第二話 謎の

 空港に到着後、ワルシャワのホテルにチェックインする。もう夕方だった。
 部屋に入ると友哉はすぐに、「先に転送の練習をさせてくれないか」と、シャワーを浴びに行こうとしたゆう子を制した。女性のシャワーが長いと思うのだ。
 テロが起こるのは明日。時間が足りないような気がして、重要なことを早く勉強したかった。それにもっとも重要なのが、テロリストと戦った後に逃走するための転送と思って、気持ちが焦っていた。

「練習の必要はあんまりない」
 不機嫌な態度で言うゆう子。機内では、「練習しよう」と笑っていたのに、と友哉はため息を吐いた。
「女の気まぐれは二十世紀から許されるようになって、俺もかわいいと思うだけだが、君のバスタイムは何分くらいだ」
「一時間以上」
「ほらね」
「わかりました。さらに言うと、あなたが冷たければ二時間以上」

 ゆう子はAZを取り出し、手慣れた様子で入力作業を始めた。急に立ち上がると、AZを持ったままバスルームに行き、すぐにリビングルームに戻ってきた。
「近すぎるからじかに見てきた。じゃあ、やります。わたしが転送のボタンに触れると、バスルームに飛びます」
「あ、はいdots
 ゆう子の生真面目な表情を初めて見て、子供みたいな返事をしていた。
「ちょっと待て」
「なんですか」

「着ている服も一緒か」
「当たり前じゃないですか。持っている物も一緒です」
「普通に怖いって」
「トキさんと練習してある。絶対に平気です」
 そう言い終わらないうちに、勝手に転送されていた。友哉の眼前に突然、バスルームが現れた。着地に失敗して床に腰を強打したが、なぜか痛くなかった。
「自分で歩いて戻ってきて。早くシャワー浴びたいの」

 大きな声で言う。声が怒っていた。
「どうぞ。シャワーでもトイレでもどうぞ」
 リビングに戻ってきた友哉は、自分の体に傷や痣が出来ていないか確認しようとソファに座って、シャツを脱いだ。
「やだな。いきなり裸にならないでください」
 上半身の肌を露出させたら、ゆう子が目を逸らしながら言い、バスルームに駆け込んだ。
 ゆう子が開けたままにした旅行鞄の中には、色とりどりの下着やカジュアルな洋服が入っていた。

 開けて見せているのは下着がすべて新品だから恥ずかしくないということか、と首を傾げる。女性との旅行の経験は記憶の中で錆びついていて、他の女性がどうしていたかよく思い出せない。
lineしかし、貧乏だったあいつとはあきらかに違う下着と服。あのタブレットの俺の女の好み、間違っている。もっと庶民派の女性が好きなんだが、人気女優ではそれは無理か。
「もう少し、安っぽいパンツの方がリラックスできるんだけどなあ」

 思わず口に出してしまう。すると、
「聞こえてます。今度はその辺のスーパーで買ってきます」
と、ゆう子の声が頭の中に響き、友哉が仰天した。部屋はジュニアスイートの広さで、ゆう子はバスルームにいる。
「わたしのことを想って喋ると聞こえてしまうから、注意した方がいいですよ」
 指輪と指輪を使った通信機能だった。友哉が、自分の左手の人差し指にはめてあるリングをまじまじと見つめた。

「その前も少し聞こえた。庶民派がいい? ポルシェに乗ってるくせに。それとも草食男子?」
「安いパンツなら、破ろうが汚そうがなんでもできるって言ってる男に草食男子とはよく言ったものだ」
「冗談ですよ。AV女優をセフレにしていた男の人が草食なわけないもんね」
「セフレじゃなくて、ちゃんと付き合おうと思った。だけどすぐにいなくなったんだ」
「そうなんだ。なんとなくそんな気はしていたけど。dots看病とかしていたからね」
「看病?」

「セックスが終わった後に、しばらく寝ないで見ている」
「そんなの当たり前。酔ってセックスしたら、急に水を飲むために起きる女の子もいる」
「当たり前じゃない。まあ、いいか。真面目に言うと、前の彼女たちのプライバシーに関わるから、友哉さんの好みは誤魔化してあるんだと思います」
「なるほどね。トキは君の過去のことは教えてくれなかった」
 そう言うと、ゆう子は無言になってしまう。『過去』には触れず、

「三年一緒にいたら、自然と下着やらの好みは分かるから、わたしもそんなに気にしてない。今日は無難な色の下着にした」
と教える。
「かわいい色だよ。君はスーパーには行けないと思うし、それなりのブランドでいい。ありがとう」
「ん? 巨大地震が来る?」
 褒めると茶化すのか。照れ屋なのか。友哉は少し微笑した後、気持ちを整え、
「三年、三年って言ってるけど、つまり三年の期限付き愛人秘書ってことか」
と指輪とバスルーム、どちらともなく問いかける。

「愛人秘書ならセックスするって意味になります。やっぱりしたいのね」
 また、ゆう子の声が頭の中に入ってきた。聞こえるはずもない小さな声が電話のやりとりのように鮮明に聞こえる。
「言葉のあやだ。俺は独身だから、愛人って表現もおかしいか」
「呼吸が合ってきた。よく聞こえる。詳しいことは言えないし、わたしにもはっきりとは分からないんですが、三年後にわたしたちが事件に巻き込まれて、その時に友哉さんが傍にいないと困るんですよ」

「事件?」
「はい。事件が起こるの。まだ詳しくは言えませんが」
「なんで?」
「友哉さん、ショックで泣いちゃうかも知れないから、もう少し仲良くなってからにします」
 友哉はしばらく首を傾げたまま、体の動きを止めてしまっていた。徐に、顔を上げながら、

「仲良くなれなかったら?」
と訊いてみる。
「仲良くなれるそうです。三年後の事件の日に一緒にいるから」
「隠し事が多すぎて、君に何か目的があるようにしか見えない。あのトキって男と共犯で」
「もうなんでもいいですよ。打算的でも男性から愛されます。たぶんdots
「たぶん?」
 シャワーで体を流している音も聞こえた。

「世の中の男の人たちは皆、女に騙されてるじゃないですか。ちょっとかわいいとコロって」
「俺も君に騙されるって意味?」
「でも、わたしの場合はいろんなことがばれて、わたしがあなたに嫌われると思う。女らしいことができないからさ。しかも、女は優秀な男性には嫌われて当たり前の生き物ですよ」

「面白いことを口にするもんだ。俺が優秀かどうかはともかく、仮に天才が優秀だとしてゲイになる。女嫌いの女はたしかに女っぽい仕草はあまり作らないから、君に当てはまるかもしれないな。機内ではわたしのことを好きになるって自信満々だったのにどうした?」
「気分の問題よ」
「やっぱりdots。ところで、周囲の音も聞こえる。シャワーの」
「エロい? シャワーの音で声が聞こえないですか」
「いや、声は鮮明に聞こえる。不思議だな」

「エロい?」
「え? 音だけには興奮しないよ」
「そうなんだ。がっかりだな。何もかもがっかりだ」
 なにを嘆いているんだろうか。友哉は首を傾げた。
dotsそれで、三年後のその事件のためにも、友哉さんについているように言われた。秘書でもいいから観念してよ」
 急に話を元に戻している。
「わたしも、ぱっと見が好きなだけでここまでしつこくない」

「その事件のために三年も一緒にいるのか」
「その事件のためだけじゃなくてdots。それより、部屋で何してるんですか。なんでこないんですか」
「え?」
「せっかく、奥原ゆう子が近くで全裸でいるのに、興味ないの? 普通、覗くんじゃないかな。あんまり男性のことは分からないけどdots
「普通は覗かないよ」

「成田から一滴もお酒も口にしないでしょ。付き合いが悪い。つまんない」
「遊びにきたんじゃないからだよ。それに飲んでも、彼女じゃない女のバスルームは覗かない。そんな非常識な奴、滅多にいないよ」
「ずっと誠実そうなふりしてるよね。こっちは告白してるから、見たり触ったりしていいんだよ」
 だんだんと敬語がなくなっている。苛立っているようだ。
 部屋はジュニアスイートほどの広さで、近くと言っても数歩で行けるわけではなかった。

line乱交目的のパーティーじゃあるまいし、覗きに行くわけないだろ。
 友哉もイラッとしてきた。
「もう万策尽きた。せっかくファーストクラスだったのに、手も握ってないし、パンツも見たくないってアホか。適当に喋った記者会見の通りになっちゃってる。ファーストクラスの金返せ
「君には自尊心はないのか」
 語気を強めて言う。
「自尊心?」

 言葉はそこで途切れて、やがて彼女が雑にバスルームから出てくる音がした。いったんドレッシングルームに入ったが、わずか数秒で出てくる。バスタオルを付けていた。ヘアバンドを持っていて、髪を結わきながら、
「わたしは、男の人にこんなことは言いたくない。だけど、生まれて初めて言う」
と言って、足を止めた。もちろん指輪の通信ではなく、じかの声だ。
「あなたは女に恥をかかせている」

 ゆう子が一メートルほど前に立ちすくんだまま、そう言う。友哉は、ゆう子からゆっくりと目を逸らした。
line確かにそうだ。彼女はずっと「好きだからいい」と言っているのだから。トキのことがあるとはいえ、自分でも不思議なほど慎重になっている。好きになってはいけない。そう、無意識に考えているみたいだ。
 友哉は、トキのある説明を思い出した。それは「避妊させるように」という例の『光』の

避妊の説明で、友哉はその話をトキが消えた後、スマートフォンで受け取った。いま思えば、彼の声はリングから脳内に直接入っていたのかもしれなかった。
「友哉様は私がさっき交渉した秘書になる女性と同じホテルなどに泊まることがあると思うので、そのリングを使った避妊のやり方をお教えします」
 脳内にある女性ホルモンを分泌させる下垂体を停止させるよう緑色の光がレセプターを探すというものだった。友哉がスマートフォンの画面を見ると、脳内の画像が出てきた。

「ここです。彼女の頭を見つめながら、これを探せばいいだけです」
と言う。赤い印がついている箇所があった。
「君にもらう報酬で部屋を別にすれば?」
「それはだめです。一緒にいないと戦えません」
「美人なんだよな。そんなおいしい話があるのか」
「おいしい? どういう意味の言葉遣いか分かりませんが、彼女を見ていると苦労するはずです」
「苦労?」

