第一部 闘い編

第一話 作家vs女優

AZ重要事項 RDの詳細◆
【佐々木友哉が所持する拳銃、名称PPKの中に埋め込んだRDは人間の脳とリンクし、ノルアドレナリンのコントロールにより最大で地核と同じ高熱を発射することができ、天才のサイコパスや、子供や孫がいない好戦的な政治家が持つと危険である。恋人を失い、体も悪くした佐々木友哉には現時点で、RDのコントロールはできない。そのため、ゆう子さん、あなたが必要である】

 作家の佐々木友哉は成田空港の出発ロビーの椅子に座って、スポーツ新聞を読んでいた。
 女優、奥原ゆう子の電撃引退記事が一面を飾っている。
 まだ若い国民的人気女優が、パニック障害の体調不良と、「片想いの男の人がいるから」、という理由での引退である。パニック障害も辛そうだったが、奥原ゆう子は「片想いの男性」のことを喜色満面に話していたため、マスコミは狂ったように騒ぎ、今、佐々木友哉の目の前を歩くカップルも、その話題を口にしていた。

『衝撃の片想い』
 どこかのコメンテイターがそう言ったのか、瞬く間にその言葉が全国に広まった。
「好きな男性がいて、そのひとがわたしに振り向かないから、花嫁修業も兼ねて、三年くらいお休みさせていただきます」
 奥原ゆう子は、マイクに向かい、明るくそう言い放った。
『真剣みに欠けていて、どこかふざけているように見えた。それとも片想いの男性のことで頭がいっぱいなのか』
 そんな批判的な記事が載っていた。

「左手薬指の指輪は、彼からもらったのか」「それは誰なのか。一般人か」
 記者会見の席。マスコミから矢継ぎ早に質問が浴びせられた。
「彼が買ったものですが、婚約指輪じゃありません。Kissもしないし、手を繋いでデートもしていません。そういうことはきっとしてくれない人です。一般人か? 微妙ですね」
 記者会見の場は一瞬、静まり返ってしまった。
 佐々木友哉は、その記者会見の模様をテレビでは見ておらず、指輪のことも知らなかった。
 見出しは引退になってるけど、パニック障害の治療のために三年間だけ休養するって書いてある。売るための記事だなあdots
 そう頭の中で呟き、まったく興味がなさそうな顔でスポーツ新聞の次の項を捲った。

line体が軽い。
 一か月ほど前まで、車椅子だった。リハビリを続ければ少しずつ歩けるようになると医師から言われていたが、杖は一生手放せないかも知れないとも言われた。スポーツもセックスももしかすると車の運転もdots。何もかもできなくなり絶望していた。それが、今は体のどこも痛くないばかりか、奇妙に軽い。空を飛びそうな感覚だった。
 しかし、友哉は安直に喜んではいなかった。
 神妙な顔で、息を殺して座っていた。急に不安になり、新聞の野球の記事は頭の中に入らず、新聞を椅子の上に捨てるように置いた。

『あなたを超人のような体にした以上、その体を持てあまされても困るから、私が頼む仕事をしてください』

 トキと名乗る自称未来人がそう言った。介護士が帰った部屋で寝ていたら、突然、彼は現われた。驚いたが、体が動かせない友哉は、「強盗か。殺すなら殺せ」と言った。ところがトキと名乗った彼は、ペンの形をした容器をスーツにあるポケットのような穴から取り出した。それはまるでダイヤモンドで作られたかのような硬質な透明の容器で、その先端を友哉の足に突き刺すように置いた。ダイヤモンドと見間違うその容器が緑色に輝き、そして、

「これであなたの足は治りました」
と笑った。その笑顔はとても慈愛に満ちていて、優しかった。謙虚とも言える微笑みだった。ただ、爽やかさもなく、どこか瞳は悲しげで暗鬱な表情で、友哉から目を逸らすと、途端に目力がなくなる。何かに苦悩しているのかと、友哉は印象を持った。そう、「隙がない」と思ったゆう子とは違う印象だった。
「友哉様、落ち着いてください。私から頼みがあります。しばし、落ち着いてください」
 トキはそう敬語で念を押すように言った。友哉は足が動かせるようになったことに驚いたが、トキが頭を下げる勢いで「落ち着いてください」と繰り返すので、そのままベッドで寝ていた。

「上半身は起こすけど、いいか」
「いいですよ」
 友哉が上半身をベッドの上で起こし、枕を背中に入れて、動くようになった足を触ったり、持ちあげたりしていると、
「何か訊くことはないのですか」
とトキが怪訝な表情を見せた。
「夢ではない確認はした。君が強盗じゃないことも分かった。玄関のドアは介護士が閉め忘れたのだろう。管理人が下にいるようなもっと良いマンションにすればよかったが、職を半ば失っているのでね」

 友哉が淡泊に言うと、
「思ったよりも重傷ですか。他人や世の中に興味を持つお仕事なのに、私のこの銀色のスーツ、私の素性に無関心ですか」
と言った。
「NASAから来た無名の科学者が、俺をモルモットにしたとか」
「無理に言わなくてけっこうです。大麻、抗鬱剤、興奮剤らと同じ効果がある光を差し上げましょうか」
 不機嫌に言いながら、人差し指にはめているリングを見せた。プラチナに見えるが、もっと硬質で輝いていた。

「光を? それも極秘に開発した技術? 世界の大成功者はすでに使っているとか」
「女がいなくなって蝉の抜け殻のようになった事は仕方ないとして、お仕事である人間観察や考える力を捨ててもらっては困ります」
「今、なんて言った?」
 友哉が目つきを変えると、
「私は何も言ってませんよ。友哉様が腑抜けになったとは言いましたが」
とトキがおどけてみせたが、彼も目を怒らせていた。

「分かった。俺を怒らせる作戦だな。前、付き合っていた女の得意技だった。だけど、君は女じゃない。作戦の意図を訊こう」
「女がいなくなって腰抜けになった友哉様をどうするか。まずはそれが先決だと今、考えています」
「蝉の抜け殻、腑抜け、腰抜けdots。もう一度、悪態を吐いたら殴る。きっと、君の魔法か何かで俺がやられるんだろうけどな」
「ボクシングをやっていたようなので、私が負けます。では雑談をしましょう。私の世界では事情があって格闘ができません。それにも興味がないと思いますが、私から聞きます。ボクシングはなんのためにやっていましたか」

