第十二話 消えた涼子~それぞれの涙

【未来の武器 専門用語紹介】
◆AZエーゼット 友哉の健康管理から、転送、そして政府機関、機密機関などのファイアウォールを破り侵入できる万能のAiタブレット。中に人工知能「シンゲン」が入っている。ゆう子しか使えないはずが、友哉の指示にも反応した。正式名は実は「エージー」

◆RD「アールディー」未来の拳銃。ダイヤモンドよりも硬質のロンズデーライトをレーザーで核爆発させて地核のエネルギーを発生させる。手にした人間の意思で、威力の強弱ができるが、脳が進化した人間しか使えない。こちらも違う正称がある。

【ガーナラ】人口が激減したトキの世界での精力剤だが、男を凶暴化させるために禁止になった。友哉の足を治療するために再開発。数千種類の動植物の生薬とそれらをコントロールする化学物質が入っていて、腐敗していない人間を蘇生させることも可能。

【光】ガーナラとセットで開発させた脳をハッキングするまさに光。光のセンサーがレセプターを刺激し、人の体をコントロールしてしまう。

【リング】ゆう子と友哉が通信に使うだけではなく、友哉のリングには体内のガーナラを人に与える目に見えない針が付いている。

【プラズマシールド】友哉のリングから発生するバリア。この時代でもボーイング社などが開発済み。

【転送】瞬間移動。友哉のガーナラが東京都の電力と同様のエネルギーを発生させてワームホールを作り、その瞬間に移動する。障害物がない時は光の速度を超えるだけで、それほど疲労しない。

【R89】トキの世界で有事に備え、確率を計算する小型の装置。簡単な転送も可能にしてある。

【ストプ】違う時代の人間に危害を加えると、自殺を促す光。トキらが友哉の時代に来る前に浴びてくる


 白い薄手のニットとブルージーンズのシンプルな出で立ちの涼子は、利恵を見て、「お友達がいるなら帰りますね」と、玄関で言った。
「紹介するよ。重要な人物だから」
 ゆう子がそういうと、涼子が少しだけ首を傾げながらスニーカーを脱いだ。
 利恵が、「わあ、かわいい」と声を上げて、ソファに座るよう、自分が絨毯の床に移動した。
「あ、下でいいですよ」
「わたし、スカートだから床がいいの」

 利恵はスカートの裾をふわっと浮かせながら移動をした。そよ風が舞うようないつもの所作だ。
「可憐な方ですね」
と涼子が無表情で言う。
「うん。清楚可憐なこちらは友哉さんの彼女の宮脇利恵さん」
 利恵の隣に座ったゆう子がそう紹介すると、涼子が、
「え?」
と、声を出し目を丸めた。利恵をじっと見る。すると、利恵も涼子をまじまじと見つめた。長く見つめ合う二人。

「どーしたのー?」
と、ゆう子が二人の間で手を上下に振った。
「オーラのないアイドルdots
 ポツリと言ったのは利恵だった。すると、涼子が、
「見慣れた美女。どこにでもいそう」
と応戦する。しかし、二人とも物静かだ。
 ゆう子が、
「利恵ちゃんなら、個性的な美人だと思うけどdots。うん、タイプじゃないって男性もいると思うよ」
と言った。

「そうですか。わたしには平凡な美人にしか見えないけどdots
「あなたも、かわいいけどアイドルらしい華が見えないよ。気が強そうだし、マザコンの男の子ばかりがファンじゃないの?」
「うーん、当たっているけど、スカートをフワフワさせているお嬢様に言われたくない」
「そこから移動しただけ」

「普段もそうして男の人を魅了していると錯覚してる女に見える」
「今の男子なら、あなたみたいなボーイッシュな美少女が好きだと思う」
 二人はそう言いながらも、ケンカもせずに、まず利恵が腰を下ろした。
「静かに罵り合う異様な光景」
 ゆう子が首を傾げている。
 気を取り直した涼子が、
「この利恵さんって人があの人の彼女なら、ゆう子さんは本当に片想いなんですか」

 ゆう子を凝視した。
「二股」
 ゆう子がすました顔でワインを口にした。
「酔ってますね。それ、本当ですか」
 今度は利恵を見やる。
「うーん、厳密に言うと、ゆう子さんは仕事上のセフレ。わたしが彼女?」
「あー、本心言った!」
 ゆう子は思わず叫んだ。

「ウソウソ。そうならまだ救いはある。二人ともセフレ。または二人とも彼女で二股」
 利恵の言葉にゆう子が大きく頷く。それを見た涼子が、
「気持ち悪い女子二人dots
と、また首を傾げながら呟いて、気持ちをしっかり持とうと思ったのか、頭をさかんに振ってから、
「すみません。ゆう子さんはこちらに座ってくれませんか」
と先輩を気にするが、「涼子ちゃんと話をするなら正面がいいじゃん」と、ゆう子が制した。

「そうですか。すみません。あの、彼dots友哉先生って、適当に生きてる男の人だから、公然の二股もありえなくはないけれど、ゆう子さんはトップの人気女優で、そちらの方もまあまあ美人じゃないですか。友哉先生は独身なんだから、どちらかと結婚をしたいとか考えてるんじゃないですか」
「結婚?」
 ゆう子と利恵は顔を見合わせた。そしてすぐに、吹き出す。
「何がおかしいんですか」

「確かに適当。急にやる気無くしたり、またやる気になったり大変だよ。あんな頭のおかしな男の人がまた結婚なんて考えるはずない」
 ゆう子が真顔で言うと、利恵は利恵で、
「友哉さんと結婚は悪くないけど、即、離婚しそう。散財してセックスして食べるだけで、人生は終わりよ」
と言った。
「あのひとの悪口を言う女子会なんだ」

