第六話 利恵の欲望とパリスの審判

【ここまでの登場人物】
◆佐々木友哉(四十五歳)小説家
◆奥原ゆう子(二十七歳)女優
◆宮脇利恵(二十五歳)OL
◆松本涼子(二十歳)アイドル歌手
◆桜井真一(四十八歳)公安警察官
◆トキ 友哉の子孫。約千年後の世界の君主
◆シンゲン トキの仲間?
◆律子 友哉の別れた妻
◆晴香 友哉の娘

 ◆

 午前中から厳しい猛暑だった。
「応接室に案内してくれないか」
 利恵を呼び出した友哉は、彼女とすばる銀行の裏口の通路にいた。
「かわいい制服だ。ここで抱きたい」
「防犯カメラがある」
 恥ずかしそうにした利恵の俯き方がとてもかわいい、と思い、適度な快楽を得られる。

「監視されるのは慣れているけど、また今度にしよう」
「?」
 軽い口づけだけをして、応接室に二人で向かった。そこからゆう子と通信を開始する。
「宮脇利恵には会った時にチュってするんでしょ」と、ゆう子が言う。
「え? なんで見られるの? 悪意でもあった?」
「なに? 本当にしたのか」
lineしまった。単純な誘導尋問だった。なんて女だ。

「マジで刺す」
 ゆう子が低い声を出して言う。友哉が落ち着きをなくしているのを見て、
「どうかしたの?」
と、利恵が顔を覗きこんだ。
 利恵とはあの日から何度か食事をしていて、言葉遣いも恋人同士のようだった。
「今度、話すよ」

 またゆう子が不機嫌になったかと思うと、やる気がなくなってくる。副作用の回復と仕事も兼ねて、宮脇利恵との付き合いの了解をしているのに、嫉妬深いのは変わらずdots
lineまあ、女ってそういうもんだけどな。
 涼子のことを思い出す。夫婦仲が悪くなってからは、執筆を安いホテルと温泉宿を転々としながら行っていた友哉に、「晴香のためにたまには家に帰って」、と言っておきながら、帰ると次に会った時に機嫌が悪かったものだ。

 その頃、涼子は高校一年生。父親の編集者、松本航と一緒にホテルにやってきていた。
 友哉は気を取り直して、大人びた所作を見せる利恵を見た。二十五歳とは思えないほど、優雅に振る舞う女だった。普段は長めのロングスカートを好み、風でスカートの裾が揺れると、その夏のそよ風がまるで彼女を運んでいるかのよう。奇妙な言い切り調の言葉遣いをするが、「昔は誰とでも敬語で喋っていて友達が出来なかった」と言っていた。

 SNSに投稿する際の文章と自分の喋り方は似ているらしく、わざと面白い言い切り調で投稿を続け、普段の喋り方も改善させたらしい。だが、今の彼女も友達が多そうには見えず、それを指摘すると、「飲み会では人気者になった。だけど、合コンや飲み会が嫌いだから、友達も一気には増えないし、そもそも性格が悪いのかもしれない」と笑った。

自虐的には笑っておらず、そんなことはどうでもいい、という表情を見せていた。
 最初にモンドクラッセ東京で彼女を抱いた日に、友哉は、「佐々木時」と名乗っていたが、今は、本名を教えてあった。口座名義は、海外にいる親戚のものだが、それは税金対策で、「お金は僕のものだよ」と教えておいた。

 『ササキトキ』と利恵が付き合っていることは、社内に知れ渡っていた。利恵がリークしていたのだ。公然の関係にして、友哉が銀行内を動きやすくするためと、社長がまた何か企んでいたら、利恵の耳にその噂が入るようにしたものだ。これだけの美人なら、上司からもかわいがられているはずで、社長の失言が利恵の耳まで届くこともあるだろう。

 富澤は、友哉に挨拶を済ませると、なんと利恵にも「ゆっくりしていってもかまわんぞ」と愛想を振りまいた。
line何か企む器には見えないな
 思わず失笑してしまう。
「佐々木さんと君が結婚したら、君も億万長者。ものすごい玉の輿だ。佐々木さんは独身ですよね。いや、宮脇くん、こんな男だ。世界各国に女がいるかもしれんぞ」

 よく使われる薄っぺらいジョークに反応したのはゆう子で、
「センスのないおじさんだね」
と笑った。
 友哉が応接室を見て、
「桜井さんはいないのか」
と訊いた。友哉は、公安の桜井真一を呼んでいた。一人で来るように言ってもらってある。

「連絡をしておきましたが、佐々木さんからお金を貰ったから、今頃、バリの高級リゾートホテルにいるんじゃないですか」
 富澤が大柄な体を揺らしながら笑った。
 ゆう子が、
「友哉さん、信用していいの? 桜井ってやつ。レベル3だよ」
と指輪を介して話しかけてきた。

「独身らしいな。じゃあ、失うものもないと脅しは効かないか。土下座でもするよ」
 打ち合わせの時、ゆう子が桜井真一をAZで調べると、独身、四十八歳、埼玉県在住であることが分かった。他に、「スマホの中に元カノの写真があって、その刑事、その子を探している。行方不明みたい」と、ゆう子が言った。
「興味ない。それ、敵になると、本当にスマホにも警視庁にも侵入できるんだ」

「他に何か調べる? 友哉さんのことを嗅ぎ待っているよ」
「それは当たり前だ。そんなに悪い奴じゃないから、その子でも捜してやれば?」
「それは無理。その女の子は友哉さんとはまったくの無関係だし、名前しか分からない。児玉咲」
「警察で見つけられないんじゃ、死んでるか。どうでもいいよ」
「ハードにクールだね」

「目の前の真実にしか興味がない。過去はほとんどが事実とは異なる。人間の記憶は曖昧だ。後に誇張される場合も多い。つまり、行方不明かどうか怪しいというこだ」
 そう言うと、ゆう子は、「やれやれ」という顔をして、
「さっさと、利恵さんの待つ銀行に行ってきなさい」
と彼をマンションから追い出した。
 応接室で、友哉の隣にちょこんと座っている利恵が、

「またスパイごっこ?」
と、笑った。ゆう子と通信すると口が動くようだ。
 友哉を見るその瞳はとても生き生きしている。もし本当に昔の利恵が敬語しか使えなくて友達がいない暗い人生を送っていて、彼氏もしばらくいなかったのなら、生まれ変わったと言っても言いすぎではないほど、全身で歓びを表わせていた。

「来ました。蛙の顔の刑事さん」
 ゆう子が教えてきた。
 ほどなくして桜井が入室してきた。
「やあ、ササキさん。もう二度と会わないって言っていたのに」
 浅黒い顔だが、確かに南国が似合いそうな笑顔を持っていた。
「部下の伊藤大輔はかすり傷だ。大した腕前だな」

「機嫌がいいついでに、仕事を頼みたいんだ」
 桜井は、利恵をちらりと見て、
「お金があれば若くてキレイな女もすぐに手に入るか」
と言った。
「三億円じゃ、女遊びだけであっという間になくなるだろう」
「この調子で使うとな。女は金がかかる。銀座も六本木も、まるで世界悪女列伝さ」

 どすんと音を立てて、利恵の隣に座る。三人が並んだから窮屈だ。肩に手を回そうとしたのを見て、友哉がソファから離れて、桜井の前に立った。
「俺の女に触りたいなら、正式に寝取りのセックスを申し込んでくれ」
と凄む。
 桜井は両方の手のひらを見せて参ったのポーズをつくった。
「寝取り?」