「いいことを聞いてくれた」
 友哉が声を少し上げたのを見て、トキが思慮深い目付きで彼を見た。
「太らないために筋肉を付けようとしていたんだ。それがふと、なんのためにボクシングの練習をしているのか分からなくなって、モヤモヤするんだ。しかもdots
 友哉が言葉を一度、言葉を止め、唾液を飲み込んだ。
「ボクシングを始めたら、目付きが悪くなったのかなあ。よくケンカに巻き込まれるんだ。だから、やめようかどうか迷っていた」
「ダイエットと筋肉のためにボクシングを始めたのに、ケンカのために練習しているようで気持ち悪い状態ですね」

「そうそう。恋人や娘を守るために始めたような気がしてきたが、そんなサバイバルな男はいないはず。記憶が混乱している。事故のせいかな」
「友哉様がボクシングを始めたのは、そのほっそりとした体形を維持するためで間違いはなくて、途中で目的に変化が出たのでしょう。よくあることです」
「ほう、よくあることか。きっかけがあれば、人は変わるからな。それで、なんで俺がボクシングをしていたのを知ってるんだ?」
 再び、目尻を釣り上げてトキを見た。

「友哉様は有名人なので、この時代の監視システムでも過去を調べることは可能だと思いますよ。ましてや私は未来人ですので、私は友哉様の女性の好みまで知っています」
「それをぴったりと当てることができたら、さっきからの暴言はなかったことにするよ」
「気が強く、だけどベッドの中では大人しくなるような女性。白い肌、お喋り、マゾヒスト。マゾヒストが愛しいのもベッドの中で。普段は逆にサディストのような女性が良くて、それは女性のサディズムに友哉様は恐怖を感じないからです。そのため、選ぶのは童顔な美女。さすがにゴリラのような女性が怒ったら怖いからでしょう。長く付き合える女性を探していて、女性の職業、学歴にはこだわらない。長く付き合うと言えば聞こえはいいけれど、セックスだけの関係でもよくて、妻でもよくて、恋人でも愛人でもよくて、それは友哉様がある弱点を補いたいからです」

「そこまで言い当てたら、君の条件を飲むよ」
「条件?」
「足を無償で治すはずはない」
「調子が出てきましたね。それほど頭は重傷ではなかったようです。きちんと付き合える女性が必要なのは、一人で旅行に行けないからです。家族旅行をしたことがなくて、お父上が亡くった後、一人で伊勢神宮に行って泣いてました。それ以来、一人で旅行に行けません。その後、別れた奥さんとの新婚旅行も感動しましたが、前の彼女とのディズニーシーという場所で、こんなに楽しいことがあるのか、と思わず口にして彼女と手を繋いでいました。この時代は、恋人がいないと遊べない場所が多いですね」

「もてない男女には残酷な国だよ。ディズニーシーで女と手を繋いで歩いているところまで、君が知ってるのが奇妙すぎるがね」
「条件、その他、提示していいですか」
「いいよ。100点満点なので。その前にdots
「なんでしょう?」
「人間観察が出来ない奴とバカにしたが、君が何かで悩んでいることを、いきなり俺に晒したのは気づいている。カウンセラーを紹介しようか」
「けっこうです。私の悩みは、あなたですから」
 友哉は言葉を失った。それを見たトキは、少し勝ち誇ったような顔をした後、話を前に進めた。

「今、友哉様に与えた薬のような栄養素で足は治りましたが、そのうちに副作用が出ます。友哉様の精神力ならその副作用に苦しんで自殺することはないと思いますが、怖いのなら、もうひとつ、今のクスリを無くしてしまう光も持ってきましたがどうしますか」
 トキと名乗る男は、「光」と言いながら、自分の左手のリングを友哉に見せた。プラチナカラーのリングは無機質だが、やはりダイヤモンドのように硬質に見え、艶があった。
「足がまた動かなくなる?」
 友哉は動くような足を愛しそうに擦りながら、彼を見上げた。

「はい。視力なども回復させましたが、それも元の近視に戻ります」
「そういえば、急によく見える。副作用があっていいよ。まさに夢のようだ。まさか、胃痛や関節痛もなくなるとか」
「無くなりますが、副作用があります。これからある女性と私が会ってきます。その女性の指示に従って、テロリストや凶悪犯と戦ってください。その女性が副作用に効く特効薬も持っているので」

 友哉は、スパイ映画にあるようなそのビジネスの話を大雑把に聞いた最初は難色を示したが、さらに現金の報酬もあることを聞き、トキを見ながら生返事で了解していた。現実味がなく、冗談かも知れないと思ったが、動かなかった足は急に元通り、動くようになり、部屋にあったモデルガンを彼に渡すと、トキに頼まれた買い物をしている間にそのモデルガンが部屋に置かれていて、重さが変わっていた。少し軽くなっていて、右手に吸い付くように収まり、とても手に馴染んだ。
「久しぶりに銀座を歩いた。感動したよ。金持ちからもらった指輪やブランド鞄を質に売ってるホステスを見てね」
「それは感動なのですか」

「アイロニーってやつだ。俺の元カノはそんなことは絶対にしなかった。それだけで付き合えた。女はたったひとつの美しさで愛せるんだ」
「それだけ女性は長所が少ない?」
「そうだ。先生が教えてあげようか。女のすべての短所を」
「けっこうです。わたしには好きな女性がまだいるので」
「それは運が悪いな」

 皮肉を連発する友哉をトキが少し睨んだが、友哉はそれを気にせずに、淡々とした顔つきで手に持っていた銃を部屋の壁に向け、引き金を引いた。銃口から赤い光線が発射され、その光線の火の弾は壁の手前で消失した。
「中身は未来の武器になっています。友哉様の指輪とリンクしていて、相手の悪意、敵意を見抜ける武器です。無意味に壊してはいけないものは撃てません。どうですか、やる気になりましたか」

 友哉が銀座で買った、トキから頼まれた品は指輪だった。
 女性用と男性用。男性用はすでに友哉が左手の人差し指につけているが、その二つの指輪を買って帰り、トキに渡すと、彼はリビングからベランダに出て、またしばらくすると戻ってきて、友哉に男性用の指輪だけを渡した。
「これをずっと外さないようにお願いします。先程、私が渡したモデルガンのワルサーPPKは今、どこにありますか」
「さあ。君が隠した?」

「念じてください。銃が必要だと」
 友哉がなんとなくそう考えると、自分の手の中にPPKが現われて、手のひらに吸い付くように収まった。まるで目に見えない風船が膨らんだようだった。
「我々の世界ではモノを減らすために、そうこの時代で言うゴミを減らすために、モノを圧縮して小さくする技術を開発してあります」
「念じると出てくるって…
「友哉様が超能力者になったのではなく、リングの中にある技術が転送させてきたのです。私のスーツの中から友哉様の手の中に」
「これでテロリストや悪党と戦う? あんな弱々しい光線で」
「友哉様、らしくないですね」
 トキが苦笑した。
「らしくない?」