 涼子は、ワインを自分でグラスに注いだ。
「悪口を言って楽しめって言われた」
 利恵がそう言うと、涼子が神妙な目付きになった。そして口の中で、
「変わってないじゃん。イケてる」
と言う。
「え? なに?」
 ゆう子が問いかけると、
「悪口は良くないです」

と気持ちと違った言葉に変える。
「佐々木友哉研究会だ。彼は毛沢東になるか」
「毛沢東?」
「若い子は知らないと思うけど、中国にいたとんでもない奴だよ」
「知ってますよ。若い子って言うけれど、お二人とも若くて、毛沢東の話はできないと思いますよ」
「利恵ちゃんがね。博識なのよ」
 名指しされた利恵が、すました顔で、

「毛沢東は、ものすごい性豪で、人民の命なんかなんとも思わない独裁的社会主義者の代表格なんだけど、ゆう子さんが言うには優しさの欠片もなかった男らしくて、友哉さんとは違うって話をしていたのよ」
と言った。
「毛沢東と友哉先生となんの関連があるんですか。女の子の足が好きなだけで、政治には詳しいけど、その活動はしない作家さんですよ」
「足フェチだからなあ」

 ゆう子と利恵が一緒にため息を吐いた。
「昔、お父さんと一緒に会った時にも、足を見られて怖かったですよ。今、思えばわたしのミニスカが悪いんだけれど。見せておいて見たら怖いって矛盾していることはアイドルをやっていて痛感したから、今ではファンの男性たちにおおいに見てもらっています。だけど、ゆう子さんのその下着だけの姿は変です。女子会なんで」
 上がスウェット。下は薄いオレンジ色のショーツで胡坐をかいて座っている。スポーティなショーツだが、下着は下着だ。

「最初は短パンみたいのを穿いてたのに脱いだの。たまにおっぱいも出すの。もっと注意してくれる?」
 利恵も呆れ顔だった。ゆう子が、涼子を見ながら、
「友哉さんの前では基本、全裸で胡坐だよ。わたしの部屋で何が悪い」
と嘯いた。
「全裸で胡坐? ありえない。友哉先生はそれでいいって言ってますか?」
「何も言ってない。もしかすると、とっても嫌がってるかも」
「あれ? さっきまで喜んでるって言ってたのに?」

 利恵が目を丸めると、
「わたし、そこまでバカじゃないよ。半信半疑だ」
と笑った。
「なにそれ。勢いで喋ってるんだ。もう真面目に聞かない」
「全裸で靴下を穿いたり脱いだりして、いわゆるあそこをチラチラ見せていたら、心底嫌がったしね」
「全裸で靴下、マニアだね」
「マニアを意識したんじゃなくて、男性を興奮させるための技のつもりだったけど、友哉さんが嫌がったからやめた」

「靴下なら、わたしがいっぱい持ってますよ」
 涼子が自分の鞄を見た。
「夏も冷房で足が冷えるじゃないですか。わたし、三足、千円の安い靴下がいつも鞄に入ってます」
「だから? オチは?」
 涼子の話がつまらなかったのか、咎めるように言う。
「え? オチ? オ、オチはないです」

 涼子がたじろいだのを見て、利恵が、「ゆう子さん、ありえない。そんな大御所タレントみたいにかわいいアイドルの子をイジメて」と、ゆう子を少し睨んだ。すると、
「わたしが身をていして恥をさらしているのに、そんなかわいい話でまとめられたらかなわん。黒猫リンリンだっけ? ここではそれは通用しない」
と言う。利恵が、「ま、確かにかわいくまとめたオチだったよね。千円って」と納得してしまった。涼子が、「やっぱり怖いな。あのひとがいないと」と呟くが、ゆう子には聞こえない。
「すみません。どう言えばよかったですか」

「この場合は、その鞄の靴下で、わたしもなんか猥褻なことをしてますって言うのよ。彼氏が靴下フェチで涼子ちゃんの足を舐めるとかね。するとわたしと同列になって、お酒が美味しくなる。それが飲み会だよ」
「すみません。処女です」
「え?」
 ゆう子と利恵が同時に、しかも大きな声を出した。
「本物の清純派アイドルだ」
 二人とも目を見開いて驚愕している。

「すごい。こんなに超かわいいのに処女。まさに国宝」
 利恵も目を丸めたまま、涼子を讃えた。二人ともバカにしている様子はなく、利恵に至っては、手鏡で自分の顔を見ていた。自分は汚れていると思ったようだった。
「涼子ちゃん、素晴らしいオチだった。わたしは敬服するよ」
 ゆう子は頭は下げなかったが、なんと脱いだショートパンツを素早く手にして、きちんと穿いたのだった。
「あの、友哉先生の話がしたくてきたんですが」

「あの、友哉先生の話がしたくてきたんですが」
 涼子が、「どうでもいいよ」という表情を作って言う。
「松本さんは、友哉さんのことを友哉先生って呼ぶんですね」
 利恵に訊かれた涼子は、
「そうですよ。佐々木先生じゃ、父と同じ呼び方だから」
と言う。ゆう子が、
「お父さんが編集者で、彼女は友哉さんのことを昔から知っているみたい」

と教えた。利恵は「ロスで聞いたよ」と言っただけで、それ以上は訊かない。
「そのロスでは何をやらかしたんですか。病院でお手伝いした時に、先生は成田の近くにいたのに、その一時間後にロスで発見されていましたよね」
「それはわたしたちの仲間にならないと言えない」
 そう言ったのは利恵だった。奥原ゆう子と付き合っているのだから、有名アイドルにもすぐに慣れたのだろう。