 どっちが口にしたのか。利恵も口を開いたし、友哉の頭の中からも聞こえた。
 利恵は、「わたしはそんなことはできない」と言い、ゆう子は、「それ、やってみたーい」と、はしゃいだ。
「やってみたいと言う女はできなくて、できないと言った女はやってみるとそのセックスにはまる」
 友哉がそう言うと、利恵が、

「しない。絶対に」
と真顔で言った。
「はまるのは最初だけだ。数をこなしていると嫌なこともあって、すぐにやめたくなる。しかし、それはセックスに限ったことじゃない。仕事も遊びも数をこなしているとトラブルは必ずある。統計学で証明されているが、その嫌な出来事が何回が続くと、人はそれを最悪と表現する。または運が悪い。またはdots

「または?」
「あんたが悪い」
dots
 利恵は、友哉が独特の冷めた口調で哲学を語るのを初めて聞いたのか、目を丸めていた。ゆう子がそれに気づいて、
「今日で利恵さんとは終了」
と嬉しそうに笑った。

「まあまあ、ササキさん、そして美人のお嬢さん、ケンカはしないで。ササキさんの女なんか恐ろしくて抱けないよ。マジシャンかなんかでさ。お嬢さんと寝てる時に美人局みたいに現れそうだ。で、仕事ってなに?」
 桜井が利恵の肩をポンポン叩く。桜井は結局、利恵に触った。
「警察官が美人局にビビッてどうすんだよ」

 毒気を抜かれた友哉はおかしそうに笑った。友哉は、桜井の正面のソファに座った。桜井と利恵が並んでいて、利恵が制服じゃなければカップルみたいだ。
 友哉が笑ったのを見て話が出来ると思ったのか、
「確かにあの日、ワルシャワに似ている名前の男がいた。ササキユウヤ」
と桜井が言う。利恵が思わず顔を上げたのを見て、友哉が目配せをして黙るように命じた。

 頭の回転がいいのか利恵は咄嗟に口をつぐんだ。
「だが、テロが発生した時にホテルから出た形跡はない。一緒にいた女はオクハラユウコだが、女優の? まさかね」
と桜井が言った。
「ちょうど、その女優さんが話題になっていからその名前を偽名に使った。どこかの娼婦だ」
「パスポートも?」

「桜井さん、利恵がいなかったら、この前と同じ展開になるよ」
「わかった。わかった。もう調べない」
 桜井は心底、困った顔をした。上との板挟みなのか。それとも好奇心が強く、自分で調べたのか。友哉には分からない。
「俺の話を、俺から聞いたことを誰にも言わないと信じて、良い情報を提供する。八月十五日、終戦記念日に、皇居の近くで爆発が起こる」

「なんだって?」
 富澤も「え?」と声を上げた。この銀行も皇居からそれほど離れていない。友哉が立ち上がると、
「おいおい、待てよ。なんで、そんな情報を持ってるんだ」
「イギリスの資産家から三百億円を譲ってもらえる謎の日本人が、テロの情報を持っているくらいで、そんな驚くなよ。けが人が出ると思うから、被害拡大を食い止めてほしい。できれば爆発が起こる前に犯人を捕まえてくれ」

「どこの誰が計画しているテロだ?」
「それはわからない。成田も羽田も改めて警戒してくれ。社長、銀行も警備員を増やしてください。彼女は十三日から、しばらく休みます」
「そうだな。宮脇君は特別に休養したまえ」
 友哉の彼女というだけで、優遇されているようだ。
「ところで桜井さん。例のものは?」

「持ってきたよ。結局、誰なんだ、こいつ」
 桜井が持ってきたのは、防犯カメラが撮影したササキトキの写真だった。友哉は、封書に入っている写真をジーンズのポケットにしまった。
「またいつか教えるよ」
 友哉は、利恵の手を引いて応接室から出ていった。
「ワルシャワってなに?」

「ワルシャワで日本人の勇敢な奴にテロリストが殺害される事件があっただろ。それが俺なんじゃないかってあの刑事さんが疑ってるんだ」
「本当にその日にワルシャワにいたの?」
「うん。たまたまね。アウシュビッツの見学ツアー」
 友哉が歴史書などの読書家だと知っているからか利恵は大きく頷いて、疑惑を追及しなかった。

「そっか。わたし、十三日から休むの?」
「できれば一緒にアメリカに行ってほしいが、嫌なら、友達と温泉にでも行ってて」
「アメリカ? お仕事?」
「うん。秘書が同行するけど」
 友哉は、利恵とゆう子を友達にする考えだった。
 本当は会わせるつもりはなかった。

 だが、松本涼子の一件から、ゆう子が一人だと心もとなくなっていて、それをゆう子にも正直に言った。
line怖い。ガーラナとかいう薬、なんてきつい副作用だ。
 底なし沼のような暗黒の世界。これが死後の世界なのか。または地獄なのか。沼から藁をも掴むようにもがきながら這い上がり、顔を上げると、遠くには、あの世らしく川が見え、生きているはずの娘、晴香が手を振っているのだ。

「晴香、どうした? まさか死んだのか。涼子も一緒じゃないか。何があったんだ」
 ガーナラを得てから、副作用で気を失うように眠ると、さかんにそんな悪夢を見せられる。
 ワルシャワでもそうだった。転送で疲労が蓄積したら、心臓が止まってしまう感覚で、血の気が引いていく。自分の意思で瞬間移動をした時に、ゆう子がいなかったらどうすればいいのか。

line血圧が最高で500まで上がって、それが100に下がったら、気が遠くなって当たり前だ。いや、ショック死して当たり前だ。せめて気を失わないように、常に女からの性行為を受けていたい。これまでの経験から、女性のエロチシズムを見ているだけでも効果はある。利恵が、医療行為のようなそのセックスを嫌がったら、少し下着姿になってもらうだけでもいい。

 そう思ってやまない。性欲を剥き出しているのではなく、ただ悲壮なだけだった。
「この仕事には女が二人、必要だ」
 ゆう子に言うと、
「宮脇利恵さんに頼むのね。いいよ。わたしは部屋で待機する係りだから、外にも一人、いたほうがいいね」
と、嫌がる様子もなくすんなりと了承した。

 アメリカのロスアンゼルスで、数日後に学校を狙った銃乱射事件がある。皇居の近くの爆発事件の翌日になるから、友哉はアメリカに、皇居の近くは桜井真一に任せることにしたのだった。

  ◆

 利恵は、銀行の応接室で公安警察官の桜井真一と、まるでゲームを楽しんでいるような会話をしている友哉に見惚れていた。

lineなんて刺激的なんだ。いや、刺激的な男たちは見てきた。この男は、彼らとはどこか違う。さっきの哲学はなに? まるで、わたしが寝取りをやって厭きたら、それをやらせた男のせいにするような言い方。
 利恵は、運転席で口を閉ざしている友哉をじっと見ていた。髪にいつの間にか薄くメッシュを入れてあるが、ボサボサだった。無精髭もあって、疲れているように見えた。

ただ、洋服はきちんとしていて、いつものようにサマーセーターを着ている。今日は紺色でブランドの大きな文字が白色で入っているが、近くから見ると何が書いてあるか分からない。いわゆるナスカの地上絵だ。ジーンズも真っ青で若々しい。

lineメッシュは出会った時にはなかった。恋人に相談せずに髪にカラーを入れる男か。他に女がいるのか。今までの男たちとの違いはクールなところ? 最初はメダカの話をしていたけど、そう、セックスはクールだったな。女嫌いか、やはり女が他にもいるのか。だけど、わたしはこの男から離れたくない。もし、女がいても負ける気はしないし、負けたこともない。

