第四話 本当の恋人「利恵」

 日本最大手のすばる銀行本店の駐車場に、佐々木友哉がポルシェボクスターを停めた。
line高い買い物をしたもんだ。
 友哉は、ポルシェを買った直後に、暴走する車に跳ねられた。車の運転手は運転中に心不全で死んでいて、友哉は、公園から道に飛び出した娘の晴香を助けたのだった。それ以来、一年以上、新作は書いていないから、生活が心配になっていた。

 あの小説はどうなったんだろうかdots
 編集者に渡した小説を掲載した雑誌は見たが、単行本化の話は入ってこなかった。ゆう子が飛行機の中で口にした、死んだ妻を霊場に探しに行く男の物語だ。ゆう子はタイトルを忘れたと言っていたので、雑誌で読んだのだろう。「一冊読んだ」と口にしていたが、一冊と一本の違いなど気にせずに口にする女なのだ。
 しかし、友哉にはありえない幸運が舞い込んできていた。

『テロと戦う報酬は三百億円で私の名前の架空口座にあります』
 五十億円はあっという間になくなると、友哉の正論を聞いたトキは報酬を、「三年間で三百億」と訂正をして、すぐに銀行に金を入れたと言った。ゆう子と交渉をしてくると言って消えた後に、銀行の画像が送られてきた。それがここの銀行だった。金の出どころは、イギリスの資産家の男で財界の大物だが、先日老衰のため九十三歳で死んだ。トキがその資産家の元にも行き、事情を説明して資産を分けてもらったらしい。

 それこそ正義感の強い資産家の男だったらしい。友哉はその資産家のインタビューを雑誌で読んだことがあったが、「金は天国には持っていけない。もっと人のために働いたり、恵まれない子供たちにじかに使ったり、そして私自身ももっと遊べばよかった」と語っていて、とても印象に残っていた。
 彼はトキにも、「金はあの世には持っていけないから、テロと戦うその若者に譲る」と笑って了解したそうだ。血縁者も少なく、寄付をする予定だった金の一部だ。

「死ぬ間際の九十三歳か。トキのあの爽やかな語り口に騙されたのかも知れないなあ」
 友哉は苦笑していたが、一兆円近くある資産の一部をもらうことに罪悪感はそれほどなかった。
 女は結局、仕事のために必要なものだと判明したし、あんなに凶悪な国際的テロリストを殺したら、すでに三百億円の価値がある、と自信過剰なほどに納得していた友哉は、成功報酬のそのお金をもらわないとだめだと改めて決意し、「どうせ、ないだろうな」と思いながらも銀行の駐車場から銀行の店内に向かった。

 給料を降ろしにきた客とすれ違うよくある日常に、巨額の金がここにある非日常がまるで見えない。
 友哉はひどく不安で、そして苛立っていた。
lineこのままでは奥原ゆう子のヒモになる。
 友哉は、ゆう子のマンションから出て、いったん横浜のマンションに帰っていたが、昨夜は新宿にあるゆう子のマンションにいた。

 ゆう子のマンションにはマスコミが張っていたが、近くのコインパーキングからAZを使って、部屋に入っていて、まだ、人気女優の片想いの彼が作家の佐々木友哉とは知られていない。
 ゆう子の雑なセックスは、彼女がどこか純真に見えるせいか今は新鮮だった。しかし恋の駆け引きを繰り返し、ときおり、支離滅裂な言動を見せるゆう子に、友哉は少しばかり疲れていた。

 だが、「奥原」ではなく、「ゆう子」と呼ぶようにしたら、涙を滲ませるほど喜び、喜怒哀楽がはっきりした性格に戸惑いながらも、美しい彼女に「愛される」予感がして、心を震わせていた。
lineゆう子はどこか魅力的な女らしさがある。
 君は俗ではない、と彼女に言ったが、まさにどこにも凡庸な様子がなく、奇妙な言葉遣いもジョークも良い個性に思えた。友哉は急にときめく感覚を持った。いい歳をして、初恋の人

に再会したかのような胸の痛みもあった。だが、彼女には隠しごとが多いようだし、ワガママも過ぎるから、恋愛の駆け引きは嫌いだが、こちらが一回ペースを握りたいと考えていた。
 嫉妬深い性格を露わにした言動が多かったが、本当に嫉妬をするのだろうか。
 そんなことをぼうっと考えながら、銀行員の女性たちを見ていた。
 今日、ゆう子は親の住む家に行っているが、そこからAZを使い、トラブルが起こった際に友哉のフォローをすることになっていた。

 一人暮らしの父親がいると言っていて、場所は東京の郊外だった。一戸建てなのか賃貸なのかそれすらも話してはくれない。母親は亡くなっていて、ゆう子は一人っ子。出身地は福岡だが、母親は沖縄の人で、父親が福岡と言っていた。それくらいしか知らなかった。
「この鞄にちょうど一億円入るはずなんだけど、これが通帳と印鑑です」
 案内係りの古参の女性に告げると、別段驚いた様子もみせずに、「ここに記入してください」と記入台に行くように促した。

 トキは通帳も印鑑も用意をしていたが、どうやって作ったのか分からない。彼が一人で何もかもやっているはずもなく、仲間がいるのかも知れないと友哉は考えていた。
 例えば、自分は日本からポーランドまでの転送に体力が必要で、失敗すると仮死状態にもなるのに、トキが一日でそれをやったのが不思議だった。日本からイギリス。また日本に戻り、自分とゆう子の住むマンションに行った。未来人なら何もかもできるとは限らない。

 ゆう子の持っているAZでガーナラに関する記述を読むかぎり、それがないとごく普通の体力しかない人間だと思われた。
 友哉は、『ササキトキ 佐々木時』と記入し、トキが作った架空の住所と電話番号も記入し、それを受け付けに出した。友哉があらかじめ、その電話番号に電話をかけると、番号は使われていて、だが誰も出なかった。ただ、住所の場所は賃貸マンションだった。大家に訊ねたところ、佐々木時は住んでいることになっていて、だが友哉が見た日には誰かがいる気配はなかった。

 数分後に名前を呼ばれた友哉は、若くて質素な雰囲気の女性がいる窓口に向かった。『宮脇』と書かれた名札を胸に付けていた。
「何に使うか、ここに書いてください」
 綺麗なハスキーボイスだった。鳴き過ぎた子猫のような声。彼女は別の用紙を友哉に渡し、その場で記入するように言った。
 税金。と嘘を書く。

 その時、奥に座っていた中年の男性社員が慌ただしく駆け寄ってきて、「ササキ様。お金の用意ができるまで、応接室にきていただけませんか」と、テラーの宮脇の後ろから言った。
 友哉は少しだけ驚いたが想定内で、むしろ、テラーの宮脇がびっくりしている。まさに、見たことがない玩具に驚いた子猫のような目をした。
「いいですよ。この女性に案内してもらいたいな」
 深い意味はなかった。なんでもふっかけてやる、と事前に決めていた。

lineゆう子
 左手のリングを見て話しかける。
「はい。見てます。すばる銀行の友哉さん」
 すぐに返答がきた。通信の反応が早いが、病弱なお父さんの世話はしていないのだろうか、と友哉はふと思う。だが、気を取り直して、
「妙な奴はいないか」
と、真剣な口調で訊いた。
「レベルが高い人は銀行内にはいません。健全な銀行ですね」

「そうか。日本にはあんまり凶悪な人間はいないんだな」
「劣悪な女はいっぱいいます」
 また意味深なセリフを吐く。
 友哉は、ゆう子の哲学は聞かないふりをして、応接室までテラーの宮脇と一緒に歩いた。エレベーターの中で、この女はセックスに良さそうだ、と友哉は考えていたが、指輪を使って彼女を洗脳する気はなく、それをやるときは悪徳のレベルが高い女と決めていた。そう、ま

さに劣悪な女。金のためなら平気で男を騙し、ダメ押しをするかのように貶める。例えば芸能人と付き合って、そのセックスを週刊誌に売るような女なら、友哉は裏の世界に売ってもいいと思っていた。実際には売り方が分からないが、嫌いな女はとことん嫌いで、好きな女は世界の果てまで助けに行くほど好きなんだと、友哉は自己分析をしていた。マンションでゆう子にその話をすると、「さすがレベルが高い男は怖いなあ」と笑い、「そういう女と会う機会ももうないですよ。わたしがいるから」と目の奥を光らせて微笑した。

 自分をアピールする時には必ず艶めかしい顔つきになり、すぐに友哉の下半身に手を伸ばした。まるで、わたし以外の女はだめよ、と言っているかのようにペニスを触る手に力を入れてくる。阿部定事件のことがあり、日本人男性が怖がる女だが、ゆう子の場合、少し睨み付けると、あっという間に蛇に睨まれた蛙のようになってしまうから、怖さはなかった。
 友哉はテラーの宮脇が自分をじっと見てるのが気になり、
「隣に女がいる。レベルは?」
と、ゆう子に訊く。

「レベル2です。悪そうですね。かわいいですか。まだ防犯カメラに侵入できてないから、画像をください」
「普通だよ。レベル2? そうは見えないな。誰かさんと違って大人しい感じだ」
「あなたにはお喋りな女がいいってトキさんの判断なんだから、我慢してくれますか。で、なんで一緒に歩いてんのよ」
 やはり嫉妬深いのか。友哉は首を傾げながら、カメラ機能も備わったリングが撮影した静止画を送ると、「ほんとにかわいい! しかも細っ」と、ゆう子は叫んだ。