 友哉が訊き返したが、トキは何も答えず、通話は終わった。
「奥原さん、ちょっと待て」
 友哉が頭を掻きむしる様子を見せると、ゆう子もその勢いを止めた。
「トキって奴に二人とも騙されているとか」
 また言ってしまう。他の女性だったら、すぐにベッドに運んでいるはずだと、友哉は自分自身を疑った。
「違うんだって。もう、どうでもいいよ。優しいも楽しいデートもいらないから抱いてよ。たんなる女嫌いでしょ。だからセックスだけでもいいから。つまり、ベッドで一緒に寝たいの」

 バスタオルをつけたまま友哉に近寄ってきた。
「明日が不安じゃないの? 仕事のストレスを癒すために、わたしはあなたの傍にいるの。あなたの傷を癒すために派遣されたの。機内でずっと顔色が悪かったし、水分ばっかり摂ってたよね。足が治ったようだけど、あなたの車椅子の時の苦しそうな顔と変わってないのよ」
「そんなに俺の事故の後遺症とかを心配して、君もトキにお金をもらっているの?」
「もらってない

 ゆう子が初めて大きな声を出した。ごく当たり前の疑問を投じたのだが、暴言だったとも言える。
lineなんなんだ、この温度差は。俺はこんな美女を拒絶する男じゃないのに。
「仕事、仕事って言うからだよ。まあ、そこにいったん座れ」
 ソファに目をやるが、ゆう子は立ったまま動かない。
「わたしの仕事は、あなたが大好きっていう仕事なんですよ。腹黒い目的でもなんでもいいから、三年間、我慢してください。ずっと一緒にいてくださいよ」

「なるほど、君と結婚しなかったら未来が変わるっていう定番の物語か」
「違うよ。結婚願望はないの。だからずっと死ぬまで傍にいさせて」
「死ぬまで?」
「うん。すぐ死ぬから、そんなに迷惑じゃないから、わたしが死んだ後、別の女と付き合ってよ」
「重い病気でもしてるの?」
「違う。今度、説明するから、死ぬまで一緒にいて」
 友哉が首を傾げるでもなく、顔を俯かせるでもない角度からゆう子を凝視していると、

「わたしを信じてよ」
と彼女は語気を強めて言った。
「信じる?」
 死ぬまで一緒にいる? わたしを信じて?
「それ、わたしを愛してほしいと何が違うか教えろ」
 怒気を見せると、ゆう子はびっくりして、「何か悪いことを言った?」と、すべての勢いを失い肩をすぼめた。

「教えろ。話が一方的すぎる。ちゃんと説明しないと今すぐ勝手に日本に帰る」
「えdotsど、どうしよう。えーとdots
 おでこに手をあてて、顔を曇らせたゆう子を見ながら、友哉は冷蔵庫に向かって歩いていき、ミネラル水を一本取り出した。床に座り込んだ彼女を見て、「ソファに座れよ」と、また言うと、ゆう子はゆっくりとソファに腰を下ろした。
「いじめてすまなかった。明日の打ち合わせがないなら寝なさい」

「明日はここから少し離れたレストランで、友哉さんがテロリストをやっつければいいだけです」
「そうか。簡単に言ってるけど、簡単じゃないと思うよ」
 ミネラル水を持って椅子に戻る。ゆう子は力なく座っていて膝頭がだらしない。迂闊に見せてはいけない股間の様子が丸見えになっていた。バスタオルの下は裸ではなくて、また下着をつけていたから油断しているともいえる。
line露出壁がありそうで、足元が常にだらしないな。

 友哉は落ち着かない様子の苦笑いをした。機内でも、スカートを捲り、太ももを擦ったりしていたものだ。友哉は水を持ってきたが、テーブルの上に置いてあったビールを口に運んだ。ゆう子の淫らな足の動きに興奮してしまっていた。何しろ映画とテレビでしか見たことがない人気女優の下着が見えたり隠れたりしている。尋常じゃない状況だった。
「君も飲めば?」
「ホテルの部屋代もルームサービスもわたしのお金」

「後で返すよ」
 ワルシャワの町は静かなものだった。芸術的に美しく、観光客はその街並みに酔い痴れた表情で歩いている。明日、どこかでテロが発生するようには思えない。
「信じてって言ったら、なんで怒られるのかわかんない」
 また声を上げるが、怒気ではなくべそをかいていた。
 大げさな貧乏ゆすりをするように足をバタバタさせる。まるで子供だ。彼女のその様子は、我儘なお姫様のようで、かわいらしい顔立ちのせいかなぜか不快に感じない。それとも彼女の言うように、俺がこの歳になって女の子の仕草に騙されているのだろうか、と友哉は思った。

 しかし、奥原ゆう子は噂に違わぬ美人で、かわいい女の子は得をしているなと、友哉は改めて分かった。
「男と女がセックスで始まるとセックスで終わるぞ」
 友哉の生真面目な言葉に、ゆう子は首を傾げた。
「そんなきれいごとを言うのね」
「悪い奴はきれいごとを言うのさ。レベルなんだろ」
「うん。わたしだってだしね」

「じゃあ、の人間はいるのか」
dots
 ゆう子は、バスタオルを自分から取ると椅子から離れ、ゆっくりと友哉に近寄っていった。上下の下着を付けているが、下着姿の人気女優を見て友哉は我が目を疑っていた。ゆう子は彼の足元にいったん正座をして、腰を浮かしてジーンズのベルトを取り始める。
 まさかdotsと思う。
 彼女が仕事にしている演劇の中の芝居なのではないか。

「ごめんさない。下品なことを言うけど、やりたいの。久しぶりなの」
 瞬きをせずに言うその目が正気を失っているようにも見えるが、道徳的な姿をテレビで見ているせいか怖さはない。
line正直な女だ。
 友哉はようやく、いったん降参をすることにした。

 人気女優を簡単に抱けるシチュエーションが罠ではないかと疑ってやまないし、破滅願望を顕にして積極的にもなれなかったが、ゆう子が自分の体のどこかに触れると、その迷い、疑いがすっと消える感覚がした。ジーンズを脱がせようとしている彼女の手の指が、太ももや膝に当たると、抱きたくなってきた。
「やりたい女は自分からブラを外して、パンツも脱ぐぞ」
「おっぱいに自信がないから外さない」
「え? 見事なおっぱいだと思うよ」

「友哉さんの好みはもう少し、小さめです」
 それもトキからもらった記憶にあるのか。律子も、前の彼女も確かに奥原ゆう子よりも、小さい乳房だった。
 友哉は前の女たちを思い出させる彼女の言葉に一瞬冷めたが、ゆう子の手がペニスに触れると、意思に反してペニスは硬くなった。

 彼女は、少しずつ、友哉の下半身に顔を寄せていて、すでに口を小さく開けている。まさか涎が出そうになったのだろうか、一度、唾液を飲み込んでいた。
 飛行機内で妄想したとおり、口元に色香を纏った淫猥な女だった。フェラチオをずっとさせているだけで、数億円の価値があると友哉は思い、ただ、ただ、見惚れていた。
line女はセックスの価値をお金に例えると嫌な顔をするが、軽々しく愛していると言うよりも簡単じゃないぞ。本当にお金を作って渡すのは。

 友哉はゆう子の唇を見ながら、そんなことを考えていた。
 瞳はこの世の幸せを独り占めしたかのような汚れない直線的な輝きを見せているのに、口元は遊び心があるかのような稚気があった。
 そのアンバランスな顔で、友哉のペニスを口に含み、その瞬間に生真面目だった目つきも急に嗤わせた。
lineこの女は言う通り、本当にセックスがしたいだけなんじゃないのか。

 男性からの愛撫を受ける前に、こんなに恍惚とした表情を見せる女は初めて見た。口の中にヴァギナと同じほどの性感帯が彼女にはあるのだろうか。
lineトキという自称未来人は無関係で、ただの淫乱。そんな気がする。早くに決めるのはどうかと思うが、瞳が綺麗で猥褻な言葉もプライドがなくて直截的。純真なのかもしれない。または、男根崇拝dots
「太いdots。ずっと欲しい。死ぬまで」

 一瞬、口を離した時にそう言ったように聞こえた。すぐにまたくわえこんだから、友哉にはよく聞こえなかった。
「トキからもらった力の中に、それが黒人のように太く変化することはないよ。精力は無限に近いがね」
 ゆう子は友哉のその言葉には反応せず、虚ろな目を見せながら舌を動かしていた。

 友哉は、不自由になった足を治してもらったが、その治療に使った未来の世界の薬は足のケガを治すための薬ではなく、男性の体全体を強化する薬だと、トキが簡単に説明した。
 もともとは男性の精力を強化するために、古代にいた爬虫類や動物、腐敗物を食する鳥類のを元にそれを栄養剤にした。南米などにある植物の生薬も使い、しかし出来上がったその薬は筋力も強化させ、病気も治してしまう万能の薬になった。

 男たちが虚弱だったため、体質を強化する動植物のからの栄養素も使ったためだった。ところが、副作用が深刻だったため禁止されたらしい。
lineまだ副作用は出ていないが、この感覚だったら、奥原ゆう子をまさに三年間、存分に楽しむことができるのか。彼女の片想いが本気ならdots
 熱心にフェラチオを続けるゆう子を見ながらそう考える。だがdots

 女は、抱けば抱くほど離れていく。
line愛した女は必ずいなくなる。
 好みであればあるほど、束縛したくなる。それが女性軽視と言われる。
 トキから、「あなたの理想の女を秘書として与える」と言われた時に、理想じゃない方がいいのに、と考えていた。
「あ、俺、シャワー浴びてないよ」
 考え事をしながら、ゆう子のフェラチオに見惚れていた友哉は、はっとして思わず言った。

 ゆう子も長いフェラチオに疲れたのか、ようやくペニスから口を離し、
「シャワーに行ってる間に気が変わりそうだから、もういい。男性の匂い、嫌いじゃないし。そう、こんなふうに毎日でもするから高級なんとか倶楽部は解約してくださいね」
と、これまでのように喋り出した。怒気もなくなっていて友哉はほっとした。
「言われなくても、もう金がない」

 友哉のその言葉には反応しないゆう子。またフェラチオを始める。口の中に出させるつもりか、と思うが、また口を離し、何か卑猥なセリフを呟いた。「硬い」と言ったように聞こえた。ペニスから口を離した時に手を使わずに、握っているだけ。射精をさせたいのかさせたくないのか分からない生殺しのような愛撫だと友哉は思った。
「そろそろかなって思ったら止めるよね」
「え? そうですか。出していいですよ。好きなところに」

「どうやって?」
「下手だと思うから、あなたがわたしの頭を押さえて動かしてもいい」
「君なら顔だけでもいけるけど、なのに、いきそうになったらやめるから」
「それは顔だけでいけないってことですよね。やっぱり、女優や女子大生モデルの女は上手いの?」
 ペニスを持ったまま上目遣いで言う。少しメイクを落としているが、それでも美しい女だ。友哉は、目の前の美女に簡単に口説き落とされている気分だった。