「仲間にするのはちょっとdots
 ゆう子が拒んだ。利恵は、来るものは拒まずのゆう子さんが珍しいなと思い、しかしすぐに、恋敵として涼子を警戒しているんだ、と分かった。
「あんたはなんでそんなに友哉さんを気にするの?」
 ゆう子の目が据わってきた。
「クレナイタウンで助けてもらったしdots
「し?」

「か、かっこいいしdots
「し?」
「良い小説を書くしdots
「し?」
「頭がいいしdots
「し?」
「もういいよ。ゆう子さん、しつこい」
 利恵がゆう子の頭を雑誌で叩いた。

「お二人は、仲良しですね。じゃあ、友哉先生はまさかの双子。わたしすら知らない兄か弟が実はいて、お二人は兄と弟の両方とそれぞれ付き合ってるってことですか。成田の先生がわたしの古い知り合いの友哉先生で、ロスの人は兄弟の人で影武者みたいになっててdots
「あ、それいいな」
 ゆう子が爆笑した。利恵も酩酊した様子を露わにしながら笑っていた。すぐに涼子は怒りだして、
「違うんですか。もうさっぱり分かりません。じゃあ、仲間にしてください。だから秘密を教えてください。仲間になるにはどうすればいいんですか」

と、けっこうな怒気を見せた。
「そもそもゆう子さんは日本中、大騒ぎなのに記者会見も開かないし、マンションの前はマスコミだらけ。隠れて入ってくるのに、必死ですよ。友哉先生はどこにいるか分からなくて、お父さんも困ってる。友哉先生はどこにいるんですか」
「休養中なのに、記者会見なんか開くか」
「じゃあ、先生はどこ?」
「都内のホテルに常泊している。でももうすぐ来るよ」

 ゆう子の言葉に、「友哉さん、来ていいのかな」と利恵が困惑気味に言った。
「仲間にはしたくないけど、涼子ちゃんがいれば回復するのは分かってる。美少女で処女の破壊力抜群。利恵ちゃんとわたしが生理の時は、涼子ちゃんのキスでしのごうか。友哉さんがいいって言うならわたしは我慢する」
「我慢ってdots
 利恵が呆れかえった。言っていることが、常にあからさますぎると思った。
「低体温の話ですか。それが女の色気で治る理由も教えてほしいです」

 涼子がゆう子を少しだけ睨んだ。利恵も困惑した顔をして、
「難しくてわたしも分からないのよ。それより、ゆう子さん、我慢って、まさに正妻になれない愛人のようなセリフなんだけど、ロスで注意したよね。自分を卑下しすぎるの」
 利恵に叱られるが、酔っているゆう子はかわまず、
「だって、友哉さん、ロリコンなんだもん。VIOを完全に処理しておいてよかった。友哉さんが涼子ちゃんに見惚れている時に、わたしは我慢しているよ」
と、また言った。

「ロリコンじゃなくて、服フェチでしょ。こういう格好が好きなんだって」
 利恵が語気を強めながらそう言い、涼子の服装を見た。シンプルな、どこにでもいそうな女子高生に見える。実際には涼子は二十歳だが、背も低く童顔なのでなおさらだった。
「なのにゆう子さんはそれに反発して、ブランド物の服ばっかり着るから、だからだめなんだって言ってるの。そのあおりを食ったわたしがもう秋なのに浴衣を着せられたりしてるんだから」
「わたしの人生は全裸かブランドなんだ」

「ほら、やっぱりだめだ」
 涼子はいつの間にか冷蔵庫の前にいて、冷えたワインを探しているようだった。
「白がないなあ」
「じゃあ、友哉さんに持ってきてもらおう」
「そうしてください。お二人の話じゃ、友哉先生がコスプレが好きなのしか分かりませんから」
 涼子はシャトームートンロートシルトを手に取った。
「わたしのミニスカの方が魅力的ですよ。今日はジーンズだけど、彼が来るならスカートが良かった。これも空けていいですか」

 どこか自信満々だった。
「彼が来るなら?」
 利恵はまさかこの女も友哉さんが好きなら、本当にそれは自然なことなのだろうか、と、ゆう子同様、疑うようになってきていた。涼子がトイレに立った時に、
「あのさ、成田でも訊いたけど、あれ、怪しいよ。例の元カノがやっぱり涼子ちゃんなんじゃないの?」
と、ゆう子に耳打ちした。

「だったら戻ってきたんだから、友哉さん、元気ハツラツになるはずだよ。あの子、友哉さんの居場所すら分からないようだから、連絡も取り合ってないんだ」
「処女が本当なら、友哉さんはやってないことになるしね」
 利恵が胸を撫で下ろした。
「でも、転落事故を救ってもらって惚れた可能性は高い」
「歳の差はあるけど、友哉さんが若く見えるし、もともと知り合いならありうるね。うーん、でもdots…」
「でもdots?」

「なんか、かわいいなあ。松本涼子」
 利恵がトイレの方を見て言った。
「まあ、普通にアイドルだし」
「妹にしたい感じ。背が低くて、表情がコロコロ変わって、我儘そうで、口がたつから叱ってあげたい」
 利恵の言葉に、
「へえ、利恵ちゃん、そんな母性みたいな優しさがあるんだ。意外」
 ゆう子が笑うと、「失礼な」と利恵が、ぷいっと顔を背けた。