 応接室に入ると、中年太りをしている社長が迎えてくれた。貫禄はあるが佞姦な表情を見せていて、その額に汗をかいていた。冷房が効いている応接室は暑くはない。
 友哉は革が張られた高級ソファに落ち着きを見せながら座ったが、それは芝居で徐々に緊張してきた。
line嫌な予感がする。俺の人生ではこういう展開はまずいことが起こる
と、少々、自虐的に人生を振り返る。
 他人やそして友人にまで利用されてきた人生。もし、友人に悪意がなくてもその相手は『無責任』だった。

lineトキって奴はどこか無責任だからな。
 彼が言っていた、使いの者がやってくる気配もない。
lineここで金のトラブルがあったら、俺が自分で頑張るのか。金を捻出したトキかトキの仲間のサポートはないのか。一億円だけでいいから早く受け取って、逃げたいんだがdots
 頑張って、大物感を出そうとしていたが、友哉は焦りを実感していた。ワルシャワのレストランの時と同じ感覚だ。
「ササキトキさんですか。本当にササキトキさんですか」

 社長の富澤は、しつこかった。名刺はあるのか、どこの大学の出身なのか、矢継ぎ早に質問された。
「ササキトキならなんだっていうんですか」
「ジェイソン氏とはどのようなdots。あ、君は帰っていい」
と、宮脇を応接室から出そうとしたが、「この子にはいてもらいたい」と、友哉は駄々をこねてみた。
line女の子がいるとかっこつけられるからな。
 ちらりと宮脇を見ると、横に座っている彼女と目があった。

 まるで一目惚れをしたかのように、友哉を見ていた。瞳が輝いていて、嬉しいのか楽しいのか笑顔を隠すのに必死だ。口を両手で覆ったままだ。
lineなんなんだろう、この子。美人じゃなければ気持ち悪いぞ。
 ふざけた感想を頭の中で作ると、少し緊張感が解けた。
 富澤は、すんなりと若い女子社員が応接室にいることを了承し、さらに秘書の女性が、香りの強いホットコーヒーを運んできたら、その女性も応接室にとどまるように気を遣う。
 ゆう子の声が頭の中に聞こえた。

「応接室の防犯カメラに侵入できました。女がまた増えた」
「社長の秘書だ。俺が女好きだと思ったようで、頼めば銀座に接待してくれそうだ。すまんが頼みがある。以前にこの銀行の系列のすばる証券で株を買っていた。後場の少し前に激しく一定の銘柄が動いて、その銘柄を買うと必ずその日に損をした。空白がないか調べてほしい。できるか」
「空白?」
「一般の人がお金を入れられない時間だ」

「介護を頑張ってって送りだしておいて。わかりました。できたらね」
 ゆう子はやる気のない声柄で言った。
「ジェイソン氏の秘書からお話は聞きました」
「じゃあ、本当に三百億円あるんだね」
 ジェイソンとは、死んだ資産家の名前だ。三百億円の遺産を譲り受けた日本人のことは財界でも話題になったようだ。
 ゆう子から連絡が入った。
「三百億円ありました。ササキトキ名義です。友哉さんがその銀行に入ったら、システム全体に侵入できた。空白の時間もあったよ。でも、一秒くらいかな。午前十一時五十九分から一秒」

「分かった。三百億円の一部をその時間に移動させて、株の利益も非課税にするんだ」
「なるほど、やっぱり悪い人ですね」
「父親の介護ですまないがね。応接室にいる人たちに殺意がないのに銀行の防犯カメラに侵入できたなら、俺が危険なのか、銀行そのものが悪いんじゃないの?」
「え? あ、そうか」
「頼むよ、本当に。この社長は?」
「レベル2です」

「社長のわりには度胸が無さそうに見えるし、暴力団にでも脅されてるのかなあ」
 友哉は、コーヒーを飲みながら、
「俺のお金は? 銀座で洋服を買いたいから早くして」
と富澤に訊いた。
「大金のようなので、少々お待ちください」
「大金? たった一億円ですよ。ここは田舎の地方銀行ですか」
「いやあ、参った。すぐに持って来させます」

 社長の富澤が、落ち着きなく秘書に視線を投じると、彼女は部屋から駆け足で出ていった。
「友哉さん」
 ゆう子が話しかけてきた。
「銀行に向かって猛スピードでやってくる車が二台。信号を無視しているから警察車両だと思います」
「そうか、道理でdots。社長さんが落ち着きがないのは、通報したのか」
「運転している男を含めて六人。あ、ちょっと銀行から離れた場所に停まって車から出ました。向かったのは四人。逃げますか」
「うーんdots

dotsやっぱりすんなりいかないか。逃げたらお金が手に入らないかも知れない。ワルシャワの件は知らないだろうから、架空口座の疑いで逮捕するのだろうか。
 友哉は、本当にどうしていいのか分からなくて首を傾げてしまった。
lineち、ワルシャワのレストランの時と同じか。判断力がなくなったんだ。こうしているうちに、トラブルに巻き込まれるんだ。それでいいと思ってしまうしdots
 肩を落としていると、

「もうすぐ、彼らが銀行に入ります」
とゆう子が言い、
「友哉さん、トキさんが言ってた友哉さんと違うなあ」
と、独り言のように呟いた。
「何が?」
「もっとすごい男の人だってニュアンスだった」
「まさにニュアンスだろ」

「PTSDは気にしないけど」
「PTSDじゃない」
「ちょっと幻滅かな。警察が来るって言ったら、目がオドオドしている。わたしがワルシャワのホテルで迫った時と一緒。ほんと、怖がりなんだね」
「父親の介護がしんどくて不機嫌か。八つ当たりしないでくれ」
lineくそう。どいつもこいつも人を昔と違うってうるさい。昔にひどいめに遭ってきたから、変わりたいと思っているのに。

 友哉はテラーの宮脇の肩に付いていた糸くずを払った。その時、リングが緑色に光った。
「早退の準備をして、僕の車の横か中で待っていてくれないか。特別色の朱色のポルシェだ」
 ポルシェのキーを出すと、彼女はさっと受け取り、「はい」と微笑んだ。
 そして足早に部屋から出ていく。富澤がびっくりして、部屋から出ていく彼女の背中を見ていた。
「新手のナンパだ!」
 ゆう子が叫んだ。友哉は頭が割れるかと思い、

「うるさい。おまえが悪くなれってそそのかしたんだ」
と友哉も怒った。しかし、ゆう子は「そういうことをしろって言ったんじゃない」と言い返す。
「彼女が危ないから外に出したんだ。レベル2がどの程度の悪女か知らないから、話もしてみたい。それに社長からも目をかけられている美女だ。銀行に一人、仲間がいた方がいいよ」
「仲間なら、若くて美人じゃなくていいでしょうに」

「若い女の子なら万が一の時に役に立つんだろ」
「四十歳ほどの熟女は嫌なのか」
「彼女がずっと俺をジロジロ見ていた」
「もてますねえ。それに今の光は何よ」
「知らない。トキが、困った時、女を口説くために頭全体に向けて、光を放てって言ってた」
「へえ。トキさんがそんな悪いことを言うの?」

「彼はそんな不道徳な言葉は作らない。危険な場所で言うことを聞かない女性とかを大人しくさせるのに有効で、ナンパにも使えるらしいけど、俺はナンパをしないって言っておいた」
「今した」
「テロリズム性を抑制し、女性ホルモンを活性化させ、老廃物は積極的に体から排泄。彼女は今頃、トイレかも知れない。それでさらに気分が高揚して、楽しい気持ちにもなる光」
「若々しくもなって、女が濡れるってことね。後で調べよう」

「そうそう、気持ちを切り替えてくれないか。真面目にね」
「はい。もうすぐ部屋にお巡りさんたちが到着します。最後に入ってくる男がレベル3です」
「レベル3?」
「友哉さんみたいに性格が悪くて、女の子を平気で泣かす男のこと」
「気持ち切り替えてないね」
 冗談を言っている暇はないのに、宮脇という女子銀行員を光の力で好意を持たせた事に、本当に怒っているようだった。

「真面目にやらないなら、そこの窓から逃げる」
「あらあら、逃げ方はワイルドなのね。レベル4なら人殺しの過去があるとか詐欺の常習犯とか。5はサイコパス。人を殺すことをなんとも思わない奴。レベル3はその人間を調査した時に誰かと争っていた。恋愛の泥仕合とかも含めてね。または脳が異常に興奮していた。だけど実際は凶悪な前科がなくて判断ができないもの」

「調査? リングのレーダーやカメラで見てるんじゃないのか」
「リングは目の前の人間の反応を見るんですよ。レベル1の人でも豹変することもあるでしょ。もうお巡りさん、入ってきますよ。レベル3の人は友哉さんが見てどうするか判断するの。トキさん、あなたに丸投げが多いね」
「そうだよ。仕事を与えておいて無責任だ。俺に人を裁く裁かないを任せるのか。俺が子供の頃になりたくなかった職業が裁判官だ」
「丸投げ、丸投げ」
 歌を口遊むように喋っている。

