場合も多い。つまり、行方不明かどうか怪しいというこだ」
 そう言うと、ゆう子は、「やれやれ」という顔をして、
「さっさと、利恵さんの待つ銀行に行ってきなさい」
と彼をマンションから追い出した。
 応接室で、友哉の隣にちょこんと座っている利恵が、

「またスパイごっこ?」
と、笑った。ゆう子と通信すると口が動くようだ。
 友哉を見るその瞳はとても生き生きしている。もし本当に昔の利恵が敬語しか使えなくて友達がいない暗い人生を送っていて、彼氏もしばらくいなかったのなら、生まれ変わったと言っても言いすぎではないほど、全身で歓びを表わせていた。

「来ました。蛙の顔の刑事さん」
 ゆう子が教えてきた。
 ほどなくして桜井が入室してきた。
「やあ、ササキさん。もう二度と会わないって言っていたのに」
 浅黒い顔だが、確かに南国が似合いそうな笑顔を持っていた。
「部下の伊藤大輔はかすり傷だ。大した腕前だな」

「機嫌がいいついでに、仕事を頼みたいんだ」
 桜井は、利恵をちらりと見て、
「お金があれば若くてキレイな女もすぐに手に入るか」
と言った。
「三億円じゃ、女遊びだけであっという間になくなるだろう」
「この調子で使うとな。女は金がかかる。銀座も六本木も、まるで世界悪女列伝さ」

 どすんと音を立てて、利恵の隣に座る。三人が並んだから窮屈だ。肩に手を回そうとしたのを見て、友哉がソファから離れて、桜井の前に立った。
「俺の女に触りたいなら、正式に寝取りのセックスを申し込んでくれ」
と凄む。
 桜井は両方の手のひらを見せて参ったのポーズをつくった。
「寝取り?」

 どっちが口にしたのか。利恵も口を開いたし、友哉の頭の中からも聞こえた。
 利恵は、「わたしはそんなことはできない」と言い、ゆう子は、「それ、やってみたーい」と、はしゃいだ。
「やってみたいと言う女はできなくて、できないと言った女はやってみるとそのセックスにはまる」
 友哉がそう言うと、利恵が、

「しない。絶対に」
と真顔で言った。
「はまるのは最初だけだ。数をこなしていると嫌なこともあって、すぐにやめたくなる。しかし、それはセックスに限ったことじゃない。仕事も遊びも数をこなしているとトラブルは必ずある。統計学で証明されているが、その嫌な出来事が何回が続くと、人はそれを最悪と表現する。または運が悪い。またはdots

「または?」
「あんたが悪い」
dots
 利恵は、友哉が独特の冷めた口調で哲学を語るのを初めて聞いたのか、目を丸めていた。ゆう子がそれに気づいて、
「今日で利恵さんとは終了」
と嬉しそうに笑った。

「まあまあ、ササキさん、そして美人のお嬢さん、ケンカはしないで。ササキさんの女なんか恐ろしくて抱けないよ。マジシャンかなんかでさ。お嬢さんと寝てる時に美人局みたいに現れそうだ。で、仕事ってなに?」
 桜井が利恵の肩をポンポン叩く。桜井は結局、利恵に触った。
「警察官が美人局にビビッてどうすんだよ」

 毒気を抜かれた友哉はおかしそうに笑った。友哉は、桜井の正面のソファに座った。桜井と利恵が並んでいて、利恵が制服じゃなければカップルみたいだ。
 友哉が笑ったのを見て話が出来ると思ったのか、
「確かにあの日、ワルシャワに似ている名前の男がいた。ササキユウヤ」
と桜井が言う。利恵が思わず顔を上げたのを見て、友哉が目配せをして黙るように命じた。

 頭の回転がいいのか利恵は咄嗟に口をつぐんだ。
「だが、テロが発生した時にホテルから出た形跡はない。一緒にいた女はオクハラユウコだが、女優の? まさかね」
と桜井が言った。
「ちょうど、その女優さんが話題になっていからその名前を偽名に使った。どこかの娼婦だ」
「パスポートも?」

「桜井さん、利恵がいなかったら、この前と同じ展開になるよ」
「わかった。わかった。もう調べない」
 桜井は心底、困った顔をした。上との板挟みなのか。それとも好奇心が強く、自分で調べたのか。友哉には分からない。
「俺の話を、俺から聞いたことを誰にも言わないと信じて、良い情報を提供する。八月十五日、終戦記念日に、皇居の近くで爆発が起こる」

「なんだって?」
 富澤も「え?」と声を上げた。この銀行も皇居からそれほど離れていない。友哉が立ち上がると、
「おいおい、待てよ。なんで、そんな情報を持ってるんだ」
「イギリスの資産家から三百億円を譲ってもらえる謎の日本人が、テロの情報を持っているくらいで、そんな驚くなよ。けが人が出ると思うから、被害拡大を食い止めてほしい。できれば爆発が起こる前に犯人を捕まえてくれ」

「どこの誰が計画しているテロだ?」
「それはわからない。成田も羽田も改めて警戒してくれ。社長、銀行も警備員を増やしてください。彼女は十三日から、しばらく休みます」
「そうだな。宮脇君は特別に休養したまえ」
 友哉の彼女というだけで、優遇されているようだ。
「ところで桜井さん。例のものは?」

「持ってきたよ。結局、誰なんだ、こいつ」
 桜井が持ってきたのは、防犯カメラが撮影したササキトキの写真だった。友哉は、封書に入っている写真をジーンズのポケットにしまった。
「またいつか教えるよ」
 友哉は、利恵の手を引いて応接室から出ていった。
「ワルシャワってなに?」

「ワルシャワで日本人の勇敢な奴にテロリストが殺害される事件があっただろ。それが俺なんじゃないかってあの刑事さんが疑ってるんだ」
「本当にその日にワルシャワにいたの?」
「うん。たまたまね。アウシュビッツの見学ツアー」
 友哉が歴史書などの読書家だと知っているからか利恵は大きく頷いて、疑惑を追及しなかった。

「そっか。わたし、十三日から休むの?」
「できれば一緒にアメリカに行ってほしいが、嫌なら、友達と温泉にでも行ってて」
「アメリカ? お仕事?」
「うん。秘書が同行するけど」
 友哉は、利恵とゆう子を友達にする考えだった。
 本当は会わせるつもりはなかった。

 だが、松本涼子の一件から、ゆう子が一人だと心もとなくなっていて、それをゆう子にも正直に言った。
line怖い。ガーラナとかいう薬、なんてきつい副作用だ。
 底なし沼のような暗黒の世界。これが死後の世界なのか。または地獄なのか。沼から藁をも掴むようにもがきながら這い上がり、顔を上げると、遠くには、あの世らしく川が見え、生きているはずの娘、晴香が手を振っているのだ。

「晴香、どうした? まさか死んだのか。涼子も一緒じゃないか。何があったんだ」
 ガーナラを得てから、副作用で気を失うように眠ると、さかんにそんな悪夢を見せられる。
 ワルシャワでもそうだった。転送で疲労が蓄積したら、心臓が止まってしまう感覚で、血の気が引いていく。自分の意思で瞬間移動をした時に、ゆう子がいなかったらどうすればいいのか。

line血圧が最高で500まで上がって、それが100に下がったら、気が遠くなって当たり前だ。いや、ショック死して当たり前だ。せめて気を失わないように、常に女からの性行為を受けていたい。これまでの経験から、女性のエロチシズムを見ているだけでも効果はある。利恵が、医療行為のようなそのセックスを嫌がったら、少し下着姿になってもらうだけでもいい。

 そう思ってやまない。性欲を剥き出しているのではなく、ただ悲壮なだけだった。
「この仕事には女が二人、必要だ」
 ゆう子に言うと、
「宮脇利恵さんに頼むのね。いいよ。わたしは部屋で待機する係りだから、外にも一人、いたほうがいいね」
と、嫌がる様子もなくすんなりと了承した。

 アメリカのロスアンゼルスで、数日後に学校を狙った銃乱射事件がある。皇居の近くの爆発事件の翌日になるから、友哉はアメリカに、皇居の近くは桜井真一に任せることにしたのだった。

  ◆

 利恵は、銀行の応接室で公安警察官の桜井真一と、まるでゲームを楽しんでいるような会話をしている友哉に見惚れていた。

lineなんて刺激的なんだ。いや、刺激的な男たちは見てきた。この男は、彼らとはどこか違う。さっきの哲学はなに? まるで、わたしが寝取りをやって厭きたら、それをやらせた男のせいにするような言い方。
 利恵は、運転席で口を閉ざしている友哉をじっと見ていた。髪にいつの間にか薄くメッシュを入れてあるが、ボサボサだった。無精髭もあって、疲れているように見えた。

ただ、洋服はきちんとしていて、いつものようにサマーセーターを着ている。今日は紺色でブランドの大きな文字が白色で入っているが、近くから見ると何が書いてあるか分からない。いわゆるナスカの地上絵だ。ジーンズも真っ青で若々しい。

lineメッシュは出会った時にはなかった。恋人に相談せずに髪にカラーを入れる男か。他に女がいるのか。今までの男たちとの違いはクールなところ? 最初はメダカの話をしていたけど、そう、セックスはクールだったな。女嫌いか、やはり女が他にもいるのか。だけど、わたしはこの男から離れたくない。もし、女がいても負ける気はしないし、負けたこともない。

「わたし、寝取りなんかしない」
 思わず、気を惹く言葉を作った。しないと言いながら、微笑をしてみせる。
 ポルシェの車内。利恵はそっと友哉の胸に手を伸ばした。その手をすぐに股間に移す。どんな時でもいきなり男性の股間には手を伸ばさない。まずは、他の場所。だけどその手をすぐに股間に移動させる。それが利恵の癖であるが、そうした方が上品だとどこかで決めたのだった。

それだけでは不満なくらい男性が淫乱な女が好きだったり、セックスから遠ざかっていたら、辛い姿勢でもその股間に顔を近づけていく。車の中なら、「シートベルトを外したいから路肩に停めて」と男性を見つめて言うと、車はすぐに停車するかラブホを熱心に捜した。利恵はそのやり方で、どんな性癖を持っている男性にも好かれてきた。
「ああ、冗談だ。ああいう悪い男との会話は楽しいから、わざと言ったんだ」

 友哉のその言葉に、利恵は胸を高鳴らせた。改めて、この男の人は理想のタイプだ、と衝撃を受けていた。
lineもちろん、こんな危ない男とは結婚できないだろうが、三十歳までなら十分に楽しめそうだ。いや、子供を作らなければ結婚も悪くない。大金持ちと天才。そんな男と結婚するためには子供は作らないのが結婚の常識だ。きっと女たちはお金持ちや天才の苦悩をセックスで癒すのだろう。子育てをしていたら、それができなくなる。

lineセックスは大好きだからそれでもいい。彼もとても強いし。dotsわたしの名前の由来は彼のような男を支えることだ。そうなんだよね、お母さん
 利恵がそんなことを考えていると、友哉は自分からジーンズのジッパーを降ろし、ペニスを手で触るように目配せしていた。
「シートベルト、外せない」

 利恵がペニスを握ったまま、うっとりした目で言うと、友哉は路肩にポルシェを停めたが、車内が窮屈なのが嫌だから車外に出て暗がりに立った。利恵も車から降りて、すぐに彼の前にしゃがみ、股間に顔を埋めた。その頭を最初は撫でられていたが、数分すると軽く押さえつけられていた。
「桜井って刑事は嫌だけどdots。イケメンとならやってもいい。お金持ちの道楽って感じがするし、楽しいかも」

 ペニスから口を離した時に言う。唾液が彼のジーンズの内側に落ちた。フェラチオの時に唾液を零すか零さないかも相手の男性の好みに合わせていた。友哉は唾液を零す女の経験が少ないことを教えていて、利恵は「わたしは唾液がだらだら出るよ。口の中に出された後みたいに」と嘘を言って、わざと唾液を口の中で作っていた。
「寝取りって、なんかルールがあるなら教えてね」

 車に戻ってそう笑って言う。
 常に自分に気持ちを向けさせて、なんとしてでも離れなくするようにしたかった。
「そんなことしなくてもいいよ。銀行の制服でドライブしよう」
「それ、いつもやってるじゃない。もう厭きた」
 利恵が銀行の制服を着て、ポルシェに乗って首都高をドライブする。それだけだが、「枕営業をしている女と一緒にいるみたいで興奮する」と、友哉はドライブの度に利恵に銀行の制服を持って来させていた。

「変態なセックスがしたくなるほど疲れたら、改めてプロに頼むよ」
「友哉さんはプロの女がやるセックスを彼女がするとだめなんですね」
 やっぱり突き抜けて悪くはないのか。奥さんとはできないセックスを風俗嬢に頼むのと一緒のセリフだと、利恵は少し拍子抜けをした。だが、次の友哉の言葉は、彼女を驚かせた。
「なに言ってんだ。おまえがプロだろ」
 横目で見て、しかもきつい言葉とは裏腹にどこか嬉しそうに笑みを零していた。

 ◆

 友哉は、利恵を北千住の自宅アパートまで送った後、路上にポルシェを停めて、ポケットにしまってあったササキトキの写真を見た。
「そこ、駐車禁止だと思う」
dots
 友哉は指輪で通信してきたゆう子の声を無視する。
「今日も利恵さんとドライブ、お疲れ様でした。途中で車から降りて、路肩で何してたの?」

 友哉は目をさらのようにして写真を見ていた。
「AZでプライバシーは急に見えなくなるんだ。つまりエッチなことをしてたのね」
「うるさい。嫌なら言え。別れてくる」
「え?」
line違う。この顔はトキじゃない。

 自分の部屋に現れて、ゆう子に指輪を買うように言った男と防犯カメラに撮影された男の顔が違うことに友哉は言葉を失っていた。日本人と外国人のハーフか外国人だ。
 しかし、洋服の色と形は似ている。銀色の無地で、直線的なデザイン。生気を感じない無機質な素材である。そして襟に狼の絵がある。トキの襟にあった動物の絵柄だ。画像は不鮮明だが犬には見えない。立ち姿が立派で狼の絵に見えた。

line仲間なのかdots。トキが、後で使いの者が細かな説明に来るかと言っていたが、まだ誰も来ない。だが、本当に部下のような人間がいるのか。あの短時間でイギリスと日本を行き来できないから、ある程度の予想はしていたがdots
トキの部下のような男たちが、俺の口座を作り、住所までも用意していたということか。なんのためにそんな手の込んだことをするのか。

「利恵さんとは別れない方がいいですdots
dots
「もしもし?」
 ゆう子を悩ませることを言っておいて、彼女の話を聞けない友哉。本気で利恵と別れる気はなく、ゆう子のお喋りを一時的にやめさせるために口にしただけだったが、得体の知れない連中が動き回っている状況に、利恵を巻き込んでしまっていいのか、と不意に思ったのもあった。

 友哉が黙っていると、ゆう子が、
「ちなみにそれは税金対策らしい」
と笑った。
「え? 聞こえた?」
「友哉さんのブツブツは治りそうもないね。前にも言ったけど、アンロックになっていて、昨日くらいに、すばる銀行の記述が見えるようになった。また未来人を気取っていて、税金ってなんですか、みたいな前置きがあって、国に半分くらい取られるから架空の口座を作ったってさ。友哉さんが印税の税金に苦しんでいたからそうしたらしい」

「架空口座にされて、公安に目を付けられてるじゃないか。もっと苦しいよ」
 思わず笑ってしまった。
「使ってしまっても追加で工面できないって。あと、すばる銀行に行ってもらうために、お金は最初から用意するつもりだったらしい。友哉さん、あの銀行に口座を持ってなかったよね」
「まさか、ゆう子とも会せたように、利恵と会わせるためとか」

「すばる銀行本店に口座を作る気があった?」
「え? ないよ。横浜から遠いし」
「本当はあるはずなのに、なくてびっくりだって。トキさんからのメッセージ。AZのテキストじゃなくて、トキさんが帰る間際にAZに入れたメッセージよ。トキさんと出会った日に読んだんじゃなくて、さっきの税金対策しましたよって話と一緒に言ってる。わたしの指輪を選ぶのに時間がかかっていたし、友哉様の話が長くて説明する時間がなくて、もう架空の口座にしたとか言ってる」

「俺の口座があったら、そこに三百億円入れるつもりだったのか」
「そうかもね。なかったから、税金対策も兼ねて架空口座を作ったんじゃないかな。別に手の込んだことをしたわけじゃなくない? あ、架空口座にしたら一石二鳥だって思ったとかね。なんか誰かさんと性格が似ていて、トキさんって、やっつけ仕事なんだ。

つまりその場しのぎ。だってさ、あなたの秘書だってわたしじゃなくてもいいみたいな言い方で適当なんだもん。でも自信たっぷり。ゆう子ちゃん、友哉様の秘書になりたいでしょって。あー、似てる、似てる」
dots
 なんとか、ゆう子のお喋りを止める方法はないだろうか、と真剣に考えてしまう。
「本当はあるはずなのにないとか、ないはずなのにあるとか、その感覚、最近もあった。

結局、利恵に会わせるだめだろ。急にもてるようになったと思って自惚れかけた」
「もてないのは口が悪いからだけど、利恵さんは今のところはメロメロみたいだから、自信を持ってね。今回のテロで、あの銀行は巻き込まれていて、死者は出てないけど、けが人は出ているから、その中に利恵さんがいて、トキさんが焦ってあなたを行かせたのよ。けが人の名前はAZで見えないけど、だったらもう利恵さんは安全だよね」

「なんでトキが利恵を守るんだ?」
「友哉様の彼女だからでしょ」
 ふて腐れた口調で言ったのが分かり、友哉はいったん、ゆう子との通信をやめた。
lineそうか。本当に未来人で、以前からこの時代に大勢やってきている? なんのためにdots
 友哉は、娘の晴香を思い出していた。
「お父さん、白い服のおじさんが怖いよ」

 まだ小学生の頃、晴香はそう言って泣いたことがあった。当初は幽霊でも見たのかと思って気にしてなかったが、トキだけではなく、銀行のササキトキが白っぽい服装なのが分かり、晴香が恐れていた男と関連があるように思えてきた。そう、涼子もdots
『友哉先生、なんか白いバイクスーツみたいな男たちが、付け回してるけど、なんか悪いことをしたの?』
 などと言われたことが多々あった。

『おまえがありえない美少女だからだよ。学校の帰りは友達と一緒に歩くんだ』
『そんな友達はいない。車で迎えにきて。締め切りが近くならないと暇でしょ』
『そんなことをしたら、虐めに拍車がかかるよ』
 学校でのイジメで孤立していた涼子。親以外は、友哉だけが相談相手だった。恋愛感情が芽生えるのは当然である。

lineしかし、トキとその仲間は俺たちの味方なのか。彼らとは別に、未来人かこの時代のマフィアのような連中が、晴香を狙った。なぜ? さては俺、なんかまずいことを小説に書いたのか。
 自分の書いた小説の内容を一本ずつ頭の中で辿ってみるほど、友哉は分からなくなってしまい、ずっと首を傾げていた。
「それが自然な答えだけど、なんか歳だからか思いだせないな」

 自らが笑うための自虐的なジョークで、ゆう子が聞いていたら、またお喋りが始まるだろうが、強引に通信を切ったら、さすがに聞こえないようだ。
line俺の小説の内容に怒ってしまったなんかの宗教団体か偽善団体に謝ればいいのか。そうは言っても、話しかけてこないしdots

 生真面目にそう思っていた。テロリストや凶悪犯と戦う事をトキから依頼され、ゆう子はそれに躍起になっているが、友哉にはまったくやる気がない。「俗に興味がない」とゆう子に宣言しているように、頭のおかしな連中と関わりたくなかった。ボクシングをしていたのは、ほのかな筋肉美を作るためと涼子と晴香を守るためで、ケンカが好きなわけでもなく、小説はほとんどが恋愛もの。妄想の世界でも暴力的な行為はほとんどない。