RDの説明が必要だとは…よほどお疲れのようですね」
RDっていうのか。この銃の中身は」
「今の赤い光線を見れば分かりますよね。地球の地核エネルギーと同じ熱が発射されます」
「分からない。熱も微量にしか感じなかった。元気があっても分からない」
「超高温のエネルギーをレーザーで発射します。それくらいの技術ならこの時代にもあります。ただし、相手に悪意、殺意がなければ発射しません。あの壁に友哉様を殺そうとする意識はないということですが、地震で倒れてきて、友哉様を押し潰そうとしたら撃てます。それは友哉様の憎しみや恐怖が壁を「敵」と見なすからです。また殺すだけではなく、友哉様のストレスになる人間をこらしめるために、微量の熱を発射することもできます。軽い火傷を負わせる程度ですよ。しかし、友哉様がストレスになっていない人間や物は傷つけられません」

「このリングと俺の脳と、この拳銃が繋がっているのか」
「そうです。相手を撃つ際にかかる友哉様の筋力と心理状態を瞬時に計算し、威力の調整を自動で行います。慣れれば友哉様の意思でも調整できます」
「君が俺に殺意がなくて、君が善人だったら、毒物を持っていてもそれを撃てないとか」
「そうです。毒物で人を殺すとは限りません。調子が出てきましたね。時間がないからその調子でお願いしします」
「テロリストが持っている銃だったら、ピンポイントで撃てる?」
「御名答です」
「ちょっと待て」
 友哉が考える素振りを見せ、トキと名乗る男も口を閉ざした。

「日本に向かって発射されるミサイルを撃てる? 地核のエネルギーなら破壊できる」
「できます」
「そんなのを携帯していたら世界征服ができるぞ」
「できます。ただ、頑張らないと無理です。遠くにいる敵の位置を確認し、敵の近くに善良な市民がいかないか確認し、それを破壊することが正当なのか、友哉様が自分で納得しないと撃てません。それに万能ではありません。例えば友哉様の恋人が飲もうとするコーヒーに毒が入っていたとします。毒に悪意がなければRDは反応しません」

「たまたま毒が入っていただけで、間違えてコーヒーに入れた人に悪意がなかった」
「その通りです。ですが、もしかしたら毒が入っているかも知れない、と友哉様か彼女が不安に思っていたら、反応します。RDとリングがシンクロしていて、リングが調査するんです。もし、毒に敵が触っていたら、そのDNAが毒に付着しているから、もっと反応がよくなります。便利な武器でしょう? ただコントロールは難しいですよ。そのリングが相手の悪意、殺意を検知もしますが、無心で人を殺す人間もいますし、戦争の善悪はつきにくいものです」

「便利すぎるモノは怖いから、これは返す。俺が発狂したらどうするんだ」
 トキがずいぶん年下に見えて、しかも彼は敬語。友哉はケガを治療してもらった恩を忘れ、上から見るような喋り方をしていた。
「今の台詞が理性の塊です」
「そもそもこのアールなんとかを敵が持っていたらどうするんだ。正義とは、自分のことだ。凶悪犯が持っても、その凶悪犯の正義は殺人だぞ。イデオロギーの話だ。この銃と同じ武器が世界中に散らばったらどうなるんだ」
 トキは少し辛そうな顔をして、
「戦争になりますね。あっという間に」
と声を落として言った。
「怖い。やっぱり返す」

「友哉様に怖いことがあるのですか」
「さっきから人を知っているような言い方をするなって」
「私を見て驚いたのは最初の三十秒ほど。今、脈拍が75。生い立ちから調査して知っております。暗くなっても墓地を通る近道で友達の家に行っていた。ご自分が怖いのかも知れませんが、その銃を持てば自分に理性があると分かります。それに夢を無くした今は死んでもいいと思っておられる」
「夢?」
「一緒に夢を叶えようとした女性がいなくなりました」
「またそれか。名前を言うなよ」

「思い出したくもないですか。だからもう死んでもいいと思っておられる」
「俺は自殺はしない。おまえの言葉は語弊だらけだ。人には寿命がある。俺の寿命は45歳だと悟っただけで、死にたいとは思ってない。そして足が治った今はもう気にしてない。たった今、沖縄辺りで美女と遊ぶ夢ができたよ。しかも怖いこともある」
「それはなんですか」
「女を愛することだ。女を愛すと死にたくないと思う。つまり弱くなる。次に俺が交通事故に遭った時、女がいなければ笑って死ねる。さっきのおまえの例題は俺には役にたたなかった。恋人はもう作らないから一緒にコーヒーも飲まない。旅行も行かない」

 真顔で言うとトキは、
「女を愛すと弱くなるですか。やっぱり重傷です」
と言って、大きく息を吐き出した。
「やりたくないですか。テロリストや凶悪犯との、この時代で言うケンカとやらは」
「やらない。そのあーるなんとかを見て、やる気がなくなった」
「ブレーンに言われてきました。その場合、報酬を増やせと。秘書をあと三人でどうですか」
「いらない。どうせブス」

50億円の予定ですが、もっと…
50億?バカにすんな。その小銭でテロリストと戦う? 欧米の偽善団体に献金したら、三日で無くなる。それを君がどこから捻出するかには少し興味があるけどね」
「友哉様の愛する女がテロリストに襲われるとしてもやらないですか」
「日本でテロでも発生するのか」
「その可能性は0ではないでしょう?」
「愛する女はいない」
 トキが、友哉を凝視した。まるで、恋人や親友に裏切られたような顔で呆然としている。しかし、彼のその顔を見た友哉が、
「はいはい。嘘ですよ。やりますって」
と笑って言った。

「驚かさないでください。もう少しで泣くところでした」
「なんで、君が泣くんだ」
「私がきてよかった。別の者だと絶対に説得できなかった」
 なんと胸を撫で下ろしている。
「直々にきてくれたんだね。どんだけ偉い男なんだ、君は」
「世界をほぼ統治しています」

「それは何かの間違いだ。おまえのような正常な目をした優しい顔の男が、世界を支配できるはずがない。スターリンやヒトラーと比べたら、まるでモラリストの顔だ。妙な嘘を言うな。足が治ったことでその薬を使った科学者だとは信じる。大手製薬会社を出し抜いたどこかの研究者が、アメリカからやってきたわけだ。俺を騙せると思うなよ。結局、CIAから追われている君が、僕を助けてほしいっていうオチじゃないのか」
「良かった。まるで的外れですが、その調子でずっとお願いします。ただし…
 トキは真顔になって、