「わたし、寝取りなんかしない」
 思わず、気を惹く言葉を作った。しないと言いながら、微笑をしてみせる。
 ポルシェの車内。利恵はそっと友哉の胸に手を伸ばした。その手をすぐに股間に移す。どんな時でもいきなり男性の股間には手を伸ばさない。まずは、他の場所。だけどその手をすぐに股間に移動させる。それが利恵の癖であるが、そうした方が上品だとどこかで決めたのだった。

それだけでは不満なくらい男性が淫乱な女が好きだったり、セックスから遠ざかっていたら、辛い姿勢でもその股間に顔を近づけていく。車の中なら、「シートベルトを外したいから路肩に停めて」と男性を見つめて言うと、車はすぐに停車するかラブホを熱心に捜した。利恵はそのやり方で、どんな性癖を持っている男性にも好かれてきた。
「ああ、冗談だ。ああいう悪い男との会話は楽しいから、わざと言ったんだ」

 友哉のその言葉に、利恵は胸を高鳴らせた。改めて、この男の人は理想のタイプだ、と衝撃を受けていた。
lineもちろん、こんな危ない男とは結婚できないだろうが、三十歳までなら十分に楽しめそうだ。いや、子供を作らなければ結婚も悪くない。大金持ちと天才。そんな男と結婚するためには子供は作らないのが結婚の常識だ。きっと女たちはお金持ちや天才の苦悩をセックスで癒すのだろう。子育てをしていたら、それができなくなる。

lineセックスは大好きだからそれでもいい。彼もとても強いし。dotsわたしの名前の由来は彼のような男を支えることだ。そうなんだよね、お母さん
 利恵がそんなことを考えていると、友哉は自分からジーンズのジッパーを降ろし、ペニスを手で触るように目配せしていた。
「シートベルト、外せない」

 利恵がペニスを握ったまま、うっとりした目で言うと、友哉は路肩にポルシェを停めたが、車内が窮屈なのが嫌だから車外に出て暗がりに立った。利恵も車から降りて、すぐに彼の前にしゃがみ、股間に顔を埋めた。その頭を最初は撫でられていたが、数分すると軽く押さえつけられていた。
「桜井って刑事は嫌だけどdots。イケメンとならやってもいい。お金持ちの道楽って感じがするし、楽しいかも」

 ペニスから口を離した時に言う。唾液が彼のジーンズの内側に落ちた。フェラチオの時に唾液を零すか零さないかも相手の男性の好みに合わせていた。友哉は唾液を零す女の経験が少ないことを教えていて、利恵は「わたしは唾液がだらだら出るよ。口の中に出された後みたいに」と嘘を言って、わざと唾液を口の中で作っていた。
「寝取りって、なんかルールがあるなら教えてね」

 車に戻ってそう笑って言う。
 常に自分に気持ちを向けさせて、なんとしてでも離れなくするようにしたかった。
「そんなことしなくてもいいよ。銀行の制服でドライブしよう」
「それ、いつもやってるじゃない。もう厭きた」
 利恵が銀行の制服を着て、ポルシェに乗って首都高をドライブする。それだけだが、「枕営業をしている女と一緒にいるみたいで興奮する」と、友哉はドライブの度に利恵に銀行の制服を持って来させていた。

「変態なセックスがしたくなるほど疲れたら、改めてプロに頼むよ」
「友哉さんはプロの女がやるセックスを彼女がするとだめなんですね」
 やっぱり突き抜けて悪くはないのか。奥さんとはできないセックスを風俗嬢に頼むのと一緒のセリフだと、利恵は少し拍子抜けをした。だが、次の友哉の言葉は、彼女を驚かせた。
「なに言ってんだ。おまえがプロだろ」
 横目で見て、しかもきつい言葉とは裏腹にどこか嬉しそうに笑みを零していた。

 ◆

 友哉は、利恵を北千住の自宅アパートまで送った後、路上にポルシェを停めて、ポケットにしまってあったササキトキの写真を見た。
「そこ、駐車禁止だと思う」
dots
 友哉は指輪で通信してきたゆう子の声を無視する。
「今日も利恵さんとドライブ、お疲れ様でした。途中で車から降りて、路肩で何してたの?」

 友哉は目をさらのようにして写真を見ていた。
「AZでプライバシーは急に見えなくなるんだ。つまりエッチなことをしてたのね」
「うるさい。嫌なら言え。別れてくる」
「え?」
line違う。この顔はトキじゃない。

 自分の部屋に現れて、ゆう子に指輪を買うように言った男と防犯カメラに撮影された男の顔が違うことに友哉は言葉を失っていた。日本人と外国人のハーフか外国人だ。
 しかし、洋服の色と形は似ている。銀色の無地で、直線的なデザイン。生気を感じない無機質な素材である。そして襟に狼の絵がある。トキの襟にあった動物の絵柄だ。画像は不鮮明だが犬には見えない。立ち姿が立派で狼の絵に見えた。

line仲間なのかdots。トキが、後で使いの者が細かな説明に来るかと言っていたが、まだ誰も来ない。だが、本当に部下のような人間がいるのか。あの短時間でイギリスと日本を行き来できないから、ある程度の予想はしていたがdots
トキの部下のような男たちが、俺の口座を作り、住所までも用意していたということか。なんのためにそんな手の込んだことをするのか。

「利恵さんとは別れない方がいいですdots
dots
「もしもし?」
 ゆう子を悩ませることを言っておいて、彼女の話を聞けない友哉。本気で利恵と別れる気はなく、ゆう子のお喋りを一時的にやめさせるために口にしただけだったが、得体の知れない連中が動き回っている状況に、利恵を巻き込んでしまっていいのか、と不意に思ったのもあった。

 友哉が黙っていると、ゆう子が、
「ちなみにそれは税金対策らしい」
と笑った。
「え? 聞こえた?」
「友哉さんのブツブツは治りそうもないね。前にも言ったけど、アンロックになっていて、昨日くらいに、すばる銀行の記述が見えるようになった。また未来人を気取っていて、税金ってなんですか、みたいな前置きがあって、国に半分くらい取られるから架空の口座を作ったってさ。友哉さんが印税の税金に苦しんでいたからそうしたらしい」

「架空口座にされて、公安に目を付けられてるじゃないか。もっと苦しいよ」
 思わず笑ってしまった。
「使ってしまっても追加で工面できないって。あと、すばる銀行に行ってもらうために、お金は最初から用意するつもりだったらしい。友哉さん、あの銀行に口座を持ってなかったよね」
「まさか、ゆう子とも会せたように、利恵と会わせるためとか」

「すばる銀行本店に口座を作る気があった?」
「え? ないよ。横浜から遠いし」
「本当はあるはずなのに、なくてびっくりだって。トキさんからのメッセージ。AZのテキストじゃなくて、トキさんが帰る間際にAZに入れたメッセージよ。トキさんと出会った日に読んだんじゃなくて、さっきの税金対策しましたよって話と一緒に言ってる。わたしの指輪を選ぶのに時間がかかっていたし、友哉様の話が長くて説明する時間がなくて、もう架空の口座にしたとか言ってる」