 晴香は涼子と一緒によく狙われていた。二人が揃うと、森の中の鳥が逃げ出すほどで、その殺気を感じ、友哉は神経質に、まさに警戒して周囲を観察していた。涼子の前から歩いてきた男の目付きが悪く、彼女の前に体を入れると、その男はくるりと体の向きを変え、逃げだしたこともあった。赤い光線が目の前で光ったこともあった。
lineあれは、俺のPPKから出る赤い光と同じ、地核のレーザーだったのか。

 だとしたら、白い服の奴らが狙いを外したのか、助けてもらったのか。トキたちに?
 後者が自然だ。地核の高熱レーザーが顔の近くをかすめて、ただですんでいるはずはない。
 レストランで不用意に近づいてきた男を念のために用意してあったナイフで追い払ったこともあった。涼子はそれらを見ていた含みで、「悪い男」と友哉に言ったのだ。

 クレナイタウンで涼子を突き飛ばした男dots。または赤い光線で撃ったのか。プラズマシールドと地核のレーザーがぶつかったらあの程度のケガか。
 普通の消音銃で撃ったとしても、赤く点滅していたリングが涼子の体を保護した?
 リングは、自分と近くにいる友人や家族、友哉が守りたいと思った人間も保護する。半径2メートルくらいらしく、ゆう子の言うように地上に落下した涼子の体は保護はできなかったのだろう。

 再会した途端に狙われるのか。今は?
 スマホでテレビを見たら、涼子が生放送の歌番組に出演していて、友哉は胸をなでおろした。
lineやはり考えすぎか。涼子は電車で通っているはず。狙える場所も時間もいくらでもある。
 友哉は結論をひとつだけ出した。それは、
『未来人なんてSFのような人間がいるはずない』
 というものだった。

 自分が小説の内容でどこかのカルト宗教を怒らせて、自分と当時仲の良かった涼子と当時、戸籍上娘だった晴香を狙っていた。クレナイタウンで涼子が転落したのは突風。背中の傷は落下した時のもの。トキはNASAかロシアの科学者で、RDという武器で俺に何かをさせようと企んでいる。でもそれは悪事ではないようだ。

 ゆう子のAZで未来が見えるのは不可解な話だが、主に直近だけだから凶悪犯の行動を予測しているAiなんだろう。利恵が爆発テロに巻き込まれないなら、それで文句はない。
line利恵ならもう安全だ。しかし、涼子とは再会したからまたカルト集団に襲われないとも限らない。他人を助けにアメリカに行っている場合か。どうするか。ゆう子は行く気満々だ。
 友哉は、奥歯を噛んでこう思った。

 また判断できない、とdots

 いつから俺はこんな頭の弱い男になってしまったのか。そう、人のせいにはしてはいけないが、あの交通事故で入院し、そして退院してからだ。律子と罵り合い、涼子もやってこなくて、涼子の父親の編集者は泣き、何もかも嫌になった。一人のマンションで決めたんだ。もう、何もしないってdots。南の島の砂浜でぼうっと座っていようって。
 なのに、奥原ゆう子という女がそれを許さない。

 dots親父、アドバイスをくれ。
 友哉は、人知れず涙を滲ませた。臨終の父親の言葉を思い出す。
『友哉、お母さんが憎いか』
『うん』
 中学生の友哉が素直に頷いた。
『なら、なぜ、あの看護婦に見惚れているんだ』
 父はそう言って、点滴を付け替えて出て行った看護婦の背中に目を向けた。

『水色の制服が綺麗だった』
『おまえの部屋に貼ってあるパリスの審判のポスターだが、あれが美しいのか』
『うん。女神だもん』
『パリスに賄賂を渡して、美を競ったんじゃないのか。ちゃんと本を読め』
『お母さんは女じゃない。お母さんだ』
『俺に、おまえを渡して美を得ようとした。あの女神たちと同じだ。憎んでる暇があるなら、考えるんだな』

 友哉の父親はその直後に血圧が低下し、昏睡状態に陥った。
dots友哉、おまえは俺の宝物だ。なんて美しい少年なんだ』
 そればかり言う父。友哉の姉は大学から向かってきているが間に合わなかった。
 友哉の父は、擦れた小さな声で最後にこう言ったのだ。
dots思っていたよりもバカだ。地獄で待っているから教えてやる』
dots
 医師と看護師たちが驚く、遺言だった。

line今、生き地獄だ。親父。
 裏切った女を憎んだらだめなのか。ああ、そうしてる。だから、律子も涼子も気になって、身動きが取れないじゃないか。
 友哉は車のエンジンをかけ、深夜に営業している書店に向かった。
 ギリシャ神話『パリスの審判』はどこかにあるだろうかdots

  ◆

 最初、利恵を「恋敵」として警戒していたゆう子だったが、松本涼子が現れてから、利恵はライバルではなくなっていた。

 松本涼子には敵わない。あの若さと清楚な美しい面。本当に編集者の娘なだけで、友哉とはただの友達だといいのに、と思ってやまなかった。
 ところが成田空港に現れた利恵を見たゆう子は、言葉を失った。
lineかわいい。画像で見るよりも、ずっとスタイルもいい。
 細身をアピールする紺色のワンピースを着ていて、締められたウエストが細い。なのに胸がちゃんとある。痩せすぎているように見えるが、水着になったら一番、人気が出るモデル体型だ。しかも優しい顔立ちをしている。

lineモナリザが日本人になって、目を少しぱっちりした顔じゃないか。
 まさに、ゆう子は彼女に見惚れてしまっていた。
 松本涼子は怒ると温かみが額から消えるが、それは目力がありすぎるから。宮脇利恵は違った。目尻に温かみがある。華奢で足も細いのに、顔、胸、お尻にも肉がしっかりとついている。
 利恵の方も、友哉と一緒に待っていたのが、女優の奥原ゆう子なのを見て、呆然としていた。緊張したのか、まっすぐ歩くこともできなくなっていた。友哉は、二人の様子を窺う様子はなく、うかない顔で歩いている。

 専用ラウンジに入って、先に口を開いたのは利恵だった。
「映画もテレビもよく見ています。dotsあのdots衝撃の片想いの彼氏が、友哉さん?」
 ゆう子に聞く。
「そうです」
 またかと思ったが、「衝撃の片想い」は一生言われることになったようで、ゆう子はもう気にしないことにした。
「奥原ゆう子さんが秘書なの? いったいどういうこと」

「ゆう子が秘書だ。だから、女優業を休んでいる。公安の桜井が言っていたワルシャワの女もゆう子だ」
 友哉がそれだけを答えた。悩みがあるような面持ちでどこか不機嫌だった。
「あなたの仕事で、人気女優と知り合いになれるの? 経営コンサルだっけ? 不動産だっけ?」
 混乱してしまっている。
「デートもkissもしてくれない人が友哉さんなの。なんでしないの? 奥原ゆう子だよ」

 双方に目を向けながら早口で言った。パニックになっている様子だ。
line当たり前の反応。宮脇利恵さんはまとものようだ
 とゆう子は思い、冷めた感覚で生きている友哉を凝視していた。松本涼子をレストランで見た時にも落ち着いて対応していたようだし、かっこいいんだけど、無感情すぎるよなあ。あ、でもdots
「この前、ガムを踏んだら飛び上がっていた」
と口に出してしまう。利恵が、「は?」と言った。

「すまん、利恵。君の疑問の話の腰を折ってしまって。奥原ゆう子は口から生まれてきた女なんだ」
 ゆう子は、友哉のため息を無視して、
「飛行機が揺れても驚かないのに、薬を落としたら、通路まで出て探しまくった。しかも大騒ぎ」
と喋り続ける。
「大騒ぎじゃないよ、誇張しないでくれ。薬じゃなくてサプリだし」

「ビタミン剤が一錠なくなっただけで、泣きべそかく男がいるの?」
「泣きべそもかいてない。誇張した罰で下のドラッグストアで適当に買ってこい」
 急に一万円札をゆう子に渡す友哉。ゆう子もゆう子で「はい」と先生の命令に頷いた。
「なんか昭和の夫婦かカップルに見えるけどdots
「秘書だから心配するな。パシリにするんだ」
「今のお喋りは面白かったけどさ。ちょっとデリカシーがないよね」

「片想いじゃなくて両想いですって言ったら、その瞬間に二股が成立してしまうか、利恵が立ち去るぞ」
「あ、ああ、そうねdots
「奥原さんが、友哉さんに言いくるめられているように見えますが、そんなに立場が弱いんですか」
 肩をすぼめているゆう子を利恵が少し覗きこんだ。
「弱いです。奴隷にされています。ぶるぶる」

 芝居がかった嘘を言うが、利恵は笑えないようで目を丸めてしまった。
「利恵、騙されるな。成田に俺を強引に連れてきたのは、ゆう子だ。俺の弱みを握っていて、やりたい放題だ。だからせめて、ドラッグストアにくらい走らせたいわけ」
「はい。行ってきます!」
 ゆう子は席を外し、いったん専用ラウンジから出て行った。
 勢いよく駆けだしたが、短いスカートの裾を整えながら、その足元を見つめるように下を向いた。

 まだ出会って数か月だが、わたしには「好き」「付き合ってほしい」という一般的な告白は何もない。律子さんを始め、いろんな女に捨てられて傷ついて、女が嫌いになったはずなのに、宮脇利恵とはデートをしているのかdots。しかも、なんてかわいらしいんだ。まあ、わたしの方がかわいいし、脱いだら健康的で負けないけどさ。普通に女優レベルじゃん。
と、ネガティブ、ポジティブが入り混じる心境を呟いていた。

lineやめちゃおうかな。あんな男。でもなあ、トキさんが言っていた通り、かっこよくなってきたんだ、これが。
 松本涼子を素早く助けに行ったり、桜井真一を取り込んでしまったり、「女のわたしにはできないなあ」と考えると、うっとりしてしまう。少女の頃からのゆう子の英雄願望が、大人になった今、友哉のような男性の前で、体の奥を熱くさせてしまう。

line恋人の対象にしてもらえないのは、自虐的にセックスだけの秘書でいいと大見得を切ったからか。当たり前だな。でも他の女とはデートしているのを知ったら、なんだか寂しくなってきた。
 セックスだけでは嫌だ、と言ったら、最初の自分の姿勢があからさまに覆って嫌われそうだし。
 トキさんから、友哉さんを癒すように言われたけど、恋人じゃないままそれができるのだろうか。

lineやっぱり自分の話をしない恋はだめなんだ。
 トキや友哉のせいではなく、なんとなくそんな答えが浮かんだ。謎めいた女優で有名だった。私生活が分からなくて、スキャンダルもない。
 二十七歳まできちんと付き合った男性もいなかった。一人くらいはいたかも知れないが、お世辞にも優秀な男性じゃなかった。他の数人もセックスだけだった。
line寂しそうにしていると寄ってきて、顔だけで抱いて、いなくなる。

 「性格がおかしい」「テレビとギャップがある」とその男たちは口を揃えて言ったが、それくらい最初の会話やセックスをする前のデートで分かるのに、だったらなぜ抱くのか。俗に言う、やり捨てだ。
 少し長く付き合った人がいたような気がするが、わたしのヒモのような男で、「顔」「お金」「セックス」の三拍子が揃っていると、無邪気に言っていた。

 実は、出来は悪いが無害な、そんな男の人が好きだったが、パニック障害の発作が頻発するようになっても彼らは助けてくれず、お金と体を求めるばかりで、料理を作ってくれたり、家事はしてくれるけど、どこか媚びているのが窺えて、そうdots
line昔の戦争映画を観ていたら、自分の原点がこっちだったと思い直した。

 スピルバーグの映画を二本、観なおしてみた。『プライベートライアン』と兵士の話じゃないけど、『シンドラーのリスト』。
lineオスカーシンドラーみたいな男性がいいな。快楽主義者でいて、突き抜けて優しい男性、どこにいるのだろうか。でも友哉さんが、似ている。
『テロリストも父親なのが気になる』
 まさに、衝撃の言葉だった。つまり、友哉はテロリストの息子か娘を気にしたのだ。

 戦場で殺した敵兵が娘の写真を持っていて、それを見た兵士が泣いてしまうシーンが、何かの映画にあった。友哉さんも、同じ映画を観ていたのかもしれない。そんな話をもっとしないといけない。ふざけてばかりで、信じ合えるようになる会話が少ない。自分の話もしないとだめだ。ゆう子は改めて、自分の話を男性にできないことに苦しんでいた。

 お母さんが軽蔑した兵士の男性。お母さんが嫌った男性の自己犠牲の精神、それは勇気か。お母さんが弄んだ男性の本質、それは絶対に父性。それらが小学生の時のわたしは好きだったと、映画を観なおしてはっとした。
 だから、わたしを抱いただけの前の男たちが、自分の生活と女とのセックスのためだったとしても、その男性たちを憎まない。わたしが悪いんだ。理想を求めてわたしから誘ったんだから。

 友哉さんのことも、恋人がずっといないわたしがしつこく誘った。恋はしていたけど、まだ愛なんかない時に。
 いきなり、セックスを迫ったから友哉さんはそれを嫌ったのか。そうだよな。若い男の子なら大喜びだけど、大人すぎるほど大人の人だ。経験豊富だから、わたしと同じことをした女に嫌な思いをしてきたのかも。
 母に忠告されていたとおりだ。

『おまえは美人だけど、口がたつだけでなんにもできない。付加価値がないと弄ばれるよ。すぐにポイさ』
と。顔だけでなんの取り柄もないと結婚してもらえないと、母は言っていた。
lineだけど友哉さんは、三年間、ずっと傍にいてくれる。
 ゆう子はそう考えていた。三年後のあのパーティーの席にいるのだから。

 それだけで、友哉に尽くす気になれる。自分も三年間、いや死ぬまで離れないと宣言しているのだから、友哉はいなくなったりしない。そう、思ってやまなかった。それに、
line友哉さんは別に冷たくないか。わたしをやり捨てた男たちは、言葉が優しくて、よく笑ってくれたけど、どこか嘘があった。友哉さんは正直で、わたしの言葉遣いが変なのも、「余

計な色気が削がれるからいい」ときちんと説明してくれた。「面白い」とか「かわいい」とか言うだけの男たちは、後になって、「その喋り方が嫌だった」と無責任に投げたものだ。
「テレビと違うからショックだ」とか彼らには言われた。友哉さんには最初の約束の言葉を撤回して、わたしをやり捨てる気配はまったくない。そもそも、あんまり求めてこないんだから、笑っちゃう。

lineバカだな、わたし。男の人の媚びた言葉に騙される女みたいだ。友哉さんは、女に媚びないだけなんだ。
 ゆう子がドラッグストアから帰ってきたら、
「ずいぶん、長い時間かかったな。お疲れ様」
と、友哉が言ってサプリメントが入った袋を受け取った。
「ドラッグストアだけに、毒にも薬にもならない男性のことを考えていた」
「なんだそりゃ。ちょっと元気にするか」
 友哉がリングをちらりと見せる。ゆう子はびっくりしたが、利恵は意味が分からないのか何も言わない。
「なんで? いいよ。あなたが疲れちゃうよ」

「いいんだ。パシリなんてふざけすぎた。ごめんな」
 リンクが緑色に光ると、いつものように、ゆう子の持病のストレスがすっと消えた。数時間の効果しかないように軽く脳を刺激しているらしく、それは、「依存性があるかも知れない。癖になったらだめだから」と友哉が言っていた。
line優しい。いつもこうだ。これでいいじゃないか。テロリストの子供を気にする男性が、友達以上の女に冷たくするはずないか。そんな人間性、本末転倒だもんな。

 ゆう子は少し不安を拭って、笑みを零した。
 ロスアンゼルス行きの便の機内に入って、三人はビジネスクラスの席に座った。
 利恵は初めてのビジネスクラスに感激していた。
「奥原ゆう子さんと旅行になるなんて、なんかびっくり。友哉さんとの関係は後回し」
と笑った。
「あまり旅行に行かないから、ゆう子がテキパキ手配してくれて助かるよ」

「なんで旅行に行かないの?」
 ゆう子がそう訊くと、
「友達が少ないから。彼女がいれば行くよ。一人じゃ、寂しいんだ」
と正直に答える。
「そんな寂しいことをdots。最後に旅行したのは、あの温泉?」
「あの温泉? ああ、そうだな。なんでも知ってるんだな」
「じゃ、四年くらい旅行してないの?」

「取材の旅行はしてるよ。彼女とはしてない。まあ、人は最後は孤独になるもんだ」
 目を少し伏せて言った。
「入院している時に誰も見舞いに来なかったから、そんなことを言うのね」
 友哉は急に笑みを浮かばせて、
「小さなことで意地は張らないで、あなた。それに編集者がやってきた」
と呟いた。「編集者」と口にしたところは離陸前の飛行機のエンジン音で利恵に聞こえていない。

「はあ? あなたって? 仕事の関係者は来るでしょ。そうじゃなくて女よ」
「女は母親になればずっと子供が愛してくれる。だが、男は子供と距離を置くものだ。または引き離される。そして女は必ず弱くなった男を捨てる。一般論だ。俺のことじゃない。親父も病気になってから女房に逃げられた。俺の母親のことだ」
「女嫌いなのは知ってるけど、そこまで言わなくても」
 利恵がため息を吐いた。

「女は嫌いだが、君たちは好きだ」
「個人主義」
 利恵がそう言い切るが、褒めたのだろうか。
「律子さん、たぶん、事故の時に付き合っていた女、友哉さんが寝落ちした時にお金を盗んだ菜々子dotsその他、皆そうだけど、それはdots
 ゆう子は大きく息を吸い込むと、
「たまたま!」

と友哉を叱った。
「だから利恵さんがきっと一緒に旅行に行くよ」
 ゆう子が利恵に視線を投じると、利恵が頷く。友哉は少し笑みを零して、口を閉ざした。

 ロスでは、転送しても疲労しない距離の場所に利恵を待たせておき、瞬間移動を繰り返しできるようにする作戦だった。それによって、仕事がはかどる。

 急に人が現れても消えても、それを見た人間は、自分の目の錯覚と思うか、マジックを使ったと思うようだった。だが、クレナイタウンから消えた松本涼子と謎の男の噂は、都市伝説のように広まり、週刊誌の記事にもなってきた。『松本涼子 謎の男と熱愛』という嘘の記事も出ていた。松本涼子本人がSNSで、「ケガをして、病院に運んでくれた人と熱愛だなんて」と書き、打撲の痕の背中の写真を水着姿で載せると、それが「色っぽい」と反響を呼んでいた。

「あの後輩。色気を使って上手く切り抜けたもんだ。だけどさ、奥原ゆう子も松本涼子も友哉さんの女だったら、いろんな男たちに刺されるよ」
 機内でその週刊誌を見たゆう子が、半ば呆れた口調で言う。
「この謎の男が友哉さんなんですか」
 利恵は週刊誌を手にして、目を皿のようにして記事を読んだ。

「友哉さんなら、高い所から飛び降りても平気そう」
「女の子を傷つけても平気な男」
 ゆう子がシャンパンを飲みながら言った。すでに頬が赤い。旅費は今回からは友哉のお金だった。飛行機は間もなく、成田を離陸する。
「片想いだったら傷つけられているって奥原さんは思ってるんですか。だったら、わたしも傷だらけです」

と、利恵が笑う。ゆう子は説教をされた気分になったが、利恵が自分も片想いのような口ぶりだったから、不思議に思って、
「友哉さんとラブラブじゃん。もういっぱいデートしてるよね」
と、冗談めかして言った。
「ラブラブじゃないですよ。プロの女って言われたし」
「プロの女?」

「過去に風俗で働いたこともないのに」
「どうしてそんなひどいことを言うの?」
 ゆう子が友哉を見た。
「女に性欲はそれほどないのに、頑張ってするからプロっぽいなって」
 友哉のその台詞に、ゆう子と利恵が目を丸めた。

「あのさ、さらにひどいこと言ってない? まるで利恵さんがお金のためにあなたとセックスしてるみたいじゃない」
 ゆう子が少し、目尻を釣り上げた。
「ひどいことを言ったのに成田にきてくれてありがとう。安心した」
 友哉はそう言って利恵を優しく見つめた。利恵はそれに気づいたのか、怒りは見せずに、
「声を大きくして言いたくないけど、わたし、それなりに性欲はあるよ」