 友哉はコインパーキングから、ゆう子の部屋の玄関の前に転送されてきた。
「え? 涼子dotsちゃん。なんでいるんだ」
「週刊誌にいろいろ書いてあったから心配で。マスコミには見つかりませんでしたか」
 玄関から入ってきたと思った涼子は、突然、友哉が現われた事に驚かなかった。
「大丈夫dots
と言いながら、涼子を手招きして呼んだ。涼子が、ゆう子と利恵を無視して友哉に駆け寄る。
「おまえ、なんで実家に帰らないんだ」

 耳元で呟く。
「なに、やぶからぼうに」
 友哉を睨もうとしたが、すぐに目が泳いでしまった。
「さっき松本と連絡した。お母さんの世話を父親と妹だけにさせておくのはどうかと思うぞ」
「お金dots入れてるし、でも、帰ろうとすると足がすくむんだ」
「すくむ?」
「お母さんが怖い」
「もう学校に行けとは言わないだろ」

「うん、でも会うのが怖い。わたし、なんか悪いことをしたのかな。お母さんに会うと、それを見ている人たちから怒られそうな気分になるの。石を投げられるみたいな」
 そこまで言ったところで、
「あんたたち、何コソコソ話してるのよ」
とゆう子が言った。涼子が、友哉から離れてリビングに戻ると、
「あんたたち、本当はかなり仲良しなんじゃない?」
と、ゆう子が訊いた。涼子は気を取り直して、

「友哉先生が、成田でわたしを好きになったそうです」
「うふふ」と笑いながら言う。少し口を尖らせたその笑い方に、利恵が「かわいい」と感動した。
「利恵ちゃん、そいつのルックスに感動してる場合じゃないよ。今のが本当ならあの男は三股を目指しているハーレム男になる。国王になる気だ」
 酩酊した目付きで言った。

「国王のハーレムの中には奴隷の男の子もいた。それでもいいのか。この時代では、男の子では犯罪だから、イケメンの大人の男を用意して、ハーレムにしようか。それなら、ゆう子も楽しいよな」
「ああ言えばこう言う。女を論破する男はもてないって言ってるでしょ」
 ゆう子がワインを一気飲みした。
「もてる気はないって言ってるだろ。すまん、利恵、来てくれ」
 今度は利恵を呼びながら、靴を脱ぎだした。

「ちょっと眩暈がする。ロスアンゼルスの後遺症かな。ホテルでも寝てたのに何度も起こされた」
 よろよろと歩いている友哉に、利恵が駆け寄り、たまたま横がトイレだったからかそのまま二人でトイレに入った。涼子が、「え?」と思わず声を上げた。
「トイレで超変態なことをする仲間よ。あなたもそれに加わるの?」
 ゆう子が不敵に笑って言うと、すぐに利恵がトイレのドアを開けて、
「ゆう子さんがそう言うと思って、わざとトイレに入ったのよ。もう、ゆう子さんのジョークは読めてる」

と言って、あえて廊下で彼にkissをした。酔っていて、それくらいなんでもないようで、すぐに二回目のkissをした。
「み、見せつける仲間?」
 涼子は苛立った顔つきになった。
「あんたが、友哉さんとわたしたちのラブシーンを見て、なんで怒るの?」
「他人のラブラブを目の前で見て、気分がいい女がいますか」
 友哉は、大手町界隈で買ってきたワインを冷蔵庫に入れて、

「まさか、涼子ちゃんがいるとは。まあ、美女が三人もいて壮観だな」
と言い、そのくせ、誰にも視線は投げなかった。それを見た涼子が、
「先生はわたしの写真集を買ったって聞いてたのに、実物は見ないの?」
と言った。病院での溢れ出た想いの言葉は、ゆう子と利恵に知られないよう口に出さないようだった。友哉もそれが分かり、ふざけた口調で、
「水着じゃないから」
と言った。

「水着の頁ばっかり見てるんですか」
「もっと水着の頁を増やしてくれ。でも写真集でなんかしてるわけじゃないよ」
「やだ。なんですかそれ」
 涼子は、大人の下品な言葉に怒り、ワインを一気飲みした。すると、ゆう子が「なんかお腹が痛い」と言い出し、トイレの方を見た。
「ほら、すぐ裸になるからだよ。トイレ、開けたまま入らないでね」
 利恵がたしなめると、ゆう子はトイレには行かずに寝室に入って、しばらくすると、ティシャツの上に腹巻をして帰ってきた。

「奥原ゆう子が腹巻?」
 利恵が驚愕した。
「この際、そんなことはどうでもいいのだ。いざとなったら裸に腹巻も考えるよ」
「どうしてこんな滅茶苦茶な女を友哉さんが好きなのか、わからなくなってきた」
 すると、友哉がゆう子に近寄り、
「好きとは言ってないが、ゆう子、これはいったいなんだ」
と言って、ゆう子の腹巻を人差し指で突いた。
「腹巻だよ。まさか知らないの?」
 ゆう子が真顔で驚くと、

「知ってるよ。この下のブヨブヨしたのはなんなの?」
と笑った。
「ああ、肉だよ。肉」
 ゆう子が憮然とした顔を見せると、利恵が大笑いをした。涼子も思わず笑っている。
「笑えないよ! 利恵ちゃんと涼子ちゃんが超痩せてるから!」
「面白いだろ。俺のジョークは」
「一生忘れない。わたしの体を使って笑いを取るとは。しかもわたしが一番気にしている部分を責めるなんて。そんなだからもてないんだ」