「頼むよ。逮捕されそうなのに」
「やっつけちゃっていいよ。無理だと思うけど」
 ゆう子がそう言い終わらないうちに、応接室の扉が荒々しく開けられ、背広姿の男たちがゾロゾロと入室してきた。
 最後に、浅黒い顔をした背の高い男が入ってきて、「富澤社長、お久しぶりです」と言うが、頭を下げる様子はなかった。
 友哉がソファに座ったままでいると、最後に入ってきたレベル3のその男が、

「あなたがササキトキさんか。ご同行願います」
と、令状をちらりと見せた。
「大勢でやってきて、僕はとてもVIP待遇ですね。で、なんの容疑?」
「改めまして、公安の桜井真一と申します。あなたが架空の取り引き口座を作ったようで」
「架空? それで公安警察が来るの?」
「ササキトキなんて人間は日本にいないのです。あなたは国家に対する危険人物としてリストに入っています」

「三百億円じゃ、国家は揺るがないでしょ」
「それにあなたは、ササキトキに似ていない」
「ササキトキと会ったことがあるのか」
「防犯カメラに写っていたササキトキさんは違う顔だと言ってるのですよ」
 そんな初歩的なミスをしているのか、あの未来の兄ちゃん、と、ゆう子に言うと、苦笑いとともに、
「宇宙人もよく写真に撮られるしね」

 センスのあるジョークで、ゆう子はトキを擁護した。そして、
「警察官が四人もドアを塞ぐようにして立っている。怖くないですか」
と訊いた。
「怖がったら、君が怒るんじゃないのか。さっきからそう説教されている」
 友哉が、体を大きく見せながら立ち上がった。荒々しく威圧的だった。
「なんだ?」
 友哉に近づこうとした桜井真一が目を丸めた。

 身長は175センチだが、ほどよく付いた筋肉は、夏のせいで日焼けしていて磨かれた銅のような艶があり、いかにもバネがありそうだった。半袖のサマーセーターからは友哉の肌が露出していて、宮脇がその腕に見惚れているのを、友哉は応接室までの間に確認していた。トキからもらった筋肉ではなく、以前からそれなりに鍛えていた。
「先日、ワルシャワで起きた謎のテロリスト殺人事件」
 芝居がかった大きな声で友哉は言った。
「逃げた日本人、あれは俺だ」

 自らを嗤うと、桜井を囲んで立っていた部下たちがざわつく。
「え? なに自分で言っちゃってんの?」
 ゆう子が叫んだ。
 さらに友哉の手にはいつのまにか拳銃が握られていて、彼らはそれにまた驚いた。銃口はまっすぐ桜井の胸に向かっていて、その距離も一メートルほどだ。
「誰なんだ、あんた。こんなことをして、ただで済むと思っているのか」
 思わず後退りをした桜井の声は震えていた。部下たちは硬直し、動けなかった。
ゆう子が、

「ほんと、しかも豹変しないでほしい」
と呆れ返っていた。
「せめてわたしが出したファーストクラス代とホテル代をdots
「リングが赤く光ってるんだ」
「あ、本当だ。その警官たちに殺意があるってこと?」
「同行を拒否したら銃を使う予定だったのかもしれない。それかこいつが俺にたった今、殺意を持ったんだ」

 桜井真一を睨みながら、ゆう子に伝えた。
「四人のうちの誰かが異常に怒ったのね。位置情報を入力してなかった。介護だからってサボり過ぎです。すみません。すぐに転送の準備をします。間に合わなかったら、自分ではっきりと想像できる場所に移動してください。下に置いたポルシェの座席とか」
 友哉は、ゆう子の指示を聞きながら、桜井真一に話を続けていた。

「架空じゃないんだ。海外にいるササキトキさんから頼まれた。いや、譲られた。だから凍結とかすんなよ。そこの狸の置物、おまえもだ。今すぐ一億円を俺の車に持っていって、宮脇さんに渡しておけ」と富澤社長にも毒づく。
「わ、分かりました」
 富澤が手を震わせながら、内線の電話を回した。
「血まみれのワルシャワの街に比べて、ここはまるで美術館みたいに静かだ。観葉植物まである。銃声も聞こえない。亡くなった人の悲鳴も」

 友哉が、奇妙な脅し方をすると、
「早く、お金を持って佐々木様の車に行け! 宮脇くんに渡すんだ!」
と、富澤が誰かに怒鳴った。
 ゆう子は驚いていた。
lineわたしにバカにされたら怒った。しかも彼のダークレベルはそのままだ。怒ってないのか。脅しているけど、殺意もない? まさかこれで平常心? あ、脈拍が下がってる。わたしの意地悪で100を超えていたのに、70になっている。なんなのこのひとdots

「じゃあ、おまえは誰だ」
「ササキトキの友達だ。テロリストをやっつけてくれたお礼の寄付金をササキトキとジェイソン氏から受け取った。だから非課税にしてもらいたい」
「なに言ってんだ、おまえ。この世の幸せと成功を独り占めしたような面で」
 桜井が手を上げている拳を握って、その手を震わせた。
「幸せにはなっていないが、テロリストを殺したのは世界レベルの大成功だ。分かるか、蛙の顔をした刑事さん。おい、狸の置物!」

 また急に怒鳴った。まるで雷が轟いたようだった。富澤が腰を抜かしたのか、受話器を持ったまま座り込んだ。
lineすごい。傍で見たい。そしてこの刑事たちがいなくなったら、彼はどう変わるのか。それも見たい。
 ゆう子は、防犯カメラの映像を見ながら女の体の奥が熱くなっているのが分かった。数日前に優しく抱いてくれていた男が、巨悪権力と戦っていて、しかも優勢になっている。また、自分の理想の男性像を見せつけられた。偽善が大嫌いな自分の代わりに奴らをやっつけようとしている。そう、恋をした男性がdots

「名前を覚えるのが苦手でね。狸の置物、あんた、通報したね。俺のお金を俺が自由に引き出せるように、その口座を開放したままにしておけ。ササキトキ名義のカードでの引き出しを無制限に。本当は痛い目にあわせるところだが、口止め料として五億円差し上げますよ。蛙の顔をした公安のあんたには三億円。部下には一人、一億円。どうですか。それですべて見なかったことに」
 富澤がさかんに頷いた。殺されるどころか逆に五億円をもらえるなら、誰でも了解する。桜井が、

「蛙の顔と言われただけで三億円か。それは嬉しい。俺の人生に初めて幸運の女神がやってきたか」
と笑った。
「俺は男」
「この辺りに天使みたいに舞い下りてるんだ」
 桜井は両手を挙げている頭のあたりを指差した。そして、
「そんなことはできないが、考えてもいいぞ」
と、どこか苦渋の決断を迫られているような顔で言った。

「答えの意味がわからない。そんなことはできないが考える? どっちなんだ」
「俺の判断ではどうにもできないが、この場を見逃してやってもいいってことだ」
「立場を弁えろよ。見逃してやる? 一瞬であの世に行くか、三億円もらって退散し、二度と俺に付きまとわないかどっちだ」
 防犯カメラで様子を、そしてリングの通信で会話を聞いているゆう子は、これがトキさんが絶賛している彼の眠っている才能なのか、と分かった。しかしdots

lineスイッチが入ると、こんなに饒舌になって行動力も増すのか。どこかで訓練していたんじゃないか。まるで映画に出てくる諜報員だ。
と疑う。
「早く決めないと、システムがダウンしている間に、金をどこかに移動させてしまうぞ」
「システムがダウン?」
 桜井真一がまた目を大きく見開いた。
「この銀行は午前十一時五十九分に、システムが一秒ダウンする。約二十分後だ。俺の秘書がその隙に、三百億円をどこかに移動させる。探すのに苦労するぞ。いいのか」

 ゆう子が、
「さっきの件ね。でもわたし、そんなことできないよ」
と声を上げた。「はったりだ」と友哉が口の中で呟き、ゆう子に言う。
「本当か。富澤さん」
 桜井が、富澤社長を見た。富澤は答えない。
「本当なら、大変な問題だ。汚い金がその一秒の間に洗浄されているってことだぞ。おまえはハッカーだったのか」
 桜井が友哉を見て言う。
「違うよ。株投資を趣味にしてるんだ。おい、動くな」

 富澤の方に体を向けた桜井の部下を軽くいさめる。
「おまえら動かない方がいい。こいつは本物だ。ワルシャワの奴ならやられるぞ」
「桜井警部補、それは大変な情報です。クスリを売ったマフィアの金が侵入しているかもしれません」
 桜井の部下が手を上げたまま、唸った。
「どうする? おまえたちの合わせて六億円もなし。俺は逃げて捕まらない。CIAが守ってくれている」
lineまた嘘、吐いた。

 ゆう子がため息を吐く。
「確かに、奴が殺したのは潜伏先が分からなかった、元アルカイダのメンバーですから」
 部下が、桜井に耳打ちする。
「この社長はきっと地下組織のような奴らに脅されている。五億円はそいつらに渡して手を引くんだな」
「は、はい。ありがとうございます」
 友哉の言葉に富澤が大きく頷く。
 しかし、桜井真一が、

