『おまえがありえない美少女だからだよ。学校の帰りは友達と一緒に歩くんだ』
『そんな友達はいない。車で迎えにきて。締め切りが近くならないと暇でしょ』
『そんなことをしたら、虐めに拍車がかかるよ』
 学校でのイジメで孤立していた涼子。親以外は、友哉だけが相談相手だった。恋愛感情が芽生えるのは当然である。

lineしかし、トキとその仲間は俺たちの味方なのか。彼らとは別に、未来人かこの時代のマフィアのような連中が、晴香を狙った。なぜ? さては俺、なんかまずいことを小説に書いたのか。
 自分の書いた小説の内容を一本ずつ頭の中で辿ってみるほど、友哉は分からなくなってしまい、ずっと首を傾げていた。
「それが自然な答えだけど、なんか歳だからか思いだせないな」

 自らが笑うための自虐的なジョークで、ゆう子が聞いていたら、またお喋りが始まるだろうが、強引に通信を切ったら、さすがに聞こえないようだ。
line俺の小説の内容に怒ってしまったなんかの宗教団体か偽善団体に謝ればいいのか。そうは言っても、話しかけてこないしdots

 生真面目にそう思っていた。テロリストや凶悪犯と戦う事をトキから依頼され、ゆう子はそれに躍起になっているが、友哉にはまったくやる気がない。「俗に興味がない」とゆう子に宣言しているように、頭のおかしな連中と関わりたくなかった。ボクシングをしていたのは、ほのかな筋肉美を作るためと涼子と晴香を守るためで、ケンカが好きなわけでもなく、小説はほとんどが恋愛もの。妄想の世界でも暴力的な行為はほとんどない。

 いつから俺はこんな頭の弱い男になってしまったのか。そう、人のせいにはしてはいけないが、あの交通事故で入院し、そして退院してからだ。律子と罵り合い、涼子もやってこなくて、涼子の父親の編集者は泣き、何もかも嫌になった。一人のマンションで決めたんだ。もう、何もしないってdots。南の島の砂浜でぼうっと座っていようって。
 なのに、奥原ゆう子という女がそれを許さない。

 dots親父、アドバイスをくれ。
 友哉は、人知れず涙を滲ませた。臨終の父親の言葉を思い出す。
『友哉、お母さんが憎いか』
『うん』
 中学生の友哉が素直に頷いた。
『なら、なぜ、あの看護婦に見惚れているんだ』
 父はそう言って、点滴を付け替えて出て行った看護婦の背中に目を向けた。

『水色の制服が綺麗だった』
『おまえの部屋に貼ってあるパリスの審判のポスターだが、あれが美しいのか』
『うん。女神だもん』
『パリスに賄賂を渡して、美を競ったんじゃないのか。ちゃんと本を読め』
『お母さんは女じゃない。お母さんだ』
『俺に、おまえを渡して美を得ようとした。あの女神たちと同じだ。憎んでる暇があるなら、考えるんだな』

 友哉の父親はその直後に血圧が低下し、昏睡状態に陥った。
dots友哉、おまえは俺の宝物だ。なんて美しい少年なんだ』
 そればかり言う父。友哉の姉は大学から向かってきているが間に合わなかった。
 友哉の父は、擦れた小さな声で最後にこう言ったのだ。
dots思っていたよりもバカだ。地獄で待っているから教えてやる』
dots
 医師と看護師たちが驚く、遺言だった。

line今、生き地獄だ。親父。
 裏切った女を憎んだらだめなのか。ああ、そうしてる。だから、律子も涼子も気になって、身動きが取れないじゃないか。
 友哉は車のエンジンをかけ、深夜に営業している書店に向かった。
 ギリシャ神話『パリスの審判』はどこかにあるだろうかdots

  ◆

 最初、利恵を「恋敵」として警戒していたゆう子だったが、松本涼子が現れてから、利恵はライバルではなくなっていた。

「すまん、利恵。君の疑問の話の腰を折ってしまって。奥原ゆう子は口から生まれてきた女なんだ」
 ゆう子は、友哉のため息を無視して、
「飛行機が揺れても驚かないのに、薬を落としたら、通路まで出て探しまくった。しかも大騒ぎ」
と喋り続ける。
「大騒ぎじゃないよ、誇張しないでくれ。薬じゃなくてサプリだし」

「ビタミン剤が一錠なくなっただけで、泣きべそかく男がいるの?」
「泣きべそもかいてない。誇張した罰で下のドラッグストアで適当に買ってこい」
 急に一万円札をゆう子に渡す友哉。ゆう子もゆう子で「はい」と先生の命令に頷いた。
「なんか昭和の夫婦かカップルに見えるけどdots
「秘書だから心配するな。パシリにするんだ」
「今のお喋りは面白かったけどさ。ちょっとデリカシーがないよね」

「片想いじゃなくて両想いですって言ったら、その瞬間に二股が成立してしまうか、利恵が立ち去るぞ」
「あ、ああ、そうねdots
「奥原さんが、友哉さんに言いくるめられているように見えますが、そんなに立場が弱いんですか」
 肩をすぼめているゆう子を利恵が少し覗きこんだ。
「弱いです。奴隷にされています。ぶるぶる」

 芝居がかった嘘を言うが、利恵は笑えないようで目を丸めてしまった。
「利恵、騙されるな。成田に俺を強引に連れてきたのは、ゆう子だ。俺の弱みを握っていて、やりたい放題だ。だからせめて、ドラッグストアにくらい走らせたいわけ」
「はい。行ってきます!」
 ゆう子は席を外し、いったん専用ラウンジから出て行った。
 勢いよく駆けだしたが、短いスカートの裾を整えながら、その足元を見つめるように下を向いた。

 まだ出会って数か月だが、わたしには「好き」「付き合ってほしい」という一般的な告白は何もない。律子さんを始め、いろんな女に捨てられて傷ついて、女が嫌いになったはずなのに、宮脇利恵とはデートをしているのかdots。しかも、なんてかわいらしいんだ。まあ、わたしの方がかわいいし、脱いだら健康的で負けないけどさ。普通に女優レベルじゃん。
と、ネガティブ、ポジティブが入り混じる心境を呟いていた。

lineやめちゃおうかな。あんな男。でもなあ、トキさんが言っていた通り、かっこよくなってきたんだ、これが。
 松本涼子を素早く助けに行ったり、桜井真一を取り込んでしまったり、「女のわたしにはできないなあ」と考えると、うっとりしてしまう。少女の頃からのゆう子の英雄願望が、大人になった今、友哉のような男性の前で、体の奥を熱くさせてしまう。

line恋人の対象にしてもらえないのは、自虐的にセックスだけの秘書でいいと大見得を切ったからか。当たり前だな。でも他の女とはデートしているのを知ったら、なんだか寂しくなってきた。
 セックスだけでは嫌だ、と言ったら、最初の自分の姿勢があからさまに覆って嫌われそうだし。
 トキさんから、友哉さんを癒すように言われたけど、恋人じゃないままそれができるのだろうか。

lineやっぱり自分の話をしない恋はだめなんだ。
 トキや友哉のせいではなく、なんとなくそんな答えが浮かんだ。謎めいた女優で有名だった。私生活が分からなくて、スキャンダルもない。
 二十七歳まできちんと付き合った男性もいなかった。一人くらいはいたかも知れないが、お世辞にも優秀な男性じゃなかった。他の数人もセックスだけだった。
line寂しそうにしていると寄ってきて、顔だけで抱いて、いなくなる。

 「性格がおかしい」「テレビとギャップがある」とその男たちは口を揃えて言ったが、それくらい最初の会話やセックスをする前のデートで分かるのに、だったらなぜ抱くのか。俗に言う、やり捨てだ。
 少し長く付き合った人がいたような気がするが、わたしのヒモのような男で、「顔」「お金」「セックス」の三拍子が揃っていると、無邪気に言っていた。

 実は、出来は悪いが無害な、そんな男の人が好きだったが、パニック障害の発作が頻発するようになっても彼らは助けてくれず、お金と体を求めるばかりで、料理を作ってくれたり、家事はしてくれるけど、どこか媚びているのが窺えて、そうdots
line昔の戦争映画を観ていたら、自分の原点がこっちだったと思い直した。

 スピルバーグの映画を二本、観なおしてみた。『プライベートライアン』と兵士の話じゃないけど、『シンドラーのリスト』。
lineオスカーシンドラーみたいな男性がいいな。快楽主義者でいて、突き抜けて優しい男性、どこにいるのだろうか。でも友哉さんが、似ている。
『テロリストも父親なのが気になる』
 まさに、衝撃の言葉だった。つまり、友哉はテロリストの息子か娘を気にしたのだ。

 戦場で殺した敵兵が娘の写真を持っていて、それを見た兵士が泣いてしまうシーンが、何かの映画にあった。友哉さんも、同じ映画を観ていたのかもしれない。そんな話をもっとしないといけない。ふざけてばかりで、信じ合えるようになる会話が少ない。自分の話もしないとだめだ。ゆう子は改めて、自分の話を男性にできないことに苦しんでいた。