と目を瞑った友哉に言う。
「お金をいらないとは言わないけど、あなたの財産を狙っているわけじゃない。つまり、好きな男性とは普通にえっちなことをするだけ」
「財産を目当てにしてもいいよ。最後までいるなら」
「論点はそこじゃなくて、わたしに性欲がなくて無理にやってるって話」

「利恵、そんなにムカついてるのか。あの日の後も、けっこうドライブで派手に遊んだじゃないか」
 目を閉じて眠ろうと思っていた友哉が、思わず目を丸めた。
「え? 派手に遊んだ? なーにをしてるのかなあ、そこの二人は」
 ゆう子はおどけながらも泣きべそをかいたような顔になっているが、友哉と利恵はそれを無視して話を続けている。
「怒ってないけど、奥原さんに誤解されそうで」

「うーん、じゃあ、元彼と別れてから、約二年間、男遊びをしてないとして、その間、オナニーでもしていたか。男みたいに」
「え? ま、真面目に答えるの?」
 ハスキーボイスの利恵の声がさらに裏返る。
「それとも好きじゃない男と適当にやっていたか。それなら、おまえに、女にしては強い性欲があるのを認めるよ。基本的に女の性欲は男の半分以下。いやもっと薄い。男が生涯、セ

ックスをしたい相手の数が十人だとしたら、女は一人。男が週にオナニーを四回するとしたら、女は月に一回かまったくしない。恋人がいな時に、好きじゃない異性とセックスをしたいと思うか。男は九十パーセント、女は十パーセント以下。したがって、利恵がさかんに俺に淫乱な様子を見せるのはプロっぽいってこと。風俗嬢が客に嫌われないようにサービスをするのと似ている。だけど、恋人同士だとそれを愛と言うらしい」
 昔に読んだ資料を思い出しながら語ったのか、気難しい表情を見せる。自信がない持論のようだった。

「やだな、作家さんのくせに統計学みたいな話をして」
 ゆう子がため息を吐いた。続けて、
「だったらわたしはまるで男じゃん」
と苦笑した。
「わたしの性癖はこんなところで喋りたくないから、さらっと自分でやっていることをわたしにカミングアウトしてくれた奥原さんのそれを分析したらどう?」

 利恵が嫌味を言う。ただ、怒っている様子はなく、友哉が眠そうな目で利恵のその顔を見ていた。
「利恵は怒らないからかわいいよ」
 友哉が思わず言うと、ゆう子が、
「なに、挽回しようとしてるんだ」
と友哉を睨んだ。かわいいと褒められた利恵が顔をほころばせているのをゆう子が見て、

「わたしは怒りっぽくてごめんね」
と言う。すると、
「俺は怒りっぽい女とばかり付き合ってきたから、慣れている。ゆう子はゆう子でかわいい」
と妙な弁解をした。
「うーむ、褒められたのかなんか分からない」
 ゆう子が首を傾げた。

「例えば虐待を受けた人間がサイコパスになることがあるように、もし、ゆう子がセックスのことしか頭にない淫乱な女でそれが何年も続いていたら、少女の頃になんかあったんだと思う。AV女優はほとんどが父親不在。または極端に父親がまるで男に見えなほどに弱い環境で育った女の子たちだ。それか、ゆう子が大人になってから、ゆう子の一番大切な趣味

や大好きなモノとセックスが繋げられることを誰かが教えた。しかもそれはセックスの行為の中にある一部の何か。フェチってやつだ。少女の頃に好きだったある趣味かモノがセックスに利用できると分かって、それを実行している。俺なら車さ。利恵、俺はそうだろ。子供の頃から車に憧れていた。大人になったら車でセックスをすると楽しいことが分かったんだ。

正直やめられないよ。昔、元カノが俺の車の後ろでよく生着替えをやってくれた。今はポルシェでできないけど、利恵は助手席でスカートの中の下着だけを脱いだりしてくれる。車とセックスが繋がっているから楽しくて仕方ない。ゆう子の話に戻すと、少女の頃にひどい目にあったがそれによってサイコパスにもならないで男を恨んでもないなくてセックスで何

かを忘れようとしているか、単純に何かのフェチ。それらどちらにしても、俺は嫌いとは言ってない。特にフェチは人間の証しで、頭のいい人間ほどフェチに傾倒するからね。ゆう子は天才っぽいし、それで淫乱ならこちらは嬉しい」
「言い得て妙」
利恵が頷いたら、ゆう子が、

「いろいろ当たってるから嫌なんだけど」
と顔を背けた。そしてシャンパンを一気に飲んだ。
「ゆう子は女優なのに、普段のお芝居が下手だからね」
 バカにしている様子はないが、ワインには強いがシャンパンに弱いゆう子はお酒が回っていて、注意深く友哉を見ていない。
「友哉さんさ、わたしを見ないでくれる? なんていうかな、パンドラの箱だよ」

「それは開けないでって言うんだ」
「だから、日本語の間違いもスルーしてよ。ベッドの中のわたしの間違いもさ」
「間違いが多すぎる」
 利恵がそれを聞いて、笑いをこらえるのに必死だ。ゆう子が利恵を見て、
「わたしと友哉さんが寝てることを怒らないの?」
と訊くと、

「なんか、片想いが本当っぽい」
と利恵が言って、またくすくす笑った。
「それに、話がぶっ飛んでいてついていけません。浮気相手が超人気女優だとして、もしかしたらアイドルの松本涼子とも仲が良いとしたら、いったいこの男はなんなのって心境。だからいったん、考えないことにします」
「なるほど、確かにありえない状況に陥ってるね。でも、利恵さんのお芝居もばれていて、わたしたち両方遊ばれてるかもね。本命が松本涼子で」

「彼女なら、俺は連絡先も知らないよ」
 友哉は女のお喋りに疲れてきたのか、また目を閉じた。飛行機はとうに離陸している。
「奥原さん、その通り。彼が、わたし以外の女と連絡を取っている様子は見えませんよ。奥原さんともだから、わたしが鈍感なのかもしれないけど」
「わたしは秘書だから二人のデートの時に、友哉さんに連絡はつけないの。まあ、確かに、松本涼子やどこかの女と会っている様子はないね」

「俺の芝居は、おまえたちには見抜けないよ」
 目を瞑ったままそう言うと、ゆう子が、
「松本涼子と連絡取ってないとか言いながら、その謎かけはなんなの。まあ、自信満々だけど、それは認める。台本をくれたのはトキさん?」
と言った。利恵が、
「普通、女の芝居もばれません」

と言った。ゆう子が口にした「トキ」という名前には利恵は興味を示さない。口座名「佐々木時」の名前を追求する気もないようだ。目の前の男の、目の前の持ち物、お金、職業しか見ないのだろう、とゆう子は思った。それは良いこと、と、ゆう子は頷く。
「あなたに嫌われないようにセックスを頑張るのがばれたけど、それが愛なんでしょ」
「十年くらい続けばね」
「またまた言い得て妙」
「それ、利恵さんの口癖?」
 ゆう子が笑った。そして、

「まあいいや、ちょっと女たらし、起きろ。で、お芝居をしている女のどっちのセックスが好きなのよ。どっちが好きなのか、じゃなくて、どっちのセックスって言ったわたしの優しさに気づけ。どうせ、利恵さんだしね」
と、目を据わらせて言う。友哉の体をさかんに揺すっていて、ただの酔っ払いだった。
「利恵」
「は、はっきり言った!」

 ゆう子が声を上げたものだから、通路の反対側の客が驚いてゆう子たちを見た。通路側に座っていた友哉が目を開けて、乗客に頭を下げている。ビジネスクラスの安い席で三人が並んでいるのだ。その通路側に友哉がいた。隣がゆう子、窓側が利恵だ。女性客が「あ、奥原ゆう子だ」と小さな声で言っていた。
「そんなに冷たい態度でいると、わたしは降りるよ」

「もう飛んでるって。女が二人いて、わたしとこの子とどっちが好きなのかって片方が言ったら、俺はそれを口にしなかった方を好きだと言うことをしているだけで、つまり始めから答えは決まってるの。君たち、二人ともそんなに抱いてないから。どっちのセックスがいいのかまだ分からないよ。話がリアルすぎるし、勘弁してくれって」
「ソロモン」

 利恵が伝説の国王の名前を言う。本当は、「ソロモンみたいな人」と言うものを利恵は、言葉を短くする口癖があって、それは長い言葉をすべて短縮する、この時代の流行とはどこか違う独特の喋り方だった。
「あんなギャンブラーじゃない」
 友哉は利恵の言葉遣いに慣れているのか、さっと答える。
「ソロバンでギャンブルするってこと? わたしに分かるように話してくれないか」

 ゆう子が口を尖らせると、利恵がまた声を殺して笑った。
「聖書に出てくるイスラエルの王様。利恵は読書家だから、怖いよ。男なのに文学的知識で負けたらかなわない」
「じゃあ、バカな女と付き合う?」
「イギリスは漢字で英って書くよね。普通の普は何か分かる?」
「普仏戦争の普っ」
 にっこり笑って答える利恵。

「うわ。現役の学生みたいじゃないか」
 友哉が仰天した。ゆう子も目を泳がせて、
「友哉さんが思いだせなかった問題をdots。めっちゃ、頭がいい美女が現われた」
と怯えるような小芝居を混ぜて言った。
「やっぱ、付き合うなら理系がいいかな」
 友哉がそう呟くと、

「やったよ。わたしだ」
とゆう子が言って、拳を握った。友哉が、
「俺はもててるんじゃなくて、これは罠だ。ソロモンをソロバンと言ったのはわざとに決まってるし」
と言う。
「ふふふ、確かにソロバンはわざとだよ。だけどね。ソロモンって奴は本当に知らない」
「白黒、善悪の決着を無茶なアイデアでやってのけた、後先考えなかったバカ。つまり、おまえみたいな人間」

「車の中で生着替えしてくれた元カノにふられたわけが分かったわ。まさか、自分よりも口のたつ男性に片想いすることになるなんて」
「それ、面白いぞ」
 友哉がようやく快活に笑ったのを見て、ゆう子が急に機嫌をよくした。自分の話で笑ってもらうと機嫌がよくなる女なのだ。
「奥原さん、さっきの彼の台詞。ソロモンのような判断のこと。派手にもてた男性にしか言えないですよ」

「そうかな。こんな口の悪いやつ…ぷんぷん」
 ゆう子も本気で怒っていなくて、擬音をわざと口にしている。
「女が二人いる修羅場を何度も潜り抜けてるでしょ」
 利恵がそう訊くが、友哉は答えない。
「今は修羅場じゃないけど、すでに本命は決めてるでしょ。経験豊富なあなたなら」
「決めてないよ。その権利もない。まさか、こんなにお喋りがうるさくなるとはdots。利恵も普段の三倍、喋ってるよ」

「だって、秘書さんが奥原ゆう子だよ。わたしの気持ちも察してよ」
「名前はビッグだけど、中身は意外とお粗末だから気にするな」
 友哉がそう言って利恵を慰めると、なんとゆう子が爆笑した。お粗末と自分では思っていない証拠でもある。
「利恵、パリスの審判って知ってるか」
「ワインのやつでしょ」

「この会話の流れで、そっちに行くのか。利恵も意外と面白いな」
「え? なんだっけ」
 利恵が頭を押さえて、思いだそうとしているが、ゆう子の方が、
「ワインもその違う答えも分からないんだけどdots
と肩を落とした。
「俺がパリスなのかdots
「あ、ギリシャ神話の誰が一番美人か決めるやつ」

「へえ、そんな神話があるんだ。じゃあ、決めてよ」
 ぶっきらぼうに言うゆう子。
「奥原さんが本命だと思う。さっき、一緒に歩いている時になんとなくそんな気がしました。わたしの前をお二人が歩いていたんだけど、いかにも守っているオーラが友哉さんから出ていたので。鞄も持ってあげていたし」
 利恵が、ゆう子に落ち着くように目配せしながら優しく言う。

「本命は松本涼子じゃないかなあ」
 ゆう子は動揺して、声が裏返ってしまっていた。
「本当に松本涼子ともやっちゃってるの?」
 利恵がびっくりした顔で、友哉に聞いた。
「やってない。これから会う機会もない」
 目を閉じたまま言う。
「パリスの審判なら、ちょうど女が三人になった」

 利恵が笑った。
「松本涼子を混ぜるのか。だったら、別の女神だ。すぐに怒る女神とか」
 ゆう子が思わず吹き出す。
「松本涼子って怒りっぽいんだ。助けただけなのに知ってるの?」
「助けている最中に、ずっと怒っていたんだよ。たまたま、ゆう子も一緒だった」
「それでパリスの審判がなに?」
「親父が俺をパリスだと言っていた。ちょっとした遺言だ」

「美少年だったって意味?」
「賄賂を使った女神たちに見惚れているバカだってさ。遺言でバカって言われた子供も珍しいだろ」
「そ、そんな結末の神話だったかなdots
 利恵が目を泳がせた。だが、友哉は嬉しそうだ。
「あのdots。友哉さん、亡くなられたお父様と似てる?」
 ゆう子がそう指摘すると、

「性格は似ているって言われた。良い遺伝子をもらった」
と友哉が威張って言った。
「俺よりも読書家なんだ。サラリーマンなのに。それでつまんない男だって、女房に逃げられてやんの。正直な男で、あれが小さいんだって笑ってた。女房に逃げられた原因はそっちだって譲らないんだ。中学生の俺に言うんだよ。頭、おかしいだろ」
 急に饒舌になった友哉を見た利恵が、
「ファザコン?」
と言った。ゆう子は、

「同じ人生を辿ってると思う」
と、肩を落とした。
「俺が教えてやるから地獄で待ってるって言ったけど、女房に逃げられたくせに偉そうだ。しかも、地獄かあの世にどうやって聞きにいけばいいのか分からない。死ねってことか。めちゃくちゃだよ」
「いや、友哉さんも同じようなことばかり言ってるけどdots

 ゆう子がそう指摘したが、友哉は嬉しそうだ。
「まあ、マザコンよりはずっといい」
 利恵がくすりと笑った。
「そういえば、ゆう子、お父さんは大丈夫か。仕事で邪魔したようで悪かった。あ、利恵、ゆう子のお父さんは体調が悪いんだ」
「そうなんだ。奥原さん、心配してくれてますよ。ギリシャ神話のおかげで話がまともになってきた」

 ゆう子に微笑みかける利恵。
「あ、うん、大丈夫よ」
「一人にしておいて大丈夫なのか。介護施設には入れないんだ?」
「うん。大丈夫よ。介護士を雇っているの」
 ゆう子は、食事をしながら三杯目のシャンパンを飲んでいた。
 飛行機はロスアンゼルスへ約八時間の長旅だが、ゆう子は利恵を気にして、友哉には手を伸ばさない。友哉の席のテーブルの上に手作りのポーチがあり、彼がその中からサプリの錠剤を取り出して飲んだ。さっき、ゆう子が買ってきたサプリの一部も入れてあった。

line利恵さんは手作りの品が作れるんだ。趣味なら尊敬する
 趣味ではなく、男性に気にいられたいために練習したなら、わたしとは恋愛の価値観は違う。
 料理ができるのも裁縫が得意なのも男性に気に入られるための付加価値にすぎないじゃないか。「愛してる」と言って、抱きついていればいいんだ。
 ゆう子は利恵の手作りのポーチを見て、そう考えていた。

『これはわたしの記憶だから』
 ワルシャワでゆう子は、テロリストが日本人の観光客らを襲った事件のことをそう説明した。
 友哉は成田空港に来る前から、ずっと気分が優れなかった。美女二人のお喋りが雑音にしか聞こえない。
line未来人なんかいるわけがないと思った。だが、あのAZのゆう子の記憶ってなんなんだ。

 AZは本当は事件を予測する最先端の犯罪予知Ai。それがゆう子の性格を分析して、ゆう子の気にいらない事件を予測、探しだし、事件が起こる前に優先的に表示する。そしてゆう子が言うように、ゆう子のいる場所の近くも優先する。きっと友人、知人も。なのに、
lineどうして松本涼子が自殺未遂をした事件に気づかなかったんだ。同じ芸能界のことなのに。

 友哉は首筋に気持ちの悪い汗をかいていた。まるで、命が関わる事で大きな勘違いを犯したかのようなショックを受けた直後に出る汗。
line俺の推測は間違っているかも知れない。トキは本当に未来からやってきたのか。AZの謎は、トキが未来人だと決定したら、解消する。すべて解消する。

 涼子の転落をAZがまったく予測しなかった。つまりAZは事件や事故を予測する装置ではない。本当にゆう子の記憶が入っているだけなんだ。トキが三年後の未来から、ゆう子の記憶を採取して、AZにインプットした。
 なのに、肝心の記憶が入っていない。芸能界の後輩が街中で転落を起こす事故だ。新聞沙汰にならなかったからか。なぜ、ならなかったんだ。そう、俺が助けて、瞬間移動で消えたからだ。そしてゆう子のマンションに行った。

 それもゆう子は驚いていただけで、AZに俺が気絶する事態も表示されていなかった。涼子がテラス席から転落し、ゆう子の部屋に行くまでの一連の出来事は、すべてゆう子の記憶にないものなのか。
 ゆう子は、トキに見せられた俺の記憶で、涼子のことを晴香の姉と勘違いしているが、トキは涼子を知っている。なのに、涼子が転落するほどの事故をトキが持ってきたAZはゆう子に教えなかった。

lineゆう子の記憶にない事件とはなんだ…。なぜ、突風で涼子が転落するんだ。そんな事故があるなら、世界中のベランダは使用禁止だ。
 涼子のストーカーが涼子を突き落としたとして、その瞬間を俺が見落とした。しかし、それもおかしい。ゆう子のAZはなぜ、そんな凶悪な人間を検知しなかったのか。ワルシャワでは正確にテロリストを捕捉していた。俺のリングは危険を知らせていたのにdots

 答えが出ずに、友哉はまた別の苛立ちを耳の奥に感じた。耳鳴りがする。小さな蝉が耳の中にいるようだった。
lineなんで俺がテロリストと戦わなければいけないんだ。これからは自分だけの、自分のための人生にしようと決意したばかりなのに。

 最初はトキという男の冗談かと思っていた。だが本当だった。三百億円と美女が報酬ならそれもいいか、とも思うが、危ない橋を渡ることを風に流されるようにしてしまっている。そう、この美女二人がテロリストと戦うための報酬だとしても、正直、癖のある女たちだから、逆に疲れが出ている部分もあり、命を落とす確率が高い戦いをする価値がある美女なのかどうかも分からない。

 テロリストや凶悪犯を命がけで駆除する仕事の報酬の美女なら、会っている時はすべてに隷従するような女が理想だ。セックスの奴隷という意味ではなく、さっとお茶を淹れて、食べたい物は何か丁寧に訊く。読みたい本を買ってくる。どこか王様に仕える執事のような女。それでいて、セックスはもちろんするが、その前後、この二人はもっと優しくできないのか。いや、そんな女はどこにもいないか。

 この二人は、英雄や大統領や国王に仕えるための教育を受けてきた女ではなく、突然、それをやらされようとしているのだから。
 そうは言ってもdots
 セックスが終わったら、次の生活にさっと移るのは生きるため以外の『やること』を山ほど作った人間の悪癖だが、せめて愛の言葉を上手に言う。まだ愛してなくて恋なのなら、楽しくそのときめきを喋ってほしい。

 利恵が、ゆう子との関係をしばし保留してくれたのは嬉しいが、セックスを淫乱に頑張るのは目的があることをはっきりと言っていてそれは結婚かお金。きちんとした家庭を持ちたいのかもしれない。
lineだったら、利恵はあきらかにトキからの報酬の女ではない。
 自分が一目惚れをして口説いた女なのだ。世間によくある恋愛をしないとだめじゃないか。