「だからと言って、おまえたちをdotsおまえを見逃すわけじゃないぞ」
と友哉を睨んだ。
「皆で口裏を合わせて終わりにしよう。ササキトキの金は本当に寄付金。実は俺は不治の病にも犯されているから、同情された。だが、コンマ数秒の間にすばる銀行とすばる証券を行き来している金は、麻薬か政治が絡んでいるぞ」
 友哉のその台詞を聞いたゆう子が、目を剥いた。

line口裏を合わせる? なんて汚い言葉を使うんだ。刑事ドラマじゃないんだから。さすがレベル2だ
 ゆう子はAZを使い、友哉の性格を調べていた。またアンロック方式なのか、新たな記述が出てくる。
lineこれか。友哉様はゾーンが通常の人間の数倍以上だったが事故のショックで失っている。ゾーン…究極の集中力。天才将棋士、天才作家、天才音楽家、世界一のトップアスリート、戦場から生きて帰ってくる兵士などが持っているもの

dotsまあ、小説家だもんな。あんまり面白くない答え。
line友哉さんって性格が悪いと思う? ちょっと怖いよ。
とAZに訊いてみる。
【誰と比較するのか答えよ】
linedots。か、勝てない。たかがテキストに。絶対Ai入ってんだろ。
確信するように思い、AZを一瞥した。
「わかった。いったん、金で解決しよう。じゃあ、三億円出せよ」
 両手を少し下げて、相手をなだめるポーズを見せた桜井は、殺気立ってきた部下を制止するように一歩、前に出た。

「動くなって」
 友哉が引き金を引くと、桜井の肩をかすめた赤い閃光が、応接室の観葉植物に命中した。しかし、葉は燃えることも落ちることもなかった。
 PPKから弾丸ではなくレーザー光線のような光が出たのを見た桜井が、
「玩具か」
と言うと、部下の一人が友哉に飛びつこうとした。だがその部下は足を撃たれて床に転がった。床に真っ赤な血が飛び散っていた。
「大輔! おい、おまえら、やめろ!」

「おまえはさらに一億円。勇敢だった」
 友哉はまるでゲームで遊んでいるような顔で笑った。稚気を見せていたのだ。そして突然、
「お喋りは楽しいな!」
と叫んで、ゆう子と桜井たちを仰天させた。そして、またPPKを桜井の顔面に向けた。
lineお喋りが楽しい? しかも撃った。いや、わたしが煽ったのか。
 ゆう子はまさに絶句していた。口に出す事ができず、頭の中で考えていた。支離滅裂だと不意に思うが、AZの数値に興奮や悪意は一切出てこない。

 刑事たち、つまり敵を混乱させるための芝居。封印している本性なのか。それともわたしが「やれ」と言ったから頑張っているのだろうか。いや、頑張ればできるものではない。なら、ものすごい二面性だ。だって、わたしにはとても優しく接している。過去の友人たちにもdots

『テロリストも父親だから』
『そのAV女優と真面目に付き合うつもりだった』
『君には自尊心はないのか』
『奥原さんがいいんだ。病院で待ち伏せしてくれたらよかったのに』
『昨夜はありがとう。俺はアウシュビッツに行く』
『トキはいい奴だ。悩んでいた』
lineまるで愛の魂が飛び交うこれらの言葉がなければ、今、わたしは濡れてない。怖いだけだ。そして、彼のこの冷静な怒り。冷静な情熱に惚れこんだ女が一人いたdots

 彼が名を口に出来ないほど、愛し合って別れた女dotsもうこの世にいないかも知れないdots

 水着の写真の女dots。北の温泉旅館の女。

 恐らく同一人物dots

 部下を撃たれた桜井真一が観念したように、
「わかった。なんの銃か分からないが本気みたいだな。三億円で手をうつ。おまえら、佐々木時はいなかったことにしよう。ワルシャワの日本人は本当にこいつだ。日本人に見えるが、どこかの国の諜報員だ。殺されたらたまらん」

と言った。桜井の部下の若者三人が思わず頷いた。友哉が太ももから血を流している若い刑事に、
「君が悪党じゃなければ死ぬことはない。そういう銃だ」
と言って、
「じゃあ、社長さん。俺の口座から、彼らにお金を振り込んでおいてくれ。あとで、お金が入ってないから、また逮捕しにきたって、蛙の顔から言われたら困るから、一両日中に。そうしないと、警視庁の偉い人に…言っても無駄か。実はこの様子は録画しているから、ネットに拡散する。もちろん、俺の顔にはモザイクをかけてね」

と言った。
「録画?」
「優秀なアシスタントが防犯カメラから録画しています」
 思わず防犯カメラを見る桜井。
lineうわ、本当に蛙のような顔だ。
とゆう子が笑った。
 友哉はリングをちらりと見て、
「こういうことがあるから、五十億じゃ足りないんだよ」
と笑った。ゆう子はその話をスルーして、

「どこに転送しますか。彼女のいるポルシェ? そこから銀行の駐車場のポルシェの中なら、回復まで十二秒。仮眠はなし」
「口止めにはそれがいい。五秒後に頼む。では社長さん、桜井さん、僕をマークしている政治家の人たちによろしく」
 友哉が忽然と消えたのを見て、富澤と部下たちは腰を抜かしたのか、大きく体を揺らした。桜井は口をだらしなく開けたまま、声も出せなかった。

 ポルシェの助手席に、テラーの宮脇が座っていた。そこに突然、友哉が現れたが、よそ見をしていた彼女は、友哉が普通に乗り込んできたと錯覚したようだった。
 うっとりした目で、友哉を見て、
「お金が目当てじゃないです」
と微笑んだ。膝の上に友哉の鞄があって、抱かえるように持っていた。顔を俯けるとロングヘアが揺れて鞄を隠す。
 すごい威力だな、惚れる光dots

 初めて試してみたが、効果は絶大のようだ。レベル2なら適当に抱いてしまってかまわないと、ふと考えたが、レベル2の女の具体的な悪行はなんだろうか、と思わず首を傾げてしまった。ちなみに、ゆう子は1である
「名前は?」
「宮脇利恵です。利恵の利は利用の利」
と微笑んだ。
「おっと怖いね。すまないけど、車が狭いからそれは膝の上に置いておいてくれないかな。お礼にお茶を奢る。その後、家まで送ろう」

 車は、銀座界隈にあるモンドクラッセ東京に向かった。ボーダーの長袖のシャツに白いパンツスタイルの利恵は、「もっとお洒落をして出勤するべきですね」と、下を向いた。確かに、何も考えずに家から出て、電車に飛び乗ったような出で立ちだ。
「困った時は銀行のあの制服にすればいいよ。男は皆、制服が好きだから」
 ちょっとオヤジ臭いジョークを言うと、
line変態。
と言ったのは、ゆう子だった。

「監視はいいが、通信は切る。父親の世話をしていなさい」
 頭の中でゆう子にそう告げると、彼女は「はい」と言って通信は終わった。
 少し叱ると、聞き分けのよい子供のようになるのはかわいいが、ゆう子のその態度に友哉は胸騒ぎがしていた。
 ゆう子もトキが持っているリングの力で洗脳されて、俺に惚れているだけじゃないか。
と。
 さかんにセックスを求めること。挫けないこと。嫉妬深いこと。聞き分けのいいこと。

 まさにクスリや催眠術を使った恋ではないか。
 友哉は、もしそうだったらそれはまるでレイプだと、急に血の気が引くような感覚に苛まれた。
 一緒にいた十日間のストレスも、また違うストレスだった。ようやく女優、奥原ゆう子に慣れてきたセックスは楽しくて、そう、まさにときめいたのに、なのに、秘書なのかセフレなのか彼女なのか、二日毎に自分たちの関係を勝手に変え、すぐにリセットしてまた元に戻す。そんな彼女にストレスを感じた。

「高級交際倶楽部の女の方が疲れない」 
 友哉が声に出してしまうと、宮脇利恵が、「なんの話ですか。でも、銀行にいた時から、ずっと女の人のことで悩んでましたね」と、鋭く突っ込んできた。
「なんで分かるの?」
「ブツブツ喋ってましたよ。Bluetoothを使った電話? 海外からやってきたイーサンハントみたいな男の方だから、そんなこともするのかなって」
 有名なスパイ映画の英雄の名前を言った。ゆう子との通信を友哉は、頭の中だけで行う技術が習得できなくて、ずっと口の中でブツブツ呟いているのだ。

 モンドクラッセ東京のカジュアルフレンチレストランにに入った友哉と利恵は、サンドイッチとスープを注文し、お互いの自己紹介をした。友哉は、「ビジネスコンサルティングの仕事で世界中を飛び回っている」と教えた。小説家の仕事は交通事故になってからずっと休業していた。女優業を休んでいるゆう子と同じだった。
 宮脇利恵は二十五歳。モデル風のほっそりとしたスタイルをしているが、しかし日本的な目鼻立ちだ。浴衣が似合いそうで、東北地方に多そうな薄い顔である。彫が深いゆう子とは違う顔立ちだ。身長は160センチほどある。ゆう子は156センチだった。

 彼女も一人っ子だった。少子化は深刻だと、友哉は苦笑いをした。
「君に頼みがあるんだ。まず、僕と友達になったことを同僚の人たちに喋ってほしい。それから、僕がある女性と噂になった時に、その女性とはなんの関係もないことを証明するために、僕とデートをしてほしい。大人の恋をしよう」
 そんなことを喋りながら、友哉は彼女を見ながらなんとなく、首を傾げた。
line妙に親近感が沸く女だな。すらすら口説き文句が出てしまう。