 お母さんが軽蔑した兵士の男性。お母さんが嫌った男性の自己犠牲の精神、それは勇気か。お母さんが弄んだ男性の本質、それは絶対に父性。それらが小学生の時のわたしは好きだったと、映画を観なおしてはっとした。
 だから、わたしを抱いただけの前の男たちが、自分の生活と女とのセックスのためだったとしても、その男性たちを憎まない。わたしが悪いんだ。理想を求めてわたしから誘ったんだから。

 友哉さんのことも、恋人がずっといないわたしがしつこく誘った。恋はしていたけど、まだ愛なんかない時に。
 いきなり、セックスを迫ったから友哉さんはそれを嫌ったのか。そうだよな。若い男の子なら大喜びだけど、大人すぎるほど大人の人だ。経験豊富だから、わたしと同じことをした女に嫌な思いをしてきたのかも。
 母に忠告されていたとおりだ。

『おまえは美人だけど、口がたつだけでなんにもできない。付加価値がないと弄ばれるよ。すぐにポイさ』
と。顔だけでなんの取り柄もないと結婚してもらえないと、母は言っていた。
lineだけど友哉さんは、三年間、ずっと傍にいてくれる。
 ゆう子はそう考えていた。三年後のあのパーティーの席にいるのだから。

 それだけで、友哉に尽くす気になれる。自分も三年間、いや死ぬまで離れないと宣言しているのだから、友哉はいなくなったりしない。そう、思ってやまなかった。それに、
line友哉さんは別に冷たくないか。わたしをやり捨てた男たちは、言葉が優しくて、よく笑ってくれたけど、どこか嘘があった。友哉さんは正直で、わたしの言葉遣いが変なのも、「余

計な色気が削がれるからいい」ときちんと説明してくれた。「面白い」とか「かわいい」とか言うだけの男たちは、後になって、「その喋り方が嫌だった」と無責任に投げたものだ。
「テレビと違うからショックだ」とか彼らには言われた。友哉さんには最初の約束の言葉を撤回して、わたしをやり捨てる気配はまったくない。そもそも、あんまり求めてこないんだから、笑っちゃう。

lineバカだな、わたし。男の人の媚びた言葉に騙される女みたいだ。友哉さんは、女に媚びないだけなんだ。
 ゆう子がドラッグストアから帰ってきたら、
「ずいぶん、長い時間かかったな。お疲れ様」
と、友哉が言ってサプリメントが入った袋を受け取った。
「ドラッグストアだけに、毒にも薬にもならない男性のことを考えていた」
「なんだそりゃ。ちょっと元気にするか」
 友哉がリングをちらりと見せる。ゆう子はびっくりしたが、利恵は意味が分からないのか何も言わない。
「なんで? いいよ。あなたが疲れちゃうよ」

「いいんだ。パシリなんてふざけすぎた。ごめんな」
 リンクが緑色に光ると、いつものように、ゆう子の持病のストレスがすっと消えた。数時間の効果しかないように軽く脳を刺激しているらしく、それは、「依存性があるかも知れない。癖になったらだめだから」と友哉が言っていた。
line優しい。いつもこうだ。これでいいじゃないか。テロリストの子供を気にする男性が、友達以上の女に冷たくするはずないか。そんな人間性、本末転倒だもんな。

「なんで旅行に行かないの?」
 ゆう子がそう訊くと、
「友達が少ないから。彼女がいれば行くよ。一人じゃ、寂しいんだ」
と正直に答える。
「そんな寂しいことをdots。最後に旅行したのは、あの温泉?」
「あの温泉? ああ、そうだな。なんでも知ってるんだな」
「じゃ、四年くらい旅行してないの?」

「取材の旅行はしてるよ。彼女とはしてない。まあ、人は最後は孤独になるもんだ」
 目を少し伏せて言った。
「入院している時に誰も見舞いに来なかったから、そんなことを言うのね」
 友哉は急に笑みを浮かばせて、
「小さなことで意地は張らないで、あなた。それに編集者がやってきた」
と呟いた。「編集者」と口にしたところは離陸前の飛行機のエンジン音で利恵に聞こえていない。

「はあ? あなたって? 仕事の関係者は来るでしょ。そうじゃなくて女よ」
「女は母親になればずっと子供が愛してくれる。だが、男は子供と距離を置くものだ。または引き離される。そして女は必ず弱くなった男を捨てる。一般論だ。俺のことじゃない。親父も病気になってから女房に逃げられた。俺の母親のことだ」
「女嫌いなのは知ってるけど、そこまで言わなくても」
 利恵がため息を吐いた。

「女は嫌いだが、君たちは好きだ」
「個人主義」
 利恵がそう言い切るが、褒めたのだろうか。
「律子さん、たぶん、事故の時に付き合っていた女、友哉さんが寝落ちした時にお金を盗んだ奈那子dotsその他、皆そうだけど、それはdots
 ゆう子は大きく息を吸い込むと、
「たまたま!」

と友哉を叱った。
「だから利恵さんがきっと一緒に旅行に行くよ」
 ゆう子が利恵に視線を投じると、利恵が頷く。友哉は少し笑みを零して、口を閉ざした。

 ロスでは、転送しても疲労しない距離の場所に利恵を待たせておき、瞬間移動を繰り返しできるようにする作戦だった。それによって、仕事がはかどる。

 急に人が現れても消えても、それを見た人間は、自分の目の錯覚と思うか、マジックを使ったと思うようだった。だが、クレナイタウンから消えた松本涼子と謎の男の噂は、都市伝説のように広まり、週刊誌の記事にもなってきた。『松本涼子 謎の男と熱愛』という嘘の記事も出ていた。松本涼子本人がSNSで、「ケガをして、病院に運んでくれた人と熱愛だなんて」と書き、打撲の痕の背中の写真を水着姿で載せると、それが「色っぽい」と反響を呼んでいた。

「あの後輩。色気を使って上手く切り抜けたもんだ。だけどさ、奥原ゆう子も松本涼子も友哉さんの女だったら、いろんな男たちに刺されるよ」
 機内でその週刊誌を見たゆう子が、半ば呆れた口調で言う。
「この謎の男が友哉さんなんですか」
 利恵は週刊誌を手にして、目を皿のようにして記事を読んだ。

「友哉さんなら、高い所から飛び降りても平気そう」
「女の子を傷つけても平気な男」
 ゆう子がシャンパンを飲みながら言った。すでに頬が赤い。旅費は今回からは友哉のお金だった。飛行機は間もなく、成田を離陸する。
「片想いだったら傷つけられているって奥原さんは思ってるんですか。だったら、わたしも傷だらけです」

と、利恵が笑う。ゆう子は説教をされた気分になったが、利恵が自分も片想いのような口ぶりだったから、不思議に思って、
「友哉さんとラブラブじゃん。もういっぱいデートしてるよね」
と、冗談めかして言った。
「ラブラブじゃないですよ。プロの女って言われたし」
「プロの女?」

「過去に風俗で働いたこともないのに」
「どうしてそんなひどいことを言うの?」
 ゆう子が友哉を見た。
「女に性欲はそれほどないのに、頑張ってするからプロっぽいなって」
 友哉のその台詞に、ゆう子と利恵が目を丸めた。

「あのさ、さらにひどいこと言ってない? まるで利恵さんがお金のためにあなたとセックスしてるみたいじゃない」
 ゆう子が少し、目尻を釣り上げた。
「ひどいことを言ったのに成田にきてくれてありがとう。安心した」
 友哉はそう言って利恵を優しく見つめた。利恵はそれに気づいたのか、怒りは見せずに、
「声を大きくして言いたくないけど、わたし、それなりに性欲はあるよ」

と目を瞑った友哉に言う。
「お金をいらないとは言わないけど、あなたの財産を狙っているわけじゃない。つまり、好きな男性とは普通にえっちなことをするだけ」
「財産を目当てにしてもいいよ。最後までいるなら」
「論点はそこじゃなくて、わたしに性欲がなくて無理にやってるって話」

「利恵、そんなにムカついてるのか。あの日の後も、けっこうドライブで派手に遊んだじゃないか」
 目を閉じて眠ろうと思っていた友哉が、思わず目を丸めた。
「え? 派手に遊んだ? なーにをしてるのかなあ、そこの二人は」
 ゆう子はおどけながらも泣きべそをかいたような顔になっているが、友哉と利恵はそれを無視して話を続けている。
「怒ってないけど、奥原さんに誤解されそうで」

「うーん、じゃあ、元彼と別れてから、約二年間、男遊びをしてないとして、その間、オナニーでもしていたか。男みたいに」
「え? ま、真面目に答えるの?」
 ハスキーボイスの利恵の声がさらに裏返る。
「それとも好きじゃない男と適当にやっていたか。それなら、おまえに、女にしては強い性欲があるのを認めるよ。基本的に女の性欲は男の半分以下。いやもっと薄い。男が生涯、セ