 何しろ、
「フェラーリは買わないの?」
と二回、訊かれたのだ。

 しかし、フェラーリを買えるその財力はトキから与えられたものだから、友哉は、お金持ちの対応をしたのではなく、「このお金は預かっているようなものだ」と、余計な贅沢はできないことをほのめかした。利恵がトキとは無関係の女なら、自分が働いたお金で、きちんと付き合わないといけないと、友哉は思ってやまない。もし、トキと関係があるテロリストと戦うための報酬の女なら、もっとリラックスさせてほしい、ということだ。

 利恵のこれまでの姿勢なら、ロスアンゼルスのホテルで、部屋を三人、別にしたいとか言い出すような気がする。もちろん、三人がスイートルームだ。そこで、また、三百億円の説明をしないといけなくなる。「これは遊ぶためのお金じゃない」と。
 そんな悩みと、そして日本にいる涼子と晴香が急に心配になり、ロスアンゼルスに行くのは気が進まなかったが、日本人が多く犠牲になっているとゆう子が言うから、仕方ない。

 ゆう子が嫌と言えばやめるが、
lineそうか、ゆう子が「次はロスアンゼルスです」と、秘書らしく命じたから行くのか。
 友哉は目をつむったまま首を傾げ、今回で終わりにしよう、と思っていた。

 ロスアンゼルスのロデオドライブにあるホテルに三人は着いた後、すぐに周辺の探索を始めた。ゆう子は何度か訪れたことがあるようで落ち着いて街並みを眺めていたが、利恵が有名映画に出てくるホテルやらに興奮して、ちっとも歩を進めない。

「利恵、仕事が終わってから観光しようね」
 友哉がそう言うと、
「なんの仕事?」
と首を傾げながらも、嬉々とした表情を崩さず、陽射に向かって顔を上げた。
「眩しい。ヤシの木、高級車、ルイヴィトン!」
 まさに、輝く笑顔を作った利恵を見たゆう子が、「かわいいねえ。なんで友哉さんと出会った時に彼氏がいなかったんだ。ありえないわ」と妙な愚痴を零した。

「おい、なんでこんな場所にホテルを取ったんだ。利恵の思う壺じゃないか」
 ゆう子に耳打ちすると、
「利恵さんがこういう場所が好きだなんて聞いてなかった」
と口を尖らせた。
 乱射事件が起こる大学から、もっとも近いホテルまで数キロあって、転送をすると体力を戻すまで八分もかかると聞かされた友哉は、その八分が怖くなり利恵を同行させることにしたのだ。

「ようは、大学の近くのホテルにしようと思っただけだもん。わたしだって、なんか買って帰りたいし」
 ゆう子の言葉に、友哉が溜め息を吐いた。
 大学の近くにカフェがないか探していると、都合よく昼間から営業している小さめのバーが見つかった。カフェと比べて安全性も高い。人が少ない店はテロリストは狙わないのだ。
「この距離なら、ワルシャワの時とあんまり変わらない。大丈夫?」

「学校とここがだよね? ホテルとはけっこう離れている」
「だんだん、慣れてきてるから、そんなに体力を失うことはないよ」
「まあ、確かにガーナラに慣れてきた感覚はある。事件当日、営業しているか聞いてみよう」
 コソコソ話していると、利恵が笑みを消して、少し苛立った表情を見せた。
 店内に入ると、初老のマスターが、「やあ、初めて見る顔だ。でもこの店は日本人の学生のたまり場だよ」と快活に笑った。ゆう子と利恵を学生だと思ったようだ。

「まさか、事件が起こるのは日本人学校なのか」
「違うよ。普通の大学だよ。ロスは今でも留学先に人気だからね。日本人は犠牲になってると思う。わたしがよく覚えているのってみんなそうだよ。ワルシャワのもそうだったから」
「さっきからコソコソなんの話をしてるんですか」
 利恵が怪訝な表情を見せ、持っていたビールのグラスを置いた。
 友哉とゆう子は、利恵にどのタイミングで秘密を話すか打ち合わせをしていて、それが今だった。

 だが、ゆう子は利恵の不機嫌な顔を見て、別のことを考えていた。
line悪い人間をやっつけたい。こんなチャンスが訪れるなんて。
 バーボンが入ったグラスを握りしめる。
「昼間からバーボンか」
 友哉の呆れた声も耳に入らない。ゆう子は興奮していた。
 偉そうに道徳を口にして、平気で人を騙す偽善者たち。そう、あの憎むべき母のような人間だ。

 母は近所で評判の善い人。綺麗ごとばかり言いながら騙した男の数はきっと数えきれない。しかも結果そうなった恋愛ではなく意図的だった。俗に言うと、「わざと」だ。
 今思えば欲求不満だったのだろう。夫、つまりゆう子の父と寝ている様子はなく、子育てにも積極的ではない。お酒、煙草dotsだが、英会話を習っていて、「万が一の時のために」と口にしていた。色っぽい服装のまま、英会話のテレビを熱心に見ていた。

「沖縄で少し覚えたしね。黒人はいいよ。セックスは。愛の言葉は熱心で、それでいてあれが太くて大きくて。慣れるまでは痛かったけど」
 ゆう子にあからさまにそう言うと、古くなったソファで寝ている夫を軽蔑するように見た。
「あんた、彫が深い美少女でしょ。あっちの血が少しは入ってるよ。お母さんの、お母さんが米兵らやられたからさ。その子供がきっとわたし」
「だからなに?」

「なんなの、その反抗的な目付きは。だからね。お母さんと同じになるって意味よ」
「顔でしょ」
 そう指摘すると、またびんたがゆう子の頬を叩いた。右手の中指に指輪をしていて、それが頬骨に当たると、ゆう子は鼓膜が破裂するかと思うほどの激痛で涙を滲ませた。
「敬語、使うんだよ。こういう状況は」

 美人だった母、奥原アンリはヒップのラインを強調した服装やミニスカートでわざと満員電車やバスに乗り、痴漢をやりたそうな男を探し、触ってもらって楽しんだ後、叫び声をあげ、その痴漢を駅員に引き渡すプレイを月に何度もやっていた。酔うとその話を楽しそうにする。「街は楽しい。頭の悪い男がいっぱいいる」と。なのに翌朝は、近所の子供たちのために、交通係りのパトロールに出かけていた。「ゆう子が交通事故に遭わないように」と、優しく笑っていた。

 今で言う出会い系のような風俗で男を見つけてはセックスをし、お金をもらい、そのお金を寄付して自慢をする。しかもお金を母に渡した男は必ず貶められていた。「三人は離婚させた」と、また酔うと自慢をする。小学生のゆう子には意味が分からないと思ったのか、話し相手が欲しかったのか、男のことで何かあると饒舌に語っていた。ママ友には話せないような悪行だったからだ。「それはお母さんが悪くない?」と言うと、頬を思い切り叩かれた。反抗的な目を少しでも見せると、時にはお腹を蹴られた。

「男は女の体が目当てなの。ゆう子も大人になれば分かるよ。いや、高校生にでもなれば分かるかな。あんた、美人だからもてるよ。男はセックスだけをして結婚する気がない。いい男は皆そう。ひどいもんよ」
「お父さんは?」
「だからお父さんのようなしがないサラリーマンとしか結婚できないの。お母さん、美人だけど、二枚目でお金持ちは美人にさらに付加価値がないと結婚してくれない。ま、沖縄にはお金持ちもいなかったしね。もっと早く東京に出てきたかったよ」

 ゆう子が小学六年生の時に、一家は東京に出てきていた。
「お母さんはお父さんの仕事で東京にくることができたのに」
 ゆう子が首を傾げながらそう指摘すると、
「お父さんの手取り二十八万円がこの美貌と体と不釣り合いなのよ。あんたもそのうちに分かるって」
と言って、娘のゆう子を足から頭までを舐めるように見ていた。こんな話になると、目を気味悪く笑わせながらゆう子を見る。いつもの癖だった。

「かわいいねえ。あんた、美人だから若いうちならその体に一億円以上の価値があるよ。処女のまま、お金持ちを探しなさい。学校の教師とか、金のない男とやったら大損だよ」
と言うと、自虐的に自分を指差した。
「そんなお金いらない」
「あはは。じゃあ、男に何を求めるの? まさか幸せ?」
「強くてかっこいいから、それでいいんだ」
「あら、言うわね。誰を見て言ってるの? お父さんだったら大笑いよ」

「戦ってる男のひと」
「あんた、お母さんに対する嫌味だよね。殺すよ」
 母が目を釣り上げたのを見て、ゆう子はさっと顔を両手で隠した。
 米兵が嫌いで沖縄から出てきた母のその話をずっと聞かされてきたゆう子は、戦争映画の勇敢な男たちを見て、彼らに憧れるようになっていた。反抗期だったのだ。
「戦って家に帰ってきた男のひとを慰めるのが、女の役目だと思う」
「戦争映画の影響? それで女優になりたいとか言いだしたのか。そんなの昔の話よ」

「お父さんだって、仕事から帰ってきたら疲れてるのに」
 ソファでぐったりしている父は、まさに過労死寸前だった。妻アンリは何も介抱もせず、父は腹が空くと、自分でコンビニに弁当を買いに行っていた。
「全然、戦地から帰ってくる男とは違うよ。ただのサラリーマンじゃないの」
「わたしとお母さんを養うために頑張ってるのに」
 ゆう子の言葉に、母はまさに爆笑した。男の前では口に手をあてて笑うが、奥歯まで丸見えになった。

「才能がない男が頑張っているのを見て騙される女になるね」
「頑張ってるのに、才能がない?」
 ゆう子が首を傾げていると、
「頑張っているようでいて、時間の使い方が下手くそなだけ。疲れているのは自業自得。才能がある男はそつなく仕事をこなすの」
と教えて、ゆう子の頭を軽く叩いた。「バカだね、あんた」と言う。

「あんた、美人になるから酷い目に遭うよ。覚悟した方がいい。あんたをかわいい、かわいいと言いながら弄んでポイってね。合法レイプってやつよ。セックスは男にレイプされるか、女が男を騙すか、その駆け引きなのよ」
「違うと思う。お母さんが沖縄で見た悪い兵隊さんたちはたまたまで、かっこいい兵隊さんたちの方が多いと思う。クラスの男の子たちも優しいもん」

 ゆう子がそう反論すると、また殴られた。平手ではなく拳を作っていた。
「なんて口のたつ子供なんだ」
「お母さんは、なんでわたしを殴るの?」
 歯が折れたような気がして、口の中に指を入れて、歯が残っているか確かめながら言った。
「あんたが子供のくせに、母親を批判するからでしょ」
「男のひとが悪いって、一方的に言うんだもん。疲れてるだけなのに、何が悪いのかわかんないもん」

「じゃあ、わざとセックスで男に嫌われるようにしなさい。そう、淫乱になるといいよ。男たちはあんたを射精に利用して、家事が得意な貞淑な女と結婚するから。それで男の本質が分かるってものよ。もし、セックスと顔だけのあんたと結婚する男がいたら、お母さん、あんたに謝るよ。その男がお金持ちだったら土下座して、沖縄に帰るよ」
「セックスと顔だけじゃないもん」

「なに言ってんの。こっそりとアダルトビデオを見てる子供が。自分でそこ触ってるの、知ってるよ。母親を舐めんなって」
 ゆう子の母アンリはそう嘲笑すると、近くにあったティッシュボックスをゆう子の股間に投げつけた。
 東京の郊外にある社宅のマンションの部屋は荒れていた。掃除はゆう子がしていて、父は遅くまで働いていた。父の下着もゆう子が洗濯していたのだ。

 母アンリは主婦で、料理も作らず時間が余っている時は男を探しに行っていた。少し掃除をすると、「美人は家事をしなくていいのに」と愚痴を零していたが、ママ友にはそんな傲慢なことは絶対に口にしない女だった。
 ゆう子は母と男性論で口論をするようになった小学生の五年生頃から、ポルノの漫画を読むようになり、父が見ていたAVもこっそりと見るようになった。
「淫乱な女ってどんな女だろう」

 母がそんな女だと察して、痴女が出てくるAVをよく見ていた。どちらかと言うと女が積極的になるセックスだ。
 ペニスが早く欲しいと哀願し、精子を顔や口で受ける女たちだった。時にはそこに男は数人いた。あるAV女優のブログを読んだら、
「今日も興奮した。わたしは本当に男性が好きだなあって思う。監督が射精しなかった男優さんを蹴らなければ最高の職場。いっぱいいっぱいセックスしたい」

と撮影日記に書いてあった。
lineああ、ここまで男性を好きになりたいな、お母さんとなんでこんなに違うのかな。
と、ゆう子は羨ましくなった。
 ゆう子は憎らしい母親に対抗する決意でいた。母が男性を憎んでいるなら、自分は死ぬほど好きになると。
 料理や裁縫など、まったくできなくても体と精神だけを愛してもらうんだ、と考えていた。
 そう、母の忠告を覆したかったのだ。

 それと、女がしつこくセックスを求めて男が戸惑うセックスは、大雑把なゆう子には女がとても楽しそうに見えた。
「なんかわたし、男のひとが媚びるセックスも嫌だし、女が媚びるセックスも嫌だし、セックスがよく分からないんだ」
 高校生の頃、ゆう子はクラスメイトの女子たちとそんな話をした。
「男の子の言うことを聞いた方がいいよ。口に出したいとか言われたらさ。じゃないと嫌われるじゃん」

 経験がある女子の一人がそう言った。
「そういうの愛じゃないよね。媚びてるよ」
「媚びてるんじゃないんだよねえ。中に出されるよりマシだし、ブスはそれなりに頑張らないと。あのさ、ゆう子は美人だから何をやっても許されるよ。もうすぐ女優になるんでしょ」
 クラスメイトたちはそう言って、げんなりした顔を見せた。
 初体験は高校を出てからと、美人にしては遅かったが、ゆう子はさして好きでもない先輩と淫乱に自分本位のセックスをして、母の予言通りに抱き捨てられた。

line抱いてくれたから今から好きになろうとしたのに。…だけどわたしはその男のひとたちを貶めたりしない。
 そして母に反発して、強い男性に対する憧れが強かったゆう子は、抱き捨てられたとはいえ、その男たちのペニスの力強さに夢中になっていた。
line痴女のように攻めてるのに、逆に押さえ込まれてしまう。すごい。
 男によってはペニスの力だけで、ゆう子を動けなくした。

 愛のないセックスは嫌だったのに、それが女の体の芯を痺れさせることが分かったゆう子は、きちんと恋もしないまま、二十歳を過ぎ、女優業をやりながら、酒、煙草。そして、時々、酒に任せたセックスの日々を過ごした。好きな男性が出来ず、セックスはそれほどしていない。
 恋ができない事情は別にもあったが、たまのセックスはセックスから始まる愛、そして結婚を目指した暴走だった。
 ちょうどその頃にパニック障害を患い、さらに酒浸りになってしまった。そしてセックスをしなくなって二年ほど過ごした後、友哉と出会った。

 ゆう子は、いぶかしげに自分を見ている友哉をちらりと見た。また、
「バーボンなんか飲んでいたら、例の話ができなくなるぞ」
と叱られる。お酒は、セックスの時以外は控えるように、友哉から注意されていた。
「怒った顔がイケメンだね」
「ほら、酔ってきた。利恵、水をもらってきてくれないか」
 友哉が、ゆう子のグラスを取り上げると、利恵が、片言の英語で水を頼みながら、カウンターまで歩いた。

 成田空港で見た佐々木友哉は、母がきっと見惚れるような紳士的な二枚目で、トキから得た強さがもし本当なら、まさに英雄だった。トキは、「友哉様が復活すれば、テロリストなど赤子の手を捻るよりも簡単です」と笑ったのだ。ガーナラが精力を増幅させることも知っていたゆう子は、
line早くセックスがしたい。力強く抱いてもらいたい。

と飛行機の中で興奮していた。バスルームをなぜ覗かないのか、と叫んだり、強引に口の中に射精をしてもらったのも、友哉にすぐに捨てれたくなくて、進んで体を差しだした形だが、それはクラスメイトたちが言っていたような媚びではない。必死というやつだ。お芝居じゃないし騙してもいない。抱かれた後、男性に捨てられたくないだけだ。
『ブスは頑張らないといけないんだよね』
 クラスメイトはそう言ったが、自分は性格ブス。

 男にやり捨てられるのはそのためで、セックスは関係ない。胡坐をかきながら、煙草の煙を男に吹きかけていては嫌われて当然だった。口から煙をはきながら、厭世主義を口にしたと思ったら、セックスの下品な話をしてトイレの排泄までも見せびらかす。オシッコをしながら愛の言葉を言ってみせ、
lineセックスと顔だけで結婚してよ。
と試していたのだ。

 母親との闘い。すでにこの世にいない母との長い闘い。気が遠くなるようなdots
 暖かい季節に部屋で裸になる癖や行儀の悪さは母親の影響ではないが、佐々木友哉と出会い、「これを頑張って治した方がいいかな」と悩んでいた。だが胡坐をかいてお酒を飲んでいるのを友哉が嫌い、部屋から出ていくことはなかった。痴女のようなセックスは少し嫌そうだが本気で怒ったことはなく、帰国後、マンションでの約二週間も優しかった。

line顔とセックスだけで、こんなに優しくしてくれている。見たか。遂にきたぞ。
 初めて、長い期間、男性に優しくしてもらった。パニック障害を気遣いすぎて、力強く抱いてくれないのが不満だが、「女を次々にレイプできるようなケンカの強い男が、それをわたしにはせず、超優しい。お母さんさ、早く謝りに来なよ」とあの世にいる母親に毒づいた夜もあったが、それでも母はきっと、「その男がかっこよくても、あんたの周りには凶悪な男がいっぱいいる。その男もじきにあんたを捨てる。そのうちに泣くことになるよ」と嗤うだろう。

 米軍基地の兵士が怖くて、沖縄から九州に逃げた母の口癖だったline
 母に似た劣悪な女たちと暴力で人を平気で殺す男たち、どちらも懲らしめたいと思って生きていたが、そんなことはできないはずだった。ところが、未来の男からもらったAZという装置と友哉の銃を使えば、それが可能なのだ。
 ゆう子は、AZの画面を見ながら、日本で起こる凶悪事件や誠実そうな男性が女に貶められる事件を毎日、それこそ寝るまも惜しんで探していた。

 凶悪な男と劣悪な女を友哉さんに退治してもらう。奴らがいなくなれば、わたしの勝ちだ。あの傲慢で自信たっぷりだった母に勝てるのだ。そんな途方もない夢を持った。
「ユートピア」
 ゆう子が虚ろな目でそう呟くと、友哉がまた、うんざりした顔をした。
「利恵にする話は今夜にするか」
「利恵さん、わたし、ユートピアを作るんだ」
「ユートピア?」

 利恵が怪訝な顔つきを見せ、ゆう子を覗きこんだ。
「劣悪な女とテロリストみたいな男たちがいなくなる世の中」
 ゆう子がそう言うと、友哉が間髪入れずに、
「ふざけるな。テロリストが目指しているのもユートピアだ」
と言って、ゆう子の酔いを冷まさせた。まさに冷水を浴びせた形になった。
「へ?」

「ユートピアは独裁者が目指すものだ。テロリストの夢も自分たちの宗教の世界を築くユートピアだ。ゆう子のように善人だけの世界を創る夢があるのも、無政府のユートピアや若者だけのユートピアを目指すことになって、結局は誤って多くの人を殺すことになる。直接、手を下さなくても、別の土地に追いやる過程で、餓えや病気で死なせることになる。妙なことを口にするな」
 友哉の冷静な怒りに、ゆう子は思わず、「すみません。抱いてください」とオロオロしながら言った。冗談に聞こえたのか、友哉はさらに不機嫌になったが、利恵が、

「奥原さんは酔った勢いで抱いてほしいって言ったけど、大人の知性とオーラが出てた。なんでそんなにスラスラ言えるの?」
と友哉を見つめた。
「ゆう子の性格を脳にインプットしているから、くだらない思想を言いだすのは想定内だ」
「ふーん、あなた、何者?って言いたくなる。映画の台詞みたいだけど」
「ごめんなさい。酔いは冷めました。今から何者か教えるよ」
 ゆう子が利恵を見て、頷いた。