 何を頼まれているのかさっぱり分からないのか、利恵は言葉を失っていた。だが、友哉に与えられた「惚れる光」が拒否をさせないのか、分からないまま頷いている。
lineさて、仕事だ。ここでdots
 友哉は、またリングをはめている左手を利恵の手の近くに置いた。テーブルに置かれたニンジンジュースのコップを持っている利恵に手を伸ばした形だ。
「なんですか」
「キレイな指だね。ネイルも薄いピンクで清潔感がある」

 友哉のリングが蛍のように緑色に光り、だがそれは利恵には見えない。友哉は、応接室で利恵に使った「惚れる光」の効果を解除したのだった。
『同じ光を短い時間に連続して使用すると、体に有害だと判断し、リングが自動的にその光の効果を解除する光を照射します』
とトキからの説明があった。避妊の解除のやり方なら、続けて避妊をするように光を脳内に向ければよいのだ。
 利恵は首を傾げた後、

「応接室に連れて行ったり、すごいナンパdots。まさか、わたしとお付き合いしてくれるんですか」
と言う。猫のような声質だが、声のボリュームは一定している。ゆう子とは違い、落ち着いた美女だった。
「あれれ?」
 友哉の方は思わず、とんきょうな声を出してしまった。
「なんですか」
「いやdotsうん。歳の差があるけれどdots

「おいくつですか」
「四十五歳」
「とっても若く見えます。だから平気」
 変わった言い切り調で喋る宮脇利恵は、とても清潔感のある美女で、また友哉は見惚れてしまっていた。黒髪に天使の輪ができている。服装が地味なのは慌てたのではなく、ファッションを楽しむお金がないのかと分かる。
「彼氏はいないの?」
「いません。けっこう、長く」
「なに?」

 友哉は思わず利恵をじっと見た。
「な、なんですか」
「いや、なんでもない」
 良い歳をして胸が高鳴った。
line何年くらい彼氏がいないのだろうか。こんなに美人なのに。銀行なら若い男子社員もいっぱいいるじゃないか。
 友哉の理想だった。恋愛依存症のように男を乗り換えていかない女が。

 男を作って蒸発した母。少年時代のその苦しみで、そんな女を警戒してた。大人になってから付き合った女たちも、別れそうになったらすでに、次の男を用意していて、言い寄ってきた女は、前の男と別れてから一か月も経っていない。前の妻の律子も、いい歳をしてもう男がいる。
line男がいないと友達に負けていると思うのか、セックスしてないと寂しいのか、元彼への当てつけか、イベントが近づくと無理をするのか知らないが、勉強はしてるのか。学校を出てから、一冊も本を読んでないんじゃないか。

 小説家らしい怒りで、友哉は、そんな女たちを軽蔑してきた。AV女優の菜々子は、有名俳優のセフレをやっていて、本当の彼氏はずっといなかった。
『職業柄、そういう男しか言い寄ってこないんだ。最初はそれが彼氏だと思っていたけど、単に遊ばれてるだけだった。結婚してって言うとさっといなくなるからね』と自虐的に笑っていた。友哉はそれを聞き、『じゃあ、俺がきちんと付き合うよ』と言おうしたが、彼女はそのカミングアウトをすると、翌日にいなくなっていた。

 ちょうど、ディズニーシーの彼女と別れた後、事故に遭う間の出来事だ。友哉も、菜々子とセックス三昧だった事を反省し、デートのプランを一晩中考えていて、寝落ちしたら、朝、彼女はいなくなっていた。財布からお金がなくなっていて、『十分、わたしの体で遊んだでしょ』とメモが机の上に置いてあった。
 友哉は、まさに微笑みを絶やさない利恵を見ながら、
「こ、こっちから頼みたいくらいだ。大事にするよ」
と言う。声が上擦ってしまうほどだ。

 ちょうど、ディズニーシーの彼女と別れた後、事故に遭う間の出来事だ。友哉も、菜々子とセックス三昧だった事を反省し、デートのプランを一晩中考えていて寝落ちしたら、朝、彼女はいなくなっていた。財布からお金がなくなっていて、『十分、わたしの体で遊んだでしょ』とメモが机の上に置いてあった。
 友哉は、まさに微笑みを絶やさない利恵を見ながら、
「こ、こっちから頼みたいくらいだ。大事にするよ」
と言う。声が上擦ってしまう。

lineゆう子に出会った時よりも動揺してしまっている。なんなんだ、俺は。dotsいや、この女の子は。そう、まるで、
dotsずっと以前から知っているみたいだ。
「よかった。変なことを言っちゃったのかと思った」
 彼女は喜色満面になって、連絡先を名刺の裏に書いた。そして、彼女も、
「どこかで会ったことがありますか」
と訊いてきた。友哉がびっくりして答えないでいると、

「とってもすんなり。懐かしい感じ。でも、ポルシェに乗ったら、あ、違うなって。こんなカッコいい大人の男性、知らないから」
と笑った。
「すまん。変なおじさんだと思って、もう一度、手を握らせてくれないかな」
「はあdotsはい」
 利恵はそれほど嫌な顔はせずに、手を前に出した。友哉は、また光を彼女の頭全体に向かうようにリングに指示する。リングがすぐに緑色に光る。すると利恵はテンションを上げて、
「なんかドキドキします」

と言って、はにかんだ。友哉に興味津々の顔をし、
「このホテルはよく来るんですか」
と目を輝かせた。
lineきっかけを作るだけの効果か。または気持ちを高ぶらせる効果か。仕方ない。大事なことだから、ゆう子に訊くか。
lineゆう子
 利恵には気づかれないように、通信を試みる。

「はい。モンドクラッセの友哉さん」
 位置は見ているようだ。
「女をモノにするこの光の効果はどの程度かAZで調べられるか。もし、彼女と寝ることになったらまるでレイプだ」
「寝なきゃいいじゃん」
 その通りだった。
「ごもっともです。ごめんなさい」

「調べるよ。どんな子か知らないけど、やっちゃえば? 女は誰でもやりたいんだよ。セックスしたいのに、したらしてないような顔をする。特技は被害者面。男の人よりもはるかに汚いよ」
 同性嫌いをあからさまにしたが、母親との確執が根深いようで、友哉はスルーをする。
「またスパイごっこですか。コンタクトがカメラになっていて、わたしを撮影してるとか」
 黙り込んでいる友哉にそう言う利恵。

 そういえば視力もトキに治してもらったのだった。
「コンタクトはしてないよ。視力がいいと、見たくないものまで見えるから疲れるね」
「見たくないものって?」
「汚い女のパンチラかな」
「女は汚いですか」
「スパイごっこの仲間がそう言ってた」

「彼女?」
「仕事の秘書だよ」
と言うと、「秘書からの報告があります」と、ゆう子が割り込んできた。
「びっくりした。それがマリー」
「マリー? ああ、仲介するやつか」
「うん。例えば、友哉さんを嫌っている女性を自分に惚れさせることはできなくて、ある程度興味を持っている女性、または友哉さんを好きな女性をより好きにする効果を発揮する『マリー』って名前の光です。

ガーナラとセットの特別な光だって。元カノのような女がまだ友哉さんを想っていたら、復縁に導けるきっかけが作れる。だけど嫌われていたらだめ。ようは友哉さんを大嫌いだったらだめ。まったく無関心でもだめで、少しでも友哉さんに好意を持っていたら効く。つまんないことでの離縁を減らすために使われている『光』だそうです。仲介の意味はまだ出てこない」

「トキがまた熟語を間違えたんじゃないか。仲介って不動産屋みたいだ」
「セックスをさせないための光とも書いてあるんだ。なんか矛盾してる」
「ん?」
「女が男に惚れる光なのに、男性のセックスを抑制させる効果とか書いてある。意味が分からない」
「俺にもさっぱりだ」
「うん。ちょっと口の悪いことを言うと、その力を使っても律子さんは無理だと思うから、その子をものにしてください」
「相当ひどいことを口にしたぞ」

 別れた妻との仲直りを少なからず願っていた友哉はがっかりしたが、すぐに気を取り直して、
「もう律子はあきらめたから、名前を出さないでくれ」
と言った。別れた女の名前を出されることを友哉は嫌い、トキにも、ディズニシーの女の名前を言うなと毒づいた。
「はい。それはよかった。わたしは耐える女なんで、どうぞその銀行員と楽しんでくださいね」
 ゆう子は嫌味を言ってから通信を切った。

dots今度は耐える女ときたもんだ。
 友哉は、ゆう子の恋愛の駆け引きがもうどうでもよくなり、いったん、ゆう子のことは忘れて、利恵と仲良くなれるように気持ちを切り替えた。
lineそれにしてもタイプだな。
 女優の奥原ゆう子をまじかで見てからは、「この女よりも美女はいない」と、自分も衝撃を受けたが、もとからの好みのタイプは目の前の宮脇利恵だった。尖った部分がどこにもない上品で柔らかい面。真っ白な頬。笑うと薄くなる唇。しかし、目はそれなりにぱっちりしていて、だが整形している様子もない適度な大きさだ。

 戦いに疲れた時に、女性がゆう子だけなのは心もとなかったから、銀行で利恵を見た時に、この子とは仲良くなれないだろうか、と、ふと思ったのだ。
「なんか着替えたいな。ホテルに似合わない。まっすぐ地下鉄で帰る予定がまさかこんな場所に来るなんて」
 利恵が自分の洋服を見ながら、情け無さそうな表情を作った。そしてチラリと、一億円が入っている鞄を見た。帰る気はなさそうだ。付き合うことになったからだろうか、と友哉は思った。