「上手いからやってるんじゃないかな」
「早く解約してくださいね。気になるから」
「プロの女に対抗してどうするんだ」
「松本涼子の写真集を捨てて、わたしの写真集を買って。昔に一冊だけ出してある」
 そんなことまで知ってるのか。友哉は呆然としていたが、ゆう子の妖艶でいて、どこか少女のような邪気のない声色は、俗っぽい話も浄化してしまうようで、興奮と感動はいっこうに収まらない。

「でも若い頃の写真集は恥ずかしい。とにかく松本涼子はだめ。若い、おっぱい小さい、超かわいい。なのに水着は際どい。絶対に捨ててね」
「会ったことあるの?」
「んー、あるかな。新しいアイドルの子、いっぱいいるからよく分からないね。興味あるんだね。芸能人に興味ないとか言って。なんかむかついてきた」
 怒ると愛撫を止めるのかと思ったら、増して熱心になった。嫉妬でセックスが乱れるタイプだと分かる。

「最初は口の中に出して。まだもしてないし、まるでセックスだけの関係みたいで興奮する」
 ペニスから口を離して言う。ようやく唾液がついた手も動かした。
 友哉は彼女が上目遣いになった時に、その瞳が美しくてそしてその美しさ故に行為がひどく淫らに見え、興奮して人気女優の口の中に、白い体液を出した。
 だが、友哉はその直後に、気分が悪くなってきた。

 超人のような筋力はあるが、無限のスタミナはないのか激しく動悸をしていて息苦しくなっていた。だが、ペニスはなんら縮まることはなく、勃起を続けている。
 まるで精神と肉体がひどくアンバランスな感覚だ。
lineなんなんだ。俺がパニック障害か。
 ゆう子は勃起を続けているペニスを見て、嬉しそうに笑みを零し、目を輝かせた。

 そしてティッシュに出した精子をすぐ横のテーブルの上に大事そうに置き、また彼のものを口に含んだ。そしてその精子のついたティッシュをちらっと見た。しかもティッシュをたたんでなくてどろっとした白濁のその体液はまだ女体に使えるような生々しさを見せている。精子の入ったコンドームを傍に置いておくような行為だ。
 友哉は彼女には気づかれないように首を傾げた。

lineまた横目で見た。男が出した精液の何が気になるのだろうか。
 いろんな女と付き合ってきたが、あまり見たことがない性癖だった。友哉は一瞬、注意をしようと思ったが、ゆう子の愛撫に気を取られて、その言葉を飲み込んだ。その愛撫が少ししつこいとも思えた。勃起力のない男や自分の彼女に厭きている男は苦痛と思うような荒っぽさだった。

「淫乱でしょ。奥原ゆう子が舐めてますよ。すごいでしょ」
 彼女の言うとおりだった。テレビでしか見られないトップ女優が、自分のペニスをくわえて離さないなんて、そんな贅沢はない。いや奇跡だと思った。
 彼女の望み通り、セックスをする秘書として付き合っていいのではないか。騙されたとしても気にならないくらい、今、夢を見さてもらった。

 しかし、なぜこの女はセックスを急ぐのだろうか。27歳にもなれば、男と一緒にホテルに入ればセックスは必然かも知れないが、それを断り、帰国してから慎重にやる方が彼女にもリスクは少ないはず。トキがそんな命令をするとは思えない。あの男は謎があるが、あの会話から察するにモラリストだ。まさか、本当に真正の淫乱なのか。久しぶりにセックスがしたいと言っていたから、何回かすれば落ち着くのだろうか。
 友哉はぼんやりとそう考えていたが、先程からの疲れがひどくなってきて、ゆう子にそう告げた。

 しかし、ゆう子は「なんで?」という表情を見せただけで、行為をやめない。
 友哉が椅子の奥にお尻を沈ませるように座り直すと、ゆう子はまっさらの白い下着を脱ぎ、足首にその下着を付けたまま友哉の腰に跨ろうとしたが、その積極的なセックスも彼は真剣に止めた。友哉は、彼女の下半身からは目を逸らしたが、の処理がされている桃色に充血した女性器が一瞬だけ見えた。

lineこれ以上、興奮すると倒れる。
 友哉は深呼吸をした。
「疲れた。本当に急に眠い」
「どうして クマやライオンと闘っても平気な体力と腕力があるんでしょ」
「いや、体力はなさそうだ。腕力だけdots。飛行機の中であまり眠れてない」
「どういうこと? 今、あなたの好みの脱ぎ方をしたのにdots

 がっかりした様子を露わにする。トキは「看護婦に向いている女」と言っていたが、まるで、リハビリが進まない患者に無言で圧力をかける古参の看護婦だった。白衣の天使には見えない。
line言葉が優しくてセックスが激しいタイプか。たまに見かけるが、まさに究極。嫌いじゃないはずだが、なんだろう。この胸の不快感は。

 友哉が、青白い顔でそんなことを考えていると、ゆう子はバスタオルを体に巻きながら、AZをテーブルの上に出してきた。薄型の茶褐色のタブレットは残像から実体化するようなそんな現れ方をした。
「俺の好みの脱ぎ方って
「パンツを足首に付けたままセックスするの」
「ああ、好きだ。そんなことを知ってるとはdots

 友哉は近くにあったタオルを腰の上に置いた。ゆう子はその様子を見ながら、
「なるべく見ないようにしたいけど、暇潰しに見てしまう」
と苦笑いをしながら言う。
「どっちの話?」
「え? これよ。このタブレット。どっちってなに? なんで隠すの?」
 きょとんとした顔つきで、また友哉の腰を見た。

「だからどっちなんだ。そのAZってやつを出しておいて、こっちをずっと見てるよね。終わったら隠すのは当たり前だ」
「変なの。男性のをじっと観察する女なんかいないよ。もう少し見たいから、女の子みたいに隠してほしくないな」
dots

 首を傾げている友哉をよそに、ゆう子はAZの『原因』ボタンに触れる。ふざけて喋っている様子はなく、記者会見を「ふざけている」とマスコミに批判された理由がこのちぐはぐな言動に起因していると分かった。

●ガーナラで強化された彼の筋力は、彼が戦いを意識しないと発揮されない。だが、荷物を持ったり階段を上ったりした時に無意識にその筋力を使ってしまい、疲れが徐々に出てしまう。クスリというものは、効果を感じなくてもその副作用は出る。また戦っている最中には疲れはあまり感じないから、あとで反動に注意する事。
 と書かれてあった。

 ゆう子の疑問が、ゆう子の操作でのみ表示される。AZと彼女の指輪と脳が繋がっている。
「セックスは戦いとは違うのかな」
 ゆう子がそう呟くと、画面上に次の文字が浮かんできた。ほんの数ミリ、文字が画面上に浮いているのだ。

●セックスは友哉様が本気にならなければ戦いとは言い難い。そもそも、セックスは愛、もしくは快楽のための行為。ゆう子さんの時代の男性たちは、愛にも快楽にも迷いがあると思われる。
「なんだ、こりゃ。データに説教された」
 ゆう子がAZを投げ捨てた。AZは、ソファとベッドの間の空中で消えた。

「本気出せよ。ゆう子ちゃんに対して本気出せよ」
 タメ口で怒りまくる。シャワーを覗かないとか、アイドルの写真集を捨てろとか、もはや女のヒステリーだと友哉は失笑していた。もちろん、病的ではなく、「我儘」の範疇だ。
「かわいいな。君はその喋り方が似合ってるような気がする」

 心底、そう思い、
「一緒に寝ようか。だけど、逆レイプはまた今度にしてくれないか」
 そう微笑んでベッドに入るように促した。ゆう子は急に喜色満面になった。
「言葉遣いが悪いって、皆に注意されてるよ」
「男の子言葉か。まあ、無駄な色気が削がれるからいいんじゃないか」
「やった」

 本当に嬉しそうに眼をキラキラさせた。そしてベッドの中に入って、甘えるように友哉の胸に顔を埋めた。
「幸せ。明日もあなたが生きてますように」
 女の子らしいロマンチックな言葉を作るが、急に眉間に皺を寄せ、「ちょっと気持ち悪い」と自分の胸を擦った。

「パニック障害の発作か」
 ゆう子の背中に手を回した友哉は、バスタオルだけの彼女の背中を優しく擦った。すると、彼女は落ち着いたのか目を閉じて、眠ってしまった。
lineすとんと寝た。効いたようだ。かわいそうに、疲れていたんだな。
 友哉は、自分の指輪に気持ちをこめて、「この子の疲れが取れるように」と念じた。左手の人差し指にはめているブルガリのユニセックスのリングが緑色に光ると、ゆう子の顔色が良くなったように見えた。子供のような微笑みを浮かべながら眠った。

 友哉も疲れてしまった。今、ゆう子に自分の体の中にあるエネルギーを与えたのだろうか、一瞬、眩暈がした。眠気を払うように頭を振り、また彼女の背中を擦る。
 こんな美女にフェラチオをしてもらった、せめてこれくらいはしないと…。限りなく無意識に近い感情だったが、友哉はうとうとしながらずっとゆう子の背中に手をあてていた。
line俺のことはどうでもいい。明日、死んでもdots
 最後にそう呟くように思うと、空虚な気持ちになり、その方が何も不快感はないと分かった。

 ワルシャワの街にあるレストランに、友哉は一人で入店した。ゆう子はホテルに待機して、そこから指示を出す形になっていた。東京でもそういうやり方だとゆう子は言った。
 窓際の席に座った友哉は、自分が店員とポーランド語が話せることに気づいた。空港やホテルでは、ゆう子が仕切っていて、彼女が少しポーランド語を喋れるのだと思っていた。

 指輪の中に自動通訳の力が備わっているのだろうか。ポーランド人だけではなく、居合わせたドイツ人と喋ろうとするとリングが勝手に緑色に光っていた。
 今の時代のカードゲームの薄い紙きれの中にも情報が満載なのだから、年後の未来なら、厚いシルバーのファッションリングの中に様々な技術を埋め込むことくらい簡単かも知れない。
lineずいぶん日本人が多いな。

 三十名ほど座れる店内の半数は日本人。
「すみません。ここにいる日本人は何かの団体ですか」
 一番近くに座っていた初老の男に声をかけた。
「アウシュビッツを見学に行くツアーです。この後、列車に乗ってね」
「あれがdotsそんなに人気なんですか」
「ここからは遠いし、人気でもない。君はこの国の美しい町を見に来たのかな」
 初老の男は眉間に皺を寄せた。