 昼間とはいえ、店内はバーらしく暗かった。女性ボーカルのジャズが流れている。オリジナルとは違う『青い影』という名曲だった。
「利恵さん、わたしたち、世界征服を企んでいる秘密結社の人間なの」
 ゆう子のいつものくだらないジョークに、友哉は笑うこともできずに顔を下に向けた。
「ごめんなさいとか言ってて、それか」
 利恵が呆気にとられているのを見たゆう子は、AZを目の前に出してみせた。
「え?」

 利恵が声を上げた。
「マジックみたいでしょ」
 画面の日時情報に触れると、十六日にロスアンゼルスの大学で銃を使ったテロ事件がある文書が浮かんできて、それにも利恵は目を丸めた。死者の数が十人強など、大雑把な詳細がタブレッドの表面に浮かんでいる。
「文字が3Dみたいに浮かんでるけど」

「天井まで飛ばせるよ。わたし、夜にベッドに寝ながら、部屋でプラネタリウムを見ているみたいに、AZから出る話を部屋の空中で読んでる。あまりにも目に優しいし、疲れないから夢中になってしまう。だけど、今それを見せると店の人たちがびっくりするね。秘密結社は嘘よ。これは未来の人からもらった、これから起きるテロや凶悪事件を予知するエーゼットって名前のAiなの」
 利恵は言葉を失っている。

「それを阻止するのが友哉さんで、あ、銃は出したらだめだよ」
「出すわけないよ」
「友哉さんは特殊な拳銃を持っていて、こんなふうに取り出せて、敵と戦うんだ。実はワルシャワのテロリスト殺人事件の日本人は友哉さんなの」
「ええ?」
 利恵が甲高い声を上げたものだから、バーのマスターが目を丸めた。

 ゆう子が英語で、「ごめんなさい。気にしないで」とマスターに微笑みかけた。
「本当にあのテロリストを撃ち殺して消えた謎の日本人が友哉さんだったの?」
「そうだよ。殺人犯なのにネットでは逆に人気になってるから、わたしは悪い気はしてないよ。外交問題にもなってないね」
 ゆう子が笑った。
「アメリカがマークしていた過激派組織の一員だよ。それを片付けちゃったの?」
 利恵が、友哉の肩を揺するようにして掴んだ。

 頷く友哉。だが特に自慢げになる様子もなく、無表情だ。それを見たゆう子が、
「クールでしょ。このひと、何がどうなったら楽しい人なのか分からないんだ」
と、ゆう子が呆れた顔をした。
「人を殺して楽しいはずがない」
「真面目だね。友哉さんがもし、アメリカの軍の人なら勲章ものだよ」
「青い空と海をくれ」
 友哉かポツリと言った。

「なに言ってんの?」
「都会のイベントと執筆で缶詰ばかりの人生だから、後半はのんびりしながら、海亀と美女を見て暮らしたい」
「わかったよ。海亀の縫いぐるみ買ってあげる」
 ゆう子は友哉の願望を聞いておきながらその言葉を軽視して、話の続きを始めた。
「利恵さん、このひとはつまり、殺人犯とも言える。どうする? 降りる?」
「え? 殺人犯じゃないよね。世界中で絶賛されている」

 利恵が失笑した。
「OK。彼女、偽善者じゃないね。さすが、友哉さんの彼女」
 友哉にそう言うと、利恵は黙って頷いた。友哉が少し嬉しそうな表情を見せていた。
「桜井真一って刑事にもマークされているから、利恵さんの迷惑にならなければいいけどdots
 ゆう子がそう言うと、
「ここに連れてきたのが、もっと迷惑だと思う」

と友哉が苦笑した。
「大丈夫。なんか買ってもらう。奥原さん、ブルガリの指輪してるし」
「日本より安いからブルガリのネックレスやスカーフも買ってもらえば? でね。一見すると、スーパーマンだけど、疲れたらセックスしたり、女の人に触ってもらったりしないと死んじゃう体なんだ」
 ゆう子は意地悪っぽく、
「本当に死ぬのよ。発狂死、または突然死」

と言った。
「また言う。そこを強調するなよ」
 友哉が、瞼を重くして息を吐きだしたのを見たゆう子は、「ごめんなさい。利恵さんにそこを説明しないとだめだったから」と頭を少し下げた。
「で、未来の人がどうしたの?」
 利恵は少しだけバカにしたように笑った。
「友哉さんが事故で車椅子の生活をしていたのは知ってる?」

「うん。ちょっと聞いた。それで奥さんと離婚になったって」
「リハビリを続けないと歩けない体だったのに、未来からきた人が一瞬で治してくれたのよね?」
 ゆう子が友哉の顔を見た。彼が黙って頷いた。
「体を治した代わりに、テロリストたちと戦ってほしいって言われたらしいの。他にも大事なことはあるけど、とりあえず今日はそれでロスに来たんだ。わたしも未来人からそれを聞いて、友哉さんの秘書になって、その仕事をしてるの。ちょうど女優を休みたいと思ってい

たから別にいいなって」
「じゃあ、本当にセックスだけの関係だったんですね」
 利恵はテロや未来人の話を脇に置き、恋愛の方に関心を示した。
「厳密に言うとそうかな。片想いは嘘じゃないし、もっと複雑だけど」
「片想い、ありがとう。で、何が複雑なんだ」
 友哉はそうは訊くが、言葉とは裏腹に関心がなさそうで、ゆう子は、ちらりと友哉の顔を見て、続く言葉を飲み込んだ。「鈍感」と唇が動いていた。

「片想いをしてやってるのに、バカにしやがって」
 ゆう子が毒づくと、
「バカにしてないよ。ありがとう」
と、また礼を言う友哉。だが、ゆう子は不満そうだ。すると、友哉が、「さっき、俺の夢を無視してくせに」と子供みたいな顔で呟いた。
「聞こえない。もっと大きな声で文句を言って」
 ゆう子がそう叱ると、ふて腐れてしまう。利恵がその様子を見ていて、

「うーん、やっぱりカップルに見える。セックスだけdotsセフレじゃなくて、友哉さんを好きなんですよね。そういう記者会見だった」
と言った。
「うん。まあ、そんな話は今度でいいよ。このひと、誠意がないからさ。むしろ、わたしはあなたのウエストが何センチなのかが気になる」
「は?」
 利恵が目を丸めた。

「すまん。奥原ゆう子は適当に喋り続ける三流女優なんだ」
 友哉がそう謝ると、
「さ、三流女優? 主演女優賞を取ったことがあるのに」
 ゆう子が体を大げさに傾けるほど驚いた。
「その小芝居が三流。主演女優賞じゃなくてリアクション大賞なんじゃないか」
 友哉のジョークに利恵がくすくす笑っている。
「上品な笑い方をするよね。で、何センチ?」

「55かな」
 またゆう子がのけぞった。今度こそ、椅子から落ちるほどだ。
「頑張ったら54か3になりますよ」
「頑張らなくていいよ!」
「おまえは?」
「60。頑張ったら62か4なるよ」
「今のは今までで一番面白い」

 友哉が笑ったのを見て、ゆう子が勝ち誇ったように不敵な笑みを零した。
「で、あなたに仕事を手伝ってほしいのは、今、友哉さんの彼女だからだけど、わたしが一人じゃ支えきれないから、一緒にサポートしてほしいわけ。友哉さんが倒れたら、セックスで回復させてほしいのよ。セックスができない時は触ったり、見せたりするのもいいんだ。美女なら元気になるから単純な男よ」
「俺の批判を合間に入れないでくれ」

「もちろん、利恵さんは友哉さんの彼女で、わたしは秘書って立ち位置は変わらないから。dotsなんて言うのかな。嫌ならいいのよ。仕事だからね」
「嫌と言うか。未来の人って本当なの? なんで、友哉さんとゆう子さんがテロや凶悪事件と戦うんですか」
 ようやく、重要なそちらに話が移った。
「本当に未来の人かな。わたしはそう思っているけど、第三者に問われると断言できないね」
 ゆう子が友哉に聞いてみる。

「なに人でもいいよ。足も治ったし、金ももらったし」
 ゆう子も「そうだね」と呟いた。
「三百億円はそのお金? つまり成功報酬なの?」
「そうだ。いくら体を治してもらったとはいえ、そんな危ない橋を渡るはずない。金があるからテロリストと戦うわけだ。この仕事が終わったら、その金で南の島でセミリタイヤだ。もし、俺が急に気が変わったら、おまえの銀行にある三百億円が消えてしまうかも知れない。だから一応、引き受けた仕事はする。本当にあるよね? おまえの勤めている銀行に」

「うん、ある。ササキトキの名義で」
「しかも存在しないから、非課税」
「佐々木時さんはどこにもいないけど存在はしているよね。国税局がやってきた」
と利恵が教えた。
「国税? テロと戦うために寄付してくれた人生の最後が立派な男の金を国が奪ったら、俺は本気で怒る。ふざけんな」
「ひい。落ち着いて」
 ゆう子があからさまにおどおどと落ち着きを無くす。

「本気で怒ったらどうなるの?」
 利恵がまた軽蔑するように笑った。友哉は何も答えず、ゆう子が、
「まあ、わたしの力と合わせて、国税局が消滅する?」
と、頭を人差し指で掻きながら言った。
「そこまではしない。税金で購入した高級車を全部壊して回るよ。利恵の言うように、本当は存在しているから法的に凍結は無理だ。つまりササキトキは今は行方不明みたいなもん。

桜井さんに、ササキトキは行方不明者として死亡証明書の書類を作らないように言ってある。なのに、国が勝手に押さえたら国との裁判だが、有名弁護士五人に大金を渡して、国税が動かないようにしている。弁護士に三年間、時間を引き延ばすように頼んだ」
 軽い口調だったが、眠そうだった目の奥が鋭利に光り、ゆう子と利恵が驚いた。
「知らなかった。いつの間に。なんなのその用意周到な行動力」
 思わず声を上げるゆう子。

「そうだったんだ。銀行に国税局の人たちがやってきたら、すぐに弁護士軍団もやってきて、びっくりした。弁護士たちは社長が呼んだんだけど、友哉さんが手を回していたのか。男のひとって怖いなあ。でもお金はだいぶ減っていた。そんなに弁護士に渡したの? 別の口座に移した?」
「リスク回避した。株や金に変えたんだ。当たり前だ。そして利恵、俺の口座を勝手に見るな」

「勝手に見られません。うちの社員の男が調べようとしていたの。うちのお金を使いこんでる噂がある男。彼が社長に呼ばれて専務と尋問した時に、友哉さんのお金だからって、わたしも立ち会ったの。その時に三百億円じゃなくて、二百億円って話になっていた」
「なんだ、その姑息な奴は」
「なんだって、言われても。わたしの斜め後ろに座っている若い上司」
「斜め後ろ? そんな奴が利恵に触ったら、病院送りにする」

「道徳も語らないし、悪いこともしない不思議な男性と思っていたら、やっぱりワルだね。そして、利恵さんは僕だけの女ってことか」
とゆう子が言った。それでいて気にしていない様子で、淡々と話を続ける。
「トキっていうその未来の男の人が言うには、友哉さんはトキさんのご先祖様で、まあ、本当かどうかは分からないけど、友哉さんは天才的なケンカの達人らしいよ」
「ケンカは嫌いだって」

「よく言うよ。高校生たちを病院送りにしたのはなんで?」
「え? そんなことも知ってたのか」
 友哉が大げさに驚く、少し顔色を変えた。利恵も目を丸めた。
「飛行機の中で見つかった文献。不思議その一、なんで高校生たちをリンチしたのか。不思議その二、なんで友哉さんは逮捕されてないのか」
「トキが作ったその文書が間違えている」
 友哉が気を取り直して言う。

「俺は手を出してない。彼らが勝手に病院にトコトコ歩いていったんだ」
「そのままま読むね。友哉様は約三年前に、事情があって高校生五人を病院送りにしました。火傷、裂傷、顔面骨折。私たちが力を与える前です。今は人が変わったように内向的になっていますが、卑怯な人間を目の前にすると怒り出すので、ゆう子さんのジョークがしつこくてくだらないと怒るかも知れません」
「妙なオチが入ってるが、トキがそんなことを言うのか」

「このテキスト。実はトキさんじゃないんだ。でもね、その人の名前をまだ言ったらだめだって。なんでもアンロック方式だよ」
「アンロック方式?」
 利恵が興味津々、AZを覗きこんだ。
「時間が経って、物事が解決していったら、友哉さんの秘密や、未来の人たちの隠し事が出てくるの。つまり、わたしが思うには、友哉さんがロスに来ている今、少しは復活してきた

から怒らせないようにってこと。だから昔に不良高校生たちを五人一度に病院送りにしていますよって急に出てきたんだ」
「なるほど、奥原さんのジョークがくだらないと怒りそうね」
「利恵も意外と面白いな」
「だって、くだらないから」
 利恵がさらっと言ってのけ、ゆう子が、利恵を見て言葉を失った。

「な、なんて言うのかな。軍の隊長になって、作戦を完璧に成功させるタイプ。そうね。どちらかと言うと頭脳派かな。そして、わたしが友哉さんのために選ばれた女。そうなんでしょ」
 気を取り直して説明するゆう子。
「少々お喋りだが、あなたにぴったりの女性ですと、トキに言われたが少々じゃなかった」
「え? そんなこと言われたの? 他には」

「他は身長や指輪のサイズ。実はスリーサイズは知っていた。さっき、ウエストは60って言ってたけど、太ったのかな。82、58、83。過去のことは知らない。女性のセックスや恋愛の過去は教えられないってさ。真面目な未来人だ。それに女優って知らなかった。その記者会見とやらは新聞で読んだけど、興味なかった」
「そうだったんだ。でも、そんなにお喋りじゃないけどな。トキさんはそう言って、わたしを友哉さんの秘書に無理にしたけど、女は別に利恵さんでもいいのよ。もしかすると、松本

涼子でもいいんだよね」
 ゆう子がそう言うと、
「おまえじゃないとだめだと思う」
 友哉が間髪入れずに言った。ゆう子の目が一瞬輝いた。曇っていた空から太陽の光が零れたようだった。
「奥原さん、告白ですよ」
 利恵が微笑んだ。ゆう子は利恵のその余裕が癪に障ったが、素直に喜んで、
「わたしじゃないとだめなんだあ」
と体を揺らしながら微笑んだ。照れすぎて顔が真っ赤である

「海外旅行に慣れてるから」
 ゆう子が体の動きを止めて、テーブルの下で友哉の足を蹴った。
「ケンカしないでください」
 苦悶の表情を浮かべている友哉を見て、利恵はおかしそうに笑った。
「ゆう子、おまえ、お喋りじゃないのか」
「うん。いつも物事をしっとり考えている女だもん。言葉遣いが男の子みたいだって言われるけどね」

「自覚って言葉、知ってる?」
 友哉はため息を吐いた。
「あれ?」
 ゆう子がAZを見て、
「その日に成田でも事件があるなあ。困った。どうすることもできない」
と呟いた。
「どんな事件?」

「なんかの騒ぎがあって警察官が亡くなっている。成田空港だからわたしの記憶にあったみたい。巻き込まれた人もいなくてテロとかじゃないから仕方ない」
「そうか。成田なら覚えていて、どうしてクレナイタウンの松本涼子の自殺未遂は知らなかったんだ」
「え? それは…彼女のことを知らなかったから忘れたんじゃないかな。死亡してないから、きっと記事が小さかったんだよ」
「なるほど」

 友哉は利恵の顔を見て、
「君は事件当日、このバーで待機している。俺が上手くいかずに疲れたら、この場に飛んでくる。客がびっくりするかもしれないからトイレに来るかも知れない」
と言った。
「トイレの位置情報を入力しておくね」
 ゆう子がトイレに向かった。

 利恵はトイレに向かったゆう子から目を離すと、

「飛んでくるって?」
と、友哉を見て言った。
「SFでよくある瞬間移動だ。それをやると病的に疲れるし、戦っている時も疲れるんだ。疲れるって、普通の人間がエナジードリンクを飲んだらすむレベルじゃなくて、体が鉛になって、全身の血を抜かれたような貧血が続いて気絶してしまう。それが女のセックスや色気で回復するんだ。そんな超人になる薬を、足を治すために未来人を自称する男に投与されて、だから二階から飛び降りても平気なんだ」

「セックスもすごいもんね。ずっとたってる」
「おまえ、女の子が歓ぶような優しいセックスよりも激しいのが好きだからよかったよ。でも普通のセックスもできるので」
「うん。分かってる。普通のもやってくれてるもんね。二階から飛び降りて、松本涼子を助けたのは本当なんだ。かっこいい」
「本当だけど、やっぱりその後、意識を失った。オリンピックに出たら世界一の記録を出せそうだが、その瞬間に死ぬと思う」

 利恵はおかしそうに笑った。
「なんかしたくなってきた。部屋、別々にしない? きっとスイート空いてるよ」
「言うと思った」
 利恵は友哉に命じられてスマホのロックを解除した。ゆう子も友哉も解除している。何かあった時に、皆のスマホを使えるようにするためだ。
 利恵がロックを解除していると、ゆう子が戻ってきた。
「スマホのロックを解除してるの? 元彼の写真やメールを削除しておかないと、友哉さんに見られるよ」

と笑った。
「そんなのないよ。奥原さんのジョーク、時々笑えません。あの、瞬間移動ってこのひと簡単に言ったけど、そんなこと可能なの?」
 利恵の質問に、ゆう子が、「ここで説明するの?」と、うんざりした顔をした。
「スマホで撮った画像が一瞬で、日本の友達に届くでしょ。それと同じよ」
「人間では不可能」
 利恵が断言する。

「友哉さんはプラズマシールドって言うので体を覆われるの。それもこの時代にもあるらしいけど、トキさんの時代では皮膚の一部になるような高レベル。そのシールドで友哉さんの体全体を包んで光の速度を超えて飛んでいくから、人には見えない」
「ゆう子、画像を送るのと理論が違ってる」
「あれ?」
 ゆう子がAZを覗きこんで、首を傾げた。
「だって未来の技術は難しくて分かんないもん」
 口を尖らせる。

 友哉が珍しく、ゆう子を愛しそうに見ながら笑った。
「俺の感覚だと混在している技術だ」
「混在?」
「光の速度を超える。原子レベルに分解されて情報化されてまた元に戻る。そしてワームホールを通る。着ている洋服と肉体は別の技術で運んでいるかもしれないんだ。例えばdots
 友哉が左手の人差し指に嵌めていたリングを外し、足元に落とした。しかし、そのリングが友哉の指にあった。

「あれ?」
 利恵が目を丸める。
「これは利恵が人間では不可能と断言した原子レベルの分解を行った本体とコピーの行き来だ。投げたのも本体のリング。戻ったのも本体だと思う。コピーは俺が無意識に消去していて、だから落としたリングは消えている。トキの時代でも肉体は原子レベルに分解して元に戻せないのかもしれない。そこで転送と言っているけれど、実は光の速度を超えて移動しているだけかもしれない」

「障害物は?」
「光の速度を超えるなら、障害物がない場所を探している間でも現実の世界では一秒以内だ」
「壁に囲まれていたら?」
「そこでワームホールを造るのかも知れない」
「造る?」
「そのエネルギーに疲れるってことだ」
「そのエネルギーはどこにあるの?」

 利恵がそう言うと、
「あ、友哉さんに投与されたガーナラだ」
とゆう子がAZを見ながら即答した。
「そんな強大なエネルギーが友哉さんの体の中にあるの?」
「ガーナラ自体はそんな爆弾みたいなものじゃないけれど、リングのレーザーパルスと連動すると、大都市の電力を一瞬で消費するほどのエネルギーになって、それでワームホールを造るらしい」

「意識を失うほど疲れるはずだ。もう、勘弁してほしい」
 友哉がうなだれてしまった。利恵も憐憫を覚えたのか口を閉ざした。
 カウンター席に、日本人の女の子が二人いつのまにか並んで座っていて、一人がこちらを見ていた。学生のようだった。ショートヘアの女の子はマスターと談笑しながらお酒を飲んでいたが、隣のジーンズの女の子がじっと友哉たちを見ていて、しかも口をぽかんと空けている。利恵がそれに気づいて、「奥原ゆう子にびっくりしてますよ」と、ゆう子に教える。ゆ