 場所は銀座。お洒落な洋服はどこでも売っている。
「いきなり付き合ってって、わたし変ですよね。田舎娘だから、都会を颯爽と歩いているあなたがカッコいいと思ってしまって。車が横浜ナンバーのオレンジのポルシェなんてびっくり」
「ああ、ポルシェは金がないのに間違えてローンで買ったんだ。そのうちに売るよ」
「そこに一億円あるじゃないですか」
 椅子の上にある大きめのビジネスバッグを見て、利恵は、思い切り失笑していた。
line忘れていた。あと銀行に二百九十九億円あるんだ。
 友哉も笑った。

「あ、お金が目当てじゃないですよ。でもあのポルシェはかっこいいな」
 正直にスポーツカーに憧れを見せる。理性が崩れそうなその笑顔に、隠し事がないように見えた。大地の香りがするニンジンジュースを口にし、ほんのりと唇を付けただけで「美味しい」と上品に言う。友哉はまた彼女の所作に釘付けになった。
「駅前とかで、ナンパされるのを待っていたわけじゃないんだから、こういう出会いは悪くないと思う。君の銀行からも近いし、ここを僕らの待ち合わせ場所にしよう。楽しいデートもしよう」
 ゆう子に言う前に拒否された言葉を、目の前の違う女に口にしてしまった。

 有名女優だからデートはできないとゆう子は言ったが、変装すればいいだけのこと。だが、誘える隙もないくらい、ゆう子は『普通の恋愛』を嫌がっている。
「嬉しい。会社からこんなに近いのに、あんまり来るお金がないから、悔しかったんだ。こんなに美味しいジュースがあるなんて。都会でいてお金がないと、逆に高級な場所は目障りなんです」
 利恵はとても美味しそうにサンドイッチも食べていた。
「コンビニのと違う」

 満面の笑みを作った。ゆう子のように口を大きく開けて笑うのではなく、少しはにかんで笑う。
「田舎から上京してきたの?」
「はい。茨城です」
 そんな感じがする。素朴さもあるし、物静かな様子は性格かも知れないが、美女なのに彼氏がいないのは、都会の喧騒に疲れているのかもしれない。しかし、
line女が男を乗り換えていくのはだめで、俺は今からそれをやるのか。

と、不意に道徳的な疑問が脳裏をよぎった。それでも、少しは良いことがあってもいいじゃないか、と開き直ってしまう。
 病院に運び込まれた時の医師たちの大混乱によるそのショックと編集者がきただけで、他に誰も見舞いに来なかった絶望感。思い出したくもない。だから、楽しみたいし、そして、
line休みたい。
 友哉にとって良いこととは、美しい女と仲良くなることや親友を作ることなのかもしれなかった。友哉自身、それがわからなかった。今は、ただ、ゆっくりしたいだけだった。なのに、トキが現われて、それが無理になった。しかし足は動くようになっていて、人生の方向性が定まらない。

「だけど、こんな高級ホテルに来る洋服があんまりないです」
 また、一億円が入った鞄を見るが、友哉にそれがばれていることには気づいてないようだ。
lineなるほど、いきなりおねだりか。美人らしく玉砕戦法か。お金をケチったらすぐにいなくなりそうだ。レベル2なのは、お金が好きだから?
 友哉は年甲斐もないときめきを少し無くしたが、宮脇利恵の知性的な目つき。子猫のような声の音色の笑い声、そしてほっそりとしていて乳房は目立つスタイル。華奢な肩の線。何もかも好みで、

 いや、この女になら、抱かせてもらった後、裏切られてもいいか。でも長く付き合いたい。
と思った。
 女にも男にも裏切られてきた。騙されてきた。
 真剣に生きていると、それを利用する人間が必ず近寄ってくる。子供の頃からそうだった。
 新聞配達のバイトを一緒にしようと、クラスメイトに言われて、その新聞店に行ったら、クラスメイトの友達はいなくて、自分が彼の身代わりだった。
「別の子供を連れてきたら、やめてもいいぞ」

 大人にそう言われたクラスメイトは、友哉を騙し、身代わりに差しだしたのだ。しかし、それから何十年も、友哉は友達や赤の他人までも信じ続けた。
 ようやく、それが間抜けな事だと気づいたのが、妻と離婚した時だから、四十四歳になってからだ。
 妻は、自分が交通事故で絶望している時に、「この機会に離婚する」と言った。
「娘が思春期だから、地元から引っ越しはしたくない。だから、あなたが出ていって」

 車椅子の自分の「いろんな世話をしているところも娘に見られたくない」とも言った。
「元々離婚する予定だったでしょ。たくさんの女と浮気をしていたから天罰よ」と吐き捨てたのだ。
「天罰?」
 友哉がびっくりした顔をすると、友哉の足を律子は見た。
「セックスレスの提案は君がしてきて、なのに女を作ったらだめなのか。まさか自分の手でやれ?」
「皆、そうなんじゃないの?」
「ふざけるな。それに今は誰とも付き合っていない」
「あらそう。それも天罰でしょ」

 離婚をして、病院の近くのマンションで一人暮らしをしていたら、意外と快適で、「一人の方が気楽だ」と友哉は開き直るように考えていた。泣いたこともなく、半ば本心だった。
lineそうか、人は孤独の方が気楽なんだ。
 つくづくそう思った。
 そんな時にトキが現れて、動かなくなった足を治してくれたが、友哉は歩けるようになっても、律子に会いに行っていない。「奇跡的に治った」と喜び勇んで帰っても、「それでもやり直せない」と言われるような気がした。ただ、娘には定期的に会いたかった。
律子が許してくれず、友哉は短期間に妻、娘、恋人から見捨てられた形になった。

しかも足は動かない。
line女なんか死滅すればいいのに。
と、侮蔑したほどだった。
 一方、男は仕事以外では本心を話せず、特に、恋人や妻の惚気話は、その女に振られた時に恥ずかしくなり、軽蔑もされるから、男との会話も苦手だった。ただ、編集者に一人、気を許した男がいて、ディズニシー女は、その編集者の娘だった。父親が公認した仲だったのだ。
line命をかけて愛せる女だと一時、考えていた。

 重いよな。それで女に嫌われるのか。
 セックスレスになってから、無理に触れないように気を遣った妻にも、結婚を約束したその編集者の娘にもふられた。
 しかし、ゆう子とそして今、宮脇利恵が現れて、「まさかもてるようになったのか」と、友哉は己を疑っていた。
line女はただの性欲処理の人形だと思うようにしたが、ゆう子も宮脇利恵も綺麗でかわいい。
 前言を撤回するように、利恵に見惚れていて、性欲処理って言葉は慎もうと思った。

 利恵が、
「カラオケとか行きたい人ですか?」
と唐突に訊いてきた。
「あまり興味ないよ。歌も下手だし。行きたいの?」
「いいえ」
「今ならお金があるから、このホテルのスパに行った方がいいと思うよ。または、山奥の川でメダカを探すとか」
「メダカですか。見てたらきっとかわいい」

 利恵はとても嬉しそうに笑っていた。
「西表島に行って、ヤマネコと会えるか。都会から天の川が見える場所までドライブに行って、急に曇ってきたからじゃあ、ペンションの部屋で語り明かすか抱き合うか。そんな特別なようでいて、実は簡単にできる遊び」
 利恵はずっとクスクス笑っていた。
「田舎での遊びは俺が最近やりたかったことだよ。ちょっと病気をしていたからね。オヤジ臭いか。じゃあ、どこか近場のdotsうーんdots

「アロマスパがいい。あ、でも本当はdots
「何か予定があったの?」
「実は今日、早退する予定だったの。もっと早く帰っちゃったけど、だから銀行の皆、きっと怒ってない」
 利恵はそう笑った後、
「パラリンピックの選手たちがアイドルの人たちとスポーツをするイベントの観戦チケットをもらったの。一枚で二名のだから一緒にも行けます」
と言った。鞄からそのチケットを出す。

「なんとなく、一緒に行ってくれる人が現われる気がして、待ってて正解」
 それでエレベーターの中でジロジロ見ていたのか、と友哉は思った。
「でも出逢いを予感した格好じゃないね」
「あ、ちょっとひどい」
ひどいと言いながら、やはり目を細めている。
「午後五時からか。スパの時間を夜にする?」
 利恵が頷いた。夜の料金の高いコースに空きがあり、彼女の分だけを予約をした。もちろん、部屋も取って、
「洋服も後で買ってきていいよ。ただ、いきなり超ブランド物はどうかとdots。五万円くらいで収めて僕の好みのワンピースとかにしてくれないか」

と言うと、「それで全然かまいませんよ」と、また品のある笑みを零した。
「だったら部屋で見たいけどdots
「泊まっていいですよ。明日は土曜日で休みだから。嬉しい。急に忙しい日」
 即答をしてきた。品はあるが言葉に恥じらう様子はあまりなく、常に当たって砕けるタイプのようだ。
「ワンピースは何色で長さは?」
「白っぽいのか紺色で、膝上。紺やグレーに白が混ざっていてもいいよ」

「地味な色。じゃあ、短めにしないとね。分かりました。すぐに買ってきますね、一緒に行く?」
「じゃあ、そのワンピースで、今は見えない足を見たいな」と直截的な言葉を投じたら、やっと恥ずかしそうに俯いた。
 利恵は機嫌を悪くする様子もなく、俯いた顔でさらに頷いてみせた。
 モンドクラッセ東京の部屋に入った友哉と利恵は、お茶をしながら、「こんなに話が合うなんて」とお互い目を輝かせていた。すぐにセックスの話にもなった。