「仕事できました。町は世界遺産で美しい。アウシュビッツはここからなら、日帰りでギリギリって距離ですか」
「このツアーは人気はないよ。わたしが以前に来た時は、二人だけだった。今回はわたしが集めた町内会の仲間たちがほとんどだ。若い人は我々年寄りの息子さんや娘さんだ。外国人も少ない。まあ、見たいとは思わんよ。いっぺんに二千人の命を奪った焼却炉がある場所なんか。

有刺鉄線に囲まれた錆びれた収容所からは死者の泣き声が聞こえてきそうだ。君は靖国神社の遊就館を見たことがあるか」
「あります。隅々まで」
「ならいい。失礼な物言いをしてすまなかった」
 初老の日本人は、友哉に少しだけ頭を下げて、スープを口にした。
line奥原、この人たちがテロで殺されるのか。

 友哉は神妙な面持ちで、左手人差し指のリングを使い、ゆう子に話し掛けた。
「分かりません。ワルシャワの中心部のレストランとしかAZに出ていません。他に、日本人がいるレストランを探しています。そのレストランにはレベルが高い怪しい人間はいません。でもその可能性は高いです」
「時間はどうだ?」
「テロが起こる時間を正確に予測はできません。もし、そのレストランなら友哉さんの指輪dotsリングがじきに反応します」

 友哉は、レストランでいつ起こるか知れないテロに備えるつもりだったが、正直、どう準備していいのか分からなくて、焦りがあった。場所と日にちだけしか分からず、相手も分からず。しかし、それを突きとめて、そのテロリストを駆除するのが、トキから与えられた友哉の仕事だった。三百億円の報酬が本当なら、まさに仕事だ。

 そして、テロリストを殺してもいいらしいが、仮に殺した後、自分も逮捕されるのかも知れない不安があった。
 単純に、あのAZの転送で逃げるのだろうがdots
『テロリストや凶悪犯を殺しても、友哉様は警察に捕まることはありません。証拠が残りません』
 トキはそう言って、やや失笑した。朝、ゆう子にも同じ質問をしたら、「ひょいひょい逃げればいいじゃん」と、彼女は他人事のように笑った。
line周りの人間たちが軽いノリだが、渡りに船のようなことが続いているから、大丈夫かも知れない。

「今日は気分がいい。薬も飲んでない」
 ゆう子が唐突に言う。友哉は初老としたアウシュビッツの話で戦争の歴史を思い出し、気分は悪かった。ゆう子は初老と友哉の話はリングの通信で聞いてなかったようだ。
「パニック障害は大丈夫なの
「わあ、心配してくれるんだ。うん。女優を休んでいいと思ったからかな。すごく楽になった」
 昨夜、友哉がその治療をしたことには気づいていないようだった。

lineよかった。このリング、便利で良いな。
 彼女は息苦しくなる病気なのに、よく喋る。だが、お喋りなのがかわいいから、辛くなったらまた治してあげようと友哉は思い、食事をしている日本人の観光客を見て、少しだけ微笑んだ。
line彼らに何事もなければいいんだが…
 彼らの手の動き、トイレに行く時の歩き方、時間の経過を見ていて、なぜ、正確な日時が不明なのだろうか。未来から見て、それくらい分かるはずなのに、と、ふと思った。

「日本の終戦日も昔にあった大事件も、歴史上、日時が分かっている。テロがあった日時くらい、未来から調べられないのかな」
「エジプト文明に何があったのか、その日時が分かりますか」
dots
「歴史上は分かりませんよね」
「歴史上の話と言うよりも、タイムマシンのようなもので分かりそうなんだが」

「そういうので毎日、過去と未来を行き来する事はできないって、トキさんが言ってたと思う。未来のどこかから俯瞰するように長いスパンを見ていることもできないと思う」
「じゃあ、なんで今日、ポーランドでテロが起こることが、そのタブレットでは分かるんだ」
「これは、わたしの記憶だからです」
dots
 わたしの記憶 どういう意味だろうか。

「後で説明します」
 ゆう子はそう言って、話を止めた。
「リングが反応したよ」
 友哉のリングが赤色に点滅した。けっこう眩しい光だが、周囲の人には見えないようだ。
「赤く光ったら、一時間以内に、友哉さんか友哉さんの近くにいる人に危険が訪れる警告です。ちょっと離れてるけど、わたしかも知れません。助けにきてね。かわいいスリップ

姿で通信中です。パンツは水色。友哉さんは薄い色のパンツが好きなのを知ってるんだ。ね、抱きたなくならない それに友哉さんも素敵。ワルシャワのレストランで佇む日本の小説家。ポーランド人は芸術家を尊重するから、席を譲ってくれますよ。その赤いアウターに黒ジーンズ。ファッションが苦手な男の人の究極の組み合わせ。でも髪の毛がだめ。今度、わたしがメッシュを入れてあげるから、それに合わせて、秋になったらルイヴィトン

の冬物のレザーを買ってくれないかな。ルイヴィトンのロゴが金色のやつ。高いけど仕方ない。メッシュと合わせるの」
lineずっと喋り続けている。
 友哉は半ば呆然としていた。友哉にしてみれば、初めて出会うタイプの女だった。
「佇んでないよ。座っている」
「え なんか日本語、間違えた やだな、作家さんは細かくてdots

 友哉は大きなため息を吐いたが、それが聞こえたようで、
「ため息がうるさい」
とゆう子が言った。
 窓から通りを見ると、古いが一台停まっていた。駐車違反なのか警察官が近寄ってくる。
「近くに警察官が一人、に近寄っていくがどうだ

「歩いている人は警察官ですか。からなんとなく見えます。あ、店の外の防犯カメラに侵入できた。その歩いている人はダークレベルです。車の中の人間は二人dots
 ゆう子が絶句したのが分かった。
「レベル! テロリストだ
 間に合わなかった。警察官は車の中からの凶弾に倒れた。見た目に分かるほどの即死だった。

 車から出た男二人は、散弾銃を乱射しながら、レストランに駆け寄ってきた。腰には45口径も挿してある。宗教の言葉を叫んでいた。友哉にはそれの意味も分かった。「我々の神は偉大だ。世界を創造したのは我々の神だ」と言っていた。
 銃は発砲を続け、歩道にいた人たちが壊れたロボットのように倒れていく。
 友哉は初めての『仕事』で、判断力を完全に失っていた。

『しまった。レストランに妙な奴がいないと分かった時に外に出たらよかった。何もかも遅れた』
 イメージトレーニングはしていた。日本で、チンピラのケンカを止めに入って練習もした。だが、テロは町のケンカとは規模が違った。
 南国の肌色の男が一人、レストランの玄関に近寄ってきて、扉に散弾銃の銃口を向けた。

「友哉さん、できないなら転送するよ」
 ゆう子の声が頭の中に響いた。
 友哉の右手にはワルサーが握られていた。友哉のコレクションのモデルガンをトキが改造したものだ。そして銃弾は発砲されない。
パニック状態で、扉に向かって引き金を引いてみる。安全装置を外す必要もなく、何も考えないで撃ったが、銃口から発射された物質は弾丸ではなく、赤色の光線だった。一直線に進む火の玉にも見えた。

 その光線は扉を突き抜けて、さらにテロリストの男の胸を突き抜けて、そこで消失した。
lineなんて強力な光線だ。これが地核の物質か。熱は手に伝わらない。冷却装置か。
 見た目はモデルガンだが、丸ごとすり替えたように見えるほど、素材も違っていた。
line自分の部屋の壁を撃った時は弱々しいただの光だった。敵によって強弱が変化するのか、または自分の怒りによって変わるのか

「すごい。赤いのが扉を突き抜けた。扉はほとんど壊れてない」
 ゆう子も声を上擦らせている。
 テロリストの男の胸には血が滲んでいる程度。cmほどの小さな穴が空いた。光線の速度が速くて出血しなかったようだが、やがて血が出てきて男は呻き声をあげながら絶命した。
 客は不思議な銃を撃った友哉を見て、悲鳴をあげている。パニックが分かったのか、ゆう子が「ホテルに戻ろう」と叫んだ。

「だめだ。まだ一人、いるんだ」
 友哉はレストランの外に飛び出した。約30M先にもう一人のテロリストの男がいた。男は、狂ったように散弾銃を乱射をしていて、友哉に向けても撃っていた。友哉は、機敏な動きで弾丸を交わしていた。
lineどうしてこんなに軽く動けるんだ。
 まるでチーターのように走れた。
 自分の体ではないみたいだった。

 だが銃弾の一部は体に命中しているように思っていた。それを気にして体の動きを止めた時に、テロリストの男が友哉の眼前に立った。
「なんだ。おまえは 日本人なのに」
 目を剥いている。観光客の一人が突然拳銃で応戦してきたのだから、驚いて当たり前だ。
 友哉が腰砕けになっているのを見た彼は、うっすらと笑みを浮かべた。散弾銃を捨てて、45口径銃口を友哉の胸に向けている。

 昔ながらの決闘を楽しみたいのだろうか。
「街の人たちをdotsアウシュビッツに行く人たちをよくもdots
「それを狙ったのではない。世界遺産の美しい町はある意味、我々の人質だ。ああ、アウシュビッツも世界遺産だったな。日本人には関係なかろう。ヒロシマ ナガサキ アウシュビッツ
 男はそう笑いながら、銃の引き金を引いた。同時に、友哉もの引き金を引く。

 テロリストの銃弾は友哉の胸に命中し、友哉のからの赤い光線は男の肩をかすめただけだった。
line心が乱れた。敵の銃を撃ち落としてくれなかった。
 友哉は愕然とした。広島と長崎を小ばかにされたからか、錯乱した子供のケンカのような撃ち方をしていた。から発射された赤い光線は、どこか迷ったような飛び方をしていた。テロリストの肩をかすめた後、空中でカーブを描き、またテロリストに向かったが、途中で弱々しく消失した。

 早撃ちの勝負に勝った男は肩から血を流しながらも笑ったが、急にその醜悪な表情を一変させた。胸の真ん中を撃たれた友哉が立ち上がったのだ。
「くそう 俺の責任だ。奥原、身体中を撃たれた。昨夜はありがとう。俺はこいつを殺して、アウシュビッツに行ってくる
「え 転送
 ゆう子がそう叫んだ瞬間、友哉はテロリストの男の頭を撃ち抜いていた。

 友哉が消失する直前に撃たれたテロリストの男は絶命し、町の人たちが声にならない声を上げている。
「ここにテロリストと闘っていた日本人がいたのに、ものすごいスピードで走って逃げた」
 駆け付けた警察官に捲し立てているポーランド人の男もいた。
 数分間の異常な出来事に、ワルシャワの町は混乱を極めた。