う子と友哉が体をカウンターの方に向けたら、
「やっぱり、お父さん?」
 真っ青のジーンズの女の子が口に手をあてて、絶句した。
 別れた妻、律子との子、晴香だった。

「まずい展開。どこかに転送する? いったん、そこのトイレ?」
 こんな時にも冗談を口にするゆう子を友哉は尊敬してやまないと思う。

「おお、晴香じゃないか」
 バツの悪そうな顔で眉毛のあたりを掻きながら、落ち着いた口調で言うと、ゆう子が、「あんた、感情あるの? 何があったら驚く男なのさ」と、ため息を吐いた。
「律子がいなくてよかった」と言い、神経質に店の中を見回す。
「あっそう。なるほどね。感情を出すのは昔の女が現れた時ね」
 ゆう子が眉を潜めた。

「お母さんはいないよ。なんでロスにいるの? 追いかけてきた?」
 晴香が椅子から離れた。友哉には近寄らず、そのまま立ちすくんでいる。
「追いかける?」
 友哉が首を傾げたら、利恵がそれを見て、
「お父様は仕事でロスにいるんですよ。わたしたちはお父様の仕事のアシスタントです」
と機転を利かせた。

 晴香は父親の友哉と利恵、そして、ゆう子を舐め回すように見ていた。母親と離婚した父が、若い女二人と外国のバーにいる。娘がショックを受けるのは当然で、利恵がそれを素早くフォローしたのだ。
「でも、その人は女優の奥原ゆう子さんですよね。片想いのお相手はdots
「あdots
 利恵が、そうだった、という顔をする。晴香の友達も、「わあ、奥原ゆう子だ」と色めきだっている。ところが、事態はすんなりと好転した。
「そっか。お父さん、映画の撮影に参加するんだね。奥原さんの最後の映画とか」

 晴香は、父が書いた小説が映画化になり、その映画にゆう子が出演すると思ったのだ。それはとても自然だ。
 しかし、今度は利恵の方が首を傾げている。友哉が小説家とは知らなかったのだ。
 それを見たゆう子が、「めんどくさいなあ」と言い、息を吐きだした。
「休養前の最後の映画でーす。わたしたち、ロケ現場に戻るね」
 そう嘘を言って、ゆう子が友哉と利恵に店から出るように促す。

「おい、晴香」
 ゆう子に背中を押されながら、娘に振り返る友哉。
「おまえ、もう留学したのか」
「違うよ。お金もないし、ただ、夏休みに先輩に会いにきたんだ。なんでハガキ、読んでないの?」
と言って、隣にいるショートヘアの女の子に目を向けた。
「ハガキ? その先輩、お酒飲んでるけど」
「中学の時の卓球部のOBで二十歳」
「そうか。とにかく早く日本に帰るんだ」

「もう帰る。お父さんと一緒にいたら不幸になるから明日には帰るよ」
「良かった。気を付けて」
「あのさ」
「なんだ」
「お父さんがいなくなってから、友達から晴香は優しくなった。笑うようになったってよく言われるよ」
 晴香には笑顔はなく、声色は落ち着いていた。

「それで?」
「ほーら、嘘を吐くなって顔した。でも嘘じゃないよ」
 隣に座っている先輩が、「ケンカしないで」と小声で言う。
「嘘じゃないけど、それが最近、バカにされてるんだって思うようになった。付き合いやすいってこと。男の子にもさかんに口説かれるよ。姓を変えなければよかった。佐々木のままが良かったよ。怖い作家の父親がいなくなった。口説きやすくなったぜって感じ」
と言って、うんざりした顔をした。

 表に出た三人は、
「びっくりした」
と、口々に声を上げた。
「きつい一言を言われたね。不幸になるって」
 ゆう子も利恵も、晴香のその容赦ない言葉に驚いていたが、
「男に口説かれるのは困るなあ。それに俺は怖くない。優しいパパだよ」
と、友哉はそこだけしか気にしていない様子だ。

「パパ? 娘さんが、あんな性格だから奥原さんが口が悪いのも気にしないんですか」
 利恵が覗きこむように友哉に訊いたが、「なんか違うよ」と、苦笑いをした。
「すごい美少女。夢の映像より鮮明だわ。当たり前か。現実だもんね」
 ゆう子が店の扉を見て唸るように言った。
「夢の映像?」
 利恵が首を傾げたが、ゆう子はそれを無視する。
「ちょっと離れると治安、良くねえな」

 友哉が、急に声色を変える。店を挟んだ向こう側の大通りの一角にヒスパニックの男が数人いて、こちらをじっと見ていた。
「怖いです。パパ」
 利恵がわざと「パパ」と言い、友哉の手を握った。
「しまった。身長とスリーサイズを聞いてくる」
 ゆう子がそう言って、また店内に入っていく。
「あいつ、なんで晴香のスリーサイズを聞くんだ」

「さあ、洋服をプレゼントしたいんじゃないかな」
 利恵が店を見ながら言った。すると、入れ替わるようにマスターが出てきた。
「治安が悪いって? この店にいれば安全だ。だけど、あっちに行けば急に危険になる。皆知ってるから大丈夫だ。私は東京に行ったことがある。歌舞伎町の手前は安全だった。それと同じだ」
「ありがとう。学生の女の子をよろしく」
 友哉がそう言うとマスターは笑って店の中に戻った。

「ゆう子、そういえば松本涼子にも聞いていた。何かAZで調べてるのかな」
 友哉が首を傾げると、
「レズなんじゃないですか。いいじゃないですか。両方OKなら、三人でもできるし」
と笑う利恵。
「娘とゆう子とか。無理、無理」
「娘は混ぜない。わたしも無理。でも、女がいっぱい必要なんでしょ」
「利恵、またパパって呼んでくれないか。そのプレイをしよう」

「気持ち悪いから、一回につき、モンドクラッセの高級中華」
「OK。そういう話ならいくらでも金を出す」
「その顔で変態なのがドン引き」
「デブで変態なら引かないのか。変わった女だな」
「違うって! デブの変態も嫌だ。友哉さんはなんか天然だよね?」
 利恵が頭を抱えた。
 ゆう子が戻ってきた。

「どうして晴香の身長やスリーサイズを聞くんだ」
「レズだからです」
「ほら」
 利恵が勝ち誇った。友哉は、絶対にゆう子はふざけている、と思った。
「他に何か話したか?」
「何も話してないよ。仕事で女性のスリーサイズとか研究してるって嘘を言っただけで。だって不機嫌だったし」

 ゆう子がそう答えたのを聞いて、友哉は安堵した表情を作った。

 LAは日本の企業が多く、留学先としては人気だ。南部で気候もいいし、メキシコも近い。ディズニーランドもあった。高級車も多いが、銃を使った事件も頻発している街だ。
「友哉さんは本当は小説家なんだ。佐々木友哉dotsん? どこかで聞いたことがdots
 ホテルに着いたら、早速、利恵から難詰される。

「どうした?」
「ま、いっか。奇妙な話ばかりで考えるのも疲れてきた」
 ゆう子はシャワーを浴びに行った。普段、ゆう子は異常にシャワーが長いが、旅先ではどうだろうか。早く出てきてほしいと、友哉が利恵を見ながら溜め息をついた。
「すまん。騙していたわけじゃないよ。今は休業しているし」
「いいんだけど、全部教えてくれないと、これからの仕事も手伝いにくい」
「これで全部だと思うよ。君は銀行にある金のことも知っているし。奴らが未来人かどこかの科学者かは俺たちもよく分からないんだ」

「未来人なんかいるわけないでしょ。SF映画じゃあるまいし。極秘に最先端の武器を研究、開発している機関の人間が、あなたを日本人の中から選んで、テロリストと戦わせて、何か企んでいるのよ。それか、その極秘に動いた人間が追われている立場で、あなたに助けてほしいってわけ。それも、あなたが何かの才能があるから」
「そうだよな。俺もそう考えている」

「その報酬のお金、わたしにもくれる?」
 利恵は旅行鞄の前に上品に座ると、洋服を出して、
「洋服も下着も靴も足りない。できれば良い化粧品も」
と、強い口調で抗議した。
lineびっくりした。何億円か寄越せって言ったのかと思った。洋服かdots
 精神的に参っていて買ってやる暇がなかった。何しろ、女性の洋服選びは長くて疲れる。

「飛行機の中でゆう子さんから聞いた。ゆう子さんは、友哉さんの好みの下着や服をいっぱい持ってる。今日もきっと持ってきてる。わたしは、ずっと前から自分が持っているのだけ。差別だ。だからゆう子さんの方が本命なんだ。まあ、当たり前だけどね。あっちは大女優だし」
 利恵がこんなに感情を剥き出しにするのは珍しいことだ。ゆう子が秘書というのも無理がある。記者会見で、友哉が好きだと言っているのだから。友哉はそう思い、

「ゆう子は買ってもそんなに着てくれないよ。基本的にブランド志向なんだ。それに、あいつは自分で買ってくるんだ。そう、あいつ、お金も暇もあるから。すまん。君にはまとまったお金を渡しておくよ」
と謝った。
「うん。とりあえず百万円くらいほしい。いっぱい洋服と化粧品買うから」
「わかった。後でネットから振り込むよ」
「事件が解決したら、友達のお土産もあなたのカードで買って。わたしは手取り二十五万円以下だよ」

「俺のカード、ゴールドのままで上限も百万円なんだけどdots
「えっとdots
 利恵がおでこに手をあてて、呆れ返った表情を見せた。
「天然が入ってるよね、ホントに。なんか、会話がちぐはぐ」
「ブランドの鞄とかネックレスを買ったら、あっという間に百万円超えそうだ。どこが天然なんだよ」
「友達のお土産に百万円以上、使うの?」
「あー、なるほど。そうか。ちなみに、俺は別にケチってるんじゃなくて考えている暇がなかったんだ」

「わたしはロスにしかない下着と服とお菓子を買う」
「下着はサイズに気を付けろよ。おまえだと子供のでぴったりだよ」
「マジで?」
 利恵が目を丸めた。子供のリスが動かなくなったようなかわいらしい顔つきに変わる。
「利恵よりも痩せてるアメリカ人の女性、一人も見かけなかったぞ」
「うーんdots。キャラもののパンツか。コカ・コーラの文字入りとか」

 腕を組んで、まさに唸り声を出した。「女は本当にかわいいな」と友哉は思った。それにしてもdots
 『マリー』とやらは、男が二股をかけたり、身勝手をしたりすることも、何もかも許す女にするわけではないようだ。
 ゆう子のことで怒っているここで、マリーの効き目を解除したらどうなるのだろうか。
 今になって、利恵を危険な目に遭わせるかも知れないこの仕事は良くないと思うようになった。利恵を待機させるバーに、ナンパ野郎が入ってきたらどうするのか。

line突き抜けてタイプの美しい女でこんなにセックスのいい女も初めてだが仕方ない。帰ると言い出したら黙って日本に帰そう。
 友哉は、利恵の肩に手を置いた。
 リングが緑色に光った。もう一度、同じように脳下垂体を目指して光らせる。連続して同じ光を与える事がその効果を解除する方法だ。リングが、光を与えた人間に負荷がかかると判断し、自動的に与えた光を取り除くのである。脳を刺激、またはハッキングしていた効果が消える。

 友哉は、利恵に与えていたマリーを解除した。
「なによ」
「いま、俺のことが好きか」
「は? ずっと普通に好きよ。あのねえ、二股は今のところは許すけど、はっきりしてね。両方好き。両方遊び。ゆう子さんが好きでわたしは遊び。その逆」
 頬を赤くしながら、早口でまくしたてた。
「はっきり言ったらどうなるんだ?」

 利恵の様子が変わらないのを見て、友哉はほっとした。それに伴い、利恵に愛着も出る。成田からずっと二人が並んでいるから比較してしまうが、ゆう子とはまさに正反対の女。
 ゆう子は大らかに裸になり、それはとても新鮮な自分だけのストリッパーだった。時には半裸のまま日常の生活を進めようとするくらいだ。下着だけで冷蔵庫を見て座っている。その時胡坐をかいていることもある。パニック障害のせいで、トイレのドアもあまり閉めない。

わざと覗きに行ったら、「わあい、見ていいよ」と笑った。犬のように舌を出して、「口に出して」と哀願し、自分から足も開く。コンビニで夕刊紙を買って戻ってきたら、玄関でお尻を突き出して待っていたこともあり、ゆう子はそんな淫乱な行為を見せる時に、じっと男を観察する目付きをしていた。淫乱な行為のどれかは芝居なんだろうな、と分かる。どこかの男と比べて、試されているように思えたが悪い気はしなかった。健康的な美しい肉体と美貌

に厭きることはなく、特に丸くふっくらしたお尻と太ももは福を呼ぶような温かみがあった。羞恥心が欠落したその様子も、言葉遣いが明るく楽しいから無邪気でかわいらしい。
 一方の利恵は足を揃えながら洋服を脱ぐ。利恵は内股を崩したことがなく、ベッドから出るとさっと乳房も隠す。そして見たいと言うと、また素早く少しだけ見せる。トイレの様子など絶対に見せないが、こちらが当たり前だ。ベッドの中では、快感に熱中していて、そのセ

ックスは男が若さを取り戻し、何度も覚醒してしまうほどの快楽。しかし、そんなセックスの天才の彼女はベッドから出ると途端に日常に戻った顔つきになる。ドライブ先でのセックスも、「それをするよ」と計画すれば乗り気になるが、急に頼むと嫌がる。セックスのことも含め、ゆう子がフレンドリーなタイプで、利恵は少々融通が効かないタイプである。しかし、セックスのオンオフがはっきりしている利恵は、とても女らしく見えた。

「はっきり言っても変わらない。友哉さんは独身でお金持ちだしね。優秀な男なら、女が何人かいても不思議じゃない」
「優秀なのか。そりゃ、どうも」
「なにそれ。まあ、今まで出会った男性の中では一番頭はいい。妙な哲学をスラスラ喋ると思ったら、まさか小説家だったなんて。イケメン小説家は怖いな。女優キラーか」
「どっかで聞いた台詞dots

「ん? よく言われるの? ますます怖い。んdots
「どうした?」
 利恵が部屋の壁の一点を見つめて、首を小さく傾げさせた。
「イケメン小説家は怖いな。女優キラーか」
とまた言う。
「しつこいなあ」
「イケメン小説家は怖いなdots。姉妹丼dots

「姉妹丼? なんなんだ」
 うんざりした顔をした友哉に目を向けると、利恵が、
「なんか、懐かしい台詞でdots
と呟いた。
「懐かしい?」
「わたし、小説家と付き合ったことも会ったこともない。だけど、友達とこんな話をしていた記憶がある感覚」

「子供の頃に見た映画かテレビドラマにあった台詞じゃないか。俺にもそういうのはあるよ。姉妹丼は夢だけど、おまえにもゆう子にも妹はdots
 友哉が言葉をあからさまに止めたのを見た利恵が、
「別の女にいるようね」
と睨み付けた。
「まあ、今までに出会った女に、妹や姉がいた人はいる。そんなの当たり前だ。そして姉妹丼の経験はない」

line涼子に妹がいるがdots。ほとんど会話もしたことがない。イケメン小説家は怖いな、は涼子の口癖だがdots
「ま、いっか。あなたが、最終的にはゆう子さんと結婚するならしばらく愛人でもいいかな」
「正直でいいな。仕事の上の二股だが、君たちを大事に想っている。ゆう子とも仲良くしてほしい」
「分かりました。男らしい二股。そんなことないか」

 利恵は、少し呆れた表情を見せた後、しかしはにかんで、旅行鞄の中から、下着や化粧品を取り出した。バスルームの様子を窺うかのように、そちらに目を向ける。「部屋、もうひとつ取ってよ」と、また言った。
 ゆう子は出てくる気配はなかった。

 バスルームの中でAZを開いたゆう子は、「晴香ちゃんがいたのは偶然じゃない。こんなに広い世界で、そんなことはありえない。本当に帰国するのだろうか」と声を震わせていた。

 震える指で、事件が起こった学校の詳細を表示させた。
 犠牲になった日本人名がゆう子の目の前の空中に浮かび光った。緑色の文字である。自分の記憶だからか、名字だけ、名前だけ、カタカナなど、正確性はまったくなかった。
 dots今は佐々木晴香じゃないって言ってたか。律子さんの旧姓はなんだろうか。
 バスルームの扉がノックされた。利恵だった。
 ゆう子はAZを消失させて、「なに?」と返事をした。

「まだですか。わたしも早く浴びたいんだけど」
「一緒に入る?」
「ゆう子さん、本当にレズなんですか」
「バイセクシャルだよ」
 声の震えを隠すために、笑いながら言った。
「奥原ゆう子と一緒にお風呂に入るのは無理です。緊張します」
 曇りガラスの向こうに見える利恵は、怒っている口調だった。

「じゃあ、三人でできないねー」
「そうやって、いつもふざけてるから、友哉さんが本気にならないんですよ。早く出てくださいね」
 やはり説教される。
 ゆう子は、「冗談が服を着て歩いてる女が、彼は好きなんだよ」と言ってやろうと思って、扉に目を向けたら、そこには友哉の影があった。
「あ、いいところにきた。別れた奥さんの旧姓を教えて」

「なんで? おまえ、早く出ろよ。利恵が怒ってるぞ」
 女がホテルに二人いて、一人がバスルームを独占していたら、もう一人が激高しても仕方ない。
「教えてくれたら出るよ」
「喜多川。北の川じゃなくて、喜ぶ多い川」
 ゆう子はもう一度、AZを出し、日本人の犠牲者の名簿を表示させた。
【キタdotsカ】

 断片的な記憶の中に、酷似した名前が表示されている。七文字のうち三文字が一致していた。
「な、なんでいるのdots
 ゆう子は魂を抜かれたような顔で、扉を開けた。裸のゆう子を見た友哉は驚いて、
「なにやってるんだ。利恵がいるんだぞ」
と声をあげた。友哉はその勢いで扉を閉めようとしたが、ゆう子の真っ青になった顔を見て、
「どうした。発作か」と訊いた。すぐにゆう子の背中を擦った。

 ゆう子のパニック障害は密室で息苦しくなる症状も含まれているから、友哉は咄嗟に彼女に優しくした。
 AZは消失させていなくて、ゆう子の足元に落ちていて、ただ事ではないのが分かる。利恵がいなければ、乳房の心臓に近い左を愛撫するのだが、今、利恵にそれを見られると、こんな時に軽々しい男だと誤解されると思った友哉は、ゆう子の背中を擦りながら、バスタオルを左の手で掴んだ。
「晴香ちゃんがAZにある犠牲者名簿に載ってるのdots
 ゆう子は泣き出してしまった。
「なんdotsだってdots

 友哉はゆう子にバスタオルをかけたが、その手は震えていた。
「どうしたの?」
 利恵がやってきた。
「犠牲者の中に晴香がいるらしい」
 気丈な面持ちで、利恵に伝える。
「え? 帰国するって言ってたのに」
 ゆう子の足元に落ちている茶褐色のAZは水に濡れていて、利恵は「防水なの?」と言いな

がらも、その自分の空気を読んでいない言葉に気づいていないほど、つまり悪意もなく、目が泳いでいるほどだった。しかし、気を取り直すと、近くにあったタオルを手にして、泣いているゆう子の顔を拭いた。
「な、なんだかわかんないけど、あれは事件を予知するタブレットなのね。じゃあ、娘さんをこのホテルに連れ込もう」
 利恵が床に転がっているAZを見ながらそう捲し立てた。狂ったように頷くゆう子。

「バーに転送できるか」
 ゆう子の肩を叩くと、彼女は力なく頷いた。
「利恵、一緒に行けるか。疲れるのは俺だけで一緒に飛ぶ女は何事もない。松本涼子ともやったが、彼女は元気だ」
「あ、あのトイレか。だめだめ、お断りします。怖すぎる」
「そうだな。じゃあ、一回、見学していてくれ。ゆう子、それでいいか」
 ゆう子が頷いた次の瞬間、水がさっと蒸発するように友哉が消えて、利恵が「ひっ」と、声