ックスをしたい相手の数が十人だとしたら、女は一人。男が週にオナニーを四回するとしたら、女は月に一回かまったくしない。恋人がいな時に、好きじゃない異性とセックスをしたいと思うか。男は九十パーセント、女は十パーセント以下。したがって、利恵がさかんに俺に淫乱な様子を見せるのはプロっぽいってこと。風俗嬢が客に嫌われないようにサービスをするのと似ている。だけど、恋人同士だとそれを愛と言うらしい」
 昔に読んだ資料を思い出しながら語ったのか、気難しい表情を見せる。自信がない持論のようだった。

「やだな、作家さんのくせに統計学みたいな話をして」
 ゆう子がため息を吐いた。続けて、
「だったらわたしはまるで男じゃん」
と苦笑した。
「わたしの性癖はこんなところで喋りたくないから、さらっと自分でやっていることをわたしにカミングアウトしてくれた奥原さんのそれを分析したらどう?」

 利恵が嫌味を言う。ただ、怒っている様子はなく、友哉が眠そうな目で利恵のその顔を見ていた。
「利恵は怒らないからかわいいよ」
 友哉が思わず言うと、ゆう子が、
「なに、挽回しようとしてるんだ」
と友哉を睨んだ。かわいいと褒められた利恵が顔をほころばせているのをゆう子が見て、

「わたしは怒りっぽくてごめんね」
と言う。すると、
「俺は怒りっぽい女とばかり付き合ってきたから、慣れている。ゆう子はゆう子でかわいい」
と妙な弁解をした。
「うーむ、褒められたのかなんか分からない」
 ゆう子が首を傾げた。

「例えば虐待を受けた人間がサイコパスになることがあるように、もし、ゆう子がセックスのことしか頭にない淫乱な女でそれが何年も続いていたら、少女の頃になんかあったんだと思う。AV女優はほとんどが父親不在。または極端に父親がまるで男に見えなほどに弱い環境で育った女の子たちだ。それか、ゆう子が大人になってから、ゆう子の一番大切な趣味

や大好きなモノとセックスが繋げられることを誰かが教えた。しかもそれはセックスの行為の中にある一部の何か。フェチってやつだ。少女の頃に好きだったある趣味かモノがセックスに利用できると分かって、それを実行している。俺なら車さ。利恵、俺はそうだろ。子供の頃から車に憧れていた。大人になったら車でセックスをすると楽しいことが分かったんだ。

正直やめられないよ。昔、元カノが俺の車の後ろでよく生着替えをやってくれた。今はポルシェでできないけど、利恵は助手席でスカートの中の下着だけを脱いだりしてくれる。車とセックスが繋がっているから楽しくて仕方ない。ゆう子の話に戻すと、少女の頃にひどい目にあったがそれによってサイコパスにもならないで男を恨んでもないなくてセックスで何

かを忘れようとしているか、単純に何かのフェチ。それらどちらにしても、俺は嫌いとは言ってない。特にフェチは人間の証しで、頭のいい人間ほどフェチに傾倒するからね。ゆう子は天才っぽいし、それで淫乱ならこちらは嬉しい」
「言い得て妙」
利恵が頷いたら、ゆう子が、

「いろいろ当たってるから嫌なんだけど」
と顔を背けた。そしてシャンパンを一気に飲んだ。
「ゆう子は女優なのに、普段のお芝居が下手だからね」
 バカにしている様子はないが、ワインには強いがシャンパンに弱いゆう子はお酒が回っていて、注意深く友哉を見ていない。
「友哉さんさ、わたしを見ないでくれる? なんていうかな、パンドラの箱だよ」

「それは開けないでって言うんだ」
「だから、日本語の間違いもスルーしてよ。ベッドの中のわたしの間違いもさ」
「間違いが多すぎる」
 利恵がそれを聞いて、笑いをこらえるのに必死だ。ゆう子が利恵を見て、
「わたしと友哉さんが寝てることを怒らないの?」
と訊くと、

「なんか、片想いが本当っぽい」
と利恵が言って、またくすくす笑った。
「それに、話がぶっ飛んでいてついていけません。浮気相手が超人気女優だとして、もしかしたらアイドルの松本涼子とも仲が良いとしたら、いったいこの男はなんなのって心境。だからいったん、考えないことにします」
「なるほど、確かにありえない状況に陥ってるね。でも、利恵さんのお芝居もばれていて、わたしたち両方遊ばれてるかもね。本命が松本涼子で」

「彼女なら、俺は連絡先も知らないよ」
 友哉は女のお喋りに疲れてきたのか、また目を閉じた。飛行機はとうに離陸している。
「奥原さん、その通り。彼が、わたし以外の女と連絡を取っている様子は見えませんよ。奥原さんともだから、わたしが鈍感なのかもしれないけど」
「わたしは秘書だから二人のデートの時に、友哉さんに連絡はつけないの。まあ、確かに、松本涼子やどこかの女と会っている様子はないね」

「俺の芝居は、おまえたちには見抜けないよ」
 目を瞑ったままそう言うと、ゆう子が、
「松本涼子と連絡取ってないとか言いながら、その謎かけはなんなの。まあ、自信満々だけど、それは認める。台本をくれたのはトキさん?」
と言った。利恵が、
「普通、女の芝居もばれません」

と言った。ゆう子が口にした「トキ」という名前には利恵は興味を示さない。口座名「佐々木時」の名前を追求する気もないようだ。目の前の男の、目の前の持ち物、お金、職業しか見ないのだろう、とゆう子は思った。それは良いこと、と、ゆう子は頷く。
「あなたに嫌われないようにセックスを頑張るのがばれたけど、それが愛なんでしょ」
「十年くらい続けばね」
「またまた言い得て妙」
「それ、利恵さんの口癖?」
 ゆう子が笑った。そして、

「まあいいや、ちょっと女たらし、起きろ。で、お芝居をしている女のどっちのセックスが好きなのよ。どっちが好きなのか、じゃなくて、どっちのセックスって言ったわたしの優しさに気づけ。どうせ、利恵さんだしね」
と、目を据わらせて言う。友哉の体をさかんに揺すっていて、ただの酔っ払いだった。
「利恵」
「は、はっきり言った!」

 ゆう子が声を上げたものだから、通路の反対側の客が驚いてゆう子たちを見た。通路側に座っていた友哉が目を開けて、乗客に頭を下げている。ビジネスクラスの安い席で三人が並んでいるのだ。その通路側に友哉がいた。隣がゆう子、窓側が利恵だ。女性客が「あ、奥原ゆう子だ」と小さな声で言っていた。
「そんなに冷たい態度でいると、わたしは降りるよ」

「もう飛んでるって。女が二人いて、わたしとこの子とどっちが好きなのかって片方が言ったら、俺はそれを口にしなかった方を好きだと言うことをしているだけで、つまり始めから答えは決まってるの。君たち、二人ともそんなに抱いてないから。どっちのセックスがいいのかまだ分からないよ。話がリアルすぎるし、勘弁してくれって」
「ソロモン」

 利恵が伝説の国王の名前を言う。本当は、「ソロモンみたいな人」と言うものを利恵は、言葉を短くする口癖があって、それは長い言葉をすべて短縮する、この時代の流行とはどこか違う独特の喋り方だった。
「あんなギャンブラーじゃない」
 友哉は利恵の言葉遣いに慣れているのか、さっと答える。
「ソロバンでギャンブルするってこと? わたしに分かるように話してくれないか」

 ゆう子が口を尖らせると、利恵がまた声を殺して笑った。
「聖書に出てくるイスラエルの王様。利恵は読書家だから、怖いよ。男なのに文学的知識で負けたらかなわない」
「じゃあ、バカな女と付き合う?」
「イギリスは漢字で英って書くよね。普通の普は何か分かる?」
「普仏戦争の普っ」
 にっこり笑って答える利恵。

「うわ。現役の学生みたいじゃないか」
 友哉が仰天した。ゆう子も目を泳がせて、
「友哉さんが思いだせなかった問題をdots。めっちゃ、頭がいい美女が現われた」
と怯えるような小芝居を混ぜて言った。
「やっぱ、付き合うなら理系がいいかな」
 友哉がそう呟くと、

「やったよ。わたしだ」
とゆう子が言って、拳を握った。友哉が、
「俺はもててるんじゃなくて、これは罠だ。ソロモンをソロバンと言ったのはわざとに決まってるし」
と言う。
「ふふふ、確かにソロバンはわざとだよ。だけどね。ソロモンって奴は本当に知らない」
「白黒、善悪の決着を無茶なアイデアでやってのけた、後先考えなかったバカ。つまり、おまえみたいな人間」

「車の中で生着替えしてくれた元カノにふられたわけが分かったわ。まさか、自分よりも口のたつ男性に片想いすることになるなんて」
「それ、面白いぞ」
 友哉がようやく快活に笑ったのを見て、ゆう子が急に機嫌をよくした。自分の話で笑ってもらうと機嫌がよくなる女なのだ。
「奥原さん、さっきの彼の台詞。ソロモンのような判断のこと。派手にもてた男性にしか言えないですよ」