「西表島は虫が怖いから、宮古島くらいがいいかな。そこでイジメてほしい。昼間はビーチでゆっくりのんびり」
「なんでイジメるの?」
「お父さん、お疲れさんみたいだから。昼にソーラーパネルみたいに充電して、夜はその電力を発散」
「探りを入れたな。独身だよ。バツイチだが、子供は取られた」
「やった。ほとんど普通の独身」
 小さくガッツポーズを見せる利恵。それがかわいらしくて、手を握ると、彼女はすんなりと友哉の胸にもたれかかってきた。

 ベッドの中で、利恵の真珠のように輝く体を堪能しながら、トキから与えられた精力も、利恵に見せつけていた。
lineひと目惚れをしたとはいえ、お金ばかりを見ているうちは優しく抱く必要はないか。
 ポルシェをうっとり見ているばかりの女に気を遣う愛撫はやめようと思い、ガーナラで得た精力を使うことにする。性欲処理という言葉は慎むが、ここはいったん遊ばせてもらうことにする。もし、自分が庶民なら、洋服代、部屋代、スパ代金、すべて合わせて十五万円以上はお茶だけでは済まない金額だ。

『男性のお金で飲み食いしてすぐに消える女は、その力でこらしめてね。殺してもいいよ』と、ゆう子はあっけらかんと言い放っていた。同性の女に対するなんの恨みがあるのか知らないが、目に殺気があった。
line殺すことはないが、別の天国に行かせようか。良い子だ信じたいがdots
 俗なセックス用語を頭の中で作りながら、利恵の膣の奥を硬くて太いペニスで突いた。
 ベッドからソファへ。ドレッシングルームへ、バスルームへ。様々な場所で利恵を抱いた。

lineセックスで始まる恋はセックスで終わるとゆう子に言ったけど、セックスで始まった気がしない。会話も体も抜群の相性だ。
 友哉は、半ば感動していた。
 そしてトキからもらった力は、相手が好みの女なら、筋力、精力を消耗しながら、その女のエロチシズムですぐに回復していくようで赤子の手をひねるよりも簡単なセックスになった。心肺機能は無限ではないが、利恵を片手で持ちあげられる力と何度も射精ができる精力は無限だった。その常人とは思ない精力はだが野獣とは違う人間らしさの繊細さも兼ねていて、それはトキが、友哉の精神をそのままにしたからだった。

「最高に刺激的です」
 利恵は何度も何度も、友哉のセックスを「刺激的」と表現していた。
 AVにあるような激しいセックスは普通の女性は嫌がるはずだが、一億円が気になり、それを我慢しているのかも知れないし、本当に過激なセックスが好きなのかも知れない。
 友哉の精力は無限だったが、彼は、「三百億円で遊んで暮らしながら、毎日何時間も何時間も、女を抱き続ける精神力はない」と、分かっていた。こちらが疲れたら、若くて体力がある女が、勝手に口や腰を使い続けることはできそうだが、その貪り合いを数時間続ける女は、ゆう子くらいだろうと思った。

 ゆう子かdots
 奥原ゆう子の無邪気に笑う顔が浮かんだ。
 ゆう子に積極的になれなくて、なぜこの女の子には積極的になったのだろうか。自分は女優、奥原ゆう子のブランドが怖いのだろうか。
 友哉は自分自身を分析できずにいた。
 出会ったその日のうちのセックスも、友哉は若い頃に経験していて、しかもここまで会話が弾めば利恵が軽い女とも思わない。気持ちを高ぶらせる『マリー』の効果があるのだろうが、ベッドに入るのが数日、早まっただけだと言い聞かせる。

 利恵の少々、大袈裟な、ペニスに対する褒め言葉が気になったが、それも女の特技である。特に美女は、男を騙しながら一生生きていくものだ。それを「劣悪」だと昔の哲学者やゆう子が言っているのだ。
line確かにあの女は俺の才能を利用して遊んでいたが、劣悪とは違った。悪魔かな。
「何がおかしいの?」
 利恵が、友哉の顔を見て訊いた。
「女は劣悪だって秘書が言ってたんだが、元カノは劣悪じゃなくて悪魔だったって思って、笑った」

「悪魔なら、劣悪よりもっとひどいものね」
「小を付けたらそうでもない。小悪魔。劣悪な君にポルシェの効果があったのかな」
 そう笑うと利恵は、
「ひどいな。もう、そんなんじゃないですよ」
と、少し頬を膨らましてみせた。
 友哉の力強いペニスは、ずっと利恵の体の中にあって、優しい動きも激しい動きもなんら苦にせず行えて、彼女に心地よい快感を与えている。「劣悪な君」が気にならないほどだ。

「ずっとお付き合いできるかな。あなたのすごい。ゴムなしがいいな」
 恥じらいもなく言うが、顔立ちが清楚で、恥じらっているように見える。まるでマジックだと思った。
「ピルを飲んだらいいんじゃないか。体に合えばいいけどね。僕は退院したばかりで健康診断してある」
 性病がないことを教える。
「飲むね。ピルのお金もらえるかな」
「そんなにお金がないのか」

「OLだから、普通ないですよ」
「分かった。ピルを飲むって、どこか本気の匂いがするからね」
「本気ですよ。まさか、セックスもいいなんてdots
「ありがとう。久しぶりにもてた」
 友哉の「久しぶりにもてた」は、利恵の喘ぎ声に消されていた。その声も品がある。しかしdots
line病気をしていたとか、退院したばかりと何回言っても、そこに興味を示さない。母性はなさそうだ。
 あからさまに分かる事実だった。

「わたし、かわいいですか」
 声を上擦らせてそう言う。同時に、体も弓のようにしなった。その美しさに見惚れ、母性のあるなしはどうでもよくなってしまう。
「え? かわいいよ。なんで?」
「言ってくれないから」
 怒っている様子はなく、むしろ笑っていた。喘ぐ声は小さく、お金に目を向ける以外は何もかも控えめに見える。
「そうか。かわいいよ。銀行でも目立っていた。脱がせた時にキレイなおっぱいだって言ったと思うが、それとは別なの?」

「好きですか」
「え?」
 なんなんだ。これもマリーとやらの影響か。
「好きって言いませんよね。わたしはさっきピルを飲みたくなるほど好きになったって言ったのに」
「好きになったから抱いてるんだけど、なんていうか、言うはずないよ。昨日の今日で」
「普通言うんですよ。セックスする時は」
「そんなことはないと思うがdots
 やはりこの子も恋愛体質の女性か。でも、ゆう子ほど長台詞じゃないからいいか、と友哉は思い、またゆう子を思い出してしまった。

 ゆう子はAZで部屋に入った自分の位置を確認しているはずだ。
 嫉妬しているのだろうか。何も思ってないのだろうか。
「あの、変な頼みがあるんです」
 利恵が、惚けた顔で言った。
「あそこのお金をわたしの体の上に並べて、罵倒してくれませんか。わたしのスマホで写メも撮って」
 妙なことを言い出した。全裸のままベッドに横たわっていて、どこか淫猥な気配も漂わせた。

「いいけど、なんて言うの?」
「金が目当てのメス豚とか」
 なるほど、やはり本当はお金が欲しいんだ、と友哉は改めて確信した。それを察してもらいたくて、そんなことを言ってほしいのだろう。
lineなんてストレート勝負なんだ。逆に疲れない。
 友哉は含み笑いを見せながら了解して、鞄をひっくり返して、一億円をベッドの上にばらまいた。
 利恵の体に帯封がほどこされているお札が並べられていく。乳房の曲線で傾いたお札は、ほんの少し動いた。

「おっぱいが小さいから、乗っかってる」
 利恵は笑って、そのお札をそっと掴んだ。彼女の乳房も言うほど小さくない。恐らく細い体で数字的には小さいのだろう。
「おっぱいに挟めないなら、あそこで挟めよ、金が目当てのメス豚」
 友哉がそう言うと、「ごめんなさい」と、利恵は本当にすまなさそうに言うと、局部にもお札を置いた。ゆう子とは違い、黒い陰毛がある。
売春行為をしているような様子が撮影されたのを見て、彼女はその写真をスマホに保存した。そしてお札を丁寧に鞄にしまった。

「裸だから、ポケットに入れて逃げることができない」
 そう言って、微笑んだ。瞳は輝いていて、逃げる気がないのが知れた。

 午後六時。利恵が深い眠りに就いたのを確認し、ゆう子にきちんと通信してみる。リングを見ながら、話しかければいいのだった。通信を受けたゆう子は、
「今はだめです。もうすぐ帰るから、あとで部屋にきて。なんでもするから」
と言っただけで、通信を切った。

 なんでもするとかじゃなくてさdots
 ちょっと顔を見たいだけなんだよ。
 嫉妬して怒っているなら、謝ろうと思っていた。付き合っているわけじゃないから浮気とは思わないが、昨日まで一緒にいたゆう子が嫌がってるなら謝るべきだとdots。秘書の仕事も頑張ってくれている。
line宮脇利恵を抱いたのも無断じゃなかった。ゆう子に相談した。それでも罪悪感があるんだな。

 友哉は自分の小説に、『謝罪の習慣』というテーマをよく挿入していた。人間が殺しあいをやめないのも、恋人同士や夫婦がすぐに別れるのも、その後、仲直りできないのも謝ることがないからだと考え、他の確立されている生活習慣と同じく、『謝罪の習慣』が世の中に蔓延すれば最高の平和を築ける、という話だった。男女が毎日のように媚びた生活をしているのとは違う本当の謝罪だ。例えば律子の暴言「天罰」。それの謝罪がないうちは歩み寄ることはできない。
lineゆう子に断って、宮脇利恵と寝たとはいえ、ゆう子が止められない立場もあるじゃないか。早く謝らなければいけない。

 友哉はベッドから出ると、テーブルの上にあるコーヒーカップを持ち、中が空なのを見て、そのカップを投げようとした。
 苛立っていた。自分が何が目的で動いているのかが分からない。
line俺はいったい何をしたいのか。何を目的に生きているのか。夢はただ、のんびりと休みたいだけか。この子と? 幸せそうに眠っている利恵を見る。
 ゆう子と?
 昔、一緒に夢を見た女たちと?
 まだ見ぬ未来の恋人と?