をあげた。友哉が転送されたのを見たゆう子は震える手でバスローブを取った。それを着終わった時に、指輪を使った通信が友哉から入った。
「すみません。見てなかった」
「いいんだ。バーにはもういない。戻してくれ」
 ゆう子はAZで監視するのを忘れていた。すぐに友哉をホテルの部屋に戻す。リビングで、床を踏みつけたような音がした。
「すごい。これが友哉さんの体の負担になるのね。当たり前か。時空を飛んでるんだから」

 友哉に駆け寄ると、まさに息苦しそうな顔をしている彼に口づけをした。
「ありがとう。でもこういう時はkissは息が出来なくなるから辛い。触らせてほしい」
 友哉がそう言うと、利恵が腰を友哉に寄せた。
「ありがとう。利恵さん、その調子でdots
 その様子を見たゆう子がそうお礼を言う。疲れ切った表情の友哉に、ゆう子も近寄り、友哉の手を取って、乳房を触らせた。
「晴香ちゃんのショックがあって、余分に疲れたね。強がってそれを見せないし」

 母親のような口調で慰める。
 利恵は、友哉の手がゆう子の肩に伸びて、その手の指にあるリングが緑色に光ったのを見ていた。
「友哉さんの指輪が緑色に光ったけど」
「え? あなたに見えるの」
「仲間には見えるんだな。きっと赤い色も」
 友哉が笑った。
「あ、なんてことをdots

 ゆう子は自分が気分がよくなっていることに気づいた。まるで、医療用大麻を点滴で入れられたみたいだ。
「晴香のことで発作を起こしただろ。娘のことでありがとう」
「利恵さん、この人、リングの力でわたしを元気にさせたの。それで余計に疲れてdots
 分かっていたのか、利恵は上着を脱ぎながら、落ち着いた様子で、
「二人とも、もっとくつろぎましょう」

 そう言って、キングサイズのベッドに皆で入るように促す。ゆう子は利恵の微笑みを見て、恋敵としては危険だけど、頭が良くて仕事では信頼ができると、安心した。

 友哉が完全に元気になったのは、それから一時間後だった。
「こうやって、友哉さんを元気にすることを『回復』ってわたしが名付けた」
 ゆう子がそう言った。

 三人は、テーブルを囲んで話し合いをしていた。ゆう子は珍しくお酒を控えていて、利恵はグラスでビールを飲んでいた。友哉は炭酸水。
「回復させるって口にした時は、わたしたちライバルとかじゃないからね。利恵さんいい?」
「その時は彼を愛したらだめって約束ですか」
「違うよ。愛さないと回復しないから。回復させるから一緒にトイレに行ってやってくるとか、回復させるからわたしの前でやるとか、その時は嫉妬しないって約束。そういう場面での言葉にして使ってね」

 利恵が笑顔で頷いた。友哉を見て、
「さっき、戻ってきたらシャツが汗で濡れてた。大変だね」
と言った。友哉は、「冷静さを欠いた。バーに電話するとか、タクシーにすればよかった」と、苦笑いをした。
 友哉は晴香の連絡先を知らなくて、もう晴香とは連絡が取れない。
「律子が最近、晴香の携帯の俺からの着信を拒否にしたんだ。携帯の電話番号を変えた時に、一応、律子と晴香には知らせたけど、いきなり繋がらなくなった。晴香の携帯は律子が管理している」

「離婚するとなんでそんなに男性に厳しくなるのかな」
 ゆう子が露骨に嫌悪感を示す。世の中にか、律子にか、友哉には分からなかった。
「ハガキとか言ってたけど」
 利恵がそう指摘すると、
「新しい住所は知らせた。その後、ブロックされたんだ」
と友哉が教えた。
「そんなことよりも、こんな偶然があるはずはないよ」

 ゆう子はそればかりを疑っていた。友哉は、
「晴香が犠牲者になっているなら、未来にトキがいるのがおかしくないか」
と反論する。
「あんまり言いたくないけど、晴香ちゃんが亡くなった後に、友哉さんが誰かと子供を作るんじゃないかな」
 ゆう子がまっとうな意見を述べた。すると利恵が、
「ゆう子さんとの子かな」

と真顔で言った。
「違う。違う。絶対に違う」
 ゆう子の目が本気だった。
「君ら、そんなことよりも晴香を助ける方法を考えてくれよ」
「方法も何も、ワルシャワの時みたいに頑張るしかないのよ」
 ゆう子が言った。
「トキさんって人が、本当に友哉さんの子孫の未来の人なら、晴香さんは友哉さんに助けられて、未来が変わっているんじゃないかな」

「じゃあ、今の時点ではトキさんは存在しなくない? わたしたちの前に現れたんだよ。晴香ちゃんが死んでるなら、わたしたちが晴香ちゃんを助けてから存在するんだよね。dotsそれに仮に無事に晴香ちゃんを助けたとしたら、わたしと友哉さんが、三年後のパーティー会場まで頑張る必要もない。晴香ちゃんだけ生きていればそれでいいんだから」
 ゆう子が頭を抱えた。
「パーティー会場? それはなんですか」

 利恵が、二人に対して交互に目を向ける。
「俺もよく分からないんだ。こいつが説明しないから」
 友哉のその言い方が気に入らなかったのか、ゆう子が目を吊り上げた。
「パーティー会場の様子は断片的にしか見えないの。友哉さんの過去と一緒」
「未来人に友哉さんの過去を見せてもらったんだ」
 利恵は羨ましそうに言った。
「ほとんどの女性関係を見られてしまっている」

「見たくて見たんじゃない」
「じゃあ、温泉だ、松本涼子の写真集、持ってたって、いちいち口にするな」
「ケンカしないでよ。わたし、あなたたちのケンカを止めるために来たんじゃないのに」
「ごめんなさい」
 ゆう子が俯いたまま謝る。一瞬、怒気を見せていたのに、しゅんとなった。
 友哉はそんなゆう子を見て、生意気なことばかり言っていたと思ったら、こうして、急に寄る辺のない少女みたいになってしまうのはなぜだろうか、と首を傾げた。

 すぐに「ごめんさない」というのは、何かのコンプレックスがあるのか。男だけではなく、女性にもこうして急に謝るのか。
 そう、セックスが終わると、「ありがとうございます」と頭を下げる。痴女っぽくてサディストの気配があるのに、終わったら土下座をする勢いで頭を下げるのだ。
 神妙な「ごめんなさい」も、セックスが終わった後の真剣な「ありがとうございます」も、
line女を代表して言っているように見える

 これまでの会話から、同性の女嫌いなのは明白。この時代の女が嫌いだから、「わたしのような女もいます」と、俺に教えたいのかも知れない。そんな時は奇妙なほど物静かに美しい日本語でそれを実行しているからか、健気に見える。
 友哉がそんなことを考えていると、
「結局、松本涼子の写真集を持ってるんじゃない。そっちも偶然?」
と利恵が友哉を凝視した。

「アイドルや女優の写真集と絵画は一緒。写真集は手っ取り早く買える芸術なんだよ。俺の趣味だ」
 語気を強め、真顔で言うと、利恵がその勢いにたじろいだ。
 ゆう子がため息を漏らしながらパーティーの説明を始めた。
「なんかのパーティーは、最初、皆楽しそうにお酒を飲んだりしていて、友哉さんとわたしはとっても仲良くしていてdots最初にその映像を見せられて、わたしは感動したけど、テロリス

トに襲われるのか、皆、倒れて血だらけになるんだ。その中にわたしもいるし、友哉さんもいる。わたしはそのパーティーで初めて友哉さんに出会ってるわけだから、重要なのは、友哉さんと晴香さん、それから友哉さんと結婚する人よ。考えれば考えるほどわたしは存在理由がない感じ」
「存在理由がないってdots
 利恵が、ゆう子を疑わしく見る。
「襲撃されること以外に何かないのか」

 友哉は、ゆう子の自虐志向に利恵が怒り出していることに気づいて、話を変えようとした。
「実は会場に利恵さんもいるんだ」
 二人は「え?」と言って、目を丸めた。
「それは最近分かったことで、もっと言うと涼子ちゃんもいるんだよね。一般人の利恵さんがいるのは友哉さんの彼女のままなのか、その時に奥さんになっているかだよ」
 利恵は言葉を失っていた。だが、友哉も黙っているのを見て、
「涼子ちゃんってdots話の流れからどう考えても松本涼子のことdots

と、なぜか小さく失笑する。
「うん。わたし、涼子ちゃんのこと知らなかった。グループ名、なんだっけ。また忘れたよ」
「黒猫リンリン、歌って踊らないノーノイズ」
 友哉が教えると、
「あ、それ。友哉さん、きりっとした顔で言わないでよ。笑っちゃうから。AZの隅にそう表示されてたんだけど、なんだ、そりゃって思ってた。松本涼子のグループって知らなかった」
と言った。

「わたし、知ってるよ。バラードだけしか歌わないアイドルグループで人気の中心が松本涼子」
 利恵が言う。ゆう子は軽く頷いて、
「友哉さんは知ってるよ。松本涼子の写真集持ってるからさ。なんかショック。クレナイタウンで偶然会ったんじゃなくて、実はこっそり付き合ってるとか」
「編集者の娘だ。話が逸れてる」
 友哉に睨まれるが、ゆう子はその目を少し見返して、

「まあ、業界だからパーティーにいても不思議はないけどdots。わたしの近くに座っている人たちをできるかぎり調べてみたら、やっぱり芸能人の方たちだし」
と言った。
「そこの宴席のようなものが襲われるんだ。わたしは死ぬの?」
 ずっと息を飲んでいた利恵がそう訊いた。自分が三年後に死ぬかもしれない話なのだ。
「わかんない。確実に死んでいるか重傷なのはわたしと友哉さんだよ。利恵ちゃんとかきっと近くにいなくて見えないんだ。その後の記憶はないの」

 ゆう子がAZ上の画面を見せると、そこには、『2022年5月2日 都内ホテルのパーティー会場で何者かにわたしたちが襲われた。テロリストか』と一センチほど浮いた文字で表示されている。死亡者リストは表示されない。そして、会場の様子を映した立体模型のような画像の中に、友哉や利恵の人形型の図柄があり、午後七時三十分前後に動きがなくなっていた。
「わたしがいるdots
 利恵が目を丸めた。

「この人形型の図形に名前を入れたのはわたし。利恵さんのデータと一致したから。午後七時から七時三十分くらいの間に、皆、だんだん動かなくなるんだ。今、リアルタイムに友哉さんを見たら生命反応があるかないかは分かるけど、これはあくまでもわたしの記憶だから倒れた様子だけしか分からないんだ。でも、皆、次の時間にも別の場所に移動しない。わたしが倒れたところでわたしの記憶がなくなるようだから、利恵さんとか皆が死んだかどうか分からないけど、わたしの記憶がなくなるのはわたしは確実に死んだってことだと思う」

「テロリストのような連中が会場に入ってきて、一人ずつを射殺していくとか。そういう事件か」
 友哉が呟いた。
「わかんない。松本涼子やわたしのストーカーみたいな奴かも知れないし。とにかく、そういう事件が起こって、それを阻止するために、友哉さんが今、訓練をしてるのよ」
「訓練? それは聞いてなかったな」
「トキさんがそう言ったわけじゃないよ。あの人、いろいろ隠しているからさ。でも、訓練

以外に何があるの? トキさんは2022年5月2日に死んじゃう友哉さんを助けたいんだよ。何もかも一石二鳥を狙ってるんだ。三年後のパーティーのテロを阻止するために、友哉さんを鍛えながら、本当はテロリストに殺されている日本人を助ける。未来の世界の日本人を増やしたいんだ。利恵さんはもう友哉さんと結婚していることがほぼ確定だし、きっと友哉さんが死ななくて、死んで困る誰かが助かって、当て馬のわたしはご臨終ですよ」

「なに言ってんだ、おまえっ」
 友哉が唾を飛ばすほど声を上げると、利恵も、
「当て馬は違うと思う」
と、ゆう子を睨んだ。
「女だしね」
「そういうことじゃなくて、ゆう子さん、ずっと思ってたけど、言葉が悪すぎる」
 利恵が本気で怒りだした。

 だが、ゆう子がこらえたい涙をこらえられなくて、泣いているのを見て、利恵は続く責める言葉を飲み込み、グラスに注いであったビールを一気に飲んだ。そして、
「2022年5月2日の少し前に、友哉さんに頼めばいいものをなんで三年も前から頼むのかな。この三年間の晴香ちゃんを守るためだと思う」
 議論に限がないと見た利恵に、早くに結論を出そうとしている様子がうかがえる。
「SF小説は書かないから、さっぱりわからないが、晴香は死なないってことか」

「だって、子孫のトキさんが存在してるんでしょ。わたしはそのトキって人が未来人なのが信じられないけど、それは置いておいて、晴香ちゃんの問題では未来人だと信じるしかないと思う。そもそも三百億円の報酬がおいしすぎる」
 友哉とゆう子が首を傾げた。
「ケガをしたら、それを治してくれて三百億円もらえるなら、わたしも俺もって手を挙げる人たちが続出。自分から車に飛び込む」

「あのね、利恵さん、友哉さんの副作用、半端ないんだよ」
「三百億円なら我慢できなくない?」
 友哉は何も答えない。
「ワルシャワの帰りの飛行機の中で真っ青な顔で何回も吐いて、またテロリストと戦う状況だよ。三百億円も妥当じゃないかな」
「特殊警察の人たちがテロリストと戦ってもそんなにもらえない」
「利恵さんさ、何が言いたいの?」

 ゆう子が少しばかり目尻を釣り上げた。
「だ、だから、三百億円分のなにかの価値があるってこと」
 超有名人であるゆう子の怒りにオーラがあったのか、利恵がたじろいでしまう。
「友哉さん本人にでしょ。それでいいじゃん。友哉様、友哉様だよ。トキさんって言う未来の世界の君主のご先祖様なんだから、その価値が三百億円で、だからテロリストと戦ってくださいって話でしょ。最初、五十億だったんだよね」

 友哉に振ると、彼は黙って頷いた。友哉は怒っている様子はなく、淡々としている。そして、お金の話を遮るように、
「ゆう子、成田行きの乗客名簿は調べられるか」
と訊いた。利恵が友哉を見て、少し頭を下げた。「ごめんなさい」と呟いた。
「あ、そうか。やってみる」
 ゆう子がAZをいじり出した。ゆう子が専門家のような手つきでAZの操作をするのを見た利恵が目を丸めた。

「ゆう子は俺がいないと素早く情報を送ってくるけど、俺と一緒にいると動きが遅いな」
 冗談めかして言うと、ゆう子も、
「友哉さんと一緒にいると、友哉さんの股間ばかり見てるの」
と笑った。だが、「またモロdots。なんでそんなに美人なのに」、そう友哉が項垂れて言葉を落とした。
「ごめん。時間がかかりそう。乗客名簿がどこにあるのかよく分からない」
「ロスの空港の監視カメラに侵入は?」

「晴香ちゃんの画像ください。スリーサイズは聞いたけど、さすがに女優から一緒に自撮りはどうかと思って撮らなかった」
「登録するために、涼子ちゃんのサイズも聞いたのか。晴香のは今は持ってないよ」
「じゃ、すぐに見つからないよ」
「そうか。桜井さんに訊こう」
 友哉がホテルの電話を使い、桜井真一に連絡を入れた。友哉が説得をすると、桜井真一は乗客名簿を調べてくれることを了解した。

「すんなり了解したんだ?」
 ゆう子がそう言うと、
「利恵の銀行の下を走っている首都高に爆発物があったらしい。で、逆に礼を言われた」
 友哉がそう教える。
「マジ? 怖すぎるんだけど」
 利恵はそう言いながらスマホを見、
「ワルシャワのテロでは、日本人は誰も死んでない」

と言った。
「あ、AZ上では、レストランが襲撃されて、日本人がたくさん死ぬはずだった」
 ゆう子が驚いた表情を見せた。
「じゃあ、友哉さんとゆう子さんで歴史を変えたのね。それで何がどうなるのか分からないけど、トキさんもそれも目的なんじゃないかな。依頼のタイミングがそのテロの前なんだから」
 利恵は自分が三年後に死ぬかも知れないのに明るく喋っていた。ゆう子がそれを問うと、

「そんなパーティー、直前で逃げちゃえばいいの」
と、いつものように上品に笑った。しかし、友哉が真顔になっている。
「今、歴史を変えたって言った?」
と利恵に訊く。
「え? うん」
「歴史上あった出来事を俺たちが変えたのか。じゃあ、歴史上なかったことが起こったらどうなる?」

「えーとdotsなかったことも同じ。なかったこともあったこと。友哉さん、SF小説は書いてないんだ。 タイムパラドックス」
「利恵、今だけはその喋り方を止めてくれないか。君の雑学を頼りにしている。ある事件が起きた。それを当たり前のように騒ぐ人たちと、どうしてこんな事件が起こったのか分からないと思う人間がいるのはなぜ?」
「うーんと、タイムパラドックスが起きている世界の人たちは、別に何が起きてもそれが当

たり前だと思っていて、タイムパラドックスが起きていると知っている人間は、えー、なんでこんなことになるのって、びっくりする」
 利恵の言葉を聞いた友哉が、ゆう子を見た。
「な、なによ。わたしはなんにもしてません」
 犯罪を疑われた小芝居を見せるゆう子。手錠をかけられる仕草まで見せている。だが、友哉は少しも笑わない。

「利恵、今、俺たちがいるこの世界がタイムパラドックスが起きている世界だとして、本当の世界はなんだ?」
「本当の世界? 本当の歴史かなあ。例えばね。友哉さんが足が治ってなくて、ワルシャワではもちろんテロリストと戦ってなくて、松本涼子も救ってない」
「そこが分からないんだ。松本涼子を救わなければ、彼女は重傷で大騒ぎだ」
「えー? なんか言ってる意味が分かんないな。一応、都市伝説にはなってる。どうしたの? そんなに怖い顔して」

 怖いと言うよりも悩ましい面持ちでいる友哉を利恵が覗きこんだ。
「利恵、頼む。ここにコップがある。ゆう子も見てくれ」
 テーブルの上に利恵がビールを飲みほした空のグラスがあった。
「このコップが五分後に急にテーブルから落ちる。それはなぜだ?」
「わたしか友哉さんかゆう子さんが落としたから」
「俺たちは触らない」

「地震がきた」
「自然災害もなし。風も吹かない」
 すると、ゆう子がふざけた口調で、
「お化けが出た」
と、かわいらしく言った。それを友哉が睨みつけた。
「なんなのいったい。怖いよ」
 叱られてばかりでもはや涙目になっていた。

「ゆう子、お化けのダークレベルは分かるか」
「え? 分かるわけないじゃん、この世にいないんだから」
「この世にいない? この世界にいないのか」
「ま、ま、ま、ま、ま、まあ、そうだよ。お化けのダークレベルを登録するはずないじゃん」
「トキだ!」
 友哉が急に叫んだ。
「え? どこ?」

 ゆう子と利恵が同時に部屋を見回した。
「違う。あいつは本当に未来人だ。このグラスが松本涼子。落としたのは未来人だ。未来人はダークレベルが分からない。松本涼子の事故がゆう子の記憶にないのは、もともと無かった事故だったんだ。しまった!」
 友哉が頭髪を掻き毟り、
「しまった。どうすればいいんだ」
とまた言った。

「どうしてあの子を未来人が突き落とすのよ」
 ゆう子が訊くと、
「俺の友達だからだ。編集者の娘だ」
と言った。
「友哉さんの友達が狙われるの? じゃあ、わたしたちも狙われる」
 利恵が言うと、
「そうだ。俺の体はひとつしかない」

と言って友哉は立ち上がり、スマートフォンを手にした。
「松本涼子に電話dotsで、電話番号が分からない!」
 なんと友哉がスマホをソファの上に叩きつけた。
「あのバカ!」
「あのバカってdots。SNSから連絡すれば?」
「そんなんで他人にばれたらどうするんだ。デジタル社会の弊害だ。電話か口頭以外はなんでもばれるんだ」