「そうかな。こんな口の悪いやつ…ぷんぷん」
 ゆう子も本気で怒っていなくて、擬音をわざと口にしている。
「女が二人いる修羅場を何度も潜り抜けてるでしょ」
 利恵がそう訊くが、友哉は答えない。
「今は修羅場じゃないけど、すでに本命は決めてるでしょ。経験豊富なあなたなら」
「決めてないよ。その権利もない。まさか、こんなにお喋りがうるさくなるとはdots。利恵も普段の三倍、喋ってるよ」

「だって、秘書さんが奥原ゆう子だよ。わたしの気持ちも察してよ」
「名前はビッグだけど、中身は意外とお粗末だから気にするな」
 友哉がそう言って利恵を慰めると、なんとゆう子が爆笑した。お粗末と自分では思っていない証拠でもある。
「利恵、パリスの審判って知ってるか」
「ワインのやつでしょ」

「この会話の流れで、そっちに行くのか。利恵も意外と面白いな」
「え? なんだっけ」
 利恵が頭を押さえて、思いだそうとしているが、ゆう子の方が、
「ワインもその違う答えも分からないんだけどdots
と肩を落とした。
「俺がパリスなのかdots
「あ、ギリシャ神話の誰が一番美人か決めるやつ」

「へえ、そんな神話があるんだ。じゃあ、決めてよ」
 ぶっきらぼうに言うゆう子。
「奥原さんが本命だと思う。さっき、一緒に歩いている時になんとなくそんな気がしました。わたしの前をお二人が歩いていたんだけど、いかにも守っているオーラが友哉さんから出ていたので。鞄も持ってあげていたし」
 利恵が、ゆう子に落ち着くように目配せしながら優しく言う。

「本命は松本涼子じゃないかなあ」
 ゆう子は動揺して、声が裏返ってしまっていた。
「本当に松本涼子ともやっちゃってるの?」
 利恵がびっくりした顔で、友哉に聞いた。
「やってない。これから会う機会もない」
 目を閉じたまま言う。
「パリスの審判なら、ちょうど女が三人になった」

 利恵が笑った。
「松本涼子を混ぜるのか。だったら、別の女神だ。すぐに怒る女神とか」
 ゆう子が思わず吹き出す。
「松本涼子って怒りっぽいんだ。助けただけなのに知ってるの?」
「助けている最中に、ずっと怒っていたんだよ。たまたま、ゆう子も一緒だった」
「それでパリスの審判がなに?」
「親父が俺をパリスだと言っていた。ちょっとした遺言だ」

「美少年だったって意味?」
「賄賂を使った女神たちに見惚れているバカだってさ。遺言でバカって言われた子供も珍しいだろ」
「そ、そんな結末の神話だったかなdots
 利恵が目を泳がせた。だが、友哉は嬉しそうだ。
「あのdots。友哉さん、亡くなられたお父様と似てる?」
 ゆう子がそう指摘すると、

「性格は似ているって言われた。良い遺伝子をもらった」
と友哉が威張って言った。
「俺よりも読書家なんだ。サラリーマンなのに。それでつまんない男だって、女房に逃げられてやんの。正直な男で、あれが小さいんだって笑ってた。女房に逃げられた原因はそっちだって譲らないんだ。中学生の俺に言うんだよ。頭、おかしいだろ」
 急に饒舌になった友哉を見た利恵が、
「ファザコン?」
と言った。ゆう子は、

「同じ人生を辿ってると思う」
と、肩を落とした。
「俺が教えてやるから地獄で待ってるって言ったけど、女房に逃げられたくせに偉そうだ。しかも、地獄かあの世にどうやって聞きにいけばいいのか分からない。死ねってことか。めちゃくちゃだよ」
「いや、友哉さんも同じようなことばかり言ってるけどdots

 ゆう子がそう指摘したが、友哉は嬉しそうだ。
「まあ、マザコンよりはずっといい」
 利恵がくすりと笑った。
「そういえば、ゆう子、お父さんは大丈夫か。仕事で邪魔したようで悪かった。あ、利恵、ゆう子のお父さんは体調が悪いんだ」
「そうなんだ。奥原さん、心配してくれてますよ。ギリシャ神話のおかげで話がまともになってきた」

 ゆう子に微笑みかける利恵。
「あ、うん、大丈夫よ」
「一人にしておいて大丈夫なのか。介護施設には入れないんだ?」
「うん。大丈夫よ。介護士を雇っているの」
 ゆう子は、食事をしながら三杯目のシャンパンを飲んでいた。
 飛行機はロスアンゼルスへ約八時間の長旅だが、ゆう子は利恵を気にして、友哉には手を伸ばさない。友哉の席のテーブルの上に手作りのポーチがあり、彼がその中からサプリの錠剤を取り出して飲んだ。さっき、ゆう子が買ってきたサプリの一部も入れてあった。

line利恵さんは手作りの品が作れるんだ。趣味なら尊敬する
 趣味ではなく、男性に気にいられたいために練習したなら、わたしとは恋愛の価値観は違う。
 料理ができるのも裁縫が得意なのも男性に気に入られるための付加価値にすぎないじゃないか。「愛してる」と言って、抱きついていればいいんだ。
 ゆう子は利恵の手作りのポーチを見て、そう考えていた。

『これはわたしの記憶だから』
 ワルシャワでゆう子は、テロリストが日本人の観光客らを襲った事件のことをそう説明した。
 友哉は成田空港に来る前から、ずっと気分が優れなかった。美女二人のお喋りが雑音にしか聞こえない。
line未来人なんかいるわけがないと思った。だが、あのAZのゆう子の記憶ってなんなんだ。

 AZは本当は事件を予測する最先端の犯罪予知Ai。それがゆう子の性格を分析して、ゆう子の気にいらない事件を予測、探しだし、事件が起こる前に優先的に表示する。そしてゆう子が言うように、ゆう子のいる場所の近くも優先する。きっと友人、知人も。なのに、
lineどうして松本涼子が自殺未遂をした事件に気づかなかったんだ。同じ芸能界のことなのに。

 友哉は首筋に気持ちの悪い汗をかいていた。まるで、命が関わる事で大きな勘違いを犯したかのようなショックを受けた直後に出る汗。
line俺の推測は間違っているかも知れない。トキは本当に未来からやってきたのか。AZの謎は、トキが未来人だと決定したら、解決する。すべて解決する。

 涼子の転落をAZがまったく予測しなかった。つまりAZは事件や事故を予測する装置ではない。本当にゆう子の記憶が入っているだけなんだ。トキが三年後の未来から、ゆう子の記憶を採取して、AZにインプットした。
 なのに、肝心の記憶が入っていない。芸能界の後輩が街中で転落を起こす事故だ。新聞沙汰にならなかったからか。なぜ、ならなかったんだ。そう、俺が助けて、瞬間移動で消えたからだ。そしてゆう子のマンションに行った。

 それもゆう子は驚いていただけで、AZに俺が気絶する事態も表示されていなかった。涼子がテラス席から転落し、ゆう子の部屋に行くまでの一連の出来事は、すべてゆう子の記憶にないものなのか。
 ゆう子は、トキに見せられた俺の記憶で、涼子のことを晴香の姉と勘違いしているが、トキは涼子を知っている。なのに、涼子が転落するほどの事故をトキが持ってきたAZはゆう子に教えなかった。

lineゆう子の記憶にない事件とはなんだ…。なぜ、突風で涼子が転落するんだ。そんな事故があるなら、世界中のベランダは使用禁止だ。
 涼子のストーカーが涼子を突き落としたとして、その瞬間を俺が見落とした。しかし、それもおかしい。ゆう子のAZはなぜ、そんな凶悪な人間を検知しなかったのか。ワルシャワでは正確にテロリストを捕捉していた。俺のリングは危険を知らせていたのにdots

 答えが出ずに、友哉はまた別の苛立ちを耳の奥に感じた。耳鳴りがする。小さな蝉が耳の中にいるようだった。
lineなんで俺がテロリストと戦わなければいけないんだ。これからは自分だけの、自分のための人生にしようと決意したばかりなのに。

 最初はトキという男の冗談かと思っていた。だが本当だった。三百億円と美女が報酬ならそれもいいか、とも思うが、危ない橋を渡ることを風に流されるようにしてしまっている。そう、この美女二人がテロリストと戦うための報酬だとしても、正直、癖のある女たちだから、逆に疲れが出ている部分もあり、命を落とす確率が高い戦いをする価値がある美女なのかどうかも分からない。

 テロリストや凶悪犯を命がけで駆除する仕事の報酬の美女なら、会っている時はすべてに隷従するような女が理想だ。セックスの奴隷という意味ではなく、さっとお茶を淹れて、食べたい物は何か丁寧に訊く。読みたい本を買ってくる。どこか王様に仕える執事のような女。それでいて、セックスはもちろんするが、その前後、この二人はもっと優しくできないのか。いや、そんな女はどこにもいないか。

 この二人は、英雄や大統領や国王に仕えるための教育を受けてきた女ではなく、突然、それをやらされようとしているのだから。
 そうは言ってもdots
 セックスが終わったら、次の生活にさっと移るのは生きるため以外の『やること』を山ほど作った人間の悪癖だが、せめて愛の言葉を上手に言う。まだ愛してなくて恋なのなら、楽しくそのときめきを喋ってほしい。