 ゆう子の判断でホテルの部屋に瞬間移動された友哉は、立ち上がれないほどの疲労感で、転送されたその場で倒れこんだ。
 場所が洗面台の前だったから、「なんだ、ここは。ベッドの上に転送しろよ」と文句を言いながら、床に蹲っていた。
「ごめんなさい。ちょっとしたミス。ねえ、どこを撃たれたの
 ゆう子は泣いていた。化粧がはがれるくらいだった。

「全身だ。あの野郎、ぶっ殺してやる」
 友哉の怒りは収まっていない。不甲斐ない自分への怒りもあった。
「レストランの防犯カメラから見た。奴らは死んだよ」
「仲間を探し出して、皆殺しにしてやる。ふざけやがって。世界遺産を狙ったテロだ。アウシュビッツも広島も長崎も知っていた」
 ゆう子は驚いた。友哉はまさに鬼の形相をしていたのだ。

lineこんなに変わるんだ。昨日まで適当な顔をしていたのに。それにdotsあの遺言のような台詞…。昨夜はありがとうってdotsあんな時にdots
「おい、この疲労感はなんだ。心臓が止まりそうだ。一瞬、気を失った感覚があった」
「回復まで二分ほどです。仮眠は約十二秒。でも戦った分、もっと疲れているかも知れません」
 ゆう子は彼をなだめるように背中を擦った。友哉は自分の体力が戻ってくるのが分かった。

 いったんベッドに移動して、友哉は横になった。ジーンズの膝の部分が破れていて、ゆう子が気に入ってくれた赤いアウターにもアスファルトで擦った傷がいっぱいついていた。
「どこを撃たれたの 血は出てないけど」
「撃たれたが、未来の力が弾いたようだ」
「良かった。本当に良かった」
 ゆう子は泣きながら、友哉の体を擦っていた。友哉はゆう子が触る度に、気力、体力が充実してくるのが分かった。それに下着姿が窓から射し込む陽光に照らされ、まさに眩しかった。

「至近距離から撃たれた」
「怖かったね」
「その時は怖くなかった。頭に血が上っていたんだ。レストランでは怖くてパニックになった。あの時、冷静に対処していれば被害をもっと少なく出来た。トキになんと言って詫びたらいいんだ」
「トキさんに
「俺なら、この銃を使いこなせるってニュアンスだった。だめだった。赤い光線が言うことを聞いてくれなかった」

 どこか泣きそうな顔に変わった。ゆう子は驚いて、
「そうだったんだ。ううん、初めての戦い、頑張ったよ。そのうち、使いこなせるようになるから。それに体は大丈夫ね。この時代の弾くらい弾き返すのね」
と言い、優しく肩を抱いた。
lineトキさんに信頼されたのに、裏切ってしまった気分なんだ。自分に失望してるんだ。
「そうかもしれないが、きっとまた条件付きだ。調べてくれ」

 すでにテーブルの上に置かれてあるAZをゆう子が操作する。
「そうですね。リングが赤く光ったら、プラズマで体の表面を覆うみたい」
「プラズマ プラズマの電磁波
「うん。リングの赤い点滅はレーザーパルスだからそれも兼ねているようです。ただ、今のように疲労が回復しないうちだと、素早くプロテクトしない。または、プロテクトするけど一瞬。プラズマが出たり、無くなったりする。だから、洋服が破れてるのね。それで

も、友哉さんの体の筋肉も硬くなっているから、小銃やナイフくらいは平気のようです。それはプラズマではなくて、普通に筋肉」
「普通に筋肉 筋肉が銃弾を弾き返すはずがない」
 友哉が自分の右手で、左の二の腕を握った。ボクシングをしていたから綺麗な筋肉の筋が浮かんでいたが、人間のそれである。
「攻撃を受けたりして血圧が上がると、筋肉が死後硬直みたいになるそうです。人間の筋肉ではなくて、サイの祖先のって書いてある。気持ち悪い」

「俺はサイなのか」
「違いますよ。男の人は精力をつけるために、マムシとか飲んでマムシになりますか。血中にあるの。いろんなのが」
 ゆう子はため息をついた後、
「どんどん出てくる」
AZの画面を見せた。様々な動植物の名前が画面の表面に浮かんでいる。

「生薬と最先端技術と物理学 二重、三重に俺を守っているのか」
「どれも、友哉さんが疲れてくると、発生が遅れたり、効果が弱くなるそうです。健康体の時はどんな弾でもミサイルでも平気だけど、転送して疲れていたり、日常生活でストレスを溜めたりしていて、普通に疲れていても防御する効果が薄くなるみたい」
「個々のシステムは理解できるが、仕組みが理解できない。つまりスイッチはどこにあるんだ」

「基本は友哉さんの血圧って書いてある。血圧が上がるとリングを通してそれに反応して、様々な物質が発生するそうです。血圧と関係ないのは拳銃だけで、拳銃の地核のエネルギーは拳銃の中に圧縮されて収められていて、拳銃の表面はロンズデーライト」
「ロンズデーライト
「ダイヤモンドよりも硬いやつらしい」
「それは溶けるんじゃないか」
「冷却装置が銃の中にあるそうです。当たり前ですよ」

「すまん。だけど、このリングを使って痛みを取ったりしてもそれで疲れるんだから、有事の時に疲れが出た時はどこからエネルギーを得ればいいんだよ。ようは俺の血圧は上がくらいだが、それが90くらいになってきたら、だめだって話だよな。黙って寝てるしかないのか」
「うーんdots
「なんだ。まさか人を殺すと力が出るとか、疲れたら黙って殺されるしかないとか、絶望的な答えか」
「初めての仕事でストレスがひどかった友哉さんがさっき撃たれたのに平気だったのは、わたしのおかげみたいです」

 友哉があからさまに首を傾げた。
「前日にセックスをしたからだって。フェラだけだったけど」
「意味がまったく分からない」
「これはdots新旧混在しているすごいシステムですよ」
 ゆう子がそう呟きながら、そして想いを廻らせる表情になり目を瞑った。
「わたしが友哉さんの傍にいないといけない理由。部屋でメイクして待機していないといけない理由。友哉さんがその力を使えば、どんな女とでもセックスができる理由」

「俺はブスは抱けない」
「だから、わたしがいないとだめなんだ」
 友哉の正直な言葉に感化された、なんとなく呟いた言葉だった。
 自惚れていると言いたいが、ゆう子はまさに絶世の美女だった。
 戦国時代に武将の妻で「だし」という女がいたらしく、後にいろんな表現で美女であることを褒められていたが、きっと、奥原ゆう子も次の時代で、そう讃えられる美女だった。
「まさか、転送されたり、この指輪を使って誰かのケガや病気を治したりして疲れても、君が傍にいて、触ったりセックスをしたりしたら早く回復するっとことか」

「そうです。、セックス、エロチシズムで回復するようです」
「さっきみたいに倒れた場所では
「外ではちょっとトイレの個室に入ってやるしかないですね」
「どうしてそんな仕組みになってるんだ」
「トキさんの世界では、男性が何かの原因で筋力と精力を一時失ったらしいです。恋愛感情も乏しくなったために女性を欲しくなるように開発された薬らしいです」

「それはトキから聞いた。精力がすごくなっている」
「そう、使用すると精力はともかく戦闘力もすごくなるから、結果、戦争に使ったようです。だけど女性を得られなかった男性は消耗して死んでしまうから使用禁止になったらしいですね。疲労したら性愛で回復するんです。友哉さんの血中にあるそのガーナラっていう薬がさっき一時的に減少して、今、わたしの下着姿を見てまた増えてきたんですよ」

「確かに下着姿がかわいいと思った」
 真面目に教えると、ゆう子も生真面目に、
「女のエロチシズムに興奮すると、友哉さんの体の中にある友哉さんの足を治療したその薬が毛細血管まで廻って元気になる。単純に血圧が上がるんです。恥ずかしくて言いにくいんだけどdots
「まさに勃起と同じ原理じゃないか」
「そうです」
 ゆう子が少しはにかんだ。

「昨日の君の愛撫が、今日の戦いに効いていた 勃起と同じ原理ならそれはおかしい」
「昨日上がった血圧が、今日、極端に下がっていないということですよ」
「生薬なら長い時間は効かない。この時代の強壮剤なら一日くらいだ」
「はい。追加しないと、五年くらいで効かなくなってくるそうです。もし、友哉さんがなんにも食べないともっと早く」
「昨日の君の愛撫で俺が疲れた理由は」
「わたしが下手くそだから」

 ゆう子が即答したのを見て友哉が肩を落とした。
「正直に言うと興奮した。何しろ、奥原ゆう子だ。なのに、俺は力なんか出なかった」
「調べます。dotsえーと、普通にストレスだってさ。ほら、わたしが下手くそだからだよ」
 すねてしまった。
「この魔法の薬はストレスには効かないようだね」
「ストレスのない世界で開発されたからだって」

「ストレスがありそうだったけどな、あの男。ストレスがない世界で戦争があったのも妙だし。まあいいや、とにかくストレスには効果がない薬で、君のセックスの話は終わり」
「半年でAV女優並みになってやる。AV女優と付き合っていた男の人とやらなきゃいけない女の身になれっての」
「ならなくていいよ。無理にしなくてもいい。セックスの話は終わり」

「後で話し合いましょう。実際、AZの方が面白い。女がいなくてdots。つまり興奮しないままでいると、低血圧に陥って死んでしまうから、恋愛やセックスに貪欲になるって書いてある」
と教え、
「死ぬそうです。女が傍にいないと」
と、神妙に言った。友哉が呆然としているのを見て、
「あ、トキさんからの伝言が補足されています。友哉様の世界には女がいっぱいいるから、私は楽観しているって」

と、ゆう子が笑って言う。
「俺の今の血圧は? 客室係りに簡易血圧計を借りてきてくれ。115が130くらいになって、それが90に下がったら死ぬのか。そんなバカな」
 話を変えるように、力なく訊いた。
AZで友哉さんの血圧を見られます。心拍とかも」
 ゆう子がAZの画面を見せると、『佐々木友哉の体調』と表示されていて、血圧だけではなく、心拍数、体温dots様々な数値が出ていた。血圧が、なんと272、150となっていた。

「テロリストと戦った時は見てなかったけど、きっと400くらいに跳ね上がってるの」
「つまり、俺の今の体は血圧が300くらいが普通になっているのか。それが戦いとかで消耗して100になると、極端に下がって、ショック状態で死ぬ?」
「あ、まさにそうです。さすが、作家さん」
「女がいないと死んでしまうのか」
 友哉の不安は収まらない。