 ゆう子は腹巻の上からスウェットを着て、お腹を隠した。
 涼子がワイングラスを持ったまま立ち上がると、皆から離れるようにベランダの傍に立った。
「友哉先生がもてないってdots。こんなに綺麗な女が二人もいるのに」
「うちらと会うまで、彼女いない歴、四年以上だったようだ」
 ゆう子がそう教えると、涼子が悩ましい表情をつくって、少し肩を落とした。
「そ、そんなはずはないです」
「おい、妙なことを口にするなよ」

 友哉に釘をさされると、涼子が口を尖らせて、
「いましたよ。遠距離恋愛みたいな女が」
と言った。友哉が涼子を凝視した。
「マジで? だから見えなかったのか」
「見える? 見えない? 友哉先生の何かのデータでも見たんですか」
 涼子がきょとんとした顔をしていると、「黒猫リンリンはかわいいな」と、友哉が笑った。
 涼子は「かわいい」と言われて機嫌を良くして、

「それにどこかに、セックスの愛人が常にいましたよ。読者の女かプロの。そうそうなんとか奈那子とか言うAV女優とも仲が良かったみたい。晴香に聞いた」
と笑みを零しながら教えた。友哉は浮かない顔で、テーブルの上にあった誰かのワインを口につけた。
「まあ、それはちょっと見えてたけど、付き合っていたほどじゃないよね」
「遠距離恋愛の子をほっといてAV女優か」

 涼子が言うと、友哉がやりきれない表情になった。
「まあまあ、後輩よ。遠距離恋愛じゃ、男性はいろいろ困るよね。友哉さんの場合、わたしの知っている限りでは風俗に行かないで、性病のないプロ愛人と遊ぶみたいだから許してやれ」
と威張って言った。
「許してますよ。いっぱい」
 含み笑いを見せたが、目付きが悪くなっていた。

「君ね、君が俺を許すって言ってる意味が分からないけど、まあ、そのスリムジーンズはかわいいよ。だから、まさに許してくれないかな。つまり、昔話をやめてくれないか」
 友哉が涼子の下半身を見て、そのまま、じっと涼子のお尻を見ていた。
 ゆう子が、「やっぱり、涼子ちゃんはかわいい?」と、口をアヒルのようにして言うと、「皆、かわいいよ」と、また何事もないような顔で言う。
 その時だった。
「誰だ」

 友哉が突然PPKを手に持ち、涼子の方に向けた。正確にはベランダにだが、涼子は仰天して、体を反転させようとして倒れた。
「ちょっと友哉さん!」
 涼子の近くにいた利恵が、涼子の肩を抱き寄せた。ゆう子は思わずベランダを見ている。
「友哉様、撃たないでください。トキ様の使いのものです」
 銀色の服の男は、初老で日本人ではなく、南国色をした顔を強張らせた。

「友哉様、カロリッチが言ったのは本当ですね。わたしが現われてからたったの一秒dots速い」
 感心したように言った。
「だ、誰?」
 混乱してるのは涼子だった。友哉は拳銃を持っている。ベランダには奇妙な男がいる。パニックになって当たり前だった。
「ベランダが視界に入る場所に座っている。トキもベランダから俺の部屋に入った。ゆう子に会いにきた時もきっとベランダから侵入」
「さ、さすが、めっちゃ疲れているスパイ」
と、ゆう子が言ったが、驚いているからか棒読みだった。

「友哉様、そのRDを仕舞っていただけませんか」
 老人は顔面蒼白のままだ。
「ベランダからいきなり現われて、人に悪態を吐いたり、寝ているゆう子を見たり、車の中に突然飛び込んでくるおまえらを笑顔で迎える奴がどこにいるか」
「ゆ、友哉さんに一票」
 利恵が震えながら呟いた。
「あれが入口だ。分かるか。玄関というドアだ」

 友哉が横目で玄関の方を見ると、老人も視線を玄関に投じ、
「はい。申し訳ありません」
と老人が深々と頭を下げる。まるで、友哉が王様で老人がその執事のようだ。
「一秒もかかったのか。妙な現れ方をしたら一撃だぞ」
「はい。気を付けます」
 利恵がパニックになっているのか、ゆう子ではなく肩を抱いている涼子に、「友哉さんって何者?」と訊いている。涼子が震えながら無言で左右に首を振った。

「老人は撃たないように、別の者に聞いたはずではないですか。わたしに悪意がなくても、友哉様が本気になれば傷は与えられます。カロリッチが殺されるかと思ったとdots
 彼は手で額の汗を拭った。
「温度差がありすぎる。車に突然乗りこんできた男と笑顔で握手をするのか。とにかく玄関から入ってきてくれ。晴香のガードはどうなってるんだ」

「別の者たちが守っています。奴らも人手不足で、そうそうは押し寄せてこられません。晴香様の家の周りや学校の位置情報を破壊してあるので、直接飛び込むこともできないので、成田のようなことはありません」
 ゆう子も利恵も知らない話をしている。
「そうだったな。それなら娘の着替えや風呂も見られなくて安心だ」
「はい。わたしにはもう興味がない話ですが、若い者たちは見たかったようで、叱っておきました」

 今度は、手品のように手の中に出した布きれで汗を拭いながら大らかに笑うが、友哉は面白くなさそうな顔をしていた。
「このマンションも位置情報を破壊しているようだが、突然現れるな。レベル不明で撃ってしまう」
「このマンションは何もしてませんよ。我々が友哉様とお話をするために来るには適した場所です」
「このマンションは安全?」
「はい。おかしいですね。その説明がなかった? 若い者を派遣すると友哉様に緊張してしまうんですね」