「俺の口座があったら、そこに三百億円入れるつもりだったのか」
「そうかもね。なかったから、税金対策も兼ねて架空口座を作ったんじゃないかな。別に手の込んだことをしたわけじゃなくない? あ、架空口座にしたら一石二鳥だって思ったとかね。なんか誰かさんと性格が似ていて、トキさんって、やっつけ仕事なんだ。

つまりその場しのぎ。だってさ、あなたの秘書だってわたしじゃなくてもいいみたいな言い方で適当なんだもん。でも自信たっぷり。ゆう子ちゃん、友哉様の秘書になりたいでしょって。あー、似てる、似てる」
dots
 なんとか、ゆう子のお喋りを止める方法はないだろうか、と真剣に考えてしまう。
「本当はあるはずなのにないとか、ないはずなのにあるとか、その感覚、最近もあった。

結局、利恵に会わせるだめだろ。急にもてるようになったと思って自惚れかけた」
「もてないのは口が悪いからだけど、利恵さんは今のところはメロメロみたいだから、自信を持ってね。今回のテロで、あの銀行は巻き込まれていて、死者は出てないけど、けが人は出ているから、その中に利恵さんがいて、トキさんが焦ってあなたを行かせたのよ。けが人の名前はAZで見えないけど、だったらもう利恵さんは安全だよね」

「なんでトキが利恵を守るんだ?」
「友哉様の彼女だからでしょ」
 ふて腐れた口調で言ったのが分かり、友哉はいったん、ゆう子との通信をやめた。
lineそうか。本当に未来人で、以前からこの時代に大勢やってきている? なんのためにdots
 友哉は、娘の晴香を思い出していた。
「お父さん、白い服のおじさんが怖いよ」

 まだ小学生の頃、晴香はそう言って泣いたことがあった。当初は幽霊でも見たのかと思って気にしてなかったが、トキだけではなく、銀行のササキトキが白っぽい服装なのが分かり、晴香が恐れていた男と関連があるように思えてきた。そう、涼子もdots
『友哉先生、なんか白いバイクスーツみたいな男たちが、付け回してるけど、なんか悪いことをしたの?』
 などと言われたことが多々あった。

『おまえがありえない美少女だからだよ。学校の帰りは友達と一緒に歩くんだ』
『そんな友達はいない。車で迎えにきて。締め切りが近くならないと暇でしょ』
『そんなことをしたら、虐めに拍車がかかるよ』
 学校でのイジメで孤立していた涼子。親以外は、友哉だけが相談相手だった。恋愛感情が芽生えるのは当然である。

lineしかし、トキとその仲間は俺たちの味方なのか。彼らとは別に、未来人かこの時代のマフィアのような連中が、晴香を狙った。なぜ? さては俺、なんかまずいことを小説に書いたのか。
 自分の書いた小説の内容を一本ずつ頭の中で辿ってみるほど、友哉は分からなくなってしまい、ずっと首を傾げていた。
「それが自然な答えだけど、なんか歳だからか思いだせないな」

 自らが笑うための自虐的なジョークで、ゆう子が聞いていたら、またお喋りが始まるだろうが、強引に通信を切ったら、さすがに聞こえないようだ。
line俺の小説の内容に怒ってしまったなんかの宗教団体か偽善団体に謝ればいいのか。そうは言っても、話しかけてこないしdots

 生真面目にそう思っていた。テロリストや凶悪犯と戦う事をトキから依頼され、ゆう子はそれに躍起になっているが、友哉にはまったくやる気がない。「俗に興味がない」とゆう子に宣言しているように、頭のおかしな連中と関わりたくなかった。ボクシングをしていたのは、ほのかな筋肉美を作るためと涼子と晴香を守るためで、ケンカが好きなわけでもなく、小説はほとんどが恋愛もの。妄想の世界でも暴力的な行為はほとんどない。

 晴香は涼子と一緒によく狙われていた。二人が揃うと、森の中の鳥が逃げ出すほどで、その殺気を感じ、友哉は神経質に、まさに警戒して周囲を観察していた。涼子の前から歩いてきた男の目付きが悪く、彼女の前に体を入れると、その男はくるりと体の向きを変え、逃げだしたこともあった。赤い光線が目の前で光ったこともあった。
lineあれは、俺のPPKから出る赤い光と同じ、地核のレーザーだったのか。

 だとしたら、白い服の奴らが狙いを外したのか、助けてもらったのか。トキたちに?
 後者が自然だ。地核の高熱レーザーが顔の近くをかすめて、ただですんでいるはずはない。
 レストランで不用意に近づいてきた男を念のために用意してあったナイフで追い払ったこともあった。涼子はそれらを見ていた含みで、「悪い男」と友哉に言ったのだ。

 クレナイタウンで涼子を突き飛ばした男dots。または赤い光線で撃ったのか。プラズマシールドと地核のレーザーがぶつかったらあの程度のケガか。
 普通の消音銃で撃ったとしても、赤く点滅していたリングが涼子の体を保護した?
 リングは、自分と近くにいる友人や家族、友哉が守りたいと思った人間も保護する。半径2メートルくらいらしく、ゆう子の言うように地上に落下した涼子の体は保護はできなかったのだろう。

 再会した途端に狙われるのか。今は?
 スマホでテレビを見たら、涼子が生放送の歌番組に出演していて、友哉は胸をなでおろした。
lineやはり考えすぎか。涼子は電車で通っているはず。狙える場所も時間もいくらでもある。
 友哉は結論をひとつだけ出した。それは、
『未来人なんてSFのような人間がいるはずない』
 というものだった。

 自分が小説の内容でどこかのカルト宗教を怒らせて、自分と当時仲の良かった涼子と当時、戸籍上娘だった晴香を狙っていた。クレナイタウンで涼子が転落したのは突風。背中の傷は落下した時のもの。トキはNASSかロシアの科学者で、RDという武器で俺に何かをさせようと企んでいる。でもそれは悪事ではないようだ。

 ゆう子のAZで未来が見えるのは不可解な話だが、主に直近だけだから凶悪犯の行動を予測しているAiなんだろう。利恵が爆発テロに巻き込まれないなら、それで文句はない。
line利恵ならもう安全だ。しかし、涼子とは再会したからまたカルト集団に襲われないとも限らない。他人を助けにアメリカに行っている場合か。どうするか。ゆう子は行く気満々だ。
 友哉は、奥歯を噛んでこう思った。

 また判断できない、とdots

 いつから俺はこんな頭の弱い男になってしまったのか。そう、人のせいにはしてはいけないが、あの交通事故で入院し、そして退院してからだ。律子と罵り合い、涼子もやってこなくて、涼子の父親の編集者は泣き、何もかも嫌になった。一人のマンションで決めたんだ。もう、何もしないってdots。南の島の砂浜でぼうっと座っていようって。
 なのに、奥原ゆう子という女がそれを許さない。しかもそれが厄介なことに、

 決して不愉快ではないんだ。

 dots親父、アドバイスをくれ。
 友哉は、人知れず涙を滲ませた。臨終の父親の言葉を思い出す。
『友哉、お母さんが憎いか』
『うん』
 中学生の友哉が素直に頷いた。
『なら、なぜ、あの看護婦に見惚れているんだ』
 父はそう言って、点滴を付け替えて出て行った看護婦の背中に目を向けた。

『水色の制服が綺麗だった』
『おまえの部屋に貼ってあるパリスの審判のポスターだが、あれが美しいのか』
『うん。女神だもん』
『パリスに賄賂を渡して、美を競ったんじゃないのか。ちゃんと本を読め』
『お母さんは女じゃない。お母さんだ』
『俺に、おまえを渡して美を得ようとした。あの女神たちと同じだ。憎んでる暇があるなら、考えるんだな』