 利恵が、ゆう子との関係をしばし保留してくれたのは嬉しいが、セックスを淫乱に頑張るのは目的があることをはっきりと言っていてそれは結婚かお金。きちんとした家庭を持ちたいのかもしれない。
lineだったら、利恵はあきらかにトキからの報酬の女ではない。
 自分が一目惚れをして口説いた女なのだ。世間によくある恋愛をしないとだめじゃないか。

 何しろ、
「フェラーリは買わないの?」
と二回、訊かれたのだ。

 しかし、フェラーリを買えるその財力はトキから与えられたものだから、友哉は、お金持ちの対応をしたのではなく、「このお金は預かっているようなものだ」と、余計な贅沢はできないことをほのめかした。利恵がトキとは無関係の女なら、自分が働いたお金で、きちんと付き合わないといけないと、友哉は思ってやまない。もし、トキと関係があるテロリストと戦うための報酬の女なら、もっとリラックスさせてほしい、ということだ。

 利恵のこれまでの姿勢なら、ロスアンゼルスのホテルで、部屋を三人、別にしたいとか言い出すような気がする。もちろん、三人がスイートルームだ。そこで、また、三百億円の説明をしないといけなくなる。「これは遊ぶためのお金じゃない」と。
 そんな悩みと、そして日本にいる涼子と晴香が急に心配になり、ロスアンゼルスに行くのは気が進まなかったが、日本人が多く犠牲になっているとゆう子が言うから、仕方ない。

 ゆう子が嫌と言えばやめるが、
lineそうか、ゆう子が「次はロスアンゼルスです」と、秘書らしく命じたから行くのか。
 友哉は目をつむったまま首を傾げ、今回で終わりにしよう、と思っていた。

 ロスアンゼルスのロデオドライブにあるホテルに三人は着いた後、すぐに周辺の探索を始めた。ゆう子は何度か訪れたことがあるようで落ち着いて街並みを眺めていたが、利恵が有名映画に出てくるホテルやらに興奮して、ちっとも歩を進めない。

「利恵、仕事が終わってから観光しようね」
 友哉がそう言うと、
「なんの仕事?」
と首を傾げながらも、嬉々とした表情を崩さず、陽射に向かって顔を上げた。
「眩しい。ヤシの木、高級車、ルイヴィトン!」
 まさに、輝く笑顔を作った利恵を見たゆう子が、「かわいいねえ。なんで友哉さんと出会った時に彼氏がいなかったんだ。ありえないわ」と妙な愚痴を零した。

「おい、なんでこんな場所にホテルを取ったんだ。利恵の思う壺じゃないか」
 ゆう子に耳打ちすると、
「利恵さんがこういう場所が好きだなんて聞いてなかった」
と口を尖らせた。
 乱射事件が起こる大学から、もっとも近いホテルまで数キロあって、転送をすると体力を戻すまで八分もかかると聞かされた友哉は、その八分が怖くなり利恵を同行させることにしたのだ。

「ようは、大学の近くのホテルにしようと思っただけだもん。わたしだって、なんか買って帰りたいし」
 ゆう子の言葉に、友哉が溜め息を吐いた。
 大学の近くにカフェがないか探していると、都合よく昼間から営業している小さめのバーが見つかった。カフェと比べて安全性も高い。人が少ない店はテロリストは狙わないのだ。
「この距離なら、ワルシャワの時とあんまり変わらない。大丈夫?」

「学校とここがだよね? ホテルとはけっこう離れている」
「だんだん、慣れてきてるから、そんなに体力を失うことはないよ」
「まあ、確かにガーナラに慣れてきた感覚はある。事件当日、営業しているか聞いてみよう」
 コソコソ話していると、利恵が笑みを消して、少し苛立った表情を見せた。
 店内に入ると、初老のマスターが、「やあ、初めて見る顔だ。でもこの店は日本人の学生のたまり場だよ」と快活に笑った。ゆう子と利恵を学生だと思ったようだ。

「まさか、事件が起こるのは日本人学校なのか」
「違うよ。普通の大学だよ。ロスは今でも留学先に人気だからね。日本人は犠牲になってると思う。わたしがよく覚えているのってみんなそうだよ。ワルシャワのもそうだったから」
「さっきからコソコソなんの話をしてるんですか」
 利恵が怪訝な表情を見せ、持っていたビールのグラスを置いた。
 友哉とゆう子は、利恵にどのタイミングで秘密を話すか打ち合わせをしていて、それが今だった。

 だが、ゆう子は利恵の不機嫌な顔を見て、別のことを考えていた。
line悪い人間をやっつけたい。こんなチャンスが訪れるなんて。
 バーボンが入ったグラスを握りしめる。
「昼間からバーボンか」
 友哉の呆れた声も耳に入らない。ゆう子は興奮していた。
 偉そうに道徳を口にして、平気で人を騙す偽善者たち。そう、あの憎むべき母のような人間だ。

 母は近所で評判の善い人。綺麗ごとばかり言いながら騙した男の数はきっと数えきれない。しかも結果そうなった恋愛ではなく意図的だった。俗に言うと、「わざと」だ。
 今思えば欲求不満だったのだろう。夫、つまりゆう子の父と寝ている様子はなく、子育てにも積極的ではない。お酒、煙草dotsだが、英会話を習っていて、「万が一の時のために」と口にしていた。色っぽい服装のまま、英会話のテレビを熱心に見ていた。

「沖縄で少し覚えたしね。黒人はいいよ。セックスは。愛の言葉は熱心で、それでいてあれが太くて大きくて。慣れるまでは痛かったけど」
 ゆう子にあからさまにそう言うと、古くなったソファで寝ている夫を軽蔑するように見た。
「あんた、彫が深い美少女でしょ。あっちの血が少しは入ってるよ。お母さんの、お母さんが米兵らやられたからさ。その子供がきっとわたし」
「だからなに?」

「なんなの、その反抗的な目付きは。だからね。お母さんと同じになるって意味よ」
「顔でしょ」
 そう指摘すると、またびんたがゆう子の頬を叩いた。右手の中指に指輪をしていて、それが頬骨に当たると、ゆう子は鼓膜が破裂するかと思うほどの激痛で涙を滲ませた。
「敬語、使うんだよ。こういう状況は」

 美人だった母、奥原アンリはヒップのラインを強調した服装やミニスカートでわざと満員電車やバスに乗り、痴漢をやりたそうな男を探し、触ってもらって楽しんだ後、叫び声をあげ、その痴漢を駅員に引き渡すプレイを月に何度もやっていた。酔うとその話を楽しそうにする。「街は楽しい。頭の悪い男がいっぱいいる」と。なのに翌朝は、近所の子供たちのために、交通係りのパトロールに出かけていた。「ゆう子が交通事故に遭わないように」と、優しく笑っていた。

 今で言う出会い系のような風俗で男を見つけてはセックスをし、お金をもらい、そのお金を寄付して自慢をする。しかもお金を母に渡した男は必ず貶められていた。「三人は離婚させた」と、また酔うと自慢をする。小学生のゆう子には意味が分からないと思ったのか、話し相手が欲しかったのか、男のことで何かあると饒舌に語っていた。ママ友には話せないような悪行だったからだ。「それはお母さんが悪くない?」と言うと、頬を思い切り叩かれた。反抗的な目を少しでも見せると、時にはお腹を蹴られた。

「男は女の体が目当てなの。ゆう子も大人になれば分かるよ。いや、高校生にでもなれば分かるかな。あんた、美人だからもてるよ。男はセックスだけをして結婚する気がない。いい男は皆そう。ひどいもんよ」
「お父さんは?」
「だからお父さんのようなしがないサラリーマンとしか結婚できないの。お母さん、美人だけど、二枚目でお金持ちは美人にさらに付加価値がないと結婚してくれない。ま、沖縄にはお金持ちもいなかったしね。もっと早く東京に出てきたかったよ」

 ゆう子が小学六年生の時に、一家は東京に出てきていた。
「お母さんはお父さんの仕事で東京にくることができたのに」
 ゆう子が首を傾げながらそう指摘すると、
「お父さんの手取り二十八万円がこの美貌と体と不釣り合いなのよ。あんたもそのうちに分かるって」
と言って、娘のゆう子を足から頭までを舐めるように見ていた。こんな話になると、目を気味悪く笑わせながらゆう子を見る。いつもの癖だった。

「かわいいねえ。あんた、美人だから若いうちならその体に一億円以上の価値があるよ。処女のまま、お金持ちを探しなさい。学校の教師とか、金のない男とやったら大損だよ」
と言うと、自虐的に自分を指差した。
「そんなお金いらない」
「あはは。じゃあ、男に何を求めるの? まさか幸せ?」
「強くてかっこいいから、それでいいんだ」
「あら、言うわね。誰を見て言ってるの? お父さんだったら大笑いよ」