「いえ、何もしなければそこまで血圧は下がらないから普通に生活できます。一度上がった血圧が一気に下がると危険で、じりじりと下がっても辛いそうです。でもテロリストと戦うためにその強靭な体を使い続けるには、わたしが必要ってことね。AVの菜々子には敵わないけど、愛でなんとかするよ。ふふふ」
lineまったく笑えないぞ。足が治ったのに、なんだ、そのハイリスクは。
 友哉はまさに愕然としていた。その様子を見たゆう子は、笑みを無くし、なぜか「ごめんなさい」と消え入るような声で言った。

「君が謝ることじゃない」
「うん。だけど、なんかわたしと強制的にセックスしないといけないと思うと悪くて。わたしはdots
 ゆう子は一度言葉を飲み込んだ後、
「セックス以外にどうやって男性を慰めていいのか分からないから、だから最初はセックスだけでもいいんだけどdots
と、神妙に言った。
「遊園地をデートをしたり、料理を作ったりするんだ。今は男が作るのが流行。だから女がすることはなくなった時代。戦争も内乱もないからまあいいんだがdots。なんて皮肉を言ってる場合じゃない。君はデートの仕方も知らないのか」

「料理はできないし、そういうデートはdots。すみません。したことがないです」
 ひどく顔を曇らせるものだから、友哉は話を変えることにした。
「違う女じゃだめなのか」
「え?」
 ゆう子があからさまに悲しそうな目をした。
「例えばだよ」
「違う女でも大丈夫ですよ。ただ、高級交際倶楽部の恋もしていない女で効果があるのか分かりません」
「君にまだ恋はしてないよ」

 美しさは認めているが、一目惚れをしているわけではなかった。恋人兼秘書と彼女は言っているが、恋人にする気持ちもない。
「わたしがあなたに恋をしているから。プロの女はあなたに恋をしてるの?」
「あ、ああ、そうだなdots
 言いくるめられてしまっている。
「戦争に使った薬かdots
 また、話しを変えてみる。彼女を傷つけたくない気持ちと、自分の体が油断すると死に至る恐怖で、友哉は冷静さを失っていた。

line頭重がする。遊園地?ディズニーシーdots。あの笑顔dots。感情だけで生きている純朴なdots。抱きしめると壊れそうなあの体dots。抱きしめたい…なのにいない…。ここは日本じゃないのか。どこだったかdots
「なんの戦争かは分からないけど、でも、トキさんが止めたような口ぶりだった」
「そ、そんなに偉い男なのか、あの坊や」
 友哉が辛そうに頭を少し左右に振るが、ゆう子はそれに気づかなかった。滑舌も悪くなっていた。

「そうみたいね。dots遥か未来の世界の君主を坊やという友哉さんもどうかしていると思うよ。友哉様って呼ばれていたとしてもトキさんがもし聞いていたら、怒ると思う」
 ゆう子がくすりと笑う。
「坊やにやられるとはdots
「また言ってる」
 ゆう子が頼んだのか、テーブルの上にフルーツとコーヒーが置いてあった。それに加えて、たった今、ゆう子がサンドイッチとソーセージを注文した。ルームサービスが来る間、二人は何もせずにソファに座っていた。

 分からないことだらけだった。
 今回の仕事は成功だったのだろうか。レストランの客は守ったが、レストランの外で死者は数多く出ていた。確かに、逮捕されることはないだろう。現場から忽然と消えてしまえば、撮影されていても、そのビデオが合成だと判断される。現実にホテルから一歩も出ていない事になっているのだ。友哉がそんなことをぼんやりと考えていると、
「作家さんなのに、愛国心があるのね」
とゆう子が言った。
「なんのこと?」

「アウシュビッツと広島の話」
「作家は売国奴が多いか」
「左翼っぽい方が多いです。友哉さんは違うの?
「右も左も興味がないよ。今、目の前の真実だけを見るのが俺の趣味だ。奴は地獄の中で地獄の処刑を受けた人たちが眠っている国で、観光客にも地獄を見せようとした。地獄の中でdots
 友哉はそこまで口にすると、急に頭を両手で鷲掴みするように抱えた。
「どうしたの?」

「地獄dots天井dots
 背中が震えている。
dotsあいつ、なんで来ないんだ」
linePTSD? 天井ってなに? フラッシュバック?
 ゆう子は近くにあったタオルで、友哉の額の脂汗を拭いた。水を渡すと、
「栄養ドリンクがいい
と叫んだ。ゆう子がびっくりして、冷蔵庫からそれらしい飲み物を渡すと、彼は一気に飲んだ。

「ただの骨折じゃないのか。なんで一生、後遺症が残るんだ。このベッドの血はなんなんだ。おい、看護婦。黙ってないで、返事をしろ
 ゆう子をちらりと見て、怒鳴った。
「友哉さん、落ち着いて
 暴れていないが頭を抱えて、床を拳で殴っている。今度は、
「取れない。足元の写真が取れない。足が動かない
と喚き、自分の膝を拳で叩いた。

「写真?」
「写真を落とした。水着の」
 水着? 恋人のか。ゆう子はそう思ったが追求せず、
「足は動くよ」
と必死になだめると、彼ははっとした顔をして、部屋を見回した。
「す、すまん。病院かと思った」
 悪い夢から飛び起きた人のような顔をしていた。

「うん。大丈夫よ。トキさんから聞いていたから」
 そう言って微笑むと、友哉はゆう子のその顔を見て、
「あ、奥原さんかdots
と言って、少し残念そうな顔した。
「病院で誰を待っていたの? 彼女?」
「え? す、すまん。君でいいんだ。すまん。君がいいんだ。これ、俺がやったのか。ごめんね」

 友哉は床に落ちていたコップを拾い、近くのタオルで水を拭いた。ゆう子は言葉を失った。
「大きい声を出したのか。すまない。誰も待ってないよ。奥原さんがいてくれてよかった」
 少し声を震わせながら、また言う。ゆう子は瞬きを失い、彼を凝視していた。
linePTSDのフラッシュバックの最中に、わたしに気を遣ってるの? 君でを君がに言い替えた。なんなのこのひと。

「成田じゃなくて、病院の廊下で待ち伏せしてくれたらよかったのに」
line冷や汗をかきながらジョークまで言うのか。記憶映像の中の彼と変わってない。優しさの大安売りだ。これでは逆に、ちょっとしたことで傷ついてしまう。トキさんが与えた薬、本当に性格を変えたりしないんだ。
「ルームサービスで部屋に入ってくる女性は、レベル1だから安心してください」
ゆう子はAZを触って、そう教えたが、こっそり『原因』ボタンで、友哉のPTSDについて調べていた。

line病院の水着の写真は誰のこと?
 入力で「水着の写真」と入れて、さらにAZに問いかけるように訊く。
『相手の女性のプライバシーに関わることで答えられません』
 トキがリアルタイムで答えているように見えるが、実際は違う。膨大なテキストからの答えだ。
line天井って病室の天井ですか?
『そのようです。詳しくは分かりません』

line友哉さんは異常に優しいんだけど?
『そのままの男性でいてもらわないと困ります』
line困る?
dots
 答えが出てこない。だが、こんな雑談のようなやり取りでは仕方ないと、ゆう子は思った。しばらくすると、次の一文が画面に浮いた。
『神の領域です』

line友哉さんは神?
『神様ではありません。怒りっぽいので』
 ゆう子が笑うに笑えず、肩を落とした。もう一度、同じ質問をすると、『神様ではありません。女に甘すぎるので』と、また批判が戻ってきた。ふざけたわけではないが、同じ問いかけを続けると、批判が矢継ぎ早に出てきて、その中に『シンゲン』という名前が見えた。
lineシンゲン? 誰ですか

 そう訊くと、AZの画面から一瞬、テキストが消えた。友哉はゆう子がAZをいじっているのを見て、バスルームに向かう。きつけのためか顔を洗っている音が聞こえた。
 AZの画面が再び淡く光り、テキストが浮かんできた。
『テキストを担当したAZのデータ管理者です。奥原ゆう子dotsワルシャワ時間。シンゲン。トラブル。トラブル。非常事態。リセット』
lineえ? 友哉さんの悪口の中にシンゲンってサインのような文字が見えたのよ。
dots

 あらま。未来人、まさかの凡ミス?
 ワルシャワでいる時点では、教えられない名前とか事柄があるのか。そういえば、友哉さんの住所とかもわたしが成田に着いた途端に出てきた。
 トキさんに、仲間がいたのか。しかもトキさんからの答えじゃなかった。当たり前か。一人でこんなものは作れない。このAZはきっとある組織で作ったんだ。トキさんが本当にトップの人間だとして、トキさんの意見とその部下たちの意見、そして友哉さんのデータが

入っているのだろう。それをまとめたのがシンゲンという人間。もし、このシンゲンという人間の意見も入っているとしたら、彼らが友哉さんを特別に崇拝しているばかりでもなさそうだ、とゆう子は考えた。
line友哉様と書いているのも、怒らせないように気を遣っているのかもしれない。今の友哉さんが激怒すると、確かにまずいことが起こりそうだからなあ。
 テロリストとの戦いを思い出し、苦笑いをする。

 PPKからの赤いレーザー光線が気にいらない政治家を仕留めることも可能なのだ。ゆう子は頭の中のその言葉はAZに向けずに、部屋の隅に投げるように呟いていた。
『奥原ゆう子から今の記憶を抹消。奥原ゆう子の承諾を待つ』
lineなに? 嫌だよ
 ゆう子が思わずAZから手を離し、テーブルに置いた。「嫌だ」ともう一度言う。
『拒否。口外をしないよう約束』

line分かりました。トキさん以外の名前を言わなければいいのね。
『交渉成立。しかし、奥原ゆう子のお喋りは信用できず、信用できず』
 なんなんだ、この口の悪いタブレットは。絶対にこのシンゲンって奴の個人の感想だ。トキさん、もっと温厚で丁寧な人だったもん。
 ゆう子がAZを睨み付けた。それにはAZは反応せず、別のテキストを浮かばせた。

『ゆう子さんの時代の聖書という書物を読むと、神とは苦しむ者で、イエスは十字架に晒されています。また、悪しき人間を拷問にかけることにより、神の世界に向かわせるような傾向が読み取れます。友哉様は目の前で悪事を働く恋人を聖女にするために、苦悩されてきた。紀元の頃に友哉様が存在したら、元の恋人は拷問を受けていたかもしれません。もちろん、ゆう子さんの時代では頬をはたく程度です』
 それでもDVになるもんな。そしてこれはシンゲンって人の話じゃなそうね。またそっぽを向いて、頭の中で呟いた。