 友哉の父親はその直後に血圧が低下し、昏睡状態に陥った。
dots友哉、おまえは俺の宝物だ。なんて美しい少年なんだ』
 そればかり言う父。友哉の姉は大学から向かってきているが間に合わなかった。
 友哉の父は、擦れた小さな声で最後にこう言ったのだ。
dots思っていたよりもバカだ。地獄で待っているから教えてやる』
dots
 医師と看護師たちが驚く、遺言だった。

line今、生き地獄だ。親父。
 裏切った女を憎んだらだめなのか。ああ、そうしてる。だから、律子も涼子も気になって、身動きが取れないじゃないか。
 友哉は車のエンジンをかけ、深夜に営業している書店に向かった。
 ギリシャ神話『パリスの審判』はどこかにあるだろうかdots

  ◆

 最初、利恵を「恋敵」として警戒していたゆう子だったが、松本涼子が現れてから、利恵はライバルではなくなっていた。

 松本涼子には敵わない。あの若さと清楚な美しい面。本当に編集者の娘なだけで、友哉とはただの友達だといいのに、と思ってやまなかった。
 ところが成田空港に現れた利恵を見たゆう子は、言葉を失った。
lineかわいい。画像で見るよりも、ずっとスタイルもいい。
 細身をアピールする紺色のワンピースを着ていて、締められたウエストが細い。なのに胸がちゃんとある。痩せすぎているように見えるが、水着になったら一番、人気が出るモデル体型だ。しかも優しい顔立ちをしている。

lineモナリザが日本人になって、目を少しぱっちりした顔じゃないか。
 まさに、ゆう子は彼女に見惚れてしまっていた。
 松本涼子は怒ると温かみが額から消えるが、それは顔に肉が少ないからだった。宮脇利恵は違った。華奢で足も細いのに、顔、胸、お尻にも肉がしっかりとついている。
 利恵の方も、友哉と一緒に待っていたのが、女優の奥原ゆう子なのを見て、呆然としていた。緊張したのか、まっすぐ歩くこともできなくなっていた。友哉は、二人の様子を窺う様子はなく、うかない顔で歩いている。

 専用ラウンジに入って、先に口を開いたのは利恵だった。
「映画もテレビもよく見ています。dotsあのdots衝撃の片想いの彼氏が、友哉さん?」
 ゆう子に聞く。
「そうです」
 またかと思ったが、「衝撃の片想い」は一生言われることになったようで、ゆう子はもう気にしないことにした。
「奥原ゆう子さんが秘書なの? いったいどういうこと」

「ゆう子が秘書だ。だから、女優業を休んでいる。公安の桜井が言っていたワルシャワの女もゆう子だ」
 友哉がそれだけを答えた。悩みがあるような面持ちでどこか不機嫌だった。
「あなたの仕事で、人気女優と知り合いになれるの? 経営コンサルだっけ? 不動産だっけ?」
 混乱してしまっている。
「デートもkissもしてくれない人が友哉さんなの。なんでしないの? 奥原ゆう子だよ」

 双方に目を向けながら早口で言った。パニックになっている様子だ。
line当たり前の反応。宮脇利恵さんはまとものようだ
 とゆう子は思い、冷めた感覚で生きている友哉を凝視していた。松本涼子をレストランで見た時にも落ち着いて対応していたようだし、かっこいいんだけど、無感情すぎるよなあ。あ、でもdots
「この前、ガムを踏んだら飛び上がっていた」
と口に出してしまう。利恵が、「は?」と言った。

「すまん、利恵。君の疑問の話の腰を折ってしまって。奥原ゆう子は口から生まれてきた女なんだ」
 ゆう子は、友哉のため息を無視して、
「飛行機が揺れても驚かないのに、薬を落としたら、通路まで出て探しまくった。しかも大騒ぎ」
と喋り続ける。
「大騒ぎじゃないよ、誇張しないでくれ。薬じゃなくてサプリだし」

「ビタミン剤が一錠なくなっただけで、泣きべそかく男がいるの?」
「泣きべそもかいてない。誇張した罰で下のドラックストアで適当に買ってこい」
 急に一万円札をゆう子に渡す友哉。ゆう子もゆう子で「はい」と先生の命令に頷いた。
「なんか昭和の夫婦かカップルに見えるけどdots
「秘書だから心配するな。パシリにするんだ」
「今のお喋りは面白かったけどさ。ちょっとデリカシーがないよね」

「片想いじゃなくて両想いですって言ったら、その瞬間に二股が成立してしまうか、利恵が立ち去るぞ」
「あ、ああ、そうねdots
「奥原さんが、友哉さんに言いくるめられているように見えますが、そんなに立場が弱いんですか」
 肩をすぼめているゆう子を利恵が少し覗きこんだ。
「弱いです。奴隷にされています。ぶるぶる」

 芝居がかった嘘を言うが、利恵は笑えないようで目を丸めてしまった。
「利恵、騙されるな。成田に俺を強引に連れてきたのは、ゆう子だ。俺の弱みを握っていて、やりたい放題だ。だからせめて、ドラッグストアにくらい走らせたいわけ」
「はい。行ってきます!」
 ゆう子は席を外し、いったん専用ラウンジから出て行った。
 勢いよく駆けだしたが、短いスカートの裾を整えながら、その足元を見つめるように下を向いた。

 まだ出会って数か月だが、わたしには「好き」「付き合ってほしい」という一般的な告白は何もない。律子さんを始め、いろんな女に捨てられて傷ついて、女が嫌いになったはずなのに、宮脇利恵とはデートをしているのかdots。しかも、なんてかわいらしいんだ。まあ、わたしの方がかわいいし、脱いだら健康的で負けないけどさ。普通に女優レベルじゃん。
と、ネガティブ、ポジティブが入り混じる心境を呟いていた。

lineやめちゃおうかな。あんな男。でもなあ、トキさんが言っていた通り、かっこよくなってきたんだ、これが。
 松本涼子を素早く助けに行ったり、桜井真一を取り込んでしまったり、「女のわたしにはできないなあ」と考えると、うっとりしてしまう。少女の頃からのゆう子の英雄願望が、大人になった今、友哉のような男性の前で、体の奥を熱くさせてしまう。

line恋人の対象にしてもらえないのは、自虐的にセックスだけの秘書でいいと大見得を切ったからか。当たり前だな。でも他の女とはデートしているのを知ったら、なんだか寂しくなってきた。
 セックスだけでは嫌だ、と言ったら、最初の自分の姿勢があからさまに覆って嫌われそうだし。
 トキさんから、友哉さんを癒すように言われたけど、恋人じゃないままそれができるのだろうか。

lineやっぱり自分の話をしない恋はだめなんだ。
 トキや友哉のせいではなく、なんとなくそんな答えが浮かんだ。謎めいた女優で有名だった。私生活が分からなくて、スキャンダルもない。
 二十七歳まできちんと付き合った男性もいなかった。一人くらいはいたかも知れないが、お世辞にも優秀な男性じゃなかった。他の数人もセックスだけだった。
line寂しそうにしていると寄ってきて、顔だけで抱いて、いなくなる。

 「性格がおかしい」「テレビとギャップがある」とその男たちは口を揃えて言ったが、それくらい最初の会話やセックスをする前のデートで分かるのに、だったらなぜ抱くのか。俗に言う、やり捨てだ。
 少し長く付き合った人がいたような気がするが、わたしのヒモのような男で、「顔」「お金」「セックス」の三拍子が揃っていると、無邪気に言っていた。