…私が帰った後に、私の使いの者が時折やってきます。この短時間で説明ができなかったことを別の者が説明にやってきますが、友哉様のその態度では、その者が怖がって話ができません。私からの使いの者たちにはもう少し温厚な態度でお願いします」
と言った。
「なんで未来人が昔の人間を怖がるんだ」
「友哉様も織田信長と対峙したら怖いと思いますよ」
「ああ、確かに…。織田信長は怖いな」
 妙に説得力があり、頷いてしまう。

「とにかく破滅願望をしばらく封印してください。友哉様を見捨てた女性は友哉様のそれが好きだったようですが、秘書になる女性は心配性なので」
「心配性? だったら、彼女と一緒にテロリストと戦ったらいかんだろ」
 思わず声を上げてしまった。
「今の友哉様はテロリストよりも強くなっていますので、秘書になる女性が心配するのは最初のうちだけでしょう」

「俺の寿司に煙草の煙を吹きかける男や、セックスで男を売る女まで助ける正義感はない。テロに巻き込まれる人間を一人一人チェックしてからやらせてもらう」
「そうですか。ただ、秘書になる彼女は友哉様とは逆に正義感が強く、しかも暇になるので、テロリストや凶悪犯との戦いに熱中するかもしれません。友哉様もお暇ですし」
「君が本当に未来人だとしたら分からないかも知れないが、この時代の秘書は、美人秘書と必ず言われないといけないんだ。それは押さえてくれよ」

「当然です。しかし、友哉様がディズニーシーという行楽地に一緒に行った女性。きっと、男からもらった物品を売らない女性ですね。彼女よりも美しい方は滅多にいませんが、それでもよろしいですか」
「秘書と元カノを比べるわけないだろう。それに、美女が多い時代だ。あいつよりも美人もたくさんいる」
「確かに、美しい女性が多いですね。我々の時代とは違います」
 トキは遠くを見ながらそんな言葉を作ったが、辺りが暗くなってきて、
「そろそろ、彼女と交渉してきていいでしょうか」
と言い、手にしたスマートフォンのような機械を見ながら、マンションのベランダに向かった。そして友哉の返事を待たずに、消えた。水が蒸発するように夜の闇に姿を消失したのだった。

 成田空港のフロアの一角に、メルセデスベンツが展示してあった。友哉が最新型の銀色のベンツを眺めていると、
「先生。佐々木先生」
 女に声をかけられる。テレビにも出ていないしネットにもあまり顔は出していないから、読者ではないと分かっていた。成田空港に女がやってくることはトキから聞いていた。秘書になる女性との交渉が成立した後に、友哉のスマートフォンの中にそんなメッセージが入ったのだった。
 なので、現われたのはトキが交渉した秘書になる女性で確定だった。その女が現れたら、テロとの戦いは現実味を帯びてくるが、
line本当に現われたのか。困ったな。
 友哉はほぞを噛んだ。断るタイミングを逸しているうちに、指輪を買いに行かされ、拳銃を持たされ、今度はテロと一緒に戦う女が現れた。

 髪の毛をポニーテイルにした若い女性は、丸い縁のサングラスとマスクをしていた。女の子でなければ職務質問をされそうだが、「さっき、警備の人に職務質問されました」と、彼女は言った。声は笑っていた。
 佐々木友哉が、彼女を「若い」と判断したのは、真っ白のミニドレスを着ていたからだ。上にはデニム生地のジャケットを羽織っている。トキからも、指輪を渡す相手の女性は27歳と聞いていた。45歳の彼から見ると若い女の子だった。
「専用ラウンジに行きましょう」
 彼女はそう言って歩き出すと、「ドイツ経由でワルシャワまでのチケットもあります。ファーストクラスですよ」
と言う。声柄は快活だった。

 友哉は、ポケットに入れてあったサングラスを手にした。右手に鞄を持っていたから、口を使ってアームを引っ張り顔にかけた。彼女を覗くように見たかった。
「鞄、持ちますよ」
 不器用にサングラスをかけたのを見たのか、彼女がそう言う。声が上擦ったが、サングラスが怖かったのだろうか。友哉はそう思い、声色を柔らかくして、
「持たなくていいよ。俺のパスポート情報はどうした。しかもファーストクラスって」
と訊いた。
「トキさんからもらった。ファーストクラスはカードの特典で一名分は半額。でも仕事辞めてきたから後でいろいろ返してくださいね。先生、 荷物はそれだけ?」

「着替えの下着と財布やパスポートだけ。必要な物は現地で買えばいいじゃないか」
「男の人は身軽でいいですね」
「あ、その鞄、持つよ」
 彼女の大きなトートバックを持とうとすると、「大丈夫です。重いものは入ってません」と断った。
 エレベーターの中ではどちらも喋らなかった。
 lineトキさんからもらった、か。どうやら本物の美人秘書のようだ。誰なんだ。
 友哉は、顔を隠している女が誰なのか、それが分からず緊張していた。
 まさか律子じゃないだろうな。
 車椅子になった自分を捨てた妻。セックスレスと浮気が原因で離婚するかしないで揉めていた事もあったが、あのタイミングで来るとは、今となっては見事としか言えない復讐劇だ。
 友哉はそう思い、少しだけ自虐的に笑った。

 この女が27歳というのは嘘で、トキという魔法使いが、律子の気持ちをコントロールし、また俺の元に返したんじゃないだろうか。それはとても嬉しい反面、ひどく怖い。
 トキから与えられた危険な仕事を放棄し、律子と娘で山奥に逃げてしまうかもしれないし、離婚になった時のようにまたケンカをしたら暴力に訴えてしまうかもしれない。
 しかし、よく見ると隣に立っている女は、律子よりも乳房が大きく見えた。身長もいくぶん低く感じる。
 友哉は胸を撫で下ろした。
 そして、自分が銀座で購入したブルガリの指輪をしていた。ある店では慣れてないせいか選ぶ指輪を間違え、「恋人の方が一緒にいないとこれは売れません」と言われた。エンゲージリングのことだろうか。カップルばかりの店内で慌ててしまい、何を選んだのかも分からなかった。

lineエンゲージリングとファッションリングの違いはなんだろう。
 友哉は曖昧な疑問を小説の執筆以外で考えるのがとても嫌いで、しかも女性の分野。一人での指輪の買い物が苦痛だった。しかし、トキによれば指輪は一番重要らしく、自腹で買った。
 購入した指輪は一時、トキが預かり、特別な力を備えて彼女に渡されたようだった。
 専用ラウンジに入り、椅子に座ると、彼女はすぐにコーヒーを二つ注文した。自由に飲み物を取ってこられるスペースもあったが、係りの女性がさっと寄ってきた。事前に頼んであったのか。
「名前は分からないが、指輪のサイズは9号。童顔、お喋り、身長156cm…」
「体重は言わないで」
 彼女は友哉の続く言葉を止めた。頭の回転が良さそうだと彼は分かった。