 初老の男は首を傾げるが、なのに説明をする気はないようで、
「若者に自信を付けさせていただいたようで、ありがとうございます」
と、友哉に頭を下げた。
「ジョージか。あいつがオドオドしていたと思ったら急に生意気なことを言いだしたからだ。俺は何もしてない」
「友哉様に生意気なことを? 彼は戻ってから胸を張って歩いてます。体が弱かったのに、自信がついたのか、トキ様も目を細めてますよ」

「次から来る若い奴には、普通に話すように言っておいて欲しい。腰が低すぎる。カロリッチは態度が悪かった。おまえら、極端すぎるぞ」
「分かりました。善処いたします」
 老人は頭を下げると丸い水晶のような物体を手の中に出した。AZが出てくるようにそれは突然彼の手に握られていた。
「R89じゃないのか」
「R89もあります。この後の確率を計算しないとdots

「何をするのか知らないが、来る前に計算して来い。思い付きでやってくるから、俺に撃たれそうになるんだ」
「まったくその通りでございます」
 老人が頭を掻きながら笑った。
「話が全然見えないんだけどdots
 ゆう子が、初老の男と友哉を交互に見て言った。
 未来の人間を初めて見た利恵も言葉を無くしている。

 涼子は少し震えていた。利恵が優しく抱きしめているが自分も怖いから、涼子に体を寄せているのだ。
「ゆう子さん、はじめまして。おお、あなたが利恵さんですか。なるほど、女神と言えば女神に見えます」
「は?」
 利恵が目を丸める。
「若者と爺さんとじゃ、利恵の見解が違うようだな」

「おや、そうでしたか。ジョージは利恵さんを見ていないからではないでしょうか」
「利恵ちゃんが女神?こんな淫dots
 利恵が身を乗り出して、ゆう子の口を塞いだ。
「ゆ、ゆう子さん、あんまり冗談が過ぎると、さすがのわたしも怒るよ」
 笑みを零していたが声は笑っていない。ゆう子をきっと睨んだ。
「トキの世界は女が少ないから、わざわざ美女を見に来たのか。どうぞ、ここは美女、展覧会だ」

「涼子さんに会いにきました。友哉様を追跡していたら、涼子さんに会えると思って頑張っておりました。アイドルとやらのお仕事、あちこちに移動するので、涼子さんになかなか会えなくて四苦八苦です」
「なんで涼子ちゃんに会いたいの?」
 ゆう子が友哉とトキの使いを交互に見ながら訊いた。
「ほう、本当に涼子の居場所が分からないのか」
 友哉が老人に訊くと、彼は少し頷いた。

「それは俺の性格がいい加減だからってジョージに言われたぞ」
「そうですか。そうだと思いますよ」
「なにい?」
 友哉が頓狂な声を出す。
「涼子さんの居場所は知らないのに、世界を動かしているような男たちの居場所を調べてらっしゃる。小説のネタのようですが、仕事よりも愛する女性を労わってください。そちらの美女たちも失いますよ」

「今度は説教か」
 友哉が目を丸めると、老人は少しだけ友哉を睨み、
「世界最強の殺し屋はどこにいますか」
と訊いた。
「確か、ネパールのインドの国境近くの村なんだ。インドとネパールを旅行した時に立ち寄ったけど、治安が最悪。逃げて帰ってきた。そいつ、村人に化けているから、国際警察が見つけられなくてdots

 友哉が饒舌になったところで、
「それが迷惑なんです」
と老人が、ぴしゃりと言った。
「な、なんで? 小説のネタなのにdots
 年長者に叱られた友哉が、目を泳がせたのを見て、「やっぱ、未来の偉い人じゃないな。普通の男ね」と利恵が溜め息をついた。友哉が砕けたからか、利恵は少々、落ち着いてきたようだ。
「では松本涼子さんdots

 老人が涼子に目を向けた。ベランダに立ったままだが、それほど離れてはいない。涼子は、体をびくっとさせた。
「涼子ちゃん、大丈夫よ。これがわたしたちの秘密で、あなたが仲間になれるかどうかって話だと思う」
とゆう子が言った。
「あなたは友哉様と結婚したい」
「え?」
 驚いたのは涼子だけではなく、ゆう子と利恵も目を丸めた。

「学生の頃、友哉様にそう言って了解してもらった。それを実現させたいと思っている。あなたの夢ですね」
 涼子は頷いた。そして、
「なんで知ってるんですか」
と、当たり前の疑問を口にした。
「許嫁?」
 ゆう子が思わず叫んで、その口を開けたまま動かなくなった。
「編集者の娘と作家が不倫?」
 利恵が涼子を見て訊くと、

「そうですよ。だけど久しぶりに会ったら、女が二人もいた」
と、涼子はつんけんしながら言った。
「トキの使いの御老体。それをばらすのは自然か」
「おや、神経質なお言葉。ばれてないのが不自然で、利恵さんが気づいていないのが、そう、まさに不自然なんです」
「へえdots
 友哉が首を傾げた。

「お二人は以前からのお友達なのですが、まだ仲良くなっていないようなので」
「え?」
 利恵が声を上げた。友哉が、思いだしたかのようかのように、
「そうか。二人が同時に現れたから変だと思った。本当は俺と利恵と出会った時には、もう二人は友達になっていて、利恵が、涼子の口癖を懐かしいって思うのか」
と言った。『イケメン小説家は怖いな』のことだ。

「それから確認したいことがある」
「なんでしょう?」
 友哉がトキの使いの老人に近寄った。ゆう子たちは声も出さずに呆然としている。その中で、涼子だけはどこか勝ち誇った顔に変わってきていた。
「涼子の家の庭で、彼女が高校一年生の時に妙な魔法を使ったのも、トキたちか」
 涼子にはもちろん、ゆう子と利恵にも聞こえないように訊いた。