 実はそんな出来は悪いが無害な男の人が好きだったが、パニック障害の発作が頻発するようになっても彼らは助けてくれず、お金と体を求めるばかりで、料理を作ってくれたり、家事はしてくれるけど、どこか媚びているのが窺えて、そうdots
line昔の戦争映画を観ていたら、自分の原点がこっちだったと思い直した。

 スピルバーグの映画を二本、観なおしてみた。『プライベートライアン』と兵士の話じゃないけど、『シンドラーのリスト』。
lineオスカーシンドラーみたいな男性がいいな。快楽主義者でいて、突き抜けて優しい男性、どこにいるのだろうか。でも友哉さんが、似ている。
『テロリストも父親なのが気になる』
 まさに、衝撃の言葉だった。つまり、友哉はテロリストの息子か娘を気にしたのだ。

 戦場で殺した敵兵が娘の写真を持っていて、それを見た兵士が泣いてしまうシーンが、何かの映画にあった。友哉さんも、同じ映画を観ていたのかもしれない。そんな話をもっとしないといけない。ふざけてばかりで、信じ合えるようになる会話が少ない。自分の話もしないとだめだ。ゆう子は改めて、自分の話を男性にできないことに苦しんでいた。

 お母さんが軽蔑した兵士の男性。お母さんが嫌った男性の自己犠牲の精神、それは勇気か。お母さんが弄んだ男性の本質、それは絶対に父性。それらが小学生の時のわたしは好きだったと、映画を観なおしてはっとした。
 だから、わたしを抱いただけの前の男たちが、自分の生活と女とのセックスのためだったとしても、その男性たちを憎まない。わたしが悪いんだ。理想を求めてわたしから誘ったんだから。

 友哉さんのことも、恋人がずっといないわたしがしつこく誘った。恋はしていたけど、まだ愛なんかない時に。
 いきなり、セックスを迫ったから友哉さんはそれを嫌ったのか。そうだよな。若い男の子なら大喜びだけど、大人すぎるほど大人の人だ。経験豊富だから、わたしと同じことをした女に嫌な思いをしてきたのかも。
 母に忠告されていたとおりだ。

『おまえは美人だけど、口がたつだけでなんにもできない。付加価値がないと弄ばれるよ。すぐにポイさ』
と。顔だけでなんの取り柄もないと結婚してもらえないと、母は言っていた。
lineだけど友哉さんは、三年間、ずっと傍にいてくれる。
 ゆう子はそう考えていた。三年後のあのパーティーの席にいるのだから。

 それだけで、友哉に尽くす気になれる。自分も三年間、いや死ぬまで離れないと宣言しているのだから、友哉はいなくなったりしない。そう、思ってやまなかった。それに、
line友哉さんは別に冷たくないか。わたしをやり捨てた男たちは、言葉が優しくて、よく笑ってくれたけど、どこか嘘があった。友哉さんは正直で、わたしの言葉遣いが変なのも、「余

計な色気が削がれるからいい」ときちんと説明してくれた。「面白い」とか「かわいい」とか言うだけの男たちは、後になって、「その喋り方が嫌だった」と無責任に投げたものだ。
「テレビと違うからショックだ」とか彼らには言われた。友哉さんには最初の約束の言葉を撤回して、わたしをやり捨てる気配はまったくない。そもそも、あんまり求めてこないんだから、笑っちゃう。

lineバカだな、わたし。男の人の媚びた言葉に騙される女みたいだ。友哉さんは、女に媚びないだけなんだ。
 ゆう子がドラックストアから帰ってきたら、
「ずいぶん、長い時間かかったな。お疲れ様」
と、友哉が言ってサプリメントが入った袋を受け取った。
「ドラックストアだけに、毒にも薬にもならない男性のことを考えていた」
「なんだそりゃ。ちょっと元気にするか」
 友哉がリングをちらりと見せる。ゆう子はびっくりしたが、利恵は意味が分からないのか何も言わない。
「なんで? いいよ。あなたが疲れちゃうよ」

「いいんだ。パシリなんてふざけすぎた。ごめんな」
 リンクが緑色に光ると、いつものように、ゆう子の持病のストレスがすっと消えた。数時間の効果しかないように軽く脳を刺激しているらしく、それは、「依存性があるかも知れない。癖になったらだめだから」と友哉が言っていた。
line優しい。いつもこうだ。これでいいじゃないか。テロリストの子供を気にする男性が、友達以上の女に冷たくするはずないか。そんな人間性、本末転倒だもんな。

 ゆう子は少し不安を拭って、笑みを零した。
 ロスアンゼルス行きの便の機内に入って、三人はビジネスクラスの席に座った。
 利恵は初めてのビジネスクラスに感激していた。
「奥原ゆう子さんと旅行になるなんて、なんかびっくり。友哉さんとの関係は後回し」
と笑った。
「あまり旅行に行かないから、ゆう子がテキパキ手配してくれて助かるよ」

「なんで旅行に行かないの?」
 ゆう子がそう訊くと、
「友達が少ないから。彼女がいれば行くよ。一人じゃ、寂しいんだ」
と正直に答える。
「そんな寂しいことをdots。最後に旅行したのは、あの温泉?」
「あの温泉? ああ、そうだな。なんでも知ってるんだな」
「じゃ、四年くらい旅行してないの?」

「取材の旅行はしてるよ。彼女とはしてない。まあ、人は最後は孤独になるもんだ」
 目を少し伏せて言った。
「入院している時に誰も見舞いに来なかったから、そんなことを言うのね」
 友哉は急に笑みを浮かばせて、
「小さなことで意地は張らないで、あなた。それに編集者がやってきた」
と呟いた。

「はあ? あなたって? 仕事の関係者は来るでしょ。そうじゃなくて女よ」
「女は母親になればずっと子供が愛してくれる。だが、男は子供と距離を置くものだ。または引き離される。そして女は必ず弱くなった男を捨てる。一般論だ。俺のことじゃない。親父も病気になってから女房に逃げられた。俺の母親のことだ」
「女嫌いなのは知ってるけど、そこまで言わなくても」
 利恵がため息を吐いた。

「女は嫌いだが、君たちは好きだ」
「個人主義」
 利恵がそう言い切るが、褒めたのだろうか。
「律子さん、たぶん、事故の時に付き合っていた女、友哉さんが寝落ちした時にお金を盗んだ菜々子dotsその他、皆そうだけど、それはdots
 ゆう子は大きく息を吸い込むと、
「たまたま!」

と友哉を叱った。
「だから利恵さんがきっと一緒に旅行に行くよ」
 ゆう子が利恵に視線を投じると、利恵が頷く。友哉は少し笑みを零して、口を閉ざした。

 ロスでは、転送しても疲労しない距離の場所に利恵を待たせておき、瞬間移動を繰り返しできるようにする作戦だった。それによって、仕事がはかどる。

 急に人が現れても消えても、それを見た人間は、自分の目の錯覚と思うか、マジックを使ったと思うようだった。だが、クレナイタウンから消えた松本涼子と謎の男の噂は、都市伝説のように広まり、週刊誌の記事にもなってきた。『松本涼子 謎の男と熱愛』という嘘の記事も出ていた。松本涼子本人がSNSで、「ケガをして、病院に運んでくれた人と熱愛だなんて」と書き、打撲の痕の背中の写真を水着姿で載せると、それが「色っぽい」と反響を呼んでいた。