「なんで顔を隠しているの?」
「飲み物がきて、人がいなくなったらお見せします」
「顔に傷でもあるの?」
「そうきますか。次に何を言われるのか怖いですよ」
「アウトラロピテクスみたいな顔なのか?」
「やだな、作家さんは。すらすらと真顔でそんなジョークdots
「なるほど、有名人なのか。ここは守秘義務があると思うから、スタッフに見られても平気なんじゃないか。お客さんもほとんどいない」
「うん。あらかじめ言ってあった」
 女がマスクとサングラスを外すと、コーヒーを運んできた女性のスタッフが、「あ」と声を上げた。先程とは違う女性スタッフだ。
「奥原ゆう子さん」
 女性スタッフは嬉しそうに、彼女の名前を口にした。

「この方が、片想いの彼氏ですか。頑張ってください」
 無邪気に笑って、会釈をしてから立ち去った。
 line奥原ゆう子か。こいつは驚いた。
 友哉がサングラスの中の目を丸ませた。
 芸能記者は苛立っていたが、ファンの女性たちからは応援されているようだ。友哉はふとそう思うが、片想いの彼が会ったこともない俺のはずはない。しかし、俺が買った指輪はしている。まさかとは思うが、自分を未来人と言ったトキというあの男もこの女優、奥原ゆう子も怪しいと考え、サングラスの中から、しばらく彼女を凝視していた。

「驚きませんね」
 ゆう子は、不思議そうに友哉の顔を覗きこんだ。声も出さない友哉に、「奥原ゆう子ですよー」と手を振りながら笑ってみせた。
「かわいい子でよかった」
 無表情で言うと、ゆう子は舌打ちはせずに、「ちぇ」と言った。
 友哉は本当は驚いたが、今の彼はその感情が長く続かないだけだった。
「他になんて言えばいいんだ」
「もっと感激したり、びっくりしたり、笑ったりしてくださいよ。いちおう、大人気女優のプライドがあるから」
 真顔で言う。

「銀色のスーツの男にも言われたよ。感情がなくて頭が重傷ですねって」
「トキさんですか」
「これで精一杯だ。昔からだから、トキも君も勘違いをしている。大きく笑う笑顔が素敵な男が好きだと、好きな女の子に言われたことがある」
「それで?」
「それでふられたんだ。みなまで言わせるな」
「爽やかに笑ってばかりの人と目をまっすぐ見て喋り続ける人は詐欺師。男の人なら結婚詐欺かセックスが目的。だから、その彼女はバカ。でも先生も、昔はもう少し笑顔が多いキャラだったはずです」
 友哉の顔に露骨な険が出た。
「さらっと同性を軽蔑したのは面白いが、俺の昔とはいつ頃のこと?」

「車椅子になる前です」
「トキって男から聞いたよ。俺の過去を教えてもらっているそうだが、俺は女優さんを街で見かけたら騒ぐような男じゃない。街のロケ現場に人が群がるが、そこを素通りするタイプだ。作家だからわりと業界人だ。君ほどの超有名女優とは縁がないが、俺の小説は映画化したことがある。小さな映画館を転々とする程度の映画だがね。そこそこの女優さんとなら面識はあるし、飲んだこともある。そんなことよりも、今は君が秘書になってやる例の仕事の説明を早く聞きたいんだ」
「町で見かけたどころじゃないですよ。彼女になる人が、奥原ゆう子ですよ。それにアイドルが好きじゃないですか。松本涼子とかさ」
 人気アイドルの名前を出し、また口を尖らせた。アヒル口というやつだ。

「確か19歳。私よりもずっと若いもんねー。ロリコン」
 女の子が言う俗っぽい暴言は気にしない友哉は考える様子を見せて、
「いま彼女って言ったが、秘書じゃないのか」
と訊いた。友哉は奥原ゆう子をまさに凝視していた。だがサングラスのせいで彼女にはその目が見えない。
「彼女ですよ。あれ、なんか話が違ってますか。お仕事のサポートはしますが、基本的に彼女です。今、彼女いませんよね。知ってますよ」
 奥原ゆう子は笑みを絶やさずに一気に言った。
 美貌に自信がある女というよりも楽観的に友哉には見えた。わたしの乗っている飛行機は絶対に落ちない、という頭の悪い女にも見えるが、テレビのバラエティに出演している時はもう少し落ち着いていた印象がある。確か英語も堪能だった。

line上機嫌というやつか。なんでだ。ああ、女優を休めて嬉しいのか。確かパニック傷害とか書いてあった。気持ちが楽になったのかな。でも飛行機に乗るのは平気なのか。
 テロリストと戦うとして、それも平気なのかdots
「見た目は好みだが、君のそのルックスを嫌だと言う男が日本にはほとんどいないから、僕も好みだ。皆が大好きな奥原ゆう子だ」
「言葉に緩急をつけて僕と俺を使い分けますね。作家さんらしいな」
 友哉は首を少し傾げた。

lineほう、伊達に超一流女優はやってないんだな。目をまっすぐに見て喋る人間は詐欺師とか、俺の知り合いの男たちでも否定するのに、さらっと言った。
「君は頭がいいな。正解だ」
「何がですか。先生がロリコンなのが?」
「それも正解でかまわないが、詐欺師の話だよ。プロポーズする時の男は、恋人の目を真っすぐ見て、結婚してほしいと言うが、すぐに離婚する。つまり詐欺だ」
「ひい。大きな声で言わないでください」
 奥原ゆう子が周囲を見て、その目を泳がせた。

「断られるのが怖くて、少しオドオドしながらプロポーズする男の方が、本物だ」
「あ、良かった。ちゃんとフォローがあるんですね」
「俺が今、サングラスをしているのは、君を含め、女の子にまったく興味がないからという含みもある話だ」
「未成年かおばさんがいいんですか」
「い、いや、そうじゃなくてね。あんまり言いたくないが病み上がりだから」
lineなんて口が達者な女なんだ。まったくペースを握れない。
 友哉は彼女に気づかれないように、小さく深呼吸をした。