「はい。もちろん、使ったのは光の技術です」
 友哉は、老人から少しだけ目を逸らしながら「ありがとう」と呟いた。老人が目を細めて、友哉を見た。息子を見るような目だった。友哉が、老人に背を向けて、ゆう子たちに体を向けた。演説するように、
「改めまして、皆様。こいつがゆう子に会う前の彼女。隠していたのはわざとだ。偶然再会したが、もう別れたつもりだったから隠していた。しかし、こいつは自分で遠距離恋愛とか言ってるよ」

と言った。ゆう子は手になぜかテレビのリモコンを持っていて体を固まらせていた。どうやらワイングラスと間違えているようだった。
「もしかしたら、別れてないんだっけ? 愛着してる涼子」
dotsさあね。そーゆー話もあったかなあ」
 涼子が投げやりに言って、そっぽを向いた。
「あ、あんた。北海道の旅館に友哉さんと行ったことがあるか。嘘は言うな」

「ありますよ。別にいいでしょ。彼氏なんだから」
 利恵が、涼子を凝視している。そして、
「いつ?」
と消え入るような声で訊いた。
「高校一年生の冬。最後のデートかなあ」
 また、つんけんして言った。
「デートじゃなくて、おまえが俺の取材旅行に一緒に来ただけじゃないか」

 友哉がそう言うと、
「それがわたしたちのいつものデートでしょ」
と、彼を睨んで言う。ゆう子と利恵がいることが相当、気に食わないようだった。
「函館は人探しも兼ねてたから許す」
「ああ、見つからなかった。すまなかった。歩かせて。許すって何回も言ってたが、その口癖、やめてくれないか」
 少しばかり恋人同士のような会話をして、二人は視線も重ねた。

「浮気してる男みたいに聞こえる」
「してるじゃん」
「してない。この状況をよく観察してほしい」
「どう見ても浮気」
「違う。俺とおまえは別れている」
「なにー?」
 涼子が目を釣り上げた

「まあまあ、皆さん、揉めないでください。実は涼子さん、あなたに我々が光を与えたのです」
 ゆう子と利恵が思わず顔を上げた。
「光? まさかマリー?」
 ゆう子が声を上げた。すると友哉が、
「R12じゃないのか。チャーリー」
と老人に訊く。

「マリーです。友哉様、どうしてR12を知ってるのですか」
「え?」
 友哉が珍しく、体を固まらせる。
「トキの仲間の誰かが言ってたdots
「言ってませんよ。私の名前はなんで知ってるんですか」
「さっきから自分で言ってるじゃないか」
「言ってませんよ。ねえ、ゆう子さん」

 ゆう子に水を向けると、ゆう子が思わず頷いた。
「友哉様、脳が復調してきましたね。良かった」
 友哉が頭痛を嫌がるように頭を左右に振っている間に、老人の話が始まった。
「リングの話は複雑なので、皆さんは後でこのお美しい天才女優に聞いてください」
 初老の男がゆう子に手を向けた。ゆう子は虚を突かれたのか、きょとんとした。
「その昔、涼子さんのお父上が、友哉様にある相談をされに行った。涼子さんを連れて」
「覚えてる」

 涼子がポツリと言って、友哉を見た。少し、目が潤んだように見えた。
「友哉様のアイデアは、晴香様と涼子さんを友達にして、涼子さんの父上と四人で温泉やイベント会場に遊びに行くというものでした。しかし、当時の涼子さんは、友哉様の娘の晴香様のことも警戒されていたので、我々が涼子さんにマリーを与えました」
「なんで、あんた、晴香ちゃんを警戒するのよ」
 ゆう子が思わず言うが、涼子は答えない。

「始めのうちは友哉様にも好戦的だったので、涼子さんのサディズムを抑えるためにもマリーが必要だとトキ様が判断された」
「あんた、サドなの?」
「ゆう子、黙ってろ」
 友哉が間髪入れずに言うと、ゆう子は「はい」と言って背筋を伸ばした。
「涼子が立ち直ったのは、俺のアイデアや努力じゃなかったのか。R12の効果か」

「マリーです。友哉様。落ち着いてください。そんなことはありません。マリーの効果は、人を睨む涼子さんにはよく効きました。そして九割以上は友哉様の努力です。その友哉様の努力に彼女は惚れたのでしょう」
「惚れてないもん」
 涼子が口を尖らせて言うと老人が、
「本当ですか」
と笑った。すると、「うそ」と小さな声を落とし、友哉を女の目で見た。

「喋れるようになった」
 ポツリと言う涼子。うっとりした瞳で友哉を見上げた。
「失語症だったの?なんで?」
 ゆう子が声を上げた。
「食べることもできるようになった。あなたはわたしのお医者さんで、ミステリアスヒーロー」
 友哉の手を握って言う。もう、女の顔になったまま、溶けそうな笑顔だ。

「かわいい」
 利恵が思わず呟いた。
「その程度の効果なら、マリーなんて際どい光を中学生の涼子に与えるなよ。間違いが起こったらどうするんだ」
 友哉は涼子から手を離すとソファに座って、PPKもしまっていた。呆れた表情を見せている。
「間違いは起こってると思うよ。そんなに惚れちゃったら思春期の一人の部屋でいろいろね」
 ゆう子が呆れかえった口調で言った。
「いやらしいこと、言わないでよ」