 それにしてもゆう子は彼の言った「水着の写真」という言葉が腑に落ちない。
line彼女の水着の写真を持っていたのか。彼女はずっと前からいないはずなのに。トキさんからもそう言われていた。彼が嘘を吐くようには思えない。じゃあ、恋人じゃなくて恋着していた元カノなのか。

 だったら、それも奇妙だ。元カノが見舞いに来ないのは当たり前だ。それほど絶望することもない。幼少の頃の娘の水着の写真だとしても、「水着の写真」という言い方にはならないはずだ。「娘の写真」と言うはず。名前を言えない女性の水着の写真。やはり元カノか。
 しかし、友哉にそれらを訊くことはできず、ゆう子はおでこに手をあてて、病室の様子を想像し推理をしていた。

lineただの骨折が違っていたのは、医療ミスなのか。大失敗や大トラブルが一気に襲い掛かってきたのか。成田から、何もかもやる気がなさそうだったのも当然で、わたしの誘惑、本当に嫌だったのかも。男性を誘って嫌がられたのが初めてで、怒ってしまった。
 ゆう子が少しばかり反省していると、友哉が戻ってきて、ソファに座った。
「トキに俺の何を聞いたのかな」

 ゆう子が水着の写真のことを聞きたいと思っていたのに、友哉が質問してきた。
「友哉さんがPTSDだって」
 すると、友哉は不機嫌そうな面持ちになり、
「君は戦争映画を観たことがあるよね。女優なんだから」
と言った。
「あります。出演したこともありますよ。妙な比較はしないでね。時代が違うから」
 ゆう子がけん制すると、友哉はほんの数秒、言葉を作らなかったが、

「あんな悲惨な目に遭ったことはないし、ビルが爆発するのをまじかに見たこともない」
と言った。
「自分はPTSDじゃないって主張して、周囲がPTSDだと判断したら、100%PTSDになりますよ」
「君の判断は?」
「PTSDです。程度は分からないけど」
「あと、三人くらいに言われたら認める」

「ずっと思っていたけど、気が強すぎると思う」
「泣かないからってふられたことがある」
 友哉が笑うと、
「笑わなくてふられて泣かなくてふられてdots。女は難しいですね。もしかして、あなたdots
 ゆう子が、「友哉」ではなく「あなた」と言った。神妙な面持ちになっていた。
「気が強くて怖いもの知らずじゃなくて、夢も希望もない人ですか」

と言った。友哉が答えないでいると、
「ごめんなさい。発作が出たばかりなのに。小説家の夢はないんですか。大作を書きあげるとか」
と、ゆう子は謝りながらも難詰するように訊いた。
「発作が出たのか。そうだな。少し取り乱したのは分かっている。恋愛や病院のことで気分が急に悪くなることも分かっている。だから、恋愛をする気分じゃないって話で、じゃあ、心の病を認めてることになる。つまり正常だ」
「正常ですよ。冷静なくらいに。で、夢は?」

「ない。なんにも」
「それは異常」
「君には夢があるってことだね」
「ひとつ叶った。少しの間、女優業を休むこと。本当は海外でのんびりするのが理想だったけど、このタブレットが楽しいから、マンションでこもっているのも悪くない。もうひとつは三年後にある人とお付き合いする」

と言いながら、友哉を指差した。友哉は照れる様子はなく、むしろ、表情を曇らせた。
「そんなにわたしがタイプじゃない?」
「違う」
 即答すると、ゆう子はほっとした表情を見せた。
「女を愛すのをやめた決意をした直後に、突然、好きだと言われて、それが美女でもはしゃぐような、ふらふらした男じゃない」

「分かってますよ。そこに片想いなので。結局、意固地にかっこよすぎるから、もてないんだ。女の子は急ぐからね。その温度差よ」
「発作が起こった時に、誰かの名前を言っていたかな」
「いいえ。あいつって」
「あいつか。dots彼女の名前を口にすると、貧血が起こるような感覚になる。きっと発作を助長するから、言わないようにしているんだ。どうだ、正常だろ。俺が俺のお医者さんだ」

「奥さんのことじゃないですね。成田とかで律子って口にしていたから」
「いつまで続く尋問かな。トキにもされたぞ」
 友哉はそう言うが、微笑んでいた。
「トキさんにも? 皆、友哉さんに厳しいんですね」
「自分で言ってるよ。じゃあ、優しくしてくれ」
「わたしの疑問に辛くならない程度に答えてくれたら、三年間、ずっと優しくする」

「そうか。不倫していた女だ。あいつがいなくなって、それから俺はただ、休みたいと考えていた。君が休みたいと思っていたようにね。夢のすべても無くした。その不倫相手が誰かは律子にはばれてなかった。だけど、彼女が俺の洋服を洗濯していたから、洗剤の匂いでずっと同じ女が俺の世話をしていたのはばれていただろうな。入院中、律子に離婚をされて、娘とは会えなくて、その恋人は失って、なんと足は動かない。その人生になんの希望があるんだ。それが突然、こんな体になった。健康になったのか、もっと不健康になったのか分からないが、気持ちは変わらない。ただ、のんびりしたいだけだ」

「その彼女はどうしてあなたと別れたの?」
「さあね。最後に会った時に、めっちゃ笑っていたからね」
「めっちゃ?」
 ゆう子が目を丸めたところで、
「おしまい」
と友哉が言って、ソファから離れてゆう子に背中を向けた。窓の外をじっと見ている。

「その彼女のこと、相当大好きですね」
「もういない」
「否定しない。わたしはどうしたらいいの?」
「昔、付き合っていた恋人を別れたら嫌いだと言って、新しい女を喜ばせるのか。そんな悪趣味はない。あいつは理解者だった。俺を理解しようと必死になっていた。君はdots信じてほしいと言った。似ているよ。見た目はまったく違うけどね」
 友哉が、くすりと笑った。

「どこの見た目?」
「お互い美人だけど、君は個性的で知的な美人。あいつは整った顔立ちの美人で童顔。あとは胸かな」
「ああ、その女もおっぱいが小さいのね」
 ゆう子が口を尖らせると、友哉がまたクスクス笑った。
「普通に笑う男のひとですよね。ま、女の子に嫌われるのはきっと変態だからでしょ」
 ゆう子がそう苦笑いをした。

 ◆

 サンドイッチがきた。
 客室係りがコンシェルジュを兼ねているのか、ルームサービスを頼んだだけなのに、「日本人が好む食べ物を買ってきましょうか」と尋ねられた。ゆう子はやんわりとそれを断り、翌日の空港までのタクシーの件だけを告げた。
 ゆう子は『ポーランド旅行に使う便利帳』という冊子を持っていて、その冊子を見ながら、ポーランド語と英語を使っていた。

「あれ? 俺はポーランド語を理解できたけど」
「え? わたし、英語しか喋れないよ。ポーランド語、分かるの? どうして?」
 ゆう子が、またAZで調べている。
「なんかよくわかんないな。別の国では暗闇では危険な仕事はしないようにって書いてある。友哉さんが日本語と少しの英語しかできないから、相手の言葉が分からなくなるからだって。ああ、遠くの人の言葉も分からない時があるって。未来の技術については説明を割愛してあるんだ。長くなるからって」

「自動通訳機能じゃないのか。相手の口の動き方、表情、仕草、周囲の状況、周りにある物などを見て、何を喋っているか俺の脳が判断するんだ。じゃあ、相手はどうして俺の日本語が理解できるんだろう」
「外国人が近くにきたら、リングから同じ力を送るみたい。鏡の原理とか書いてある」
「こんにちは、と言ったら、相手も、こんにちは、と言う。その意識を反映させる、恐らく無限に。それで会話を成立させるのか。すごいな。このリングは相手が日本人か外国人か判別もするわけだ」

AZが判別するから、それをリングに転送するのよ。わたしがいじらなくても、友哉さんのリングに転送している情報や力はあるの。全世界の人間のデータが入っているから、相手の性格と勉強してきた知識、思想でも喋っていることをある程度は判断できるんだと思う」
「ところで、そのAZに出る事件のデータは自分の記憶だって言ってたが」
 後回しにされていた疑問を、唐突に切り出すと、
「また説明するの? もう疲れた」

 ゆう子は、本当に嫌そうな顔をしたが、友哉の方がテロとの戦いとPTSDの発作で疲れてるんだ、と思い、しっかりとした声で説明を始めた。
「トキさんたち、未来の人たちが過去と未来を行き来できないから、一人の人間の記憶を辿ってるんですよ。わたしの三年間の記憶の中に、ワルシャワでテロが起きたニュースが残っていて、だけど、その正確な日時は忘れているから、このAZ上に、ワルシャワのレス

トランの今日かも知れないって出てくるの。日本での事件ならもっと正確に覚えていて、その場所に行けそうです」
「覚えている?」
「そうです。身近な事件なら、発生した時間までも覚えているかも。わたしの家の近くで起きた殺人事件とか」
「三年後の君から記憶を取ってきて、今、見ているってことか。なんでなんでも三年なのかな」

「知らないよ。あと三年でわたしの人生は終わりなんじゃないの。つまり死ぬんだよ」
 ゆう子がそう言い放った。まさに焦燥している。
「死ぬ? なんで」
「知らないって。だけど、三年後のある日に、わたしの記憶は消えてなくなる」
「病気? 事故?」
「知らないし、言いたくない」
 涙ぐんでるゆう子を見た友哉は、

「すまん。そのdots。死なせないよ。ちゃんと守っているから」
と言った。
「ほんとに?」
 ゆう子はあからさまに機嫌がよくなって、
「やったよ。お芝居成功。恋人兼、秘書確定」
と笑って、飛ぶようにバスルームに走っていった。
「し、芝居だったのか。さすが女優」

 友哉はしばらく苦笑いをしていたが、
line本当に彼女が三年後に死ぬ運命なら、それは止めないとだめだ。例えば事故や事件に巻き込まれるのなら、この力でなんとかなるかも知れない。
と神妙に考えていた。しかし、シャワーを浴びている音を聞いていたら、また心臓の動悸が激しくなり、息苦しくもなってきた。

 友哉は神妙な面持ちになり、半ば自分に呆れ返った。
 奥原ゆう子というブランドに、まだ緊張しているのか。泣いていたから、優しくしよう思ったのに。dots確かに今は恋愛はしたくない。だけど、優しくしようと考えると気分が悪くなるんじゃ、人間失格みたいだ。
「自分に気持ちよくなるクスリを与えてもいいか」