 一人で?
lineやめよう。彼女がびっくりして起きてしまう。
 気持ちよさそうに、空想世界の楽園を手にしかのような顔で眠っている利恵を見て、友哉はカップをテーブルの上に戻した。
 ゆう子のことで悩んだ十日間のストレスは、利恵のセックスによって改善していて、またゆう子への複雑な想いで顕れてしまう。それでも友哉は、ゆう子の顔が見たいと思っていた。

line三年後にどんなおぞましい事件がこの国で起こるのかそれは知らない。

 ゆう子はAZの画面を見ながら考えていた。
 わたしが映画の打ち上げのパーティーの席で男たちに襲われる。きっと死ぬのだろう。その時に、自分の近くにいた男の人が一緒に倒れる。それが佐々木友哉だとトキから教えられ、その悲惨な光景の記憶を一部、見せてもらっている。昭和初期の傷ついたフィルムのように見にくいが、佐々木友哉が自分を守るために誰かと戦っているのは明白だった。

 AZ上には、佐々木友哉が死んだとは表示されず、それは周囲にいる人たちもすべて同じで、ワルシャワでは「多くの人間が死んだ。日本人は約十人」と表示されたのに、パーティーの事件では、「死んだかも知れない。または倒れた」とのテキストが画面に浮かび上がる。そう、「死んだかも知れない」とテキストで教えているのが、実はゆう子本人だ。三年後のゆう子なのだ。
 AZ上では映像ではなく図形のような画だが、活発な男たちが、友哉を象った図形に何度も襲い掛かり、近くにいた自分を守っているのが分かった。

 ワルシャワの事件でも図形は出ていた。だが記憶が曖昧なせいか象形文字の配列のようになっていて、友哉には指示もできなかった。
 パーティーの事件はもう少し鮮明なのだろう。人型の図形の友哉は、やがて動かなくなり、自分もその傍に倒れている。二人ともずっと動かない。
 その後の時間は表示されなくて、続きの図形もテキストも出てこない。
line続きが出てこないのは、わたしが死んだということ。

 ゆう子はそう考えていた。意図的に、ここまでの記憶映像にしてあるのかもしれないが、その内容からも自分が死んだと考えるのが妥当だった。

 新宿のマンションとは別に持っている郊外のアパート。
 ゆう子はその部屋で、悪い酒でも飲んだような顔つきで、座布団に正座をして座っていた。

 佐々木友哉が死ぬことを回避するために、トキは友哉の肉体を治し、その薬の副作用が辛い友哉に大金と特別な仕事を与えることで彼を納得させ、その仕事の最中にも死なないように、わたしを秘書にした。
 トキがそう明言したのではないが、そんなニュアンスだった。
 テロリストを殺すことなどたいした目的ではなく、ただ、三年後の友哉自身を守るための訓練だと、ゆう子は思っていた。

『彼は私たちの希望だ』
 ではパーティーまでじっとしていればいいのに、なぜテロリストや凶悪犯と戦わせるのか。逆に友哉が殺されたら困るではないか。やはり訓練が必要なのか。
 友哉が死んだら困るとしたら、自分の存在が無くなるからか。しかし、今、トキが生きているなら話の辻褄が合わない。いや、友哉にもう娘がいるからか。
 ゆう子は悩ましい面持ちでずっと考えていたが、いかんせん情報が少なく、答えは出ないままだった。

line佐々木友哉の女は自分じゃなくても良かったのではないか。
 むしろ、ゆう子が気にしているのはそこだった。
 AZの位置情報を見たゆう子は、古色蒼然としたアパートの一室で、友哉の位置を確認した。
 高級ホテルの一室。
「さっきの女の子とセックスの最中か。宮脇なんとか」
 嫉妬に狂っている自分が手に取るように分かった。

 彼が好きで好きでたまらない。体が疼くし、彼が半日もいないと、「早く会いたい」と焦燥する。かつて経験したことがない激しい恋だった。
 2022年5月2日。午後六時。都内ホテルの会場。
 ゆう子はその日時データを再びAZの画面に出した。
 友哉の傍から離れない女が二人いた。
 画像の女は、きっとこいつなんだ、と、ゆう子は画面を見て考えていた。友哉から送られてきた宮脇の画像をAZに自動的に取り込んでいた。

●女性、身長百六十センチ、やせ形、顔の輪郭、肩幅。ダークレベル2。提出されたほとんどのデータと一致。やや髪の毛の量と筋肉量、脂肪量に変化があるが画像の本人に間違いはない。
 AZが答えた。
lineこの答え方はやはりAiのような機能も備わっているんだろうな。
 友哉が席を立つとその女ではなく、もう一人の女が一緒に歩いた。きっと歩行の補助をしているのだろう。宮脇よりも背の低い女だ。

 動画のようには動かないが、分刻みで画面を変えると、友哉と女が一緒に歩いているのが分かる。ワルシャワのテロリストたちの動きはエラーが出てどうにもならなかったが、自分が体験した事件の記憶は鮮明だから、データが豊富だった。
「車椅子はなくなっているとはいえ、足が悪いのにハーレムだ。わたしはこっちにいるのに」
 来賓席とは違うテーブルの一角に、自分が座っていて、友哉のテーブル席には、空席もあったが、近くの席の女は二人。そのうちの一人が宮脇という銀行員。

 あとの一人は娘さんだったら慰みになるんだけどdots
「ん? 歌って踊らないアイドルの子?」
 画面の右隅に、そう一文が浮かんだ。ゆう子の記憶だ。
lineああ、バラードだけで勝負してるアイドルグループがいたな。なんだ、共演者の一人か。脇役だから一緒のシーンがなくてよく知らないんだ。良かった、共演者の女の子で。たまたま席が同じで友哉さんを手助けしてるんだ。

 ゆう子は、ほんの刹那、毒気を抜かれたが、しかし、またトキとの密約を思い出すと、顔に険が出てきていた。
 三年間、友哉と一緒にいる女は違う女でもよかったのだ。ゆう子は唇を噛んだ。そして、古い形のキッチンに行き、水道水を飲んだ。
「宮脇ってあの女が恋人になる彼女だったのか」
 そう吐き捨てるように言う。口角から水が滴り落ち、シャツを濡らした。

 トキが言っていた。「三年間の間に彼が会う、次の女にケアを頼むこともできる」と。
 何かそれが悔しかった。
 誰でもいいような言われ方が。
 きっとこれから三年間に現れる女なら誰でもいいんだ。
 そもそも自分は、男性に愛される資格なんかない女だ。だから愛されなくても、そう、セックスだけでいいんだ。
 だけど、せめてdots

 かっこいい男性を好きになる資格はあってもいいじゃないかline
 ゆう子は、畳の部屋の一角にある仏壇に目を向けた。
「お父さん、天国でお母さんと仲良くしてるの?」
 古い時代を懐かしむように言うが、目は笑っていない。
 なんで、お父さんを助けなかったんだろうか。あの未来の奴は。
 またトキを思い出す。

 お父さんが死んでからノコノコ現れて、友哉さんが大事なら、その恋人に指名したわたしのお父さんも救えよ、くそ。
 AZの『原因』を触ってみる。
 なんでも答えが出てくるようだが、特にプライバシーの事は表示されない。
 トキとリアルタイムに通信している装置だったら、今の感情もばれていて嫌だと思ったが、膨大なテキストのデータが入っているだけだ。
「出た」

●君の父親が亡くなった時、我々は君の時代と友哉様の身辺調査をしていた。
「そうか。本当に友哉さんはトキさんのご先祖様なんだな」
 そちらの方に関心がいってしまう答えだった。
 ゆう子は新宿のマンションに帰る準備を始めた。友哉をAZで見ると、女はベッドの中で動かず眠っているようだ。セックスは終わったのだろう。見ると言っても、プライバシーは覗けない。図形と友哉の心拍数などが表示されるのだ。

line宮脇という女の匂いを消したい。自分のセックスで。だから、どんどん他の女と寝ればいいんだ。友哉さんを刺し殺すようなセックスができて楽しいじゃないか。
 まるで迷走する竜巻のように矛盾したゆう子の恋愛観。
 無性に友哉と寝たくなったゆう子は、慌ただしく郊外にあるアパートから駆け出した。

第五話『帰ってきた夢』に続く