「戦ってる男のひと」
「あんた、お母さんに対する嫌味だよね。殺すよ」
 母が目を釣り上げたのを見て、ゆう子はさっと顔を両手で隠した。
 米兵が嫌いで沖縄から出てきた母のその話をずっと聞かされてきたゆう子は、戦争映画の勇敢な男たちを見て、彼らに憧れるようになっていた。反抗期だったのだ。
「戦って家に帰ってきた男のひとを慰めるのが、女の役目だと思う」
「戦争映画の影響? それで女優になりたいとか言いだしたのか。そんなの昔の話よ」

「お父さんだって、仕事から帰ってきたら疲れてるのに」
 ソファでぐったりしている父は、まさに過労死寸前だった。妻アンリは何も介抱もせず、父は腹が空くと、自分でコンビニに弁当を買いに行っていた。
「全然、戦地から帰ってくる男とは違うよ。ただのサラリーマンじゃないの」
「わたしとお母さんを養うために頑張ってるのに」
 ゆう子の言葉に、母はまさに爆笑した。男の前では口に手をあてて笑うが、奥歯まで丸見えになった。

「才能がない男が頑張っているのを見て騙される女になるね」
「頑張ってるのに、才能がない?」
 ゆう子が首を傾げていると、
「頑張っているようでいて、時間の使い方が下手くそなだけ。疲れているのは自業自得。才能がある男はそつなく仕事をこなすの」
と教えて、ゆう子の頭を軽く叩いた。「バカだね、あんた」と言う。

「あんた、美人になるから酷い目に遭うよ。覚悟した方がいい。あんたをかわいい、かわいいと言いながら弄んでポイってね。合法レイプってやつよ。セックスは男にレイプされるか、女が男を騙すか、その駆け引きなのよ」
「違うと思う。お母さんが沖縄で見た悪い兵隊さんたちはたまたまで、かっこいい兵隊さんたちの方が多いと思う。クラスの男の子たちも優しいもん」

 ゆう子がそう反論すると、また殴られた。平手ではなく拳を作っていた。
「なんて口のたつ子供なんだ」
「お母さんは、なんでわたしを殴るの?」
 歯が折れたような気がして、口の中に指を入れて、歯が残っているか確かめながら言った。
「あんたが子供のくせに、母親を批判するからでしょ」
「男のひとが悪いって、一方的に言うんだもん。疲れてるだけなのに、何が悪いのかわかんないもん」

「じゃあ、わざとセックスで男に嫌われるようにしなさい。そう、淫乱になるといいよ。男たちはあんたを射精に利用して、家事が得意な貞淑な女と結婚するから。それで男の本質が分かるってものよ。もし、セックスと顔だけのあんたと結婚する男がいたら、お母さん、あんたに謝るよ。その男がお金持ちだったら土下座して、沖縄に帰るよ」
「セックスと顔だけじゃないもん」

「なに言ってんの。こっそりとアダルトビデオを見てる子供が。自分でそこ触ってるの、知ってるよ。母親を舐めんなって」
 ゆう子の母アンリはそう嘲笑すると、近くにあったティッシュボックスをゆう子の股間に投げつけた。
 東京の郊外にある社宅のマンションの部屋は荒れていた。掃除はゆう子がしていて、父は遅くまで働いていた。父の下着もゆう子が洗濯していたのだ。

 母アンリは主婦で、料理も作らず時間が余っている時は男を探しに行っていた。少し掃除をすると、「美人は家事をしなくていいのに」と愚痴を零していたが、ママ友にはそんな傲慢なことは絶対に口にしない女だった。
 ゆう子は母と男性論で口論をするようになった小学生の五年生頃から、ポルノの漫画を読むようになり、父が見ていたAVもこっそりと見るようになった。
「淫乱な女ってどんな女だろう」

 母がそんな女だと察して、痴女が出てくるAVをよく見ていた。どちらかと言うと女が積極的になるセックスだ。
 ペニスが早く欲しいと哀願し、精子を顔や口で受ける女たちだった。時にはそこに男は数人いた。あるAV女優のブログを読んだら、
「今日も興奮した。わたしは本当に男性が好きだなあって思う。監督が射精しなかった男優さんを蹴らなければ最高の職場。いっぱいいっぱいセックスしたい」

と撮影日記に書いてあった。
lineああ、ここまで男性を好きになりたいな、お母さんとなんでこんなに違うのかな。
と、ゆう子は羨ましくなった。
 ゆう子は憎らしい母親に対抗する決意でいた。母が男性を憎んでいるなら、自分は死ぬほど好きになると。
 料理や裁縫など、まったくできなくても体と精神だけを愛してもらうんだ、と考えていた。
 そう、母の忠告を覆したかったのだ。

 それと、女がしつこくセックスを求めて男が戸惑うセックスは、大雑把なゆう子には女がとても楽しそうに見えた。
「なんかわたし、男のひとが媚びるセックスも嫌だし、女が媚びるセックスも嫌だし、セックスがよく分からないんだ」
 高校生の頃、ゆう子はクラスメイトの女子たちとそんな話をした。
「男の子の言うことを聞いた方がいいよ。口に出したいとか言われたらさ。じゃないと嫌われるじゃん」

 経験がある女子の一人がそう言った。
「そういうの愛じゃないよね。媚びてるよ」
「媚びてるんじゃないんだよねえ。中に出されるよりマシだし、ブスはそれなりに頑張らないと。あのさ、ゆう子は美人だから何をやっても許されるよ。もうすぐ女優になるんでしょ」
 クラスメイトたちはそう言って、げんなりした顔を見せた。
 初体験は高校を出てからと、美人にしては遅かったが、ゆう子はさして好きでもない先輩と淫乱に自分本位のセックスをして、母の予言通りに抱き捨てられた。

line抱いてくれたから今から好きになろうとしたのに。…だけどわたしはその男のひとたちを貶めたりしない。
 そして母に反発して、強い男性に対する憧れが強かったゆう子は、抱き捨てられたとはいえ、その男たちのペニスの力強さに夢中になっていた。
line痴女のように攻めてるのに、逆に押さえ込まれてしまう。すごい。
 男によってはペニスの力だけで、ゆう子を動けなくした。

 愛のないセックスは嫌だったのに、それが女の体の芯を痺れさせることが分かったゆう子は、きちんと恋もしないまま、二十歳を過ぎ、女優業をやりながら、酒、煙草。そして、時々、酒に任せたセックスの日々を過ごした。好きな男性が出来ず、セックスはそれほどしていない。
 恋ができない事情は別にもあったが、たまのセックスはセックスから始まる愛、そして結婚を目指した暴走だった。
 ちょうどその頃にパニック障害を患い、さらに酒浸りになってしまった。そしてセックスをしなくなって二年ほど過ごした後、友哉と出会った。

 ゆう子は、いぶかしげに自分を見ている友哉をちらりと見た。また、
「バーボンなんか飲んでいたら、例の話ができなくなるぞ」
と叱られる。お酒は、セックスの時以外は控えるように、友哉から注意されていた。
「怒った顔がイケメンだね」
「ほら、酔ってきた。利恵、水をもらってきてくれないか」
 友哉が、ゆう子のグラスを取り上げると、利恵が、片言の英語で水を頼みながら、カウンターまで歩いた。

 成田空港で見た佐々木友哉は、母がきっと見惚れるような紳士的な二枚目で、トキから得た強さがもし本当なら、まさに英雄だった。トキは、「友哉様が復活すれば、テロリストなど赤子の手を捻るよりも簡単です」と笑ったのだ。ガーナラが精力を増幅させることも知っていたゆう子は、
line早くセックスがしたい。力強く抱いてもらいたい。

と飛行機の中で興奮していた。バスルームをなぜ覗かないのか、と叫んだり、強引に口の中に射精をしてもらったのも、友哉にすぐに捨てれたくなくて、進んで体を差しだした形だが、それはクラスメイトたちが言っていたような媚びではない。必死というやつだ。お芝居じゃないし騙してもいない。抱かれた後、男性に捨てられたくないだけだ。
『ブスは頑張らないといけないんだよね』
 クラスメイトはそう言ったが、自分は性格ブス。

 男にやり捨てられるのはそのためで、セックスは関係ない。胡坐をかきながら、煙草の煙を男に吹きかけていては嫌われて当然だった。口から煙をはきながら、厭世主義を口にしたと思ったら、セックスの下品な話をしてトイレの排泄までも見せびらかす。オシッコをしながら愛の言葉を言ってみせ、
lineセックスと顔だけで結婚してよ。
と試していたのだ。

 母親との闘い。すでにこの世にいない母との長い闘い。気が遠くなるようなdots
 暖かい季節に部屋で裸になる癖や行儀の悪さは母親の影響ではないが、佐々木友哉と出会い、「これを頑張って治した方がいいかな」と悩んでいた。だが胡坐をかいてお酒を飲んでいるのを友哉が嫌い、部屋から出ていくことはなかった。痴女のようなセックスは少し嫌そうだが本気で怒ったことはなく、帰国後、マンションでの約二週間も優しかった。

line顔とセックスだけで、こんなに優しくしてくれている。見たか。遂にきたぞ。
 初めて、長い期間、男性に優しくしてもらった。パニック障害を気遣いすぎて、力強く抱いてくれないのが不満だが、「女を次々にレイプできるようなケンカの強い男が、それをわたしにはせず、超優しい。お母さんさ、早く謝りに来なよ」とあの世にいる母親に毒づいた夜もあったが、それでも母はきっと、「その男がかっこよくても、あんたの周りには凶悪な男がいっぱいいる。その男もじきにあんたを捨てる。そのうちに泣くことになるよ」と嗤うだろう。