「わたしのファンじゃなかったみたいですが、そのうち好きになりますよ。そういう運命なんで。きっと律子さんも忘れられます」
 あっけらかんと言い放つ。また、友哉の顔が険しくなった。
「律子のことも知ってるのか」
「怒り出しましたね」
「怒ってない。まっとうな怒りだ」
「怒ってないまっとうな怒り? やだな、作家さんは。その違いは何ですか」
 ゆう子は一呼吸置いてから、
「知ってるに決まってますよ。そこが一番重要じゃないですか」
と言った。

「律子と俺の何を知ってるんだ?」
「ほぼ全部。でもそんなに難しい夫婦じゃなかったですよね。普通に結婚して、出産したらセックスレスになって、先生が浮気したのかな? そしてケガをしたら、介護が嫌で別れた。今の日本ならよくある話ですよ」
「信じられない」
 友哉は大きなため息を吐いた。
「教えすぎだ。あの銀色の奴」
 トキのことだった。銀色のバイクスーツのような服を着ていて、「友哉様の時代で言うタイムマシンを潜る時に着る耐久スーツ」と言っていた。

「銀色の服を着たイケメン」
 ゆう子が急にだらしない顔になったのを見た友哉が、毒気を抜かれて、彼女に見入っていたら、そのサングラス越しの視線を感じたのか、
「あなたもイケメンですね。でも、わたしはあなたの顔だけじゃなく、すべてを愛し、一緒に残りの人生を謳歌します。愛こそはすべて」
と、芝居がかった言葉を作った。
「君は女優だよね?」
「はい。下手くそでしたか」
「ふざけてるよね。記者会見からずっと」
「見たんですか。ふざけてません。真面目になればなるほど、真剣になればなるほど、そう言われるの。だけど今のは小芝居」

「記者会見は見てない。新聞にふざけてるって書いてあった。芸能人に興味がないんだ」
「そうですか。アイドルは好きなのに」
「アイドルや女優を好きだ嫌いだは、飲み会のネタだ」
「また飲みに行けるようになって良かったですね。足、動くね」
「え?」
 ゆう子の屈託のない笑顔に、友哉はまさに彼女に釘付けになっていた。
line足、動くね? 心配してくれたのか。俺を? そんな女dots
 出会ったことがないline

「飲み物を気管に詰まらせて苦しんでいる時に、背中を擦ってもらったことはほとんどない」

「まさかでしょ。ラブドールと付き合ってきたんですか。もし痛くなったりしたら、擦ってあげますね」
「え? いや、もう痛くはならないよ。ありがとう」
 彼女は、友哉が神妙に礼を言っていることに気づかずに、またお喋りを始めた。
「先生の四十五年間が勝手にわたしの頭の中に入ってしまったの。もちろん、重要な光景だけが断片的にだけど。お母さんのこと、友達のこと、仕事のこと、昔の恋人のこと、元の奥さんの律子さんのこと、遊んだ女のことも。でも一番よく分からないのは、娘さんたちのことかな。今はどこにいるのかなあって」

「娘たち? ああ、姉妹ね。妹なら律子と一緒にいるはずだ。いや、留学したのかな。離婚したら子供のことは分からなくなるんだ。俺の記憶映像は娘たちの顔ははっきり見えなかったのか」
「そっくりで超かわいい。周りの男性たちが絶賛してるし。スカウトされたり、ナンパされたり、パパ、大変でしたね。それくらいかな。先生の顔をはっきりと見たのもさっきが初めてです」
「君は本当に俺の過去をすべて見たのか。まさか、セックスとかも」
「なんか男の人が一人でやるのは削除されていたようですよ。もちろんトイレとかも」
 ゆう子はちょっと下を向いて、小さな声で言った。

「削除dots。あの野郎。律子のことも削除しろよ」
 友哉はイライラして左手の爪を噛んだ。そして鼻もよく触っていた。
「先生、質問が二つあります」
 ゆう子が手を挙げた。友哉が首を傾げていると、
「鼻をさかんに触るのはなぜ? そしてそのお洒落なレザーの鞄をどうして選んだのか。以上」
と言った。友哉が座っている椅子の横の椅子に置いてある赤紫と白の二色になっているブランドの鞄を彼女はじっと見ていた。友哉がサングラスを外すと、彼女はすぐに視線を移動させた。もちろん、鞄から友哉に。

「そんな質問か。鼻血がよく出るから、鼻水か鼻血か確認するために触っているうちに癖になった。この鞄は限定モノだったからだ。限定モノが大好きだ。子供みたいだろ」
「限定モノでもそんな派手な鞄は選びませんよ」
「派手?これは派手じゃない。この赤紫が真っ赤やピンクだったら派手だ。いや違う。原色はすべてが派手。原色に他の色が混ざると派手じゃなくなる。赤紫は原色じゃない」
 横に置いてあるその鞄を指差し、力説すると、
「先生、それ赤紫じゃなくてきっとレンガ色です。テラコッタ」
と、彼女は笑った。
「テラコッタ? 食べ物じゃdots
「先生、それはパンナコッタです。その顔でもやっぱりおじさんなんですか」

「なんでもいいよ。君と付き合うわけじゃないから」
 友哉がそう言い切ると、ゆう子は少し不機嫌そうに、
「おじさんでもセンスがあって素敵。わたしの王子様、御主人様、または夫になるひとだって分かりました」
と投げやりに言った。友哉も「おじさん」と言われて、
「そうか。鼻の穴に指を入れて惚れられたのは初めてだ。久しぶりにもてた」
と言った。棒読みだった。
「すごい。作家さんって美女の前でかっこつけないんですね」
 真顔で驚いている。友哉は彼女の一喜一憂に付き合わずに、

「俺の過去を教えてもらって、俺に衝撃の片想いなんだな。それはいったん置いておこう」
と言い、両手をテーブルの前に出し、落ち着くように促すと、「先生が落ち着いてください」と彼女に言われてしまった。
「金のことや俺たちの仕事の目的も知っているのか」
 一度、コーヒーを口に運んで、言われた通り、落ち着いた口調に戻した。
 友哉には、トキから受け取る予定の仕事の報酬、数百億円があった。
「知ってます」
「それが目的で、俺の女になるんじゃないのか。人気女優とはいえ、億万長者じゃないだろうし、歳をとれば仕事も辛くなる。俺の女になれば、余るほどの大金を手にするようなものだ。王様のお妃みたいにもなれるかも知れない。それが目的じゃないのか」