「あの後輩。色気を使って上手く切り抜けたもんだ。だけどさ、奥原ゆう子も松本涼子も友哉さんの女だったら、いろんな男たちに刺されるよ」
 機内でその週刊誌を見たゆう子が、半ば呆れた口調で言う。
「この謎の男が友哉さんなんですか」
 利恵は週刊誌を手にして、目を皿のようにして記事を読んだ。

「友哉さんなら、高い所から飛び降りても平気そう」
「女の子を傷つけても平気な男」
 ゆう子がシャンパンを飲みながら言った。すでに頬が赤い。旅費は今回からは友哉のお金だった。飛行機は間もなく、成田を離陸する。
「片想いだったら傷つけられているって奥原さんは思ってるんですか。だったら、わたしも傷だらけです」

と、利恵が笑う。ゆう子は説教をされた気分になったが、利恵が自分も片想いのような口ぶりだったから、不思議に思って、
「友哉さんとラブラブじゃん。もういっぱいデートしてるよね」
と、冗談めかして言った。
「ラブラブじゃないですよ。プロの女って言われたし」
「プロの女?」

「過去に風俗で働いたこともないのに」
「どうしてそんなひどいことを言うの?」
 ゆう子が友哉を見た。
「女に性欲はそれほどないのに、頑張ってするからプロっぽいなって」
 友哉のその台詞に、ゆう子と利恵が目を丸めた。

「あのさ、さらにひどいこと言ってない? まるで利恵さんがお金のためにあなたとセックスしてるみたいじゃない」
 ゆう子が少し、目尻を釣り上げた。
「ひどいことを言ったのに成田にきてくれてありがとう。安心した」
 友哉はそう言って利恵を優しく見つめた。利恵はそれに気づいたのか、怒りは見せずに、
「声を大きくして言いたくないけど、わたし、それなりに性欲はあるよ」

と目を瞑った友哉に言う。
「お金をいらないとは言わないけど、あなたの財産を狙っているわけじゃない。つまり、好きな男性とは普通にえっちなことをするだけ」
「財産を目当てにしてもいいよ。最後までいるなら」
「論点はそこじゃなくて、わたしに性欲がなくて無理にやってるって話」

「利恵、そんなにムカついてるのか。あの日の後も、けっこうドライブで派手に遊んだじゃないか」
 目を閉じて眠ろうと思っていた友哉が、思わず目を丸めた。
「え? 派手に遊んだ? なーにをしてるのかなあ、そこの二人は」
 ゆう子はおどけながらも泣きべそをかいたような顔になっているが、友哉と利恵はそれを無視して話を続けている。
「怒ってないけど、ゆう子さんに誤解されそうで」

「うーん、じゃあ、元彼と別れてから、約二年間、男遊びをしてないとして、その間、オナニーでもしていたか。男みたいに」
「え? ま、真面目に答えるの?」
 ハスキーボイスの利恵の声がさらに裏返る。
「それとも好きじゃない男と適当にやっていたか。それなら、おまえに、女にしては強い性欲があるのを認めるよ。基本的に女の性欲は男の半分以下。いやもっと薄い。男が生涯、セ

ックスをしたい相手の数が十人だとしたら、女は一人。男が週にオナニーを四回するとしたら、女は月に一回かまったくしない。恋人がいな時に、好きじゃない異性とセックスをしたいと思うか。男は九十パーセント、女は十パーセント以下。したがって、利恵がさかんに俺に淫乱な様子を見せるのはプロっぽいってこと。風俗嬢が客に嫌われないようにサービスをするのと似ている。だけど、恋人同士だとそれを愛と言うらしい」
 昔に読んだ資料を思い出しながら語ったのか、気難しい表情を見せる。自信がない持論のようだった。

「やだな、作家さんのくせに統計学みたいな話をして」
 ゆう子がため息を吐いた。続けて、
「だったらわたしはまるで男じゃん」
と苦笑した。
「わたしの性癖はこんなところで喋りたくないから、さらっと自分でやっていることをわたしにカミングアウトしてくれた奥原さんのそれを分析したらどう?」

 利恵が嫌味を言う。ただ、怒っている様子はなく、友哉が眠そうな目で利恵のその顔を見ていた。
「利恵は怒らないからかわいいよ」
 友哉が思わず言うと、ゆう子が、
「なに、挽回しようとしてるんだ」
と友哉を睨んだ。かわいいと褒められた利恵が顔をほころばせているのをゆう子が見て、

「わたしは怒りっぽくてごめんね」
と言う。すると、
「俺は怒りっぽい女とばかり付き合ってきたから、慣れている。ゆう子はゆう子でかわいい」
と妙な弁解をした。
「うーむ、褒められたのかなんか分からない」
 ゆう子が首を傾げた。

「例えば虐待を受けた人間がサイコパスになることがあるように、もし、ゆう子がセックスのことしか頭にない淫乱な女でそれが何年も続いていたら、少女の頃になんかあったんだと思う。AV女優はほとんどが父親不在。または極端に父親がまるで男に見えなほどに弱い環境で育った女の子たちだ。それか、ゆう子が大人になってから、ゆう子の一番大切な趣味

や大好きなモノとセックスが繋げられることを誰かが教えた。しかもそれはセックスの行為の中にある一部の何か。フェチってやつだ。少女の頃に好きだったある趣味かモノがセックスに利用できると分かって、それを実行している。俺なら車さ。利恵、俺はそうだろ。子供の頃から車に憧れていた。大人になったら車でセックスをすると楽しいことが分かったんだ。

正直やめられないよ。昔、元カノが俺の車の後ろでよく生着替えをやってくれた。今はポルシェでできないけど、利恵は助手席でスカートの中の下着だけを脱いだりしてくれる。車とセックスが繋がっているから楽しくて仕方ない。ゆう子の話に戻すと、少女の頃にひどい目にあったがそれによってサイコパスにもならないで男を恨んでもないなくてセックスで何

かを忘れようとしているか、単純に何かのフェチ。それらどちらにしても、俺は嫌いとは言ってない。特にフェチは人間の証しで、頭のいい人間ほどフェチに傾倒するからね。ゆう子は天才っぽいし、それで淫乱ならこちらは嬉しい」
「言い得て妙」
利恵が頷いたら、ゆう子が、

「いろいろ当たってるから嫌なんだけど」
と顔を背けた。そしてシャンパンを一気に飲んだ。
「ゆう子は女優なのに、普段のお芝居が下手だからね」
 バカにしている様子はないが、ワインには強いがシャンパンに弱いゆう子はお酒が回っていて、注意深く友哉を見ていない。
「友哉さんさ、わたしを見ないでくれる? なんていうかな、パンドラの箱だよ」

「それは開けないでって言うんだ」
「だから、日本語の間違いもスルーしてよ。ベッドの中のわたしの間違いもさ」
「間違いが多すぎる」
 利恵がそれを聞いて、笑いをこらえるのに必死だ。ゆう子が利恵を見て、
「わたしと友哉さんが寝てることを怒らないの?」
と訊くと、

「なんか、片想いが本当っぽい」
と利恵が言って、またくすくす笑った。
「それに、話がぶっ飛んでいてついていけません。浮気相手が超人気女優だとして、もしかしたらアイドルの松本涼子とも仲が良いとしたら、いったいこの男はなんなのって心境。だからいったん、考えないことにします」
「なるほど、確かにありえない状況に陥ってるね。でも、利恵さんのお芝居もばれていて、わたしたち両方遊ばれてるかもね。本命が松本涼子で」