 米軍基地の兵士が怖くて、沖縄から九州に逃げた母の口癖だったline
 母に似た劣悪な女たちと暴力で人を平気で殺す男たち、どちらも懲らしめたいと思って生きていたが、そんなことはできないはずだった。ところが、未来の男からもらったAZという装置と友哉の銃を使えば、それが可能なのだ。
 ゆう子は、AZの画面を見ながら、日本で起こる凶悪事件や誠実そうな男性が女に貶められる事件を毎日、それこそ寝るまも惜しんで探していた。

 凶悪な男と劣悪な女を友哉さんに退治してもらう。奴らがいなくなれば、わたしの勝ちだ。あの傲慢で自信たっぷりだった母に勝てるのだ。そんな途方もない夢を持った。
「ユートピア」
 ゆう子が虚ろな目でそう呟くと、友哉がまた、うんざりした顔をした。
「利恵にする話は今夜にするか」
「利恵さん、わたし、ユートピアを作るんだ」
「ユートピア?」

 利恵が怪訝な顔つきを見せ、ゆう子を覗きこんだ。
「劣悪な女とテロリストみたいな男たちがいなくなる世の中」
 ゆう子がそう言うと、友哉が間髪入れずに、
「ふざけるな。テロリストが目指しているのもユートピアだ」
と言って、ゆう子の酔いを冷まさせた。まさに冷水を浴びせた形になった。
「へ?」

「ユートピアは独裁者が目指すものだ。テロリストの夢も自分たちの宗教の世界を築くユートピアだ。ゆう子のように善人だけの世界を創る夢があるのも、無政府のユートピアや若者だけのユートピアを目指すことになって、結局は誤って多くの人を殺すことになる。直接、手を下さなくても、別の土地に追いやる過程で、餓えや病気で死なせることになる。妙なことを口にするな」
 友哉の冷静な怒りに、ゆう子は思わず、「すみません。抱いてください」とオロオロしながら言った。冗談に聞こえたのか、友哉はさらに不機嫌になったが、利恵が、

「奥原さんは酔った勢いで抱いてほしいって言ったけど、大人の知性とオーラが出てた。なんでそんなにスラスラ言えるの?」
と友哉を見つめた。
「ゆう子の性格を脳にインプットしているから、くだらない思想を言いだすのは想定内だ」
「ふーん、あなた、何者?って言いたくなる。映画の台詞みたいだけど」
「ごめんなさい。酔いは冷めました。今から何者か教えるよ」
 ゆう子が利恵を見て、頷いた。

 昼間とはいえ、店内はバーらしく暗かった。女性ボーカルのジャズが流れている。オリジナルとは違う『青い影』という名曲だった。
「利恵さん、わたしたち、世界征服を企んでいる秘密結社の人間なの」
 ゆう子のいつものくだらないジョークに、友哉は笑うこともできずに顔を下に向けた。
「ごめんなさいとか言ってて、それか」
 利恵が呆気にとられているのを見たゆう子は、AZを目の前に出してみせた。
「え?」

 利恵が声を上げた。
「マジックみたいでしょ」
 画面の日時情報に触れると、十六日にロスアンゼルスの大学で銃を使ったテロ事件がある文書が浮かんできて、それにも利恵は目を丸めた。死者の数が十人強など、大雑把な詳細がタブレッドの表面に浮かんでいる。
「文字が3Dみたいに浮かんでるけど」

「天井まで飛ばせるよ。わたし、夜にベッドに寝ながら、部屋でプラネタリウムを見ているみたいに、AZから出る話を部屋の空中で読んでる。あまりにも目に優しいし、疲れないから夢中になってしまう。だけど、今それを見せると店の人たちがびっくりするね。秘密結社は嘘よ。これは未来の人からもらった、これから起きるテロや凶悪事件を予知するエーゼットって名前のAiなの」
 利恵は言葉を失っている。

「それを阻止するのが友哉さんで、あ、銃は出したらだめだよ」
「出すわけないよ」
「友哉さんは特殊な拳銃を持っていて、こんなふうに取り出せて、敵と戦うんだ。実はワルシャワのテロリスト殺人事件の日本人は友哉さんなの」
「ええ?」
 利恵が甲高い声を上げたものだから、バーのマスターが目を丸めた。

 ゆう子が英語で、「ごめんなさい。気にしないで」とマスターに微笑みかけた。
「本当にあのテロリストを撃ち殺して消えた謎の日本人が友哉さんだったの?」
「そうだよ。殺人犯なのにネットでは逆に人気になってるから、わたしは悪い気はしてないよ。外交問題にもなってないね」
 ゆう子が笑った。
「アメリカがマークしていた過激派組織の一員だよ。それを片付けちゃったの?」
 利恵が、友哉の肩を揺するようにして掴んだ。

 頷く友哉。だが特に自慢げになる様子もなく、無表情だ。それを見たゆう子が、
「クールでしょ。このひと、何がどうなったら楽しい人なのか分からないんだ」
と、ゆう子が呆れた顔をした。
「人を殺して楽しいはずがない」
「真面目だね。友哉さんがもし、アメリカの軍の人なら勲章ものだよ」
「青い空と海をくれ」
 友哉かポツリと言った。

「なに言ってんの?」
「都会のイベントと執筆で缶詰ばかりの人生だから、後半はのんびりしながら、海亀と美女を見て暮らしたい」
「わかったよ。海亀の縫いぐるみ買ってあげる」
 ゆう子は友哉の願望を聞いておきながらその言葉を軽視して、話の続きを始めた。
「利恵さん、このひとはつまり、殺人犯とも言える。どうする? 降りる?」
「え? 殺人犯じゃないよね。世界中で絶賛されている」

 利恵が失笑した。
「OK。彼女、偽善者じゃないね。さすが、友哉さんの彼女」
 友哉にそう言うと、利恵は黙って頷いた。友哉が少し嬉しそうな表情を見せていた。
「桜井真一って刑事にもマークされているから、利恵さんの迷惑にならなければいいけどdots
 ゆう子がそう言うと、
「ここに連れてきたのが、もっと迷惑だと思う」

と友哉が苦笑した。
「大丈夫。なんか買ってもらう。奥原さん、ブルガリの指輪してるし」
「日本より安いからブルガリのネックレスやスカーフも買ってもらえば? でね。一見すると、スーパーマンだけど、疲れたらセックスしたり、女の人に触ってもらったりしないと死んじゃう体なんだ」
 ゆう子は意地悪っぽく、
「本当に死ぬのよ。発狂死、または突然死」

と言った。
「また言う。そこを強調するなよ」
 友哉が、瞼を重くして息を吐きだしたのを見たゆう子は、「ごめんなさい。利恵さんにそこを説明しないとだめだったから」と頭を少し下げた。
「で、未来の人がどうしたの?」
 利恵は少しだけバカにしたように笑った。
「友哉さんが事故で車椅子の生活をしていたのは知ってる?」

「うん。ちょっと聞いた。それで奥さんと離婚になったって」
「リハビリを続けないと歩けない体だったのに、未来からきた人が一瞬で治してくれたのよね?」
 ゆう子が友哉の顔を見た。彼が黙って頷いた。
「体を治した代わりに、テロリストたちと戦ってほしいって言われたらしいの。他にも大事なことはあるけど、とりあえず今日はそれでロスに来たんだ。わたしも未来人からそれを聞いて、友哉さんの秘書になって、その仕事をしてるの。ちょうど女優を休みたいと思ってい

たから別にいいなって」
「じゃあ、本当にセックスだけの関係だったんですね」
 利恵はテロや未来人の話を脇に置き、恋愛の方に関心を示した。
「厳密に言うとそうかな。片想いは嘘じゃないし、もっと複雑だけど」
「片想い、ありがとう。で、何が複雑なんだ」
 友哉はそうは訊くが、言葉とは裏腹に関心がなさそうで、ゆう子は、ちらりと友哉の顔を見て、続く言葉を飲み込んだ。「鈍感」と唇が動いていた。

「片想いをしてやってるのに、バカにしやがって」
 ゆう子が毒づくと、
「バカにしてないよ。ありがとう」
と、また礼を言う友哉。だが、ゆう子は不満そうだ。すると、友哉が、「さっき、俺の夢を無視したくせに」と子供みたいな顔で呟いた。
「聞こえない。もっと大きな声で文句を言って」
 ゆう子がそう叱ると、ふて腐れてしまう。利恵がその様子を見ていて、

「うーん、やっぱりカップルに見える。セックスだけdotsセフレじゃなくて、友哉さんを好きなんですよね。そういう記者会見だった」
と言った。
「うん。まあ、そんな話は今度でいいよ。このひと、誠意がないからさ。むしろ、わたしはあなたのウエストが何センチなのかが気になる」
「は?」
 利恵が目を丸めた。