「目的、目的って、腹黒い女みたいに言わないでください」
「そんなもんだろ。女は」
「ひどいな。でも付き合ってないのに、まるで痴話喧嘩になってますね。嬉しい」
「俺も衝撃を受けている。片想い同士にしておこう」
「なんですか。その投げやりな告白。本当にむかつく。本も一冊読みましたが、女性不信の男の人が主人公でした。女嫌いですね」
 少し怒った表情を見せたら、目元が凛と張り、彼女の美しさに知性が伴った。
line美人秘書の域を超えているぞ。あのトキって奴、分かってて教えなかったのか。教えてくれていたら、テロとの戦いどうこうなんか簡単に説得できたのに、あの男、バカだな。あれで未来の世界のトップか。

 トキからはこう聞いていた。
「その女性は美人で、頭の回転がよく、世話好きで少しばかりお喋りです。世話好きと言っても、その時代で女たちがやっている家事はできないようですが、男性の洋服はしっかりと整理するようです。そう、介護士や看護婦に向いている性格なのに違う仕事をしています。明るく冗談が好きで、泣き上戸。今の、冷たくなってしまったあなたにはぴったりの女性で間違いはなく、そう、あなたのために選ばれた女です。なんの心配もいりません。彼女を頼ってください」
 友哉はトキの話を思い出していたが、不意に、彼女が自分の本を一冊しか読んでないことを思い出し、
「一冊?一冊しか読んでないのか。秘書dotsアシスタントみたいになるんだよね?」
 少し取り乱してしまった。すっかり、目の前の女のペースだと自覚してやまない。

「うーん、秘書じゃなくて彼女なんですよ。だから、あんまり本は読みたくないな。昔の女のこととか絶対書いてる。作家の先生って皆さん、そうだから」
「一冊はなに?」
「タイトルは忘れたけど、霊場に行く話。恐山みたいなところに。若い奥さんが自殺して、遺書に夫を憎んでいたことが書いてあった。そのショックで他の女にもあたりちらす。その死んだ奥さんと霊場で会うんだ。若い頃の律子さんのことかと思って、すぐに読むのやめた」
「じゃあ、一冊も読んでないじゃないか」
「うん。たぶん、ずっと読まない」
 敬語がなくなり、そして口をまた尖らせた。また思わず、こいつはかわいい、と唸ってしまう。しかし、自称未来人、トキのこともあり、何かとんでもない罠があるような気がしてならない。このままでは何から何まで良いこと尽くめだ。

「しかも純文学っぽいのにSF的な哲学が出てくる。そこは興味があった」
「どこ?」
「過去と今の君は違うって若い妻に言うの。それも感情的な恋愛論ではなくて、物理学的な話」
「ああ、時間が存在するかしないかってやつか。霊場に行く物語だからね。あの世には時間はなさそうだし」
「文学の先生なのに物理学って。真逆」
 ゆう子がおかしそうに笑った。
「十年前の奥原ゆう子と今、目の前にいる奥原ゆう子は同じ奥原ゆう子? 違いますって言ってみて」
「はあdots違います」

「いや、同じだよ。そんなに変わってないな。顔も考え方もスタイルもdotsと俺が言えば、時間が繋がっていて、奥原ゆう子はずっと同じ時間の中にいる。だが、君が昔のわたしと今のわたしは違う。わたしは生まれ変わったんだ、過去のわたしは別の人間だと主張して、それに俺が同意すると、過去の奥原ゆう子と今の奥原ゆう子は切断されて別の人間になる。すると、奥原ゆう子の時間が途中から存在しなくなる。または新しく時間が始まる。俺と君との間に時間が存在しなくなるか、または俺と君との新しい時間が今から始まるんだ。SFじゃないよ。過去に遡る、つまり過去を気にする生物はそんなにいない。本当は、過去という時間は消えてなくなっていると考えて、勝手に人間である僕らがまた創造しているんだ。君に傷ついた過去があるとして、その傷も含めてね」

「最後にちょっとうっとりしました」
「昔に何かあったのか」
「はい。いろいろdots
「そうか。過去は気にするな。時間は本当は宇宙の始まりから存在するが、人間が神なら脳で勝手に作っていると解釈もできる。無数に存在する君の過去の君と今の君は別人だ。それを目の前にいる俺の脳が決められるんだ。分かるか。時間は人間が創ったとも言えて、このコーヒーには無縁だ」

 友哉がコーヒーカップを人差し指で指した。それから、フロワの一角にある観葉植物を見て、「あの植物と人間の時間はきっと長さが違う」と言う。
「しかも時間は一人では存在しない。認識できないんだ。例えば地下室に幽閉されたとしよう。しかも真っ暗闇だ。窓から光も射し込んでこなくて、壁があるのかないのかも分からないただの暗闇だ。昔はヨーロッパで死刑に出来ない犯罪者を死ぬまで地下室に閉じ込めていた。息ができる棺桶みたいなものだ。そこに閉じ込められた人間は時間を認識できない。相手がいないからだよ。人間の相手だけでなくて、壁すらも見えない。風も吹かない。もちろん太陽が沈むのも見えない。つまり、その人間には時間が存在しなくなるということだ。時間は対する人や物がないと存在しない。言い替えれば、時間は相手が作ってくれるってことだ」

「その哲学を女の子に語るのは、君の過去を気にしないって励ますためですよね」
「え? 語ってないよ」
「え?」
「本には書いたけど、女に語ったことはないよ。今のも霊場の物語の説明だ。勘違いじゃないか」
 なんのことだろうか。前に付き合っていた女はとても若く、過去に捉われていたわけではない。本当に語った記憶がなかった。そうか、無意識に昔、恋人を励ますために語っていたか。それを奥原ゆう子がトキからもらった記憶で見たのかなdots
「いやdots。すまん頭が重くなった」

 友哉がこめかみを押さえると、ゆう子が「大丈夫ですか」と柔らかな声を出した。
「女は性欲処理だけでいいんだ」
 絞り出すように言う。目の前の美女を慰めようとしたら、妙な頭重がした。
「性欲処理?」
「女はどうでもいい。セックスだけでいい」
 はっきりと言うと鉛のようだった頭が軽くなってきた。
lineおかしい。彼女を励ましたかったのに。
 友哉は小さくかぶりを振りながら、やはり励ますのを断念して、左手にはめられているファッションリングを膝の横にあてた。リングは緑色に光り、友哉は頭痛から解放された。
「先生?」

「え? ああ、なんだっけ?」
「なんだっけってdots。うっとりする時間の話と女は性欲処理とは、まるで違うんですが、どっちの話をするんですか」
「性欲処理だ」
「あのdots。そんな言葉、はっきり言うと百人の女の子のうち九十九人に嫌われますよ」
「いいんだ。それどころじゃないんだ。いいか、今、彼女はいないが、ホテルにプロの愛人を呼んで適当にセックスもできるから女にも困っていない。デリヘルじゃないぞ。プロの愛人だ。だから君の場合は仕事だけでいいんだ。有名女優だろうがアイドルだろうが、それだけで飛びつく性格じゃないんだ。もういいから仕事の話をしてくれ」