 リングを見つめながら口に出して言う。
 自力で抱く気になれないのなら、未来の力の『光』に頼ろうと考えた。
「いいですよ。それで疲れたら逆レイプして元気にするから」と、頭の中で聞こえた。
「もっと優しくできないのか。まるで肉食女だ」
「肉食なんて言われたことはない」

 少し怒ったようだが、彼女は痴女のような気配は持っていた。セックスの時はサディストなのかも知れない。友哉は、ぼんやりとそんなことを考えたが、リングを使った治療や薬物の投与が気になっていて、ゆう子の性格のことはいったん脇に置いた。
 このリングを利用した光や体内の力はそれを些細な事に使うとどれくらい、疲れるのだろうか。友哉はそんなことを考えながら、左手を胸にあてて、「気持ちよくなりたい。カンナビナイド受容体を刺激してほしい」と念じた。

 リングは緑色に光り、その光は素早く友哉の頭に移動した。友哉はうっすらと笑みを浮かばせた。
「気持ちいい。ストレスに対応していないって言っていたのに、これは違うのか」
 すると、ゆう子がリングの通信機能で、
「友哉さんの体の中に大麻もあると思う。でもストレスのために入ってるんじゃないと思うよ。セックスのため。それにただの光だけかもしれない」
と答えた。

「光だけで気持ちよくなるの?」
「光合成の応用くらい、トキさんの時代なら簡単でしょ」
「ほうほう。光合成dotsまったく分からない」
 けれどリングを光らせるために、少しは血圧を使うはずだから、今、疲れなかったのは彼女のエロチシズムが効いているのだと、友哉はわかった。見ているだけで十分な澄んだ湖面のような美しさが彼女にはあった。
 ゆう子が戻ってきた。

 今日はずっとグリーンの短めのスリップを着ている。下着はさっきの水色ではなく、また白。少々一か所にとどまらない落ち着きのなさがあり、冷蔵庫の前に屈んだりすると、白い下着がチラチラ見えていた。それを見て、友哉もシャワーを浴びに行くが、「セックスをする合図じゃないぞ。きっと血の臭いが残っている」と告げてからバスルームに歩いた。シャワーを浴びて戻ってくると、彼女はなぜか棒立ちでいる。あまり座らない女だと、友哉は苦笑した。

「友哉さんは洋服フェチみたいだから、一日にパンツや部屋着を何回も替えますね。好きな女を見ているだけでも、体力がつくらしいから」
「好きな女?」
「タイプじゃない女で元気にならないでしょ。ブスとか。そういう意味!」
「怒ると怖いね。ずっとブラは外さないけど、なんで? 乳首が黒い?」
 下世話な物言いで笑うと、「乳首が黒い? なんてことを言うのよ。黒くないよ。なんで急にエロオヤジ? クスリを間違えたんじゃないの」と、ゆう子が呆れた調子で言った。

「じゃあ、ブラを取れよ」
「おっぱいに自信がないから着エロで!」
 筋肉質な友哉の体に唇を這わせたゆう子は、また「幸せだなあ」と、心底、嬉しそうな表情を作り、友哉を驚かせた。
「二日前に出会ったばかりだし、俺はおまえと今は付き合う気はないぞ」
 プレッシャーを感じ、念を押していた。
「分かってるよ。うるさいなあ。でも、今はってdotsもう、なんて優しいの。惚れちゃう一方よ。んー、だけどまた気分が悪い」

 ゆう子は友哉からさっと離れて、深呼吸をした。
「お互いおかしいな」
「友哉さんも? わたしを奥原ゆう子ってことは忘れて、ただのラブドールと思っていいのよ。本当はそんなの嫌だけど、とりあえず慣れるまでよ」
「少しは慣れてきたけどねえ」
「おかしいな。パニックでセックスができないことはないはずなのに。あ、セックス経験はほとんどないよ。ああ、どうしよう。なんて言えばいいのか」

 おでこに手をあてて、顔を強張らせて、そしてそわそわしている。床にしゃがみ込んだから、今度はお尻の様子が艶めかしい。肌を隠す恥じらいはなく、セックス経験に対する恥じらいがあるようだった。
 ソファに座って、両膝を整えて座る落ち着きがないからパニックになるんだと思い、
「そんなにセックスの経験のありなしを口にしたくないの? 二十歳くらいの女の子じゃないんだから、気にしなくていいよ。それにパニック障害は頑張すぎたり、時間に追われた

りすると発作が起こるから、ゆったり、のんびりした方がいいのに、君がセックスを急ぐからじゃないのか。ソファにゆったり座ってるのも見たことがない」
と言った。
「うん。ありがとう。ソファに座るよりも床が好きなの。あなたの無臭にびっくりしただけだから」
「無臭?」
「男の人の匂いがしない。石鹸の香りもあまりしないから無臭なんだと思って」

「まあ、加齢臭が出る歳だけど、臭いってあまり言われないよ」
「うん。びっくりした。でもそんなdots加齢臭のことじゃなくて男性の汗の匂い」
「夏は普通に臭くなるよ」
「うん。それの方が安心するかも」
「そうか。君のシャネルもない方がいい」
「香水は嫌いなのね。うん。そういう男の人、多い」
「嫌いじゃないよ。どちらかと言うと石鹸の香りの方が女らしさを感じる」

 今でも恋着している元彼が男の匂いをあまりシャワーで消さなかったのか、洗っても消えなかったんだと分かる。ティッシュに出した昨夜の精子は捨ててあったが、それにも元彼によってできた如何わしい過去がありそうで、分かりやすい女だと思った。
line分かりやすい女が好きだけどdots
 きちんと自分の話をする女性。話をしなくても、無意識にばらしてしまうこの、奥原ゆう子のような女性が友哉の理想だった。容姿やセックスではないのだ。

 ゆう子は、友哉が自分のことを考えているのに気づいたのか、
「嫌いになった?」
と、泣き出しそうな顔をして言った。
「パニック障害では嫌いにならないよ」
「夜中に飛び起きたりする」
「俺もよく起きる」
「行儀が悪いの」

「それもかわいいからいいよ。あのね、俺にそんな偉そうな権利はないんだ。おじさんだし、病人みたいなものだから、君のような美女を嫌いになるかならないか言う権利も考える権利もないんだ」
「そんなに控えめなの?」
「ブスには控えないよ」
「女は顔なんだね」
「面倒臭いなあ。君は顔で仕事をしているのに」
 友哉が呆れ返って、ゆう子の腕を掴んで、ベッドに引っ張り込んだ。

「今、大麻のような効果で気持ちいいんだ。喋らないでくれないか。嫌いな女は行儀の悪い美女じゃない。シャワーを浴びた後に、色気のない話を始めたり、何か食べたりする美女だよ」
「す、すみません」
 途端に殊勝になって、友哉に身を任せる姿勢も作る。
「結局、俺がリードするんじゃないか」
と言うと、ゆう子は頬を朱色に染めた。

 二人は、初めて結ばれた。
 ブラも外したゆう子は、「デブは嫌いだよね」と、目を伏せた。
 肉付きは良いがまったく太ってはいなくて、美人の定番のセリフだった。
「おっぱいがでしゃばりすぎてるよね。性格と一緒で。そういう女の子、あんまり好きじゃないでしょ」
 そんな言葉をさかんに作っていたが、友哉は、うんうんと、頷いたり、首を振ったりして相手にしなかった。リングの力で酩酊しているような感覚がある。

 乳房が大きすぎるとさかんに言うが、動物的な巨乳ではない。Cカップだろうか。体はどこにも骨が出っ張っていなくて抱き心地はよくて、それだけをゆう子に教えたら、とても喜んでいた。
 友哉は、「こんなに気持ちいいセックスは初めてだ」と大げさに喜んだ。
「大麻なのかな。わたしにもそのクスリをdots
「だめ。ますますストーカーになる」
「なりたいから、そのクスリを入れてよ」

「君はパニック障害の持病があるから、こういうのは慎重になった方がいいよ。大麻が禁止されているのは政治的な問題だが、パニック傷害や鬱病に逆効果という報告もあるんだ」
「パニック障害を治して」
「昨日、ちょっとやってみた」
「どうやって?」
「大脳辺縁系の扁桃体というものから、妙な指令が青斑核に伝わらないようにそこを光で刺激してみた」

「勉強してるの?」
「トキに教わった。避妊とそれ。なんだ。君の持病の治療のためか」
「そうだったんだね。ありがとう。うん、気分がいいから、不思議だった。治してくれたんだね」
「一時的な処置だよ。たぶん、光だけの治療はすべて一時的だと思う」
「じゃあ、ずっと気持ちよくなる大麻系も試したいな。あなたの体に中にあるの」
「この仕事が続くなら、いろいろ試すよ。君が裏切らないようにクスリ漬けにしたいね」

 友哉に跨っていたゆう子は大袈裟に体の動きを止めた。
「さすが、レベル2の男。悪い。わたしが友哉さんを裏切ろうとしたら、薬漬けにしてセックスで離れないようにするのね」
「そうだ」
 いつものように本気も冗談とも取れない返事をする。
「いいよ。わたしはその程度の女で。モルモットにして」

 また自尊心が欠如した言葉をつくったが、彼女の体が感じた淫靡な声が漏れた瞬間の言葉で、悪くない響きだと友哉は興奮した。
 ゆう子のセックスの声は処女性はいっさいなく、本能に従ったような快楽の声だった。うるさいわけでもなく、ただ、ただ、淫らな声であった。
 その動作、足の開き方、舌の動かし方にいっさい清潔感や品はなく、それは予想通り。なのに真っ白な肌は美しく輝き、奇妙な出来物もない。柔らかな乳房、丸いお尻、潤った膣。何もかもが満点の肉体だった。

line楽しませてもらおう。無心でいないといけない。愛した女は必ずいなくなる。
 ゆう子が知っているように、結婚も失敗していた。ゆう子がどんなに頑張っても、結婚願望ももうない。
 ただ、車椅子の生活から救ってくれたトキへの恩は返さないといけない。哀しみは拭えていないが、それくらいの気骨は残っている。与えられた仕事を淡々とこなし、仕事が終わったら、報酬のお金で南の島で暮らしていこうと考えていた。

 どこかに嘘が潜んでいてもかまわない。利用されていてもかまわない。ずっとそんな人生なのだから。
 人気女優が現れたのは出来すぎだったが、もともと高い報酬があった。
 未来の世界のためにも、他人のためにも働く気はない。しばらくは風に流されていくだけdots。それが友哉の今の考え方だった。

第三話『ゆう子のマンション』に続く