 利恵がゆう子を睨んだが、友哉は、「それはそそるな」と笑った。
「ほら、少女のベッドの中を妄想してる。ロリコンじゃん」
 ゆう子が勝ち誇ったような顔で利恵を見た。利恵が「あとで検証する」と頬を膨らませて言った。
 初老の男は苦笑いをしながら、「緊張感のない楽しい女性たちですね」と言い、涼子に近寄った。
「なんですか」
「よく帰ってきてくれました。会えなかった時期の傷は友哉様が癒してくれますよ。存分に、このお方で遊んでください」
「?」

「今から光を使った…つまりハッキングを解きます。長期間、効き目があるマリーだったので外すと彼女は少し失神すると思いますが、すぐに目を覚ましてその時に彼女がどうなるか、ちょっと予測がつきません」
「利恵ちゃんが、友哉さんにその光を外されても、友哉さんのことを好きだったけど」
 ゆう子がそう訊くと、

「それは、利恵さんが、マリーを与えられる前から友哉様を好きだったのではないですか。マリーとはそういうもので、涼子さんにマリーを与えたら友哉様と即セックスというものでもありません。ただ、好きな人を好きでいる。それだけのことです。犯罪的なハッキングではありません」
と老人が答えた。利恵が思わず頷いた。どこか安堵の表情も見せる。
「うん。それはわたしたちも検証した。つまり涼子ちゃんはそんな子供の頃から友哉さんが好きだったってこと?」

「そうですよ。好戦的とはいえ、いつも友哉様をこっそり見ていたので」
「じゃあ、外しても友哉さんを好きなままってこと?」
「それは良いことです。なにか問題でも?」
 余裕のある老人の笑みに、ゆう子は黙ってしまった。

「涼子さんからマリーを外すのは、トキ様からの要望で、涼子さんの学業も終わり、歌手の仲間とも諍いもなくやっているのを確認したためです。そして涼子さん、ちゃんと戻ってきたので。でも、外すのはリスクが高いかも知れません。テンドウ様は大丈夫なのでしょうか。なんかわたしも冷や汗が出てきました。涼子さん、いいですか」
「どうぞ。そのクスリを消されてもわたしは何も変わりませんので」
 自信満々に言い放った。

「ほう、俺をそんなに好きなのか。そりゃあ、びっくり」
「うるさい。好きも嫌いも楽しければいいのよ」
 二人のやり取りを聞いた利恵が、
「友哉さんにうるさいdots。わたしでさえ、言った事がない。まさに今どきのカップル」
と言った。
「確率は七十七%。これでいいのでしょうか」
 R89を見て呟く。

「テンドウ? テンドウがトラブルになる確率は?」
「テンドウ様を知ってるのですか」
「知らん。だがトリプレックスやらの中にはいないのに、テンドウ様と呼ぶなら相当な位にいる人物だろう。なになに様が増える一方だ」
「単純に三十%ほどではないかとdots
 初老の男、チャーリーが真顔になった。
「トリプレックスってなに?」

 ゆう子も真剣な口調で訊いた。
「涼子を守っている妙に強い連中だ。彼らは俺よりは若い。テンドウはもっと年寄りだ。この御老体が友情を育んでいる。そんな感情が出ていた」
「友哉様、我々の世界の心配は無用です」
「涼子ちゃんを守っているって?」
 ゆう子が訊くと、
「我々の世界から見守っています。それで幸せじゃないですか。友哉様も、皆さんのことを毎日見守っていますよ」

 初老の彼が涼子の肩に触れた。手に水晶のような銀色の玉を持っていて、それが緑色に光った。
 涼子が目を閉じた。すっと落ちていくように眠ってしまい体を崩し、利恵がそれを支えた。
「トキ様もすごい賭けに出るものです。緊張しました。涼子さんは今、ストレスになっていると思うので、私のことは忘れるようにしておきました。では私はこれで失礼します」
 初老の男、チャーリーは山間にある濃い霧が風で流れるような消え方をした。
 すると涼子が目を覚まし、ゆう子と利恵が身構えた。

 テーブルの上の週刊誌を見た涼子は、
「よかった。危うくわたしと先生が熱愛になるところだった。奥原さんがいるのに」
と言った。
「涼子ちゃん、成田空港の近くの病院ではありがとう」
 ゆう子が確認するように訊いてみる。目を丸めて、神妙な表情になっていた。
「成田空港? ああ、この前ですか。晴香に来てくれって言われてマネージャーと行ったけど、何をしにいったのか覚えないんです。ずっと寝てたのかな。後で晴香に聞いてみます」

 ゆう子が友哉の顔を見た。友哉は、苦笑しているだけで何も言わない。涼子が立ち上がり、「またワインを飲みに来ていいですか。オーパスワンが今日は無かった」と言う。
「えっと、松本さんは友哉さんの許嫁じゃないの?」
 利恵がそう訊くと、
「許嫁? なんの冗談ですか。晴香のお父さん、相変らずかっこいいですね。奥原さんと熱愛ですか。ちょっと妬けるな。でもまあ、晴香パパですよ」

 少しだけ友哉を見て、そしてまさにほんの少し首を傾げる仕草を見せた後、涼子は玄関に向かった。
「まさかの展開。さっきのお爺さん、どうするんだろう。未来人なのに大失敗?」
 ゆう子が呆然としていた。
「友哉さんに無関心だったのか。そういう女の子に使ったマリーの効果が切れるとああなるんだ」
 利恵が大きく息を吐き出しながら言う。自分はああならなくてよかった、と顔に書いてあり、「もし、利恵ちゃんもああなったら、一億円を逃すところだったからね」と、ゆう子が笑った。