「彼女なら、俺は連絡先も知らないよ」
 友哉は女のお喋りに疲れてきたのか、また目を閉じた。飛行機はとうに離陸している。
「奥原さん、その通り。彼が、わたし以外の女と連絡を取っている様子は見えませんよ。奥原さんともだから、わたしが鈍感なのかもしれないけど」
「わたしは秘書だから二人のデートの時に、友哉さんに連絡はつけないの。まあ、確かに、松本涼子やどこかの女と会っている様子はないね」

「俺の芝居は、おまえたちには見抜けないよ」
 目を瞑ったままそう言うと、ゆう子が、
「松本涼子と連絡取ってないとか言いながら、その謎かけはなんなの。まあ、自信満々だけど、それは認める。台本をくれたのはトキさん?」
と言った。利恵が、
「普通、女の芝居もばれません」

と言った。ゆう子が口にした「トキ」という名前には利恵は興味を示さない。業界の話だと思ったのだろうか。
「あなたに嫌われないようにセックスを頑張るのがばれたけど、それが愛なんでしょ」
「十年くらい続けばね」
「またまた言い得て妙」
「それ、利恵さんの口癖?」
 ゆう子が笑った。そして、

「まあいいや、ちょっと女たらし、起きろ。で、お芝居をしている女のどっちのセックスが好きなのよ。どっちが好きなのか、じゃなくて、どっちのセックスって言ったわたしの優しさに気づけ。どうせ、利恵さんだしね」
と、目を据わらせて言う。友哉の体をさかんに揺すっていて、ただの酔っ払いだった。
「利恵」
「は、はっきり言った!」

 ゆう子が声を上げたものだから、通路の反対側の客が驚いてゆう子たちを見た。通路側に座っていた友哉が目を開けて、乗客に頭を下げている。ビジネスクラスの安い席で三人が並んでいるのだ。その通路側に友哉がいた。隣がゆう子、窓側が利恵だ。女性客が「あ、奥原ゆう子だ」と小さな声で言っていた。
「そんなに冷たい態度でいると、わたしは降りるよ」

「もう飛んでるって。女が二人いて、わたしとこの子とどっちが好きなのかって片方が言ったら、俺はそれを口にしなかった方を好きだと言うことをしているだけで、つまり始めから答えは決まってるの。君たち、二人ともそんなに抱いてないから。どっちのセックスがいいのかまだ分からないよ。話がリアルすぎるし、勘弁してくれって」
「ソロモン」

 利恵が伝説の国王の名前を言う。本当は、「ソロモンみたいな人」と言うものを利恵は、言葉を短くする口癖があって、それは長い言葉をすべて短縮する、この時代の流行とはどこか違う独特の喋り方だった。
「あんなギャンブラーじゃない」
 友哉は利恵の言葉遣いに慣れているのか、さっと答える。
「ソロバンでギャンブルするってこと? わたしに分かるように話してくれないか」

 ゆう子が口を尖らせると、利恵がまた声を殺して笑った。
「聖書に出てくるイスラエルの王様。利恵は読書家だから、怖いよ。作家なのに文学的知識で負けたらかなわない」
「じゃあ、バカな女と付き合う?」
「イギリスは漢字で英って書くよね。普通の普は何か分かる?」
「普仏戦争の普っ」
 にっこり笑って答える利恵。

「うわ。現役の学生みたいじゃないか」
 友哉が仰天した。ゆう子も目を泳がせて、
「友哉さんが思いだせなかった問題をdots。めっちゃ、頭がいい美女が現われた」
と怯えるような小芝居を混ぜて言った。
「やっぱ、付き合うなら理系がいいかな」
 友哉がそう呟くと、

「やったよ。わたしだ」
とゆう子が言って、拳を握った。友哉が、
「俺はもててるんじゃなくて、これは罠だ。ソロモンをソロバンと言ったのはわざとに決まってるし」
と言う。
「ふふふ、確かにソロバンはわざとだよ。だけどね。ソロモンって奴は本当に知らない」
「白黒、善悪の決着を無茶なアイデアでやってのけた、後先考えなかったバカ。つまり、おまえみたいな人間」

「車の中で生着替えしてくれた元カノにふられたわけが分かったわ。まさか、自分よりも口のたつ男性に片想いすることになるなんて」
「それ、面白いぞ」
 友哉がようやく快活に笑ったのを見て、ゆう子が急に機嫌をよくした。自分の話で笑ってもらうと機嫌がよくなる女なのだ。
「奥原さん、さっきの彼の台詞。ソロモンのような判断のこと。派手にもてた男性にしか言えないですよ」

「そうかな。こんな口の悪いやつ…ぷんぷん」
 ゆう子も本気で怒っていなくて、擬音をわざと口にしている。
「女が二人いる修羅場を何度も潜り抜けてるでしょ」
 利恵がそう訊くが、友哉は答えない。
「今は修羅場じゃないけど、すでに本命は決めてるでしょ。経験豊富なあなたなら」
「決めてないよ。その権利もない。まさか、こんなにお喋りがうるさくなるとはdots。利恵も普段の三倍、喋ってるよ」

「だって、秘書さんが奥原ゆう子だよ。わたしの気持ちも察してよ」
「名前はビッグだけど、中身は意外とお粗末だから気にするな」
 友哉がそう言って利恵を慰めると、なんとゆう子が爆笑した。お粗末と自分では思っていない証拠でもある。
「利恵、パリスの審判って知ってるか」
「ワインのやつでしょ」

「この会話の流れで、そっちに行くのか。利恵も意外と面白いな」
「え? なんだっけ」
 利恵が頭を押さえて、思いだそうとしているが、ゆう子の方が、
「ワインもその違う答えも分からないんだけどdots
と肩を落とした。
「俺がパリスなのかdots
「あ、ギリシャ神話の誰が一番美人か決めるやつ」

「へえ、そんな神話があるんだ。じゃあ、決めてよ」
 ぶっきらぼうに言うゆう子。
「奥原さんが本命だと思う。さっき、一緒に歩いている時になんとなくそんな気がしました。わたしの前をお二人が歩いていたんだけど、いかにも守っているオーラが友哉さんから出ていたので。鞄も持ってあげていたし」
 利恵が、ゆう子に落ち着くように目配せしながら優しく言う。

「本命は松本涼子じゃないかなあ」
 ゆう子は動揺して、声が裏返ってしまっていた。
「本当に松本涼子ともやっちゃってるの?」
 利恵がびっくりした顔で、友哉に聞いた。
「やってない。これから会う機会もない」
 目を閉じたまま言う。
「パリスの審判なら、ちょうど女が三人になった」

 利恵が笑った。
「松本涼子を混ぜるのか。だったら、別の女神を呼んだ方がいい。すぐに怒る女神とか」
 ゆう子が思わず吹き出す。
「松本涼子って怒りっぽいんだ。助けただけなのに知ってるの?」
「助けている最中に、ずっと怒っていたんだよ。たまたま、ゆう子も一緒だった」
「それでパリスの審判がなに?」
「親父が俺をパリスだと言っていた。ちょっとした遺言だ」

「美少年だったって意味?」
「賄賂を使った女神たちに見惚れているバカだってさ。遺言でバカって言われた子供も珍しいだろ」
「そ、そんな結末の神話だったかなdots
 利恵が目を泳がせた。だが、友哉は嬉しそうだ。
「あのdots。友哉さん、亡くなられたお父様と似てる?」
 ゆう子がそう指摘すると、