「じゃあ、お父さんに電話すれば?」
「だめだ。そうだ、これも桜井さんに頼もう」
 友哉がそう言って、また部屋の電話を使って桜井真一に電話をする。
「すぐに日本に帰るぞ。元カノも危険だ」
「元カノ?」
「晴香、元カノ、勘違いされた松本涼子だ」

 友哉は咄嗟に、松本涼子が元カノであることを隠した。いや、混乱していた。松本涼子の他にも付き合った女性はたくさんいる。妻だった律子はどうなのか。
「わざわざ、利恵さんまで連れてきて何を言ってるの?」
 ゆう子が当たり前の疑問を投じた。
「あの子が友哉さんの彼女と勘違いされたとしてよ。今頃、勘違いだったと思ってるんじゃないの。それになんでトキさんが、友哉様の麗しき恋人たちを襲うのよ」

「うん。友哉様なんだよね。話の辻褄が合わない」
 利恵もゆう子に同意する。
「トキに敵がいるのかも知れない」
「え?」
 ゆう子が目を丸めた。
「未来の世界で戦争があった話がAZにあるじゃないか。耳がない女がいるとか尋常じゃないぞ。トキが未来の世界の君主だとしたら狙っている敵がいて当然だ」

 それを聞いた利恵が、
「ああ、ご先祖様を殺せば、トキって偉い人が消えてしまうからか」
と言った。友哉が「よくある話だが、そうかもしれないし、これもよくある話だが、トキが強すぎて、矛先をこちらに向けたのかも知れない」と言う。
「本当に未来人なら、わたしたちなんか超弱い。トキって人にやられた連中が頭にきて、こっちの世界の彼の関係者を殺しにきた。それを知ったそのトキって人が焦って、友哉さんに未来の武器を渡した」

 利恵が続ける話に、ゆう子が頷いた。
「テロリストと戦わせているのは、ゆう子の言うようにやっぱり訓練か。ただ、君たち、一つだけ言っておきたいことがある」
 友哉が一呼吸置いてから、
「トキは松本涼子を突き落とすような男じゃない。彼の仲間がいても同じだ」
と言い切った。
「その根拠は?」
 利恵がそう訊くと、

「女は何年見ていても分からないが、男は数分も話をすれば分かる」
と言った。
「女に媚びる男が使う、よくある女性崇拝な台詞を言わないでほしい」
 利恵が少し眉を潜めた。
「俺が愛している女のためにテロリストと戦う気がないと言ったら、彼は涙ぐんだんだ」
「え?」
 利恵とゆう子が顔を見合わせた。

「その時は君たちと出会っていなくて、そんな言葉を作ったんだが、彼が俺の元カノの話をしていて、彼のニュアンスは彼女たちも助けないのかって言い方だった」
「元カノによると思う。裏切った女を命がけで救う必要はなし」
 利恵が言い切った。
「え? そうなのか」
 友哉が狐につままれたような顔つきになった。
「裏切った女も助けてさし上げるんですか」

 ゆう子がわざと敬語を使い、友哉を一瞥した。
「裏切るって、男同士のビジネスの話や詐欺のことだ。恋愛にそんなものはない。あの男は確かに何か企んでいる。だが、その企みは利益のためではなくて、どこか仕方なくやらざるをえない計画のような感じだ。ブレーンがいると言っていた。ブレーンや側近たちが、担いでいるのかもしれない」
「未来の時代の君主なのに?」
 トキと会ったことがない利恵が、首を少し傾げたまま問い続ける。

「トキが彼らの世界を揺るがすような失敗して、揉めてる可能性もある」
 すると、ゆう子が、
「確かにそんな感じの男の人が一人いるんだ。どんな人なのかは言えないけどdots
 AZの中にいるシンゲンのことを口にした。中に存在しているのではなく、膨大なデータを作った人間か、自分の知能をAZに移植した人間だと、ゆう子は思っていた。
「言えない? 会ったことがあるのか」

「ないよ。AZを作った人だと思う。これ、人工知能らしく、わたしと会話しているような感じになるんだ。で、AZの中にある秘密の一部がわたしにばれたのね。それを言うと、わたし、記憶を消されちゃうんだ。脅迫されてる。トキさんが独裁者みたいな男性だとして、別の仲間が一存で、わたしの記憶を抹消することができるっておかしくない?」
「そんな重大なこと、なんで黙ってたんだ」
「まあ、記憶を消すって言っても、偶然、わたしに見られたデータのことだけで、その人、意外とジョークは通じるんだよ」
 ゆう子が笑って言うと、友哉は首を傾げながらもほっとした表情を見せた。

「それでどうするの? テロとの戦い。訓練」
 議論が嫌いなのか結論を急ぐ利恵。
「とにかく俺は赤の他人は助けない。正義の味方はごめんだ。悪党と戦う自分に酔い痴れている正義の味方なんか、アニメの世界にしかいない。知らない人間を助けに戦場に行く個人なんかどこにもいなくて、兵士は兵隊だ。俺は組織ではない。つまり、俺は正常だ。そして訓練なんか必要ない。君たちにもし危険が迫ったら、そつなく助けてみせる。それでいいか」

「そつなくって言われてもねえ。つまり、テロで襲われる人たちを、そう、人助けは嫌いってことね」
 利恵が苦笑しながら淡泊に言った。ゆう子は、先程手元に出したAZを凝視している。
『友哉様、復調気配検知、75%まで進行。ガーナラが手足の血管まで充満した数値を確認』
lineわたしが見なくても、AZは友哉さんの体調をリングから常に測っているのか。

たぶん、利恵さんの言葉は聞こえないから、会話を聞いてるわけではなくて、友哉さんの体調とわたしの心理で、今の状況を判断してるんだ。
『ダークレベル2のまま。決断力、判断力、237クール。一般人は平均100クール。ゾーン、活発化も確認。そこに利恵さんか晴香様。または、編集者の娘がいる』
 ゆう子が思わず、利恵を見た。二人は議論に熱中していた。
lineん? 晴香様? 様?
『晴香様? 晴香dotsdots。友哉様の娘』

lineまたミスってるよ、シンゲンdots
 頭を垂らしてしまうゆう子。
lineあなた、科学者じゃないんじゃない?
適当すぎるよ。晴香ちゃんが重要なのは、あなたたちが未来人だと確認して、さっき判明したところだから、勝手にわたしの記憶を消さないでね。
 ゆう子がそう問いかけると、白く光っていたAZの画面が消えて、暗くなった。

 ゆう子が気を取り直して、
「元カノたちや松本涼子だけじゃなくて、晴香ちゃんも狙われるかも知れないから、日本に帰国したいんだね」
と言った。
「当たり前だよ」
「そんなに焦らなくても、こっちのテロリストをやっつけてからでよくない?」
「そんな限がないことはしたくない。他人に優しくするとこっちが不幸になる。どんなに頑張ったところで、人間の暴力はなくならないのに、徳を積んでいたら悪いこともしていないのに、因果応報のようにこっちに暴力が返ってくる。利恵、分かるだろ」

「なんでわたしに振るのよ。テロリストを駆除しても、街を歩いている万引きに殴られるって意味でしょ」
「さすがだ。テロリストを駆除する? まさに偽善だよ。人類の暴力を抑止させることは大戦がなくなったことで十分に成功した。これ以上は何もする必要はない」
「大学にはきっとかわいい女の子もいるよ」
 ゆう子がなぜかバスローブの裾を持ちあげて言った。太ももの奥が少し見えたが、ゆう子の独特のその和ませ方も、一度狙われた松本涼子を一人にしている友哉には通用しなく、

「かわいい女の子? ああ、俺の唯美主義はそこを重視する。つまり勉強そっちのけで男の品定めをしているのはかわいいが、美しくない。男子たちもそうだ。クスリでもやりながら、どの女子のケツがいいか考えているだけだ。アメリカらしく、まずはアナルだ。そいつらを俺が命がけで助けるのか。男と女の愛なんか、どこにも見えない。セックスばっかりだ。映画や小説がなかったらなんの証明もできないくらい、史実は脚色されている。人類の歴史に

本物の恋愛なんか見えやしない。愛を誓う言葉は二人の未来に愛が無くなるのを予見した契約書のない契約だ。そして男が女を好きなだけ抱くための嘘。ひと昔前なら新妻を家に閉じ込めるための作戦。それが人間の本質だろ」
と、今度は恋愛の偽善について語られてしまう。
 ゆう子が、ワルシャワの帰りに人間の本質は偽善と言ったのだった。
「わたしに優しくした友哉さんは不幸になってないし、わたしが愛を誓ったけど、愛はなくなってないよ」

 ゆう子が反論すると、
「お子様みたいなことを言うなよ。それはたまたまだ。たまたまが続くわけがない。おまえの不安定な愛情の頼みでテロリストと戦い続けるのはごめんだ。俺がテロリストをぶっ殺したら、それにびっくりした世界中のテロリストたちが大人しくなるなら話は別だ。俺がテロから女子大生を助けたら、彼女たちが、純愛を覚え、勉学に励むようになるなら別だ。だが、人類の歴史にその事実はない」と冷淡な言葉を作った。
「たまたまってdots。ゆう子さんはたまたま、あなたを愛しているけど、次の女、つまりわたしはそうはならないってこと?」

 利恵が目を釣り上げると、ゆう子が、
「違うよ、利恵さん。言葉のあや。わたしが、人間が嫌いだって話をしていたのに、テロリストから人間を救ってって言うのが矛盾してるんだ。わたしが悪いの」
と、怒ってしまった利恵をなだめるようにして言った。
「おまえは悪くないよ。学生を助けたいんじゃなくて、テロリストを殺したいんだ。ゆう子は正直者だ」
「学生も助けたいよ。きっと、いい子もいるもん」

「わたしのことをプロの女って言ったり、人間嫌いの世捨て人なんだね」
「なんなんだ。おまえたち、そんなに俺とテロリストを戦わせたいのか。ヒーロー映画の観すぎだぞ。その映画も結局、悪党はおかまいなしに殺す。それを見た観客はスカッとする。違うか。それが人間の本質で、その同類になりたくない。正義の味方は人殺しがOKの同類だ。利恵、帰るなら今だぞ」
 友哉の利恵を見る目にはなんの感情もなく、ただ、持論が口から出るロボットのようだった。まさにシンゲンの分析通り、冷静に独特の哲学を語り続ける。

 やや無感情とも言えて、そんな友哉に魂を入れたいのか、ゆう子が
「やっぱり利恵さんを巻き込むのが嫌になったのよね。トキさんの敵がわざわざ、うちらの世界にきて松本涼子を襲うなんて考えすぎだって」
と必死に擁護する。
「帰りませんよ。だってわたしはバーでいて安全だから」
 利恵がそう言うと、
「分かった。桜井さんにもう一度、電話をしてくる」

と言って、またバスルームに向かった。さっき、彼の電話番号を聞いたようでスマホを持っていた。
「なんなの、あの持論。完膚なきまでに論破しようとしてるんだけど、超、ムカつく」
 利恵が床に落ちていたグラスを手に取って、テーブルの上に叩くように置いた。
「わたしの太ももが通用しないとは。利恵さんだったら、大人しくなったかな」
 利恵のワンピースを見て、冗談めかした言葉をつくるゆう子。

「シャワー、浴びてきていい? だけど絶対にやらない」
 利恵は憤りを隠せずにいる。
「さっき、AZが教えてくれたけど、友哉さんは今、とても良い体調みたい。それはきっと利恵さんが傍にいるからよ。だから、怒らないで。そして、ちょっと驕りがあるようだけど、わたしと出会った時の弱気な彼からすると、まるで別人だから、ささっとなんでもやってくれるよ。きっとエッチも冷静よ」

 ゆう子が最後には冗談も含ませた言葉を、利恵に与えた。
「エッチも? ぴったり三回、連続してイカせてくれるかな」
 利恵が豹変して、だらしない笑顔を作った。
「なにそれ? まあ、疲れてなければなんでもやってくれるよ。利恵さんの知的な美貌にぞっこんだから」
 思わず失笑してしまう。

「利恵さんは知的美人で、ベッドの中では派手なんだね。まさに男性の理想の女か。そんな愛しい利恵さんに、あの態度。日本に帰国したかも知れない晴香ちゃんと、優しい人だから松本涼子が心配なんだ」
「わたしたちは心配じゃないの?」
「目の前にいるからでしょ。今の友哉さんなら、この部屋にテロリストが侵入してきても平気よ。後で早撃ちを見せてもらったら分かる」

「なんの早撃ち? 彼、早くないよ」
「いやdots
 ゆう子が頭を抱えてしまった。利恵の頭の中は、もうベッドで乱れている男女のことでいっぱいのようだった。
「見た目が清楚なのに、そのギャップ。友哉さんの好みなんだ。わたしのギャップは好みじゃないのか」
「テレビとのギャップはあるけど、成田からここまでまったく同じで、ずっとバカですよ」
dots

 ゆう子が肩を落として、「なんで年下のこいつや、後輩の松本涼子にもいじられるんだ、わたし」と、利恵に聞こえないように呟いた。
「ゆう子さんは彼をよく知ってるんですね。不安定な愛情って言われて怒らないなんて」
「事実を言われただけだもん。彼ははっきり言う男性よ」
「わたし、友哉さんのこと、まだあまり知らないから」
 利恵が今度は寂しそうに呟いた。
「わたしも知らないよ。本気になったところを見たことがない。本気になったらきっとdots
「きっとなに?」

「世界征服ができるんだけど、きっと本気にならない」
「世界征服?」
「本気にならないから、そんなことしない」
「本気の定義は?」
「ずっと頑張ることかな。二十四時間」
「なるほど。彼にはそれは無理。dotsあんな、まるで陽炎のような人」
 少し友哉に対して憐憫を見せた台詞だった。

「陽炎?」
「時々、死体が歩いてるように見える。寂しそうに下を見て歩いてる。なのに、テロリストを殺せるの? そつなく助ける? ちょっと笑っちゃったんだけど」
「ワルシャワのことは信じないと思うけど、最初に友哉さんが銀行に行った日に、利恵さんを応接室から出した後、警察官たちがゾロゾロ入ってきて、友哉さんを拘束しようとしたのよ。架空口座を作った疑いで」
「わたしがポルシェで待っている時? そうだったんだ」

「それを蹴散らした。だから桜井刑事と繋がっている。あの男、どさくさに紛れてお金を受け取っちゃったから、友哉さんになんにも出来ない」
「あらあら」
 利恵が苦笑いをした。
「その時の友哉さんは、まだ弱気でオドオドすることが多かったけど、急にスイッチが入った。だけどスイッチが入っても、平常心なの。このAZでそういう数値が出てくるの」

「謎だらけ。もし子供の頃からなら発達障害。だけど、小説家として売れてるようだし、どこの学校を出てるか知らないけど、わたしよりもずっと頭がいい」
「褒めてるのか軽蔑しるのか分からないけど、今はただの鬱だと思うよ」
「鬱?」
「トキさんもそう言っていたし、実際に言葉に詰まったり、急にバカなことを言いだしたりして、難しいことを考えないように努めている。努めているのが、正常な証しだけどね」

「事故のことで鬱に?」
「それもあるけど、心の蓄積疲労かな。母親は蒸発しているし、なのに姉は家事とかなんにもしなかったらしくて、今は絶縁状態。その後、お父さんが病死して、東京から伊勢神宮に行って、寂しくてずっと泣いていた。でもそれから神社に頼るようになって、大人になってから人生が上手くいかなくて近場の神社にお参りに行ったら、その神社の女に、佐々木友哉の本が嫌いだから来るなって罵倒された人なの。そんなことばかりの人生なの。だから、仕方ないのよ」

「そんなひどいことを神社の人に言われたの?」
「うん。わたしの夢の映像で見えた。奥さんは、車椅子になった彼の世話をしたくないって離婚届けを突き付けたし、本の内容をパクられてばかり。女を助けるためにケンカをしたら相手の男がいなくなってて、彼が二日間、警察で尋問されたり。元カノの誰かがネットに悪口を書きまくり。なのに、なのにねdots
 ゆう子はいったん言葉を止めてから、

「突然、現れた気持ち悪い女に優しいの」
 ゆう子は自分のことを言った。セックスだけでいいと惚けていた自分だ。
「友哉さんの悪ぶったさっきの言葉は全部、正論だけど、それを実行するかどうかは別よ。彼、優しいもん」
「まあ、わたしにも優しいと言えば優しいけど」
 男が何をすれば優しいのか分からないという顔をした利恵が、

「男の人が優しい時はセックスをしたい時だよね」
と言った。
「うん。彼もかなりセックスは好きなんだけど、でも彼はセックスが終わった直後が優しい。それは映像の中でも見えた。たぶん、女の体が目当てのそんな目的もないの。わたしのことも全然抱く気がないから、最初は無理に抱いてもらったんだ。三百億円で遊んでる様子もまだない。彼には目的がないんだと思う」
「目的?」

「最初に会った時に、目的って言葉でわたしを責めていた。目的を持っている人間が嫌いなんだ。だけど、人間は皆、目的があるでしょ。だから、目的がない自分が何者か分からないし、寂しいんだと思う」
「確かにわたしには目的があるよ。友哉さんとずっと仲良くしてて、ちょっと贅沢な趣味を共有したいって。ポルシェのデート、素敵だもん。貧乏は嫌だし」

「うん。誰でも貧乏は嫌だよ。それでいいと思う。わたしにもあるの。三年後のパーティーまで一緒にいて、その間はセックス三昧。わたし、男の人に見てもらったり、そしてわたしが触ってるのが好き。その後も彼と一緒に生きていたいって目的がある。今度はセックスだけじゃなくて、いっぱいデートをする目的よ。うん、三年経ったら、普通のデートもしてもらうんだ。だけど彼にはそんな目的がないのよ。夢も希望もないってさ。

だから、テロリストと戦ってもいいし、逆に戦う意味も分からない。わたしたちと付き合っている意味も分からないんだと思う」
「あの顔なら、俺と関わったら不幸になるって気障なセリフを言いそうなのに、人に優しくすると不幸になるって、かなりぶっ飛んでる男だよね」
 利恵がため息を吐いた。そして、

「まあ、そんな、破天荒な様子が好きなんだけど。やっぱり、彼はパリスか。美男子だし。パリスは美人を手にして、戦争に巻き込まれた。松本涼子がもし大事な友達なら、本当に三人の女神が揃った」
と言った。
「女神とは到底思えない三人だけどさ。で、誰が勝つ物語なの」
「実は元の奥さん」
「え? それはないな」

 ゆう子が苦笑すると、利恵もグラスのビールを口につけたまま、少し笑った。
「見舞いにこなかった元カノかもね」
 ゆう子がそう言う。見舞いに来なかった元カノは、友哉を追い詰めた得体の知れない女。ゆう子の一番の不安だ。
「それ、不倫相手? ちょっとだけ聞いたけどなんなの?」
「分かんない。なぞなぞ」
 ゆう子が話を濁すと、利恵が、

「急に日本に帰りたがったのは、タイムパラドックスのことなんじゃdots
と言う。ゆう子が首を傾げていると、
「わたしには事情は分からない。そのタブレットがなんなのかも。でも彼、起こっているタイムパラドックスで何かトラブルがまた起こると思っているのかも」
と言い、続けて神妙な面持ちで、
「パラリンピックのチケットdots

と呟く。なんと、利恵の声が震え出した。
「友達がくれたの。パラリンピックの選手を応援するイベントのチケット。その友達、銀行の子で同期の小早川淳子って名前なんだけど、この前、利恵にできた彼氏、足が悪いから買ってきてあげたよって」
「え?」
「わたし、そんな彼氏はいないって言って、淳子も勘違いだったって。だけど、その日は早退することにして、一人でそのイベントに行こうと思ってた。その時に、友哉さんが銀行にお金を出しにやってきたんだ」

「それってdots
「タイムパラドックスdots。わたし、足が悪い友哉さんと付き合っていたんだ」
 利恵の紺色のワンピースは空調で乾いているはずだった。なのに首の辺りが汗で、濃紺の大きな染みができていた。

 第六話 了