「すまん。奥原ゆう子は適当に喋り続ける三流女優なんだ」
 友哉がそう謝ると、
「さ、三流女優? 主演女優賞を取ったことがあるのに」
 ゆう子が体を大げさに傾けるほど驚いた。
「その小芝居が三流。主演女優賞じゃなくてリアクション大賞なんじゃないか」
 友哉のジョークに利恵がくすくす笑っている。
「上品な笑い方をするよね。で、何センチ?」

「55かな」
 またゆう子がのけぞった。今度こそ、椅子から落ちるほどだ。
「頑張ったら54か3になりますよ」
「頑張らなくていいよ!」
「おまえは?」
「60。頑張ったら62か4なるよ」
「今のは今までで一番面白い」

 友哉が笑ったのを見て、ゆう子が勝ち誇ったように不敵な笑みを零した。
「で、あなたに仕事を手伝ってほしいのは、今、友哉さんの彼女だからだけど、わたしが一人じゃ支えきれないから、一緒にサポートしてほしいわけ。友哉さんが倒れたら、セックスで回復させてほしいのよ。セックスができない時は触ったり、見せたりするのもいいんだ。美女なら元気になるから単純な男よ」
「俺の批判を合間に入れないでくれ」

「もちろん、利恵さんは友哉さんの彼女で、わたしは秘書って立ち位置は変わらないから。dotsなんて言うのかな。嫌ならいいのよ。仕事だからね」
「嫌と言うか。未来の人って本当なの? なんで、友哉さんとゆう子さんがテロや凶悪事件と戦うんですか」
 ようやく、重要なそちらに話が移った。
「本当に未来の人かな。わたしはそう思っているけど、第三者に問われると断言できないね」
 ゆう子が友哉に聞いてみる。

「なに人でもいいよ。足も治ったし、金ももらったし」
 ゆう子も「そうだね」と呟いた。
「三百億円はそのお金? つまり成功報酬なの?」
「そうだ。いくら体を治してもらったとはいえ、そんな危ない橋を渡るはずない。金があるからテロリストと戦うわけだ。この仕事が終わったら、その金で南の島でセミリタイヤだ。もし、俺が急に気が変わったら、おまえの銀行にある三百億円が消えてしまうかも知れない。だから一応、引き受けた仕事はする。本当にあるよね? おまえの勤めている銀行に」

「うん、ある。ササキトキの名義で」
「しかも存在しないから、非課税」
「佐々木時さんはどこにもいないけど存在はしているよね。国税局がやってきた」
と利恵が教えた。
「国税? テロと戦うために寄付してくれた人生の最後が立派な男の金を国が奪ったら、俺は本気で怒る。ふざけんな」
「ひい。落ち着いて」
 ゆう子があからさまにおどおどと落ち着きを無くす。

「本気で怒ったらどうなるの?」
 利恵がまた軽蔑するように笑った。友哉は何も答えず、ゆう子が、
「まあ、わたしの力と合わせて、国税局が消滅する?」
と、頭を人差し指で掻きながら言った。
「そこまではしない。税金で購入した高級車を全部壊して回るよ。利恵の言うように、本当は存在しているから法的に凍結は無理だ。つまりササキトキは今は行方不明みたいなもん。

桜井さんに、ササキトキは行方不明者として死亡証明書の書類を作らないように言ってある。なのに、国が勝手に押さえたら国との裁判だが、有名弁護士五人に大金を渡して、国税が動かないようにしている。弁護士に三年間、時間を引き延ばすように頼んだ」
 軽い口調だったが、眠そうだった目の奥が鋭利に光り、ゆう子と利恵が驚いた。
「知らなかった。いつの間に。なんなのその用意周到な行動力」
 思わず声を上げるゆう子。

「そうだったんだ。銀行に国税局の人たちがやってきたら、すぐに弁護士軍団もやってきて、びっくりした。弁護士たちは社長が呼んだんだけど、友哉さんが手を回していたのか。男のひとって怖いなあ。でもお金はだいぶ減っていた。そんなに弁護士に渡したの? 別の口座に移した?」
「リスク回避した。株や金に変えたんだ。当たり前だ。そして利恵、俺の口座を勝手に見るな」

「勝手に見られません。うちの社員の男が調べようとしていたの。うちのお金を使いこんでる噂がある男。彼が社長に呼ばれて専務と尋問した時に、友哉さんのお金だからって、わたしも立ち会ったの。その時に三百億円じゃなくて、二百億円って話になっていた」
「なんだ、その姑息な奴は」
「なんだって、言われても。わたしの斜め後ろに座っている若い上司」
「斜め後ろ? そんな奴が利恵に触ったら、病院送りにする」

「道徳も語らないし、悪いこともしない不思議な男性と思っていたら、やっぱりワルだね。そして、利恵さんは僕だけの女ってことか」
とゆう子が言った。それでいて気にしていない様子で、淡々と話を続ける。
「トキっていうその未来の男の人が言うには、友哉さんはトキさんのご先祖様で、まあ、本当かどうかは分からないけど、友哉さんは天才的なケンカの達人らしいよ」
「ケンカは嫌いだって」

「よく言うよ。高校生たちを病院送りにしたのはなんで?」
「え? そんなことも知ってたのか」
 友哉が大げさに驚く、少し顔色を変えた。利恵も目を丸めた。
「飛行機の中で見つかった文献。不思議その一、なんで高校生たちをリンチしたのか。不思議その二、なんで友哉さんは逮捕されてないのか」
「トキが作ったその文書が間違えている」
 友哉が気を取り直して言う。

「俺は手を出してない。彼らが勝手に病院にトコトコ歩いていったんだ」
「そのままま読むね。友哉様は約三年前に、事情があって高校生五人を病院送りにしました。火傷、裂傷、顔面骨折。私たちが力を与える前です。今は人が変わったように内向的になっていますが、卑怯な人間を目の前にすると怒り出すので、ゆう子さんのジョークがしつこくてくだらないと怒るかも知れません」
「妙なオチが入ってるが、トキがそんなことを言うのか」

「このテキスト。実はトキさんじゃないんだ。でもね、その人の名前をまだ言ったらだめだって。なんでもアンロック方式だよ」
「アンロック方式?」
 利恵が興味津々、AZを覗きこんだ。
「時間が経って、物事が解決していったら、友哉さんの秘密や、未来の人たちの隠し事が出てくるの。つまり、わたしが思うには、友哉さんがロスに来ている今、少しは復活してきた

から怒らせないようにってこと。だから昔に不良高校生たちを五人一度に病院送りにしていますよって急に出てきたんだ」
「なるほど、奥原さんのジョークがくだらないと怒りそうね」
「利恵も意外と面白いな」
「だって、くだらないから」
 利恵がさらっと言ってのけ、ゆう子が、利恵を見て言葉を失った。

「な、なんて言うのかな。軍の隊長になって、作戦を完璧に成功させるタイプ。そうね。どちらかと言うと頭脳派かな。そして、わたしが友哉さんのために選ばれた女。そうなんでしょ」
 気を取り直して説明するゆう子。
「少々お喋りだが、あなたにぴったりの女性ですと、トキに言われたが少々じゃなかった」
「え? そんなこと言われたの? 他には」

「他は身長や指輪のサイズ。実はスリーサイズは知っていた。さっき、ウエストは60って言ってたけど、太ったのかな。82、58、83。過去のことは知らない。女性のセックスや恋愛の過去は教えられないってさ。真面目な未来人だ。それに女優って知らなかった。その記者会見とやらは新聞で読んだけど、興味なかった」
「そうだったんだ。でも、そんなにお喋りじゃないけどな。トキさんはそう言って、わたしを友哉さんの秘書に無理にしたけど、女は別に利恵さんでもいいのよ。もしかすると、松本

涼子でもいいんだよね」
 ゆう子がそう言うと、
「おまえじゃないとだめだと思う」
 友哉が間髪入れずに言った。ゆう子の目が一瞬輝いた。曇っていた空から太陽の光が零れたようだった。
「奥原さん、告白ですよ」
 利恵が微笑んだ。ゆう子は利恵のその余裕が癪に障ったが、素直に喜んで、
「わたしじゃないとだめなんだあ」
と体を揺らしながら微笑んだ。照れすぎて顔が真っ赤である

「海外旅行に慣れてるから」
 ゆう子が体の動きを止めて、テーブルの下で友哉の足を蹴った。
「ケンカしないでください」
 苦悶の表情を浮かべている友哉を見て、利恵はおかしそうに笑った。
「ゆう子、おまえ、お喋りじゃないのか」
「うん。いつも物事をしっとり考えている女だもん。言葉遣いが男の子みたいだって言われるけどね」

「セックスもすごいもんね。ずっとたってる」
「おまえ、女の子が歓ぶような優しいセックスよりも激しいのが好きだからよかったよ。でも普通のセックスもできるので」
「うん。分かってる。普通のもやってくれてるもんね。二階から飛び降りて、松本涼子を助けたのは本当なんだ。かっこいい」
「本当だけど、やっぱりその後、意識を失った。オリンピックに出たら世界一の記録を出せそうだが、その瞬間に死ぬと思う」