「有名AV女優やモデルさんとかいる高級交際倶楽部ですね。知ってますよ。見ました」
「み、見た?」
 友哉が瞬きを止めるほど目を丸める。
AVによくあるセックスをAV女優としてたのが少し見えた。変態」
 さして嫌悪感は出しておらず、ただ、呆れ顔にはなっていた。
27歳?」
「はい」
「年上に見えてきたけどdots
「なんて失礼な。先生みたいな男性、初めて見ました。そういう愛人はお金がかかるから、わたしが性欲処理もしますよ。お金持ちの秘書ってそういうイメージがあるしね」

「性欲処理をする? 君は何を言ってるんだ」
 友哉がまた仰天をするが、それを無視して、
「彼女になれたらに決まってますよ。でも家事もします。三年以内に料理も上手くなります。まあ、見ていてください。三年間も片想いは嫌だから。dots何が衝撃の片想いだ。流行語でも作る気か。くだらない」
と言った。時に熱く語りながら、また嘆きながら彼女はA5サイズのタブレットを取り出した。どこからともなく、彼女の手元にそのタブレットは出てきた。テーブルに置くと、搭乗案内の放送が流れた。ゆう子はいったん、そのタブレットを鞄にしまった。
 搭乗口から機内に向う途中、
「君も、指輪の不思議な力を持っているのか」
 友哉は彼女に聞いてみた。

「とてもシンプルでキレイな指輪、ありがとうございます。センス抜群ですね。わたしの指輪の力は、友哉さんとの通信だけですよ。このAZは、勝手に出てくるんです。友哉dots先生の拳銃と同じ。機内で拳銃を出さないでくださいよ」
 ゆう子は相変わらず無邪気な笑顔を見せびらかしている。友哉にしてみれば、そのかわいらしさは決して毒ではないが、さっき出会ってから、ほぼ笑いっ放しである。明るい性格はいいが、新聞記事の通り、真剣みにかけている。
「その薄いチタン合金みたいなタブレットが勝手に出てくる理由が、その細工がしてある指輪の力によるものだと思うがdots。まあいいや。アレキサンダーマックイーンのミニドレスを着てくる人なら、もっと高いブルガリがよかったかな」

 とはいえ、五十万円もした。トキから、「秘書になる女性はその指輪をずっと外さないと思います」と言われていて、その意味も分からなかったのだが、美人で結婚適齢期の女性。自分とは結婚はもちろんしないが、もっとも女としては価値の高い歳でもあり、秘書の仕事も危険なもの。十万円ほどの指輪では「安い」と判断した。
「エンゲージリングとファッションリングとそれこそ結婚指輪の区別がつかなくて、それにしたんだよ。ファッション性が高いと思って」
「区別ですか。結婚指輪はずっとはめているから、機能性重視のもので、婚約指輪はこんなやつ?」
と、奥原ゆう子は、友哉からもらった自分の指輪を見せた。

「婚約するわけじゃないよ」
「分かってます。これかわいいですね。わたしブルガリの指輪や腕時計は好きです。先生の好みの服も持ってきたし、汚れていいようなジーンズも用意してあります。先生こそ、その赤いアウター、素敵だけど戦う時に目立ちますよ」
「ありがとう。これも赤ではない。ワイン色」
「そこにこだわりますね」
「そのタブレットや俺の拳銃はどこから現われて、どこに消えるか知っているか。トキは圧縮されるって言ってたけど、今、俺のあの銃はどこにあるんだ。持ってないよ」
「圧縮されて鞄の中や先生の体のどこかに隠れてるんです。裸の時は耳の中とか髪の毛の隙間。別の次元に行ったりしてません。人の目では見えないだけです」

 ファーストクラスのゆったりした席に座ると、ゆう子はタブレットをテーブルに置き、CAからのサービスを受けながら、話を始めた。
AZの画面に触れるとスイッチが入ります」
 AZとはモバイルの名前のようだ。
「もし次があってもファーストクラスにしなくていい」
「なんでですか」
「俺の趣味じゃない。君のそのドレスのような服も」
 ゆう子は少し思慮深い面持ちで、
「小説に出てくる男性が高級志向でした。先生の服もそれなりのブランドです」
と言った。

「最上級は嫌いだ。そして底辺も嫌いだ。最上級は上から人を見下ろすことになる。例え、それが車でもそうだ。俺の車はポルシェだが、フェラーリに乗る気はない。エコノミークラスだと、ファーストクラスやビジネスクラスに嫉妬する。ファーストクラスはエコノミークラスを見下す。次はビジネスクラスか、スーパーエコノミーにしてくれ」
「はい。次もあるのでそうします。洋服は、先生の前ではもう少し安いのにします」
「ありがとう。うるさいって思わないんだな」
「うるさいですよ」
「そうか。すまない」
「でも良いお話です」
 ゆう子がそう言って笑ったのを見て、友哉は今度は感心して、だが首も傾げた。

lineこんなに頭が良くてかわいい女の子に彼氏がいないのか。しかも女優なのに。
 ふと思う。奥原ゆう子は何もかも当たり前のような顔つきで、タブレットをいじっていた。
「そのタブレット、慣れた手つきだ。トキにもらってから練習したのか」
 トキから友哉とゆう子がもらったものは、未来の世界の技術が埋め込まれた指輪、拳銃、そしてゆう子が使うタブレットだった。指輪と拳銃はこの時代のものに未来の技術を埋め込んであり、ゆう子が持っているAZと呼ばれるノートサイズのそれは、トキが未来の世界から持ってきたようだった。
 トキが似ている機械を持ちながら、自分と話をしていたのを友哉は思い出した。

「はい。でも練習が必要なほど難しくないですよ。電子辞書みたいなもの」
 友哉が手を伸ばすと、ゆう子がきりっとした表情で、「わたしにしか反応しません」と言った。
 液晶のような画面には、◆位置情報 ◆日時情報 ◆ダークレベル ◆転送 ◆原因 五つの主要ボタンがあった。タッチ式で凹凸はない。上部に空白があり、そこにテキストが浮かんでいる。
【ワルシャワ テロ事件 死者十人以上】
 などと書かれていた。
「日時を入れると勝手に出てくる。日本ではdots明日、よくある殺人事件は一件見えますね」
 友哉の視線を感じてそう答える。